2018年09月03日

No  4768   デジカメ日記?

今年も 桜島マラソンスタッフとともに エントリーしました

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そろそろ走り始めないと ははは
周りには9月から走ると宣言したので

週に2回は 走ろう! 


朝何気に 外を見たら 大型客船が 

わかりますかね

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ビル群の間に 入港直前の姿でした

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No 4767   【好意の返報性】

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おいちゃんのお気に入りブログ【人のこころに灯をともす】からの転載です

【好意の返報性】

精神科医・作家、樺沢紫苑氏の心に響く言葉より…



以前、私はある病院で認知症専門外来をやっていました。
この外来は、通称「もの忘れ外来」と呼ばれているところで「最近、もの忘れが進んできたのですが」という方が来られるほか、認知症患者の介護をしている家族も相談に訪れます。
介護に抵抗したり、興奮したりする認知症の患者さんの介護は、想像を絶するほど苦しいものです。
その介護が今後何年続くかわからないという不安もあります。

認知症のお舅さんを介護しているお嫁さんから、相談を受けました。
いくら介護をしても、悪口や嫌味、悪態ばかり。
黙って介護されていればなんとか頑張れるものの、精神的にも限界だと。

そこで私は彼女に「そんなあなたの、介護したくなりという気持ちが、お舅さんに伝わっているのではないでしょうか?」と質問しました。
彼女は無言になってしまいました。

介護でも「返報性の法則」は存在します。
イヤイヤ介護していると、それは介護される側にすべて筒抜けになります。
結果として、それが介護への抵抗、悪口や悪態、興奮や暴力など、「悪意の返報性」としてかえってくるのです。
介護する人が心から明るい気持ちで介護していると、介護される側も明るい気持ちになって、気持ちよく介護を受けてくれるのです。

そこで、彼女にアドバイスしました。
1週間だけでいいので、「お舅さんと初めて会った」と思い込んで心の中を空っぽにしてください。
そして、心を込めて、献身的に、笑顔で介護してください。

彼女は最初「そんなことはできません!」と否定的な態度を示していましたが、「1週間で、必ず相手の態度は変わります」と私が断言したのを聞いて、「それなら、なんとかやってみます」と言いました。
1ヵ月後に彼女が来院しました。
陰鬱な表情はどこにもなく、笑顔で言いました。
「おじいちゃんが変わりました!」
数年の介護の結果、悪口や悪態が日常的となり泥沼となった嫁舅関係。
それが、「好意」を持って1週間接しただけで、お舅さんの態度は柔らかになり、悪口や悪態もなくなり、最期には「ありがとう」と感謝の言葉まで口にしたのだそうです。

「好意の返報性」は、非常に普遍的な心理法則ですから、認知症になって理解力の低下した方にも、すべての人に効果があるのです。
重要なのは、最初に「悪意」を引き下げて、「好意」を差し出すのは、自分でなければいけないということです。
言うのは簡単ですが、これはとても難しい。
なぜならば、既に泥沼の関係になっているということは、「悪意」と「悪意」のキャッチボールをしている「悪意の返報性」にすっぽりとはまった状態です。
その状態で、いきなり「好意」を投げるのは、相当の勇気と思い切りが必要となります。

しかし、このように「悪意」を「好意」に変えることによって、人間関係をリセットすることは可能です。
私の経験では、このアドバイスを受けて、きちんと実行した方は、すべて成功しています。
あなたも、泥沼の人間関係を「好意の返報性」によって覆すことが可能なのです。

『「苦しい」が「楽しい」に変わる本 ~ 「つらい」を科学的になくす7つの方法~』あさ出版

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本書の中にこんな文章があった。
『映画評論家の淀川長治さんはたくさんの人に映画のおもしろさを伝えた方です。
淀川さんはよく、「私は嫌いな人に会ったことがない」とおっしゃっていました。
私が大学生の頃、この言葉を初めて聞きましたが、「そんなことはないだろう。嫌いな人もいるはず」と思いました。
しかし、私も精神科医になり、人間関係についていろいろと勉強してからは、淀川さんの気持ちが少しわかるようになってきました。
人を嫌いになっても何のメリットもないと気づいたのです。
淀川さんは、出会うすべての人、おつきあいしているすべての人に、自分から先に「好意」のボールを投げていました。
人間は「好意」のボールを投げてくれる人には、「好意」のボールを投げ返してしまいます。
あるいは、最初は「悪意」が返ってきても、「好意」のボールを投げ続ければ、そのうち必ず「好意」のボールが返ってきます。
淀川さんは、その法則を自らの体験から知っていたのでしょう。
ですからいつも笑顔で、朗(ほが)らかに人と接していらした。
常に「好意」のエネルギーを周囲に発散しているから、嫌いな人に出会うことはない、というわけです』

そして、樺沢氏は「人間」は変えられないが、「人間関係」は変えられる、という。
返報性の原理とは、「悪態をつけば、悪態をつかれる」、「優しくすれば、優しくされる」、「大事にすれば、大事にされる」ということ。
これは人間関係だけでなくすべてのことに言えることで、お金を大事にすれば、お金に大事にされるし、健康を大事にすれば、健康に恵まれるということでもある。

好意の返報性によって、人間関係をよくしたい
posted by Dr.モーリィー at 05:33| ちょっと気になる善い言葉 | 更新情報をチェックする

2018年09月02日

No 4766 博多日帰り 研修・学びの旅

今週も 博多日帰り 研修・学びの旅でした

朝は 駅ビルで モーニング

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帰りがバタバタで 何も買えなかったので 中央駅で
お気に入りの弁当を ゲット!

友人の会社 ぶるぺんと 松栄軒の お弁当

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posted by Dr.モーリィー at 22:05| ライフワーク | 更新情報をチェックする

No 4765   【気づきのアンテナを磨く】

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おいちゃんのお気に入りブログ【人のこころに灯をともす】からの転載です

【気づきのアンテナを磨く】

佐藤芳直氏の心に響く言葉より…



《敏感なアンテナは“完璧グセ”から》
自己信頼は、自らを疑い、自問自答し続ける日々のなかで蓄積されるものです。
一つひとつのことを完璧にする。
その積み重ねのなかではじめて些細な誤差に気づくアンテナができてくるのです。

それは、とても大変な努力です。
「このくらい、いいじゃないか…」「ちょっと歪(ゆが)んでいるな、でも、まぁいいか…」
この「まぁいいか…」の繰り返しは、やがて些細な誤差や歪みを発見する能力を奪っていきます。
そして、大きなミスにすら気づかない心の鈍感さへとつながっていくのです。

気づきのアンテナの喪失―それは、たとえば計算ミスや、誤字を見過ごしてしまうことと同様に、他者の心の動きに気づくこともなくしてしまうことになるのです。
さまざまな初動も遅くなり、言葉の陰の真意に気づく力も弱くなります。
受容力と感受性の二つが弱体化してしまうのです。

船井先生の受容力と感受性の卓越した姿に、いつも感嘆していました。
それをちょっとでも身につけたいと思ったものです。
その道筋は、一つひとつ小さいことであっても完璧を追求するということにあると、あとになってようやく気づきました。
これでいいのか?―自分の小さな所作、言葉、もちろん仕事の一つひとつを意識して疑い、完璧を心がける―これが本当に大切なクセづけだと改めて思うのです。

額が曲がっていたり、草花が枯れている、傘立てに使い古しの傘が無雑作に投げ込まれている、そんなオフィスの情景は、その企業のレベルを端的に表すようです。
「大きなことはなかなかできないな。でも、小さなことは完璧にやろう!」
舩井先生に、こう言葉をかけられたことがあります。

小さな誤差に気づく。
そして、対応策を発見し行動する。
そのなかで新たな気づきのアンテナをつくっていく。
清掃、整理整頓を徹底するのも、見える眼を養うためです。

「漫然と見てたらダメだよ」
その言葉の真の意味、深さが、いまようやく理解できます。
「見えているが、観えていない」
若者に、繰り返し言葉をかけている自分がいます。
それは、もちろん私自身への戒めでもあります。
相応の年になって、感受性と受容力が衰退してしまうのは、とてもみっともないことだと思うのです。

人財になるとは、“素敵”になることだと思います。
成長する新入社員に、不可欠な資質があります。
それは、けっして難しいものではありません。

1. 笑顔
2. 元気(挨拶)
3. 思いやり
4. 責任感

この4つの資質が、人財の基本です。
仕事ができなくても、笑顔はつくれます。
誰よりも元気よく振る舞うこともできるでしょう。
笑顔の若者、元気いっぱいの若者を見て、不快になる人はいないはずです。

思いやりとは、相手の立場に立ち、相手の心に寄り添うことです。
そのためには、相手を全面肯定し、言葉をしっかり受け止める器が必要です。

そして責任感とは、まさに“完璧グセ”のことです。
任せられた小さな仕事でも、自らを疑い、小さな誤差を見逃さない姿勢そのものです。
気づいている小さなミスに対して、けっして自分を許さない、その積み重ねが気づきのアンテナにつながっていくでしょう。
そんな素養を身につけた人間は、仕事のうえだけでなく、人として素敵だと思います。
人財になるとは、素敵な人間を目指すこと、そのものです。
完璧グセを身につける―その下敷きとなる、自らを疑う力の大切さを、年とともに大切にしたいと思っています。

『舩井幸雄がこの世に遺してくれた魔法の言葉: ツキと成功を呼び込む言霊の力』徳間書店


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リーダーかリーダーでないかの違いは、気づく量の違いにある。
「気づき力」を高めるには、感性を磨かなければならない。
それが、「気づきのアンテナをつくる」こと。

そのためには、小さなことをないがしろにしないこと。
舩井氏はそれを「完璧グセ」をつくること、という。
その多くは、掃除によって磨かれる。

小さなゴミが落ちていることに気づけるか。
額や机が曲がっていることに気づけるか。
トイレが汚れていることに気づけるか。
床が汚れていることに気づけるか。
雑草がはえていることに気づけるか。
木や花が枯れていることに気づけるか。

それらは、掃除の実践を続けなければ観えてこない。

「大事をなさんと欲せば、小さなる事をおこたらず勤(つと)むべし」とは二宮尊徳翁の言葉。
いわゆる、小事の積み重ねが大事となるという、「積小為大(せきしょういだい)」の精神だ。
小さなことを大事にする人、それを完璧にこなす人が大きなことをできる人。

「完璧グセ」を身につけ、気づきのアンテナを磨きたい
posted by Dr.モーリィー at 06:08| ちょっと気になる善い言葉 | 更新情報をチェックする

No 4764 毛利歯科グループ  懇親BBQ大会 2018

中学生以上大人41名、子供21名で
今年も 大BBQ大会 楽しみました

雰囲気をどうぞ

子供達よりも はしゃぐ大人たち  ははは

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また、来年の夏が楽しみです!!
posted by Dr.モーリィー at 06:01| クリニック情報 | 更新情報をチェックする

2018年09月01日

No 4763   【人生の達人の生き方】

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おいちゃんのお気に入りブログ【人のこころに灯をともす】からの転載です

【人生の達人の生き方】

本田健氏の心に響く言葉より…



人生の達人の生き方は、自分のところにやってくるものを拒まず、100%受け入れることです。
そして自分の人生から去っていくものを追わず、期待せず、ただ淡々と生きることです。
人生の目的は、あなたが心から大切だと思うものを大事にすることによってしか実現できません。
また、それは、目の前に来たものを大事にするということでもあります。

それがポジティブなものでもネガティブなものでも、来るものを拒まず受けとめること。
去っていくものは、追いかけようとはせず、ただただきれいに手放すこと。
この2つができると、あなたは幸せに近づけます。

そうはいっても、執着は、なかなか手放せないものです。
それは、お金かもしれませんし、若さかもしれません。
お金をもっていたい、若くありたいという気持ちを手放すことに、痛みを感じる人は多いと思います。

執着の対象は、別れたのに未練を感じている恋人かもしれないし、就職できなかった会社やうまくつかめなかったビジネスチャンスかもしれません。
そういうとき、それにしがみつこうとすると、他のものが見えなくなります。
たとえば、女性、男性で言うと、あなたのことを好きになってくれる人は、世界にはその人以外にたくさんいるはずです。
けれど、いったん執着してしまうと、そこが見えなくなります。
そして、苦しくなるのは自分です。

苦しくなったとき、「また、次があるさ」というのは、心を楽にしてくれるアファーメーションです。
自分がいましがみつこうとしているよりも、もっと素敵なパートナー、チャンスが必ず来ると保証されたら、楽に手放せるはずです。
あなたが成長したら、きっとそれに見合うものがやってきます。
そのためにも、何かにしがみつきそうになったら、大きく深呼吸をして、硬くなった手を開きましょう。

『人生の目的~自分の探し方、見つけ方~』大和書房


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小林正観さんは、「執着」についてこう語っている。(この世の悩みがゼロになる)より
『執着やこだわり、捕らわれ、そういう呪縛から解き放たれた人を、日本語では「ほとけ」と呼びました。
それは「ほどけた」「ほどける」というところから語源が始まっています。
自分を縛るたくさんのもの、それを執着と言うのですが、その執着から放たれることが出来た人が仏というわけです。
ところで、「執着」とは何か、と聞かれます。執着というのは、「こうでなきゃイヤだ」「どうしてもこうなってほしい」と思うことです。
それに対して、楽しむ人は、「そうなってほしい」のは同じなのですが、「そうなったらいいなあ。ならなくてもいいけれど。
そうなるといいなあ」「そうなると楽しいな」「そうなると幸せだな」と思う。
「こうでなきゃイヤだ」と思ったときに、それが執着になります』

「放下着(ほうげしゃく)」という禅の言葉がある。
捨ててしまえ、という意味だ。
我々は、年齢を重ねれば重ねるほど、たくさんの思い込みや、こだわりそして、執着という荷物を背負(せお)ってしまう。
しかし、時代の変化に対応するには、身につけたたくさんの荷物を捨てなければ、変化と言う「谷」は飛び越えられない。

執着を手放し、人生の達人を目指したい
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2018年08月31日

No 4762    【成長したいなら人に会え】

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おいちゃんのお気に入りブログ【人のこころに灯をともす】からの転載です

【成長したいなら人に会え】

上原春夫氏の心に響く言葉より…



歴史に残るような創造的な仕事をした人は、不思議なくらい一つの共通点をもっています。
それは「学校秀才ではない」という点です。
偉人の伝記などを読むと、学校は嫌いでまともに学校へも通っていないという例がほとんどなのです。
学校教育というものがステレオタイプの生産に重点を置いているため、個性が強く、創造性の高い人ほどその鋳型(いがた)をいやがるのです。
私も教育者の端くれですから、おおいに反省しなくてはならないことです。

もう一つ、創造的人間に共通して見られる特徴は、「人によく会う」という点です。
成長する人は開放的で、わけへだてなく、どんな人にも気楽に会おうとするものです。
とくに老いてもなお創造力豊かな人間は例外なく、若い人と会うことを好みます。

名刺の数が多ければいいというものではありませんが、親しくつきあうことのできる友人や知人の幅の広さが、その人の成長力を決定するといってもいいと思います。
私も、私を訪ねてくる人には、事情の許すかぎり会い、もてなすように心がけています。
アポイントなしの不意の来客にも喜んでお会いします。
「人」は財産にこそなれ、けっしてムダや損にはなりません。

ときどき、時間がもったいないから人に会うのをいやがる人がいますが、お金や時間同様、「人をケチる」人で伸びた人間はあまりいません。
人が訪ねてくるということは、向うから知識や情報がタダでやってきてくれるということです。
それを拒絶するのは、成長の有力な機会を自ら閉ざしていることにほかなりません。

また、人とたくさん会うと人がわかるようになります。
人を見る目、人を見抜く力が自然に備わってくるのです。
ともあれ、人と会う経験の蓄積が人を見る目を養うことは確かです。

なぜなら人は人の中で人を見ながら育つものであり、人は人によって伸びていくものだからです。
成長したいなら人に会え、それも多くの人に会え…と私がすすめるゆえんです。

『成長するものだけが生き残る』サンマーク出版

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上原氏は本書の中でこう語る。
『「成長しなくても、現状維持で充分だ」という人や企業の経営者がいるとしたら、それは重大な危機を招くことになります。
成長するものだけが、生き残るのです。
現状維持にとどまるものは、即、衰退に向かうのです。
伸びている会社でも、その現状に満足してしまったら、その瞬間にその組織は下りの階段を転がり落ちていくことになります』

「現状維持」の反対は「現状打破」。
つまり、現状打破の姿勢の人でなければ、この世は生き残れない、ということ。

現状打破の姿勢の人は、好奇心旺盛で、探求心が強く、冒険的だ。
人に多く会う人は、現状打破の姿勢で、好奇心の強い人。
特に、自分より年下の人と多く会う人は、好奇心豊かで、新しいことが好きな人。

「成長したいなら人に会え、それも多くの人に」
常に成長し続ける人でありたい
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2018年08月30日

No 4761  【世の中は正直そのものである】

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【世の中は正直そのものである】

森信三師の心に響く言葉より…



私が今、「世の中は正直」という言葉によって表そうとしているものは、一体いかなることかと申しますと、それは成程ちょっと考えますと、この世の中は、いわゆる「目開き先人、盲目千人」であって、なかなか正しい評価というものは得にくいものだとも言えましょう。
またそこからして、世の中というものは、随分不公平にできているものだとも言えましょう。
たとえて申せば、一方にはくだらない人間が、人に取り入ることがうまかったりして案外な評判を得、真価以上の高い位置についている例も、けっして少なくないことでしょう。
またこれに反して、ずいぶん立派な人でありながら、容易にその真価が認められないで埋もれており、世人もまた多くはその真価を知らず、したがって不遇のままに置かれているという場合も、けっして少なくないことでしょう。

さて、このように幾多の矛盾や不合理がありながら、しかも何故私は「世の中は正直そのものである」と信じているのでしょうか。
私は世の中が不公平であるというのは、その人の見方が社会の表面だけで判断したり、あるいは短い期間だけ見て、判断したりするせいだと思うのです。
つまり自分の我欲を基準として判断するからであって、もし裏を見、表を見て、ずっと永い年月を通して、その人の歩みを見、また自分の欲を離れて見たならば、案外この世の中は公平であって、結局はその人の真価通りのものかと思うのです。

たとえて申しますと、仮にここに、その人の真価以上、実力以上の地位についている人があったとして、このように真価以上、実力以上の地位にいるんだと判断せられることそのことが、すでに世の中の公平なことを示しているものと言えましょう。
つまりあの男は、実力以上に遇せられているぞと、陰口を言われることによって、ちゃんとマイナスされているわけです。
「あれは実力はないんだが、情実によって、あんな柄にもない地位について、得意になっているんだ」などと陰口を言われているとしたら、そのこと自身が、すでにマイナスされている証拠であって、世の中が正直で公平なことの、何よりの証拠と言ってよいでしょう。

そもそも世の中が不公平であるというのは、物事の上っつらだけを見て、ことに短い期間のみを見ているためであって、少しく長い眼で見るならば、結局世の中は、普通の人々の考えているよりも、はるかに公平なものでしょう。
ところが偉大な人になりますと、世の中は正直ということが、その人の生きている間だけでなくて、その人の死後になっていよいよはっきりしてくるようであります。
たとえば藤樹先生や松陰先生のお偉さなどは、その方々が亡くなられてから、初めて十分に現れて来たと言ってよいでしょう。
が、そこまではいかなくても、世の中が正直だということは、この一生を真実に生きてみたら、おのずと分かることだと思います。
それが正直と思えないというのは、結局そこに自分の自惚れ根性がひそんでいるせいです。
同時にこの点がほんとうに分かると、人間も迷いがなくなりましょう。

『運命を創る』致知出版社

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京セラ名誉会長、稲盛和夫氏はこう語ります(『成功の要諦』致知出版社より)。

『因果応報(いんがおうほう)の法則とは、善いことをすればよい結果が生じ、悪いことをすれば悪い結果が生まれる。
善因は善果(ぜんか)を生み、悪因は悪果(あくか)を生むという法則のことです。
善因悪因の「因」とは、自分が生きている間に思ったこと、行ったことです。
ところが、因果応報の法則は、必ずしもその通りの結果が出ているようには見えません。
周囲を見渡せば、いいことをしてきた人が病気で苦しんでいる、悪いことをしている人が幸せそうに暮らしている例は、いくらでもあります。
このような状況では、いくら因果応報の法則を説かれても、我々のような凡人にはなかなか信じられません。
世の中は、因果応報の法則の通りになっていない、とつい思ってしまいます。
因果応報の法則は、結果が出るまでには時間がかかることがあります。
原因に対して結果がすぐ出ることもあるにはありますが、多くの場合はなかなか結果が出てこないのです。
しかし、20年、30年といった長いスパンで見ると、必ず因果応報の法則通りの結果になっています』
さらに、稲盛氏は『シルバー・バーチの霊訓』から、「因果応報を疑っている人もいるだろう。だが、私がいるところから、みなが生きている現世を見ると、一分一厘(いちぶいちりん)の狂いもなく、原因の通りの結果が出ている」というシルバー・バーチの言葉を引用している。

一見すると、世の中は不公平なことだらけだ。
しかしながら、長い目でみると、それはすべて起こるべくして起きているという。
善きことをすれば、善きことが起き、悪しきことをすれば、悪しきことが起こる。
しかも、それは一分一厘の狂いもなく、原因通りの結果が出ているという。

「世の中は正直そのものである」という言葉を心に刻みたい
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2018年08月29日

No 4760   【占い師の法則】

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【占い師の法則】

小林正観さんの心に響く言葉より…



20代後半の独身の女性が、私のところに相談にきました。
相談の内容は、次のようなものでした。
よく当たると評判の、ある占い師のところに行ったら、
「あなたは2年後にとても素敵な男性と出会って、3年後には結婚します」
と言われたのだそうです。

彼女はとても喜びました。
そして、さらに確信を得ようと、また別の、よく当たると大人気の占い師のところに行ってみてもらったそうです。
すると、その占い師には、
「あなたは2年以内にとても大きな病気をし、3年後には命にかかわることになるかもしれません」
と言われたというのです。

彼女はとても落ち込んでしまって、「どちらを信じたらいいのかわかりません。そのことばかり頭の中をぐるぐるとめぐってしまうのです。私は幸せになれるのでしょうか、それとも死ぬのでしょうか」と相談にきたのでした。
私の答えは簡単です。
その占い師の、まわりにいる人たちを見ればいい。
まわりにいる人たちが、笑顔で、幸せそうで、楽しそうに過ごしているかどうかを、見ればいいのです。

聖なる占い師は、見た目は普通の格好をしています。
そして、まわりには、笑顔で、幸せそうな人たちがいっぱいいます。
とてもいい仲間に囲まれている。
そして、いつも「楽しくなる予言」をしています。

一方で、当たらない占い師は、どういう人か。
過度に荘厳で、重々しく、威厳に満ちた姿、形、格好をしている人が多いのです。
そしてまわりには、笑顔で幸せそうな人はいない。
どこか不幸そうで、悲しく、まったく笑顔のない人たちに囲まれているのです。

「楽しいことを予言」する占い師さんのまわりには、たくさんの幸せそうな人たちがいる。
なぜかというと、その聖なる占い師さんは、いつも人が「楽しくなるように、幸せになるように」という願いを投げかけているからです。
だから、その占い師さんもとても笑顔に満ち、幸せな人生を送っているし、まわりにいる人たちもとても幸せそうな人生を送っているのです。

一方、「悪いことを予言」する占い師さんのまわりには、たくさんの不幸そうな人たちがいます。
悪い予言をした瞬間、予言をしたその人は、無意識に相手の身にそれが実現するように期待してしまうのです。
そうなってもらわなければ、自分の占いが当たりません。
当たるようにと願って、悪い予言を口にする。
当然、投げかけたものは返ってくるので、その占い師自身も幸せにならないし、まわりにいる人たちも面倒な人生を歩むことになるのです。

その法則がわかったら、どちらの占い師を信じたらいいのか、答えは明白です。
幸せになりたいのなら、幸せな予言をしてくれる占い師さんを信じればいいのです。

『ごえんの法則 ~五つの「えん」の意味を解く~ (だいわ文庫)』


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「楽しいことを予言」する占い師さんのまわりには、たくさんの幸せそうな人たちがいて、 「悪いことを予言」する占い師さんのまわりには、たくさんの不幸そうな人たちがいる、という法則は何も、占い師に限った話ではない。
楽しいことや面白いことばかり言っている人のまわりには、幸せそうな人たちがいて、暗くて悲観的なことばかり言っている人のまわりには、不幸そうな人たちがいる。

「友を見ればその人がわかる。 人脈というのは、いわば偏差値であって レベルの高い人の周りにはそれだけの人が集まる。 そしてその欠点をカバーしてくれる仲間を持つ」
と言ったのは松下幸之助(パナソニック創業者)氏。

小林正観さんは、それを、
「人の悪口を言わない人には、悪口を言わない友人が集まってきますし、人の悪口ばかりを言っている人には、悪口ばかりを言う友人が集まります。
毎日が嬉しくて楽しい、と思っている人は、そう思って過ごしている幸せな友人に囲まれるということ。私たちは、自分にちょうどいい人に囲まれています」
という。

自分の配偶者も、友だちも、会社も、すべてが、自分にちょうどいい人に囲まれている。

いつも、笑顔で、幸せそうな仲間に囲まれる人でありたい
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2018年08月28日

No 4759   【不平を言う者を雇いたがる人はいない】

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【不平を言う者を雇いたがる人はいない】

レス・ギブリン氏の心に響く言葉より…



人々はあなたをあなた自身の自己評価をもとに判断するだけでなく、あなたが自分の仕事や同業者に対してどういう評価をしているかをもとに判断する。
聖書に「裁かれたくなければ、裁いてはいけない」という教えがある。
これは人間関係に関する名言である。
私たちは何かを裁くたびに、自分を裁くきっかけを他人に与えてしまうのだ。

多くの離婚訴訟を扱う弁護士が、こんなことを言った。
「夫や妻が配偶者のいやな部分について話すたびに、その配偶者よりその人自身の本性があらわになっているように感じる」
つまり、他人についてネガティブな発言をすると、自分について悪い印象を相手に与える結果になるのである。

ニューヨークで職業安定所を営むウォルター・ローウェン所長は、高給が得られる仕事を相談者に紹介することで知られている。
彼は30年以上にわたって実績を上げてきたベテランである。
彼が相談者にアドバイスしていることのひとつは、「新しい雇い主と面談しているときに前の雇い主に対する不満をぶちまけてはいけない」ということだ。
前の雇い主を批判して新しい雇い主に取り入りたくなるのはわからないでもない。
前の職場で不当な扱いを受けたことを愚痴りたくなるのも理解できる。
だが、ローウェン所長は「それは絶対にしてはいけない。不平を言う者を雇いたがる人はいないことを肝に銘じるべきだ」とクギを刺している。

不平を言う人と一緒にいたとき、あなたは不快な気分になったに違いない。
実際、不平不満を並べる人の人望のなさは、誰も知っているとおりだ。
あなたは自分の仕事や職場をどう評価しているだろうか。
仕事先と職場内容を尋ねられたとき、申し訳なさそうに「ええまあ、〇〇銀行で〇〇係として仕方なく働いています」と答えるか、誇らしげに「はい、〇〇銀行という素晴らしい職場で〇〇係として一生懸命働かせてもらっています」と答えるか。
後者の方なら、相手はあなたに好印象を抱くだろう。

出身地を尋ねられたとき、恥ずかしそうに「つまらない田舎の出身です」と答えるか、「〇〇という素晴らしい地域の出身です」と答えるか。
後者の答え方なら、相手はあなたに好印象を抱くだろう。
「上司はダメな人だ」とか「自分のしている仕事はつまらない」などと言うと、聞いている人は「あなたがダメな人だから、ダメな上司の下でつまらない仕事をしているのだ」と思うに違いない。

セールスにたずさわっている人に注意しておこう。
ライバルをおとしめると顧客に嫌われることを知らないセールスマンが多すぎる。
相手に好印象を与えたいなら、ライバル社やライバル社の商品をけなしてはいけない。
そんなことをするのではなく、自社の商品を称賛しよう。

人々はネガティブな話し方を嫌うだけではない。
あなたはネガティブな舞台を設定し、ネガティブな雰囲気をつくっている。
だから見込み客が買ってくれないのだ。
しかも、見込み客は心の中で「ライバル社の商品のほうがいいのではないか。そうでなければ、この人がそれを恐れてこき下ろすはずがない」と勘繰る。

『人望が集まる人の考え方』ディスカヴァー


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誰かが、人の悪口を言っているのを聞いて、気分が良くなる人はいない。
それは、脳が主語を理解できないからだ。
「(あの人)大嫌い」と言うのを聞くと、(あの人)という主語が抜けて、「大嫌い」だけが脳に残る。
つまり、まるで自分の悪口を言われているように感じてしまう。
実際、悪口を言う人は、その人だけでなく、他の人の悪口も言う人だから、まわりまわって、いつかは自分も言われるハメになる。

人は、不平や悪口を言う人には、本能的に良い印象を持たない。
その逆に、人から良い印象を持たれるためには、どんなときも、人の心を「あたたくする言葉」、「気持ちよくする言葉」、「幸せにする言葉」、「楽しくなる言葉」を言うことだ。
そして、嫌なことがあったとしても、その中からいいことだけを見つけて、人をほっこりさせることを言う。

「不平を言う者を雇いたがる人はいない」を肝に銘じたい
posted by Dr.モーリィー at 06:06| ちょっと気になる善い言葉 | 更新情報をチェックする