2015年05月27日

No 2986 少林寺拳法

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おいちゃんが 武道を学んだ 少林寺拳法 薩州天文館道院

今回の記念セミナーで 演武を披露していただけるように 最終確認
依頼に 久しぶりに 練習場へ

なんだか 気合が入りました

先輩方も 後輩も頑張っておりましたひらめき

当日は 精鋭の 少林寺拳法 演武をお楽しみください
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2012年11月02日

No 1560   少林寺拳法つながりの ご縁

少林寺拳法の 大先輩 鹿児島南道院の 道院長 M先生から お葉書がひらめき

おいちゃん 本日の午前休みを利用して ジムで汗を流し

その後 お祝いを持って 車を走らせる車(セダン)

いろんな意味で 元気がもらえましたグッド(上向き矢印)

おいちゃんも がんばるぞーーパンチ

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大いなる パワーを頂いた後で  お隣の  みそや堂へ

ここも 少林寺拳法の 大先輩 中堂園大将のお店の ひとつ

今日は 厨房にも入っていらっしゃいました

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本日は おいちゃんの最近のお気に入り

「昭和おもひで らーめん」
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美味しかったです

ラーメンも美味しかったですが

大将と話をするだけで 本当に元気が出る 不思議な人です

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人間力が  はんぱないわーい(嬉しい顔)

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ひらめき
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2012年10月31日

No 1556     「金剛禅総本山少林寺 薩州天文館道院  設立30周年記念演武会及び祝賀会」 

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おいちゃんが 武道の心を学んだ少林寺拳法 

「金剛禅総本山少林寺 薩州天文館道院
   設立30周年記念演武会及び祝賀会」 

平成24年11月10日(土)
  演武会  午後4時開演
       (一般の方も 見学無料ですよ)
   武道に興味のある方、子供さんに武道を習わせたい方 いかがですかわーい(嬉しい顔)

    お薦めです! 体力だけでなく人として大切なこともたくさん学べますよ

  場所:鹿児島県市町村自治会館大ホール  
posted by Dr.モーリィー at 08:24| 少林寺拳法 関連 | 更新情報をチェックする

2012年10月28日

No 1551    少林寺拳法

最近 お供してくれたBOOK

「強さ」とは何かひらめき

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後ほど 筆文字にて 内容を UP致します


おいちゃんが 学んだ少林寺拳法 

「金剛禅総本山少林寺 薩州天文館道院
   設立30周年記念演武会及び祝賀会」 

平成24年11月10日(土)
  演武会  午後4時開演
       (一般の方も 見学できますよわーい(嬉しい顔)

  場所:鹿児島県市町村自治会館大ホール  

当然 おいちゃんは 演武はしません いや できませんふらふらが ははは

応援には 参加いたしますわーい(嬉しい顔)IMG_7965.JPGIMG_7966.JPGIMG_7967.JPGIMG_7968.JPGIMG_7969.JPGIMG_7970.JPGIMG_7971.JPGIMG_7972.JPGIMG_7973.JPGIMG_7974.JPGIMG_7975.JPG

posted by Dr.モーリィー at 22:10| 少林寺拳法 関連 | 更新情報をチェックする

2010年02月25日

No 762  少林寺拳法 拳士

おいちゃんは 1年近く 朝8時前に出勤して 夜8時半頃クリニックを出るという 生活が続いていますので

最近は少林寺拳法の道場にも通えてないですもうやだ〜(悲しい顔)

本当に申し訳ありません  師匠、道院長、先輩拳士の皆様ふらふら


先日せめてもの罪滅しにと 20KGたんかんの 差し入れに車(セダン)

3月のスポーツ少年団の大会を前に 多くの拳士が汗を流していました

気合の入った声を聞くと 元気がもらえましたグッド(上向き矢印)

  感謝・大感謝わーい(嬉しい顔)


副道院長から 月刊誌やら 道院誌などをいただく  感謝わーい(嬉しい顔)

その中に 後輩拳士の 素敵な記事が

皆様にもシェア致したく  どうぞわーい(嬉しい顔)




入門の動機と現在の心境

   初段・准拳士  K・Y

剣道の国体選手で高校の体育教師だった父を持ち、私も小さい時から運動やスポーツに親しんできました。

 小学校に入ると水泳を始め、並行して半ば当然のように剣道を学びました。
しかし実のところ、生来の意気地なしと泣き虫がたたって、試合のたびに大変なプレッシャーを感じていたのを覚えています。

 高校に入学し、父と比較される剣道部に入るのが嫌いで、弓道部に入りました。

充実した部活動でしたが、スポーツ競技として試合に勝つことが一番の目標でした。

大学受験でも人と競い、部活動でも競う。 

毎日、人に勝つことを考えてきた気がします。

そのことに半ば嫌気がさしていたのでしょうか。

大学では、一切のスポーツから遠ざかりました。

 社会人になり、報道の現場に身を置きました。

殺人や放火、詐欺や汚職といった事件や時に何十人もの死者が出る災害報道に携わりました。

世の中の無常や不条理、人間の悪の部分を幾度と見つめる中で、いつしか地に足のついていない不安定な自分、精神的な支柱が無い自分に気がつきました。

また、不規則で激しい仕事に、身体がついていかなくなりつつあるのも感じていました。


 そんな折、あるトラブルに巻き込まれました。

事件を追いかけ、天下国家を相手にしていたつもりが、いざ自分が当事者になった途端、動揺して焦る自分がいました。

それまでのメッキのようなプライドは、もろくもはがれました。

己の弱さに愕然とし、生来の弱虫・意気地なしが、全く変わっていなかったのに気がつきました。

 自分を変えたい。本気で変えたい。そして自分の支えとなる教えに出会いたい。

それは切実な思いとなりました。そんな時、眼にとまったのが、少林寺拳法を特集した新聞記事だったのです

道場に見学に行くと、年少者から年配の方まで、真剣な中にも楽しそうな稽古をしているのが印象的でした。

それまで私が学んだ、ひたすら勝つことを目標にしてきたスポーツとは、明らかに違いました。

そして見学を終えて帰る時、全員の履物がきれいに並べられているのに驚きました。

誰となく子供たちが棚から出して並べたと聞き、感動したのを覚えています。それが、少林寺拳法との出会いでした。

 以来、四年の月日が流れました。仕事は相変わらず忙しく、公私とも道に迷うこともあります。

しかし、確かなことは、生きる道を説く師匠がいて自他共楽の教えの下、ともに汗を流し笑える先輩後輩がいる。

そのことが、どれだけ自分の支えになっていることか。

少林寺拳法の教えと師と仲間がいなかったら、自分はもっと人生に迷い、自身を見失っていたと思います。

 長期の取材や大掛かりな番組の仕事があるたびに、ブランクを余儀なくされ、四年近く茶帯をつけ続けていました。

先生には、申し訳なく思うと同時に、ずっと温かく見守って下さり、心から感謝します。

また自分も、辞めようと思わなかったのは、少林寺拳法が私にとってかけがえのないものとなったからに他なりません。

 師は折に触れ、「脚下照顧」といわれます。私にとって日々の、もっといえば人生の脚下照顧の場が、道場であり少林寺拳法の修行なのです。

金剛禅が説く、不屈の精神力と金剛の身体は、生涯にわたる目標です。

師や仲間たちに叱咤激励されながら、昨日より変わった今日の自分を目指したい。そして、少しでも世の中に恩返しをしたいと思っています。
 
拳に込められた破邪顕正の思いを報道という仕事にも込め、「半ばは己のため 半ばは他人のために」という開祖の教えを実践していきたいと思います。

そして、師に教えを請いながら修行を生涯続けていこうと思います。

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posted by Dr.モーリィー at 20:12| 少林寺拳法 関連 | 更新情報をチェックする

2009年07月04日

No 635  少林寺拳法

パンチ

四元道院長に ばったりあった次の日

久しぶりに 道衣に着替えて 道場へ車(RV)

新婚旅行やらなんやらで ちょっとご無沙汰していました

すいません  師匠がく〜(落胆した顔)


県大会を前に頑張っている拳士達に少しばかりの差し入れを買い込み

道場に着くと なんか雰囲気が違う・・・パンチパンチ爆弾

別の集会をしていました???


慌てて 仲間に連絡取るも 通じず

やっと連絡がついた仲間から 本日は

急遽  練習場が変わったと・・・がく〜(落胆した顔)

そこから 30分以上かけて 別の道場へ向かう車(RV)

変な汗かきながら・・・

もうほとんど終わりかけていました・・・バッド(下向き矢印)

県大会に向けて頑張っている躍動感あふれる写真を掲載しようと

デジカメまで持って行ったのですが・・・

又の機会に・・・

え、おいちゃんは 練習はとの声が聞こえてきますが

おいちゃんは 県大会の日に 鹿児島にいないので  今年は お休みですモバQ

薩州天文館道院は 毎年 団体でも 優勝か準優勝なので

皆さん気合が入っていましたぴかぴか(新しい)

がんばれ 天文館 拳士諸君パンチ

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posted by Dr.モーリィー at 23:52| 少林寺拳法 関連 | 更新情報をチェックする

2009年05月15日

No 601 少林寺拳法便り

先日 おいちゃんの 所属する 少林寺拳法 薩州天文館道院の 四元道院長の 師匠 

柿元先生の薩州谷山道院の 開設35周年記念祝賀会に 参加しました

一つの道を 35年 素晴らしいですね

おいちゃんは クリニック開設15年  まだまだ頑張らねばと 再認識 勉強になりました  感謝パンチひらめきわーい(嬉しい顔)

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少林寺拳法 月刊誌からの 投稿が 遅れてましたので 2か月分どうぞわーい(嬉しい顔)

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菅野純の心を育てる

菅野 純 早稲田大学人間科学学術院教授
1950(昭和25)年、宮城県仙台市生まれ。早稲田大学卒業後、同大学院修了。発達心理学・臨床心理学専攻。東京都八王子市教育センター教育相談員を経て、現在、早稲田大学人間科学学術院教授。不登校、いじめ、非行など、さまざまな子供たちのカウンセリングに加え、学校崩壊をはじめとする学校のコンサルテーションに取り組む。主な著書は『武道――心を育む』(日本武道館出版)ほか多数。

食卓――家族の体温計
 秋葉原事件の加藤容疑者の弟さんの手記の中に、加藤容疑者が中学1年のころのある日の食卓場面が書かれていました。
何かの理由でお母さんが急に怒りだし、席を立ったかと思うと、新聞紙を床に敷き、食卓にあったものを全部そこにぶちまいて「ここで食え!」と言った、兄は泣きながらそれを食べていた、というエピソードです。

食事という、身体の栄養だけでなく、心の栄養も得るはずの場でこうしたエピソードは、加藤容疑者の心にどんな影響を与えていったのだろうと、読んで心が痛みました。

 思春期や青少年の子供のカウンセリングをしていると、食にまつわるエピソードや問題が出てくることが少なくありません。
●給食のマナーが悪く、牛乳をわざと口から噴き出したり、食物を玩具代わりにして悪ふざけをする。
●小さいころから、夕食分のお金だけを与えられ、一人でコンビニ弁当などを食べている。
●食事時になると、いつも両親が喧嘩をするので、その仲裁に気疲れし、食欲不振に陥った。
●祖父母を交えた食事場面が窮屈なため、部活や塾の帰りに買い食いして帰宅を遅らせ、家族の食卓に近寄らなくなった。
●健康食品にこだわる母親への当てつけのように、合成着色料の入ったお菓子など、母親のいやがるものばかり食べるようになった。
●家族団欒の食事に憧れ、遊び仲間のたまり場で食事をすましている。

 子供の幼さや社会の未熟さ、孤独感や不安、自立願望や寂しさなどが、食事のエピソードから浮かび上がってくるのです。

また時には「食の病理」ともいえるものに発展してしまう例もあります。

拒食、過食といった摂食障害、食欲不振、心理的原因による嘔吐、異食(ティッシュペーパーや砂など、食べ物ではないものを食べてしまう)などです。


食卓場面での体温測定を 

子供ばかりでなく、大人にとっても食卓は大きな意味を持っているのではないでしょうか。

食卓場面が家族にプラスに作用している場合には、家族それぞれが食事によって、

@一日を無事に暮らせたと家族が共にいる幸せを確認し、

A心身のエネルギーを補充し、

B子供が話す学校生活の話題などで親は子供の環境や心身の状態を理解し、親が話す社会や世界の話題によって子供はさまざまな知識や知恵を得ることになります。

食卓場面は、その家庭の〈現在〉を象徴しているものです。

今、自分の家族がどんな状態にいるのかを測定する“体温計”の役割を持っているのです。

あなたの家庭の“食卓体温”はいかがですか。
●家族がきちんと三食食事をとっているか。
●家族全員がそろって夜の食卓を囲む日が何日あるか。
●食事の雰囲気はどうか。一方的なおしゃべりやお説教、口論、無視といったことがないか。
●食事のマナーはどうか。
●食事中どんなことが話題となるか。


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現代青少年への働きかけ方 

現代の青年は、幼い、自立心に欠ける、無気力だ・・・など、さまざまなことがいわれますが、それは本当でしょうか?

私は自分の青年時代と比べて、現代の青年が弱いとも無気力とも思いません。

 確かに私も、教育カウンセリングの現場から大学に戻ったとき、自分の大学時代と比べてずいぶん異なる面があることを、いろんな場面で感じました。

団塊の世代である私たちは、大学へ入学するとすぐに全学ストライキに入り、1年間ほとんど授業がありませんでした。

授業再開となってからも、それぞれがやりたいと思ったことを自分で切り開いていくほかありませんでした。

そんな中で、ある者は自主的に勉強をし始め、ある者は演劇や音楽に没頭し、ある者はアルバイトからそのまま社会人となっていく・・・

というように、誰に教わるわけでなく自分の道を切り開いていきました。

もちろん、自堕落な生活から脱出できず退学した者もいてさまざまですが。


現代青少年への教育方法 

大学教員として現代の青年と関わり続けて22年がたちます。

この間、私なりに現代の青年の教育について模索してきました。

私なりに心がけていることを、いくつかあげてみましょう。

@助走を少し長めにとる・・・“走り幅跳び”のイメージで考えてみます。
かつての私たちが受けた教育のように「勝手に跳べ!」では、多くの青年は途方に暮れるでしょう。
初めは丁寧につきあうのです。助走路を一緒に伴走する感じです。
それから徐々に離れていき、最後に本人自身の力で駆け抜けていくようにするのです。
私たちよりも遥か遠くに跳べるようになる青年が少なくありません。

A「何をどうするか」を具体的に教える・・・「それでも大学生か!」といった言い方では伝わり難いのです。
言葉の行間を読む、言われなくとも察する、気働きをする、といったことは、現代の青年は苦手なのです。
初めからそれを求めると、教える側はいらいらし、教えられる青年のほうも、顔色を見て行動したり、受身になったり、ふてくされて放棄しがちになります。
「こういうときには、こんなふうにふるまうといいよ」と率直に伝えたほうが入りやすいのです。

B「自分の力」を発揮させる・・・「してもらうこと」に慣れているように見える現代の若者ですが、自分の力で考え、自分の力で行う喜びを心のどこかで渇望しています。
「ああしなさい」と指図するのではなく、事実を伝え、「君ならどうする?」と投げかけることで、「自分の力」を発揮させていきます。
成し遂げたことのプラスのフィードバックも大切です。
異なる世代のよさを積極的に見出すことで、彼らへの働きかけのコツのようなものがわかるのです。

          勉強になりますね  合掌わーい(嬉しい顔)




posted by Dr.モーリィー at 08:14| 少林寺拳法 関連 | 更新情報をチェックする

2009年04月24日

No 592 少林寺拳法  法話

先日 おいちゃんの 所属する 少林寺拳法薩州天文館道院で つたない 法話をしてきました ふらふら

あたりまえの話ばかりです  すごいはなしではありませんので  あしからず  ははは

4歳児から 60代の方々まで 約40名弱の 拳士の前での 法話パンチ

どんな話題が良いか  悩みましたねがく〜(落胆した顔)

子供たちにも 解るように 話をしようと考えたのですが なかなか難しいがく〜(落胆した顔)

そこで 今回は 概要を 保護者の方々と ブログ愛読者に どうぞわーい(嬉しい顔)


少林寺拳法  法話  2009.4.17  毛利

少林寺拳法も 仏教・禅宗の教えの一つなのです
そこで今回は 仏教的なことも 少し

少林寺拳法でも仏教でも 仕事でも スポーツでも何でも 正しい理解が必要なのです

そのために 勉強・学びの姿勢が 大切なのです

子供の頃から 本に親しむ生活をして欲しいですね

特に 小学時代は 伝記を読むのをお薦めします

想像力・世の中のスケールの大きさが 感じられますね



今回 特に伝えたい事は
@ 言葉の大切さ
A 学びの大切さ

【A】少林寺拳法の教本にもありますが P19 

  言葉の大切さ  言霊の持つ力
  ◎ できるだけきれいな言葉を使いましょう
    ソフトな言葉使いを 心がけましょう
     味方が増える  人が集まってきますよ

  × 汚い言葉を使い  きつい言い方をすると
     人が離れていきますよ


  特に大切なのは ありがとうという  感謝の心
       親・友人・物・・・etcに対して

  あと 日本に昔から伝わる ひらがな言葉の数々

    おかげさま、ありがとう、いただきます、ごしそうさま、

    おだいじに、ごめんなさい、おはよう、おやすみ・・・

  和のこころは素晴らしい


  五日市先生をはじめ 多くの方々が 説いていらっしゃいます

 注意点) 特に 身近な人に程 気を遣おう
       身近な人ほど 感情的になりやすい

       おいちゃんも反省・反省がく〜(落胆した顔)

       人間力が  大切ですよねモバQ


【B】 key word 2

@ 2面性 (コップの水・ケーキ・雨・注意etc)

 起こっている現象は1つ!それをどうとらえるか!
  その人次第(心のもち方・心の豊かさ)

  その時の状況や感情でも差が出ますよね

   だからこそ 修行や学びが 必要なのですね

   楽しい人生を 送るためには 出来るだけ プラス志向で


A 週休2日制の人は
   1日は 休養   1日は 教養 にあてましょう


B 中道  バランス力
    両極端にならないように
    知識・智恵がないと 惑わされてしまう
    その為に  知識・教養が 大切
      学びが大切なのですね

  何が正しくて 何が間違っているのかの 
  判断基準を 育てる為には 学びが大切なのです

  自分の狭い了見で 世界観を作らないようにしましょう

  子供たちには  大きな可能性があります
  多くの学びの機会を与えてあげてください
  大きく成長しますよ グッド(上向き矢印)

  相手の意見を聞く 大きな心を持ちましょう

  すぐ 反論する性格の人は 穏やかなこころを 育みましょうわーい(嬉しい顔)

  おいちゃん自分にも 言い聞かせています  はははわーい(嬉しい顔)



C 半ばは 自己の幸せを
     半ばは 他人の幸せを!(少林寺の教え)

  素晴らしい教えですよねわーい(嬉しい顔)



  利他の心
   人の為にした事は 自分に 良く返ってくる

  まず人のために 何が出来るかを 考える 豊かなこころを 持ちたいものですモバQ




【C】 key word 3

☆ 3毒追放  心を曇らせている大きな原因

   仏教用語では  貪(とん)・ (じん)・痴(ち)

       漢字変換がうまくいきません・・・もうやだ〜(悲しい顔)



  貪る(むさぼる・ねたむ) 
  
     人と比べない、
     足るを知るこころが大切ですよねわーい(嬉しい顔)


   る(いかる・おこる)

     恨みや怒りはすぐに相手に伝えないで
     一晩寝かせること  一晩寝かせると
     感情は薄れるそうです

     注)一度吐いた言葉は消えない
      友達を連れて帰ってくる
      だから 良い言葉を使いましょう


       怒ると叱るの違いを 認識しましょうパンチ


  痴か(おろか・ぐちる)   

     知識・教養を増やす

    

  三毒を やめると→慈愛・誇り・自信に 満たされるそうですぴかぴか(新しい)わーい(嬉しい顔)ひらめき



☆ 成功の条件(うまくいく条件)

     スポーツでも勉強仕事でも・・・
   
  素直な心   態度   人の話を聞く態度 学ぶ態度

  勉強好き   テストだけの為ではなく (技術・技・知識・教養)
         本を 読んで 情報を得ましょう

  プラス思考  2面性



☆ スポーツでも勉強でも仕事でも  何の為にが大切ですね
    自信 自分も喜ぶ
      他人を喜ばせる為に


☆ 今の結果にとらわれず 昨日の自分を 毎日越えろ 1歩ずつ

     (By てんつくマン)


   人と比べない  自分も  親も

   少林寺の教えと共通する部分も  多いですよねわーい(嬉しい顔)




☆ 歯医者なので  健康法を  3つ

 ・鼻呼吸(ゆっくり)

 ・よく咬んで 血流アップ
    脳の為には 1500回 1日

    特に子どもや 寝たきりの人は
      少しでも多く咬む回数を

    昔ながらの 和食の 素晴らしさ

 ・舌 動かす だ液 スゴイ力
         若さのバロメーター



ご縁に感謝


時間があるときに 一つずつ 詳しく書いていきますわーい(嬉しい顔)


  こころ穏やかに  こころ豊かに

      合掌   ひで坊
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2009年03月18日

No 574 少林寺拳法 道場便り

少林寺拳法  薩州天文館道院  月刊誌3月号より
 
道院長 四元光司師  法話

これは、アメリカでの話ですひらめき

小学生の子供が、いくら母親が勉強をしなさいといってもきかない。

そこで、お母さんは、お父さんに(何とか子供に勉強をするようにいってくれるように頼みました。)・・・

よ〜し、俺が、びしっ〜と言ってやると、子供に次のような話を言って聞かせたそうです。

『エイブラハム・リンカーン大統領はお前の年には、法律の本を読んで一生懸命に勉強をしていたんだ。

今のお前は、遊んでばかりいて、何をやっているんだ。少しは、リンカーンを見習いなさい』と。

子供は、にや〜っと笑って【お父さん、知っているかい?・・・リンカーンは、お父さんの年には、も~う、大統領になっていたんだよ・・・。

お父さんも、もっと頑張りなさい】と言い返しました。

お父さんは、ビックリ・・・目


お父さん、こんな時にどのような態度を取りますか?・・・
ここが大事です。

@ 何もいい返せなく、しょぼしょぼ帰り・・・奥さんから、後からこっぴどく叱られる。

A 親が、真剣に怒っているのに口答えをするとは何事か、と叱る。

B そうか、お前は物知りだ、お父さんの年には、リンカーンは、大統領になっていたのか。さすがは、お父さんの子供だ。・・・
リンカーンは、第何代の大統領か?・何歳で大統領になったのか、お父さんに教えてくれないのか?・・・子供にたのむと言って、頭をなでてやる。


B=こどもは、叱られると思っていたが、ほめられたので、喜んで翌日、図書館に行きリンカーンについて、調べました。
≪ 少し嫌いだった父親が、少し好きになりました≫ぴかぴか(新しい)揺れるハート

【リンカーンは、1860年、共和党の大統領候補に指名され、第16代大統領に51歳で当選し、56歳の年にワシントンのフォード劇場で暗殺された、歴代大統領でもっとも人気のある大統領です。】


叱ると、怒るとは、違います。《叱るとは、相手を思って叱ります》・《怒るとは、自分の感情で怒ります》

叱る、コツは、3つほめて、1つ叱ります。

おこがましいとは、思いますが、(家庭で出来ない事・学校で地域で
出来ない事を)少林寺拳法の道場で、出来たらと本気で考えています。



おいちゃん・追伸) 上記の子どもが オバマ大統領だと おっしゃったような・・・目わーい(嬉しい顔)  聞き間違いかも???
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2009年03月07日

No 566 少林寺拳法  便り

少林寺拳法 月刊誌 2月号より

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菅野純の心を育てる

攻撃性の行方 

「なぜ、こんな事件が起きるのだろう」と思うような凶悪事件が後を絶ちません。

うつ病による自殺者も、年ごとに多くなっています。

いずれも、人間の心にある攻撃性につながる問題です。

カウンセリングでは、心の傷やストレスによって心の中に過剰に攻撃性がたまって、うまく発散できない人に出会います。

行き場を失った攻撃性が、心の底で根雪のように固まってしまい、その人の心を振り回し、破滅に導いてしまうこともあります。

自分の攻撃性をどのように発散させるかは、とても大事な問題なのです。


◆攻撃性の出し方
攻撃性は、次の形で出てきます。

@行動として・・・殴る、蹴るといった直接的な攻撃行動として出る場合と、いじめやハラスメント、ストーカーといった手の込んだ間接的な攻撃行動として現れる場合があります。

また、暴飲暴食、アルコール依存、過剰喫煙など、結果的に自分と心と身体を痛めつける行動となることもあります。

A身体の内部に・・・攻撃が自分の身体に向かうこともあります。

心筋梗塞、高血圧症、胃潰瘍、片頭痛、過敏性腸症候群など、心身症です。

B身体の表面に・・・リストカットする、身体の傷口を引っ掻く、自分の髪の毛を抜く、爪をかじるといった、自分の身体の表面を攻撃する行為となることもあります。

C心の内面に・・・自分の心の内面を攻撃すると、無気力症やうつ症状になっていきます。

自分を嫌悪し、責め続け、時には死に至るまで自分を追い詰めてしまうのです。
これら、他者や自己に害を及ぼす攻撃性発散以外の方法に、

D言語化という方法を人間は持っています。

言葉や何らかの表現で、攻撃性を表す方法です。

言語化は、口喧嘩、文句、非難や罵声といった形で攻撃の方法となることもありますが、一方で、言い直す、冷静に話す、謝る、仲直りする、などに展開することで、相手への攻撃を和らげたりすることも可能にします。

また、おしゃべりをする、愚痴を言う、悩みを聞いてもらう、カウンセリングを受ける、といった言葉による表現を通して、自分の心の中にたまった攻撃性を吐き出すこともできます。

更に、文章に書く、絵を描く、歌を歌う、踊る・・・といった象徴的な形で表現したり、スポーツ、イベントの企画実行など総合的に表現したりすることによって、攻撃性をより昇華(より高い次元のものに置き換えること)させることもできます。

 武道は、攻撃性の行動化と言語化が見事に統合された方法です。

闘いのための技法が、武道という「道」となったとき、私たちは、自分の中に存在する攻撃性を、自己や他者を苦しめる攻撃力としてではなく、自他を成長させ、より高いレベルの精神形成を遂げるための原動力として活用する方法を得たのです。

   月刊誌より


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2009年03月06日

No 565 少林寺拳法 便り

少林寺拳法 月刊誌 1月号より

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菅野純の心を育てる

クレームの聞き方 

市民に開かれている教育センターで教育相談員をしていたころ、時々猛烈に攻撃的な保護者が、相談というよりは文句を言いにやってくることがありました。

攻撃の矛先はさまざまでしたが、中には筋違いと思われる非難や批判もありました。

今でいう「モンスターペアレント」「クレーマー」と呼ばれる保護者です。

親としての自分の役割やわが子の問題は棚に上げ。「私は(うちの子は)悪くない。悪いのは教師(他の子)だ」と一方的に攻めるのです。

 私も、まだ若い相談員であったころは、時には理不尽と思えることを言ってくるこうした相談者に戸惑い、何時間も話を聞き、くたくたに疲れることがありました。

しかしあるとき、私なりに発見がありました。

それはこの連載の第2回目(2008年5月号)「怒りと悲しみ」で述べたように、どんな攻撃的な言葉にも、その背後に困った気持ちや悲しみがあるのだ、ということです。

 その後私は、クレーマーで悩む先生方には、理不尽な苦情や攻撃的な言葉の背後には、思うようにならないわが子や協力的でない夫(妻)などへの、困惑と悲しみが隠れていることが多く、そこに焦点を当てて、話を聞いていくことを提案するようになりました。具体的には次のような助言をしています。

@時間を設定し、「〜時まで、お話をお伺いしながら一緒に考えていきたいと思います」と伝える。時間枠を設けることで、話の堂々巡りや話の散漫化を防ぎ、「一緒に考える」という言葉を入れることで、話し合いを一方的なものにせず、かつ自分が敵対者でないことを伝えます。

A「大事なお話なのでメモさせてください」と記録を取る。
 矢継ぎ早に苦情を言う場合には、3点くらいずつ言われたことを確認し、「こういうことでよろしいですね」と時々立ち止まってメモを読み上げ、相手の言葉を復唱します。
 相手は、自分の話がしっかり受け止められていると感じます。
 また、自分が言ったことを客観的に捉える機会も出ています。
 カウンセリングでは「繰り返し」と呼ばれる技法です。

B言い訳はしない。相手が責めてくるときは逃げ腰にならず、こちらから、むしろ進んで殴られるような姿勢でかかわります。
 「そのほかにはありませんか。せっかく、こうしていらしてくださったのですから、どうぞご遠慮なくお話ください」と。

C「今、できること」「もう少し話し合いが必要なこと」「わかってもらいたいこと」などに話を分類し、話を終結していく。
 相手に言うだけ言わせたら、今度はこちらがその分だけ反論する、という敵対構図にしないようにします。
 むしろ、「後で何か思い出したことなどありましたら、お電話ください」と、いつでも受け止める姿勢であることを伝えます。
 話し合いを戦いの場にしない姿勢が、信頼関係を築くのです。


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2009年03月04日

No 562 少林寺拳法 スポーツ少年団

先日 鹿児島市スポーツ少年団 少林寺拳法大会があり、おいちゃん達 一般拳士も 大会運営の お手伝いをしてきました手(チョキ)

練習にあまり参加できない おいちゃんは 裏方のできる仕事を・・・わーい(嬉しい顔)

駐車場整理や写真撮影他 雑務をモバQあせあせ(飛び散る汗)ダッシュ(走り出すさま)


子ども達の 真剣な瞳が まぶしかった  輝いていましたぴかぴか(新しい)


デジカメ写真で 雰囲気をどうぞ (薩州天文館道院のHPから借用)


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2009年02月20日

No 555  少林寺拳法 薩州天文館 便り

おいちゃんの所属する 少林寺拳法 薩州天文館道院 情報新聞?3・4月号が届きましたので  抜粋して ご報告手(チョキ)わーい(嬉しい顔)


だーま通信

薩州天文館道院・支部
  鹿児島市坂之上2丁目34番11号
          261−3979
     道院長  四元光司


※ いろんな罪がありますが、こんな罪もあります。


子供に対する罪・・・

『よかれ』と思うことが必ずしも子供のためにならず。
大方の親が思い当たること・・・?
(子供をオモチャにする)・・・女の子には美しい洋服を着せたり、男の子には頭をいろいろに摘んだり、染めたりする。《大人のできそこないのようにして玩具にしている。》
これを愛情と間違えている。


夫を粗末に対する罪・・・

(夫より子供を大切にする)・・・結婚をして子供を生んだという順序からすれば、当然、夫のほうが先に死ぬのですが、何かにつけて子供を優先してしまう。
・・・もっと、わたしを大切にしてくれ!と
・・・○○拳士が言っていましたよ???


親を大切にしすぎる罪・・・

親が年をとると(なるべくじっとしていなさい)・・・とばかりに、親切という美しい牢獄に押し込めてしまう。《おばあちゃん、転ぶと危ないから、私がやりますから》とか、それが親切だと思っている人がけっこう多い。
でも、そのときなりの力で働きがあり、役割があることが、本当は親の喜ぶことです。大切にしているようで、かえって身体を弱くしてしまっている場合がある。

親に心配をかけない罪もあります。・・・親に心配をかけちゃいけないと、何か困ったことがあっても、親には言わない。黙っている。・・・親の立場に立ってみると、それは寂しいことです。


【万人の幸福】

・・・いい服を着て、いい物を食べることが自分を大事にすることの
ようだけど、そうではない。

「自分を大切にすることは、世のため人のために自分を働かすこと」
と言う。

・・・とても良い本より抜粋しました。・・・


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勉強になりますね 

ありがとうございます 感謝します

    合掌   おいちゃん

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2009年02月16日

No 551  少林寺拳法だより

ずっと 書けていなかった 少林寺拳法月刊誌より 抜粋

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11月号

菅野純の心を育てる

菅野純 早稲田大学人間科学学術院教授
1950(昭和25)年、宮城県仙台市生まれ、早稲田大学卒業後、同大学院終了。
発達心理学・臨床心理学専攻。
東京都八王子市教育センター教育相談員を経て、現在、早稲田大学人間科学学術院教授。
不登校、いじめ、非行など、さまざまな子どもへのカウンセリングに加え、学校崩壊をはじめとする学校のコンサルテーションに取り組む。
主な著書は「武道―心を育む」(日本武道館出版)ほか多数



心の中の風景
 わが国で独自に開発された芸術療法の一つに「風景構成法」があります。
これは、一枚の画用紙に「はじめに、川を描いてください」「次に、山を描いてください」と言って、「田」「道」「家」「人」など全部で10個の項目を構成していくことで風景を描いてもらう方法です。

 そのあとカウンセラーは、出来上がった風景画を描き手と一緒に眺めながら、さりげない質問などするのですが、描かれた風景が、その人の子供の頃になじんだ故郷の風景である事が少なくありません。

私が初めて「風景構成法」で描いた風景も、無意識に、子供の頃よく見ていた故郷・仙台の山や川を描いていました。同時に、心の中にある故郷の風景が、自分の心を包み込んで自分を支えてくれている事にも気づいたのです。

 子供の頃見た映画「二等兵物語」(伴淳三郎・花菱アチャコ主演)の中で、上等兵にいじめられる二等兵が、「二等兵はつらいなあ」と嘆きながら、「幾年故郷来てみれば、咲く花鳴く鳥そよぐ風…」と歌って耐える場面がありました。心の中にある故郷を思うことで困難に耐えてきた人は、少なくないのではないでしょうか。


心象風景に描かれた願い 

「風景構成法」の中では、実際にはなかった願望も描かれることがあります。

例えば、風景の中に親子が描かれることがあります。

川に沿った道を、犬を連れて散歩している親子、ランドセルを背負った子供と、その子を迎える母親、一本道をサイクリングしている親子…。

しかし、描き終えた後で、その人が、「実際には、こういうことはなかったのですが、お母さんと子供のころにこうしたかった」と語ったりします。

実は私も、父と川でのんびり釣りをしている場面を描いていました。

しかし、私の記憶の中に、父とそうした思い出はありません。

満州からの引揚者として帰国し、婿養子となった父の思い出は、家族のためにひたすら働く姿しかありません。

私も、父とそんなふうに釣りをしたかったという子供のころの願望を描いたのでした。

 子供のころに得られなかったものや、できなかった体験を、今、絵で表現することによって、自分の心にあったわだかまりや寂しさ、怒りなど、さまざまな感情に気づき、自分の心の「整理」をする事ができるのです。

 女子少年院を退院しても、親は引き取ろうとしなかったために施設で暮らしている少女がいました。

「風景構成法」で描かれた風景は荒廃したものでしたが、一つだけ明るい部分がありました。

白い壁の小さな家が描かれているのです。

暖炉があるのでしょうか。煙突からは煙が出ていて、家の中は暖かそうでした。

絵の中に描かれた小さな家が、彼女の心を支え続けていたのです。

  以上11月号より




初めのひと言

 子供の教育相談員として、東京の郊外で働いていたころの話です。

長く不登校を続けている中学生のA君について、A君の親と学校、そして教育相談員の三者で話し合いが持たれました。

夏の暑い日でした学校の近くの待ち合わせ場所に、A君のお母さんが、何やら風呂敷包みを持って待っていました。

学校に着くと、教室には話し合いのための席が設置されておりました。

私とお母さんの席は、先生方と相対するように少し離れて並べてありました。

「何だか裁判みたいだな」と思いました。

判決を受ける被告席のような配置だったのです。

教頭先生は、A君のお父さんが来てないことが不満そうで、理由をお母さんに質していました。

「仕事が忙しいもので・・・」お母さんは消え入るような声で話しました。

それからお母さんは、持ってきた風呂敷包みを開けました。

出てきたのは、ポットと急須、お茶碗でした。

わが子のことで話し合いをするのだから、先生方にお茶ぐらいは出さなければ、と考えたのでしょう。

あまり手際の良い様子ではないのですが、その準備をし始めました。

A君のお父さんが欠席だった事にイライラしていた教頭先生が口を開きました。

「お茶なんかいいから早く座って!」。

A君のお母さんは「はい」と焙って、お茶の用意をやめ、席に座りました。

それからの話し合いは、あまり覚えていません。

A君のお母さんは、先生方の言葉に「はい」とうなずくだけで、自発的に話す事はありませんでした。

 私は「残念だなぁ」と思ったのです。教頭先生の一言がです。

「この暑いのに、わざわさお茶の道具を持ってきてくれたの。それじゃあ、お母さんの入れてくれたおいしいお茶を飲みながら、A君のこれからのことをみんなで一緒に考えましょう」と言ったら、

ずいぶん展開は違っていたのではないでしょうか。

A君は結局、その中学校には通う事なく、夜間の中学校に転校し、そこから調理学校に進み、今は焼肉店の経営者になっています。

調理学校を卒業した時、私のところに卒業証書を待って報告に来ました。

調理学校在学中は、不登校になったクラスメートを毎日迎えに行き、何とか一緒に卒業できたとのことでした。

でも中学校の事については「○○中学校の先生方は、頭はいいかもしれないが「先生」であって欲しくない」と手厳しい言葉でした。

 初めのひと言によって 話の展開やその後の関係は変わってしまうものです。

相手との心と少しでもつながる言葉かけが大事だと思います。

人を呼び出したときには「よく来てくれました」「ご足労ありがとうございます」といった、来てくれたことへの感謝の気持ちを伝えるべきでしょう。

あの時少しでもお母さんを労う言葉があれば、A君もお母さんも○○中学を心の故郷のように思うことができたのかもしれません

  以上  12月号より 

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posted by Dr.モーリィー at 19:28| 少林寺拳法 関連 | 更新情報をチェックする

2008年12月23日

No 508 少林寺拳法 月刊誌10月号よりより

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行としての少林寺拳法
「少林寺拳法の伝承は心の伝承」

少林寺拳法はどこにあるのか

 大乗仏教経典である『般若心経』の中に、「色即是空 空即是色」という有名な一節があります。
乱暴ですが単純に述べると、「色」とは形があり実態があるものを指し、「空」とは実態がなく形として存在しないものを指します。
形があり実態のある「色」が、同時に実態がなく形がない「空」で、実態がなく形がない「空」が同時に形があり実態のある「色」である、と述べているのが「色即是空 空即是色」です。

少林寺拳法はこの世のどこにもないといったら、読者の皆さんはどのように感じるでしょうか。我々の生きている世界に少林寺拳法は確かに存在していますが、橋やダム、都市にそびえる高層ビルなどと違い、世の中のどこを探し回っても、少林寺拳法という「物」は存在していません。
少林寺拳法を形あるものと認識できるのは、道場で拳士が法形や組演武、運用法などを行っているときです。
このように、道場の稽古の中で、目で認識できる部分は少林寺拳法の「色」の部分です。でも、そこで少林寺拳法を行っている人は、少林寺拳法ではなく、ただの人にすぎません。
故に、少林寺拳法そのものは、この世のどこにも存在しません。少林寺拳法を学ぶ者一人ひとりの心の中、あるいは意識の中に、目に見えない「空」として存在しているのです。


見えるものと見えないもの

 「よき人間関係を育てることこそ、真の幸福と生きがいにつながる道である」と開祖は述べています。
そして、よき人間関係を広げていく人づくりの手段として少林寺拳法を創始しました。
少林寺拳法には、@拳禅一如、A力愛不二、B守主攻従、C不殺活人、D剛柔一体、E組手主体の六つの特徴があります。
少林寺拳法がよき人間関係を育てる手段として有効に機能するためには、この六つの特徴が備わっていることが必要です。
この六つの特徴も、少林寺拳法と同様に、この世に「色」として存在しません。
この六つは、心の中で自覚され、「空」として存在するものです。
少林寺拳法は、技の修練で、身体と心の調和(拳禅一如)、力と愛の調和(力愛不二)、強さと優しさの調和(不殺活人)、剛と柔の調和(剛柔一体)を目指し、守りに徹し(守主攻従)、二人一組(組手主体)で練習します。
このように、少林寺拳法には調和を目指す思想があり、少林寺拳法という技法を活用して調和力を養う修練を行っているのです。

 技を伝承するということは、実は心を伝承するということです。
我々は、少林寺拳法を修練しているのではなく、少林寺拳法で心の修練をしているのです。
目に見える形は少林寺拳法でも、目に見えないものが少林寺拳法ではない場合もあります。
逆にいえば、技の修練をしていなくても、開祖の心を理解し、まさに少林寺拳法を活用して生きていると言うという場合もあります。
己が修行するものが本当に少林寺拳法であるためには、目に見えないが確かに存在する、開祖の心を継承することが必要なのです。

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心を育てる

混沌から学ぶ 

この夏初めてベトナムのホーチミン市に滞在し、数日を過ごしました。
ホーチミン市を訪れた人が、驚き圧倒されるのは、市内のあらゆる道路を、朝から夜まで道路一面にあふれ、絶え間なく走り続けるものすごい数のバイクではないでしょうか。
 右からも左からも、一方通行の逆方向からも行き交います。二人乗り、三人乗りは普通で、大人の間に小さな子供や乳児を挟んでの四人乗りも少なくありません。
 その間を、自動車、自転車、シクロと呼ばれる輪タクが交じります。横断歩道がほとんど機能していないため。人間もその車両の渦の中を横切ります。

 これらのバイクは、一体どこから来てどこに行くのだろうかと、初めは不思議でたまりませんでしたが、電車などの公共交通が発達しておらず、自家用車も普及していないベトナムでは、バイクが庶民の足なのだとガイドさんから教えられました。
 わが国のラッシュアワーの満員電車で通勤・通学する人々が、バイクに乗って移動している、と考えると良く納得できるのです。
 それにしても、交差点などでは、もう混沌としか言いようのない混乱ぶりです。ガイドさんに導かれても、このバイクと車の渦の中を横切るには、相当な勇気が必要でした。


意外な展開

しかし、2日目ごろから、道路を横切るコツのようなものがつかめるようになり、帰国する頃には、道路横断がそれほど怖くもおっくうでもなくなっている自分に気がつきました。
 人々は、決して譲り合って走っているわけではありません。
 むしろ、強引ともいえるような割り込みが少なくありません。
 それでも不思議とトラブルが発生しそうな状況なのに、ベトナムの人々は実に平然と、流れるように走っています。
 その理由の一つは、それぞれの人々が自分で状況判断しながら、自立的に走っていることです。
 自分を守るのは、交通ルールや警察官ではなく自分だという心が、親に挟まれてバイクに乗っているような子供の頃からしみこんでいるのでしょう。
 もう一つ、カリカリ、ピリピリしたものがありません。
 寛容というか、どこかゆったりした心も(「ユルい」といったほうがよいでしょうか)、トラブルの見られない原因かもしれません。
 ゆったりしながらも状況判断に冨み、自立的でバイタリティーに富むベトナムの人々の姿を、短い滞在の間にも、色々な場面で見る事ができました。
 私たち日本人が、どこか忘れてしまったものに出会ったような気持ちでした。
 豊かさや秩序に守られ、状況判断力や自立心が十分に育つことなく、混沌や混乱に弱くなってしまったわが国の子供のことを、しきりに思う滞在となりました。

   少林寺拳法 月刊誌 10月号より

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2008年09月11日

No440 少林寺拳法 月刊誌 9月号より

菅野純の心を育てる

菅野純 早稲田大学人間科学学術院教授
1950(昭和25)年、宮城県仙台市生まれ、早稲田大学卒業後、同大学院終了。
発達心理学・臨床心理学専攻。
東京都八王子市教育センター教育相談員を経て、現在、早稲田大学人間科学学術院教授。
不登校、いじめ、非行など、さまざまな子どもへのカウンセリングに加え、学校崩壊をはじめとする学校のコンサルテーションに取り組む。
主な著書は「武道―心を育む」(日本武道館出版)ほか多数

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vol.6 自分の中の“敵”

 教育カウンセラーになって12〜13年が過ぎたころ、私に大きなスランプがやってきました。
 それまで身につけてきた理論や相談技法では対処できないケースが増え、自分の前に大きな壁が立ちふさがっているように感じる日々が続いたのです。
当時は現在と違ってカウンセラーのための研修は極めて少なかったのですが、幸運にもある研修プログラムに参加することができました。

 4日間、朝から夜まで続くその研修の中での体験です。
講師から一つの宿題が課せられました。
「次の日までに、あなたがいちばん嫌いな人を一人選んで、その人の嫌いなところを10選び、『○△はこういう人です』と個条書きに書いてきなさい」というものでした。
私は、以前から心に抵抗を感じていたある先輩を思い浮かべ、宿題を完成させました。

 翌日、それぞれが宿題を持ち寄り発表するということになりました。
研修参加者全員の前で、自分の書いてきたものを大きな声で読み上げるのです。

 ただし、一人一人行うのではなくて、全員が同時に、「一つ!○△はこういう人です!二つ!・・・・」という具合に行うというのです。
それなら、それぞれの大声で言葉がかき消されます。

 なつほど、そうすれば自分の書いてきた言葉を他の人に聞かれる心配もないし、思いっ切り叫べば心もすっきりするかもしれない。
これは「カタルシス(心の中にたもったものを吐き出す)」のための研修かもしれない!
そう私は思いました。


意外な展開
 いざ始めようとしたとき、講師は私たちに意外なことを指示しました。「名前のところを『私』に言い換えて大きな声で読むように」と。
参加者はそれぞれ戸惑いながらも、指示どおり「一つ!『私』は偉そうな口を利く人です!」「二つ!『私』は権威主義な人です!」「三つ!『私』は嫉妬深い人です!」・・・と。
不思議なことが私の中で起こりました。
その先輩の嫌いなところを、私自身がすべて持っていることに気づいたのです。

 私が戦っていたのは先輩ではなく、私の中にある「先輩と実によく似た私」だったのです。10の言葉を全部言い終わるころ、私だけでなく、参加者誰もが身につまされた顔をして、その場に佇んでいました。
それから私たちは、講師の指示に従って、書いてきた宿題を丸めて紙つぶてにし、大きな声で「エイッ」と思い切り壁に向かって投げつけました。
自分の投げつけた紙つぶてを拾いながら、なぜか私は涙がこぼれました。

 私がカウンセラーとして「自分」に向き合い、目を自分自身に向けるようになった大きなきっかけでもありました。

少林寺拳法 月刊誌 9月号より
posted by Dr.モーリィー at 14:47| 少林寺拳法 関連 | 更新情報をチェックする

2008年09月06日

No 436 少林寺拳法便り

とある会社の 社報に 少林寺拳法が取り上げられました手(チョキ)わーい(嬉しい顔)

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一部 抜粋いたしますわーい(嬉しい顔)


私の楽しみ世界
 谷山にお住まいの福留さんは少林寺拳法を40年続けていらっしゃいます。始めたのは学生の時。
 その後息子さんと共に続けています。
 少林寺拳法の魅力をお尋ねしました。


少林寺拳法は 単なる武道や勝ち負けを争うだけのスポーツではありません。
少林寺拳法は「こころ」と「肉体」を同時に鍛錬し「社会に役立つ人間」になろうという「人づくりの道」ですぴかぴか(新しい)


連日猛暑が続く中、薩州天文館支部では 四元支部長の指導の下、幼稚園児から66歳の方まで 女性を含め60名の拳士が楽しみながら汗をかいていますパンチ


何といっても私たちの支部は家族ぐるみで道場に通う拳士たちが多いことです
家族・兄弟(姉妹)・家族全員が通うといった一家もあります。手(チョキ)


それだけ少林寺拳法の教えの中に現代社会で求められているものがあるからだと自負しています。


ひとりひとりが少林寺拳法の修行を通じて何事にもくじけない、やさしさと正義感を持った強い人間として学校や職場、地域において良きリーダーとならん!と週2回の練習に励んでいます。パンチわーい(嬉しい顔)


少林寺拳法薩州天文館支部 
練習日(いずれも19時より21時まで)
 月・木:谷山北中武道場
 水・金:甲南中武道場


 ひとりごと
素直な人に人は集まります。
気持ちが素直だとまっすぐな心がわかります。
ひねくれるとひねくれた方へ気持ちが向きます。
いつも素直な心で物を見て考えるようにすると物事がまっすぐ見えます。
素直な笑顔は美しいです。

          合掌
         
posted by Dr.モーリィー at 18:12| 少林寺拳法 関連 | 更新情報をチェックする

2008年08月07日

No 412 少林寺拳法 月刊誌 7月号より

菅野純の心を育てる
菅野純 早稲田大学人間科学学術院教授
1950(昭和25)年、宮城県仙台市生まれ、早稲田大学卒業後、同大学院終了。
発達心理学・臨床心理学専攻。
東京都八王子市教育センター教育相談員を経て、現在、早稲田大学人間科学学術院教授。
不登校、いじめ、非行など、さまざまな子どもへのカウンセリングに加え、学校崩壊をはじめとする学校のコンサルテーションに取り組む。
主な著書は「武道―心を育む」(日本武道館出版)ほか多数



Vol 4 心の健康を保つために
中井久夫先生は、精神医学やカウンセリングの世界では高名な精神医学者で、幅広い教養に裏付けられた独創的な考えは、高く評価されています。中井先生の挙げる「精神的健康の基準」を参考に、私なりに心の健康を保つ方法を紹介したいと思います。

心の健康を保つ八つの方法

@現実に対処する方法を複数持つ
これがだめなら別の方法で、その方法がだめならさらに別の方法で・・・と、問題対処のレパートリーを常に複数持つようにします。ワンパターンの対処法だと行き詰まりやすくなり、ストレスから病気にもなりやすくなるのです。

A一時撤退する・助けを求める
精神的に追い詰められて鬱病などの精神疾患に陥る人は、孤立無援の状態で自分のもつすべての力を使い切ってしまうことが多いのです。まだ余力のあるうちに一時撤退したり援軍を求めたりすることも、大事な能力なのです。

B意地を張らない
意地を張ると視野が狭くなり、自己中心的にもなりがちです。あるところで手を打つ能力を身につけたいものです。この能力を身につけると、心にゆとりが湧き、他覚的に物事を考えたり相手の身になって考えたりする力も身についてきます。

Cいやなこととつきあう
いやなことを進んでやることではありません。「うまくつきあう」ことなのです。不快なことにある程度耐えることでもあります。例えば、いやなことを後回しにしたりしながら、何とかやり遂げたりすることです。

D含んでいられる
何でも思ったらすぐに口に出してしまう人がいます。率直さも大事ですが、今はしゃべらないで心の中に含んでいることも大事です。自我のしなやかさが問われます。

Eあいまいなことに耐える
すぐに結論を出したがる人、何でも明らかにしないと気がすまない人、即座に問題解決を求めずにはいられない人がいます。しかし、時には時間を待たなければなりません。「今ははっきりしないことに我慢できること」も大事なのです。短絡的に問題解決を求めずに、迂回して根気強く関わる力ともいえます。

F問題を局地化する
「最近の子供は」「練習というものは」などと問題を一般化すると、解決はどんどん遠のいてしまいます。「○○君の場合は」「〜を鍛えるためには」などと、出来るだけ限定して考えると、相手に伝わりやすくなります。

G時には退行(子供返り)する
時には、はしゃいだり、本気でやり合ったりできることです。「退行という浴槽にゆっくり湯あみすることは、精神健康上に非常に必要なこと」と中井先生は言います。「出ずっぱりでは人間はもたない」とも。

  以上少林寺拳法 月刊誌7月号より   合掌
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2008年07月31日

No 405 少林寺拳法 6月号より

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@行としての少林寺拳法
人、人、人、すべては人の質にある
      文)白濱 雅弘


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人づくりによる国づくり
 「すべてのものが『人』によって行われるとすれば、真の平和の達成は慈悲心と勇気と正義感の強い人間を一人でも多く作る以外にはないと気づき、万一生きて帰国出来たら、私学校でも開いて志のある青少年を集め、これに道を説いて正義感を引き出し、勇気と自信と行動力を養わせて、祖国復興に役立つ人間を育成しようと決心するに至ったのである」
(『少林寺拳法教範』より抜粋)
 第二次世界大戦は大規模な総力戦となり、その犠牲者は軍人と民間人を合わせると全世界で約6000万人、アジアで約2000万人に上るといわれています
日本国内でも広島、長崎に原爆が落とされ、東京など各都市が空襲されたりと多数の犠牲者が出ました
日本の敗戦を満州(現・中国東北地方)で迎え、その後1年間をソビエト共産軍の軍政下にあった満州で生活し、敗戦国民の惨めさや悲しさを痛いほど体験し、力だけが正義であるかのような厳しい国際政治の現実を、身をもって経験した開祖・宗道臣。
そして、その体験を通して、法律も軍事も政治のあり方も、イデオロギーや宗教の違いや国の方針だけでなく、その立場に立つ人の人格や考え方の如何によって大変な差が出ることを発見し導き出された言葉が、タイトルの「人、人、人、すべては人の質にある」なのです

慈悲心と勇気と正義感の強い人間を一人でも多く育て、「人づくりによる国づくり」を目指し、開祖は少林寺拳法を始めました


「己しかない心」「己のない心」
 戦後日本は目覚しい経済発展を成し遂げました
物質的に豊かになり、日本はとても平和です
でも、一見平和に見える日本は、実は危機的な状況にあるのかもしれません
 私は、かつての激しい稽古がたたり、足に障害がでてしまいました。
そんな私が、松葉杖をついて通勤電車に載ったときの話です。
その日優先席の前に立った私に、中年の男性が「どうぞ」と 席を譲ってくれました。
私はお礼を言ってその座席に座ろうとしたとき、なんと私を押しのけて若い女性が座ったのでした。
たまたま私の前の席が空き、早い者勝ちでその女性が座ったのであればかまわないのです。
でも明らかに座席を「どうぞ」と勧められ、「ありがとうございます」というやり取りがあり、周囲の人がそれを認識しているのですから、私はひと言言いました。
「そこは、この方が私のために譲ってくださった座席ですから、あなたが座るべきではありません」と。
しかし、その女性は、私が何を話しかけてもまったく無視をし、携帯でメールを打ち続けていたのです。
周りにいた乗客が、あまりの態度に見かねて女性を注意しましたがまったく動じません。
何を言おうとムダでした。正直な話、私は怒りを感じるより、恐ろしさを覚えました。
でも私は、この女性は特殊ではないと思うのです。

少林寺拳法の原点「人づくりによる国づくり」がいま、本当に求められているのではないでしょうか。


A 菅野 純の 心を育てる
    菅野 純
      早稲田大学人間科学学術院教授

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vol.3 正論の怖さ

立派な親と無気力な子供
お父さんやお母さんは立派な人なのに、子供はなぜこんなに無気力なのだろう・・・
子供のカウンセリングをしていて、こう思うことが幾度かありました。時には両親とはまるで異なる裏街道のような生き方をしてしまう子もいます。
そのことが、私にとって長い間疑問でした。ある時その理由が私なりに解ったのです。

中学3年生の男子。学校に行かずに家でシンナーを吸って引きこも
っているという相談でした。
お父さんは苦学して弁護士になった人、お母さんのほうはボランティアとして献身的に活動する人でした。
親からの要請で家庭訪問すると、彼はシンナーでまさに酩酊している状態でした。
盛んに唾を破気、意識もうろうとしながら語る言葉は自己卑下的な言葉ばかりです。
時々、彼は泣きました。 ベッドの下には、かつて夢中になって練習したというギターが埃をかぶって転がっていました。

両親との面接。 お父さんは彼のことを開口一番、「ひたすらなところが無い子です」と言いました。
「いつも、楽なほう楽なほうへと逃げている」「目標がない」とも。
彼は、私立中学の受験に失敗したそうです。
「そうした挫折は、誰にでもある。それを乗り越えることこそ、人間として大事だと思うのです」。
お父さんの言葉に、何だか私自身がハッパをかけられたような気持ちになりました。


正論の怖さ
「正論の怖さ」という言葉が私の中に浮かびました。お父さんが言うことは間違っていはいません。でも、その言葉では彼は元気になれるだろうか。やる気が沸いてくるだろうか。
加えて、正論は修正の必要がありません。正論を言う人は、「自分は間違っていない」と信じています。それに異議を唱えると、より一層反駁されるだけでしょう。
正論によって、彼はどんどん追い詰められたのではないか。無力感や「自分はダメな人間だ」という気持ちになるまで追い詰められた結果が、あのシンナーではないだろうか― そう私は思ったのです。
正論を言わないほうがいいといっているわけではありません。正論は、必ずしも優先順位一番の言葉ではないのではないか、と言いたいのです。
時には、正しい言葉よりも、慰める言葉、励ます言葉、認める言葉などのほうが、優先順位が高いこともあるのではないか、と。
カウンセリングは、まず両親が「正論の怖さ」に気づくことから始まりました。
今、何が優先されなければならないか、どうすれば彼の心の中にエネルギーが補給されるか、を一緒に考えたのです。


Ps)とある本に 正論で相手を追い詰める時には 少しばかりの逃げ道を用意しなさいと  実感ですねわーい(嬉しい顔)モバQ
posted by Dr.モーリィー at 08:48| 少林寺拳法 関連 | 更新情報をチェックする

2008年07月24日

No 398 少林寺拳法

モバQ

少林寺拳法 県大会を 楽しんで修行してきました

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密かに 入賞できないかと 淡い期待もあったのですが
世の中そんなに甘くないもうやだ〜(悲しい顔)

しっかりと鍛錬せよと 天の声がパンチ

まだまだなので 基礎から頑張れとパンチ  ハイモバQ

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我が 薩州天文館道院の精鋭たちは 入賞を連発ぴかぴか(新しい)手(チョキ)目

さすが 日々の鍛錬の成果です おめでとうございますぴかぴか(新しい)

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支部別・道院別団体賞である 大会会長賞の連覇は惜しくも 
次点2位でしたが 1位は 兄弟道院である
薩州谷山道院 柿元道院長が 獲得
おめでとうございますぴかぴか(新しい) 

来年こそは 自分もがんばり 道院にも貢献し
四元道院長を 皆で 胴上げしたいなと 考えているおいちゃんですモバQ



個人的には良い報告ができなかったので
少林寺拳法月刊誌 5月号より

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@行としての少林寺拳法 文・白濱雅弘 

少林寺拳法を身につけるということについて

「単なる武道やスポーツではない」とは

日本武道館が発行し、さまざまな武道関係者や教育関係者が愛読している月刊『武道』という雑誌がありますわーい(嬉しい顔)

私は、その2006年9月号に「武道を生かす<少林寺拳法>」というテーマの文章を掲載しました。冒頭には次のように書きました。

「『少林寺拳法は単なる武道やスポーツではない』。この開祖・宗道臣の言葉は、少林寺拳法を指導する者ならだれでも一度は耳にし、自らも口にしている言葉です。

しかしこの言葉は、少林寺拳法をまったく知らない方が聞いた場合、少林寺拳法以外の武道やスポーツに対して大変失礼な言い方に聞こえてしまうかもしれません。

開祖は、大学生合宿の講義の中で次のように述べています。
『本当の少林寺拳法というのはね、武道でもない。スポーツでもない。しかし護身の技術の要素もあれば健康の要素もあり、そして何より大事なのは、しっかりとした自己を確立するという精神修養、それが本体です』(本誌06年8月号「開祖かく語りき」より)

開祖は、記録や勝敗のみにこだわるあり方を否定し、少林寺拳法を通して人を育てることを重要視していたのです。
私は、開祖が『少林寺拳法は単なる武道やスポーツではない』と言われたのは、他の武道・スポーツを批判したというより、実は少林寺拳法そのものに向かって発せられた言葉だと考えています。
それは、少林寺拳法を行ずる者は、競技の勝敗を最大の価値にするのではなく、自己確立、自他共楽の精神を養った、世の中に有益な人間を育てる、そういう人々が協力し合うことにより、よい社会を築いていくことに価値を置きなさい、という戒めだと思うのです。少林寺拳法は、人づくりのための手段なのだということです(後略)」

数名ではありますが、この文章を読まれた他の武道関係者から、「『少林寺拳法が単なる武道やスポーツではない』という意味が理解できました」という感想を私は頂きました。



 開祖の心を理解すること  

開祖は、すべての人間はダーマ(大宇宙に存在する引力や、生物を生み出す生命力といった、大自然の中に確かに存在する自然の大いなる力)によって生かされている尊い存在であるという認識の下に、「半ばは自己の幸せを、半ばは他人の幸せを」ということを本気で考え、行動できる人を育てる、人づくりの道として少林寺拳法を創始しました。

開祖の志から少林寺拳法は始まったのです。少林寺拳法を身につけるということは、護身術として少林寺拳法を体得するという狭い意味で捉えるのではなく、開祖の心・開祖の志を理解し、一人ひとりがそれを日常の行動に生かすことができるようになるということなのです。

お互いが争い、競争し合う関係ではなく、人々がお互いに助け合い、協力し合う人間関係をつくっていくことが、少林寺憲法では大切なのです。


   肝に銘じて 修行修行と 再認識する おいちゃんです;モバQわーい(嬉しい顔)



A 菅野 純の 「心を育てる」
  菅野 純
   早稲田大学人間科学学術院教授

vol.2 怒りと悲しみ

怒りの背後に 
まだカウンセラーになる前、学生時代に、児童養護施設に関わっていたことがあります。“ボランティア”といった立派なものではなく、その施設の、2〜6歳までの、親のいない子供たちと遊んでいただけなのですが
 その中にものすごく攻撃的な5歳の男の子がいました
ささいなきっかけで怒りだし、誰彼構わず蹴ったり殴ったりするのです
その子に関わっているうちに私はあることに気がつきました
私に向かって蹴ったり殴ったりするとき、目には涙をいっぱいためているのです
そのとき私は思いました
「怒りの背後にはたくさんの悲しみがあるのではないか」と
 その後私は、カウンセリングの中で子どもや大人のさまざまな「怒り」と出会うたびに、施設で出会ったその子のことを思い出しました

悲しみの表現 

私たちは、悲しみを悲しみとして表現せず、悲しみ以外の行動として表現してしまうことがあります
悲しくても平然としている、無表情でいる、反対にニコニコしている(“ニコニコうつ病”と呼ばれたりすることもあります)
そして、怒りや攻撃として現れることもあります

 なぜでしょうか
 それは、さらに自分が傷つき、悲しみが深まることを防ぐためです
悲しみを素直に表現しても、相手にされず無視された、慰めるどころか逆に叱られた、周囲の誰もおらず独りぼっちだと知った・・・こうした体験が積み重なると、人は悲しみを言葉でありのまま訴えることがなくなり、屈折した、回りくどい表れとなってしまうのです

 時には、悲しみを感じなくなってしまうことさえあります
「能面のような表情」「凍りついた顔」などと表現される人は、かつて誰よりも感じやすく傷つきやすい人ではなかったかと思うのです

 わが国では、文化的に、悲しみを直接的に表現することは「女々しいこと」とされ、悲しみを表現せずにむしろ「耐えること」に価値が置かれてきました
 同時に、相手の悲しみの間接的な表現を「察すること」が大事とされてきました

しかしそのことで、本来思いやり、支え合うべき同士の心にズレが生じ、相手へのあきらめや怒りとなってしまったことも少なくなかったのではないでしょうか

「もっと、私のことを心配してほしい」「私は独りぼっちで寂しい」
「私の悲しみをわかってほしい」と悲しみを率直に伝えられれば、と私は思います

同時に、相手の怒りの背後に、悲しみを読み取る心のゆとりを持ちたいとも思います

菅野 純
   早稲田大学人間科学学術院教授

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         以上 5月号より 抜粋     合掌
posted by Dr.モーリィー at 08:01| 少林寺拳法 関連 | 更新情報をチェックする