2020年07月19日

No 5687   【時代は変わったんだ】

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おいちゃんのお気に入りブログ【人のこころに灯をともす】からの転載です

【時代は変わったんだ】

斎藤一人さんの心に響く言葉より…


お年寄りがいっぱい遊びにくる店を作る。
それは、お年寄りがいっぱい遊びにくる電器屋を作る、ということではありません。
あなたが、もし、布団屋をやっているのだとしたら、お年寄りがいっぱい遊びにくる布団屋を作る、ではない。

「一人さん、何をいいたいんですか?」って、布団だったり、電化製品というのは、めったやたらと買い替えるものではないのですね。
そうすると、「めったに買ってくれないから、何をやってもダメなんです」という人がいるのだけれど。
めったに買ってくれないものを売っているのなら、それと一緒に、しょっちゅう買うものも売ったらどうですか?

お年寄りがいっぱい来る店を作るのだから、たとえば、お年寄りが好みそうな食べものを売ったり、洋服を売ったり、赤いちゃんちゃんこが売れるんだとしたら、テレビや洗濯機の隣に、赤いちゃんちゃんこをかけておけばいいのです。
それから、今、お年寄りでも入れる生命保険とかがありますよね。
その代理店になることもできるでしょ。

お年寄りのことを考えて店をやるのだから、お年寄りが喜びそうな商品も置いておく。
これが、商人の眼力です。
ところが、「自分は電器屋だ」と思っている人は、電化製品しか扱わない。
ずぅーっと、電器屋にこだわるのは、お年寄りを喜ばす眼力がないのです。

でも「電器屋」の枠をとっぱらって、お年寄りが喜びそうな商品・サービスを提供するということになってくると、ヘンな話、「観音参りツアーでも作ろう」とかいうアイデアも出てきますよね。
それとね、「おばあちゃんの原宿で」有名な巣鴨の商店街へ行くと、お年寄りの肌着とか、そういうものと一緒に、孫に買ってあげたいようなものも売ってるの。
こういうのが眼力。
来てくれるお年寄りが喜んでくれる店になればいいの。
わかりますか?

先代が電器屋をはじめた頃、ウチは儲かっていた、って。
それも眼力です。
先代に眼力があったんですよね。

だけど、時代は変わったのです。
「ウチは電器屋だから」といっててもいい時代ではなくなってきているのです。
それを見抜くのが眼力。
この眼力以前に、本当は、この世の中に「電器屋は電器屋しかやっちゃいけない」という法律はないのです。
商人なんですよ、あなたは商人なのです。
わかりますか?
これも眼力ですよ。

「自分は商人だ」と思えば、ホントに、なんでも売れるんです。
それで、思わぬ人が、すごいお金持ってるんです。
100万円ぐらいする健康器具をポンと買っちゃうようなお年寄りって、いるんですよ。

実は、お年寄りのなかには、何百万とか何十万もするようなものを買えるぐらい、お金を持っている人がたくさんいるんです。
だけど、必ず人にいうことは「わたしゃ、年金ぐらしだからねぇ」って(笑)。
だから、日本にはお金があるんです。
それも、見抜かないといけない。
いろんなことを見抜く力が必要なんです。

ほとんどの人は、今まで、見抜く、ということをしてこなかったと思います。
テレビを見るとか、新聞を読むというのは、情報を入れているだけです。
情報を入れることも大切だけど、入れるばっかりで見抜くことがなかったら、情報なんかいくらあってもムダ。

それが証拠に、あなた、情報にふり回されてばかりいるでしょ?
だから、その見抜く訓練として、「なぜ、子どものときに郵便貯金させらえたと思いますか?」とか、「なぜ、日本人は英語がしゃべれないんですか?」とか、私はいってたの。
こういうことを知るうちに、だんだん「これはなんだろう」と考えるクセがついて、見抜く力がつきだしてくる。

だから、世間やテレビが、いくら「ヤ〇ダ電機みたいな家電量販店が日の出の勢いで伸びてる」といっても、自分の店が小さいところだからって、ガッガリしちゃいけないよ。
一時、日の出の勢いで銀行も伸びていたんですよね。
だけど、今、銀行は落ち目です。
つぶれちゃった銀行もあるでしょう?
それから、前は、デカイ会社がすっごくよかったけれど、今、人を何人も雇っているところは苦しいんですよ。

要するに、時代はめぐるんだ、っていいたいんですね。
だから、町の電気屋が有利な時代が来るんです。
ただ、そういう時代が来ることは来るのだけれど、経済には「同じ法則は絶対たどらない」という法則があるのです。
だから、昔のまんまのやり方でやってたところが、よくなることはないんです。
わかりますか?
昔のままの町の電器屋がよくなることはないのです。

『眼力(CD付)』サンマーク出版

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斎藤一人さんはこう語る。
『私は、めったに自分の会社には行きません。
なぜかというと、私が会社に行くと、社員がみんな「一人さん、話を聞かせてください」って集まってきちゃうのです。
本当にうれしいんだけど、そうなると、みんなの仕事の邪魔をしちゃって、申し訳なくてね。
「社長が会社にいなくて、いいんですか?」って、いいんです。

社長の仕事は、一個です。
給料日に給料を渡す。
これしかありません。
あなたの会社の社長さんがこれをやりつづけているなら、立派な社長です。
そして、社長というのは、従業員にちゃんと給料を渡すために世の中を見抜くのです。
「今の世の中はどうなんだろうか」
「このまま行くと、この世の中は、どうなるんだろう」
いまがわかって、次にどういう時代が来るかがわかれば、先に備えをして待っていれば経営はうまくいきます。
そのことと、社長が会社にいることは別なんだ、というのが一人さん流です。
でも、世間は違います。
ヨソの社長さんは、毎日、会社にいます。
そのうえに、従業員より早く会社に出て、最後まで残って働いています。
そういう社長さんを「エライ社長だ」と、世間の人はいうのですね。
なぜ、そう思うようになったのかを見抜いてみましょう。
それは、日本の会社のほとんどが下請けだからです。
下請けの会社の人たちは、体や技術を使って働く「働き者」です。
わかりますか?
親会社は、自分のところで人を雇うよりも、下請けに出したほうが安いし、効率がいいから、出しているんですよね。
すると、安いから、下請けの人たちは「親会社より、うんと働かないと食べていけない」ということになってきますよね。
なおかつ、親が会社から「あなたの会社で、これ作って」と、仕事を渡されます。
お客さんが仕事を考えてくれるから、頭を使うのが仕事ではない。
「働き者」が仕事なのです。
その「働き者」の代表が社長であって、みんなより「うんと働き者」の社長が「エライ社長」とされていたのです。
ところが、今になってみたら、親会社から仕事が来ない。
いくら「働き者」でも、仕事が来なかったらお給料が出ません。
何をいいたいのかというと、自分で頭を使って仕事を考え出さなきゃいけない時代が来たんだ、って。
仕事を考え出せる社長でなきゃ、生き残っていけなくなってきているのです。
この眼力があると、社長を見る目が違ってきます。
「ウチの社長はホントにいい社長なのかどうか」といったとき、社長が朝から晩まで外を出歩いていてもいいのです。
外にいても、仕事を考え出すか、仕事を取ってくれば、それでOKなんです。
朝から晩までずぅーっと会社にいたって、仕事がなかったら、いてもしょうがないでしょう。
そして、社長さん、よろしいですか?
時代というものは、変わります。
そのとき、社長は社長で「世の中は変わったんだ」という眼力を持っていないと、今までの成功例をいくら並べても、うまくいかないのです。』

時代は恐ろしい勢いで変わる。
そして、元には戻らない。
進化し続けるからだ。

特に、このコロナ禍の後は、変われる人と変われない人では大きな差がつく。
そして、もし、変われないとしたら、ガラパゴスの人となり、衰退し結局は存続できない会社となる。

時代は変わったんだと、肝に銘じたい
posted by Dr.モーリィー at 08:57| ちょっと気になる善い言葉 | 更新情報をチェックする

2020年07月18日

No 5686   【ほんの一瞬の人生だからこそ】

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おいちゃんのお気に入りブログ【人のこころに灯をともす】からの転載です

【ほんの一瞬の人生だからこそ】

曹洞宗徳雄山建功寺住職、枡野俊明氏の心に響く言葉より…



日本人は「平均」とか、「横並び」といった言葉が好きなようです。
なんでも他人と同じくらいであれば安心するわけです。
雑誌などではよく、平均給与とか平均的なマイホーム取得年齢、平均的な結婚費用、同葬儀費用といったものを取り上げた特集記事が掲載されますが、そうしたものも日本人気質を見抜いたテーマ設定だといえるでしょう。
余談ですが、ずいぶん前に流行ったビートたけしさんの「赤信号、みんなでわたれば、怖くない」というギャグも、日本人の横並び好きを痛切に皮肉ったものだ、という見方ができます。
平均と自分を弾き比べて、上ならばほっと胸をなで下ろしたり、少々、誇らしい気分になったり、下の場合は不安になったり、焦りを感じたりする、というわけです。
しかし、そもそも平均を意識することになにか意味があるでしょうか?
横並びの人生なんてこの世にありえないのです。

人はこの世に生を受け、死んであの世におもむきます。
人生というその時間を、それぞれが自分の歩幅で歩んでいく…。
そこに「平均」などはありません。

禅語に「本来無一物(ほんらいむいちもつ)」というものがあります。
人は本来、いっさいのものを持たない、まったくの空(くう)、絶対的な無の存在である、ということです。
ですから、心に塵(ちり)やホコリが積もることもないし、煩悩(ぼんのう)もないし、悟りというものもないと、この禅語は教えています。

「体露金風(たいろきんぷう)」という禅語もあります。
「体露」とは生まれたままの姿のこと。
「金風」とは、気持ちのいい秋風のことです。
見栄や分別、欲を捨てて、生まれたままの赤ん坊のような気持ちでいれば、清々しく生きられると、この禅語はいっています。

人生ということに引き寄せていえば、なにも持たない裸で生まれてきて、やはり、なにも携えずに死んでいくのが人の人生というものなのだ、ということ。
「人生は、手ぶらで生きて、手ぶらで死ぬのがいい」
ということです。

給料が平均より上だ下だ、といっても、そんなことは無に始まり、無に終わる人生の、小さな一局面、些細な断面でしかないのです。
平均をはるかに超えたとしても、平均に遠くおよばなくても、それが自分の歩幅であり、そこでしか、たしかな人生の足跡を刻むことはできないのです。
その足跡の連なりが人生です。

ですから、誰一人として同じ人生を歩むことはありません。
人の数だけ人生があるのです。
そのことに早く気づいてください。
すると、「平均」を目安にすること、それを意識することの無意味さがわかってきます。

「災難に逢うとき時節には、災難に逢うがよく候」
良寛さんの言葉です。

災難に遭遇して、「おい、おい、こんな災難に逢うなんて、平均的な人生からいったら、割が合わないじゃないか」などと嘆いていたってしかたがないのです。
災難には正面から向き合うしかないのですし、その災難の中に自分の足跡を残していく以外にはないのです。
それがほかの誰でもない、あなたの人生を丹念に歩むということだ、と思います。

『競争からちょっと離れると、人生はうまくいく (単行本)』三笠書房

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浜松医科大学名誉教授の高田明和氏が「魂をゆさぶる禅の名言」(双葉社)の中でこんなエピソードを紹介している。
『 朝比奈宗源(あさひなそうげん)老師の知り合いの僧がある寺に住持していました。
彼は博打(ばくち)が好きで、村の人の集まりで博打をやって負けて帰ってくると、 「あいつもやがて死ぬやっちゃ」と独り言をいっていたということです。』

もちろん、宗源老師は、博打好きな僧に、「死んでしまえ」と願って言ったわけではない。
あきらめたり、捨て鉢で言っているのでもない。
諦観という、澄んだ気持ちで、物事の本質をとらえ、悟りのような境地で発した言葉だ。
「しかたのないやっちゃ」と。

どんな大悪人も、小悪人も、ウソつきも、大ぼら吹きも、嫌なやつも、そして善人も、すべて、「あいつもやがて死ぬやっちゃ」。
メチャクチャにひどいことを言われようが、ひどい仕打ちを受けようが、やがてみんな死んでしまう。

城山三郎氏の小説の中にこんな言葉がある。
「一期(いちご)の盛衰(せいすい)、一杯の酒』(本当に生きた日)
英雄の興亡盛衰の重さも、一杯の酒のうまさに叶わない。
チンギスハンも、ナポレオンも、信長も、秀吉も…。
まさに、「人生は、ただ一場の夢」のようなもの。

「裸にて生まれてきたに何不足」
ほんの一瞬の人生だからこそ、大切に生き抜きたい
posted by Dr.モーリィー at 07:45| ちょっと気になる善い言葉 | 更新情報をチェックする

2020年07月17日

No 5685   【人生は楽しむためにある】

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【人生は楽しむためにある】

小林正観さんの心に響く言葉より…


「人生は修行の場である」
「修行することが目的である以上、人生には苦しみや悲しみが多くて当然だ」
「人生は、辛く悲しいものの集積である」
と考える人がいます。

「目の前の出来事はすべて『修行』のために存在している。
悩みがあるのは当たり前だ。
だからこそ、立ち向かったり、我慢や忍耐をしたり、乗り越えたりしなければいけない」
そう考えることで、もしあなた自身が生き方がラクになるのであれば、「人生=修行」ととらえても、別にかまわないでしょう。

ただ、「宇宙の構造」は違います。
人生は「修行の場」として設定されているわけではありません。

人生は、「喜ばれるための場」であり、「感謝をする場」であり、なによりも、「楽しむため」に存在しています。
「人生は苦しみに満ちている人と悲嘆にくれてばかりの人」や、「不平不満、愚痴、泣き言、悪口、文句ばかりの人」に比べれば、人生を「修行の場」と位置付け、「乗り越えていくしかない」「我慢するしかない」と考えている人のほうが、まだ一歩も二歩も前進していると思います。
でも、それではまだ、「途中の段階」。

私たちが「肉体を持ってこの世に生まれてきた理由」は、「人生を楽しむため」にほかなりません。
現象はすべて「ゼロ(中立)」です。
どのようにとらえるかは、結局のところ、あなた次第。

「第13回バン・クライバーン・国際ピアノコンクール」で優勝した(日本人初)ピアニストの辻井伸行さんは、「全盲」というハンデを背負っているのです。
けれど辻井さんは、「今までつらいと思ったことが一度もなく、楽しくピアノを弾いてきた」と受賞後の記者会見で話しています。

目の前の出来事を「修行のために存在する」ととらえ「だから耐えなければいけない」と意気込むのもかまいません。
けれどもし、「人生は楽しむためにある」と認識することでラクになるのであれば、そのようにとらえてもよいと思います。

『もうひとつの幸せ論』ダイヤモンド社

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多くの偉人伝や、成功者の話を読むと、幾多の試練や、筆舌に尽くしがたい苦労の連続を乗り越えたのちに、その成功した姿があると一様に書いてある。
まさに、波乱万丈、山あり谷ありの、まるでドラマのようにストーリーが展開する。

しかしながら、そのような起伏の激しい一生を送ってこなかった人もいる。
いわゆる平々凡々と静かな人生を過ごすことができた人だ。
大成功もしなかった代わりに、大失敗もせず、浮き沈みの激しい人生も経験しなかったということだ。

すると、「人生は修行のために存在する」という人たちからは、「苦労が足りない」とか「困難を乗り越えた経験がない」、だからダメなんだ、などとバカにされることもある。
そして、「ノーテンキ」、「極楽トンボ」などとののしられることもある。
しかし、「人生は楽しむため」に存在するのだと思うなら、平々凡々の人生こそ、ありがたくて、しあわせで、たのしくて、ツイていて、感謝の人生となる。

戦時下の困難な時代に生まれた人たちには、その時代に生まれてきた意味がある。
今この時代にゆたかな日本に生まれたなら、今この時代に日本に生まれてきた意味がある。

困難や苦労を乗り越えなければ、幸せは手に入らないのではない。
幸せに気づいた人が幸せなのだ。

「人生は楽しむためにある」という言葉をかみしめたい
posted by Dr.モーリィー at 07:49| ちょっと気になる善い言葉 | 更新情報をチェックする

2020年07月16日

No 5684   【新しい領域へのGiveをスタートすること】

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おいちゃんのお気に入りブログ【人のこころに灯をともす】からの転載です

【新しい領域へのGiveをスタートすること】

小山龍介(りゅうすけ)氏の心に響く言葉より…



これまでの領域から離れて、新しい領域で事業を開始するには、当初、かなりの投資が必要になります。
投資はお金というだけでなく、時間というもっとも貴重な資源の投資が絡みます。
人生の時間は有限であり、一刻も無駄にできません。
お金以上に、そうした時間投資を最小化するための方法がリーンスタートアップでした。

投資というのは、もちろんリターンを期待して行うものなので、投資をするにあたって「儲かるかどうか」「報われるかどうか」が、投資の判断基準になるかと思います。
確率は低いけれども大きなリターンが期待できるからと、ベンチャー事業に投資する人たちもいます。
しかし、問題は「いつ」このリターンを得らえるような投資をするのか、ということです。
このリターンを短期的なものに設定すればするほど、すぐに結果が出ることばかりをやることになるので、領域の広がりは限られてしまいます。
事業の射程がどんどん短くなっていくのです。

将来に向けて大きく発展する事業をやっていきたいと思えば、遠くのターゲットに向けた射程の長い、できるだけ遠い未来にリターンが戻ってくる投資をするべきです。
じっくり時間をかけて取り組む事業です。
時間がかかる事業であればあるほど、他人からキャッチアップされることも難しく、それだけ競争優位が働くともいえます。

別の言い方をすれば、たくさんの時間を投じたあとに、ようやく自分の利益を得ようという考え方です。
この意味で長期的な投資というのは、本質的に贈与性を帯びています。
すぐに利益を期待していないからです。
企業のR&Dも同様です。
既存事業の収益を、企業の未来、社会の未来に向けて贈与している。
そんなふうに考えることもできます。

よく、さきにTakeを考えるのではなく、GiveしたあとにTakeする「Give&Take」という話がありますが、これは贈与の原則を語っているものです。
そしてこれは長期的な人生の投資も同様なのです。

こうした贈与を、昔は自分の所属している企業に対して行っていました。
人生の時間をGiveすることによって終身雇用というTakeがある。
の関係が成り立っているときにはよかったのですが、あのトヨタ自動車でさえ終身雇用制度は難しいと言っているときに、Giveの対象は所属企業だけでよいとは言えなくなってきました。

そんな時代においては、新しい領域へのGiveをスタートすることが重要です。
これは早ければ早いほどいい。
それだけ時間というリソースを長い間、投資できるからです。

『在宅HACKS!―自分史上最高のアウトプットを可能にする新しい働き方』東洋経済新報社

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小山氏は本書の中で、『“場”とGiveの関係』についてこう語っている。

『場の研究所の清水博先生は長年、場を研究されていく中で、その根本原理に与贈循環があると指摘されています。
与贈というのは、贈与をひっくり返した言葉で、贈与の中でも匿名での見返りを求めないものを言います。
この与贈が自分のいる《場》に対して行われると、その《場》が豊かになっていきます。
《場》が豊かになっていくと今度は、その《場》から自分への与贈が居場所というかたちで返ってきます。
循環が起こっているのです。

たとえば、家族のためにケーキを買って帰るとします。
そうすると家族との関係もよくなり、家庭という《場》が豊かになります。
そうすると、自分の居場所もできる。
与贈は居場所づくりの方法なのです。

在宅勤務になると、実はこの居場所づくりを意識的にやる必要が出てきます。
これまでは会社という、自動的に与えられた居場所がありました。
しかし、物理的にその場所から離れたときに、人は会社に居場所があるという実感を失います。
そのことが、やがてメンタルにも響いてくるのです。
今まで意識してこなかった、居場所を作るための取り組みが必要になるのです。
その居場所は、会社の中にとどまりません。
むしろ、会社という小さな枠組みにとらわれることなく、最終的には地球全体が私の居場所と思えるくらいのスケールで、世界と向き合うことも可能です。
そういう視野で活躍する人は、ものすごく大胆なプロジェクトを成し遂げていくでしょう。
在宅勤務は、会社という小さな居場所を失う働き方です。
しかしそのことによって、世界という大きな居場所を獲得する機会を与えてくれる働き方でもあるのです。』

R&D(研究開発)の、「R」は“Research”(研究)、「D」は“Development”(開発)を意味している。
長期の研究開発も、ここでいうGiveということになる。
短期のリターンを期待しないからだ。

年齢を重ねれば重ねるほど、自分の「場」がどれだけ(いくつ)あるかが大事になってくる。
もし、会社しか自分の「場」がないとすると、定年退職してからの人生は暗い。

GiveなしにTakeだけを求めようとする人は、自分の「場」をつくることはできない。
場づくりへの、時間と労力はすべて持ち出しとなるからだ。
その手間をかけることが嫌な人は、「場」づくりはできない。

長期の研究開発と同じで、どれだけ長期にわたって見返りを求めず、Giveし続けたか。
そして常に、新しい領域へのGiveをスタートすること。

自分の「場」という世界を広げたい
posted by Dr.モーリィー at 08:58| ちょっと気になる善い言葉 | 更新情報をチェックする

2020年07月15日

No 5683   【ネットビジネス進化論】

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おいちゃんのお気に入りブログ【人のこころに灯をともす】からの転載です

【ネットビジネス進化論】

IT批評家、尾原和啓(おばらかずひろ)氏の心に響く言葉より…



世界経済が新型コロナショックに揺れた2020年5月、GAFAM5社の時価総額が、ついに東証1部約2170社の時価総額の合計を上回りました。
各国でロックダウンや外出自粛が続く中で、リアルベースの日本企業が企業価値を下げる一方、ネットを中心としたGAFAMは、むしろ価値を伸ばしたのです。
とはいえ、この傾向は、コロナによってビジネスや生活様式がまったくあたらしいものに変わったからというよりは、これから10年単位の時間をかけて起きるはずだった、すべての活動がオンラインになる「アフターデジタル」の世界が、コロナによって一気に実現に向けて動き出したから、と僕は考えています。
2019年3月に出版した『アフターデジタル』(日経BP)において「もはやオフラインは存在しない」と書きましたが、コロナによって強制的にオフラインを封じ込められたら僕たちは、オンラインを中心としてネットビジネスへの進化を余儀なくされています。

「ストレス=摩擦」がない状態を「フリクションレス」といいます。
何かをするたびにひと手間、ふた手間かかると、どうしても面倒くささが先に立って、それをする気力をなくしてしまいがちですが、思いついたことをすぐに実行できるなら、実際にやってみる人は増えるはずです。
つまり、「やりたいことがすぐにできる」ことそのものに価値があるのです。
グーグルは「知りたいことがすぐにわかる」から、アマゾンは「ほしいものがすぐに手に入る」から、フェイスブックは「知りたい人の近況がすぐにわかる」から、LINEは「話したい友だちとすぐに連絡が取れる」から、ユーザーに広く受け入れられました。
スポティファイは「聞きたい音楽がすぐに聞ける」から、キンドルは「読みたい本がすぐに読める」から、実際に音楽を聞いたり、電子書籍を買ったりする人が増えたのです。
同じように、「お金を払いたいときにすぐに払える」「お金をもらいたいときにすぐに受け取れる」キャッシュレス決済も、世の中にこれまで以上に浸透し、ユーザーの行動パターンを大きく変える可能性を秘めています。
考えてみれば、インターネットも、情報同志がつながったことで、あらゆる情報へのアクセスがフリクションレスになったからこそ、世の中に大きな変化をもたらしたのです。
お金のやりとりがフリクションレスになれば、それと同じか、それ以上のインパクトがあるはずです。

何かができるように手助けすることを「イネーブラー(enabler)」といいます。
「キャッシュレス化=フリクションレス化」は、「自分の好きなことが商売になったらいいな」という個人の想いをかなえるきっかけになります。
従来なら「こんなのは商売にならない」とあきらめていたような小さなことでも、支払い関係の苦労から解放されれば、ビジネスとして成り立つ可能性があるのです。

これまでは飲食店を開くには代金を入れておくレジが不可欠でした。
お金を扱う以上、現金を盗まれないような防犯対策が必要で、閉店後もレジの清算処理をしたり、売上を銀行に預けたりする必要がありました。
しかし、アプリで注文、アプリで支払いも完結という中国では、最初からレジがない店が増えています。
レジがなければ注文を受けた順に料理をつくって渡すだけでいいので、そもそも注文を受けるだけの店員もいりません。
そのため、テイクアウト専門で店舗面積が1坪(たたみ2畳分)未満の、小さなお店が急激に増えています。
レジの代わりにタブレットが一つ置いてあるか、QRコードが貼ってあるだけです。
お店が終わったら、掃除だけしてすぐに帰宅できます。
お金のやりとりから解放されると、やるべきことがシンプルに、明確になり、そこだけに打ち込むことができるので、出店のハードルが極端に下がるのです。
その結果、たとえば、定年退職したおじさんが、趣味のコーヒーを人にふるまうために1坪店舗を出すといったことが、ごく当たり前になってきます。

『ネットビジネス進化論 何が「成功」をもたらすのか』NHK出版

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本書に「信用スコア」についてこう書いてあった。
『そもそも、信用スコアが高いと、サービスを受けるときに優遇されたり、煩雑な手続きをショートカットできたりするのでしょうか。
それは、「人を疑うコスト」を減らしてくれるからです。
これまでは、たとえば賃貸住宅を借りる場合、収入を証明する書類や保証人が必要でした。
不動産会社は、借り主がどれくらいの規模の会社に勤めているか、年収はいくらあるか、保証人(親)の経済状況はどうかまで見て、家賃の支払い能力があるか、危険人物でないかを調べます。
つまり、「この人は信用できる人間か」ということを調べるために、手間とコストをかけてきたのです。
しかし、今は芝麻信用のスコアを見るだけで「この人は800点もあるから、よほどちゃんとした人なのだな」と瞬時に見分けがつきます。
疑うコストがかからないので、その分、煩雑な手続き簡略化することができるのです。

この「疑うコストは」不動産取引だけではなく、取引先企業の信用調査や企業の採用試験、婚活のマッチングなど、さまざまな場面でかかっています。
とくに、かつて中国では、隙あらば他人を出し抜いてでも自分が儲かるほうがいいと考える人が多かったので、信用できる人や信用できる商品を見つけるのがたいへんで、いい人やいい物を「探すコスト=疑うコスト」が日本では考えられないくらい高かったのです。
たとえば、アント・フィナンシャルは、芝麻信用スコアが650点以上の人を対象に、「相互宝」という重大疾病を対象とした新しい保険サービスを開発しました。
650点以上の人なら保険料の支払い能力は申し分ないということで、「疑うコスト」をかけずに済んだわけですが、相互宝の革新性は別のところにありました。
ふつうの保険のように毎月定額の保険料を前払いするのではなく、期間内に加入者が補償対象の病気にかかって支払われた保険金を、残りの加入者全員で「割り勘」にするという後払い式のサービスなので、加入時の保険料の負担はゼロ。
アリペイで支払う保険料も毎月異なり、その額もわずか数十〜数百円という破格の安さで人気を集め、ローンチから約1年で加入者が1億人を突破したのです。

企業の「信用情報」を使えば金融サービスを展開できるし、個人の「信用スコア」を使えばサービスの値段を劇的に下げることができます。
どちらもキャッシュレス化がもたらすイネーブラーの第二段階ですが、さらにその先に、もう一つのビジネス領域が広がっています。
それが「送客ビジネス」です。
キャッシュレス決済による手数料はわずか数%にすぎません。
しかし、いままでリーチできていなかった新規のお客さんを連れてきてくれるなら、1件あたり15〜20%くらいの手数料を支払ってもいい、というお店は多いはずです。
定期的にリピーターを送り込んでくれるなら、5〜10%くらい払ってくれるかもしれない。
これまではグルメサイトの「食べログ」や「ぐるなび」、が得意としてきた領域です。
キャッシュレス決済導入をきっかけに、その部分に食い込むことができれば、決済手数料よりも利幅の大きなビジネスを手がけることができます。
その意味で、キャッシュレス化というのは、その背後にあるイネーブラーの撒(ま)き餌(え)にすぎないともいえます。』

芝麻信用(ジーマしんよう)は、中国のアリババの関連会社が開発した個人信用評価システム。
『例えば、どんな商品をいくらで購入したか、クレジットカードのキャッシングやオンラインレンディングサービスで借りた金をきちんと返済しているか、「シェアバイク」や「シェア傘」といったシェアリングサービスを利用した際に借りたものを期日までにステーションに戻しているか、「滴滴出行(ディディチューシン)」のようなライドシェアサービスや飲食店を予約した際、無断でキャンセルをしていないかなどである。
これらのデータに、アリペイに登録されたユーザーの学歴や、そのSNS上の人脈の広がりや深さ、これまでにどんな仕事をしてきたかという履歴などを加味して、個人の信用度合いをスコアで表示したのが芝麻信用なのだ。』(日経Xトレンド)より

その他に、会社の身分や、車や不動産のあるなし、マナーやルール違反の有無、等々で信用があり、それらを登録することで点数が上がるという。

ネットビジネスの多くの分野で、日本は遅れてしまった。
その大きな理由の一つは、日本が中途半端に便利で、ゆたかで、不便を感じなかったからだという。
●たとえば、コンビニに行けば、ATMがあって現金はほぼ365日いつでもすぐにおろせる。
●電話網などが全国津々浦々、張り巡らされていた日本は、アジアや中国と違い、当時、携帯電話やスマホの必要性を感じなかった。
●アジアや中国では、現金は偽札などの横行で信用がなかったから、電子マネーが急速に普及したが、日本では偽札などの心配がなかったので必要性が感じられなかった。
●アジアや中国では、タクシーのサービスが悪かったり、ぼったくり等があったため、ウーバーのようなライドシェアが急速に普及したが、日本ではタクシーの運転手のレベルが高く、また値段も適性で、ぼったくりなどがないため必要性を感じられなかった。

新しいビジネスはハングリーなところから生まれる。
たえず、「ガツガツしていること」「渇(かわ)いていること」がなければダメなのだ。
ゆたかでのんびりしていて、ぬるま湯につかっているところからは生まれないからだ。

たえずネットビジネスの進化を見つめ…
新たな可能性にチャレンジしたい
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2020年07月13日

No 5682   【バカにされる勇気を持つ】

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おいちゃんのお気に入りブログ【人のこころに灯をともす】からの転載です

【バカにされる勇気を持つ】

三浦将氏の心に響く言葉より…



小利口な人のように理屈で考え、評論し、行動しない人ほど、(行動する人への嫉妬の気持ちも多分にありながら)人のチャレンジを小バカにしがちです。
そして、自分がそう思うからこそ、他人も自分をそういう目で見ていると考え、自分がチャレンジしたらバカにされるという恐れに苛(さいな)まれます。

この恐れを乗り越える秘訣は、「バカにされる勇気を持つ」ことです。

残念ながら、世の中にはチャレンジする人を小バカにする傾向があります。
そのような傾向を良い悪いというのではなく、「人とは、そうやって人のやっていることにケチをつけたがる生き物だから仕方ないよね」と思ってしまえば、チャレンジする勇気を取り戻すことができます。

元プロ野球のイチローさんが、世界記録となる日米通算4257安打を記録した時の記者会見で、「常に人に笑われてきた悔しい歴史が、僕の中にはある。これからもそれをクリアしていきたいという思いはあります」と言っていました。
2004年、落合博満(ひろみつ)さんは中日ドラゴンズの監督に初就任した際、「この1年は、補強を凍結し、個々の選手の能力を底上げして日本一を獲(と)る」という公約を掲げました。
この時、マスコミをはじめ関係者は一様に嘲笑したといいます。
落合さんは一流選手でしたが、監督としては未知数だったからです。
しかし、そのシーズンの結果は、日本一には届かなかったものの見事リーグ優勝でした。

このようにイチローさんや落合博満さんという野球をする者にとって神のような存在の人たちでさえ、人一倍バカにされ、笑われるという経験を乗り越えていったのです。
彼らがバカにされ、笑われたように、あなたがやろうとしていることや、していることをバカにされ、笑われたら、それは大きなチャレンジをしているという証拠です。
むしろ誇りに思ってください。
そして、あなたが仕事や人生において積極的にチャレンジする人をバカにしたり、皮肉ったりすることが結構あるなと気づいた場合は、チャンスです。
今すぐ、次のように変えていきましょう。

これは、人生におけるチャレンジに対して、グランドの外で傍観している側からプレイする側に回る機会を少しずつ増やすということです。
プレイすれば、失敗したり、恥をかいたり、笑われることもあるでしょう。
しかし、グランドの外からでは決してわからない世界を経験し、最高の瞬間を体験することもできるのです。

DON'T THINK, FEEL

プレイする側に回ることが増えてきたら、次は、頭で納得してから動くという思考パターンをやめてみましょう。
頭で納得してから動くのは、「石橋を叩いて渡る」ことと同じです。
しかし、慎重すぎて石橋を叩きすぎてしまうと、なかなか動けなくなり、石橋を叩きすぎて壊してしまうため渡ることすらできないのです。
これでは、いくらぬかりなく準備してもチャレンジに踏み出すことができないですね。

頭で納得してから動くという思考パターンの回数を徐々に減らしていくためには、「感覚的なものに素直になる」ことが肝心です。
ブルース・リー流に言うと、“DON'T THINK, FEEL” です。

『損か得か いつもうまくいかない人生を変える18の思考法』あさ出版

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『DON'T THINK, FEEL』は、ブルース・リーが映画「燃えよドラゴン」で言ったセリフだ。
「考えるな、感じろ!」ということ。

そして、本書の中にこんな文章があった。
『「20−60−20の法則」というものがあります。
これは、20%の人は、何があってもあなたを評価し、20%の人は、あなたが何をしても気に入らず、そして残りの60%は、あなたの言動次第で評価が変わるものです。
つまり、全員に評価されてることはかなり難しく、何人かに評価されなくても仕方のないことなのです。
あなたを評価しない人とは、たまたま相性やタイミングが悪かった、組み合わせがよくなかっただけだと割り切ることをおススメします。』

どんなに努力しようが、熱を込めて相手に話をしようが、全員は好きにはなってくれない。
2割の人から応援され好かれるが、6割はどちらでもなくて、後の2割からは批判され嫌われる。
何かにチャレンジしようとしたとき、必ず批判する人はいるということだ。

「バカにされる勇気を持つ」
バカにする人は、少なくとも、その人に関心があるということ。
関心がない人にとって、その人は存在していないのと同じことになるからだ。

バカにされることを恐れず、挑戦し、行動する人でありたい
posted by Dr.モーリィー at 07:10| ちょっと気になる善い言葉 | 更新情報をチェックする

2020年07月12日

No 5681   【顔は神様から与えられたキャンバス】

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おいちゃんのお気に入りブログ【人のこころに灯をともす】からの転載です

【顔は神様から与えられたキャンバス】

東京大学医学部名誉教授、矢作直樹氏の心に響く言葉より…



人間の顔というのは、神様から与えられたキャンバスだと私は思っています。
そのキャンバスにどのような表情を描くか。
それは個人の生き方や意識次第です。

ハンサムだとか美人だとかはまったく関係なく、本当に美しい顔とは、今に感謝し、いきいきと生きている人の顔なのです。
表情などどんどん変わっていくのだから、いちいち気をつかってはいられないと思うかもしれませんが、実はどんな表情をしているかで、その人の心のあり方がわかったりするものです。
自分の内なる声を聞かず、不寛容であったり感謝の念が足りなかったりすると、過ぎたことにいつまでも怒りや不満、悲しみ、苦しみを持ち続け、先行きへの不安や心配、怖れ、猜疑(さいぎ)、孤独に苛(さいな)まれたりするものです。
そしてそれが顔や、心身の不調和として現れます。

私は長年、医療現場に身を置き、いろんなことを学んできましたが、中でもいちばん勉強になったのは、先天的な病は別として、後天的な病は自分自身が生み出しているのだということです。
たとえば、ストレスによって生じる病はたくさんあり、ガン細胞もストレスによって大きくなります。
しかし、そのストレスも、自分の意識の持ち方によってコントロールできるのです。

何も怒ったり悲しんだりしてはいけないということではありません。
怒ってもいいし、悲しんでもいいのです。
しかし、それを持続させないこと。
負の感情はすぐに流してしまうことです。
私が行っている具体的な方法を紹介しましょう。

不調和の感情が起きたら、それを素直に認めます。
そしてその感情を硬いものとしてイメージし、自分の体の外にグワッと引きずり出し、粉々に打ち砕いてしまいます。
そしてそれをエイッと天に放り投げて、最後に深呼吸します。

これはあくまでもイメージでよいので、慣れたら一瞬のことです。
こんな習慣を身につけるだけで、だんだん不調和の感情は生じにくくなることでしょう。
病は心身の不調和の結果なので、医療機関で“治してもらう”だけでなく、自分に向き合ってその原因に気づき、改めることが大切です。

『今という一瞬に、一生の幸せがある』廣済堂出版

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ずるくて、悪賢くて、抜け目ないことばかりやってきた人は、「ずる賢そうな顔」をしている。
意地悪な人は、「意地悪そうな顔」をしている。
批判や、グチ、不平不満、泣き言ばかり言ってきた人は、「不機嫌そうな顔」をしている。
いつも怒ってばかりいる人は、「怒りっぽい顔」をしている。
鼻っ柱の強い人は、「鼻っ柱の強そうな顔」をしている。
アクの強い人、個性が際立っている人は、「アクの強い顔」をしている。
また…
気持ちの大らかな人は、「大らかな顔」になる。
気品がある人は、「品のよさそうな顔」になる。
人のいい人は、「人がよさそうな顔」になる。
優しい人は、「優しい顔」になる。

「40歳を過ぎたら自分の顔に責任を持て」と言ったのはリンカーン。
自分の顔に責任を持てる人でありたい
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2020年07月10日

No 5680   【努力や、時間の使い方、工夫を褒める】

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おいちゃんのお気に入りブログ【人のこころに灯をともす】からの転載です

【努力や、時間の使い方、工夫を褒める】

脳科学者、中野信子氏の心に響く言葉より…


◎「頭がいい」と褒められた子どもは、実際に悪い成績をとると、無力感にとらわれやすくなる。
◎難しい問題に取り組む際、歯が立たないと「頭がいい」という外部からの評価と矛盾する。このとき、やる気をなくしやすい。
◎「頭がいい」という評価を失いたくないために、確実に成功できるタスクばかりを選択し、失敗を恐れる気持ちが強くなる。

たしかに褒める教育で育てられたはずの若い世代は、もっと自信を持って積極的に困難に挑戦する人が出てきてもよさそうなものなのに、かえって慎重になり、上のどの世代よりも保守的になっているように見えることすらあります。
海外に出ることを好まず、リスクが高いので恋人もつくらない、経済的な不確実性を抱えることになるので結婚にも消極的である、といった傾向が強まっていることを指摘する声もしばしば耳にします。

一方で、「努力のかいがあったね」と褒められたグループの子どもたちでは、ふたつの課題を選択させる場面でやさしい課題を選択した子の割合が10%でした。
またそれに続く課題でも難しい問題を面白がり、家に持ち帰ってやりたがり、最後の課題では、どのグループの子たちよりも多くの問題を解いたのです。

ほめ方には注意が必要で、その子のもともとの性質ではなく、その努力や時間の使い方、工夫に着目して評価することが、挑戦することを厭(いと)わない心を育て、望ましい結果を引き出す、と研究チームは結論づけています。

『空気を読む脳 (講談社+α新書)』

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本書の前段にはこんな文章がある。
大半の子どもができないような難しい問題を、家に持ちかえってやる気があるかどうかを尋ねるという実験があった。
「頭がいいね」と褒められたグループでは、課題が楽しくないと答える子どもが多く、家で続きをやろうとする子どもの割合も少なかった。
さらに、この難しい課題での自分の成績をみんなの前で発表させたところ、「頭がいい」と褒められたグループの子どもの約40%が、本当の自分の成績より良い点数を報告したのです。
つまり、4割の子どもが自分をよく見せようとしてウソをついていたということです。

実験者のミューラーとデュエックは、それについてこんな見解を示している。
◎「頭がいい」と褒められた子どもは、自分は頑張らなくてもよくできるはずだと思うようになり、必要な努力をしようとしなくなる。
◎「ほんとうの自分は『頭がいい』わけではないが、周囲には『頭がいい』と思わせなければならない」と思い込む。
◎「頭がいい」という評価から得られるメリットを維持するため、ウソをつくことに抵抗がなくなる。

中野氏も指摘しているが、頭がいいとかエリートだと言われて育ってきた人たちは、ある場面で平気でウソをつくことがある。
政治家や官僚、学者、あるいは経営者の世界でも、頻繁に起きている事象だ。
自分の価値を下げないため、あるいは自分を守るための行動だ。
しかし、ウソはいつかバレ、秘密は露見する。

教育は大事だ。
「頭がいい」と褒めるのではなく…
「努力や時間の使い方、工夫を褒める」
難しい問題にチャレンジし、面白がる人でありたい
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2020年07月09日

No 5679   【システムには「モチベーション」がない】

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おいちゃんのお気に入りブログ【人のこころに灯をともす】からの転載です

【システムには「モチベーション」がない】

筑波大学准教授、落合陽一氏の心に響く言葉より…



2020年は、私たちの「働き方」について大きな変革を迫られる年になりました。
年初から世界中で猛威をふるった新型コロナウィルスの感染拡大により、多くの企業でリモートワークが実施されました。
そんな中でテレプレゼンステクノロジーの進化により、「どこにいても仕事ができる」ことを実感した方も多いと思います。
新型コロナによる影響は、このような観点から見ると、ヒトとヒトとの「非接触型インターフェース」の浸透を社会に促したといえるでしょう。

また、リモートワークによって使える人的・時間的リソースが限られる中で、「やるべき仕事」が自ずと抽出されてきた面もあります。
無駄な会議、出なくてもいいミーティングは排除され、ビジネスチャットやビデオ会議で課題を共有するなど、テクノロジーで解決できることはそれに任せることが増えてきました。
ジョブディスクリプション(職務内容を詳しく記述した文書)を明確にする必要性を痛感した人も多いのではないでしょうか。
また人材についても同様で、リモートワークのみで済む人材への代替えも検討されてきています。

「人間がやるべきことは何か」…コンピュータやインターネット、AIが進化した今、私たちはこの命題に直面しています。
人の物理接触がデジタルに置き換えられるポストコロナもしくはウィズコロナの世界では、それがいっそう問われることになります。

いまの大学生の親世代が子どもだったときの日本は、真面目に努力していればそれなりに幸福になれる社会でした。
いい学校を出ていい会社に入れば定年まで安定した生活が約束され、定年後も十分な年金をもらうことができたのが、戦後の日本です。
むしろ、その世代の均一性がいまの乗り遅れた日本を作ったとも言えるのです。

なぜなら、コンピュータとインターネットがその社会を大きく変えたからです。
そのとき、インターネットという価値観を理解するのに時間がかかった。
それは大企業のホワイトカラーになれば何となく幸せな人生を送れるような世界ではありません。
そういう世界で幸福感を得るにはどんな生き方をすればよいのか。
それはいまの社会で共有することが難しくなっている。

システムには「モチベーション」がありません。
そこが人間との大きな違いです。
だから、モチベーションのない人間は発達したコンピュータにいつか飲み込まれてしまう。
逆に、「これがやりたい」というモチベーションのある人間は、コンピュータが手助けしてくれます。

「これが好きだ」「この問題を解決したい」という強烈な好奇心が、その人の専門性の源泉になります。
そういうモチベーションがないかぎり、掘り下げるべき専門性は身につきません。

『働き方5.0〜これからの世界をつくる仲間たちへ〜(小学館新書)』

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落合氏は「素人のように考え、玄人として実行する」という言葉を紹介している。
『いちばん留意しないといけないのは、素人の心を失わないままに玄人になることです。
それを考えながらキャリアを進めていく必要があると思います。
本気で長く続けること、好奇心とテンションを高めに設定し続けること、要領よく子どもであること。
素人思考を保つためになるべくまっさらな気持ちでモノに向き合えると良いと、思っています。』

このコロナ禍で脚光をあびたウーバーイーツだが、落合氏は「機械に仕事を奪われるどころか、すでに人間がシステムに組み込まれた状態になっている」と指摘する。
『ほとんどの仕事はサーバー上で自動的になされて、品物を届けるところだけ人間が請け負う。
見方によっては機械が人間を道具として使っていると考えることもできます。』

『その一方で、機械では代替えされにくく、付加価値の高い能力を持つ人材もますます強く求められるようになっています。
そういう人材を「クリエイティブ・クラス」と呼びました。
これはもともと米国の社会学者リチャード・フロリダの造語で、創造的な専門性を持つ知的労働者のことです。』

『「天才」は何かひとつのことに対してスペシャルな才能を持っています。
「なんでもこなせる天才」はほとんどいません。
「秀才」は「処理能力の高いホワイトカラー」です。大企業が大量に必要とする人材でした。
なんでもこなせるジェネラリストです。
しかし、今求められているのは「変態性」です。
レンジをある程度広くとった「変態性」が重要です。
たとえば「天才建築家」の職種は建築士に限定されますが、「建物好きの変態」は建築士になれるだけでなく、建築に使う素材や重機などの開発者になれるかもしれませんし、インテリア・コーディネーターや都市計画の専門家になれるかもしれません。
才能という言葉だけでは表しきれない猛烈な執念のようなものが「変態」からはただよってくるのです。』

コンピュータやAIには、「やる気」とか「〇〇をしたい」とか「意欲」等はない。
逆に、それがあったら恐ろしい。
シンギュラリティ(機械が人間の知能を超える)が到来するということだからだ。

つまり、やる気や意欲のない人間(生徒や社員)は、これからは機械に使われる人生を歩むことになるということだ。
コンピュータやAIに指示されて動く人生だ。

だからこそ、これまで以上に、自分の「生き方」や「方向性」が大切になってくる。
自分を、どれだけ高めることができるか、バージョンアップできるかが問われる。

いくつになっても、自分を磨き、高めることができる人でありたい
posted by Dr.モーリィー at 07:07| ちょっと気になる善い言葉 | 更新情報をチェックする

2020年07月08日

No 5678   【人間は「理由」を知りたがる】

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おいちゃんのお気に入りブログ【人のこころに灯をともす】からの転載です

【人間は「理由」を知りたがる】

ロルフ・ドベリ―氏の心に響く言葉より…



行動に「理由を添える」だけで、その行動は周りからの理解と譲歩を得やすくなる。
驚くべきことに、その理由が意味をなしているかどうかは重要ではない。
「〇〇なので」というだけで、その行動が正当化されるのだ。

「ご迷惑をおかけします。道路工事をしています」という看板は何も伝えていない。
高速道路で行われている工事といえば道路工事以外にはないのだから、窓の外を見れば何が起きているかはすぐわかる。
それでも、理由が書かれているだけで、私たちの気持ちは落ち着く。
逆に理由がないだけで、いらいらさせられる。

ある日、フランクフルト空港で一向に搭乗手続きが始まらなかった。
すると、こういうアナウンスが入った。
「ルフトハンザ航空1234便は約3時間の遅れとなる見込みです」
私はゲートまでつかつかと行き、航空会社の女性に理由を尋ねた。
しかし返答はなし。

私はひどく気分を害した。
乗客を待たせるだけでなく、理由すら知らせないとは何ごとか!
同じ飛行機の遅延でも、別のときはこんなアナウンスが入った。
「ルフトハンザ航空5678便は、運行上の理由により、約3時間遅れる見込みです」
曖昧(あいまい)きわまりない理由だが、私やほかの乗客を落ち着かせるには十分だった。

人間は「理由」を知りたがる。
たとえ根拠のない理由であっても、私たちには理由が必要なのである。
人の上に立つ人間は、そのことをきちんと理解している。
「理由」を告げなければ、社員のモチベーションは低下する。

あなたが経営する靴メーカーの存在意義は靴をつくることにある、と言うだけではだめなのだ(靴メーカーはまさにそのために存在しているのだが)。
たとえば、こうした経営理念を掲げなくてはならない。
「当社の靴で市場に革命を起こす」(よくあるのは、こんな感じだろうか)、あるいは「女性の足もとを飾ることで、世界を飾る」などというのもいいかもしれない。

株式市場が0.5パーセント上昇しようが、評論家は決して真実を書かない…実際には市場の動きなど無関心でかまわないのだが。
株式市場の変動は、株価が値動きを繰り返した結果、偶然に生じたものにすぎない。
それでも、読者には理由が必要なので、評論家はその理由を提供する。
そこで何を語るかはまったく重要ではないのである(理由としてよく使われるのは、「中央銀行総裁の発言」だ)。

あなたが納期を守れなかった理由を訊かれたときには、こう答えるのが一番だ。
「あいにく、まだそこまで手がまわらなかったもので」
まるで理由になっていないが、多くの場合それで受け入れてもらえるだろう。

あるとき私は、妻が洗濯するときに、黒っぽい色の服と青っぽい色の服を入念に分けているのを見た。
私に言わせれば意味のない行為で、少なくとも学生時代から現在にいたるまで、いっしょに洗って困ったことは一度もない。
「どうして青いものと黒いものを分けるんだ?」と私は尋ねた。
「分けて洗うほうが好きなのよ」私にはその答えで十分だった。

結論。
理由は必要である。
「〇〇なので」というちょっとした言葉は、人間同士の潤滑剤の役割を果たす。
こまめに洗おう。

『Think Smart 間違った思い込みを避けて、賢く生き抜くための思考法』サンマーク出版

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優れたリーダーは、何かを部下に頼むとき、必ず理由をいう。
「なぜその仕事をやる必要があるのか」「なぜその仕事を急いでいるのか」「なぜその仕事が重要なのか」という理由やその仕事の背景を伝える。
「このプロジェクトに社運をかけている。我が社が大きく黒字化するための大きなチャンスなんだ。」
と、具体的な数字をあげ、これが達成出来たら、こうなるというビジョンを明示する。

お店に貼ってあるポスターにしても同じだ。
たとえば飲食店で「お水はセルフサービスでどうぞ」と書くより、「名水で有名な〇〇山の湧き水が、キンキンに冷えてます」と書いたほうが、「これは特別な水なんだ、この店は気がきくな」、と思うかもしれない。
セルフサービスという言い方はあくまで店の都合で、お客様が欲する「理由」ではない。
また、「本日は臨時休業させていただきます」というより「社員スタッフ研修のため、本日は休業とさせていただきます」と言う方がお客様の納得性は高いし、しっかりした会社だと思ってもらいやすい。

誰かに何かを頼むときは、どんな小さなことでも、そこに理由を添えたほうがいい。
その理由に納得性があればあるほど、その人はやる気になる。

誰かに何かを頼むとき…
しっかりした理由を明示できる人でありたい
posted by Dr.モーリィー at 06:38| ちょっと気になる善い言葉 | 更新情報をチェックする