2018年02月20日

No 4496    【人生、勝負は後半にあり!】

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おいちゃんのお気に入りブログ【人のこころに灯をともす】からの転載です

【人生、勝負は後半にあり!】

田中真澄氏の心に響く言葉より…


《人生、勝負は後半にあり! 能力開発は年齢不問》

潜在能力の開発は年齢不問です。
20世紀までは「人生は60歳までが勝負」の思いできましたが、平均寿命が伸び続ける長寿時代、「人生は65歳からが勝負」との考え方が必要です。
人生の勝負が後半に移って、定年以後の生き方が問われるのです。

65歳以後も活き活き生きるには、100歳まで生きる可能性に賭け、死ぬまで働く終身現役を目指すことです。
少なくとも定年後は、年齢不問の潜在能力の開発にどこまでも挑戦し、得意なことを仕事にしながら、己を高めていく生き方を選ぶべきです。

私たち凡人にとって怖いのは年齢情報です。
例えば還暦を迎えた人は「もう60歳」と受け止めても、「まだ60歳だ」とは思いません。

人間は、前向きに生きることを心掛けていれば、いくつになっても自分の能力は開発していけるのです。
そのことを教えてくれたのは日本の正確な地図を初めて作成した伊能忠敬です。
彼は千葉県佐原の大地主で醸造業を営む伊能家に17歳で婿養子に入り、49歳で家督を息子に譲るまで家業に専念し、伊能家を繁栄に導きました。
しかし彼が本当にやりたかったことは天文学と国土の測量でした。
そこで50歳で息子に家督を譲ると、江戸に出て、19歳も若い幕府天文方・高橋至時に弟子入りし猛勉強。
ついに至時が舌を巻く程の力をつけたのです。

そして55歳から73歳で亡くなるまで日本全国を踏破し、後半の人生を測量に傾けました。
伊能忠敬の後半の人生を知ると、勇気が湧いてきます。
好きなことを本気で続けていけば、年齢を超越して願望を達成できることを実感できるからです。

『田中真澄の88話』ぱるす出版

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「人生、勝負は後半にあり! 」とは、40代でも、50代でも、もちろん60代でも言えること。
少し小金が貯まったとか、家賃収入や年金があるからと、プチリタイアを目指す人は多いが、リタイアという言葉を発した瞬間にその人の成長は止まる。
色々なことに対する興味や好奇心が薄れ、社会との接点もなくなってくる。
つまり、呆(ぼ)ける道をまっしぐら。

若い頃から、人からの頼まれごとを気持ちよくやってこなかった人は、人生後半になっても頼まれごとはやってこない。
頼まれたときに、嫌な顔をしたり、引き受けるにしても何か一言テンションを下げるような嫌みを言う人には、二度と話をもっていこうとは思わないからだ。
「頼まれごと」とは、仕事はもちろんのこと、PTAや町内や、ボランティアや公的な役職などにおいて頼まれたことも同じ。
「頼まれごと」は、たいてい、面倒くさかったり、時間がとられたり、今までやってこなかった初めてのことも多い。

人生の後半に自分のやりたかったことをやる、夢の実現にチャレンジする、という選択ができる人は素晴らしい。
しかしながら、自分の夢がなくとも、人からの頼まれごとをあれこれ、ヘトヘトになりながらやり続けるという人生にも味がある。
人のために生きる「頼まれごと」の人生だ。
どちらの人生を生きるにせよ、「人生、勝負は後半にある」。

生涯現役で、いくつになっても成長し続ける人生を歩みたい
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2018年02月19日

No 4494   【努力家で才能のある人が犯す過ち】

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【努力家で才能のある人が犯す過ち】

斎藤一人さんの心に響く言葉より…


努力家で才能のある人は、同じように努力家で才能のある人を好みます。
そして、才能もなくて努力もしない人を見ると腹を立てるんです。
そういう人って、他人も自分と同じだと考える傾向があります。
他人の行動が自分と同じくらいにできないと、特に我慢できなくなる人が多いんだよね。
だから、ついつい「なぜ、言ったことができないの?」とか「なぜ、そんなことができないの?」と言ってしまうんです。
リーダーや上に立つ人には、必ずそれを支える人がいます。
けっして1人だ けでやっているわけではないんだよね。
誰かを支えている人って、例えるなら櫓の土台みたいなものなの。
注目されるのは乗っている人だけど、支える人がいるからこそ、安全が保障されています。
だから、上の人が下の人の悪口を言ったり、欠点ばかりを指摘したりしていると、その人たちが逃げていってしまって土台がなくなり、悪口を言った人は 櫓の高いところから落ちてしまうことになるでしょう。

カリスマ美容師みたいな人も、才能があって、努力もしたんです。
だから、それが当たり前だと思ってしまいます。
すると、それができない人に怒ったり、腹を立てたりしてしまうんです。

でも、そんなことを続けていると、ある日お店に行ったら「誰もいなくなってた」ということになってしまいますよ。
美容室って予約を取ってくれる人がいて、髪の毛を洗ってくれる人がいて、 片づけたりしてくれる人がいるからこそ、いろんなことが仕事として回っていくんだよ。
上ばっかり見ていると、そんな簡単なことがわからなくなるからね。

だから、「給料を払ってるんだから当たり前」とか「こんなことぐらい、言わなくてもやれて当たり前」じゃなくて、「ごくろうさま」とか「ありがとうね」とか「偉いね」って言って感謝をするの。
そうすると働いている人も「あのカリスマ美容師がこんな私にも感謝してくれた」って喜んでくれるんです。

どんな人でも自分のことを尊重されないと腹を立てます。
そして、尊重されると誰だって嬉しいんです。
自分の仕事がどうやって回っているのか。
上に立つ人間であればあるほど、ちゃんと考えなよ。

『大丈夫だよ、すべてはうまくいっているからね。』サンマーク出版

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「箱根山、駕籠(かご)に乗る人、担(かつ)ぐ人、そのまた草鞋(わらじ)を作る人」
という落語に登場する短歌がある。
「駕籠に乗る」という目立つ人がいるが、それを担ぐ人や、その担ぐ人の草鞋を作る人もいて、世の中は成り立っている。

世の中のことは、どんなに才能があろうが、自分一人でまわっているなどということはない。
必ず誰かに支えられている。
だからこそ、謙虚な気持ちで支えてくれている人たちに感謝しなければならない。
だが、それを忘れてしまって増上慢(ぞうじょうまん)になってしまっている人がいかに多いか。

誰に対しても謙虚な気持ちで、感謝を忘れない人でありたい
posted by Dr.モーリィー at 07:18| ちょっと気になる善い言葉 | 更新情報をチェックする

2018年02月18日

No 4492   【今、目の前にいる人を大事にすること】

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【今、目の前にいる人を大事にすること】

小林正観さんの心に響く言葉より…

《今、目の前にいる人、目の前にあることが重要》

私たちの周りで起きているすべての現象、人生のあらゆる出来事に、〈重要なこと・重要で はないこと〉〈大きいこと・小さなこと)の区別は、実はありません。
というのは「小さいこと」の定義を言ってくださいと言われても、誰も答えられないからです。

何らかの現象について、そのときは、小さいこと、些細なことと思っていても、それがなければ、今の自分はなかった、ということを考えたら、(大きいこと・小さいこと)の区別は、つきません。
このことを、実際にあった状況を取り上げて説明しましょう。

私が出た高校の同級生の一人が、大学にも行かず、就職もしないで、とりあえずアルバイ トとして晴海のイベント会場でコーラの販売をしていました。
そのとき、コーラ売り場の前をアメリカ人の夫婦が通りかかり、70歳ぐらいの歳のご主人が足を滑らせて倒れてしまいました。
彼は自分の売り場の前ですから、走り寄って助け起こし、ケガの手当てをしたりとかいろいろ世話してあげたそうです。
そしたら、「あなたのような親切な人に、初めて会った」と、その夫婦は大変感激し、「実は、私たちは結婚して40年も経ちますが、子どもがいないのです。あなたさえよければ、 私たちの養子になりませんか」と言われました。
彼としては、別にほかにすることもなかったから「わかりました。いいですよ」ということで、アメリカに渡り、その夫婦の養子になりました。
彼はそこで英語を覚え、大学にも行かせてもらい、卒業してからは企業買収の専門家になりました。

今は日本に戻り、その分野で大手の外資系企業の社長をやっています。

コーラの販売をしていた、その前で人が滑った、その人を助けてあげた、これらはすべて小さいことのように見えますが、結果としては小さいことではありません。
因果関係がわかったときには、一つひとつがものすごく重要で大変な出来事だったと、気 がつくでしょう。

優先順位とか、出来事の大きい小さい、とかの区別がないことを、さらにわかりやすく説明します。
人生はドミノ倒しだと思ってください。
ドミノ倒しの如く、人は連続した瞬間を生き、最後の一個がパタッと倒れて、人生を終えます。
これらのドミノは、すべて同じ材質で、同じ厚さで、同じ形状です。
大きい小さいは ありません。
重さも全部一緒。
それが一個ずつ、ただ淡々と倒れていくだけです。

自分の目の前に現れる人が、小学生であろうが、中学生であろうが、大人であろうが、大会社の社長であろうが、出会う人は全部一緒です。
それを一緒だと思えるかどうかに、その人の人間性が表れます。
社会的な地位や権力といったものを背負ってるかいないかで人を見るのは、まだ自分の中で本質的なものが形成されていないからです。
出会うすべての人、どんなに些細に見える行為も、人生を成り立たせるうえでは、どれも 必要不可欠なことであり、ドミノの一個一個が同じ価値だということに気がつくと、何も怖くなくなります。

人生で最も大事なのは、今、目の前にいる人です。
一人ひとりをきちんと受けとめていくことで、その後の人生を組み立てていける、ということです。
この一個一個のドミノ、それ自体が結果であり、次のドミノを倒す原因になっています。
倒れた「私」が、また次のドミノを倒していく。

今、目の前にいる人を大事にすること が、私の未来をつくっていくのです。
人生は、その繰り返しのように思えます。

『神さまに好かれる話: 悩みを解消する法則 (単行本)』三笠書房

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「人間万事塞翁が馬(じんかんばんじさいおうがうま)」という中国の故事がある。
幸福だと思ったことが災(わざわ)いだったり、災いだと思ったことが幸福だったりする。
人生の幸不幸は予測ができない。
だからこそ、様々なできごとに、一喜一憂してはいけないということ。

有名人や成功者に出会ったから運がよくなるわけでもなく、通りすがりの名も知らぬ老人に出会ったことが、あとで考えると幸運の始まりだった、ということもある。
運は人が運んでくる。

実践の哲学者森信三先生の言葉に、
「人は一生のうち逢うべき人には必ず逢える。しかも一瞬早過ぎず一瞬遅すぎない時に」
というものがある。

縁(えん)は絶妙なタイミングで我々にやってくる。
ただし、その縁を大事にするかどうかだ。
有名人だから大事にするとか、無名の人だからないがしろにする、というのでは良縁はやってこない。

今、目の前にいる人を大事にする人でありたい
posted by Dr.モーリィー at 07:27| ちょっと気になる善い言葉 | 更新情報をチェックする

2018年02月17日

No 4490   【どんな不幸を吸っても、吐く息は感謝に】

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【どんな不幸を吸っても、吐く息は感謝に】

渡辺和子氏の心に響く言葉より…


私どもの大学の正面玄関に、プロテスタントの牧師、河野進さんが書いてくださった、一つの小さな詩がかけられております。

天の父さま
どんな不幸を吸っても
吐く息は感謝でありますように
すべては恵みの呼吸ですから

学生でいるあいだは不幸の息をあまり吸わせないように、先生たちが配慮をいたします。
しかしながら、卒業をして、その正面玄関を背にして出ていけば、その先にある職場、結婚生活、社会には、往々にして思いもかけないような不幸がたくさん漂っている空気が待ち構えています。
生きていくためには、その空気を吸わなければなりません。
思わぬ不幸を吸い込んでしまったとしても、それをそのままで、吐き出す人になってほしくない。
さらに増幅して、大きな不幸にしてほかの人に吐きかけるような人になってほしくない。
それを感謝に変えて吐き出す人、それがある意味で本当に強い人であり、本当に優しい人だと思います。
ほかの人が吸う空気を汚さない、その強さと、ほかの人を思いやる優しさを学生たちに身につけて欲しいと願っています。

しかしながら、それは決してやさしいことではありません。
私たちが生きていくうえで、この不幸の息をどうしても吸い込んでしまうとしたら、人のせいにしないで、むしろその不幸を自分の中で感謝に変えていく。
そしてそれは、真珠がつくられていくのと同じプロセスだと私は思うのです。

真珠貝というものは、自分にとってあまり望ましくない異物が入ってきたときに、それをいやがって吐き出してしまわないで、その異物の刺激により分泌される液で、異物そのものを軟らかく、そして固く包んでいきます。
それを繰り返し大きくなったものが、真珠になるのです。
同じように、私も自分の生活の中に入り込んでくる異物、不幸を受けとめて、私しかつくれない真珠を自分の一生涯をかけてつくっていきたいと思っています。

苦しいこと、いやなこと、私たちにとってマイナスの価値しか持たないもの、それは必ずしも悪いものではありません。
それがなかったら真珠がつくれないのです。
それがなかったら感謝の息が吐き出せないのです。
そう思うときに、もしかすると、私たちの生活の中にいやなもの、苦しいこと、そういうものがあっても、それを受けとめて自分なりに、自分しかつくれない真珠に変えていける、そのことを、ありがたいと思って生きなければいけないのかもしれないと思います。

毎日の忙しい生活の中で、私たちが木を切る手を休めて斧を見つめるということは、ふだん気づかない、しかしながら身の回りにたくさん転がっているありがたいものをありがたいと気づくゆとりを持つ、ということかもしれないと思います。

『現代の忘れもの (Nature of Nursing)』日本看護協会出版社

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「不幸は感謝のかくし味」
断食をしたあとの、食事のおいしさは格別だ。
それが、なにも味のないただのお粥(かゆ)であったとしても、この世にこんなに美味しいものがあったのかと思うほど。
「空腹は最高の調味料」という言葉があるが、空腹があるからこそ、食事をしたときの喜びを感じることができる。

これは、「病気が治ったとき、しみじみと健康のありがたさを感じる」というのと同じ。
病気や、不幸という(世間一般でいう)負の部分があるからこそ、健康や幸福を感じることができる。

つらいことや困難に出会ったとき、不平不満、愚痴、泣き言、文句を言ってまわりの人のテンションを落とすのか。
逆に、どんなに現在不幸にであっても、まわりに感謝し、周囲を明るくする人であるのか。

「どんな不幸を吸っても、吐く息は感謝」の人でありたい
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2018年02月16日

No 4489    【超AI時代の生存戦略】

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【超AI時代の生存戦略】

筑波大学助教・メディアアーティスト、落合陽一氏の心に響く言葉より…


iPhoneが発表されて2017年の1月9日で10年になった。
21世紀初頭の10年間で生活をもっとも大きく変えたもの、それはスマートフォンだったと思う。
スマートフォンの普及による結果、人はインターネット上に第二の言論・視聴覚空間を作り、住所を持ち、SNSを生み、社会を形作った。
言うなれば人はデジタル空間にもう一度生まれた。

今、常時回線に接続された人々は、この世界を旅し、この星を覆(おお)い尽くそうとしている。
その結果、ありとあらゆる景色や言論が今インターネットの上に集まりつつある。
そういったIOTによる技術革新は私たちの生活習慣と文化を不可逆なほどに変えてしまった。
誰とでも連絡がつき、待ち合わせの場所と時間を厳格に決めずとも人と会うことができ、道に迷うことがなくなり、どこでも時間を潰(つぶ)すためのコンテンツを入手できるようになった。
日々、消費できないほどのコンテンツがインターネットの向こうに蓄積されている。

見ているもの、聴いているもの、考えたこと、その日の景色から今いる場所、購入した商品に至るまで、人の様子は瞬時に共有できるようになった。
この地上で、誰もが発信者であり表現者となった。
ヒトが次なる目線、デジタルヒューマンとしての視座を手に入れるのに必要だったものは、明らかにインターネットとオーディオビジュアルで接続できる第二の目と耳であった。

映像の世紀は、コンピュータという、コードで記述された魔術的ブラックボックスによって、そして個人の手の中に握ることのできるサイズで拡張された。
そのダイナミックな変化がわずか10年でなされたのだ。
そしてその変化の速度はあまりに速く、その制御機構はあまりに難解なため、そこにある仕組みを理解するには難しく、一部の修練された人間にしか理解できないということ。
日常にもたらされる奇跡とブラックボックス化の断絶が今後ますます、様々な社会変化をもたらすだろう。

『超AI時代の生存戦略 ―― シンギュラリティ<2040年代>に備える34のリスト』大和書房

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落合氏は『超AI時代の生存戦略』としては、《 ブルーオーシャンを探すクセをつける 》ことが大事だと言う(本書より)。

『ブルーオーシャンな考え方というのは、他人と違うことをやっていくということを基本にすることだ。
また、自分しかそれをやっていないけれど、それが正しいと信じることだ。
つまり、ブルーオーシャン的な思考をするのは、競争心とは真逆の考え方である。
競争心を持ち、勝つことをくり返すのがレッドオーシャンだったら、ブルーオーシャンは黙々と、淡々とやることだ。
ここで重要なのは、「競争する」というゲームが決まると、データさえあれば機械のほうが強くなるということだ。
競争をするということは同じ土俵にいる、つまり勝負するための要素が決まるから、要素が決まると機械はデータから計算可能なので機械のほうが強くなる。
それはチェスや将棋の例を見ると明らかだ。
けれど、ブルーオーシャンの考え方で、何をやるかが決まっていない状況では人間は機械に十分勝てるということだ。
この戦い方を身につけるためには、競争心は非常に邪魔になってくる。
だから、これまで言われている競争心、つまりレッドオーシャンな考え方は捨てて、自分で信じた道を淡々とやっていって、その中で自己実現もしくはストレスフリーな環境をいかに実現していくかということが重要になってくる。
なので、サーベイ(調査や測量)は、これから先、ビジョンと同様に大事だ。
たとえば「今、誰が何をやっているか」ということをインターネットで調べれば、だいたいすぐにわかる。
今、この世界で誰が何をやっているのかを調べ続けるという作業が、絶対に必要だ。
自分がやっていることに近しい分野のことは、よく知っておかなくてはいけない。
だから、「先を越されたから」とか、「先を越されそうだ」ということを考えるクセは根本からなくしていこう。
サーベイをして同様の事例があれば、そこから先に自分がどういう価値を足せるのかを考えるというマインドセットでいけばいいだけだ』

洋の東西を問わず、またいつの時代であっても、商売成功のコツは「人のやらないことをやる」ということ。
投資の格言である「人の行く裏に道あり花の山」だ。
他人のやらないこと、反対のことをやることこそが、宝の山を見つける道。

まさに、それが「ブルーオーシャン戦略」。
競争の激しい既存のマーケットは、限りなく価格を安くしたり、次々と新しい機能で競ったりして、血みどろの戦いになるのでレッドオーシャン(赤い海)という。
まだ知られていない、未開拓の競争のない市場をブルーオーシャン(青い海)という。

どんなときも、ブルーオーシャンを探すクセを身につけたい
posted by Dr.モーリィー at 08:47| ちょっと気になる善い言葉 | 更新情報をチェックする

2018年02月15日

No 4487    【来た球はとりあえず打つ】

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【来た球はとりあえず打つ】

明治大学教授、齋藤孝氏の心に響く言葉より…


《「来た球はとりあえず打つ」習慣は最強の武器になる》

私は明治大学に勤めているが、学生の就職も心配になるし、社会人としてうまくやっていけるかどうかも気にかかる。
大学は学生に学問的知識を与えればいいというものではなく、全人格的な教育も目標としている。

明治大学は「前へ」というのが校風なので、とりあえず一歩前に出るようにする。
率先力というのは、最初に手を挙げる、迷ったら手を挙げることで養われていく。
他の人が躊躇しているとき、「やってみます」と言えば、周囲は「こいつは見どころがある」と評価する。

企業は、やる気がある人を求めている。
どうせ誰かがやらなければならないとしたら、自分がやってしまう。
いつか順番が回ってくるものなら、率先してやる。
いちばん先にやった結果、自分で予定・日程を好きに選ぶことができた、ということもある。

いまは一歩前に出る人が少ない。
そんな中で絶えず人より一歩前へと心がけると、「彼はやる気があるね」と見られる。
言われてからやるばかりでは「あいつは、こっちが言わなければ動かない奴」と芳しくない評判を立てられてしまう。

私の仕事の基本方針は、忙しいからすべてのものは引き受けられないが、来た球はとりあえず打つという考え方に立っている。
来た球は多少ボール球でも苦手な球でも打つ。
それでうまくなる。

自分ができることしかしないと決めると、仕事の幅が広がらない。
ただし、そんな私でも例外はある。
それはクイズ番組出演のオファーだ。
私にとって、テレビのクイズ番組はオファーもたくさんあるが、出演するかどうか、 正直迷うことが多い。
タレントや芸人には、クイズが得意な人もいる。

クイズ王と呼ばれる一般人もいる。
しかし、私の得意なところはクイズではない。
さらに、たまたま出演したクイズ番組で間違えたりすると、「大学教授がなんで?」 と言われる。
それでも考えること自体が面白いクイズとか、正解不正解をそれほど問題にしない番組なら出演したりする。

ある番組にレギュラー出演しているとき、途中からクイズ番組的な性格に変わっていったことがあった。
だからといって「じゃあ出ません」とは言っていられない。
趣味ではなく仕事だから、そのあたりはうまく折り合いをつけていかなければならない。
簡単に「無理」とか「できない」と言わない。

「これできる?」と上司に訊かれ、「無理」とハッキリ言ってしまう若い人がいる。
「無理」という言葉が流行の一つになっているのだろうか。
とりあえず率先してやるクセをつけると、それは人間的にも大きな武器の一つになることは間違いない。
「来た球を打つ」。
これを基本にしていると、仕事のオファーは増えていく。

『”ちょっと尊敬”される人になる本』三笠書房

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小林正観さんの生き方は「頼まれごとの人生」だという。
自分から望むのではなく、誰かに頼まれたことを淡々とこなしていく。
頼まれたことを文句を言わずにやっていくと、自分の生き筋が見えてくるという。
「ああ、こういう方向で自分は(神さまから)動かされているのだ」と。

「来た球」も同じで、オファーがあったらそれを粛々(しゅくしゅく)とこなしていく。
PTAや町内の役でも、仕事や公的な役職でも、(お金を貸すとかは別にして)なんでも頼まれたら引き受ける。

頼まれるということは、その人にその実力が備わっているということ。
最初はうまくいかなくても、それをやっているうちに必ずなんとかなる。
反対に、好かれない人や、人気のない人には頼まれごとはやってこない。

そして、どうせ引き受けるなら、グズグズ、四の五の言わずにニッコリとして引き受ける。
そうすると、やがて、いつか自分の世界が広がっていることに気づく。

来た球はとりあえず打つ人でありたい
posted by Dr.モーリィー at 07:13| ちょっと気になる善い言葉 | 更新情報をチェックする

2018年02月14日

No 4486   【個人がメディアになることが最強】

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【個人がメディアになることが最強】

藤村正宏氏の心に響く言葉より…


世の中は激変しました。そして、マーケティングも激変しています。
「マスメディアを使って商品を告知し、新規のお客さまを獲得するという従来のやり方だけでは不十分な時代になったのです。
SNSとスマホの普及で世の中が大転換しました。

それにより、ボクたち生活者は多大な恩恵を受けています。

たくさんの人やモノとつながりやすくなり、とっても便利な生活ができるようになった。
個人の発信と、それにつながった人の発信が、今この瞬間もインターネットの中を駆け巡っています。

製品やアプリの使い方がわからなかったら、世界中の誰かが動画で教えてくれています。
ニュースはほとんどスマホで、SNSかニュース専門サイトで見るようになっています。
友人のフェイスブックで新しい本を知り、インスタグラムのフォロワーの投稿で飲食店を知り、知り合いのツイッターで新しい商品を知ります。

本当に便利な世の中になりました。
でも企業にとってみると、それは大きな発想の転換が必要だということです。

そして、こうしたSNSの世界は、リアルの世界にも大きな影響を与えています。
SNSの情報の影響による消費が増えているってことです。
たとえば、それはこんな日常の光景にも潜んでいます。

アパレルの経営者である、ある男性。

彼は毎日、SNSで日常をアップしています。
彼の日常に現れるカレー店、スタバのスタッフのあやかちゃん、週に6回足を運ぶバー。

TOHOシネマズ六本木ヒルズで観ている映画。
仕事で配送をしている様子、講演やセミナーをやっていること。
そういう様子がよく伝わってきます。

そのうち、彼とつながっている人たちは、その店に行きたくなったり、彼の観た映画を観たくなったり、彼の講演やセミナーに参加したくなったり、彼が提供するさまざまな商品が欲しくなったりするのです。
これって、少し前のテレビや雑誌が果たす役割と同じだと思いませんか。
その彼が「メディア」になっているってことです。
結果的にカレー店が繁盛したり、行きつけのバーにたくさんの人が集まったり(もちろん、それで彼が1円も儲かるわけじゃありませんよ)、彼が扱う商品が売れたする。

今の時代、個人がメディアになることが、最強です。
個人が発信する手段を持ち、個人の発信が価値になる。
そういう環境になっているのですから。

一方で、発信が増え、情報が増えるということは、選ばれにくくなるということで もあります。
SNSにより、人と人は緊密につながるようになりました。
このつながりの連鎖が加速度を増して世の中の隅々にまで浸透しつつあります。
SNSの世界で、ユーザーが近況をコメントしたり写真を共有したり、コミュニケーションしています。
個人に流れ込む情報量の伸びは想像を絶するほどになり、人ひとりが処理できる能力を超えるようになりました。
だから人は、友人や家族などの「つながっている人」の情報に注目するようになる わけです。

「3つのF」家族(Family)、友人 (Friend)、フォロワー (Follower) からの情報が信頼され、選ばれる時代になったのです。

『「3つのF」が価値になる! SNS消費時代のモノの売り方』日本経済新聞出版社

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藤村氏はSNS消費時代に必要な視点についてこう語っている(本書より)。

「この商品はSNSで投稿してもらえるか」
「うちの店は写真を撮影してもらえるか」
「新しい料理はインスタ映えする盛りつけになっているか」
「次回のイベントはツイッターで拡散してくれるかな」

そうであるにも関わらず、いまだに一部の飲食店やショップでは「料理の写真は撮らないでください」とか「SNSにアップしないでください」と掲示してあるところがある。
時代から大きく遠ざかってしまっている、としかいいようがない。
昨今では、海外のアーティスト( ポール・マッカートニー 等)を中心に、ファンによる「写真撮影OK・SNS公開大歓迎」の音楽ライブまであるというのに。

「個人がメディアになることが最強」
SNS消費時代のマーケティング力を身につけたい
posted by Dr.モーリィー at 07:55| ちょっと気になる善い言葉 | 更新情報をチェックする

2018年02月13日

No 4485    【用件に入る前に、お礼を言おう】

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【用件に入る前に、お礼を言おう】

中谷彰宏氏の心に響く言葉より…



用件に入る前に、お礼を忘れていないだろうか。
オベンチャラを言う人は、お礼を忘れている。

電話をかける時、いきなり用件から入っていませんか。
何か、お礼を言うことを忘れていませんか。
社交辞令を言う前に、お礼を言うのを忘れていませんか。
お天気の話をする前に、お礼を言うのを忘れていませんか。
オベンチャラを言う前に、お礼を言うのを忘れていませんか。

オベンチャラを言う人ほど、お礼を言うのを忘れがちです。
何かきっとお礼を言うのを忘れていることがあるはずです。

用件に入る前に、お礼を言うことはなかったか、思い出してみましょう。
お礼は、後回しになってはいけないのです。

「こんにちは。この間のあれ、ありがとうございました」というのが、いつなんどきでも、話し始めの言葉なのです。

『強運になれる50の小さな習慣』PHP

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人は、相手に何かをあげたり、おごったりしたことはよく覚えている。
しかし、反対に、何かをもらったり、おごってもらったりしたことはすぐに忘れてしまう。
だからこそ、久しぶりに会った時、「先日はステキなものをいただきありがとうございました」「この間はごちそうになりました」と言われると、とてもうれしい。

「かけた情けは水に流し、受けた恩は石に刻む」という言葉がある。
縁を大切にする人は、どんな小さなことであっても、受けた恩をずっと覚えている。
そうすることで、縁が広がり、またいつかその縁に助けられることもある。

用件に入る前に、お礼を言う人でありたい
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2018年02月12日

No 4484    【人は言葉遣いで判断される】

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【人は言葉遣いで判断される】

川北義則氏の心に響く言葉より…



人生で、言葉遣いはことのほか大切だ。
使い方一つで人生が180度変わる。
この事実に私たちはどこまで気づいているか。

レディーガガがタイでの公演中に、ツイッターで「偽物のロレックスを買うわ」とつぶやいた。
この発言を一部のタイ人が「わが国を侮辱している」と怒り、タイ当局はアメリカ大使館に抗議する騒ぎにまで発展した。
彼女は冗談のつもりだったろうが、ちょっとした一言がこんな大事になるのだ。

就活の面接でも、言葉遣いは決定的な意味を持つ。
容姿や表情、態度などで第一印象をよくしても、受け答えでミスしたら、とても合格はできない。
ケンカのときに、興奮して、つい地を出してしまう人もいる。
お金持ちの令嬢とつきあっている男がいた。

彼はどうしても彼女を手に入れたくて、とくに言葉のやりとりには慎重を極めた。
だが、あるとき怒りのあまり思わずいってしまった一言、「テメェ」がすべてをおジャンにしてしまった。

政治家は失言で政治生命を失うこともあれば、経営者も不祥事の際に「知らなかった」といって退陣に追い込まれるケースもある。
何気なく発した自分の一言が、意図を超えて独り歩きし、悪く受け取られたり、批判の対象にされる。
「そんなつもりで、いったのではない」
いくら弁解しても、一度口から出た言葉は、もう元には戻せない。

ネットのブログで、 些細な批判を受けた男が、ムキになって相手を罵倒する言葉を使ったところ、その男をよく知る人間から思わぬ過去をバラされて、会社をクビになった例もある。
いくら気をつけていても、一度発信してしまった言葉は、全世界に拡散してしまう。
写真や身元が特定できる場合、世界のどこから誰が何をいってくるかもわからない。
思えば恐ろしい時代になったものである。

こんな時代に必要なことは何か。
言葉に関する感性を磨くこと。
語彙を豊富にすること。
言葉の基本的効用をよく理解しておくことである。

といって、これらのことは一朝一夕には身につかない。
とりあえず、以下の三点に配慮することだ。

●相手が誰であれ、まずしっかり聞く
●目上には、肩書や力関係がどうあれ敬語を使う
●目下であっても丁寧語で話す
この三原則を守りつつ、言葉遣いの辞典的な本を一冊座右に置いて、少しでも疑問があったら調べること。

また先輩、後輩、同僚の言葉遣いを観察して、豊富な事例を頭に入れ、できる人の真似をすることだ。
真似の仕方は「要点だけを取り入れ、あとは自分なりに」というのではダメ。
言葉磨きというと、その方面のマュアル本を買ってきて学ぼうとする人が多いが、「見よう見まね」こそが、最高の学び方なのだ。

なぜか。

思い出してほしいのは、赤ん坊のとき、どうやって言葉を覚えたかということだ。
大人のしゃべる言葉の見よう見まね、しゃべる真似で覚えていったのではなかったか。
あの習得方法が最高なのである。

「布地は染め具合で、酒は香りで、花は匂いで、人は言葉遣いで判断される」(フランス の詩人ポール・ヴァレリー)

『「人間的魅力」のつくり方: 話す、聞く、背中で見せる……「できる人」の条件 (知的生きかた文庫)』

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「言葉遣いで注意すべきことの第一は、無神経でがさつな言葉を使わないことである」(河盛好蔵・フランス文学者)

相手の言葉遣い一つで、気分がよくなったり、落ち込んだりしてしまう。
特に、人の気持ちを冷やすような無神経な言葉だ。
反対に、話していると気分がよくなり、元気が出てくる人がいる。
常にポジティブで明るいことを言い、年上や年下に関係なく丁寧な言葉をつかう人だ。

とりわけ、体育会系のマインドを持った人が、社会人になって何年たっても、後輩や年下の人の名前をパブリックな場で、呼び捨てにしているのはいただけない。
仲間内だけならいざしらず、ただ年下というだけで、それぞれが家庭も築き、あるていどの社会的なポジションも得ている人に対して、上下関係を持ち込むのは傍(はた)で聞いていても見苦しい。
そういう姿勢が、公的な場で失言として出てしまうのだ。
偉そうな言葉、女性蔑視(べっし)、上から目線…。

どんなときも、誰に対しても、丁寧な言葉を使う人でありたい
posted by Dr.モーリィー at 07:52| ちょっと気になる善い言葉 | 更新情報をチェックする

2018年02月11日

No 4482    【「いい人」をやめる】

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【「いい人」をやめる】

帯津病院名誉医院長、帯津良一氏の心に響く言葉より…


働き盛りの40代、いい人AさんとちょいワルBさんがいたとします。
Aさんは、まじめで努力家なのですが、人間関係を窮屈に考えているところがあります。
そのため、上にも下にも気を遣い、本音を言わず、はめを外すこともありません。
まじめなので健康にも十分に気を遣い、規則正しい生活を送っています。
仕事はできるのですが、主体性をもってやっているわけではなく、上からの命令を忠実にこなしているだけです。

一方、Bさんは、気ままで楽天的、道徳的に見ると不真面目なところもあるのですが、人望が厚く、趣味や遊びにも精通し、懐の深さがあります。
健康には無頓着で、ときにはときめきに任せて好きなものを食べたり、酒を飲んだり、夜更かししたりすることもあります。
Aさん同様、仕事はできるのですが、上からの命令に常に忠実なわけではありません。
ときには信念をもって仕事をしているため、いい結果が出せているのです。

これらのことからもわかるように、ストレスに悩まされることが多いのは、いい人Aさんのほうです。
ストレスがたまってくると免疫力が低下し、病気になりやすくなるのは言うまでもありません。
また、過労から過労死につながる危険性があるのも、Aさんのようなタイプです。

一方、ちょいワルBさんは、仕事もプライベートもときめいているため、ストレスに悩まされることはほとんどありません。
ストレスを感じたとしても人生のスパイスとして捉え、困難を乗り切っていけます。
そのため、過労が続いても過労死につながる危険性はない、といっても過言ではないくらいです。

二人の定年後を見てみると、さらにこの差は開きます。
いい人Aさんは、定年退職してからしばらくは開放感があっていいのですが、友人と会う機会が減っていく一方で、ときめく趣味もなく、時間を持て余してしまいます。
一日中家でゴロゴロしているため、家族からイヤがられるのも、Aさんのようないい人に多いのです。
そんなAさんの最大の関心ごとと言えば、健康法を実践することです。
こうなると、ますますときめくことがなくなってしまいます。
健康法もまじめに取り組みすぎてしまうため、かえってストレスになり、病気になりやすくなってしまうのです。
まじめな人で、定年退職してから7,8年で亡くなる人が多い、と言われているのも頷けます。

一方、ちょいワルBさんは、定年後も情熱をもって働き続け、阿吽(あうん)の呼吸の悪友もたくさんいるため、ときめき続けます。
健康法を熱心に実践するわけではありませんが、ときめくことによって免疫力が高まり、結果的に病気を遠ざけているんです。
そのため、ちょいワルで長生きの人は多いのです。

いい人が悪い、と言っているわけでは、決してありません。
終身雇用、年功序列が崩壊し、成果主義が重視される今、いい人のままでは病気になりやすく、長生きできないのを心配しているのです。
いい人で損をすることほど、損なことはありません。
あってはならないことです。

『「いい人」をやめると病気にならない (SB新書)』SB新書

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「いい人」は、人から嫌われることを恐れ、人に自分の意見を合わせてしまう。
「嫌われる勇気」という本があったが、まさに「まわりの人の顔色をうかがうような生き方」をしないことだ。
それは、傍若無人に自分勝手に生きるということではなく、自律して生きよう、ということ。

自律と自立は違う。
「自立」は独り立ちする、独立して生きるというような意味だが、「自律」は自ら規範を決め、自らに従って動くというように、セルフコントロールができるということ。
だから、自分の決めたことによって、嫌われたとしても、仕方ないと諦(あきら)める。

「行蔵(こうぞう)は我に存(そん)す」という勝海舟の言葉がある。
自分の行ったことの責任は自分にある、だからけなしたりほめたりするのは人の勝手である。
どんなふうに言われてもまったく異存はない、と。
これが、自律した人。

ときに、「いい人」をやめることも必要だ
posted by Dr.モーリィー at 22:22| ちょっと気になる善い言葉 | 更新情報をチェックする

2018年02月10日

No 4481   【ノーマン・カズンズの「笑い」】

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【ノーマン・カズンズの「笑い」】

精神科医、斎藤茂太氏の心に響く言葉より…


前向きなオプティミスト(楽観主義者)は、病気にも、トラブルにも、ストレスにも強い。
前向きになって病気を治した代表的な人物に、アメリカのジャーナリストで、世界平和に対しても精力的に貢献してきたノーマン・カズンズがいる。
太平洋戦争後、来日した氏は、広島、長崎の原爆投下による惨状に心を痛めた。
そして、原爆で親をなくした原爆孤児たち400人の里親を見つけ、世話をしたりしている。
また、原爆によって顔などを負傷した25人の日本人女性をアメリカに招き、整形外科手術を受けさせている。

だが、カズンズはその後、重症の膠原病(こうげんびょう)に倒れてしまった。
回復の可能性は500分の1という難病である。
痛みで眠れない日もある厳しい病状だったが、氏は数分間、腹をかかえて笑うと1時間以上、痛みを忘れて眠ることができることに気がついた。

病院で一般的な治療を受けたあと、自分で考えた治療を実践するために、病院を退院した。
その治療法とは、「笑い」と「ビタミン」である。
ホテルに部屋をとると、ビタミン注射をし、喜劇俳優マルクス兄弟などの往年のコメディ映画を見て笑い、お笑いの本を読んで笑い、笑い漬けの生活を送った。
その結果、500分の1の奇跡が起こったのである。
大笑いは内臓を動かし、呼吸作用を盛んにする。
病気を笑い飛ばそうという前向きの姿勢が自己治癒力を後押ししたのだろう。
病気に勝ったのである。

ところで、氏は10歳のときに結核にかかり、療養所生活を送っている。
当時、結核は死病と考えられていたが、少年であった彼は、療養所では患者たちが「オプティミスト」と「リアリスト」に分けられることに気がついた。
「オプティミスト」たちはグループでいっしょに遊び、笑いあった。
「リアリスト」たちはグループ活動を嫌い、孤独で味気ない生活をしているように見えた。
結核が治って退院していくのは「オプティミスト」たちのほうだった。
そこで彼も退院するために、遊び仲間の一員として「オプティミスト」の患者の仲間になり、結核を克服した。

そういった経験から、人間には病気と闘う潜在的な力があり、肯定的な感情がその力を引きだし、治療効果を生むという信念をもったと述べている。
1980年には、外交交渉などで世界を飛びまわった過労から心筋梗塞(しんきんこうそく)を発病した。
このとき、医師は「状況そのものは回復不可能」と説明したが、回復不可能という言葉を聞いたとたん闘志が燃えあがったという。
このときも氏は、自分で考えた治療計画を半年間続け、回復してしまった。

具合が悪いとき、まずチェックすることは、この頃、笑ったことがあるか、楽しい生活を送っているかどうかである。
しばらく笑っていないと気づいたなら、健康が危機に瀕(ひん)しているかもと疑ったほうがいい。
そこをどう乗り切るかはおのずと明らかである。

かくいう私も、つねに笑いを忘れないようにしているつもりである。
ユーモアとは人生の薬味というよりも、人生そのものではないかとすら思っている。

『いい人生には「生き方のコツ」がある (だいわ文庫)』だいわ文庫

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「パニック時の特効薬は笑いなんです。 危機管理を専門にしている連中は、洋の東西を問わずブラックユーモリストですよ。 とんでもないときに、みんなを笑わせる」
初代内閣安全保障室長をつとめた佐々淳行氏の言葉だ。
だれもがパニックになっているとき、ユーモアがあれば、ふっと我に返り、客観的になれる。

また、筑波大名誉教授、村上和雄氏の「笑いの効用」の科学的実験がある。
「私たちは糖尿病に着目しました。糖尿病の指標となる血糖値は、ほんの少しの血液で簡単に測定ができますし、明白な結果が出ます。実験は糖尿病患者に対して昼食後の40分間に、1日目は医学部教授による「糖尿病に関する講義」を聞いてもらい、2日目は落語を楽しんでもらい、終了後に採血をして血糖値を測定するというものです。講義は当然ながら真剣なもので、笑いはありません。吉本興業と共同で3回実験をして、3回とも漫才や落語を聞いた人のほうが血糖値の上昇が抑えられたという結果になりました」

そして、岡山県の医師・伊丹仁朗博士の実験によると、がん患者に寄席を見せ、その前後に採血をしたところ、がん細胞を殺すナチュラルキラー細胞が正常値より低めだった人は、観劇後に全て活性化していたという。

「笑い」は、パニックになった時も、病気に対しても有効だ。
どんなときもユーモアと笑いを忘れない人でありたい
posted by Dr.モーリィー at 07:36| ちょっと気になる善い言葉 | 更新情報をチェックする

2018年02月09日

No 4479   【こだわらないこと】

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【こだわらないこと】

美輪明宏氏の心に響く言葉より…


人間が老(ふ)けこまないようにするコツは、こだわらないということです。
このこだわらないという言葉を、つねにどんな場合でも忘れないようにしていく修練をしてください。
つまり習慣づけるようにすることです。

すべてにこだわらない。
国籍、性別、年齢、職業、物欲、過去未来、感情。
これらの他、もっといろいろあるでしょうが、人間が不安になったり、ゆううつな気分になっていったりするときには、かならず、どれか何かにこだわりつづけているときです。
未来のとりこし苦労とか、暗く悲しい過去をいまだにひきずっているとか、誰かに何かに執念深く怒っている、恨んでいるとかがあるものです。

そういうときは忘れじょうずになることです。
なかなか難しいことですが、さっぱりと忘れる、考えないよう努力をくり返すことです。
心の中でゆううつや不安感の正体を見きわめたらそれを、きっぱり追い出してしまうのです。

このこだわらないという言葉を、いつもどんなときにも忘れないようにしていると、非常に役に立つものです。
つまり、開き直りの一種なのかもしれませんが、とても心が楽になるための一つの鍵の言葉です。
喧嘩のときなど、とくに役に立ちます。
対人関係の恨みつらみも、こだわるから苦しいのです。

『人生ノート』PARCO出版

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「放下著(ほうげしゃく)」という禅語がある。
こだわりを捨ててしまえ、放り投げろということだ。
我々は、色々なものを後生大事に抱え込んでしまう。
「こだわり」「しがらみ」「嫉妬(しっと)」「妬(ねた)み」「恨(うら)み」「怒り」「憎しみ」…。
過去の「苦しかったこと」や「つらかったこと」にこだわり、人と比較する。

100年たてば、我々は誰もこの世には存在しない。
そう考えれば、どんな大事なことでも、ちっぽけなことに思えてくる。
そんなにこだわらなくてもいいのだ、と。

老けこまないためにも…
日々、こだわらない修練をしたい
posted by Dr.モーリィー at 06:26| ちょっと気になる善い言葉 | 更新情報をチェックする

2018年02月08日

No 4478   【幼児性が抜けない人】

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【幼児性が抜けない人】

小林正観さんの心に響く言葉より…


格好がそれらしい人(偉そうで、立派そうな人)は、逆に危ないということを覚えていてください。
自分の中に真なるものがあり、ゆるぎない自信がある場合は、このような格好をする必要はありません。
見た目が普通の人のほうが、本物である可能性があります。

自分の中に怪しいものがあるから。
どうしても人を説得しなければいけないという深層心理が働き、すごそうに見せたがります。

その人が本物かどうか、見抜く自信がないときは、その人の周りにいる人が明るく楽しそうにしているかどうかで判断するといいようです。
周りの人が楽しそうでないようなら、何らかのトラブルがあったり、偽物という可能性もあります。
身近な人に対して、怒鳴りつけていないかどうかということも、その人を判断する材料になります。

「大酒を飲ませたとき」
「大金を持たせたとき」
「権力を持たせたとき」
に人が変わるかどうかで、どのくらいの人物かを見抜くことができます。

酒を飲んで威張ったり、からんだりする人。
大金が入ると金遣いが荒くなる人。
三番目の「権力」とは、例えば車のハンドルを握った時に、普段おとなしい人が、急に運転が荒くなったりする人かどうか。
一つでも当てはまる人は、幼児性が抜けていません。
遅かれ早かれすべてが出てくるようです。

『日々の暮らしを楽にする』Gakken

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格好がそれらしい、偉そうな人とは、奇抜な服を着ているというだけではない。
言動も、上から目線だったり、自己中心的だったり、プライドが高かったり、命令口調だったり、自慢話ばかりするような人だ。
これらは、人として本物ではない。

また、本物かどうかを見極めるにポイントは、「酒」「大金」「権力」で試すという。
これらはすべて、セルフコントロールがでるかどうかを見られている。
セルフコントロールができない人は、自律できていない人。
つまり、幼児性が抜けない人。

本物をめざしたい
posted by Dr.モーリィー at 21:40| ちょっと気になる善い言葉 | 更新情報をチェックする

2018年02月07日

No 4476   【自分の得にならないことをやる】

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【自分の得にならないことをやる】

鍵山秀三郎氏の心に響く言葉より…


資源に恵まれなかった日本人は、長い歴史を懸けて心の文化を培ってきました。
世界に誇れる精神であり、外国の人々から賞賛されてきました。
それは難しい理論ではなく、人に迷惑をかけないこと、自分のことで人に負担をかけないこと、声高に自己主張して、周囲の人を不愉快にしないことでした。

学者にしか理解できないことではなく、庶民の誰もが自然に身につけていたことでした。
「きまりが悪い、バツが悪い、世間に顔向けできない」という気持ちが普段から身についていて、卑しいことや、恥ずかしいことをしないための自制心となって働いていました。

この自制心が社会の秩序を保ち、治安を維持していました。
社会の秩序が保たれている時代は、もし自分の不注意で人に迷惑をかければ、たとえ小さなことであっても素直に謝り、相手も快く「どういたしまして」のひと言で済み、世の中はいつも平穏でした。
いまの日本人は、人に迷惑をかけても謝らず、開き直ったりすることから、それがもとで争いごとが起き、命を落としてしまうことも珍しくなくなりました。
謝らない人、許せない人、人に迷惑をかけても平気な人、いずれも心に余裕のない人が多くなり、犯罪発生の土壌となりました。

日本人の価値基準はいま、損得一辺倒となり、判断の物差しは極端に短くなりました。
目先の損か得かだけに目ざとくて、持っている物差しの短い人は卑しくなります。
短い物差しでしか測れない人は、過去を顧みる余裕はなく、未来に思いを馳(は)せるゆとりも生まれません。
あるのはいまだけ、自分だけであり、自分のことしか考えられなくなるからです。

日本をよい国にするためには、卑しい人が短い物差しで測るのではなく、鷹揚(おうよう)な人が長い物差しで測るように変えねばなりません。
人間の体に栄養が必要なように、心にも栄養が欠かせません。
体の栄養は食物ですが、心の栄養は自分の得にならないことをやることです。
得することしかやらない人は、心の栄養が欠乏して人間が卑しくなるのです。
自分にとって、何一つ得にならないことに取り組んで、心を健康にしましょう。

『平凡を極める生き方』致知出版社

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「楽な生き方と手を結ばないこと。うまい話に手を出さないこと。利の多い仕事に手を染めぬこと」(石川洋)
これは、「自分に対しては、損と得とあれば損の道をゆくこと。他人に対しては、喜びの種まきをすること」というダスキンの創業者、鈴木清一氏の言葉と同じ。

「損の道をゆく」とは王道をゆくこと。
王道とは、努力多くして、「利」少ない道。
その反対の、覇道とは、努力少なくして、「利」多い道。

自分にとって、何一つ得にならないことに取り組む…
それは、人の目につかないところで行う徳積みという「陰徳を積むこと」。
見返りを求めないで徳を積むこと。
それを「天の蔵に徳を積む」という。

自分の得にならないことをやり続ける人でありたい
posted by Dr.モーリィー at 06:27| ちょっと気になる善い言葉 | 更新情報をチェックする

2018年02月06日

No 4475   【おもてなしは「ひらめき」を生む】

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【おもてなしは「ひらめき」を生む】

佐藤富雄氏の心に響く言葉より…


「人を喜ばせること」で享受できるものはたくさんあります。
それは当然のこと。
なぜなら「おもてなし」というのは、簡単なように見えて、実は結構、知恵を要求されるものだからです。
もちろん「ひらめき」が人を喜ばすカギになるのですが、その結果なにが起こるかと言えば、それは脳のなかに新しい思考回路のパターンができる…すなわち、“自分自身が成長する”ということに他ならないのです。
このことは「おもてなし」に長けている人の、「ひらめき」の鋭さを見れば、すぐに感じ取れます。

人に「おもてなし」をすることが自分を成長させる糧になるのだとしたら、そのことに投資をすることも惜しんではいけません。
たとえばわたしの年齢は、普段仕事でお付き合いのある人たちより、たいてい上ですし、年収にしてもほとんど同じことでしょう。
ですから「おごられる」より、「おごる」機会のほうが、自然と多くなります。

しかしながら、できる人たちの中には、あとで必ず「お返し」をしてくれる人もいます。
決しておごられっぱなしにならないところが、人との付き合い方をさすがよくわかっていると思ってしまいます。
わたしは経験上、様々なものを味わってきましたし、お酒や、料理に対する舌も、おそらくはそれなりに肥えていることでしょう。
むろん、だからといってご馳走されたときに、「こんなものは要らないよ」と怒ることはないのですが、おもてなしを考えてくれる相手にとっては、それなりのプレッシャーになることは確かだと思います。
そんな事情を酌(く)んでか、皆さんいつも工夫してくれる人が多いのです。
たとえば、毎回のように洒落た店を見つけてきては、わたしの好みに合わせて、メニューなどもきちんとセッティングしてくれる人もいる。

こういった人たちの脳に何が起きていくかわかりますか?
「御馳走すること」によって鍛えられていくのは、他ならぬ自分自身なのです。
ですから「おごられ上手」になっているばかりでは、自分に「ひらめき」をうながしていくことはできません。

実は「おごり上手」になってこそ、皆さんの「ひらめき脳」は開発されていくのです。
むろん、「お金を使うこと」だけが投資というわけではありません。
その人のために時間を割いたリ、自分ができるだけの労力を使ったり、相手のことを優先に考えれば、誰にだってできることはたくさんあると思います。

そうやって「相手のためにできることは?」と考えていくことが結果として「ひらめき脳」に刺激を与えていくのです。
これは、「相手を喜ばすことができる」ということにワクワクすれば、それだけで「ひらめき脳」の欲する「快適になりたい」という欲望が燃え上がり、それを実現させるアイデアが、どんどん促進されていくことになるからに他なりません。
これで、わたしが「楽しい人間関係」を大切にしていけばいいという意味も、よくわかると思います。

「おもてなし」を強要してくるような相手ではなく、“喜ばせたいな”という相手だからこそ、あなたの「ひらめき脳」はワクワクしていくのです。
だからこそ「ひらめき」は生まれ、そのことがさらにあなたを成長させ、「ひらめき脳」は一層の人間関係が豊かになることを求めていく。
結果的には人間関係も「楽しいもの」に変わっていき、気づいてみれば自分の周りには「ひらめき」をどんどん高めてくれる仲間たちができあがっているというわけです。

『脳が悦ぶと人は必ず成功する (Nanaブックス (0072))』Nanaブックス

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お金もある、豪邸や、地位もある、という人をもてなすほど難しいことはない。
高価なものはもらいなれているし、高級なレストランも行きつくしている。
すべてにわたってハードルが高い。

そんなとき必要なのが「ひらめき」。
ひらめきを高めるには、普段からたくさんの情報を撮り続けること。
大事なのは、誰の役に立つか、誰が喜んでくれるのかという視点で、その「情報」をとること。

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posted by Dr.モーリィー at 07:29| ちょっと気になる善い言葉 | 更新情報をチェックする

2018年02月05日

No 4474   【自分の応援団】

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【自分の応援団】

午堂(ごどう)登紀雄氏の心に響く言葉より…


どんなに落ち込んでも、どんなに失敗しても、支えてくれる、最高の応援団はいるでしょうか。
多くの場合、家族や恋人になると思いますが、そういう人がいれば、つらいことがあっても耐えることができます。

反対に、
「何バカ言ってんの?」
「あんたにできるわけないじゃん」
「だから言わんこっちゃない」
という人がそばにいると、ますます自信がなくなり、委縮してしまいます。

相手にどういう言葉をかけるか、どういう言葉をかけられるかって、結構大事なんですよね。
恋愛や結婚の素晴らしさはここにあるといっても過言ではありません。
つねに支えてくれる人がいる、つねに応援してくれる人がいる、というのは心の安定につながります。

弱音を吐いても、自信を喪失しても、どんなときでも「あなたなら絶対大丈夫!」と言ってくれる人が、何人そばにいるか。
ですから、パートナーとして選びたいのは、「あんたなんかには無理」という人ではなく、「あなたなら絶対大丈夫!」と言ってくれる人です。
こういう人がそばにいると、「なんとかなるさ」って元気が出てきます。

『やる気が出るスイッチの入れ方 (ロングセラー選書 仕事とお金)』WAVE出版

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「旅は、どこへ行くかではなく、誰と行くか」という言葉がある。
同じように…
食事は、何を食べるか(どこで食べるか)ではなく、誰と食べるか。
会話は、何の話をするではなく、誰と話すか。

人生の楽しみは、まさにここにある。
特に、人生の後半生は、一緒にいて明るくなれる人、元気をもらえる人と、長く一緒に過ごしたい。

それは、落ち込んだ時に…
大丈夫と言ってくれる人。
励ましてくれる人。
あなたならできると言ってくれる人。

長い人生には、自分の応援団が必要だ
posted by Dr.モーリィー at 05:10| ちょっと気になる善い言葉 | 更新情報をチェックする

2018年01月31日

No 4473   【予祝のすすめ】

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【予祝のすすめ】

ひすいこたろう氏の心に響く言葉より…


《喜べば 喜びごとが 喜んで 喜び連れて 喜びに来る》

この世界の最大の罪は「不機嫌」でいることです。
不機嫌はうつるからです。
ではどうすれば「上機嫌」(いい気分)でいられるか。

それは「前祝い」をしちゃうこと。
いいことなんか何ひとつなくても、先にお祝いしてしまえばいい。
じつは、この「前祝い」は、日本人が古来からやってきた願いの叶え方でもあるのです。

たとえば、お花見や盆踊りは、古来日本人の願いを叶えるための知恵でした。
春に満開に咲く桜を秋のお米の実りに見立てて、先に喜び、お祝いすることで秋の豊作を引き寄せようというのが、お花見の由来です。
盆踊りも、豊作を喜ぶ「前祝いダンス」。
前祝いすることを「予祝(よしゅく)」と言いますが、予祝こそ上機嫌をつくり、願いを叶える最高の方法なのです。

あの俳優の武田鉄矢さんが鳴かず飛ばずだったときに、この「予祝」をしたことでブレイクしたというお話があります。
ある日、鉄矢さんのお母さんが、寝ていたお父さんを起こして「今から祝杯をあげよう」と突然言い出した!
鉄矢さんは「めでたかことは、なーんにもなかばい」と伝えると、お母さんは「とにかく先に祝おう」と。

鉄矢さんはポカーン(笑)。
すると、お母さんは言いました。

「おまえには貧乏神が取り憑(つ)いている。
でも乾杯すれば、その貧乏神は『ここまで苦しめているのに、まだおめでとうとか言ってるよ』と拍子抜けして離れていく。
だから親子三人で一芝居打とう」と。

こうして親子三人で予祝をしたら、鉄矢さんのもとに、『幸福の黄色いハンカチ』の映画出演のオファーがきたのです。
鉄矢さんはこれが「予祝」だったのだと、あとで知ります。
喜べば、喜びがやって来るんです。

『3秒でハッピーになる 超名言100』ディカヴァー

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予祝とは、先に祝ってしまうこと。
願いや想いが、あたかも本当に叶ったかのように祝う。
これは、言霊(ことだま)の原理と同じ。

言霊とは、言葉に宿る霊的なパワーのこと。
嫌なことを言えば、嫌なことが起き、楽しいことを言えば、楽しいことが起きる。
結婚式のスピーチなどで使ってはいけない言葉とされる「忌み言葉」も同じ。
縁起の悪い言葉であり、運を落とす言葉。

予祝は運を高める
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2018年01月30日

No 4472   【スヌーピー物語】

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おいちゃんのお気に入りブログ【人のこころに灯をともす】からの転載です

【スヌーピー物語】

ジェームズ・スペンソン氏の心に響く言葉より…


かつて、ミネソタ州にスパーキーと呼ばれていた少年がいた。
少年は中学、高校と勉強はからきしダメで、スポーツも不得意だったが、絵を描くことだけは大好きだった。
理髪師だった父親が新聞の漫画を愛好していた影響で、将来は世界的な漫画家になるという夢を持っていた。

高校を卒業後、雑誌社に漫画を投稿しつづけたが、結局、一度も採用されなかった。
その後、2年間軍隊で働いたが、戦争が終わると大好きな漫画を描く生活に戻った。
そしてまたもや漫画を雑誌社に投稿したが、いっこうに認められなかった。

しかし、1950年、ついに地元の新聞社が彼の才能を見抜き、漫画の連載を始めた。
すると内気な少年とユーモアに富む犬の人気が高まり、とうとう世界的な人気を博すようになった。

もうおわかりだろう。
スパーキーと呼ばれていたこの少年こそ、チャーリー・ブラウンとスヌーピーが登場する人気漫画【ピーナツ】の生みの親チャールズ・シュルツその人なのである。
彼は2000年まで半世紀にわたってこの漫画を全米の新聞に連載し、大勢の人びとに夢と感動を与えた。

シュルツが大成功をおさめた要因は何だろうか?
それは、どんなに拒絶されても、自分の好きなことをやりぬいたことだ。
あなたの好きなことは何だろうか?
いくら拒絶されても、本当に好きなことなら乗り越えられる。

『希望と幸福に満ちた人生の扉をひらく50の法則』ディスカバー

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全世界でベストセラーとなった「ハリーポッター」の作者は、J・K・ローリング女史。
年収は180億円、推定資産は800億円といわれ、総資産はついにエリザベス女王を越えた。
世界で最も成功した小説家として知られているが、小説が売れるまでの彼女は、離婚や貧困、うつ病にもなり、自殺を考えたこともあったという。
そして、娘を抱え、シングルマザーとして生活保護も受けながら「ハリーポッター」の出版のため、12の出版社を訪ねたがことごとく断られたそうだ。

『あきらめない奴には、誰も勝てっこない 』(ベーブ・ルース)
どんなに拒絶されようが、困難に出くわそうが、あきらめなかったら、失敗にはならない。
運の神様が好きなのは、あきらめない人。

断られても断られても…
あきらめずに挑戦し続ける人でありたい
posted by Dr.モーリィー at 21:46| ちょっと気になる善い言葉 | 更新情報をチェックする

No 4470    【くやしさをバネに】

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おいちゃんのお気に入りブログ【人のこころに灯をともす】からの転載です

【くやしさをバネに】

曹洞宗の僧侶、板橋興宗氏の心に響く言葉より…


昔から、親に勧められて、力士や僧侶になった者で大成したものは少ない、といわれている。
親は、わが子が安全に暮らしてゆけそうな道を勧める。
力士や僧侶、あるいは芸術家などは将来成功するかどうか見当がつかない。
確実性のない職業には親は賛成したがらない。
その親の反対をも押し切ってやり抜く強固な意志がないと、ひとかどの人物にはなれないということであろう。

「艱難汝(かんなんなんじ)を玉(たま)にす」という格言は、困難や苦労を重ねることによって人は成長するという意味であるが、これは戦前に育った者なら耳にタコのできるほど聞かされた言葉である。
最近はいう人もいなくなったし、耳にすることもなくなった。

一代で大事業を成し遂げた人や、歴史に名を残すような宗教家や政治家は、家柄や学歴などとは関係のないところで自分を鍛え上げている。
春は入学のシーズンでもある。
目指す学校に入学した者は、急行券や特急券を手にいれた思いで胸をふくらませているであろう。

しかし、その切符が手に入ったばかりに、むしろ人生の型が決まり、案外平凡な人生航路をたどることになるかもしれない。
その反面、切符を手にすることのできなかった人の中には、くやしさをバネにして奮起し、すばらしい働きをする人もいるにちがいない。
空腹感をおぼえるハングリー精神こそ人間を強くする。

今や日本は世界一流の経済大国になった。
あの焼け野原から起き上がって営々と努力してきた結果である。
現代の若者たちは、その豊かさの中に生まれ、豊かさの中で成長している。
その豊かさが知らず知らずのうちに精神的な癌細胞を培養しているのではあるまいか。

『「心豊かに」生きる知恵―人生に失敗はない、愚痴があるだけ』産業能率大学出版部刊

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「父は私たち子供がチョコレートを選ぶ際絶対に取替えを許さなかった。『お前はいま、掴んだじゃないか。文句を言うなら自分の手に言え』」(向田邦子「無名仮名人名簿」より)

人生は選択の連続だ。
右に行くのか左に行くのか、白をとるのか黒をとるのか、どんな物事も決定はつきつめると最後は二者択一。
そして、どんなに大枚をはたいて、貴重なアドバイスを受けたとしても、最後に決定するのは自分。
だから、文句を言うなら自分の手に言うしかない。

大事なことは、うまくいかなかったときの人としての態度だ。
人やまわりのせいにして、見苦しく、自分の責任を逃れるのか。
あるいは、そのくやしさをバネにして、歯を食いしばって、新たな挑戦をするのか。

「なにくそ負けてたまるか」という発憤(はっぷん)が、人をもう一段高いレベルに成長させる。
「文句があるなら自分の手に言え」という言葉を胸に刻みたい
posted by Dr.モーリィー at 06:51| ちょっと気になる善い言葉 | 更新情報をチェックする

2018年01月29日

No 4467   【面倒なことの中に宝が埋まっている】

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【面倒なことの中に宝が埋まっている】

戸田智弘氏の心に響く言葉より…


昔、江州(ごうしゅう・現在の滋賀県)の商人と他国の商人が、二人で一緒に碓氷(うすい)の峠道を登っていた。
焼けつくような暑さの中、重い荷物を山ほど背負って険しい坂を登っていくのは、本当に苦しいことだった。
途中、木陰に荷物を下ろして休んでいると、他国の商人が汗を拭きながら嘆いた。

「本当にこの山がもう少し低いといいんですがね。
世渡り家業に楽なことはございません。
だけど、こうも険しい坂を登るんでは、いっそ行商をやめて、帰ってしまいたくなりますよ」

これを聞いた江州の商人はにっこり笑って、こう言った。

「同じ坂を、同じぐらいの荷物を背負って登るんです。
あなたがつらいのも、私がつらいのも同じことです。
このとおり、息もはずめば、汗も流れます。
だけど、私はこの碓氷の山が、もっともっと、いや十倍も高くなってくれれば有難いと思います。
そうすれば、たいていの商人はみな、中途で帰るでしょう。
そのときこそ私は一人で山の彼方へ行って、思うさま商売をしてみたいと思います。
碓氷の山がまだまだ高くないのが、私には残念ですよ」

『ものの見方が変わる 座右の寓話』ディスカヴァー

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自分が携わっている仕事や、役職を、面倒だと思ったり、つらいと思ったりするときがある。
しかし、その仕事が面倒であればあるほど、つらければつらいほど、他からの参入障壁は高くなる。
これは、役職も同じ。
誰にでもできる役職だったら、とっくの昔に誰かと交代させられる。

「面倒なことの中に宝が埋まっている」
目の前の難事から逃げずに、コツコツと取り組む人に運の女神は微笑む
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