先日 おいちゃんの 所属する 少林寺拳法 薩州天文館道院の 四元道院長の 師匠
柿元先生の薩州谷山道院の 開設35周年記念祝賀会に 参加しました
一つの道を 35年 素晴らしいですね
おいちゃんは クリニック開設15年 まだまだ頑張らねばと 再認識 勉強になりました 感謝




少林寺拳法 月刊誌からの 投稿が 遅れてましたので 2か月分どうぞ

菅野純の心を育てる菅野 純 早稲田大学人間科学学術院教授
1950(昭和25)年、宮城県仙台市生まれ。早稲田大学卒業後、同大学院修了。発達心理学・臨床心理学専攻。東京都八王子市教育センター教育相談員を経て、現在、早稲田大学人間科学学術院教授。不登校、いじめ、非行など、さまざまな子供たちのカウンセリングに加え、学校崩壊をはじめとする学校のコンサルテーションに取り組む。主な著書は『武道――心を育む』(日本武道館出版)ほか多数。
食卓――家族の体温計
秋葉原事件の加藤容疑者の弟さんの手記の中に、加藤容疑者が中学1年のころのある日の食卓場面が書かれていました。
何かの理由でお母さんが急に怒りだし、席を立ったかと思うと、新聞紙を床に敷き、食卓にあったものを全部そこにぶちまいて「ここで食え!」と言った、兄は泣きながらそれを食べていた、というエピソードです。
食事という、身体の栄養だけでなく、心の栄養も得るはずの場でこうしたエピソードは、加藤容疑者の心にどんな影響を与えていったのだろうと、読んで心が痛みました。
思春期や青少年の子供のカウンセリングをしていると、食にまつわるエピソードや問題が出てくることが少なくありません。
●給食のマナーが悪く、牛乳をわざと口から噴き出したり、食物を玩具代わりにして悪ふざけをする。
●小さいころから、夕食分のお金だけを与えられ、一人でコンビニ弁当などを食べている。
●食事時になると、いつも両親が喧嘩をするので、その仲裁に気疲れし、食欲不振に陥った。
●祖父母を交えた食事場面が窮屈なため、部活や塾の帰りに買い食いして帰宅を遅らせ、家族の食卓に近寄らなくなった。
●健康食品にこだわる母親への当てつけのように、合成着色料の入ったお菓子など、母親のいやがるものばかり食べるようになった。
●家族団欒の食事に憧れ、遊び仲間のたまり場で食事をすましている。
子供の幼さや社会の未熟さ、孤独感や不安、自立願望や寂しさなどが、食事のエピソードから浮かび上がってくるのです。
また時には「食の病理」ともいえるものに発展してしまう例もあります。
拒食、過食といった摂食障害、食欲不振、心理的原因による嘔吐、異食(ティッシュペーパーや砂など、食べ物ではないものを食べてしまう)などです。
食卓場面での体温測定を 子供ばかりでなく、大人にとっても食卓は大きな意味を持っているのではないでしょうか。
食卓場面が家族にプラスに作用している場合には、家族それぞれが食事によって、
@一日を無事に暮らせたと家族が共にいる幸せを確認し、
A心身のエネルギーを補充し、
B子供が話す学校生活の話題などで親は子供の環境や心身の状態を理解し、親が話す社会や世界の話題によって子供はさまざまな知識や知恵を得ることになります。
食卓場面は、その家庭の〈現在〉を象徴しているものです。
今、自分の家族がどんな状態にいるのかを測定する“体温計”の役割を持っているのです。
あなたの家庭の“食卓体温”はいかがですか。
●家族がきちんと三食食事をとっているか。
●家族全員がそろって夜の食卓を囲む日が何日あるか。
●食事の雰囲気はどうか。一方的なおしゃべりやお説教、口論、無視といったことがないか。
●食事のマナーはどうか。
●食事中どんなことが話題となるか。
現代青少年への働きかけ方 現代の青年は、幼い、自立心に欠ける、無気力だ・・・など、さまざまなことがいわれますが、それは本当でしょうか?
私は自分の青年時代と比べて、現代の青年が弱いとも無気力とも思いません。
確かに私も、教育カウンセリングの現場から大学に戻ったとき、自分の大学時代と比べてずいぶん異なる面があることを、いろんな場面で感じました。
団塊の世代である私たちは、大学へ入学するとすぐに全学ストライキに入り、1年間ほとんど授業がありませんでした。
授業再開となってからも、それぞれがやりたいと思ったことを自分で切り開いていくほかありませんでした。
そんな中で、ある者は自主的に勉強をし始め、ある者は演劇や音楽に没頭し、ある者はアルバイトからそのまま社会人となっていく・・・
というように、誰に教わるわけでなく自分の道を切り開いていきました。
もちろん、自堕落な生活から脱出できず退学した者もいてさまざまですが。
現代青少年への教育方法 大学教員として現代の青年と関わり続けて22年がたちます。
この間、私なりに現代の青年の教育について模索してきました。
私なりに心がけていることを、いくつかあげてみましょう。
@助走を少し長めにとる・・・“走り幅跳び”のイメージで考えてみます。
かつての私たちが受けた教育のように「勝手に跳べ!」では、多くの青年は途方に暮れるでしょう。
初めは丁寧につきあうのです。助走路を一緒に伴走する感じです。
それから徐々に離れていき、最後に本人自身の力で駆け抜けていくようにするのです。
私たちよりも遥か遠くに跳べるようになる青年が少なくありません。
A「何をどうするか」を具体的に教える・・・「それでも大学生か!」といった言い方では伝わり難いのです。
言葉の行間を読む、言われなくとも察する、気働きをする、といったことは、現代の青年は苦手なのです。
初めからそれを求めると、教える側はいらいらし、教えられる青年のほうも、顔色を見て行動したり、受身になったり、ふてくされて放棄しがちになります。
「こういうときには、こんなふうにふるまうといいよ」と率直に伝えたほうが入りやすいのです。
B「自分の力」を発揮させる・・・「してもらうこと」に慣れているように見える現代の若者ですが、自分の力で考え、自分の力で行う喜びを心のどこかで渇望しています。
「ああしなさい」と指図するのではなく、事実を伝え、「君ならどうする?」と投げかけることで、「自分の力」を発揮させていきます。
成し遂げたことのプラスのフィードバックも大切です。
異なる世代のよさを積極的に見出すことで、彼らへの働きかけのコツのようなものがわかるのです。
勉強になりますね 合掌