No 4943   【人は皆、自分について話すのが大好き】

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おいちゃんのお気に入りブログ【人のこころに灯をともす】からの転載です

【人は皆、自分について話すのが大好き】

マーク・レクラウ氏の心に響く言葉より…



人間関係の技術を身につけたいなら、まず人間とはどういうものかを理解しなければなりません。
素直に言って、人びとはとりわけ自分に関心があります。
あなたがどんな人であろうと、人びとは常にあなたより自分に大きな関心を抱いています。
あなた自身、他人より自分に大きな関心を抱いているはずです。
たとえば、自分が写っている集合写真で真っ先に探すのは誰ですか?
おそらく自分自身のはずです。
しかし、それはけっしておかしなことではありません。
人間とはそういうものなのです。

どんな人でも興味をそそられる会話の最大のテーマを知っていますか?
それは「自分自身」です。
といっても、皮肉ではありません。
これはまぎれもない真実です。
あなたが相手を会話のテーマに選べば、相手は喜んで話をしてくれるはずです。
なぜなら、相手はそのテーマに大きな関心を示すからです。

パーティに行って誰かと話したとき、その人が延々と自分について話すのを聞かされて、うんざりしたことはありませんか?
その一方で、誰かがあなたについて適切な質問をし、話をじっくり聞いてくれたとき、どう感じましたか?
あなたはどちらのタイプの人が好きですか?
相手と話すときは、会話の中心を自分ではなく相手にするように配慮すると心をとらえることができます。

たとえば、こんな質問が効果的です。
「どんなお仕事をしていらっしゃるのですか?」
「趣味は何ですか?」
「好きな〇〇は何ですか?」
「最近、調子はいかがですか?」
「何かしてみたいことはありますか?」

誠実な気持ちで相手に関心を示し、相手が自分自身について話すように会話を誘導しましょう。
人は皆、自分について話すのが大好きだという事実をよく覚えておいてください。

『心をとらえる60の法則』ディスカヴァー

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「我々は耳は二つ持っているのに、口は一つしか持たないのは、より多くのことを聞いて、話す方はより少なくするためなのだ」(ゼノン・古代ギリシャの哲学者)
古来より、自分が話を“一”するなら、相手の話を“二”聞ききなさい、と言われる。
しかしながら、人は自分のことを話したくてたまらない存在だ。
放っておくと、いつまででも話してしまう。

沈黙には忍耐が必要だ。
しゃべりたくてウズウズしてしまう自分をコントロールしなければならないからだ。
自分はうなずきや相槌(あいづち)に徹し、相手にしゃべってもらうことができる人には限りない魅力がある。
人は皆、自分について話すのが大好きだという事実をよく覚えておきたい
posted by Dr.モーリィー at 06:57| ちょっと気になる善い言葉 | 更新情報をチェックする

2019年01月04日

No 4942   【三楽とは】

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【三楽とは】

致知出版社、藤尾秀昭氏の心に響く言葉より…



『養生訓』というと、健康法を説いた本のように思いますが、貝原益軒(かいばらえきけん)が説いているのは、人生をいかに楽しんでいきるかということです。
「人間の命は私物ではなく天地のものだから、つつしんで、よく養ひて、そこなひやぶらず、天年を長くたもつべし」
というのが、益軒の根本的な考えです。

これが益軒が生涯追求してきたテーマであり、『養生訓』はその集大成の著書といえます。
それ故、その『養生訓』は本質をついています。
例えば、養生の術についてこういいます。

「養生の術は安閑無事なるを専(もっぱら)とせず。
心を静にし、身をうごかすをよしとす。
身を安閑にするは、かえって元気とどこほり、ふさがりて病を生ず。
これをもって、四民(あらゆる職業の人)ともによくつとむべし。
安逸(あんいつ)なるべからず。
これ即ち養生の術なり」

また、日常生活の中で、面倒くさがってはいけない、とも教えています。
「煩(はん)を厭(いと)うはこれ人の大病なり。
これ人事の廃(すた)れ弛(ゆる)み、功業の成らざる所以(ゆえん)なり」(慎思禄)

面倒くさがらず、勤勉に努めないと事業は成功しない、ということです。
現代に生きる私たちも自戒しなければならない言葉です。

最後に、益軒の説いている三楽(人の楽しむべき事三つあり)を紹介します。
「一には道を行ひ、ひが事なくして、善を楽しむにあり。
二には身に病なくして、快く楽しむにあり。
三には命ながくして、久しく楽しむにあり。
この三楽なくんば、いかなる大富貴をきはむとも益なかるべし」

この稿を書きながら、ゲーテの「処世のおきて」を思い出しました。
「気持ちよい生活を送ろうと思うなら」
といって、ゲーテは次のように説いています。

「済んだことをくよくよせぬこと。
滅多なことに腹立てぬこと。
いつも現在を楽しむこと。
とりわけ人を憎まぬこと。
未来を神にまかせること」

達人の言は古今に不変のようです。

『生きる力になる言葉』致知出版社

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貝原益軒の三楽とは、
一つは、人としての正しい生き方を心がけ、誤りや間違いない生活をおくらなければ、うしろめたくなく、「善を楽しむ」ことはできない。
二つは、健康でなければ、仕事も趣味も、何事も楽しむことはできない。
三つは、長生きしなれば、長く楽しむことはできない。

悪いことをしてビクビクしていては正々堂々と生きることはできない、つまり善を心から楽しめない。
そして、全ての基本は、健康であることと、長生きすることだ。

芥川龍之介は、「人生を幸福にするためには、日常の瑣事(さじ)を愛さなければならない」と言った。
「めんどくさい」という言葉は、事業においても、人生においても禁句だ。
瑣事を愛し、瑣事を楽しむ境地に達することができれば、半ば成功したようなものだ。

三楽を究めたい
posted by Dr.モーリィー at 05:56| ちょっと気になる善い言葉 | 更新情報をチェックする

2019年01月03日

No 4940   【「そもそも掘り」をする】

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【「そもそも掘り」をする】

本田晃一氏の心に響く言葉より…



人から魅力的に思ってもらえる自己アピール、自己紹介の方法は覚えておいて絶対に損はないと思います。
その鉄板のスキルはたったひとつしかありません。
それは「そもそも堀り」です。

そもそも自分はなぜこれをしてきたのだろう。
これにこだわっているんだろう、という「そもそも掘り」をしていくわけです。
「そもそもどうして?」「そうなったのはそもそもなぜ?」「それはどうして?」と「そもそも掘り」をしていくと、「おおっ!」というダイヤモンドの原石が出てきます。
その輝きが人をひきつけるのです。

僕が「そもそも掘り」に気がついたのは、父の会社のホームページを作ったとき。
「そもそもなんでゴルフ会社をやったの?」
と父に聞くと、最初は「もうかるからだよ」みたいなことを言っていました。
「でもほかにもうかる仕事はあったでしょ?それなのになぜ、ゴルフを選んだの?」
そうやって、父がこの会社を作った「そもそも」を掘っていったんです。
そしたらこんなことを言い出しました。

「だってさ、20歳ぐらいのときにゴルフを始めたんだけど、ゴルフやる前って、遠足のときのようにワクワクして眠れないんだよ。それぐらいゴルフって楽しくってさ。そういうのを伝えられる会社だったら、なんかいいんじゃないの、と思ってさ」
あれ、意外といいこと言うな、と僕は思いました。
それで父の会社のホームページに「そもそも」の動機を書いてみたんです。

「明日ゴルフだ!と思うと、遠足のときのようにワクワクして眠れないことはありませんか?」みたいなことを。
そしたらいきなり売上げが3倍になりました。
もちろんほかにもやりましたけれど、ホームページに「そもそも」を書いたことが、売上げに大きく貢献したのは間違いありません。
ゴルフの会員権を扱う会社はいろいろありますが、どうせ買うなら、「そもそも」の原点に共感できるところから買いたいじゃないですか?
父と「そもそも」のハートでつながった人たちが、買ってくれたんだと思います。

そのときから僕の座右の銘は「ハートが開くと、財布も開く」になったんです。
「そもそも」の深いところでハートがつながると、財布が開きます。

僕は最初、このやり方を商売のために使っていました。
お金もうけのことしか考えていなかったので、ほかの会社のコンサルタントをするときも、「こうやれば、もうかりまっせ」みたいなことで教えていたんです。
ところがある社長が、このスキルを婚活に使ったんですね。
会社の魅力アピールに使うんじゃなくて、自分の魅力のアピールに使ってみた。

「そもそも僕はこういう両親に育てられて、こういうものが本当に大事だと思っていて、こんな夢を持っています。それをわかってくれる人と結婚したいなと思います」
そしたらモデルのようなきれいな奥さんがゲットできて、その人をつれて、僕の前にさっそうとあらわれたんです。
「うお、奥さん、モデルさん?」と聞いたら、「うん」と言うので、当時彼女がいなかった僕は心の中で「マジ、ふざけんなよ〜」と思いました。

こうやって「そもそも掘り」していくと、必ず美しいものが根底にあります。
「目的はお金もうけだ」と豪語している人でも、「そもそも」を掘っていくと、そのお金で家族を安心させたいとか、親にラクをさせたいとか、美しい愛の原点にだどりつくんです。
「もしかしてこれって愛かも?」というところまで掘っていって、原点をパカーンとオープンにすると、そこに共感して素敵なものがいっぱいやってきます。
お金だけじゃなくて、理想のパートナーにめぐりあえたり、いろんなチャンスや幸運がやって来るんです。

「そもそも」から広がっていく世界観を語ることができたら、立派なビジョン、つまり夢になります。
「その『そもそも』が広がっていったら、どうなると思う?」というのを掘り下げていってください。
美しい原点から出発していますから、必ず世の中にいい影響を与えられるビジョンになります。

アップルのスティーブ・ジョブズはプレゼンテーションが上手だったことが有名ですが、彼の話の特徴は世界観を雄弁に語る点にありました。
新しいiPhoneが出るときもiPhoneのスペックは語りません。
「これがあるとどんな新しい生活ができるのか」という世界観を語るんですね。
すると、聞いている人はまださわったこともないiPhoneを持って生活している自分の姿がありありと浮かんできます。

ちなみに、先ほど話した友人ですが、結婚したあとのビジョンをありありと書いたそうで、奥さんもそれを読んだら「この人だ!」とピンと来たそうです。
こんなふうに「そもそも」を掘って、それを広げ、世界がどう変わっていくのかをビジョン、つまり夢が示せれば、あなたの魅力が最大限相手に伝わりますし、夢にも一歩近づけるでしょう。

『はしゃぎながら夢をかなえる世界一簡単な法』SBクリエイティブ

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梯谷幸司氏は「そもそも」についてこう語る
『ビジネスがうまくいかない、病気が治らない、という方が相談に来られると、私はこういう質問します。
「そもそもあなたは何のために命を使いたいのですか?」 ほとんどの人の反応は、「・・・・」。
そこで質問の方向性を変えて、「どうして売上げを伸ばしたいのですか?」と聞くと、「売上げが伸びないと社員を養っていけないから」。
「何のために病気を治したいのですか?」と聞くと、「とにかく死にたくないから」「痛いのが嫌だから」。
これらはごく表面的な答えでしかありません。
「健康になって、その次の目標がないんですか?」「・・・・」。
「売上げを伸ばして、そのあとの目標がないんですか?」「・・・・」。
これでは残念ながら病気は治りません。
売上げも伸びません。
そもそも自分を社会のルールに当てはめて生きている人が多いので、本当の自分が何を望んでいるのかがわからない。
それがビジネスも健康もうまくいかない現象となるのです。
本当の生きる目的を見出し、そのための行動をとり始めると、結果は驚くほど変わります。』(偽りの自分"からの脱出・幻冬舎)より

仕事においても、病気においても、「そもそも」を深掘りし、突きつめることは大事だ。
「売上げを伸ばしたら、そのあとどうしたいのですか」という、ビジョンや使命にまで到達する必要がある。
結婚や、売上アップや、病気を治すことがゴールではない。
その先にある、自分の命を燃焼させる何かを見つけなければならない。

「そもそも」を深く堀って極めたい
posted by Dr.モーリィー at 08:37| ちょっと気になる善い言葉 | 更新情報をチェックする

2019年01月02日

No 4939   【心が何も感じない人生はつまらない】

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【心が何も感じない人生はつまらない】

斎藤一人さんの心に響く言葉より…


ずいぶん前のことなんだけど、うちのみっちゃん(銀座まるかんグループの代表)に、失礼なこと言ったヤツがいたの。
それを知って、オレはむちゃくちゃに頭にきたんだよ。
オレが穏やかでいられたのは、そういう人間がオレの目の前に出てこなかっただけの話なんっだよね。
出てくれば、カッカ、カッカ、燃えるんだよね(笑)。

そうやって燃えているときの自分が、オレは大好きなんだよ(笑)。

自分より前を歩いている人が、やけに落ち着いて見えて、何ていうの?
すごい人間に見えるんだよな。
だけど、落ち着いて見えるのは、落ち着いているんじゃないんだよ。
くたびれて、動作が鈍くなってるだけなんだよ(笑)。

いつも泰然自若(たいぜんじじゃく)としている人だって、嫌なことをする人間がきたら、カッカ、カッカするよ。
それが人間なの。
それって、案外いいもんだよ。
ここで怒らないで、いつ怒るんだ、っていうぐらいにね(笑)。

変な話ね、逆上して、相手をあやめそうになるところを、たとえば、茶碗を投げるだけで、済ますことができりゃあ、それでもう、御の字なの。
いつも泰然自若としていることを自分自身に求めるけどね、心というのは、いつも同じではいられないの。
たとえば、自分の家が火事になってしまったら、落ち着いてなんかいられないんじゃない?
自分の女房が浮気して、心に思うことが何もないなんて、立派すぎるよな。

波のたたない心を目指していたら、無感情人間になっちゃうよ。
心が何も感じない人生で、いいのかね。
オレだったら、つまんなくてしょうがないな。

人ってね、恋をすりゃあ、楽しいの。
フラれりゃあ、悲しい。
それが自然なんだよ。

フラれて悲しいからって、ほとんどの人は、ストーカーになったりしないじゃない?
悲しくて相手の住んでる町まで行って、恋しい人の姿を探すことはあっても、相手の自宅まで押しかけるのは「やめておこう」って踏みとどまるじゃない?
踏みとどまっただけで、もう上等なの。
自分に「上等、上等」って言ってあげることだよね。
そうやって、「自分にやさしくする」って、すごく大切なことなんだよ。

完璧主義者って、完ぺきを望むけど、ムチャなんだよ。
誰だって自分がモテればうれしいし、けなされれば腹が立つの。
自分のことをけなした、その相手を殴ったり、殺しちゃう人もいるのに、自分はそれをしなかったんだよな。
殴ったり、犯罪をおかさなきゃいいんだよ、正解なの。

嫁と姑の問題もそうだよ。
嫁と姑が、顔を合わせると口ゲンカをしちゃうんです、って。
殴り合いのけんかをしないとか、殺しあわなきゃ、「仲がいい」ってことにするの。
「柔軟な心」とは、そいうことをいうんだよ。
「仲が悪い」というのは、殴り合いをしてたり、殺し合いをしてる、ってことなの。
悪口を言い合うなんていいうのは、「仲がいい」の。

自分にも、相手にも、要求水準を下げておくの。
嫁と姑が、元気に悪口言い合っているのは「仲がいいんだ」って。
そういう目でみいるとね、面白いんだよ。
なぜか、必ず仲良くなっちゃうんだよ。

『斎藤一人 極楽人生 あなたの人生が急に面白くなっちゃう(信長出版)』(道井さゆり)

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陽明学を樹立した王陽明〈中国明代の思想家〉はこう語った。
「天下のこと万変といえども、吾がこれに応ずるゆえんは、喜怒哀楽の四者を出でず」

『人生は千変万化、いろいろさまざまであるが、自分がこれらの問題をテキパキと処理できる理由は 「人生のいかなる変化も、つきつめれば、喜怒哀楽の四つを出ないこと」を知っているからだ。
よく考えてみれば、いかに喜び、いかに怒り、いかに哀しみ、いかに楽しむか、ということが人生のすべてである。
世の中には、道徳というと「一切、喜怒哀楽を表面に出さない、感情などには動かされないことだ」 などと頑(かたく)なに信じ込んでいる向きがあるが、これはとんでもない誤解である。
人生とは、いかに喜び、いかに怒り、いかに哀しみ、いかに楽しむかということ… つまり「いかに生きるか」ということに「正しい自律」をたてること、「原理原則」をもつことである』「人間学」(伊藤肇)より

また、論語には、「憤(いきどお)りを発して食を忘れ、楽しんでは以て憂(うれ)いを忘れ、 老いの将(まさ)に至らんとするを知らざるのみ」という言葉がある。
楚(そ)の国の葉公が、「孔子という人は、いったいどういう人物か」と弟子の子路に訪ねたが、 子路は答えられなかった。
それを聞いて孔子は、子路に、どうしてこう言ってくれなかったのか、と言った。
「孔子とは、憤ったり感激すると、食べるのを忘れるほど熱い人であり、 道を究め、楽しんでいるときは、憂いを忘れ、年をとるのも忘れている人だ」、と。

ブッダにしても、孔子にしても、聖人は聖人然としているから聖人ではない。
熱く燃えたぎるような情熱を持ち、喜怒哀楽の激しい人だ。
つまり、魅力ある人とは、喜怒哀楽の振幅の大きい人。

心が何も感じない人生はつまらない
魅力ある生き方を目指したい


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【元旦によせて(平成31年)】

小林正観さんの心に響く言葉より…



昭和20年8月30日、ダグラス・マッカーサー元帥が日本に降り立ちました。
終戦後、GHQの最高司令官として日本の占領政策を進めるために来たのです。
約1ヵ月後の9月27日に昭和天皇が会いにくるということになった。

マッカーサーは、どうせ命乞いに来るのだろうと思って、自分の部屋でコーンパイプをくゆらせて足を組んで待っていた。
迎えには出なかったそうです。

昭和天皇は燕尾服(えんびふく)を着てやってきて、「マッカーサー元帥、お願いがあります。ここに皇室の財産目録があります。私の命とこの財産目録を差し出しますから、日本国民のためにアメリカから食料を送っていただきたい」と言ったそうです。
マッカーサーは驚いた。
今までいろんな人に会ってきたけれど、命乞いするとか亡命をするという人ばかりであって、自分の命を差し出すというトップの人には一人も会ったことがなかった、それで大変驚いたのだそうで、話をしているうちに、この人はポーズで言っているのではなくて、本当に心からそういうふうに言っているのだと思ったそうです。
命も本当に差し出し、財産目録も本当に差し出している。
その財産目録を見たら、細かいものまで全部載っている。

昭和天皇が本当に誠心誠意対応したということがわかり、マッカーサーは本国に連絡して、子供用の食べ物、特にチョコレートやチューインガムを大量に送らせました。
そして、届いた食べものを米兵を使ってどんどん配り始めた。
あのチョコレートとチューインガムを配っていたのは米兵の厚意であるけれど、実はその根っこには昭和天皇の一言があったのです。
マッカーサーが要請して、食べ物が来たのですが、その根底は、日本国民に食べ物を与えてほしい、もっと多くのものを取り寄せてほしいと言った昭和天皇の言葉だったということなのです。
マッカーサーは、その人格に打たれて、昭和天皇が帰るときには玄関まで見送ったそうです。
そして、昭和天皇の車が出て行くときに、敬礼をしたという話が残っています。

別に私は昭和天皇や天皇家を礼賛しているつもりはありません。
ただ、人間の意識として、自分の命を助けてくれ、なんとかしてくれというのとは違うところに意識を持っていく人がいるということ。
人間には、そんなことが可能だということです。

1月1日、天皇陛下は東西南北四方に向かい、正座をして、お祈りするそうです。
「今年この国に災いがあるとしたら、まず私の体を通してからにしてください」。
これを四方拝(しほうはい)といいます。
天皇家といものは、それを毎年繰り返しながら、100代以上にわたって生きてきた家系だそうです。

天皇家というのは、そういうことを言い続けてきた家系である。

そして災いを一身に浴びて、背負いきれなくって亡くなると、それを皇太子殿下が受け継いで、また災いを一身に浴びて死んでいくという、そういう家系だったということです。
聞いた話では、天皇陛下と皇太子殿下がヒソヒソと話をしている場面というのが結構あるそうですが、侍従長さえも、なんの話をしているのかはわからないそうです。
天皇から皇太子にだけ教えていることがある。
四方拝もどうもそうらしく、わが身に全部降らせてくださいというのは、ほかの人には一切知らせず皇太子だけに教えていくらしいのです。
それが漏れ伝わってきたのはありがたいことで、それを活字にして書いてしまっていいのかなというところはあるのですが、人間の魂がここまで崇高なところに行くことができる実例として、どうしても紹介したくなりましたので、書くことにしました。

『なぜ、神さまを信じる人は幸せなのか?』イースト・プレス

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1月1日の早朝、宮中や各地の神社で早朝から「歳旦祭(さいたんさい)」という祭祀(さいし)がおこなわれる。
歳旦とは、1月1日の朝のことをいうが、新玉(あらたま)の年の初めを寿(ことほ)ぎ、五穀豊穣(ごこくほうじょう)や、国家の隆盛と国民の平安をお祈りするお祭りだ。
天皇陛下は四方拝をすませたあと、朝の5時半から歳旦祭を行う。

明治天皇がつくられた新年にふさわしい和歌がある。

『あしはらの国のさかえを祈るかな 神代ながらの年をむかへて』
葦原(あしはら)の中つ国とは、日本の古称。
神代のまま変わることのない新年を迎えて、日本の永遠の栄えを神に祈る。

『さしのぼる朝日の如くさわやかに もたまほしきは心なりけり』
昇ってくる朝日のように、さわやかな気分を持ちたいものである。

あたかも、本日は平成最後の元旦。
今年一年、ご縁のある皆様の弥栄(いやさか)を祈念し、新年のご挨拶とさせていただきます
posted by Dr.モーリィー at 18:00| ちょっと気になる善い言葉 | 更新情報をチェックする

No 4938   新年あけましておめでとうございます!

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開運招福  如意吉祥 

 新しい年を迎え皆様のご健康とご多幸を
   心よりお祈り申し上げます          

 旧年中は格別のご厚情を賜り厚く御礼申し上げます。
当法人は歯科医療を中心に地域社会の発展に貢献致します。
本年もご指導ご協力よろしくお願い申し上げます。
 こころ穏やかに こころ豊かに!   平成31年 元旦


医療法人 慈尊幸徳会 (HP:毛利歯科・鹿児島で検索)

 毛利歯科クリニック  本院   (4月で25周年)
  890-0064 鹿児島市鴨池新町6-6 2F (099)256-1885

 毛利歯科クリニック 七福別院  (6月で2周年)
  890-0064 鴨池新町14-1七福神ビル2F(099)230-0729

 企業主導型保育所   七福保育所 (3月で1周年)
  890-0064 鹿児島市鴨池新町6-2-1 (099) 813-8729


      理事長・七福別院院長 毛利 英樹

理事・本院院長 辻 亮    本院副院長 福留 隆史

七福別院副院長 町頭 三保(歯周病専門医)

本院副院長  池田 真由美 (矯正専門医)庄村 兼治

 歯科医師  瀬名真理子    歯科医師  辻 佳織
posted by Dr.モーリィー at 17:47| クリニック情報 | 更新情報をチェックする

2018年12月31日

No 4937   本年もありがとうございました

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今年も一年間 公私ともども
目標を決め 一所懸命 走ってきました

善いことも 悪いことも
うまくいくこともいかないことも
たくさん経験しましたが

すべてが 今後の糧になることでしょう

万象肯定  万象感謝

陰徳陽報

如意吉祥  開運招福  心身健勝

こころ穏やかに  こころ豊かに

皆様も 善い年をお迎えください

追伸)今から 行衣に着替えて 平川最福寺に行き
   深夜零時からの 元旦初護摩に 参座致します

   世のため 人のために 祈ってまいります!

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No  4936   【二脚の小さな椅子】

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【二脚の小さな椅子】

弁護士、湯川久子氏の心に響く言葉より…



子どもが小さいときは、かわいいものです。
その子がいるというだけで幸せな気持ちになります。
思い出も楽しいものばかりです。

しかし、その子が大きくなったとき、必ずしも親の期待どおりになるとはかぎりません。
不登校の娘、家庭内暴力の息子、十代で妊娠出産した娘、高校、大学、結婚と順調だった娘の離婚、就職に失敗してノイローゼになった息子など、彼らの親の苦労はどれほど深く大きいものか。
「息子は中学までクラスで一、二番でした。やさしい子でしたが、高校受験に失敗してから性格が変わってしまい、悪い仲間と遊ぶようになりました。主人が一度きつく叱りましたら、家出してそれっきり帰ってきません。友だちの話では、暴力団に入っているらしいのです」
「娘は完璧に育てたつもりです。なのに離婚だなんて。私の子育てがどこかで間違っていたのですね」
「こんなことになるのなら、いっそ子どもなんていないほうがよかった。子どものない人がうらやましいです」
それぞれに悩む親の苦悩を聞いていると、子どもへの深い愛情に比例して、後悔や自責の念が伝わってきます。

私はといいますと、司法試験に挑戦していた二十代後半から三十代はとても忙しい日々でした。
周囲の人たちの手助けもあって、なんとかやってきましたが、百点満点の親だったかというともちろんそうではありません。
もっと、かまってやればよかった、という悔いはたくさんあります。

でも、過去は取り返せません。
当時の若かった自分にとっては、それがせいいっぱいの育児だったと思うのです。
こどもたちはすでに大きくなっていた、ある日のこと。
押入れを整理していたら、子どもらが小さいころに使っていた椅子が出てきました。
ピンクとブルーの二脚の木製の椅子は、色あせて、金具も錆(さ)びています。
「もう使わないから、捨てちゃおうか」
「いいだろう」
夫と私は、椅子を一脚ずつ手に持って、ゴミ捨て場に持っていき、壊れた家具の上にそっと置きました。

その帰り道、私はもう後悔しはじめていました。
当時は上質だった小さな椅子に、チョコンと座って食事をしていた子どもたち。
もうすっかり大きくなりましたが、幼かったころのかわいらしい顔と、当時の思い出がその椅子には残っていました。
なくなっていたらどうしよう、と思いながら、私は暗い道を一人でゴミ捨て場に走りました。
椅子は、私を待っているかのように、二脚並んでこちらを見ていました。

まだまだ未熟で、目の前の仕事と育児に必死に向き合ってきた私。
充分にかまってやれませんでしたが、笑顔と成長を見せてくれた幼かった子どもたち。
二脚の木製の椅子は、その思い出を刻んだものでした。

子どもの小さかったころの写真や思い出の品を見ながらそのときのことを思い出すと、「あの時代をたしかに共に生きたのだ」という気持ちになり、少し心が落ち着くものです。
「子どもは成長する過程で、百粒を超える喜びと幸せを親に与えてくれるが、子どものことで傷ついた親は、百粒の涙を流す」と言います。

子どものことで苦労した親は、人として成長し、人にやさしくなります。
そう考えると、親としての自分を育ててくれるのは、自分の親でも先生でもなく、子ども自身なのです。

子が親の期待通りに育ってくれるなど、そうそうありません。
子に過度の期待をしたくなるときほど、自分は子をたしなめる資格があるのか、自問します。
子は親の背中を見て育つと言いますが、まさにそのとおりです。
子は親の「言うこと」は聞きませんが、「親がしてきたこと」はそのまま真似るものなのです。

『ほどよく距離を置きなさい』サンマーク出版

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「子供叱るな来た道だもの  年寄り笑うな行く道だもの」という言葉がある。
また、『梁塵秘抄(りょうじんひしょう)』の中にもこんな歌がある。
「遊びをせんとや生れけむ
戯(たはぶ)れせんとや生れけん
遊ぶ子供の声きけば
我が身さえこそ動がるれ」

子どもは、遊びや戯(たわむ)れをするために生まれてきたのだろうか。
遊び戯れる子どもたちの声を聞いていると、愛(いと)おしさに自分の身体も動いてしまう。

愛おしくて、可愛い子どもなのに、気が狂ったように怒ってしまった、というような経験がある親は多い。
「子ども用の小さな椅子」
子どものことで苦労した親は、人として成長し、人にやさしくなれる
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No 4935   あじ福  和菓子ケーキ 

年末 忘年会の 目玉企画

天才和菓子職人 ATARUによる 和菓子ケーキ 作品コレクション

2018

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2018年12月30日

No 4934   【この世へ何をしにきたのか】

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おいちゃんのお気に入りブログ【人のこころに灯をともす】からの転載です

【この世へ何をしにきたのか】

稲盛和夫氏の心に響く言葉より…



私たち人間が生きている意味、人生の目的はどこにあるのでしょうか。
その根源的な問いかけに、私は真正面から、それは「心を高める」こと、「魂を磨く」ことにあると答えたいと思います。

欲に迷い、惑うのが、人間という生き物の性(さが)です。
放っておけば、私たちは際限なく財産や地位、名誉を欲しがり、快楽に溺れかねない存在です。
生きている限り、衣食が足りていなくてはなりませんし、不自由なく暮らしていけるだけのお金も必要です。
立身出世を望むことも生きるエネルギーとなるだけに、一概(いちがい)に否定すべきものでもないでしょう。

しかし、そういうものはいくらたくさん溜(た)め込んだとしても、どれ一つとしてあの世へ持ち越すことはできません。
この世のことは、この世限りでいったん清算しなくてはならないのです。
そのような中で、たった一つだけ滅びないものがあるとすれば、それは、「魂」というものなのではないでしょうか。

死を迎えるときには、現世でつくりあげた地位も名誉も財産もすべて脱ぎ捨て、「魂」だけ携えて、新しい旅立ちをしなくてはなりません。
だから、「この世へ何をしにきたのか」と問われたら、私は、「生まれたときより、少しでもましな人間になる、すなわち、わずかなりとも美しく崇高な魂を持って死んでいくためだ」と答えます。

様々な苦楽を味わい、幸不幸の波に洗われながら、息絶えるその日まで、倦(う)まず弛(たゆ)まず一所懸命に生きていく。
その日々を磨砂(みがきずな)として、人間性を高め、精神を修養し、この世にやってきたときよりも少しでも高い次元の魂を持ってこの世を去っていく。
私はこのことよりほかに、人間が生きる目的はないと思うのです。

昨日よりましな今日、今日よりよき明日であろうと、日々誠実に努め続ける。
その倦まぬ営みにこそ私たちが生きる目的や価値が、たしかに存在しているのではないでしょうか。

人生における労苦とは、己の人間性を鍛えるための絶好のチャンスなのです。
試練を、そのように絶好の成長の機会としてとらえられることができる人、さらには、人生とは心を高めるために与えられた期間であり、魂を磨くための修養の場であると考えられる人…そういう人こそが、限りある人生を、豊かで実り多いものとし、周囲にも素晴らしい幸福をもたらすことができるのです。

『「成功」と「失敗」の法則』致知出版社

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「ほほえみ読本」という小冊子の中に『捨てて』という詩がある。

『捨てて』
どんな大事なものでも
荷物はみんな捨ててください
自分のからだも捨てるんですよ
《三途(さんず)の川の番人のことば》

どんなにお金があろうが、何千坪もあるような豪華な家に住んでいようが、どんなにスタイルがよくて美人(美男子)であろうが、どんなに有名で役職があろうが、三途の川を渡る時は、みんな捨てていかなければならない。
この世に残していけるものがあるとするなら、それは人の心に残った思い出だけ。
それは、いい思い出も、嫌な思い出もある。

しかし、どうせ残すのなら…
どれだけ人が喜んでくれたのか。
どれだけ人の役に立ったのか。
どれだけ人に感謝されたのか。

それが、「人の心に灯をともす」ということ。

「この世へ何をしにきたのか」
少しでもましな人間になるため、日々、己の魂を磨き続けたい
posted by Dr.モーリィー at 19:05| ちょっと気になる善い言葉 | 更新情報をチェックする