2019年03月21日

No 5052   【王さまと仏教】

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おいちゃんのお気に入りブログ【人のこころに灯をともす】からの転載です

【王さまと仏教】

ひろさちや氏の心に響く言葉より…


こんな仏教説話がある…。
狩猟を趣味とする王さまがいた。
政務のあいだをぬって、よく狩猟に出かける。
一方、この王さまは仏教の信心に厚い。
日ごろから仏教教団に布施し、しばしば聖地への巡礼もする。

この王さまを家臣たちは笑う。
仏教の禁じる殺生(せっしょう)をさんざんやっておいて、聖地巡拝(じゅんぱい)はおかしいではないか…というわけだ。
その家臣たちの声が王さまの耳に入った。

王さまは家臣を集めて話す。
「ここに大きな鍋があって、湯がぐらぐら沸きたっている。中に金塊が入っているが、おまえたちはその金塊を取り出せるか」
「できません。火傷(やけど)します」
「しかし、わしにはできる。どうするかといえば、冷水をそそいでやるといいのだ。そうすると、熱湯もさめて、手を入れても火傷をしない」

さらに王さまはつづける。
「わしは国王であって、武人である。狩猟は武人にとって大事な鍛錬だからやめるわけにはいかん。そこでわしは、罪をつくった熱湯をさますために、聖地への巡拝をするのだ」

わたしたちの職業も同じである。
われわれが職業に専念すればするほど、悪行をつくり、他人に迷惑をかけることが多い。
大事なことは、そのとき、生きていくためにはやむをえないと開き直らずに、素直に「すまない」と詫(わ)びる気持ちを持ち、反面において少しでも宗教心を持つことだ。
ほんの少しでも熱湯の温度を下げるようにすればいいのである。
そうすれば、「ほとけ心」という金塊が得られるであろう。

『捨てちゃえ、捨てちゃえ (PHP文庫)』PHP研究所

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人は殺生はいけないと思いつつ、生きているものを殺(あや)め、それを食べる。
それは、植物であろうが動物であろうが、たくさんの命の犠牲の上に自分がいるということ。
それゆえ、生きていくことは矛盾の積み重ねだ。

その意味では、潔癖すぎる人は、生きずらい。
黒か白か、右か左かと極端に走りやすいからだ。
本当は、黒も白も、右も左も、という選択もある。
それは、殺生した食物を食べるとき、「ありがとう」「いただきます」と、自然の恵みに感謝する選択。

そしてさらに、そこで必要なのが、祓(はら)えだ。
神道においては、6月末に「夏越の祓え」という祭祀(さいし)があり、12月末には師走の大祓式がある。
半年の間に身についた罪や穢(けが)れを祓う。
祈りではなく、祓えなのだ。
すると、熱湯の温度が下がる。

稲盛和夫氏は、「相反する矛盾することを、平然とやってのけることができる人を名経営者という」と言った。
そして心の奥底に、『素直に「すまない」と詫びる気持ちを持つ』こと。

人は、年齢を重ねれば重ねるほど、あの世に近づいていく。
言い変えれば、神さまに近づいていく。
だからこそ…
ある程度の年齢からは、宗教心を持ったほうがいい
posted by Dr.モーリィー at 06:31| ちょっと気になる善い言葉 | 更新情報をチェックする

No  5051   【「が」はポジティブになれる】

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【「が」はポジティブになれる】

志賀内泰弘氏の心に響く言葉より…



こんな経験はありませんか。
奥さんに、「夕食は、カレーがいい?それともシチューがいい?」と聞かれて、「カレーでいいよ」と答えたところ、何だか奥さんの機嫌が悪くなった…。
恋人とデートをしたとき、彼に「イタリアンにする?それともフレンチにする?」と聞かれて、「ランチは簡単でいいわ」と言ったら、「せっかく考えてきたのに」と不満げな顔つきになった…。

原因はどこにあるのでしょう?
それは、「で」の1文字にあります。
「で」は、「どっちでもいい」というネガティブな気持ちを表す象徴的な言葉です。
例えば、会社で仕事をしているとき、上司から、「誰にやってもらおうかな〜、あっ、君『で』いいからやっておいて」
なんて言われたら、やる気が起きませんよね。

「〇〇『で』いい」と言われたほうは、なんとなく投げやりな感じに受け止めてしまいます。
それだけではありません。
言葉は、人の心を映す鏡です。
ほんの一言にも、その人自身の心の声が反映されているのです。
だから、「で」を使う本人の心も、知らず知らずにネガティブになっているのです。

これに対して、「が」は、強い意志表示が伝わります。
「夕食は、カレー『が』いいな」とか、「イタリアン『が』食べたい」と言うと、相手も作りがい、奢(おご)りがいが出てきます。
「が」を使うと、自分の意志がしっかりと明確になります。

そうです。
「が」の裏側には、「一番」とか「ベスト」、「でなければいけない」という気持ちが秘められているのです。
「で」と「が」は、たった1文字の違いですが、口癖にするとポジティブになれます。

『つらくなったとき何度も読み返す 「ポジティブ練習帳」 (DO BOOKS)』同文館出版

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「『で』いいよ」、という言葉と同じくらいがっかりさせる言葉が「どっちでもいいよ」とか「どこでもいいよ」。
「どっちでもいいよ」・「どこでもいいよ」には、「どうでもいい」とか「関心ない」とか、「関係ない」という投げやりなニュアンスがある。
一緒にいる人が、「どうだっていい」というような関係性を否定するような言葉を使えば、関係性は壊れていく。

傾聴の三動作という言葉がある。
「話し三分に聞き七分、うなずき、あいづち、驚きの表情」(田中真澄)
人は、相手に最大限関心を持ってもらたいし、自分を認めてもらいたいと渇望する生き物だ。
この傾聴の三動作は、「あなたに関心がありますよ」、「あなたが大事ですよ」、というポジティブな気持ちを動作で表したもの。

「で」ではなく、「が」を使うことも同じで、相手を大切にすることにより、自分の気持ちもポジティブになれる。
「が」を積極的に使ってポジティブに生きたい
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2019年03月19日

No 5050   【後ろ姿を見せること】

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【後ろ姿を見せること】

精神科医・医学博士、斎藤茂太氏の心に響く言葉より…



「父親不在」と言われてだいぶ経ちます。
しかし、「母親不在」という言葉はあまり聞きません。
仕事で忙しい父親が帰宅したときには、小さな子どもはすでに就眠しており、子どもが朝、目が覚めたときには、父親はすでに出勤して家にいない。
父親が、子どもとお互いに顔を合わせるのは、休日くらい。
その休日に、父親が「接待ゴルフ」で外出してしまっては、子どもは、父親の実像を知らないまま成長することになってしまう。

バブル経済期の、ごくありふれたサラリーマン家庭の日常風景です。
10年程前になると思うが、『父性の復権』(林道義・中公新書)という本がベストセラーになりました。
これは、現在、日本では健全な父の権威が家庭から消滅の危機に瀕しているので、ここで取り戻しておかないと、将来面倒なことになる、そんな問題提起が多くの読者に支持された結果でしょう。

いまでも、父親の実像を知らないということでは、そんなに変わっていないのではないか。
実像を知らない子どもは、父親の勤める会社の名前を知るのが、精一杯というところでしょう。
子どもにとって、父親は極めて不透明な存在なのです。

家族のなかから、会話などのコミュニケーションが欠ければ、どんなことになるか、もはや言うまでもありません。
指針となるべきお手本がなければ、苦労するのは子ども自身です。
父性の復権から察すれば、母親が健在なだけに、どうやら父性が、家族をしっかりさせるキーポイントのような気がします。
男女平等の社会と言っても、父親の役割は、きわめて重要なのです。

こういう状況では、父親を尊敬しなさい、と言ってもとうてい無理で、現実を見失ってこころに傷を負っている子どもたちが、後を絶たない訳を垣間見るような気がしました。
やはり父親の真の姿をきちんと子どもに伝えるべきなのです。
そのためにも、父親は、機会を見つけて、自分の仕事の話をしてやるべきです。
実際に我が子を職場に連れていければ最高ですが、そうそう簡単にはできない、日本の特殊事情もありますので、まずは、仕事の内容、仕事で苦労するとき、嬉しいとき、やりがい、などいろいろあるはずです。
子どもは、父親の本当の姿を知って、家族の一員として自分を実感するはずです。

『人生に必要な100の言葉』青春出版社

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松下幸之助氏は成功する人が備えていなければならないものとして次の3つをあげたそうだ。(大事なものは見えにくい・鷲田清一)より
それは、「愛嬌」と「運が強そうなこと」と「後ろ姿」。

愛嬌とは、可愛(かわい)げのあることであり、これは男女を問わず必要なこと。
可愛げがなければ、上の人が引っ張り上げてくれない。
また、運がなさそうな人に、大事な仕事を任せる人はいない。
そして、人は「後ろ姿」を見て育つ。
100の言葉で説明するより、その人の後ろ姿を見せるほうが説得力がある。
リーダーは後ろ姿で決まるからだ。

後ろ姿を見せる必要があるのは、家庭でも同じ。
父親の生きざま、母親の生きざまを見せること。
ロールモデルとは、お手本になる人のことだが、子どものロールモデルが両親だとしたら、これは親にとって最高のほめ言葉だ。

後ろ姿で人生を語りたい
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2019年03月18日

No 5049   【絶対、なんとかなる!】

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【絶対、なんとかなる!】

斎藤一人さんの心に響く言葉より…



一人さんはね、昔から、こんなことをずっと考えていたんです。
天は、どういう人の味方をするんだろう。
神様は、どんな人間にチャンスをくれるんだろうかって。
で、わかったんです。

いばっているヤツ、人のあげ足を取るヤツは、神様にも嫌われるよね。
反対に、心が豊かな人…優しい人とか、笑顔の素敵な人って、神様にも周りの人にも好かれる。
だから私は、このルールに従って生きてきました。
そして、ものすごい成功を手にしたんだよね。

心の豊かさって、太陽みたいなもの。
陽の当たるほうは暖かくて、キラキラまぶしいから、そっちへ向かっていけばいいんです。
例えば、東京から大阪に向かいながら北海道に着くことはないように、明るくて暖かいほうへ進んで不幸になることはないんだ。

人をねたむとか、あせってイライラするとか、そういうのは貧しさの表れだよ。
心が貧しくなっているの。
貧しい心は、豊かな心とは真逆だから、現実にますます貧しくなってしまいます。
それよりも、人にいいことがあったら、「おめでとう」って言ってあげたり、どんなに小さなことでも、今ある自分の幸せに感謝したり、できることからすればいいんです。

心が豊かになれば、現実の豊かさもついてくるの。
だから苦しみは消えていくし、お金だってたくさん入ってくるようになるよ。
大丈夫、必ずなんとかなりますからね。

また、お子さんがいるかたは、いつもこんなメッセージを伝えてあげてください。
「生きているといろんなことがあるけれど、なにが起きても、絶対なんとかなるからね。心配しなくて大丈夫だよ」

テストの点数が悪くてもいいの。
悲観することはありません。
本当ですかって、じゃあお母さんが子どもの頃、テストで100点ばっかり取っていたクラスメイトがどれだけ出世したか見てごらん(笑)。
学校の成績がいいかどうかなんて、将来の幸せにはあまり関係がないんです。
もちろん、勉強が好きな子だったら、勉強が幸せにつながる場合もあるけれど、勉強が嫌いな子に無理やりさせたって、よけい勉強が嫌いになるだけだよね。

人生はなんとかなるから、好きなことやりな。
親御さんがそう言ってあげると、子どもはキラキラ輝き始めるんです。
なんとかなるって信じてる子は、好きなことに夢中になれる。
罪悪感なしに、好きなことに没頭できるんだよね。
そうすると、好きなことでうまく人生を切り開いていっちゃうの。
すごく幸せな人生を送れるんです。

親御さん自身も、そういう姿勢をお子さんに見せてあげてください。
親の口癖が「なんとかなる」っていう家の子は、絶対になんとかなると思えるようになります。

『斎藤一人 絶対、なんとかなる! (言えば心が軽くなる、毎日笑って暮らせる)』マキノ出版

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いい学校へ入ったり、勉強ができた子が必ずしも社会に出て成功しているわけではない。
また、学校を卒業して、一流の会社に入れたからといって、そこで幸せな人生を歩めるとも限らない。
もっと言うなら、一流の会社を円満に定年退職したとしても、朝から何もやることがない人もいる。

神様や天に味方されないような人生をおくってきた人は、どんなにすぐれた学歴があろうと、頭がよかろうと、神様にもまわりの人からも嫌われる。
まわりから嫌われる人には、頼まれごとが来ない。
これは会社人生を終わったあと、はっきりと明暗が分かれる。
まわりから頼まれなければ、朝から何もやることがない人生となってしまう。

人生は、勉強ができなくても、いい学校に行けなかったとしても、一流会社に入れなかったとしても、「絶対、なんとかなる!」。
神様や天に味方されるような人生をおくりたい
posted by Dr.モーリィー at 07:14| ちょっと気になる善い言葉 | 更新情報をチェックする

No 5048    こつこつ、コツコツ

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ブログの為の タイトル書

日々の学びの 帝王学の教え

スタッフへのシェアの為に、

己への戒めの為に

こつこつと コツコツと

修行修行!

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posted by Dr.モーリィー at 07:04| ライフワーク | 更新情報をチェックする

2019年03月17日

No 5047   【第三の選択】

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【第三の選択】

小林正観さんの心に響く言葉より…



わたしたちは、なにか「思い」を持つこと、その「思い」を、努力を重ねて実現することが唯一の価値、と教え込まれてきました。
しかし、その「思い」こそが、人間の悩み、苦しみ、苦悩、煩悩の源であったのかもしれません。

もし、悩んだり苦しんだりしているならば、そしてそれがつらいのであれば、その「思い」に「執着(しゅうちゃく)しない」ことをおすすめします。
さらには、「思い」自体を「持たない」ようにすると、楽に生きられます。
元々、わたしたちはたいしたものではないのですから、気合いを入れて生きるところから、もう少し気を抜いて生きる人生、でもよいのではないでしょうか。

もう、気合を入れて生きるのをやめませんか?
人にわかってもらいたいとか、評価されたいとか、眉間(みけん)にしわを寄せてがんばるのもいいですが、良い加減に、適当に、ニコニコと「頼まれごと」をやっていくほうが人生はおもしろくなります。
私は、「努力をしてはいけない」とか「がんばってはいけない」と言っているのではありません。
努力して必死になってがんばるのが好きな人は、そうすればいいでしょう。

しかし、自分の努力ではどうにもならないような問題を、ドンと突きつけられることもありますよね。
手ごわい問題が次から次へと湧き上がってくることもあります。
そのとき、人間は「謙虚」にならざるを得ない。
謙虚になるということは、「自分の力だけではできない」と思い定めること。
それが、「努力しない」「がんばらない」「必死にならない」ことの意味です。
最終的にわたしたちができることは、〈お任せをする〉ことだけ、ということになります。

お任せするとは、目に見えない四者(神、仏、精霊、守護霊)と、目に見える四者(友人、知人、家族、わたしの体)、この八者に対して、常に「ありがとう」を言いながら、感謝をして生きていくということです。
すると、「ありがとう」と言われた八者から共感・共鳴を呼ぶのでしょうか、周りの人は、なぜか手伝って応援してくれるし、神、仏も“やる気”になってくれるようです。

『特別付録DVD 人生が全部うまくいく「ありがとう」の不思議な力 (単行本)』三笠書房

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小林正観さんは「がんばる」について本書の中でこう語っている。
『わたしは人の5倍ぐらい働いています。
「おかしいじゃないですか、がんばっているじゃないですか」
がんばっていません。
ただ、やるはめになったので、仕方なくやっているだけです。
「努力してるんでしょ?」
していません。
ぜんぜん。
いやがるものを無理やりやされているのでもありません。
年間280回の講演会というのを感心してくれて、「小林さんよく続きますね。よっぽど好きでないとできませんね」と言う人がいます。
好きでやっているのではありません。
「そうだったんですか!イヤイヤやっていたんですか?」
イヤイヤやっているわけではありません。
「じゃあ、やっぱり好きでやってるんじゃないですか」
好きでやっているのではありません。
イヤイヤやっているのでもありません。
「じゃあ、やっぱり好きでやってるんじゃないですか」
好きでやっているのではありません。
イヤイヤやっているのでもありません。
好きなのか、嫌いなのかはっきりしろと言われそうですが、人生には、「好き」でも「嫌い」でもないという選択があります。
「好きなこと」「嫌いなこと」で人生を選ぶのではなく、「第三の選択」があるのです。
好きでもなく、嫌いでもなく、自分の目の前に起こることについて、いちいち論評・評価をしない、いちいち感想を言わないという生き方があります。
わたしはその3つ目の生き方を選んでいるだけです。
好きだとか嫌いだとか、いちいち論評・評価しないで、“淡々と”生きているのです』

また、小林正観さんは、こうも語る。
『夢や希望を持って、それを語りなさい。それに向かって行きなさい、という表現もあふれています。
夢や希望というのは耳にはいい響きですが、よく考えてみると、結局は「足りないこと」を言っているにすぎないのです。
「あれが足りない。これが足りない。あれを寄こせ。これを寄こせ」と言うことを夢や希望であると吹聴しています。
これは突きつめていくと、エゴなのです。
私たちは九千九百九十の喜びを宇宙からいただいているのに、足りない十個を挙げて、それを「寄こせ、寄こせ」と言っているのです。
「その十個を手に入れたら幸せだ。手に入らなかったら不幸だ」と。
我々は、今ある幸せに感謝しないで、「足りない、足りない」、「もっと欲しい」と言っている。何か特別な面白いイベントがなければつまらない、不幸だ、と。』

感謝が足りないと、好き嫌いをことさら言い立てたり、不足を嘆くようになる。
感謝が足りないとは、謙虚さが足りないということ。

「第三の選択」は感謝の選択。
謙虚で、感謝多き人でありたい
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2019年03月16日

No 5046   【今やっていることに、気持ちをふるい立たせているか】

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【今やっていることに、気持ちをふるい立たせているか】

チャーリー・ジョーンズ氏の心に響く言葉より…



「成功おじさん」の第一ルールは、ふつうわたしたちが考えるような、せっせと働くというものではなく(もちろん、働くことは必要になるが)自分の仕事に対し、気持ちをふいるい立たせるようにするというものだ。
こんな人がいる。
「ジョーンズ。きみや、どこかの重役がやっているような華やかな仕事なら、そりゃあ気持ちもふるい立つだろうけどね。ぼくがやっているような、ろくでもない仕事についていたら、そんなふうに言ってられないと思うよ」
それでは、こっそりお教えしよう。
なんであれ、「仕事」というのは一種類しかない。
すなわち、こまごましていて、単調で、手間がかかり、やっかいで、退屈なもの。
これこそ、どんな職業についていようと、誰もが克服しなければならない課題なのだ。

たしかに、今自分がやっていない仕事にふるい立つのはたやすいだろう。
ところが、やらねばならないときや、みずから学び、成長し、計画を立て、最後までやり通さねばならないとき、仕事はそれほど楽しいものではなくなる。
しかし、「成功おじさん」の第一ルールは、ほかでもない自分の仕事に、気持ちをふるい立たせるようにすることだ。
いつかやろうと思っている仕事に対して、ではない。
たった今やっている「つまらない」仕事にふるい立て、と言っているのだ。
つまらない仕事に気持ちをふるい立たせ、喜びを見出せれば、その仕事はすばらしいものになる。

ある若者が、アイビーリーグの大学を二番の成績で卒業して、わたしのオフィスにやってきた。
「ジョーンズさん、あなたの噂を聞きました。あちこちの会社の面接を受けたんですが、どれもぴんと来ないんです。あなたなら、やりたいことを見つけるのに、力を貸してくださると思いまして」
わたしは思った。
かわいそうに!
ちょっとしたショック療法を施すとするか…。

「やりたいことを見つけるのに、力を貸してほしい?わたし自身のやりたいことさえ見つかっていないというのに、きみに力を貸せるはずないだろう?」
「ご自分のやっていることが、お好きじゃないんですか?」
私は声をあげた。
「大嫌いさ!好きなことをやってたら、満足に稼げやしないよ!」

わたしが何を好きか、ご存じだろうか?
リラックスするのが好きだ。
仕事に関するおしゃべりが好きだ。
休暇と、手数料と、昇給と、のんびりした昼食が好きだ。
それで何が得られるか?
頭痛と、落ち込みと、胸が張り裂けるような悲しみだ。

わたしが何を学んできたか、おわかりだろう。
やりたくないことにふるい立たなければ、「ほんとうに、ふるい立ちたいこと」を満足に得られないという教訓だ。

人生というのは、やりたいことをやるものではない。
現実の人生とは、やらねばならないことをやるもの。
やりたいことをやっている人たちは、最後になって、それがほんとうにやりたいことではなかったと気づく。

一方、やりたくはないが、やらねばならないことをやろうとする人たちは、最後になって、やりたくないと思っていたのが、実はやりたいことだったと気づく。
人生とは主に、やりたいことをやるものではなく、やらねばならないこと、やる必要のあることをやるものだ。

わたしは、かの大恐慌と関わる時代に生まれてよかったと思う。
そのころ、誰もが心理学の手を借りることなく学んだ教訓がある…この世でいちばん気持ちがふるい立つのは、仕事ができるということ。
どんな仕事であれ、職があるというのは、特別な権利なのだ。

昨今は、誰もが自分にふさわしい職業を探している。
「天職にめぐり会いたいんです」と言う人もいる。
わたしは、「もっと大事なものを手に入れてほしい」と願っている。
わたしたちが学ぶべきは、職業が人をつくるのではなく、仕事にふるい立つ人間が職業をつくる、ということだ。

出世コースを歩んでいる人を観察してみよう。
その人が、自分にはなんの価値もなく、すべては周囲からの恵みだと感謝していることがわかるはずだ。
それとは逆に、何に対しても借りがなく、何を手にしても当然という気持ちになったら、そのときから、その人物は、自分でも気づかないままに坂を下り始めるだろう。
よく目を見開いてみて、ほんとうかどうか、たしかめてみるといい。

「次の職のために、準備をしているんだ」と言う人もいる。
すでに手にしている職にふるい立てなければ、おそらく次の職などない。
あなたは、今やっていることに、気持ちをふるい立たせているだろうか?

『「成功おじさん」の最優先ルール』PHP研究所

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小林正観さんは、この世には「幸も不幸」もないという。
転んで骨折したとしても、この程度で済んでよかった「ラッキー、幸せ!」と思う人もいれば、「まったくツイてない、不幸だ」と思う人もいる。
幸せという状態があるわけではなく、幸せと感じる人がいるだけ。

仕事も同じで、楽しい仕事や自分に合った天職がもともとあるわけではない。
仕事の中に楽しみを見つけられる人と、見つけられない人がいるだけだ。
そこに無上の楽しみを見つけられた人は、それが天職となる。

「今やっていることに、気持ちをふるい立たせているか?」
どんな仕事がまわってきても…
それを楽しんでやれる人でありたい
posted by Dr.モーリィー at 07:11| ちょっと気になる善い言葉 | 更新情報をチェックする

2019年03月15日

No 5045   【ただ、誰かに憧れるのはやめよう】

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【ただ、誰かに憧れるのはやめよう】



本田直之氏の心に響く言葉より…

《いいなと感じられたら、きっと自分にもできる》

誰かに「憧(あこが)れる」のはやめよう。
遠い存在にしてしまうと、そこに自分はたどりつけない。
自分でも気づかず、心にブロックをかけてしまうからだ。

人に「憧れる」と、その瞬間、自分を鎖でしばることになる。
大事なことは、この人にできているなら、自分にもできるだろうと思うことだ。
自分の足りないものに気づいて、それをどうすれば手に入れられるかという発想に切り替えればいい。

ごく一部の天才を除いて、そんなにすごい人なんていない。
どんな人だって、少しずつやり方を考えて、一つずつ身につけていっただけだ。
そのやり方を、ただ参考にすればいい。
せっかく同じ人間なんだから、わざわざ神様のように崇める必要はない。

《「憧れの人」になるような人物は、はじめから誰にも憧れていない》

『思考をやわらかくする授業 (Sanctuary books)』サンクチュアリ出版

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どこかの繁盛店や話題の会社を見学に行き、やたらと感動をしている人がいる。
感動するのが悪いと言っているわけではない。
多くの人は、感動だけしてそのあと何も行動しない。

成功する人は、感動したら、それを自分のお店や会社にどうやったら生かせるか、それを自分でやるためには何が足りないのかを考え、行動に移す。
ただ感動だけして何も行動しないのか、感動してそれを行動に移し自ら変革していくのかの違いだ。

講演会でいい話を聞いて感動したり、誰かに憧れるのも同じこと。
他人事として考えるのか、自分事としてそれを考えるのか。

自分は何もしないのに、だれかを無責任に批判したり、文句を言ったりする傍観者(ぼうかんしゃ)になってしまってはいけない。
「ただ、誰かに憧れるのはやめよう」
感動もするが、行動もする人でありたい
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2019年03月14日

No 5044   【分ちあえば、人とつながる】

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【分ちあえば、人とつながる】

大越俊夫氏の心に響く言葉より…



あなたが後輩たちと飲みに行って勘定はあなたが払ったとする。
経済的に得をしたのはタダ酒を飲んだ後輩たちだが、精神的に得をしたのはあなたのほうである。
与えることの心地よさを享受したのはおごったあなたであるからだ。
その心地よさを感じさせてもらった時点で、おごった側とおごられた側はすでに対等である。

母親と赤ん坊の関係も同様である。
夜泣きする赤ん坊に目を覚まされ、眠い目をこすりながらおっぱいをやる。
与え、与えられるだけの一方的な関係に見えて、母親の行為は彼女だけが損をする無償の奉仕ではない。
授乳しながら、母親は赤ん坊から無形で無限のものを得て、その心は至福に満たされているかもしれない。

経済的にも、これからは独占ではなく共有や共感がキーワードとなる時代へシフトしていくだろう。
むずかしい経済用語を使えば、交換から贈与へである。
贈与とはつまり、三両拾ったら一両は人に与える分かちあいのことである。

分かちあうとはまた、人と「つながる」ことでもある。
そのつながりがめぐりめぐってより大きな得をもたらしてくれる。
一方、分ちあいを嫌う強欲は孤立する。
人と人とがつながるネットワークの時代にあって、孤立は得を逃す最悪の法と知るべきである。

《分ちあえば、人とつながる。見返りを求めない無償の行為。それがもたらす幸せには限りがない。》

『その弱みこそ、あなたの強さである』PHP

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本書の中に落語の「三方一両損」の話があった。
『左官屋が三両入った財布を拾う。
いっしょに書き付けも入っていたので財布は大工のものとわかり、さっそく家まで届けに行く。
だが、大工は「落としたからにはもう自分のものではない、おまえがもって帰れ」と半分やせがまんから受けつけない。
左官屋も「金がほしくて届けたのではない」とこっちもなかばやせがまんで受け取ろうとしない。
三両をはさんでふたりが口論になる。
仲裁に入った大家さんは困ったあげく、あの大岡越前に解決をゆだねるが、事情を聴いた越前守はおもむろに自分のふところから一両を出していう。
「この一両を足して合計四両。二両ずつをほうびとしてふたりに与えよう。それぞれ三両入るところが二両となって、損は互いに一両ずつ。一両出した私も一両の損。三方が一両ずつ損したところで一件落着」』

《うばい合えば足らぬ わけ合えばあまる
うばい合えばあらそい わけ合えばやすらぎ
うばい合えばにくしみ わけ合えばよろこび
うばい合えば不満 わけ合えば感謝》(相田みつを)

現代は、シェアリングエコノミー全盛の時代だ。
シェアリングとは、ライドシェアと呼ばれているUber(ウーバー)などの車の配車サービスや、住宅を提供して民泊させるAirbnbなどのサービスや、自家用車そのものをシェアする「Anyca(エニカ)」といったサービスのことを言う。
まさに、「分ちあえば、人とつながる」ということ。

これからは…
ますます、分かち合い、わけ合うことが必要な時代となってきた
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No 5043   気分転換:2ヶ月ぶりのゴルフ

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なかなか時間が取れず 久しぶりのゴルフ

天気予報は晴れの予報だったのに 寒い 強風 春の嵐??

4月の 主催コンペに向けての 調整のはずが 散々でした  ははは

景色は 最高でした

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