2018年08月24日

No  4748   【弱き者に対する態度】

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おいちゃんのお気に入りブログ【人のこころに灯をともす】からの転載です

【弱き者に対する態度】

小林正観さんの心に響く言葉より…



子どもに向かって腹を立てる、怒る、怒鳴る、声を荒げる、ということをずっとしてきたお母さんがいました。
「確かに怒鳴ったり怒らないほうがいいとは思いますが、子どもが口答えをすると、本当に腹が立ってもっと激しく言い返してしまうのです」

イライラしているのは自分、イライラしなくなるのも自分です。
子どもに対してつい強く言ってしまうというのは、その方の弱い者に対する態度を示しているのかもしれません。
もし子どもが見上げるような大男であるなら、たぶん怒鳴りつけたりしないでしょう。
自分よりも体が小さくて弱い立場だから怒鳴っているのかもしれません。
そういう意味で弱い者に対して刃が向いているのかもしれないのです。

ですから私は、そいうことをやめるように提案しました。
そうすると、そのお母さんは、こう答えました。
「でも、世の中のお母さんってみんなそうですよね」

「でも」と話をかわす方は、みなさん同じようなことをおっしゃいます。
「はい、わかりました。よくわかりました」とはなかなか言いません。

「でも、世の中の人ってそうしてないですよね」
「だって、みんなそういうふうにしていますよね」

などと、同じようなパターンで話をかわそうとします。
自分の問題として受け入れなくてはいけないものがあるというように話が向いてきたときに、必ず「うっちゃり」をくわせようとするのです。
おもしろいと言えばおもしろいのですが、これをひと言で言えば「素直でない」と言います。

「受け入れない」ということを前提に一所懸命考えた結果、出てくるのが、そのうっちゃりの方法です。
受け入れることができたら、たぶん「わかりした」と言うに違いありません。

世の中のこと、世の中の人たちはどうでもいいのです。
実際に世の中の大多数の親が子どもを怒鳴っているのか、感情的に声を荒げているのか、私にはわかりませんが、「世の中はそうなっていますよね」というのは自分の都合のいいように言っていることにほかなりません。
9割方の親は怒鳴っていないのかもしれないのです。

自分に都合の悪いことを言われたときに、「世の中の多くの人がそういうふうにしているじゃないか」とうっちゃりをすることはやめることにしましょう。
「そうか、それをやめたら自分は楽になれるんだよね。それをやめたら子どもと関係がよくなるんだよね」と思ったら、素直にそれをやってみてはどうでしょうか?
自分の問題として「そうじゃないほうがいい」と言われたら、「なるほど、そうですね」と受け入れたほうが自分が楽になると思います。

『運命好転十二条: 「天運」を味方にする方法 (単行本)』三笠書房


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「怒る」という行為は、たいてい自分より弱い立場の者に向かって発せられる。
自分より強い立場の人に向かって「怒る」ことはなかなかできない。
たとえば、飲食店やコンビニの従業員は絶対に言い返してこないし、反撃してこないと思っているから、怒ったり怒鳴ったりする。

会津藩に「什の掟(じゅうのおきて)」という、藩の子ども達にたいする重要な戒(いまし)めがある。
その中に、
「卑怯(ひきょう)な振舞(ふるまい)をしてはなりませぬ」
「弱い者をいぢめてはなりませぬ」
という、掟がある。

自分より弱い立場の人に、威張ったり、怒鳴ったり、居丈高(いたけだか)になる人は、人間としてレベルが相当低い。
なぜなら、それは、弱い者いじめであり、卑怯な振舞だからだ。

弱き者に対する態度で、その人の人格のレベルがわかる
posted by Dr.モーリィー at 08:18| ちょっと気になる善い言葉 | 更新情報をチェックする

2018年08月23日

No  4747   【なにかと攻撃的な人に対しては】

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おいちゃんのお気に入りブログ【人のこころに灯をともす】からの転載です

【なにかと攻撃的な人に対しては】

名言ハンター、大山くまお氏の心に響く言葉より…



ツイッターなどSNSの影響があるのかもしれませんが、なにかと攻撃的な物言いをしてくる人がいます。
非難や皮肉を織り交ぜて、人格攻撃をしてくるような人です。
酒の席なら席を立てばいいですし、ツイッターで知らない人に絡まれたら黙ってブロックしてしまえばいいでしょう。

しかし、会社の同僚や学校の同級生、ママ友など、なかなか簡単に環境を変えられない場合も多々あります。
一方、これもツイッターの影響があるかもしれませんが、攻撃的な物言いに対して、それ以上に攻撃的になることに「カッコいい」と憧れを持つような人がいます。
いわゆる「論破」というやつです。
そういうのって、本当にくだらないからやめたほうがいいと思います。

『相手から、あまりしつこく口論を吹っかけられた場合には、屹(き)っとなって相手の顔を見つめ、やがて静かに、君も淋しい男だね、とこう言え』
この言葉は太宰治の「新ハムレット」より、宰相ポローニアスが息子のレアティーズに遊学の心得を説く場面のものです。
学友と週に一度は酒を飲め、議論は自分から吹っかけてはいけない、末席で周囲の議論をうなずきながら聞くのが望ましい…などなど、今でも通用するようなコミュニケーションのテクニックを息子に伝えるポローニアス。
酒の席でしつこく口論を吹っかけられたとき、最後の手段として教えたのが冒頭の言葉です。
「いかな論客でも、ぐにゃぐにゃになる」と効果のほどを語っています。
ただし、ポローニアスは「なるべくならば笑って柳に風と受け流すのが上乗(じょうじょう)」とも言っています。
そう、別に言い返さなくてもいいんですよ。

古代ギリシャの哲学者、ソクラテスがある日アテネの街を歩いていたとき、突然後ろから大きな棒で背中を叩く者がいました。
しかし、ソクラテスは平然と何事もなかったかのように歩いていきました。
その様子を見ていた人が驚いて、
「どうしてあなたはあいつを叩き返さないのか?」
と聞いたところ、ソクラテスが笑って答えたのがこの言葉です。
「ロバがあなたを蹴ったとき、あなたは足を上げてロバを蹴り返しますか?」

誰かに攻撃されたとき、相手にしないのは、けっして「弱いから」というわけではありません。
実際、ソクラテスは重装歩兵として従軍していたぐらいですから、相手を叩きのめすなんてわけはなかったはずです。
それでもくだらない人の相手をしなかったのは、自分も同じレベルに落ちてしまうから。
腹が立つ気持ちはよくわかりますが、相手はロバなんだと思って落ち着きましょう。

「悪口を最も優雅に受け止めるには、無視すればいい。
それができなければ凌駕する。
それが無理なら笑いとばす。
もしも笑えないとなったら、その悪口は真実だと思った方がいい」

アメリカの作家、ラッセル・ラインズの言葉です。
相手の悪口にも、ひっとしたら一片の真実が含まれているかもしれません。
一度、冷静になって見つめ直してみるといいでしょう。
場合によっては、相手の悪口が自分を成長させるきっかけになる可能性があるのです。

最後の言葉は、ドイツの医者であり、神学者でもあったシュヴァイツァーのもの。
「ああ、これ、私のことだ」と思った人、その人はきっと人生で得をしていると思いますよ。
口論がうまい人よりも、ずっとずっと。

『幸せとは、健康で記憶力が悪いということだ』(アルベルト・シュバイツァー)

『「がんばれ! 」でがんばれない人のための“意外"な名言集』ワニブックス

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小林正観さんはこう語る。
『どんなことに対しても一喜一憂しない心をつくるとものすごく人生が楽になります。
何を言われてもにこにこしている状態を、強靭な魂と言いますが、私が発見した方法を使えば、15秒くらいでこれをつくれます。
必要なことはただひとつ、「ぼ―っ」とすること。
メンツやプライドを一生懸命に守ろうとする人は、実はものすごく弱い人なのです。
自尊心が傷つかないように、身や心を守るのではなく、バカにされてもあざけられても、いっさい傷つかないで「そうなんですよね、ふふ」と言っている人。
これが本当に強い人といえます』

テレビの討論番組を見ていてもわかるが、相手を論破しようと、感情的になって大声を出したり、威嚇したりしても、たいていの人は論破されたとは思っていない。
むしろ、感情的になっている人の方が見ていて恥ずかしい。
その反対に、「柳に風と受け流す人」や「さらりとかわす人」、「うまくやり過ごす人」の方がカッコいい。
うまく受け流したり、かわしたり、やり過ごすのに一番いい方法が、「ぼーっ」とすること。

「なにかと攻撃的な人に対しては」
人間関係において、「ぼーっ」とすることは、時にとても大切だ
posted by Dr.モーリィー at 06:04| ちょっと気になる善い言葉 | 更新情報をチェックする

2018年08月22日

No  4746    【生涯を貫く自分の仕事を持つこと】

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おいちゃんのお気に入りブログ【人のこころに灯をともす】からの転載です

【生涯を貫く自分の仕事を持つこと】

田中真澄氏の心に響く言葉より…



アメリカと比べて、日本が大きく遅れをとっていることの一つに、老年学(ジェロントロジー)の研究とその成果の普及があります。
人間の加齢と高齢者の生き方を研究する老年学が、アメリカでは35年前から盛んです。
アメリカにはすでに500の大学で老年学が講義されており、老年学を専攻する学部が31あります。
その結果、いろいろな関係機関で老年学を学んだ人々が数多く活躍し、老年学の研究成果を世に広めています。

一方、日本の大学には、老年学を学ぶ学部・学科どころか、教科書すらありません。
それだけに一般の私たち日本人は、老後の人生に対する最新の研究成果を知ることができず、老年学の専門家の指導も受けることができずにいます。
したがって日本の多くの人は今だに古い老後観のまま、自分の老後を考えています。

最近の老年学は、高齢者とは英知を備えた貴重な社会的資源(社会的に役立つ人材)とみなし、高齢者も社会貢献をしながら、生き甲斐のある人生を送るべきであり、そういう日々を歩むことが高齢者の成功(サクセスフル・エイジング)である、という新しい概念を提唱するようになっています。
つまり、老後は趣味を生き甲斐にするのではなく、仕事を生き甲斐にしようという考え方が、老年学の基本になってきているということです。

しかし、日本では、この新しい概念で自分の老後の人生設計している人は、まだまだ少数です。
ほとんどの高齢者やその予備軍である定年退職者は、社会的な貢献をするために、老後、自分はどのような仕事をなすべきかという、仕事に対する積極的な準備も認識もなく、ただ年金と退職金を当てにする社会保障制度依存の姿勢に終始しています。

かつてアメリカのスタンフォード大学が90歳を過ぎた高齢者に「自分の人生で何が悔やまれますか」という調査をしたところ、その回答の上位3項目は次の通りでした。
1. もっとリスクを負えばよかった。
2. もっと何かを学べばよかった。
3. 子供を育てる以外にももっと何かをすればよかった。

このアメリカの高齢者が抱く後悔の念は、これからの日本の高齢者にもそのまま当てはまると思います。
なぜならば、日本の高齢者もだんだん後半の人生においても生き甲斐を求めるようになってきているからです。

その生き甲斐とは何かについて、哲人はそれぞれの著書に書き残していますが、最も多い答えは、「生涯を貫く自分の仕事を持つ」ということです。
自分の得手とする仕事(天職)に生涯従事できれば、結果的に、その行為は世のためになるわけですから、自分にとってはもちろんのこと、社会的にも素晴らしいことです。
定年後、自分の仕事を持つことなく社会的に存在意義の乏しい生活を長く続けていると、次第に活力をなくしていきます。
やはり人間はどんなに年を重ねても、自分が打ち込める仕事を持ち、社会的な責任を全うしてこそ、最も生き甲斐のある日々を享受できるというものです。
このことは、あらゆる時代に当てはまる、不変の真理です。

『臨終定年―人生後半の生き方』ぱるす出版

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『LIFE SHIFT(ライフ・シフト)―100年時代の人生戦略』(東洋経済新報社 )には、次のような一文がある。
『人が長く生きるようになれば、職業生活に関する考え方も変わらざるをえない。
人生が短かった時代は、「教育→仕事→引退」という古い3ステージの生き方で問題なかった。
しかし、寿命が延びれば、2番目の「仕事」のステージが長くなる。
引退年齢が70〜80歳になり、長い期間働くようになるのである。
人々は、生涯にもっと多くのステージを経験するようになるのだ。
選択肢を狭めずに幅広い進路を検討する「エクスプローラー(探検者)」のステージを経験する人が出てくるだろう。
自由と柔軟性を重んじて小さなビジネスを起こす「インディペンデント・プロデューサー(独立生産者)」のステージを生きる人もいるだろう。
さまざまな仕事や活動に同時並行で携わる「ポートフォリオ・ワーカー」のステージを実践する人もいるかもしれない』

まさに、田中真澄氏の言う、
「生涯現役こそ最高の年金」であり、「人生は未完に終わるもよし 仕事の途中で天寿を全うする これが最高の人生」。
生涯を貫く自分の仕事を持つ人生を目指したい
posted by Dr.モーリィー at 06:26| ちょっと気になる善い言葉 | 更新情報をチェックする

2018年08月21日

No 4745   【「元気です」という言葉】

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【「元気です」という言葉】

植西聡氏の心に響く言葉より…



運が良い人というのは、不思議なくらいみんなパワフルです。
そして実際に、元気です。
彼らは、元気そうに見えるだけでなく、実際に健康です。
少しくらい睡眠時間が足りなくても、笑顔で乗り切るスタミナを持っています。

「お元気ですか?」と聞くと「ああ。忙しいけど元気だよ。健康だけが取り柄なんだ」なんて言って、いつも笑っています。
考えてみてください。
あなたの近くの上り調子の人たちは、みんな驚くくらい元気だと思いませんか?
そしてプラスの言葉を発していると思いませんか?

いつも青白い顔をしていて、いつもいつも口を開けば、「最近、体調が悪いんだよ。病院で検査を受けてこようかなあ」などと言っている人が、大きな成功を手にしたなんて話、聞いたことがありません。
運の良い人たちは、心の状態がプラスになっていることで、健康状態さえも整えているのです。
そして、プラスの心がプラスのパワーを呼び込むことで、さらに健康になっていくのです。
「体力に自信がなくって」と言う人は、いつもそう言っていることで、実際に体力を失っています。
「胃が痛いことばかり起こるんだよ」と言っている人の心は、マイナスのパワーで一杯です。
そのため、実施にマイナスの力を引き寄せて、自分で胃を痛めているのです。

ツイている人を目指すなら、目標の中に、「健康であること」も付け加えましょう。
そして、「私は元気です」と口に出す習慣を始めてみましょう。
そう言い続けているうちに、本当に健康になる自分に気づくはずです。
同時に、寝る前にストレッチをしたり、朝少し早く起きて呼吸法をしてみるなど、体力作りのための行動を始めれば、あなたの健康運はますます上昇するでしょう。

ツイてる人は、自分の体調もコントロールできます。
「いつも元気です」と言って、実際に健康を保っています。
あなたも言葉を上手に使って、健康な人になってください。

『運がよくなる100の法則 (集英社文庫)』

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中村天風師はこう語った。
「たとえ身に病があっても、心まで病(や)ますまい。たとえ運命に非なるものがあっても、心まで悩ますまい」。
だからこそ、「どんな場合にも『こまった』、『弱った』、『情けない』、『腹がたつ』、『助けてくれ』なんていう消極的な言葉を、絶対に口にしないことです」と。

「体と心は別」だ、と中村天風師は言う。
たとえ病気だとしても、心まで病気になってはいけないと。
病気は体がなっているもので、体はつらいかもしれないが、心は別なのだ。
だから、「どんな調子?」と聞かれたときに「(心は)元気です」と答えることができる。

そして、「元気です」とか「楽しい」、「うれしい」、「ありがたい」といつも言っていると、逆に、体も自然と「元気」で「楽しく」て「うれしい」状態になっていく。
どんなときも「元気です」と言える人でありたい
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2018年08月20日

No 4744   【この時代に投資家になるということ】

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【この時代に投資家になるということ】

キャリア17年の32歳投資家、正田圭氏の心に響く言葉より…


近年、目を疑うような莫大な金額を短期間で稼ぐ人々のニュースを目にするようになりました。
なかでも、1980年代〜2000年生まれの「ミレニアル世代」と呼ばれる若者たちが短期間で突如、お金持ちになるケースが増えています。
わかりやすい例を挙げましょう。
仮想通貨の世界で起こっている現象についてです。
「仮想通貨元年」と呼ばれた2017年には、ビットコインをはじめとする仮想通貨で大儲けする人々が数多く誕生しました。
その結果、ビットコインホルダーと呼ばれるビットコインの保有者のなかから億単位のお金を手にする人が登場し、「億り人」という言葉が生まれました。
その多くは20代から30代の若い人たち、そう、ミレニアル世代の人たちです。

2017年11月、目の前のアイテムを一瞬で現金に換える買取アプリ「CASH」を提供する株式会社バンク(光本勇介代表取締役社長)が設立わずか8ヵ月、CASHサービス開始から2ヵ月でDMMドットコムに70億円で売却され、世間を驚かせました。
2017年8月には若者に人気のチーズタルト専門店を展開する株式会社BAKE(長沼真太郎会長)が設立4年にして100億円強(価格非公開)でプライベートエクイティファンドのポラリス・キャピタル・グループに売却されています。
光本氏は1980年生まれ、長沼氏は僕と同じ1986年生まれです。
何十年もかけて莫大な資産を積み上げるのではなく、起業して数ヶ月から数年という短い期間で会社の価値を高めて大きく儲けているのが特徴です。

ユーチューバーも、ミレニアル世代で大金を稼ぐ人たちといっていいでしょう。
自作の動画をYouTubeに公開し、その再生回数に応じた広告収入を得ているユーチューバーはたくさんいますが、トップクラスとなるとその年収は億をはるかに超えると言われます。

このように若者が短期間で富裕層化する現象は、数少ないものではありません。
スイスを本拠地とする世界最大級の金融グループUBSの報告によると、ミレニアル世代(1982年〜1998年生まれと定義)の総資産は2020年に2670兆円に達し、「史上最大級の富の世代間移動」が起こると予想されています。
こうした「ミレニアル富裕層」の成り立ちは、僕らの親世代の富裕層の成り立ちとはまるで違います。
さらに言うと、成り立ちが違うから、その後のお金や投資に対する考え方も違います。
稼ぎ方が変わったから、生き方が変わって当然なのです。

ミレニアル富裕層の投資は「リスク選好度が高い」のが特徴です。
リスク選好度とは、投資家が高いリターンを得るためにリスクのある投資をどれだけ求めるかを表しています。
リスク選好度の高さは、稼いだお金を銀行に入れて塩漬けにするぐらいなら、多少のリスクを冒してでもハイリスク・ハイリターンの投資をしようと考える傾向が強いことを意味しています。

1986年生まれである僕も、もちろんミレニアル世代に入る年齢です。
そんな僕自身と周囲の同年代を見ていると、ミレニアル富裕層は銀行や証券会社が販売する金融商品や不動産などの投資より、「オルタナティブ投資」を好む傾向があるように思います。
投資の本流とされている伝統的な手法は、上場株式や債券、不動産などへの投資があります。
従来の富裕層の大半はこのような投資を好みます。
昔の富裕層はその富を形成するのに何十年もかけています。
新卒で入社し、40年以上も一つの会社に勤めあげ、その会社にしっかりと貢献し、役員となり、退職金もガッツリもらうのが一つのモデルになっていると思います。
長い時間をかけて地道に築き上げた資産であるため、彼らにとってはいかに安全に運用するかが大事なのです。

その結果、ハイリスク・ハイリターンのオルタナティブ投資には目もくれず、国内外のプライベートバンク口座に資金を入れて、年利回り2〜4%で地道に運用する道を選びます。
彼らにとってはうまくいくかどうかもわからない友人の経営する会社や、怪しげな仮想通貨にお金を出すぐらいなら、土地や建物や上場企業株式といった「実質的な資産」に投資したほうがマシ、というわけです。

対してオルタナティブは、代替的の意味からもわかるように、これまで傍流とされてきた投資です。
非上場株式(未公開株式)、PEファンド、金や時計、宝石、仮想通貨などがオルタナティブ投資に分類されます。
前出のビジネス・インサイダーの記事によれば、ミレニアル富裕層は「債権や株といったペーパーアセット全般に対して不信感があるとは言えない」ものの「ひねりのある」資産に興味を持っているとされています。
ミレニアル世代の若者は、従来の金融商品が銀行や証券会社のマージンや人件費を乗せられまくったロクでもないものだと肌感覚で思っているのかもしれません。

金銭的なリターンだけでなく、「環境や社会を改善することが期待される会社へ投資する社会的インパクト投資」に関心を持っているのもミレニアル世代富裕層の大きな特徴です。
金銭的リターンが得られることに加え、自分の投資の社会的意義も重要視しています。
少額の投資であるなら、たとえ投資結果が思わしくなかったとしても、自分の納得できるところにお金を出したいと思っているのです。
クラウドファンディングやPOLCAなどのサービスを利用するのもミレニアル世代の人たちが多いです。

ミレニアル富裕層がオルタナティブ投資にひかれる理由をひと言でまとめると、自分の興味関心や共感を喚起するものを投資対象としている、と言えると思います。
銀行や証券会社の利ざやたすでに乗せられている割高な株や投資信託を買うくらいなら、代わりに友人のスタートアップに出資したり、仮想通貨に投資したりする道を選びます。
彼らは友人の起業家に出資したり、クラウドファンディングに気軽にお金を出したりするのに抵抗がありません。

起業し、会社経営という「投資」によって資産形成できる自分にとっては、プライベートバンクや既存の銀行・証券にお金を預けるうまみはもはや感じられない、というのが正直な感想です。
それよりは自分の判断で大きなリスクを負い、大きなリターンを期待できる投資をしたほうがよっぽどいいと思っています。

『この時代に投資家になるということ (星海社新書)』

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ITやAIが全盛の時代となり、投資という概念が大きく変わってきた。
正田氏は本書の中でこう語る。
「100人でやっていた仕事を5人でできるようなる。あるいは、自分のやっていた仕事がAIに代用される。こうなると、働いても働いてもお金を儲けることは難しくなります」。
そして、「AIの普及によって将来、あなたが会社をクビになっても、よそで雇ってもらえる保証はありません。そのときには社会全体で人間のクビ切りが行われているはずです。そうなると僕たちに残されたお金を稼ぐ道は何か?そう、『投資』だけです」。

これからは、すべての会社が大きく変わらなければ生き残れない時代となった。
これは、上場企業であろうが、一流の有名企業であろうが、もちろん中小企業であろうが、逃れられない現実だ。
来年には、平成も終わるこの時代、誰もが、昭和や平成をアップデートして、意識改革をする必要がある。
そして、染みついた古臭い考え方とおさらばしなければ、時代はあっという間に進み、人も会社も、生きる化石となってしまう。

ミレニアル世代に注目し、頭を柔軟にして、新たな価値観を受け入れたい
posted by Dr.モーリィー at 06:02| ちょっと気になる善い言葉 | 更新情報をチェックする

2018年08月19日

No 4743   セミナー参加 全開モード!

最近 おいちゃんの 勉強モードに 火が付き
月に 1回から2回 福岡や大阪、東京に飛び回っております

交通網が便利になり LCCなど 格安航空券もあるので
なんだか日帰りセミナーが 多くなりました

便利だが 大変、、、です

そんな中でも 楽しみは 美味しいものを食べること

デジカメ撮るのを忘れることが多いのですが

先日の福岡で パチリ

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No 4742    【ままならない人生だからこそ】

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【ままならない人生だからこそ】

元ノートルダム清心学園理事長、渡辺和子氏の心に響く言葉より…



たしか、エドワード・リーンという人の本の中に、「他人の行動とか、事物を通して起こる“ままならないこと”に腹を立てた瞬間、私たちは謙虚さを失っている」と書かれてあったように思います。
他人から受ける不当な扱い、誤解、不親切、意地悪等から全く自由になりたい、なれるはずだと思うことは、すでに人間としての「分際」を忘れた所業であると書かれていたように思います。

修道院に入って間もない頃、人間関係に悩み、多くの不合理に心穏やかでない時、ふと手にして深く考えさせられた本の一冊です。
不完全な人間の寄り集まりである社会に生き、自分自身不完全であるからには、すべてが完璧に運び、思い通りになると考えるのは大まちがいであり、それは自分を神の位置に置くものでしかない。

「天が下のすべてのことには季節があり、すべてのわざには時がある。生まるるに時があり、死ぬるに時があり、植えるに時があり、植えたものを抜くときがあり…」と『伝道の書』も言っています。
「神のなされることは、皆、その時にかなって美しい」。

人の思うところは、必ずしも神の思うところと同じではありません。
科学や技術がめざましく進歩し、生死まで司(つかさど)るかに見える人間の偉大さが随所で証明されているこの時代、人間の精神の真の偉大さは、おのれの限界を知ることにあるのではないでしょうか。

《ままならない人生だからこそ、人間としての分際を知り、他の人に寛容になれる》(不完全な人間の寄り集まる社会で、神さまでもない自分が、すべてを思い通りに生きられるはずがない)

『どんな時でも人は笑顔になれる』PHP研究所

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人生は思い通りにならないことの連続だ。
逆に、もし人生が思い通りになることの連続だとしたら、我々は、あっという間に謙虚さを失い、鼻持ちならない傲慢な人間となるだろう。
お金は思うままにいくらでも手に入り、金で買えないものはないとばかり、豪邸も豪華な生活も思いのまま、そして、誰でも頭を下げてきて自分に従う、となったらどんな人間でも、思いあがり、慢心してしまう。

分際(ぶんざい)とは、「身のほど」ということ。
「身のほどをわきまえろ」というような言葉は、現代では死語のようになっているが、分(ぶ)をわきまえるとも言い、本来は、謙虚さを失わないということであり、自分中心にならない、我を張らないということでもある。

曽野綾子さんは「不条理だからこそ世の中である」と言う。
つまり、ままならないからこそ人生なのだ。
ままならない人生を、淡々と笑顔で受け止めて生きていきたい
posted by Dr.モーリィー at 20:50| ちょっと気になる善い言葉 | 更新情報をチェックする

No 4741    卒業!

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先日もブログにアップいたしましたが毛利歯科では7月8月と卒業が相次ぎました

ご縁あって集まった仲間ですが 結婚出産・家庭の事情・親の介護など 現代の社会を反映するような事情で 卒業される方もこれもまた ご縁です

数年後にはまた 鹿児島市に帰って来て 一緒に働くこともあるのかもしれません

本当にご苦労様でした ありがとうございました 
感謝・大感謝です

あなた方が残した業績は 永く毛利歯科の歴史に刻まれることでしょう

それぞれの人生・生活を満喫して お幸せに


追伸)9月末にも 一人福岡に寿退社のスタッフが

とてもおめでたい事なのですが
毛利歯科的には 大ピンチです 衛生士不足が 深刻です
9月末で常勤歯科衛生士が6名、非常勤歯科衛生士が4名体制になりますが
まだまだ常勤歯科衛生士が2名か 1名と非常勤歯科衛生士が3名ほど必要です
復職支援制度もあります、保育所もありますので 
お知り合いの方がいらっしゃいましたらお声かけよろしくお願い申し上げます
ハローワークにも求人案内が出ておりますし 
今までの給与は 最低限保証いたしますよ
ご検討のほどよろしくお願い致します


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No 4740   【祓い清めるということ】

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【祓い清めるということ】

医師、元春日大社宮司、葉室頼昭氏の心に響く言葉より…



生命というのは、個体の生命だけを指すのではありません。
生物はそれぞれ、その種の生命を伝えることによって、個々の生命が伝わるという仕組みになっているからです。
人間なら、個人の生命だけでなく、国としての生命、民族の生命、企業の生命、そしてそれぞれの家の生命を伝えることによって、個々の命が伝わるというふうにできているのです。
ですから、国や民族が持っている特有の伝統文化を伝えなくなると、その国は滅亡し、個人の生命もまた滅んでいくことになります。

しかし、戦争に負けてからの日本は、日本人として誇りを持つべき過去の歴史や伝統文化をすべて否定し、子供たちに伝えなくなってしまいました。
これは大変なことです。
このために戦後生まれの人たちは、過去のことはすべて自分には関係ない古いことだと考え、日本の国に誇りを持たないようになってしまったのです。

日本の歴史や文化を知らないために、アメリカや西欧が正しく、また優れていると考え、日本人は外国人よりも劣っていると思い込んでいる人が多いのです。
しかしこれは、日本人の生活やものの考え方が外国人とは異なっているだけのことであって、その異なっていることの中に、他国の人たちには見られない素晴らしい宇宙観、自然観そして優れた情緒が息づいているのです。

そのひとつとして特に申し上げたいのが、日本人は、人間は自分で生きているのではなく、すべて神さまの恵みと祖先の恩によって生かされているという感謝の生活を送ってきたということです。
これは、人間の生きる素晴らしい真実の道です。
この世の中にはいろいろな悩みや苦しみ、病気などがありますが、それらすべては、生かされているという感謝の気持ちを忘れ、自分で生きているという「我」の心が原因で現れてきます。

いろいろな悩みが現れるのは、神さまからいただいた清浄で健康な素晴らしい姿を覆って包んでしまう罪(包み)や、私たちを生かしてくださる神さまの尊い気を枯らしてしまうような穢(けが)れ(気枯れ)が身についたためだということを、昔の日本人は直感で知っていました。
ですから、これらの罪穢れを祓(はら)い除けば、もとの健康で幸せな姿が現れるとして、古来より祓いということを行ってきたのです。
これは、世界に誇るべきことであると私は思います。

今の医学では、病気は存在するものであり、それを撲滅するのが治療だと思われています。
しかし私は、この日本人の「罪穢れを祓えばもとの健康が現れる」という考え方のほうが真実の医学ではないかと思うのです。

その他にも、素晴らしい特質を挙げていくときりがありません。
日本人は古来より素晴らしい真実の生活を続けてきた世界でも珍しい民族でありますから、これらをひとりでも多くの人が自覚し、日本人の誇りをもって、胸を張って生きてほしいと願っているのです。

『神道 感謝のこころ』春秋社

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神道には年に2度、大祓(おおはらえ)という神事がある。
ひとつは6月30日に行われる「夏越大祓(なごしのおおはらえ)」。
もうひとつが12月31日に行われる「師走大祓(しわすのおおはらえ)」。
夏越大祓は、1月から6月までの半年間の罪穢れを祓い清め、茅(ち)の輪という茅(かや)で作った大きな輪をくぐり、無病息災を祈る。
師走大祓は、7月から12月までの半年間でたまった罪穢れを祓い清め、新年に向かって新たな気持ちで出発する。

つまり、半年間にたまってしまった罪や穢れを一度リセットして、新たに1から出直すという、素晴らしいシステムだ。
どんな失敗をしてもそれを無かったことにして、新たに再出発するという、起業家精神にも通じる、何度倒れても起き上がるという考え方。

体に汚れや臭いがついたので、それを香水でごまかすというのではなく、風呂やシャワーを浴びて体を清める、というのが祓い清めるということ。
掃除も同じで、たまってしまった不要なものをどんどん捨て、神社の境内のように、清々(すがすが)しく、すっきりとさせることが、祓い清めること。
また、健康において祓い清めるということは、体にたまった毒素や重金属などを排出することにより、本来の健康が戻り、元々持っていた自分の自己治癒力や免疫力が高まるともいわれている。

日々、罪穢れを祓い、自らの力を高めたい
posted by Dr.モーリィー at 05:53| ちょっと気になる善い言葉 | 更新情報をチェックする

2018年08月17日

No 4739    【足し算の幸福】

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おいちゃんのお気に入りブログ【人のこころに灯をともす】からの転載です

【足し算の幸福】

曾野綾子氏の心に響く言葉より…



三浦朱門の知り合いの青年が、高校時代にアメリカに留学していた時のことです。
高校の階段の手すりに腰を掛けて友人としゃべっていて、バランスを崩して転落してしまった。
頭のいい青年でしたが、典型的な優等生ではなくて、少しやんちゃな若者だったらしい。
彼は、その事故で車椅子の生活を送ることになりました。
それで母親が彼を日本に帰すか、アメリカへ行って面倒を見ようとしたら、本人は、「大丈夫。ぼくが全部一人でやりますから」と言って、車椅子で大学を受験して入り、大学での生活もほんとうに一人で乗り切った。
すばらしい人ですね。

その青年も、ケガをした直後は当然いろいろ悩んでいた。
その時一人のカトリックの神父が、彼にこう言ったそうです。
「ないものを数えずに、あるものを数えなさい」
それは慰めでも何でもないと思います。
誰にも、必ず「ある」ものがあるのです。

でも、人間というのは皮肉なことに、自分の手にしていないものの価値だけを理解しがちなのかもしれません。
自分が持っていないものばかりを数えあげるから、持っているものに気づかないんですね。

私は、日本で生活していてもアフリカを基準に考える癖が抜けません。
アフリカには、人間の原初的な苦悩があります。
生きられないということです。
貧乏で食料が買えないから満腹したことがない。
ここ数ヶ月、体を洗ったことがない。
雨が降ると濡れて寝ている。
動物と同じです。
病気になっても医者にかかることができず、痛みに耐えながら土間に寝ている。
そいう人たちのことを思ったら、私たちの暮らしはどれほど贅沢なことか。

世界の貧しい人たちは、1日に1食か2食、口にできれば、それでごく普通の生活です。
日本人は、グルメとか美食とか、食事がどんどん趣味的になっていますが、私など、干ばつに襲われた年のエチオピアで、もう体力のなくなってしまった男の人が地べたに座り込んだまま、まわりに生えていた草をむしって食べていたのを見て以来、どんなものを食べてもごちそうだと思っています。
日本は、山があるおかげで水にも恵まれています。
そのありがたさを普通の日本人は意識しないでしょう。
しかし、砂漠地帯に行けば、水の貴重さがよくわかります。
あらゆるオアシスは必ず特定の部族が所有していて、そこから所有者の許しもなく一杯の水でも飲めば、射殺されても仕方がない場合がある。
水は命の源だから、その管理は信じられないほど厳しいんです。

私たち日本人は、水汲みに行く必要もなく、水道の蛇口をひねれば水があふれるように出て、飲める水でお風呂に入っているし、トイレにも流している。
言ってみれば、ワインのお風呂に浸かって、ワインで水洗トイレをきれいにしているようなものです。
お湯が出るなんて、王侯貴族の生活です。
自分の努力でもなく、そういう贅沢をしていられる国にたまたま生まれさせていただいた。
その幸せを考えないではいられません。

そうすると、少しぐらいの不平や不満は吹き飛んでしまうんですね。
これが私の言う「足し算の幸福」です。
自分にないのものを数えあげるのではなく、今あるものを数えて喜ぶ。
そんなふうにスタートラインを低いところにおけば、不満の持ちようがないと思うのですが。

今の日本は、みんなの意識が「引き算型」なんですね。
水も電気も医療もすべて与えられて当然、と思っているからありがたみがまったくない。
常に百点満点を基準にするから、わずかでも手に入らないとマイナスに感じて、どんどん「引き算の不幸」が深くなっていく。

『思い通りにいかないから人生は面白い』三笠書房

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小林正観さんは、今この瞬間に、一瞬にして幸せになる方法があるという。
それは、「今、幸せだ」と感じること。
小林正観さんは、 「幸せという状態」があるのではなく「幸せを感じる自分」がいるだけだという。
お風呂にゆっくり入って、手足を伸ばしたとき「ああ、しあわせ」としみじみ感じたら、それが幸せな状態。
炎天下でのどがカラカラのとき、冷たい水をゴクゴク飲んで、「ああ、しあわせ」と感じたら、それが幸せな状態。
つまり、「ないものを数えずに、あるものを数える」ということ。

ひろちさや氏は、仏教では、「即今(そっこん)・当処(とうしょ)・自己」でものを考えるという。
即今とは、「今」。昨日でも、明日でもない、今この瞬間。
当処とは、「ここ」。あちらでもなく、別の場所ではない、この場所。
自己とは、「私」。あなたでも彼でも彼女でもない。まぎれもない自分。

今ここで、この瞬間、他のだれでもないこの自分が、感じる「幸せ」。

あるものを数える「足し算の幸福」を、かみ締(しめ)めたい
posted by Dr.モーリィー at 07:24| ちょっと気になる善い言葉 | 更新情報をチェックする