2018年06月24日

No  4670   【礼儀やマナーは相手の重要性を認めているということ】

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おいちゃんのお気に入りブログ【人のこころに灯をともす】からの転載です

【礼儀やマナーは相手の重要性を認めているということ】

レス・ギブリン氏の心に響く言葉より…



相手が成功者や有名人だからといって、その人の重要感を満たす必要はないと思ってはいけない。
はっきり言って、それは大間違いだ。

礼儀やマナーは、人々が自分の価値を感じ取りたいという普遍的な欲求にもとづいている。
つまり、礼儀やマナーは相手の重要性を認めていることを示す方法なのだ。

ある国の首相が訪米中に一閣僚との面会に訪れ、予定時刻から5分ほど待たされたとき、「彼とは別の機会に会えばいい」と言い残して立ち去り、外交面で大騒ぎになったことがある。
この首相はたった5分も待てないほど急いでいたのだろうか?
そんなことはあるまい。
その国と良好な関係を築くために数ヵ月にわたって外交努力を続けてきたのに、こんな「ささいなこと」で台無しになるということがありえるだろうか?
しかし、事態の収拾に莫大な労力を要したことから、それは十分にありえることだ。

もちろん、人はみな違う。
ライフスタイルや食生活、服装、趣味など、人によってすべて異なる。
しかし、すべての人に共通する願望がある。
すべての人は自分が重要な存在だと感じたがっているだけでなく、自分の重要性を他人に認めてほしいと思っているのだ。

私たちが求めているのは、自分の重要感を他人に満たしてもらうことである。
言い換えると、すべての人は自分の価値を確認するのを他人に手伝ってほしいのだ。
もし誰からもつまらない人物のように扱われたら、自分の価値を確認できなくなってしまう。
これこそが、「ささいなこと」が人間関係で非常に大きな意味を持つ理由である。

あなたは「たった5分待たされただけじゃないか」と反論するかもしれない。
しかし、たった5分、されど5分だ。
要は、その5分の待ち時間が何を意味していたかである。
待たされる側にしてみれば、相手が「この面会は形式的な行事だし、この人にはそんな価値がない」と考えていた証しなのだ。

ちなみに、人々が離婚理由に挙げていることを知れば、滑稽(こっけい)に思えるものがよくある。
「夫は一緒に外出すると、かわいい女性を目で追っている」
「夫は人前で私をからかって楽しんでいる」
「妻は私へのいやがらせとしてトーストをよくこがす」
「妻は私の食事より猫の餌を優先している」

どれもささいなことのように見えるが、「私はあなたを重要な存在だと思っていない」というメッセージを相手に送っていることになる。
その結果、ささいなように見えることが結婚生活の破綻につながるのだ。

「大爆発のきっかけは小さな花火」という格言を肝に銘じよう。
つまり、相手を軽んじるような言動が積もり積もって、とんでもない悲劇を招くおそれがあるということだ。

『人望が集まる人の考え方』ディスカヴァー


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「挨拶をされなかった」、「返事をしなかった」、など、自分がないがしろにされたとか、無視されたと感じた時、人はプライドがひどく傷つけられ、そののち怒りが爆発したりする。
挨拶や返事など、普通に考えれば、ささいなことなのに…

かつて、日本の大臣が、東北の知事を訪問した際、「知事が先に部屋に居て、出迎えるのが筋だ」とひどく立腹して大きな問題となり、結局は、上から目線の言い方を世間から叩かれ、辞任せざるをえなくなったことがあった。
これも、大臣である自分の方が上なのに、なぜ、俺を待たせるのだ、大事にしないのだ、という偏狭(へんきょう)な怒りの爆発だ。
この日本の大臣の話はあまりに幼稚すぎて論外だが、誰であっても自己重要感を満たされたいと思っている。

「礼儀やマナーは相手の重要性を認めているということ」
礼儀やマナーを大切にすれば、多くの人間関係は解決する
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2018年06月23日

No  4668   【どうすれば人は動くのか】

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【どうすれば人は動くのか】

樺旦純氏の心に響く言葉より…



運は誰のもとにも訪れる。
しかし、どんな人にも、同じだけの運がめぐってくるわけではない。
その人の素養、能力、人柄によって、訪れる運も違う。
大きな運をつかむには、それをつかむだけのものを身につけていなければならないのである。

一つの目標を達成するためには、他人の協力も必要になってくる。
その場合、相手にも何かメリットがあれば、協力を得やすい。
具体的に、どうすれば人は動くのか。
一般に、人が持つ影響力は、次の6つのパワーに分類される。
このうち、どれか一つでも持っていれば、相手が自分のために動いてくれる可能性は高い。

1. 正当性パワー
相手を従わせる役割や地位、権限などを持つ。父母と子供、教師と生徒、上司と部下といった関係。部下が従うのは、相手が自分の上司で、命令を与える権限を持っているからである。

2. 情報性パワー
相手の求める情報を持っている。いわゆる情報通の人は、あちこちで重宝がられる。人々にとっての価値のある情報を入手できる能力を持つ人は、それだけでも一つの影響力となる。

3. 報酬性パワー
一方が他方に、報酬(金銭的・心理的)を与える権限を持つ。経営者と社員の関係など。報酬には賞与、高い評価、ほめることなども含まれる。

4.懲罰性パワー
相手が指示や命令に従わない時は叱責したり、懲罰を与える権限を持つ。軍隊でいう教官(教師)と隊員(生徒)の関係など。

5.専門性パワー
専門的な知識や技能、経験を持つ。

6.準拠性パワー
人間的魅力、人柄のいい人や周囲から好かれている人は、いざという時、人々の協力を得られる。

急速に変化する時代では、やはり新しい情報に詳しい人は何かと便利だ。
また、専門的な知識や技能、経験を持っていれば、周囲から一目置かれる存在となり、尊敬・信頼を寄せられる。
人柄については言うまでもないだろう。

人を動かすには、相手に対して何らかの影響力を持つこと。
すなわち、相手にとっても、協力することで何かプラスになるようなものを身につけていることが必要なのだ。

『運のいい人の習慣 (幸運を引き寄せる80のつぶやき)』KKロングセラーズ


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稲盛和夫氏はこう語る。
『企業経営において、長く繁栄を続ける企業をつくりあげていこうとするなら、「徳」で治めていくしか道はないと私は考えています。
欧米の多くの企業では一般に、覇道つまり「力」による企業統治を進めています。
例えば、資本の論理をもって人事権や任命権をふりかざしたり、または金銭的なインセンティブ(誘因)をもって、従業員をコントロールしようとしたりするのです。
しかし、権力によって人間を管理し、または金銭によって人間の欲望をそそるような経営が、長続きするはずはありません。
一時的に成功を収めることができたとしても、いつか人心の離反を招き、必ず破滅に至るはずです』 (「成功」と「失敗」の法則)より

つまり、会社のトップや上司、親や教師ならみな持っている、「正当性パワー」や「報酬性パワー」や「懲罰性パワー」には封印をして、「準拠性パワー」で勝負した方がいいというのだ。
準拠性パワーは「徳」という東洋学的にいう、人間的魅力。
パワーがありながらも、それを使わずに治めていく何らかの影響力のことだ。

徳とは、相対したとき、自然と頭が下がるような人のことをいう。
利他の心を持ち、けっして偉ぶらず、謙虚で、明るくて、人から好かれる人のことだ。
昨今では、その「徳」に「情報性パワー」や「専門性パワー」があると、さらに影響力が増す。

それが…
他人の協力を結集できる人であり、影響力のある人。

人間的魅力を身につけたい
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2018年06月22日

No 4667  【よい面を見て自信を持つか、悪い面を見て自信をなくすか】

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【よい面を見て自信を持つか、悪い面を見て自信をなくすか】

松下幸之助氏の心に響く言葉より…



自信というのは、生きる上で非常に大切なものですな。
第一そうしたものがなければ、生きていてもこんなに頼りないことはない。
もっとも、自信を持ちすぎるのも困りものですがね…。

ぼくも、自信をなくすという経験は何度となくしてますわ。
悲観して、どうにも困りはて、夜も眠れんというようなこともありましたよ、実際は。
しかしね、その翌朝になると、もうすっかり考え方というか発想が変わってましたな。
昨夜悲観した材料をもとに、これはこう考えよう、あれはああしようというように、建設的な考え方が心に浮かんでくる。
禍(わざわい)転じて福となすというか、いわばそういう発想ですね。

それが自然にできたのですよ。
だから、自信をなくしたとはいうものの、そのつぎの瞬間には、どうすればそれを解決できるか、そのことをもう懸命に考えていたということですな。
幸いそういうことができたので、今日までやってこれたのではないでしょうか。

それができたのは、ぼくが持って生まれた性格というのもあるでしょうが、やはり体験の中から自然に身についたものでしょうね。
百の事を行って、一つだけ成ったとしたら、たいていの人は事の成らない九十九に自信をなくし、もう再びその事を試みなくなるでしょうな。
そうなれば、まさに失敗ですわ。

しかし、よく考えれば百が百とも失敗したわけではない。
たとえ一つでも事が成っているということは、他の九十九にも成る可能性があるということですね。
そう考えれば勇気が出てきましょう。

そして、事の成った一つをなおざりにしないで、それを貴重な足がかりに、自信を持って九十九にいどむことができる。
そうなれば、もはや成功したのと同然ですよ。
よい面を見て自信を持つか、悪い面を見て自信をなくすか、それによって人生は大きく変わってくるのではないでしょうか。

『すべてがうまくいく』PHP研究所


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トーマス・エジソンの有名な言葉がある。
「私は失敗したことがない。 ただ、1万通りの、 うまく行かない方法を 見つけただけだ」
「失敗したわけではない。それを誤りだと言ってはいけない。勉強したのだと言いたまえ」

100の中の99の失敗を見て嘆くのか、1つの成功を見て勇気を奮い起こすのか。
人生は、見方一つ、考え方一つ、言葉の使い方一つ、で変わってしまう。

言葉の使い方とは…
「失敗ではなく、勉強させてもらった」のだと思えば、お金を払ってもおかしくはない。
そして、「失敗ではなく、うまく行かない方法を見つけただけ」。

よい面を見て自信を持つか、悪い面を見て自信をなくすか、はとても大事なこと
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2018年06月21日

No   4666   【為合(しあ)わせること】

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【為合(しあ)わせること】

福聚寺住職、玄侑宗久氏の心に響く言葉より…



私が好きな中国の詩人で、陶淵明(とうえんめい)という人がいます。
その陶淵明に「帰去来辞(ききょらいじ)」という詩があります。
彼は41歳で、いまでいう郡の役所の長くらいにまでなりましたが、公務員に嫌気がさし、自分の故郷に帰っていく途中で「帰去来辞」を詠むのです。
その詩の最後に書きつけた言葉が、私は好きです。

「いささか化(け)に乗じて以て尽くるに帰し
かの天命を楽しんでまたなんぞ疑わん」

どんな変化が来てもそれに乗っかり、その変化が尽きるにまかせよう。
そして、これが天命なんだと信じて疑わない。
陶淵明はそう決意を述べるのです。

災害に続けて遭った時などもそうですが、「なんで私らばっかり」と思うものです。
しかし、「なんで私らばっかり」と漠然と感じているときには、どこかでまだ「天命なのではないか」と思っているでしょう。
まだ誰をも恨んでもいない。
誰を恨んでもいない状態はむしろ幸せなのです。
しかし、「仮設トイレはまだできないのか」「役場は何をしているんだ」というように、「災害は誰のせいでもないけれど、いまのこの状況は誰かのせいだ」という主張になってくると、一気に不幸になります。
「事故」というのは、誰のせいで起こったものでもない。
でもそれは、すぐに「事件」になります。
事件というのは、誰かのせいです。
誰かのせいだと思った途端に、人は不幸になるのです。
これは大いなる法則です。
ですから、「天命」という言葉であらかたの変化を受け容れたときに、今を生きる幸せというものは得られると思うのです。

宿命とか運命という云い方があります。
もともと定まっているものとして考えられたのが、「宿命」です。
「宿」というのは「宿場」と使われるように、「とまる」という意味があります。
「運命」の「運」は「うごく」と訓(よ)みます。
これは天と人との関わりが予定もなく変化し続けるという見方です。

同じ境遇に生まれ育ち、似たような人々の間に暮らしたとしても、人はそれぞれじつにさまざまな人生を生きる。
この認識から、おそらく「運命」という言葉が生まれたのでしょう。
皆さんには、是非とも運命のほうの考え方をしていただきたいのです。
その得体のしれない運命の波に、陶淵明は乗るのだと決意しています。
これとほぼ同じことを、孟子は「立命」という言葉で表現したのです。

それと似た態度なのですが、奈良時代には、運命の流れに「為合(しあ)わせる」意味から、「しあわせ(為合)」という和語が生まれました。
運命の流れにうまく為合(しあ)わせることがしあわせであるということです。
室町時代になると、この「しあわせ」に「仕合」の文字が当てられ、相手も天ではなく人を想定するようになりました。
人が刀をもって向き合うことを「仕合」(今は「試合」ですが)と表記したことからもわかるように、「しあわせ」とは相手の出方に対してどう対応するか、というかなり技術的な問題です。

そもそも、運命の波には善意も悪意もなく、要はその波に乗るなり、立つなりできるかどうか、つまりうまく「仕合わせ」られるかどうか。
本人の心構えや技術によるところが極めて大きいはずです。

結局、どっちにでもできるわけです。
最初についていると思ったか、ついていないと思ったか、ただそれだけです。

『流れにまかせて生きる 変化に応じる「観音力」の磨き方』PHP


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「流れにまかせる」について玄侑氏はこう語る。(本書より)
『なりゆきという言葉は、普通は良い意味では使われないですけれども、仏教的な世界の認識の仕方は諸行無常です。
つねに変わり続けている。
これを和語で言うとすれば、「なりゆき」という言葉になるのではないでしょうか。
なりゆきに任せられたら、一番いいと思います。
どこに行き着くのかということもわからない。
わからないのですが、わからないところに向かって生きていくのが人生だと思います』

小林正観さんは、「流れにまかせる」ことをこう表現している。
『頼まれごとがきたら、基本的には全部引き受けます。
頼まれごとは「適当」にやることをお勧めします。
「適当に」というのは、「適度に」ということです。
「引き受けたからには、いい仕事をしなくてはいけない」と気負わずに、そのときの加減で「良い加減」でニコニコと取り組んでいけばいいのです。
頼まれごとを引き受けて行くと、三年くらい経ち、ある方向性でこき使われていることに気がつきます。
「どうもこういうことをするために、この世に生まれてきたみたいだ」というように、自分の“使命”がわかる瞬間があります。
それを「立命」の瞬間といいます。』

頼まれごとを好き嫌いを言わず、ニコニコしながら引き受ける。
そして、運命の波に為合(しあ)わせる。
それが、流れにまかせて生きること。

為合(しあ)わせることは、幸せに通じる
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2018年06月20日

No  4664   【仕返しをしないこと】

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【仕返しをしないこと】

斎藤一人さんの心に響く言葉より…



私たちはさまざまな出来事を通して学びを得ます。
その中でもっとも大きいのは“お金”と“人間関係”からの学びです。
人間関係とは、親子や夫婦、会社の上司や部下、同僚とさまざまですが、さらに言えば「自分自身との関係」も含みます。

神は“自己犠牲”を嫌います。
「私はいいから、あなたが幸せになって」じゃなくて、まずは自分が幸せになって、その幸せをできる範囲で周りに配っていけばいいんだよね。
それが神の望みでもあるの。

それと、「自分さえ良ければ」というのも自分を大切にしていないことだよね。
人によっては「自分さえ良ければ、他人に迷惑をかけても関係ない」と思うかもしれないけれど、他人に迷惑をかければ必ずその報いは自分が受けます。
だから結局、それも自分を大切にしていないのと同じことなんです。

また、相手に悪口を言われたり、イヤなことをされたりしたら、その人に「仕返しをしよう」としますが、これもいけません。
誰かがあなたの悪口を言ったら、その報いを受けるのはその言った人なんです。
“報い”とはいいことをすればいいことで報われて、悪いことをすれば悪いことで報われることを言います。
「復讐するのは神の仕事」といって、その報いは神様がちゃんとやってくれることだから、あなたが勝手にその人に報いを与えちゃダメなの。
だいたい、人の悪口って言ったほうが負けだからね。
言い続けている人は大負けなの。
それをあなたまでその人につられて相手の悪口を言ったら、自分の運勢まで悪くなっちゃうんだよ。

だから、私たちができることっていうのはね、「相手を黙らせる」ことではありません。
「相手が悪口を言っても、自分は言わないようにする」ことがほんとうの真理なんだよね。

私たち人間は完璧じゃないから間違えることだってあります。
そこで成長できる人が、「間違ったときに謝れる人」なんだよ。
「謝るとかっこ悪い」と思うかもしれないけれど、謝らない人、または謝れない人のほうが、よっぽどかっこ悪いよね。

謝れない人って我が強いんです。
我が強いっていうことは、それだけ魂に汚れがついてるってことなの。
それで私たちはみんな、その汚れを落とすために生まれてきているからね。

『お金の真理』サンマーク出版

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「復讐するのは神の仕事」というのは、聖書の中の言葉で、「復讐は私の仕事、私が報復する、と主は言われた」からきている。
そして、人間による「目には目を、歯には歯を」という報復を戒めている。
報復は報復の連鎖が続く。
いつまでたっても終わりのない無限ループに陥ってしまう。

他人の悪口を言ったら、その報いは言った人が受ける。
同様に、お金の悪口を言ったら、その報いは自分が受ける。
お金持ちの人をうらやんだり、思わぬお金が入った人の悪口を言うようなことだ。

どんなひどい仕打ちを受けても…
仕返しをしようとしてはいけない
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2018年06月19日

No  4663    【仕事も人生も娯楽でいい】

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【仕事も人生も娯楽でいい】

堀江貴文氏の心に響く言葉より…



《行動しないことが一番のリスク》
「失敗のリスクを考えると新しいことに挑戦できない」という人がいる。
しかし、恐れていても何もメリットはない。
自分で勝手に「できない理由」を考えているにすぎないのではないだろうか。
よく考えてみてほしい。
行動しなければ、成功のチャンスすら掴めない。
仮にビジネスで失敗したとしても、命まで落とすわけではない。
実際、起業家のなかには、何度も失敗を積み重ねたが、最後には成功したというケースも多いのだ。
むしろ、現代のような変化の大きい社会では、行動しないことが一番のリスクだ。
AIの発達で、今ある仕事が10年後には機械に代行されているかもしれない。
現状に甘んじて何もしないのか。
それとも、変化を見据えて新しいことにチャレンジするのか。
どちらを選ぶかはあなた次第だ。

《誰でもできる仕事だからです》
2017年10月、僕はツイッターでこう発言して炎上した。
きっかけは朝日新聞のネット記事。
「『なんで保育士の給料は低いと思う?』低賃金で負の循環」にリアクションするかたちでつぶやいたのだ。
「保育士を見下している」「尊い仕事なのに」…。
とにかく叩かれまくった。
誤解を招く表現だったかもしれないが、僕の真意はまったく別のところにあった。
働きに見合わない報酬しかもらえないなら、そんな仕事はやめてしまえばいいのだ。
我慢して働き続ける人がいる限り、労働環境や待遇は改善されない。
需要と供給のバランスの話で、必要な人員が集まらなければ状況は変わる。
人生を変えるのは簡単だ。
現状に縛られず、初めの一歩を踏み出せばいい。
前進を妨げているのは、「リスク」ではない。
「能力」でも「経験」でもない。
そのように言い訳して行動しない自分自身だ。
僕は嫌なことは我慢しないし、自分が面白いと思うことしかしない。
「仕事も人生も娯楽でいい」。
その程度に考えていればちょうどいいのではないだろうか。

『仕事も人生も娯楽でいい (宝島社新書)』宝島社新書

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現在、多くの企業で人手不足がますます深刻になってきている。
そして、今後ますます少子化は進み、さらに人は足りなくなる。
その対策はただ一つ、そこで働く人の待遇をよくするしかない。
厳しい現実だが、待遇をよくできない企業は存続できなくなる、ということだ。

アメリカのサウスウエスト航空の企業ポリシーは、「従業員第一主義、お客様第二主義」。
従業員の待遇をよくし、みんなが幸せに働けるようになれば、顧客も、地域社会も、取引先も自然と幸せになっていくという考え方だ。
基本理念には、「ざっくばらんに」「ありのままの自分で」「仕事を楽しもう」といったキーワードがある。
また、従業員第一主義に関しては、サウスウエスト航空のCEOであるハーバート・ケレハー氏は、「従業員を侮辱するようなお客様は自社の飛行機には乗せない」と公言するほど徹底している。
この理念を実行することにより、サウスウエスト航空は、40年もの間、黒字経営を継続している。
まさに、こういう会社なら入りたいと思わせる素晴らしい経営理念だ。

面白がってワクワクして仕事をする。
仕事も人生も娯楽でいい
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2018年06月18日

No  4662   【エクスポネンシャル思考】

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【エクスポネンシャル思考】

エクスポネンシャルジャパン共同代表、齋藤和紀氏の心に響く言葉より…


歴史を見れば明らかなように、いかなるテクノロジーも代替テクノロジーによって置き換えられていきます。
材料が置き換えられるのか、それとも、システム全体として違う形になるのか、未来は誰にもわかりません。
私たちが手にするテクノロジー、とくに情報テクノロジーは今この瞬間も大きな進化を続けています。
この連綿と続く一連の進化が人類の生活も大きく変えてきました。

進化のスピードがこれほどわかりやすく顕在化する産業革命の前まで、人間の寿命は40歳そこそこでした。
ほんの250年前のことでそれほど昔の話ではありません。
しかし、18世紀後半にイギリスから始まった産業革命によって一部の国が一気に先進化し、そこから200年弱で人類の寿命は2倍近くに延びました。
テクノロジーがもたらしたのは寿命の延長だけではありません。
手のひらに収まるデバイスから、地球の裏側の情報にも簡単にアクセスできるようになりました。
そして、私たちは今、テクノロジーの進化が「さらに加速している」のを感じているのです。

今後、多くの仕事が人工知能やロボットに置き換えられていくのは、まず間違いないでしょう。
テクノロジーが私たちの仕事を大きく変えてきたのは今に始まったことではありません。
かつて、テクノロジーは電話交換手という職業を生み、そして廃業に追いやりました。
同じ職場のなかでも、そろばんを持ち歩いて伝票の合計チェックにいそしんだ昔の公認会計士と、海外のデータセンターを活用し人工知能をフル活用して企業データを分析する今の公認会計士はもはや同じ職場ということはできないでしょう。
これから先の短期間で、電話交換手に起きた変化、公認会計士に起きた変化と同じことがいくつも起きることは予測に難(かた)くありません。

これから起きる人間の仕事の置き換えは、私たちの全く予想もしなかった形で表れる可能性があります。
人工知能が直接人間の仕事に置き替わってしまうというよりも、テクノロジー進化の複合的な帰結として、今ある仕事は間接的に「蒸発していく」という表現が、より正確に状況を表すと思われます。

『エクスポネンシャル思考』大和書房

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エクスポネンシャルとは、直訳すると「指数関数的」と言う意味。
「ムーアの法則」という経験則で定義された進化速度を、はるかに上回る幾何級数的変化のことを指す。

齋藤和紀氏 は、「エクスポネンシャル思考」とは、世界をひっくり返すような、ぶっ飛んだアイデアを出すことだという。
そして、「世界を変えるようなイノベーティブなアイデアは、テクノロジーとテクノロジーの交差点で生まれる」、と語る。

レイ・カーツワイル博士は、少なくとも2045年までには、人間と人工知能の能力が逆転するシンギュラリティ(技術特異点)に到達すると言っている。
それが起こるかどうかは別にして、それほどテクノロジーの進化のスピードは、我々の想像をはるかに超えて速いのだということ。

大変化の時代を生き残るため…
エクスポネンシャル思考を身につけたい
posted by Dr.モーリィー at 07:17| ちょっと気になる善い言葉 | 更新情報をチェックする

2018年06月16日

No   4659   【ホワイト企業とは】

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【ホワイト企業とは】

元ソニー上席常務、ホワイト企業大賞企画委員長、天外伺朗氏の心に響く言葉より…



「どうせ働くなら“いい会社”で…」というのは、世界中のサラリーマン共通の願望でしょう。
また、できることなら自分の会社が「いい会社」に育って欲しい、と願わない経営者はいません。
仕事があればいい、儲かっていればいい、という時代は過ぎ去り、「いい会社」というのは、いまや産業界全体が追求すべき大きな課題のひとつになっています。

私たちは、「いい会社」の表現のひとつに、「ホワイト企業」という言葉を使うことを提案しています。
この言葉のいいところは、よく知られている「社員に過酷なブラック企業」の反対なので、誰でも直観的に「社員を大切にしている」という印象が浮かぶことです。
少なくとも、漠然としたイメージは共有できます。

私たちはあえて、その漠然としたイメージだけを大切にして、「ホワイト企業というのはこういう企業ですよ」という定義をしないことにしました。
定義をしてしまうとそれが目標になります。
もちろん目標が明確になり、それに向かって努力をする企業が増えるというメリットはありますが、目標以外の方向性が無視されるので多様性が乏しくなり、また「達成したか/しないか」という結果にとらわれてプロセスがおそろかになり、達成したら終わりという刹那性をはらむ、などの問題点が出てきます。
それよりも、漠然たる方向性だけを示して、「永遠に歩き続ける道」として「ホワイト企業」という表現を使っていこうと考えています。

よく考えると、仕事を通じての幸福は「働きがい」だし、「社会貢献」も幸福に通じる活動です。
つまり、この方向性は「社員の幸福の追求」という一点に向かっています。
「幸福は伝染する」という特性があるので、社員が幸福なら、お客様を含めて、その会社に関係するすべての人たちを幸福へ誘うでしょう。
また、社員が幸福なら創造性が高まり、会社の業績がよくなることも述べたとおりです。

いままでの経営学は、ひと言でいえば会社の業績向上を合理的に追求してきました。
ところが、社員の幸福を無視して直線的に合理性を追求すると「ブラック企業」が生まれます。
社員は疲弊して、結局は業績も落ちるでしょう。
合理性の追求には落とし穴があるのです。
業績を追うより、むしろ「社員の幸福」を追求すると、時間はかかるかもしれませんが、結果として会社の業績も向上します。
「ホワイト企業への道」というのは、そういう方向性を示唆しています。

このことは、100年もの間「業績向上」を旗印に掲げて発展してきた経営学の前提を、ここで抜本的に見直さなければいけない、ということを意味しています。
また、「幸福」というのも漠然とした概念なので、もう少し、しっかりと学問的に追究する必要があります。
かくして「“幸福学”と“経営学”の融合」という、大テーマが浮かびあがってきました。

『幸福学×経営学 次世代日本型組織が世界を変える』内外出版社


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伊那食品工業代表取締役会長、塚越寛氏は「いい会社」についてこう語っている。
「『いい会社』とは、単に経営上の数字が良いというだけでなく、会社を取り巻くすべての人々が、日常会話の中で『あの会社は、いい会社だね』と言ってくれるような会社です。
社員はもちろんのこと、仕入先からも、売り先からも、一般の消費者の方からも、そして地域の人たちからも『いい会社だね』と言ってもらえるように心がけています」
そして、「会社は社員を幸せにするためにある」、「会社は永続することに価値がある」とも言っている。

どんなに「いい会社」であっても、長く続かなければその存在意義はない。
逆に言うなら、本当に「いい会社」なら、消費者からも、そこに働く人からも、取り引き先からも、地域からも、誰からも支持されるので、長く続くに決まっている。
時代を超えていい会社であり続ける…それがホワイト企業。

ホワイト企業を目指したい
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2018年06月15日

No 4658   【読書は運を呼ぶ】

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【読書は運を呼ぶ】

堀紘一氏の心に響く言葉より…



企業経営にとっては、運がなにより大切…このことを私に教えてくれた人物は、故ブルース・ヘンダーソンである。
彼はボストンコンサルティンググループ(BCG)の創業者であり、「戦略コンサルティング」という概念を初めて提唱。
経営コンサルタントの世界に一種の革命を起こした風雲児であり、私の人生の師のひとりである。

その偉大なるブルース・ヘンダーソンは、経営戦略の重要性について私が問うと密かにこう教えてくれた。
「もちろん企業経営にとって戦略は極めて重要なものである。しかし最重要ではない。最も大切なのは運である。しかし、これは人に教えるな」

運が大事だといっているのはブルースだけではない。
かつて「経営の神様」と崇(あが)められた松下電器産業(現パナソニック)創業者の松下幸之助さんも「成功の条件は運と愛嬌」とおっしゃっている。
運があれば大概のことはうまくいくが、運がないと相当努力しても大概のことはあえなく失敗に終わる。
ところが困ったことに、この運ばかりは100%確実につかむ方法がない。

何事にも重要な運をキャッチする確かな方法がないと聞いたら「努力なんて金輪際やめた!」と無為無策で世の中に流される生き方を選ぶ人が大半だろう。
でも、運をつかみとる方法がないとしたら、次善の策としてせめて自分にやれることを地道にコツコツ努力するタイプもいる。
その姿を見た人は「頑張っているあいつにチャンスをやろう」と思ってくれる。
それが思わぬ運につながるのだ。

野球の選手でいえば、誰より遅くまでグラウンドで素振りを繰り返していたら、それを密かに見ていた2軍の監督は、1軍で想定外の故障をした選手が出たときなどに、その選手の1軍昇格を推薦しようとするだろう。
真面目に努力していれば、誰でも4番バッターになれるわけではない。
世の中はそんなに甘くないが、少なくとも努力をしていればチャンスが訪れる確率は高まる。
それをモノにできるかどうかもまた運である。

運をつかみとるための日常的努力が野球選手にとっての素振りだとするならば、ビジネスパーソンにとっての素振りは読書に他ならないのだ。
読書を通じて教養を磨いて自分なりの哲学を養っておくと、年上の人が可愛がってくれる。
するとプロ野球の2軍の監督に目をかけられた野球選手が思わぬ出場機会を得るように、ビジネス上のチャンスをつかめる日もやってくるだろう。

『自分を変える読書術 学歴は学<習>歴で超えられる (SB新書)』


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『仕事でも結婚のようなプライベートでも、一大決心をするときには判断材料がなく、限られた情報だけで乾坤一擲(けんこんいってき)、運を天に任せた勝負に出ないといけないシーンは結構ある。
そこで頼りになるのは第六感しかないのだが、その勘の背景にあるのも、読書を通じて長い時間をかけて養ってきたその人の教養だと私は思っている。
背後に豊かな教養がある勘は第六感だが、後ろ盾も根拠もなにもない勘は単なる山勘で失敗するリスクも高い』(本書より)

読書をするということは、言葉を身につけることだ。
言葉が身につくと、気の利いたことが言えるようになる。
そして、相手を不快にせず、機嫌よくさせる言葉のセンスも身につけることができる。
それが、「愛語」。

その反対に、言葉のセンスがないと、相手を不快にする。
相手を傷つけたり、二度と会いたくないと思わせてしまう。
相手を不快にする人に、運やチャンスはやってこない。

「読書は運を呼ぶ」
読書で運を呼び寄せたい
posted by Dr.モーリィー at 07:08| ちょっと気になる善い言葉 | 更新情報をチェックする

2018年06月14日

No 4657     【ココ・シャネルの言葉】

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【ココ・シャネルの言葉】

山口路子氏の心に響く言葉より…



《かけがえのない人間であるためには、人と違っていなければならない》
シャネルは生涯を通して、「ほかの人と自分を区別する」ことを意識し続け、「ほかの人と同じことをして安心する」人たちから遠く離れたところにいました。
「自分と自分以外の人との違い」について、「自分にできてほかの人にできないこと」について、また逆に、「ほかの人がいともたやすくこなしているのに自分にはできないこと」について、考えた人でした。
シャネルの成功の理由は、もちろんひとつではないけれど、「人と違っていること」に異常なほどのこだわりをもっていたことは、確かに成功の理由の根幹にあるでしょう。
シャネルが71歳でカムバックしたとき、同業者であるバレンシアガは「シャネルは永遠の爆弾だ」と言いましたが、この強烈な賛辞は「かけがえのない人間」でありたいと願い続けたシャネルを喜ばせたことでしょう。

《20歳の顔は自然がくれたもの。30歳の顔は、あなたの生活によって刻まれる。50歳の顔には、あなた自身の価値が表れる》
どのような生き方をしてきたか、どのような生き方をしているのか。
それは顔に表れる。
シャネルの有名な言葉のひとつです。
進歩した医療技術で、どんなに肌に張りを与えようとも、重力に逆らった施術をしようとも、あるいは写真で修整を加えても、「精神の老化」は隠せません。

《私はこれから起こることの側(そば)にいる人間でありたい》
シャネル63歳。
スイスでの隠遁生活に退屈していたころ、「まだ終わったわけじゃないわ」はほとんど口癖でした。
60歳を超えたシャネルの口から「はじめからすべてをやり直す準備はできている」と聞いた人々は、その不屈の精神、年齢をものともしない精神に圧倒されました。
モード界にカムバックしたのは、それから8年後のことでした。

『ココ・シャネルの言葉 (だいわ文庫)』だいわ文庫

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山口氏は本書の中でこう語っている。
『シャネルは、物を買うことではなく、自分の格を上げることのためにお金を使いました。
どんな物を持っているか、ではなく、どんなことをしているのか、で勝負したのです』

『シャネルが、モード界にカムバックしたのは71歳のときでした。
「退屈よりも大失敗を選んだの」という言葉のとおり、困難覚悟の決断でした。
それから87歳で亡くなるまで、最前線で働き続けたのです』

人はこの世では、一回限りの人生しか生きられない。
二度はないと思ったとき、「退屈よりも大失敗を選ぶ」生き方は、凄(すさ)まじいばかりの潔さだ。
「晩節を汚(けが)さない」という生き方もあるが、晩年に大失敗をするのもまたそれでよし。

どんなときも、いつであっても、当事者でいることは自律した人生を生きる上でとても大事な価値観だ。
評論家のように批判ばかりして、ひとごとのように話す。
だからこそ、「 これから起こることの側(そば)にいる人間でありたい」。
引っ込んでばかりはいられない。

かけがえのない人生を全力で生き切りたい
posted by Dr.モーリィー at 07:12| ちょっと気になる善い言葉 | 更新情報をチェックする

2018年06月13日

No 4655     【禅的老い方】

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【禅的老い方】

境野勝悟氏の心に響く言葉より…



江戸時代の臨済宗の僧、翠厳(すいがん)禅師の言葉に、
「我心(がしん)を忘ずるは、即(すなわ)心仏となる」がある。
「我心」とは、自分だけの利益ばかりを考える心だ。
自分だけが得しよう、自分だけが豊かになろう…。

すると、どうしても、日常生活すべてが、自己中心的となる。
なにかを話すにしても、自分の考えでしか、人と話せない。
相手の意見が、まったく、読めない。

「わたしは、人のためばかり思っている」なんていっているが、じつは、自分だけの考えで、自分のエゴで、人のためと思っているだけだ。
相手が、「いい」と思っていることを、応援して、手助けしてやる。
そこではじめて「人のため」の行動が、とれる。

老いて注意する点は、ただひとつ。
自己中心の考えや、自分の考えだけによる取捨選択の、いっさいの行動を捨て去ることだ。
けっして、むつかしいことじゃない。
こっちの意見をいう前に、相手の考えをよく聞いてやることだ。

「こうしろ」という前に、「こうしてほしい」といわれたら、誠心誠意尽くしてさしあげることだ。
少なくとも、禅的に生きたいなら、ここが、肝心かなめの点だ。

「自分のためにやる」
「自分が得するためにやる」
若いうちは、それでいい。
が、老いてきたら、得るものは、決まってくる。
得ようと思ったって、かぎりがある。

禅的老い方の基本は、第一に「他利(たり)」である。
もし、禅的に老いたいなら、「自分のため」は、あとまわし。
相手がよくなるように、相手が喜ぶように、相手の考えや趣向をよく理解したうえで、「この人のため」に行動を開始する。
その修練を徹底的に実践する。
じつは、そのことが、いちばん、自分のためにもなる。

なかなかできない。
それは、わかりきっている。
できなくても、できなくても、つづけていく。

例えば…。
若い人の意見を、よく聞く、聞く、聞く…。
オーソリティの意見ではない。
学者の意見でもない。
名高い評論家の意見でもない。
若い人だ。
若い人の意見をひざまずいて、合掌して聞く、聞く、聞く…。

いやなことだ。
おもしろくないことだ。
若い人の意見を聞いているうち、「なにっ。オレをだれだと思っているんだ!なめるな!」という気持ちになるのは、よく、わかる。
が、そこが、こらえどころだ。
ガマンにガマンをして、「うむ。なるほど、よくわかった」…と。

若い人の意見どおりに、行動しなくてもいい。
ただ、「わかった」と、まず、しっかりと、その意見を誠実に認めてあげることだ。
若い人の意見を、「なるほど、いいことをいうね」と、素直に受け入れて、「参考にさせてもらうよ。ありがとう」と、もし、いえるような自分になったら、老後の人生は、パッと開ける。
老後すべての生活に、春が、来る。
花が、咲く。

『禅的老い方: 限りなくシンプルに、豊かに暮らすヒント (単行本)』三笠書房


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世界に類をみない革命、明治維新を成し遂げたのは20代や30代の若者たちだ。
しかし、忘れていけないのは、その裏に、彼らを認めたり、応援した、年長者や老人たちがいたから。
どんな改革でも、実力や権力のある年長者や老人たちが本気になって止めたら、その改革は一歩も進まない。
昨今の大企業がバタバタとダメになっていく裏には、こういう現象がある。

だからこそ、年長者や老人は、「若者を応援する人」でなければならない。
特に、変化の激しい現代はそれが必要。

応援するには、自分も勉強して、その問題の本質をある程度わかっていなければならない。
つまり、新しい情報や、考え方を受け入れる好奇心と柔軟性が必要。

若者とつき合うには、魅力がなければならない。
頑固一徹で、誰の話も聞かず、昔話ばかりしているような老人には誰も会おうとはしない。

年を重ねたら…
禅的な老い方を目指したい
posted by Dr.モーリィー at 06:02| ちょっと気になる善い言葉 | 更新情報をチェックする

2018年06月12日

No 4654   【相手に花を持たせる人】

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【相手に花を持たせる人】

櫻井秀勳氏の心に響く言葉より…



現在、多くの出版社から「引き寄せの法則」式の本が出ています。
幸せを引き寄せる方法を分析した、スピリチュアル的な考え方のものが多いようです。
スピリチュアルがいいかどうかは別として、幸せを引き寄せるには、自分だけでなく周りの人たちも同時に、幸せな気分にしていかないといけません。
自分だけ幸せを引き寄せようとしていたのでは、結局、自分も幸せになれないのです。

この引き寄せの法則は、いわば「相手に花を持たせる」という考え方と、不思議なくらい一致しています。
「相手に花を持たせる」とは、その人を立てて功を譲(ゆず)ることです。
こうすることにより、相手をよろこばせ、感謝されるのですが、そのことによって、相手も自分自身も、幸せを引き寄せることができるのです。

反対に、「俺が、俺が」と出しゃばったら、相手は怒ってしまうし、周囲もそんなあなたに冷たい視線を向けるでしょう。
しかし、手柄を相手に譲ることは、そう簡単ではありません。
戦国時代には、敵の武将に最初の一太刀(ひとたち)を浴びせた男と、その敵を最後に仕留めた男が、互いに手柄を譲らず、決闘になって、殺し合うのがふつうでした。
現在でも、出世がからむ場合など、容易に勝ちを譲ろうとはしないでしょう。
だからこそ、相手に花を持たせる度量の持ち主が、上の人から注目される存在になっていくのです。

とはいえ、相手に花を持たせたことを、上の人がしっかり気がつき、認めてくれるかという不安があるのも事実です。
長い目で見ようとせず、毎月の売上だけで社員を判断するような会社に入ったら、それこそ悲劇です。
だからこそ、目先の利だけに走った就職活動は、ときに大きなソンを生むこともあるのです。
そうなったら即、辞めないと、ズルズルと不幸の淵にはまってしまうでしょう。

しかしふつうは、どんな会社にも信頼できる人の一人や二人は、必ずいるものです。
また、誰も見ていなくても、相手に花を持たせればいいではありませんか。
あなたの人間形成上、決して悪いことではありません。

『人を味方につける男、敵にする男: 仕事がうまくいく人の「不思議な魅力」 (知的生きかた文庫)』

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相手に花を持たせるとは、その人を立てて功を譲ったり、 人に名誉や手柄を譲ったり、相手に恥をかかせなかったりすることだ。
何か議論になってしまったようなとき、あえて反論せず、「そうですね」と言って引き下がるようなこと。
ムキになってやり合えば、ケンカになってしまい、関係も悪くなる。
正しさを競って、相手をやり込めることができたとしても、何の得もない。
サッとよけることだ。

「自分の方がすごいんだ」とか「私のがもっと知っている」と競うのは、傍(はた)から見ていて見苦しい。
人間が「小さい」とみられてしまう。
そして、人としての器の大きさが問われる。

人と話をしていて、自分の方が多くしゃべってしまう、というのも同じ。
人の話をじっと黙って聞いている、出しゃばらないし、静かに控えている、ということは人間関係にとって、時に、とても大事なこと。

相手に花を持たせる人でありたい
posted by Dr.モーリィー at 06:51| ちょっと気になる善い言葉 | 更新情報をチェックする

2018年06月11日

No 4653   【「魂」を成長・進化させる方法とは】

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【「魂」を成長・進化させる方法とは】

小林正観さんの心に響く言葉より…


「輪廻転生」は「義務である」とお伝えしました。
「魂」は生まれ変わりを重ねながら成長していきますが、「魂」が成長できるのは、「肉体を持ったときだけ」のようです。
なぜか。
「魂」だけで過ごしているときは、「事件」が起きないからです。
「魂」は、300年〜400年に一度、肉体を持って生まれ変わりますが、肉体がある分、さまざまな制約や事件にさらされます。
「食べなくっちゃいけない」「飲まなくっちゃいけない」「お風呂に入らなくっちゃいけない」「トイレに行かなくちゃいけない」「寝なくちゃいけない」。
「上司に怒られる」のも、「恋愛」ができるのも、「夫婦喧嘩をする」のも、「親子喧嘩をする」のも、肉体があってこそ。

「魂」だけの状態であれば、制約も事件もなく、とても「ラクな状態」で過ごせますが、そのかわり、まったく「成長」しません。
「魂の成長」には、事故、病気、災難などが必要です。
病気によって優しさを知り、事故に遭って謙虚さを知る。
「魂」は自ら「シナリオ」を書いて、さまざまな事故・病気・災難を設定しています。
それもすべて、「魂の成長」のためなのです。

「魂」を成長・進化させる方法とは、目の前で起こる一つひとつの現象に対して、つべこべ愚痴を言わず、「感謝」を持ってとらえること。
ある現象に対して、「不平不満、愚痴、泣き言、悪口、文句」を言うのは「初期の段階(マイナスの段階)」です。
その後、マイナスから「ゼロになる段階」があり、その先に「嬉しい、楽しい、幸せと思う段階」があります。
この高みに登り、あらゆる現象について「ありがたい」と思えるようになったら、「魂」が大きな成長を遂げています。

『もうひとつの幸せ論』ダイヤモンド社


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『「病気の境遇に処しては、病気を楽しむということにならなければ生きて居ても何の面白みもない」
これは、歌人・俳人、正岡子規が残した言葉です。
若くして結核を患った正岡子規は、「病気を楽しむ」と受け止め、死の直前まで創作活動を続けていました』(同書より)

病気になって、「この程度ですんでよかった、ありがたい」とか「早めにわかってよかった、ツイている」と、「幸せ」や「感謝」の気持ちで受け止める人がいる。
反対に、「ひどい目にあった」とか「ツイてない」と愚痴を言ったり、嘆く人もいる。

小林正観さんは、病気にしても、困難にしても、どんな現象も「中立」でありニュートラルだという。
つまり、「幸せ」だとか、「不幸せ」と、とらえる自分がいるだけ。
本人のとらえ方の問題。

「魂」を成長・進化させる方法とは…
目の前で起こるすべての現象に対して、愚痴を言わず、「感謝」の気持ちで接したい
posted by Dr.モーリィー at 05:48| ちょっと気になる善い言葉 | 更新情報をチェックする

2018年06月10日

No 4651    【いまでなければ、いつするのか?】

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【いまでなければ、いつするのか?】

ジム・ドノヴァン氏の心に響く言葉より…



ある人が最近、「いやあ、そんなことをするには私はもう年をとりすぎているよ」と言った。
こういう言葉を聞くと私は悲しくなる。
以下の事実について、あなたはどう思うだろうか。

● ヴェルディは76歳で「アベマリア」を作曲した。
● マーサ・グラハムは75歳まで演技を続け、95歳のときに180作目となる作品を演出した。
● ミケランジェロは88歳で死ぬ6日前にピエタ像を彫っていた。
● 作家のマリオン・ハートは54歳で飛行機の操縦法を学び、大西洋を横断する単独無着陸飛行を全部で7回おこなった。最後の飛行をおこなったのは1976年だったが、そのとき彼女は84歳だった。
● 画家のグランマ・モーゼスは80歳にして初の個展を開いた。

もしあなたがかねてから念願のことをするのに自分が年をとりすぎていると思うなら、考え直してそれを実行に移そう。
「この世のすべての悲しい言葉の中で、最も悲しいのは『しておけばよかった』である」と、ある高名な詩人は言った。
あなたがずっとしたいと思ってきたことで、先延ばししてきたことは何だろうか?
自問しよう。
「いまでなければ、いつするのか?」と。

ウォリー・エイモス(米国の有名な起業家)が講演を終えると、ひとりの女性が歩み寄って「もし私がこれからロースクールに行ったりしたら、卒業するときには55歳になってしまいます」と言った。
エイモスはこう問い返した。
「もし行かなかったら、何歳になるのですか?」

『何をしてもうまくいく人のシンプルな習慣 (ディスカヴァー携書)』

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100以上の国と地域に、36,000以上の店舗を出店しているのがマクドナルド。
創業者はレイクロックというが、彼は高校を中退し、52歳までしがないミルクセーキミキサーのセールスマンだった。
そして、59歳のときに立ちあげたのが、マクドナルドだった。

120の国や地域に、18,000店以上があるのがケンタッキーフライドチキン。
カーネルサンダースは、いくつもの事業の失敗を乗り越え、65歳のときにケンタッキーフライドチキンを創業し、73歳のときには600店まで拡大したという。

100歳の時に、30年分の木材(彫刻の材料)を買い込んだことで有名な、 平櫛田中(ひらぐしでんちゅう)という彫刻家がいる。
「60、70は鼻たれ小僧、男ざかりは100から100から、わしもこれからこれから」
「実践実践また実践、挑戦挑戦また挑戦、修練修練また修練。やってやれないことはない。やらずにできるわけがない。今やらずしていつできる。わしがやらねばだれがやる」
という有名な言葉を残している。

「いまやらずして、いつできる!」
まさに、胸に響く言葉だ
posted by Dr.モーリィー at 11:08| ちょっと気になる善い言葉 | 更新情報をチェックする

No 4650 【好事も無きにしかず】

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【好事も無きにしかず】

浜松医科大学名誉教授、高田明和氏の心に響く言葉より…



禅の書に、「好事(こうじ)も無きにしかず」とか「無事是貴人(ぶじこれきにん)」などと書かれているのをよく見ることがあります。
一体、なぜよいこともない方がよいのでしょうか。
これは、「楽中苦あり、苦中楽あり」という因縁の法則にも関係しています。

若い時には不運に遭っても、それは借金を払ったのだ、これからうまくいくのだと思い、努力することも尊いと思えます。
また、成功が不運に通ずるということを身をもって体験することもよいでしょう。
しかし、晩年何かよいことが起こるということは、不幸が待ち構えているということです。
ない方がよいのです。
その方が心豊かに生きられるのです。

修養書を多く書かれ、今でも書店にその著作が多く並んでいて、その影響を受けた人が社会の上層部にたくさんいるという方がおられました。
この方も晩年は精神が錯乱し、最終的には座敷牢のようなところで亡くなられたのです。
これを知った方々は「どのような人が偉いというのかわからなくなった」と嘆いていました。

別の禅の大家は、激しい修行を指導することで有名でした。
ご自身も剣の道を究めようとされ、その指導もされました。
ところが、そのような方でも晩年の十年くらいは脳卒中のために四肢麻痺で、口もきけない日々を過ごすことになったのです。
剣で鍛えた体はなかなか衰えず、かえって長く苦しむ結果になったのです。

たしかに、このような方々の本を読むことでやる気が湧き、修行に進むことを決意した方も多くいると思います。
そのような点では徳を積んでいるのでしょう。
しかし、この事例はそのような仕事上、あるいは本人の修業上のことで徳を積むだけでは充分でないことを示しています。
このような方々も、身を慎み、大言せず、他人の批判をしないなどという日々の努力が必要なのです。

『困ったことは起こらない 禅が教える“無限の力"』きこ書房


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「好事も無きにしかず」とは、良き事や目出たいことを否定するわけでなない。
良き事や目出たいことに執着するな、ということ。
たとえば、宝くじで大金を当てた人のほとんどが不幸になっているという事実がある。
周りからの嫉妬を受けたり、浪費癖がついてしまったり、身を持ち崩してしまったり…。
だから、安易な好事は無いほうがいい。

本を書いたり、講師になったり、人を指導する立場になったりすると、どうしてもそこに慢心が生まれやすい。
偉そうになってしまう。
順調なときほど、落とし穴があり、ひっかけ問題もある。
すなわち、「好事魔多し」。

好事の時にあっては、 幸田露伴 の言う、「惜福、分福、植福」の三福が有効だ。
惜福とは、福を使い尽くさないこと、惜しむこと。大事に使うこと。
分福とは、まわりのみんなに福を分けること。
植福とは、福の種をまき、その木を植え、子孫(後世)にその果実を残すこと。

いくつになっても身を慎み、徳積みをする人でありたい
posted by Dr.モーリィー at 09:09| ちょっと気になる善い言葉 | 更新情報をチェックする

2018年06月09日

No   4648   【オリンポスの神々と「幸せの秘訣」】

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【オリンポスの神々と「幸せの秘訣」】

致知出版、藤尾秀昭氏の心に響く言葉より…


昔、ある人にこういう話を聞いた。
オリンポスの神々が集まり、「幸せになる秘訣をどこに隠したら、人間がそれを見つけた時にもっとも感謝するか」を話し合った。
「高い山の上がいい」「いや、深い海の底だ」「それよりも地中深く埋めるのがいい」と議論百出。
すると、一人の神が「人間の心の奥深いところに隠すのが一番だ」と言い、全員がその意見に賛成した、という話である。
幸せの秘訣は人間の心の奥深くにある。
自分の花を咲かせる秘訣は心の中にある、ということである。
だが、心の奥深く隠されているが故に、秘訣に気づかぬままに人生を終える人も少なくない。
どうすればその秘訣に気づき、自分の花を咲かせることができるのか。

まず、自らの命に目覚めること。
自分がここにいるのは両親がいたからであり、その両親にもそれぞれ両親があり、それが連綿と続いて、いま自分はここにいる。
どこかで組み合わせが変わっていたら、あるいは途絶えていたら、自分はここにはいない。
自分の命は自分のものではない。
すべては与えられたものだ。
その自覚こそ、自分の花を咲かせる土壌になる。

次に大事なのは「一つ事」を見つけること。
この一事をもって人生に立っていく。
あるいはいま携わっている仕事をもって自分の一つ事にする。
そう決意することである。

第三に大事なのは、その一つ事に本気になること。

「本気になると
世界が変わってくる
自分が変わってくる
変わってこなかったら
まだ本気になってない証拠だ。
本気な恋
本気な仕事
ああ
人間一度
こいつを
つかまんことには」

…坂村真民…


「なんでもいいからさ
本気でやってごらん
本気でやれば
たのしいから
本気でやれば
つかれないから
つかれても
つかれが
さわやかだから」

…相田みつを…

『小さな修養論2』致知出版社

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「汝(なんじ)自身を知れ」
デルフォイの神殿に刻まれていたといわれる有名な格言だ。
神と比べれば人間の知恵など取るに足らない、自分の無知や無力さを知ることが、すべての出発点になるとして、 ソクラテスはこの言葉を好んで使ったといわれている。

知っているようで、一番知らないのが自分のこと。
自分の力で生きているように思っているが、実は多くの力によって生かされていたことに気づかない。
そもそも、両親がいなかったらこの世に生まれることもできないし、多くの不思議なご縁によって今がある。
たとえば、ジグソーパズルのように、たった一つのかけら(ピース)が欠けただけでも、今の自分はない。

人は、メーテルリンクの童話「青い鳥」のように、幸せの青い鳥を探しに遠い旅に出る。
しかし、くたくたになって家まで帰ってくると、結局は、幸せの青い鳥は家にいた、という話だ。
それを禅語では、「明珠在掌(めいじゅたなごころにあり)」という。
大切な宝はすでにあなたの手の上にある。
どこかに探しに行かなくても自分が持っている、ということ。

だからこそ、もうすでにある、目の前の一つ事に命をかける。
どこか遠くに幸せの秘訣があるわけではないからだ。
そして、それを本気でやる。

オリンポスの神々が隠したという「幸せの秘訣」を見つけ出したい
posted by Dr.モーリィー at 05:46| ちょっと気になる善い言葉 | 更新情報をチェックする

2018年06月08日

No   4647   【期待と失望はセットでやってくる】

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【期待と失望はセットでやってくる】

本田健氏の心に響く言葉より… 



自分や相手に「失望」するときがあります。
事前に「こうできるかも」という期待が頭の中にあり、それが実際に実現しなかったとき、人は落胆し、失望するのです。
人間関係では「期待」という感情が必ず出てきます。

「部下は残業してくれるはずだ」
と思っているのに、してくれない。
あるいは、
「これだけの結果を出してくれるはずだ」
と思っているのに、出してくれない。
「優しい言葉をかけてくれるはずだ」
と思っていたら、かえって叱られた…。

期待した分だけ、人間は失望するようにできています。
期待と失望は、必ずセットでやってっくるのです。

たとえば、契約が十件取れると思っていたのに、七件しか取れなかった。
あるいは、あの人とつきあいたいと思ったけれども、相手が別人のことを好きでふられてしまった。
そんなことで、人は落胆します。
「うまくいったかもしれないのに」と思う気持ちが、実は自分をガッカリさせているのです。

このガッカリから解放されるためには、どうしたらいいでしょうか。
一つの方法は、「考え方の回路」を変えることです。

たとえば、どうしても食べたいものが手に入らなかったとき、「ひょっとしたら食べなくてよかったんじゃないか。食べていたらお腹をこわしていたかもしれない」と思えば、ガッカリしなくてすみます。

全体的に見て人生がうまくいっているにもかかわらず、何かでほんの少し「待った」がかかったからといって、そこで失望を感じるのは、あまりにもバカバカしすぎます。
失望する代わりに、「いったい、これはどういうことかな」と好奇心を持って考えるセンスがあれば、いたずらに落胆しないですみます。
今の人間関係に変な期待を持ちそうになったら、その都度、手放してみましょう。
そうやって、上手に期待を手放す練習をしておくと、ガッカリすることも減ります。

『なぜ、あの人はいつも好かれるのか (単行本)』三笠書房


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究極の「期待値を下げる」方法がある。
それは、「生きているだけでありがたい」と思うこと。
たとえば、自分の子どもが、毎回遅刻して、成績が悪く進級が危なくて、追試のテストまでさぼったなどと言う場合、たいていの親は、怒り心頭で怒りまくってしまうかもしれない。
しかし、もし仮に、その子どもが交通事故にあって瀕死の重傷を負ったとしたら、「他のことはもうどうでもいい、生きていてくれるだけでありがたい」と思うだろう。

これは、子どもに対してだけでなく、自分においても同じことが言える。
どんなに大きな失敗をしでかしてしまったとしても、たとえ、会社が倒産してしまったり、自己破産してしまったとしても、「生きているだけでありがたい」。

それは、同様に、「この時代に、日本に生まれただけでありがたい」し、「三度三度の食事ができるだけでありがたい」し、「眠る家があるだけでありがたい」。
これは今、戦争状態にある国と比べてみるとよくわかる。

「期待と失望はセットでやってくる」
ときに、期待値を下げることも大事だ
posted by Dr.モーリィー at 06:44| ちょっと気になる善い言葉 | 更新情報をチェックする

2018年06月07日

No 4646   【もう一度やってみよう】

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おいちゃんのお気に入りブログ【人のこころに灯をともす】からの転載です

【もう一度やってみよう】

精神科医、斎藤茂太氏の心に響く言葉より…



サーカスの象は、小さい頃に頑丈な鎖でつながれる。
子象は鎖をひっぱって逃げようとするが、まだ小さいので鎖は切れない。
そのうち、逃げられないと観念してあばれるのをやめてしまう。

さて、この子象は年月がたつうちに大人の象になる。
もう、つないでいる鎖など簡単に切れる力をもっている。
ところが、象は決して鎖を切って逃げようとはしない。
象は、鎖が切れなかった経験はあるが、鎖が切れた経験はない。
このため「鎖は切れない」という観念が植えつけられてしまったのである。

人間も、ある部分この象と同じだ。
一度、失敗したことを「これは自分にできないことなのだ」と思い込む。
「苦手意識」を自分で植えつけてしまう。
そして、二度と同じことに挑戦しようとはしなくなる。

しかし、考えてみてほしい。
人間も、子象と同じで、日々成長しているのである。
子どものころやってみてできなかったことでも、今やったら簡単にできることなど、たくさんあるはずなのだ。
いつまでも「これはダメだ」と思っていたら、本当にいつまでもできるようにはならない。
「そこまで」である。

しかし、何度でも挑戦すれば、すこしずつでも状況は変わってくる。
ダメだと思っていたことが、あまりにすんなりできてびっくりすることもあるだろう。
今までの苦手意識が、突然、自信に変わることもあるはずである。
ぜひ、懲(こ)りずに挑戦してほしい。

作家の北杜夫(きたもりお)がこんな話を書いている。
北杜夫は私の弟だ。
まだ、小説家としてデビューする前に自費出版した『幽霊』という作品を、母、輝子が、茂吉の本を出している関係で知り合いの出版社の編集者に見せにいった。
ところが、その人は「優等生の作文。どこといってとりえがない」と突っ返した。
母は「もう小説なんて書くのはやめなさい」と弟に忠告した。
しかし、弟はあきらめなかった。
弟には、どんな優秀な編集者だって、いい悪いの判断は、あとになってみなければわからないという自負があった、という。

結局、弟が信じたとおり、この作品は別の出版社の編集者の目にとまり評価を得た。
そして小説家への道を歩み始めたのである。

今、うまくいかなくても、マイナスの結論を出す必要はない。
できることをまずやって、できなかったことの評価は保留にしておこう。
そしてそのうちに、保留にしておいたことを、もう一度やってみよう。
挑戦すると、きっと何かが変わるのである。

『ほがらかに品よく生きる--モタさんの言葉』新講社


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「蚤(のみ)とコップ」という話がある。
蚤は体長2ミリくらいだが、30センチもジャンプすることができる。
自分の身長の約150倍だ。
それほど跳躍力のある蚤を、高さ5、6センチのコップの中に入れてやると、最初はピョンビョンと跳ねて外に出ようとするが、そのたびにガラスの天井(コップ)にぶつかってしまう。
しばらくたって、コップをはずしても、コップの高さより高くジャンプすることができなくなってしまうという。
しかし、その跳べなくなった蚤に、新たな「跳べる蚤」を仲間として加えてやると、それを見てまた跳べるようになるのだそうだ。

「昔やったことがあるができなかった」「前はこういう理由でできなかった」…。
一度や二度失敗したくらいであきらめていたら、世界の発明や発見はこの世に生まれなかった。
まったく同じようなやり方でも、時間や、場所や、器具等、やり方や手順を変えるだけでうまくいくことは多い。
結局はあきらめないことだ。
しつこく、しつこく何度でも鈍(どん)になってバカみたいに挑戦する。

「もう一度やってみよう」
さらにもう一回の挑戦が成功につながる
posted by Dr.モーリィー at 21:30| ちょっと気になる善い言葉 | 更新情報をチェックする

No  4645   【「言葉が現象化する」の本当の意味】

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おいちゃんのお気に入りブログ【人のこころに灯をともす】からの転載です

【「言葉が現象化する」の本当の意味】

小林正観さんの心に響く言葉より…



「言葉が現象化する」と言うと、多くの場合、誤解されている部分があるようです。
「こうなりたい。ああなりたいと口に出して言うと、それが実現する」という誤解です。

「言葉が現象化する」というのは、たとえば、神社仏閣に行って、良縁祈願というものをお願いしたとします。
「いい人と出会わせてください。いい人と結婚したいのです。素敵な人と出会わせてください」と100回お願いをしたとします。
そうすると、その言葉をまた言いたくなるように現象化します。
つまり、いい人や素敵な人にはなかなか出会わない、という現象が起きるのです。

同じように「商売繁盛をお願いします」と千回行ったとします。
千回それを言ったことによって、また同じ言葉を千回言いたくなるように現象がセットされます。

「言ったとおりの言葉をまた言いたくなるように、言った数と同じ数だけまた言いたくなるように、宇宙では現象化が始まる」というものです。
聖書の中にこんな言葉があります。
「はじめに言葉ありき。言葉は神とともにあり。言葉は神なりき」

「言葉は現象化する」という宇宙の大法則を述べたもののような気がします。
それも、その言葉を言ったらその言葉が実現する、というものではないと思います。

「言葉が現象化する」というのは、「その言葉をまた言いたくなるように現象がセットされる」というふうに、私の認識の中ではとらえられました。
これは神社仏閣に行ってお願いごとをする、そういうことを要求するということが、ほとんど意味をなしていないということにもつながっています。

では「言葉が現象化する」、つまり「その言った言葉をまた言いたくなるように現象がセットされる」のであれば、最も効率の良い言葉は何でしょう。
たとえば「うれしい」という言葉を一年間に千回言ったとします。
そうすると、その「うれしい」という言葉をまた千回言いたくなるように、来年は現象がセットされます。

「楽しい」という言葉を二千回言ったとします。
その「楽しい」という言葉をまた二千回言いたくなるように現象がセットされます。

「幸せ」という言葉を年間三千回言ったとします。
その「幸せ」という言葉を年間三千回言いたくなるように現象がセットされます。

一番効率の良い言葉は、「ありがとう」「ありがとうございます」です。
「ありがとう」「ありがとうございます」という言葉を年間一万回言ったとします。
そうすると来年「ありがとう」「ありがとうございます」という言葉を、また一万回言いたくなるような現象がセットされ、次々に降ってくるのです。

「うれしい」「楽しい」「幸せ」、そして「ありがとう」という言葉を、何千回何万回と宇宙に向かって言ったとすると、その言葉を同じ数だけ言いたくなるように宇宙の現象がセットされます。
そして、「うれしい」「楽しい」「幸せ」「ありがとう」と言いたくなるような現象が降ってくるのですが、それがどんなことであるのかはわかりません。
だから楽しいのです。
おもしろいのです。
そして、ワクワクします。
ドキドキします。
このワクワク感、ドキドキ感というのは、何にも代えがたいおもしろさであり楽しさです。

『運命好転十二条』五月書房


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毎日の生活の中で、「うれしい」「楽しい」「幸せ」「ありがとう」 という言葉をたくさん使ったほうがいいですよ、と言うと、「うれしい」ことも、「楽しい」ことも、「幸せ」なことも、「ありがとう 」というようなこともそんなに無いから言えない、と言う人がいる。
そして、愚痴や泣き言や、不平不満や文句や悪口ばかりを言っている。
愚痴や泣き言や不平不満を言っている人は、また来年も、愚痴や泣き言や不平不満を言う人生を歩む。

「言葉が現象化する」
これは、商売も、病気も、トラブル、困難もみな同じだ。
今、病気であっても、 「うれしい」「楽しい」「幸せ」「ありがとう」 という言葉を多用する人はいる。

「うれしい」「楽しい」「幸せ」「ありがとう」 といつも言っている人の周りは、明るくて、あたたかい空気が流れていて、笑顔がたえない。
だから、人が周りに集まる。

反対に、愚痴や泣き言や、不平不満や文句や悪口ばかりを言っている人の周りには、暗くて、冷たい空気が流れていて、不機嫌なオーラがただよっている。
だから、人がどんどん離れていく。

人生においては、「言葉が現象化する」の本当の意味を知る必要がある
posted by Dr.モーリィー at 06:43| ちょっと気になる善い言葉 | 更新情報をチェックする

2018年06月06日

No 4644   【何のために命を使いたいのですか?】 

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おいちゃんのお気に入りブログ【人のこころに灯をともす】からの転載です

【何のために命を使いたいのですか?】  

メンタルトレーナー、梯谷幸司氏の心に響く言葉より…



私は30年間、経営コンサルタントから始まり、ビジネス・コーチ、そしていまはメンタルトレーナーとしても活動しています。
税理士試験をパスした私は、20代の頃、会計事務所に勤めるようになりました。
その頃、日本に入ってきたばかりのNLP(神経言語プログラミング)などさまざまな自己啓発セミナーに参加していたのですが、そこで、estという不思議なセミナーに出会います。
禅問答のような、さしておもしろくもなく、わけのわからないセミナーに出た後、急に流れが変わったのです。
私はアシスタントだったにも関わらず、私に担当してほしいというクライアントが急増し、先輩からも不信がられました。

その自己啓発セミナーは、世界的な経営コンサルタント、ワーナー・エアハードがプログラムしたもの。
ジョン・レノンや第39代アメリカ大統領ジミー・カーターにも大きな影響を与えた、桁違いに成果が上がるプログラムだったのです。

本当の自分を生きること。
それはビジネスがうまくいくとか、健康になるというレベルを超えた、生きる本質と言えます。
ビジネスがうまくいかない、病気が治らない、という方が相談に来られると、私はこういう質問します。
「そもそもあなたは何のために命を使いたいのですか?」
ほとんどの人の反応は、「・・・・」。
そこで質問の方向性を変えて、「どうして売上げを伸ばしたいのですか?」と聞くと、「売上げが伸びないと社員を養っていけないから」。
「何のために病気を治したいのですか?」と聞くと、「とにかく死にたくないから」「痛いのが嫌だから」。
これらはごく表面的な答えでしかありません。

「健康になって、その次の目標がないんですか?」「・・・・」。
「売上げを伸ばして、そのあとの目標がないんですか?」「・・・・」。
これでは残念ながら病気は治りません。
売上げも伸びません。
そもそも自分を社会のルールに当てはめて生きている人が多いので、本当の自分が何を望んでいるのかがわからない。
それがビジネスも健康もうまくいかない現象となるのです。
本当の生きる目的を見出し、そのための行動をとり始めると、結果は驚くほど変わります。
つまりは、自分の命をどう使いたいのか、ということです。

2017年の夏、SPA!オンライン版に「『ポジティブ偽装』の人は病気になりやすい」という記事をとりあげていただきました。
その記事を見た方々からの反響がすごかったのです。
定年退職を迎えてからがんを発症したという50代の男性からのご相談でした。
私も不思議に思っていたのですが、ある文献を調べていたら、フロリダの事例が出てきました。

定年を迎え退職金を手にした人、あるいはビジネスに成功し早期リタイアする人、そんなアメリカ人はセカンドライフにフロリダへ移住する場合が多いそうです。
気候が温かくて仕事からも解放されているのだから、さぞ長生きするだろうと思いますよね。
ではみなさん、彼らの平均余命はどのくらいだと思いますか。
実は、移住してから1年半で亡くなる方が多いらしいのです。
その事例と、 SPA!オンライン版の読者の方々からのご相談が重なって、「それだ!」と思いました。

人間は進化し成長したい生き物です。
ですから、「十分働いたから進化も成長ももういい」という意識になっていくと、生命のシステムが、「あなたはもう成長や進化をする気がないんだね。じゃあ1回終わりにしようか」と、命のカウントダウンに入ってしまうのではないか。
「さあ、どうする?」と、生死の覚悟を突き付けられているのではないかと思いました。
安心感やリラックスは必要ですが、そればかり求めると病んでしまうのです。

『“偽りの自分"からの脱出』幻冬舎


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梯谷氏は、本書の中でこう語る。
『「手段の目的化」はうまくいかない。
ギリシャ哲学にはそう書かれているそうです。
結局、ビジネスでも恋愛でも病気でも、手段に焦点が当たっている人はうまくいきません。
お金が欲しい、愛情が欲しい、健康が欲しい、というのは、全て手段でしかありません。
それを得ることによって何が欲しいの?
意識の奥にあるものがはっきりしないと、全ては動かないのです。』

全ての人にとって最も大事な問いかけは、「あなたは何のために自分の命を使いたいのですか?」。
すると、生きるための真の目的が見えてくる。
「何のために」という問いを、何度も繰り返した先にある最後の問いがこれだ。
お金も、仕事の成功も、愛情も、健康も、すべて自分の命を使うための手段。
それを「使命」という。

使命とは、この世に生まれてきた意味を自覚し、その役割をはたすこと。
お金も、仕事の成功も、愛情も、健康も、すべて揃(そろ)っていたとしても、それでもなお、命をかけてやりたいことだ。
すべての人には、この世に生まれてきた意味がある。
自分の命を燃やす使命を見つけたい
posted by Dr.モーリィー at 06:02| ちょっと気になる善い言葉 | 更新情報をチェックする