2018年04月20日

No 4581     【目標を持つな。志を持て】

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おいちゃんのお気に入りブログ【人のこころに灯をともす】からの転載です

【目標を持つな。志を持て】

書店「読書のすすめ」店主、清水克衛氏の心に響く言葉より…



《将来の目標はない方がいい。自分の夢なんて忘れてしまおう》

こんなことを言うと、ちょっとビックリされるかもしれませんが、“成幸”体質っていうのは、より「バカ」になることなんですよ。
よく、
「人生、目標を持つんだよ。自分の目標がない人は、途中で挫折しちゃうから。ただ漠然と生きているとなんとなくそのまま流されて、自分の夢や理想の人生が生きられなくなっちゃうから」
って言われてますよね。
でも私は、うちの若い人たちには、

「目標を持つな。志を持て」
って言ってるんですよ。

私たちのやっているNPO法人「読書普及協会」は、自分の小さな夢を目標にしている人たちの集まりじゃなくて、みんなが、それぞれ、目の前にきた人を元気にしようっていう志を持った人の集まりなんです。
「目標を持って、それに向かってコツコツ実現していく」
確かに、それもひとつの王道なんです。
「バカ」と言われるくらいにそこに突き進んだら、きっとうまくいくことでしょう。

ただね、目標にしばられて、その通りにできなかった時、イライラしちゃったり、がっかりしちゃったり、中途半端な自分に悩んじゃったりとか、そういう考え方だけしか知らないことで苦しんじゃっている人、いませんか。
それだけじゃなく、
「私って、これって言える夢とか目標がないんです。それが悩みなんです」
って悩んでいる方、いらっしゃいませんか?

そんな方のために、他にも王道があるんです。
それが、
「目標を持たなくてもいい。そのかわり、自分の人間力を限りなく高めていく。そうすると、やがて人生は思ったとおりになる」
って方法なんです。
「日本一の何々になる」
とかって、遠くから目標を持ってくるんじゃなくて、目の前の人、目の前の物事に心を込めて集中するんですよ。

私の場合もそうなんです。
ただ、来てくださったお客さんを喜ばすことに集中していただけなんです。
目標は、遠くにあるんじゃなくて、目の前にある。
それを、“顔晴(がんば)”る。
そうすると、自然に道ができてきちゃう。
目標がなくても「あきんど感覚」さえあれば、道って自然に開けてくるものなんです。

『まず、人を喜ばせてみよう』プレジデント社

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清水克衛氏は「あきんど感覚」についてこう語る。
『「あきんど感覚」っていうのは、自分のまわりにいる人を喜ばせて、その結果、いつのまにか自分もツイてる人になってしまうという、神さまの知恵。
本物の商人っていうのは、とっても魅力的で、「人を喜ばすスペシャリスト」です。』

商売においても、「目標日本一!」とか「売上高〇〇億円、店舗数〇〇〇店を達成する!」という威勢のいい目標を掲げている会社がある。
もちろんそれはそれで素晴らしいが、本質的に言うなら、一店一店の実力を極限まで高めていくことの方が王道。
それは、一店一店が筋肉質で、どこに出しても恥ずかしくない高いレベルにまで努力し、同時に、働いている社員やスタッフが自社のことを、「いい会社」だと思える会社。
逆に、店を出せば出すほど、一店一店のレベルがどんどん下がっていくなら、それは倒産の道に向かって突き進んでいると言わざるをえない。
それは、人においても同じで、目標や夢の実現より先に、自分の人間性や徳性をどこまで高めることができるかが、本筋での努力。
目標や夢を追求するあまり、家庭が崩壊してしまったり、身近な人たちとの人間関係がおかしくなるなら、それは本末転倒。

「近き者説(よろこ)び、遠き者来る」という論語の中の言葉がある。
孔子は、「近くにいる民が喜び幸せであるなら、遠くにいる民もそれを聞いて集まってくる」と言った。
身近な人や、自分の周囲にいる人を幸せにできない者は、遠くの人を幸せにすることはできない。
遠くの人とは、商売でいうならお客さま。

ただひたすら、目の前の人を喜ばせることを考える。
お客さまも、スタッフも。

どんなときも、高い志を持ち、人を喜ばせることの実践をしていきたい
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2018年04月18日

No 4580   【美味しいものを独り占めしないこと】

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【美味しいものを独り占めしないこと】

精神科医、和田秀樹氏の心に響く言葉より…



運の強い人は、じつは、やって当たり前のことをきちんとやっている人なのです。
平凡といえば平凡な答えですが、目立つことだけ一生懸命になって、目立たないことはいい加減にやっている人は、1つの運をつかんでも、それが逃げていくと、もうつかまえる運がありません。
でも、どういう仕事、どういう役割であっても一生懸命にやっている人は、いろいろなところで運をつかむチャンスに出合います。

あなたの周りを見てください。
「彼には安定感があるな」とか「彼女はいつも朗(ほが)らかだな」と思わせる人は、自分本来の仕事はもちろん、どんな小さな仕事や目立たない作業、地味な雑用でもきちんとこなしているはずです。
しかも一生懸命、楽しそうにやっているはずです。
そういう人は、大きく落ち込んだり崩れたりすることはありません。
本来の仕事が不調でも、ミスが続いても、全体の仕事を信頼されていれば周囲もちゃんとフォローしてくれます。

それに対して、ポイントを稼げる仕事のときだけ張り切るタイプは、運をつかめばそのときは勢いがよくなりますが、周囲は冷ややかです。
「やることやってないじゃないか」とか「わたしはあの人、信用していない」といった見方をします。
すると、せっかくの運も孤立します。

じつはここが大切なところで、わたしは「みんなが喜んでくれたり応援してくれる幸運」は長く続いても「孤立した幸運」はすぐに終わってしまうと思っています。
たとえば美味しいものが手に入っても、自分ひとりで楽しんでしまおうとする人と、仲間に声をかけて一緒に食べようとする人では、その後に続く幸運の長さがまったく違います。

自分ひとりで楽しめば、幸運を独り占めできるかもしれませんが、食べてしまえばおしまいです。
誰も美味しいものをプレゼントしてくれないのです。
でもみんなで楽しむ人は、幸運の量は減っても誰かがまた声をかけてくれます。

「この間はとっても楽しかった。今日はわたしが珍しいものをご馳走しますよ」と声をかけてもらえば、思いがけない幸運を味わうことができるのです。
この繰り返しで、長く幸運に出合い続ける人生のほうが、はるかに幸せなはずです。

『「いいこと」を引き寄せる法則 (WIDE SHINSHO)』新講社ワイド新書


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和田氏は本書の中でこう語る。
『わたしは高齢者専門の精神科医になったことで、歳をとってからみじめな思いをするのはおカネがないことではなく、若い人に慕われないことだと思うようになりました。
いくら経済的に恵まれていても、家族や子どもたちはもちろん、誰からも慕われずに生きていくというのは不幸な人生だと気がついたのです。
すると、わたし自身の人生観も変わってきます。
おカネを貯め込むことより、自分の好きなことにおカネを使って、いろいろな人と楽しくつき合い、頼ったり頼られたりしながら生きたほうがずっといいと思うようになりました。
そこから開けてきた運というものが、たしかにあるのです』

慕われない人は、美味しいものを独り占めする人、つまり、自分だけよければいいと思っている人。
また、愚痴っぽくて、不機嫌で、ケチで、人の話を聞かず自分の話ばかりだったり、目立つことが好きで地味な仕事は手を抜くような人、つまり、誠実さや信用がない人。

若い人に慕われる人を目指したい

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2018年04月17日

No 4579    【番狂わせの起こし方】

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【番狂わせの起こし方】

野村克也氏の心に響く言葉より…



「教えてほしい。今年で83歳になる老いぼれの話を、あんたら、なぜ聞きたがるんだ?」
取材に来た雑誌社の人間に、一度、真剣に尋ねたことがある。

いまのプロ野球事情をどう思うか。
プロフェッショナルとは何と考えるか。
あるいは、生き方や働き方へのアドバイスに至るまで…。
なぜか、一介(いっかい)の年老いた野球評論家である私のところに話を聞きたがる人が、じつに多いからだ。

すると、彼らに即答された。
「いや、他にいないからですよ」
まったくその通り、と笑ったものだ。

別段、私の話に特別な知見が詰まっているわけではない。
他に話してくれそうな年寄りがいないから来るだけなのだ。
裏を返せば、野球界で、ものごとをしっかりと言葉に変えて表現できる人間が、他にはいないということだろう。

番狂わせが起きた、と感じる。

私がプロ入りしたのは半世紀以上も前。
当時、野球の人気は圧倒的だった。
野球選手といえば、世間の誰もがうらやむ職業だった。
それだけに、全国からの野球エリートが集う場でもあった。

一方の私はテスト生として、南海ホークス(現・福岡ソフトバンクホークス)というチームの端っこにぎりぎり引っかかるように入った人間だ。
誰よりも努力しなければすぐにふるい落とされる。
そんな思いでひとり必死に練習を重ねた。
結果として、レギュラーの座を勝ち取ったが、その後も不安が消えることはなかった。
稲尾和久や王貞治、長嶋茂雄など、同時代のスターや天才たちの背中に追いつくためには、誰よりも頭を使うしかなかった。
相手選手のデータを集めて分析し、配球を研究することで、プロのグラウンドにぎりぎりしがみついた。

おかげで長きにわたり現役生活を送れたが、引退後は監督となるには学歴がなく、ゴマすりも苦手だった。
「それなら日本一の野球評論家になろう」と決意し、野球の知見を広げるだけでなく、啓蒙書や哲学書、中国古典などを読み漁(あさ)った。
人間を知ることが野球を知ることにもつながると教えられたからだ。
そして身につけた野球観は唯一無二のものだったようで、新聞やテレビの評論で重宝されるようになった。
その評論が縁で、現役時代は縁もゆかりもなかった3つのチームを監督として率いることになった。

そして、いまだ。
私はいつも「敗者」からのスタートだった。
だから自分を磨かざるをえず、必死にもがき苦しんで、周りに追いつこうとしてきた。
変わることを厭(いと)わず、頭と言葉を武器にしてきた。
こうしてなんとかしがみつくことで身についた“筋力”のおかげで、この年になってもなお、現役のようにいろいろなところから声をかけてもらえているのだと思う。

一方で、学生の頃、プロ野球の現役時代、監督をしていた当時…周囲にいた才能あふれる者たちの姿は、あまり見かけなくなってきた。
才能がない。
運がない。
エリートではない。

そんな人間こそが、番狂わせを起こす。

『番狂わせの起こし方 (青春新書インテリジェンス)』青春出版社


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古今世界の歴史をひもとくと、順調に経歴を重ねてきたエリートや才能あふれる人たちが、必ずしも成功してきたわけではない。
逆に、逆境を乗り越えたり、不幸な環境をひっくり返して成功してきた人は多い。
既存のレールに乗らない、番狂わせを起こす人たちだ。

それは、松下幸之助翁のように、「貧乏」、「体が弱い」、「学歴がない」などというハンデがあった人たち。
逆境にあっても、「なにくそ」と発憤する人たち。
逆境にあっても、自己研鑽を怠らない人たち。
逆境にあっても、自分の魂を磨きつづけてきた人たち。
逆境にあっても、「打つ手は無限」と決してあきらめない人たち。

現代は、ITやAIによる何百年に一度の大変革の時だ。
大変革の時は、番狂わせは世界中で起きる。
ありとあらゆるものが、順当に行ったり、予想した通りに動いてくれる時代ではないからだ。

どんなときもあきらめず、自己研鑽を忘れない人…
番狂わせを起こす人には限りない魅力がある
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2018年04月16日

No 4578     【配られたカードにいちいち文句を言ってると勝てない】

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【配られたカードにいちいち文句を言ってると勝てない】

斎藤一人さんの心に響く言葉より…


不幸な人って、「私にはあれがない」とか「これができない」とか、“自分にないもの”に焦点を当てようとするんです。
そうではなくて、「私にはあれがある」「これもできる」とか、“自分にあるもの”に焦点を当てたとき、人はしあわせになるんですね。

人間には“業(ごう)”ってものがあるの。
それは神様が与えてくれたものなんです。
だから、その神様の与えてくれたものでしあわせになるの。

ポーカーでも、配られたカードにいちいち文句を言ってると勝てないんです。
配られた手でどうやって勝とうか、って考えないと勝負には勝てません。

何かハンデを持って生まれてくる人がいるんだけど、そういう人は魂的に優秀な人が多いんです。
それで実際、まわりの人は「困るでしょう?」って言うけど、それほど困らない。
「私、足が遅いんです」って言う人がいるけど、車の運転ができてポルシェにでも乗れば、その人は時速200キロだって出せるんだよね。

だから人はそれぞれ、得意なことを一生懸命やればいいの。
それで苦手なことは必ず誰かが助けてくれるから。
人はそうやって助け合い、補い合って生きていくものなんだよね。

それを不得意なことをなくそうとかってやっていると、大切な人生の時間があっという間になくなっちゃう。
それより、得意なことで、みんなのお役に立てればいいんだよ。

『(文庫)変な人の書いた世の中のしくみ (サンマーク文庫)』


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「置かれた場所で咲きなさい」という、渡辺和子さんの言葉がある。
どんな状況の中でも咲く努力をするということ。
もっといい条件でなければ咲くことはできない、と言っているなら、いつまでたっても花を咲かすことはできない。

与えられた条件の中で、どれだけいいパフォーマンスをあげることができるのか。
何もかもそろっている人は、結果としてうまくいかない人が多い。
豊かで条件がそろっているがために、そこからの努力をしないからだ。

「配られたカードにいちいち文句を言ってると勝てない」
配られた手でどうやって勝てるかをつねに考える人でありたい
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2018年04月15日

No 4576    【五次産業化】

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【五次産業化】

伊那食品工業会長、塚越寛氏の心に響く言葉より…



社員が幸せに暮らせるためには、会社が雇用を維持・創出していくことが欠かせません。
会社が年々、少しずつ成長することによって、新たな雇用を生み出せば、人の幸せや社会の安定につながります。
ものづくりを中心に経済成長をつげてきた日本は、現在、大きな産業の転換期にさしかかっています。

戦後の復興を支えてきた二次産業が、高度な機械化やロボット化、IT化を進め、また製造拠点を海外へ移転するなどの合理化を進めてきたことによって、ものづくりの現場で以前ほど人が必要なくなってきました。
一国における就業人口の分布は、一次産業から二次産業へ、二次産業から三次産業へと移っていきます。
フランスやイタリアなどで顕著なように、二次産業分野でのブランド化を進めると同時に、ホテル業や飲食業など、三次産業の育成によって、新たな雇用を生んでいくのです。
観光業の発達にも、そうした背景があります。

日本でも、製造業での雇用が少なくなった分だけ、三次産業の正しい成熟による新たな雇用が求められています。
しかし現状は、三次産業での雇用創出がまだ十分ではありません。

二次産業の会社が雇用を維持・創出するために、これからは「五次産業化」の取り組みがますます重要になってくると思います。
五次産業とは、「二次+三次」の発想から名づけたものです。
生産から消費者への販売まで、一貫して行う事業のあり方です。

メーカーが五次産業をめざすには、二つの段階があります。
最初に、消費者に直接売れる商品をつくること。
そして次に、自社の商品を、自分たちで消費者に売ることができるしくみをつくることです。

自社製品の研究開発による下請けからの脱出には、時間はかかりますが、長期的な視野をもって、あきらめずに取り組んでいく価値はあると思います。
また、自社の商品を直接販売するしくみをつくれば、お客様の声を直接いただくことができます。

当社もかつては、販売力が弱く、作った寒天のほとんどを大手企業に納めていた下請けの時代がありました。
売上高の七割を、輸出が占めていたこともありました。
会社のあるべき姿をめざして、下請けや過度の輸出依存から脱却する決断をしたからこそ、今の当社があるのです。

製造業の五次産業化には、手間と時間がかかります。
初めから一人前の対応ができなくてもいいのです。
日々、直接にお励ましやご助言をくださるファンのお客様とふれあうことの楽しさや喜びは、社員にやる気と誇りをもたらしています。

『新訂 いい会社をつくりましょう』文屋


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塚越氏は本書の中でこう語っている。
『会社経営の目的とは、人や社会の幸せに貢献することだというのが、私の信念です。
会社の本来あるべき姿とは、社員の幸せをつうじて、いい会社をつくり、社会に貢献することだと思っています』

また、そのためには学びが必要で、学ぶ目的については、二宮尊徳先生の遺訓がある。
『翁曰く
人、生まれて学ばざれば、生まれざると同じ
学んで道を知らざれば、学ばざると同じ
知って行うこと能(あた)はざれば、知らざると同じ
故(ゆえ)に、人たるもの、必ず学ばざるべからず
学をなすもの、必ず道を知らざるべからず
道を知るもの、必ず行はざるべからず』

せっかくこの世に生を受けたにもかかわらず、学ばないということは、生まれてこなかったのと同じこと。
学んだとしても、人として本来歩むべき道(魂を磨くこと)を知らなければ、学ばなかったのと同じこと。
仮に知ったとしても、それを実践しなければ、知らなかったのと同じ。

いい会社をつくるため、日々学びと実践を重ねたい
posted by Dr.モーリィー at 07:22| ちょっと気になる善い言葉 | 更新情報をチェックする

2018年04月14日

No 4575   【母親の子どもに与える影響】

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【母親の子どもに与える影響】

小林正観さんの心に響く言葉より…


約2500年前のインドに生きていたお釈迦様は、「人物をつくる4つの要素」を弟子たちに残しました。
お釈迦様がいう「人物」というのは、私は「世の中に寄与し、まわりからその存在を喜ばれる人」という意味だと解釈しています。
そういった「人物」をつくる要素とは、次の4つだとお釈迦様は言ったそうです。

1. 貧乏
2. 読書
3. 感動
4. 母親の感化

「人物」をつくる要素は「父親の感化(父性)」ではなく「母親の感化(母性)」であると、お釈迦様は言いました。
私なりの解釈ですが、「父親」の役割は「能率」「合理性」「生産性」といったものを教えることなのだと思います。
けれども、お釈迦様は「人物」をつくるために必要なのはそういった「父性」ではなく、「他人との協調性」「共生」「他人に力を貸すこと」「世のために自分が貢献する」ことを教える「母性」が必要なのだと言った。
母親が子どもに与える影響は大きいと教えてくれているのではないでしょうか。

『努力ゼロの幸福論』大和書房

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アメリカの精神分析医であるエリック・バーン博士が提唱した「交流分析」という心理療法がある。
正式には、Transactional Analysisといい、TAと表記される。
TAでは、大きく分けると、人間には3つの自我状態があるとされる。
1つ目は「親(Parent)」、2つ目は「大人(Adult)」、3つ目は「子供(Child )」だ。

1つ目の「親(Parent)」 には、父性的な性格(CP)と母性的な性格(NP)の2つがある。
CP(父性)には、 責任感、正義感や道徳心など、よい面があるが、それが行き過ぎると、「〇〇すべきである」というように支配的になってしまったり、批判的だったり、上から目線になりやすい。
NP(母性)には、優しさ、思いやり、共感、許す、温かみ、世話をする、などのよい面があるが、それが行き過ぎると、「〇〇してあげる」というように、過保護になったり、おせっかいだったり、自立を妨(さまた)げてしまうようにもなる。

人格形成において男女を問わず、CP(父性)が大事なことは言うまでもない。
しかしながらNP(母性)には、人を思いやるとか、優しくするといった、「他人を喜ばせること」、「世のため人のためにつくす」という人間としての大切なテーマの追求が含まれている。
そして、このNP(母性)には、「ウソを言ってはいけない」「卑怯(ひきょうな)ことをしてはいけない」「弱い者をいじめてはいけない」という、武士道(会津藩の什の掟)に一脈通じるものがある。

これらのNPの価値観を子供に伝えるのが、母親の大きな役割だともいえる。
母親の役割は偉大だ
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2018年04月13日

No 4573   【嫉妬したら、負け】

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【嫉妬したら、負け】

堀江貴文氏の心に響く言葉より…


強硬な政治家から「鉄の女」と呼ばれ、1979年から90年までイギリスで首相を務めたマーガレット・サッチャーは、こんな名言を残している。
「金持ちを貧乏にしても、貧乏な人は金持ちにならない」

サッチャーが首相になった当時のイギリスは、行きすぎた福祉政策や労働争議、基幹産業の国有化などによって、経済が活力を失い、イギリス病と言われる不況に悩まされていた。
そこでサッチャーは、それまでの福祉優先の政策や政府による過剰規制を廃し、経済を活性化しようと試みた。
しかし、サッチャーが推し進めようとしていた改革は、左派から「金持ち優遇策」として批判され、それでサッチャーは先の言葉を述べて、自らの正当性を訴えたのだ。

そもそも、金持ちが金持ちになれたのは、基本的には「お金を稼ぐ能力をもっていた」から、と言える。
貧乏人が金持ちになるためには、お金を稼ぐ能力を身につけなければならない。
ところが、多くの人は、能力のある人の足を引っ張ることで満足して、それでおしまい。
それでは到底、生産的とは思えないが、なぜそんなことをするかというと、「嫉妬(しっと)」と呼ばれるものがそうさせているのだ。

「嫉妬」というのは厄介なもので、自分では気づかないうちに芽生えてくる。
例えば、数年前にAKB48の『恋するフォーチュンクッキー』という楽曲が流行した。
このとき、企業や自治体による「踊ってみた」動画が多数公開され話題になったが、あまりにも流行っていると、「何だよ、ただの真似じゃないか」なんて冷めた見方をする人も多くいた。
ただ、それって結局は「流行しているものに対する嫉妬」からきているのではと思うのだ。

何かが流行したときには、「何だよ!」などと思わずに、「どうしてこんなに流行っているのか?」と考えるべきだ。
『恋するフォーチュンクッキー』が大流行したのは、秋元康さんの確固たる思いがあったからだとう思う。
楽曲が発表された当初、AKBのメンバーは、メロディに不満があったそうだ。
ところが、秋元さんは、リリース前から「絶対に流行る」「ファンの皆はもちろん、多くの人が踊ってくれる曲になる」と語っていたという。
秋元さんのアイデアは、わざと振りつけを盆踊り並に簡単にして、誰でも踊れるようにした点にあったと思えてならない。

簡単にできそうであれば「自分たちでも踊ってみよう」という人たちは現れるもの。
今は、ソーシャルメディアが発達しているから、すぐ拡散できるのだ。
実際、秋元さんの思惑通りになったし、AKBのメンバーたちも楽曲が好きになっていったとあとから聞いた。
だから、やっぱり秋元さんはすごい!

とはいえ、何かが流行しているときに、斜(しゃ)に構える人は、結構多い。
ユーチューバーが流行り始めたときだって、世間の大人たちの反応は「子ども向けばっかりだし、大して面白くないじゃん」というものが多かった。
そうは言っても、ユーチューバーが流行っているのは事実だし、中には莫大なお金を稼いでいる人もいる。

「何だよ!」なんて言って斜に構えていると、自分のほうが立場が上になったように錯覚するから、気はラクになるかもしれない。
でも、それで得することなんて何もないのだ。
僕の場合は、『恋するフォーチュンクッキー』が流行ったときに、秋元さんサイドからオファーがあり、自分でも踊ってみて、「面白いな」と感じた。

ユーチューバーのブームがおきたときも、ユーチューバーの代表格であるHIKAKINくんとすぐ会って、仕事をした。
斜に構えた段階で、その人はもう「負け」。
自分にできないことをやっている人を見て、嫉妬したら「負け」。

何事も学びのチャンスだと思い、自分に取り入れられることを見つけたほうがいい。
人の成功に嫉妬することの無意味さを、肝に銘じてほしい。

『(146)自分のことだけ考える。: 無駄なものにふりまわされないメンタル術 (ポプラ新書)』ポプラ新書

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経済評論家の長谷川慶太郎氏は、「日本の経済運営のまずさは、政治家や官僚の嫉妬心にある」と言った。
つまり、儲かっている企業や、多くの報酬をもらう経営者、資産家等々に対する嫉妬心だ。
多くの資産を持っている資産家に対しては相続税を強化し、儲かっている企業には様々な規制をかけてくる。

多くの人々の心の奥底には、成功している者や目立つ人に対する嫉妬心がある。
芸能人や政治家に対しては、とりわけそれは大きく作用する。
ちょっとした言葉のミスや、スキャンダルで大きく炎上し、引きずり降ろされる。

成功した人に嫉妬する人は、あまりにも器(うつわ)が小さい。
成功した人を心から賞賛する人は、器が大きい。

「嫉妬したら、負け」と肝に銘じたい
posted by Dr.モーリィー at 07:14| ちょっと気になる善い言葉 | 更新情報をチェックする

2018年04月12日

No 4572    【ゼロから新しい価値を生み出す人々】

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【ゼロから新しい価値を生み出す人々】

ピョートル・フェリクス・グジバチ氏の心に響く言葉より…


1800年代のアメリカに、アイスハーヴェストという天然氷を切り出して世界に販売する仕事がありました。
家庭で食料を冷やすための氷です。
その頃からすでに生産性や効率性という言葉が流行っていて、イノベーションによって、氷を早く切り取り流通させるシステムが作られていました。

けれども、彼らが頑張っている間、その業界の常識をまったく知らない人たちが参入してきて、製氷機を使って工場で氷を作り始めたため、一年中いつでも氷が手に入るようになったのです。
天然氷を切り出し販売していた事業者は皆その仕事を失いました。
ここで注目すべきなのは、天然氷の切り出し事業者のうち、製氷工場の事業に転業できた事業者は1社もなかったということ。
そしてさらにイノベーションは続き、家庭でも必要な氷が作れる冷蔵庫が登場しました。

このように、その業界での主流技術とは全然違う技術によって従来のビジネスが壊滅的打撃を受ける破壊的なイノベーションは、今に始まったことではなく、大昔から起こり続けてきました。
ただ、20世紀以降、そういった事例が増えるようになり、AI時代の今は毎日のように起こっています。

もう一つは、ウーバーの事例です。
ウーバーは、一般的なタクシーの配車に加えて、一般人が自分の空き時間と自家用車を使って他人を運ぶ仕組みです。
2009年の会社設立以降、短期間で広まり、現在では世界84の国・地域の760以上の都市で運営されています。
ヨーロッパでは、職を失うことを恐れたタクシー運転手たちによるストライキや暴動、ウーバー運転手への攻撃が相次いでいます。

1811年から1817年頃のイギリスで、ラッダイト運動が起こりました。
これは、産業革命により機械が普及し、失業の恐れを感じた手工業者・労働者が機械を破壊した運動です。
ウーバーへの攻撃は、これになぞらえて「ネオ・ラッダイト運動」と呼ばれるようになりました。
今は、産業革命に匹敵する変化の時代と言えるでしょう。

製氷工場を作った人たちや、冷蔵庫を作った人たち、エアビーアンドビーやウーバーのような企業など、パイオニアと呼ばれるような人たちには、共通点があります。
一見愚かなアイデアをビジネスにする、新しい行動パターンを作る、新しい考え方を競争が激しい飽和マーケットに持ち込む、まずマネタイズしない、経験がない創業者…などです。

これからの働き方のステージは、クリエイティブエコノミーです。
そしてこの時代に生き残る人材や企業は、ゼロから新しい価値を生み出す人々であり、彼らに求められるのは、情熱、創造性、率先です。
デジタル化によって民主化が進むと、個人の軸をちゃんと持たないと大変です。
平凡な人は会社保障と社会保障を求めていますが、これからは個人の力で動いていくことが必要です。

行政もゼロから1を生み出す仕事になっていきます。
個人がどういうふうに考えれば成功できるのかといえば、官僚でも誰でも起業精神が必要になります。

社会を見渡せば、既存のコースはどんどん色あせています。
IT業界を見ると、DEC、コンパックなど、かつて成功した企業が姿を消しています。
まさに栄枯盛衰です。
一方で、現在成功している企業を見ると、業界内で戦っている企業ではなく、「新しく業界を作ろうとしている企業」であることに気づきます。
グーグル、フェイスブック、エアビーアンドビー、ウーバーといった企業です。
最も成長している企業は、新しい業界を作り、競争がない市場でナンバーワンになっています。

『ニューエリート グーグル流・新しい価値を生み出し世界を変える人たち』大和書房

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「ブルー・オーシャン戦略」という有名なマーケティングの言葉がある。
「ブルー・オーシャン戦略」 とは、競争相手のない未開拓の市場(青い海)のことを指す。
それに対して、「レッド・オーシャン戦略」がある。
競争の激しい既存の市場(赤い海・血で血を洗うような激しい競争がある領域)のことを言う。

ブルー・オーシャンを見つけるのは、往々にして、その分野では経験のない経営者だ。
前例にとらわれず(というか前例を知らない)、垣根を超えた突拍子もないアイデアを出す。
ゼロから新しい価値を生み出す人々だ。

既存の厳しいレッド・オーシャン業界で、徹底的なコスト削減や、省力化をはかって一時的に利益を出していたとしても、あるとき、その業界そのものがなくなってしまったら勝負すらできない。
タクシー業界がそのいい例だ。
将来、自動運転になり、自家用車を持つという概念がなくなったりしたら、確実に今の形態のタクシー業界はなくなる。
これらのことは、AIやITがすすめばすすむほど様々な業界へ、大きな変化となってあらわれる。

「新しく業界を作ろうとしている企業であること」
ゼロから新しい価値を生み出す人を目指したい
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2018年04月11日

No 3470   【生きている会社】

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【生きている会社】

遠藤功氏の心に響く言葉より…


経営において本質的に大事なことは、たったひとつ。
それは、会社が「生きている」ことである。
「生きている」とは、ただたんに存在することではない。

会社全体が大きな熱を帯び、理詰めで考え、行動し、新たな創造に向かって社員たちの心が奮い立っている。
「生きている会社」とは、そういう会社だ。
生きていさえすれば、目の前にどんな困難が待ち受けていても、きっと未来を切り拓いていくことができる。
生命体としての力強さが、会社という「生き物」の価値を決める。

「GAFA(ガーファ)」と呼ばれるアルファベット(グーグル)、アップル、フェイスブック、アマゾン・ドット・コムなど、米国西海岸のIT企業が世界を席巻し、躍進しつづけるのは、たんに彼らの先見性や高い技術力だけが理由ではない。
彼らは世界のどの会社よりも挑戦をしつづけ、新たな価値を創造している。
「デーワン(1日目)」の初々しくもフレッシュな気持ちと行動を忘れずに、「生きている会社」でありつづけようと、懸命に努力をしている。

一方、日本にいま、どれほど「生きている会社」があるだろうか。
挑戦しつづけ、実践にこだわり、創造に燃えている会社がどれだけあるだろうか。
現実を見れば、挑戦よりも守りに終始し、実践よりも管理に走り、創造ではなく停滞に沈んでいる会社がじつに多い。
会社としては存在していても、実体は「死んでいる」。

大志や理想を脇に置き、目先の利益やROE(株主資本利益率)といった経営数字に振り回され、いつの間にか数字だけを追いかける日本企業が増えていることに、私は大きな危さを感じている。
会社を、数字だけで「いい」「悪い」と安易に判断してはいけない。
最も大事なのは、その会社が「生きている」か「死んでいるか」かである。

「生きている会社」とはどういう会社を指すのか。
それは次の言葉に集約される。

《絶え間なく挑戦し、絶え間なく創造し、絶え間なく代謝する会社》

「生きている会社」とは、未来を切り拓こうとする明確な意思をもち、常に自己否定し、挑戦しつづけ、実践しつづけ、創造しつづける会社だ。
しかし、それだけでは足りない。
じつは、「生きている会社」でありつづけるための鍵は「新陳代謝」にある。

会社は、よく見れば、いらないものだらけである。
新たなものを創造しようと思えば、「捨てる」「やめる」「入れ替える」をタイムリーかつ大胆に行わなければならない。
私たちは、ともすると「つくる」ことばかりに目が行きがちだ。

だが、つくったものは、やがて陳腐化し、価値を失っていく。
古くて価値を失い、凡庸になったものをどう処理するのかは、あまり前向きな仕事のようには思えない。
しかし、じつは本当に大事なのは、創造ではなく代謝なのだ。

創造に長けている会社は、新陳代謝にも長けている。
「創造戦略」と同時に、「代謝戦略」を明確にし、「捨てる」「やめる」「入れ替える」を適切かつ大胆に実行している。
儲からなくなった事業を捨てる、価値のない仕事をやめる、意味のなくなった組織を撤廃する、人を思い切って入れ替えるなど、新陳代謝することに躊躇がない。
代謝を戦略的かつ前向きなものと捉えている。

一方、「死んでいる会社」は著しく代謝が悪い。
老廃物を捨てることができず、新たな栄養分を取り込むことができない。
流動性が低く、会社全体が沈滞し、澱んでいる。
代謝なくして創造なし…。
「生きている会社」になろうと思えば、思い切った代謝が不可欠なのである。

『生きている会社、死んでいる会社―ー「創造的新陳代謝」を生み出す10の基本原則』東洋経済新報社

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城野宏氏の提唱した「脳力開発」で言うなら、
「生きている会社」とは、現状打破の姿勢の会社。
「死んでいる会社」とは、現状維持の姿勢の会社。
現状打破とは、常に進歩発展を願い、よりよい未来を目指して、たとえ少しでも一歩前に具体的に行動する。
現状維持とは、現状に甘んじ、いつもグチや泣き言、不平不満や文句を言い、まわりのせいにして、結局は動かない。そして、「困った」「出来ない」「難しい」が口癖。

現状打破の姿勢の人は、明るく、朗(ほが)らかで、のびのびとしていて、「愉(たの)しみの人生」をおくる。
現状維持の姿勢の人は、暗く、湿っぽく、いじけて、「嘆(なげ)きの人生」をおくる。

愉しみの人生をおくる人には、他人の利益もはかる姿勢がある。
嘆きの人生をおくる人には、自分だけよければいいという姿勢がある。

他人の利益をはかる姿勢の人には、人が集まり、協力する人が次々現れる。
自分だけよければいい姿勢の人には、憎しみ、バカにする、尊敬しないといったタイプの人々が集まる。

つまり、現状打破の人は、常に「主体的にやる姿勢」があり、現状維持の人は「他人(ひと)頼りの姿勢」がある。
これらのことはすべて、会社の姿勢としても同じ。

生きている会社を目指したい
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2018年04月10日

No 4569    【脳は年をとるほど賢くなる】

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【脳は年をとるほど賢くなる】

バーバラ・ストローチ氏の心に響く言葉より…


ペンシルバニア州立大学の心理学者であるウィリスは、夫のK・ワーナー・シャイエと一緒に、最も長期にわたり、最も大規模で、最も評判のよい寿命研究のひとつである「シアトル縦断研究」を行っています。
この研究に参加している人々は、すべて健康な成人で、男女比は均等、職業はさまざまで、年齢の幅は20歳〜90歳です。
この研究の重要な点は「縦断研究」であること、つまり同じ人々を長期にわたって調査していることです。

たとえば、シアトルの研究から得られた最初の重要な結果では、研究の参加者は試験されたどの時期よりも、平均して中年期に認知試験の結果がよかったことがわかりました。
ウィリスとその共同研究者が測定した能力には、語彙(識別する語数と同義語を見つけられる語数)、言語記憶(記憶できる語数)、数能力(加減乗除の計算を行う速度)、空間認識(ある物体を180度回転したときの形状を判断する能力)、知覚速度(緑の矢印を見たときにボタンを押す反応速度)、帰納的推論(論理問題を解決する能力)があります。
この試験は保険証書の内容を解読したり、結婚式の計画を立てたりするような日常的な仕事をどれほどうまくこなせるかを、完全ではないにしてもかなりよく示すものになっています。

この発見で驚くべきは、現代の中年とみなされている期間中(つまりだいたい40歳〜60代の間)、この研究の参加者は、最も重要で複雑な認知試験の成績が、自分たちが20代だった期間の成績を上回っていたのです。
試験された6種類の認知能力のうち、語彙、言語記憶、空間認識、それに(おそらく一番励みになることには)帰納的推論の4種類で、参加者の成績は平均して40歳〜65歳の間が最もよかったのです。

ウィリスはこういいます。
「長い間、能力が頂点に達するのは青年期だと考えられてきました。
身体と認知は平行して発達、衰退すると考えられていて、そのこともあってか、教育資源を青年期に集中させているんです。
教育の効果が最も高いのは青年期だと考えられています。
でも、中年の研究はまだはじまったばかりだということを思い出してください。
いろいろなことをうまくこなしている中年期がこれほど長かったことは今までなかったんです」

たとえば、南カリフォルニア大学のエリザベス・ゼリンスキーの研究では、現在の75歳と16年前の75歳を比べました。
その結果、広範囲の知能テストで現在の75歳のほうが昔の75歳より成績がはるかによいことがわかりました。
事実、現在の75歳の得点は以前のテストでの15歳年下(60歳)の得点に近く、ゼリンスキーの指摘によれば、「とくに雇用という点で、このことは将来に対してたいへん興味深いことを暗示しています」といいます。

また、加齢にしたがって脳を苦しめる軽度の健忘の一種があります。
これは個人の認知障害の幅広い測定に現れますが、うれしいことにこの障害は徐々に減る傾向にあります。
ミシガン大学の最近の研究では、この深刻ではないタイプの障害の患者数は、70歳以上で1993年〜2002年の間に12.2パーセント〜8.7パーセントへと、3.5パーセント低下しました。

『年をとるほど賢くなる「脳」の習慣』日本実業出版社

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中年になると、誰もが、人の名前やレストランの店名を思い出せなくなったり、前の日に食べた料理や、行った場所すら忘れてしまうという現象に悩まされる。
しかしながら、加齢による脳の力の低下は仕方がないという。
それよりも、「失ったものより得たもののほうが大きい」ことの方が大事だ。

本書の中にこんな記述がある。
『この中年脳は、朝食に何を食べたのかすらも忘れるのに、仕事に行けばグローバルに展開する銀行を経営したり、学校や市を管理したり、ひいては国までも率いることができます。
そして、家に戻れば、何も言わない娘たちとつき合い、サブプライム・ローンの破たんや近所の住民たち、自分の親たちとも向き合っているのです。
これらの素晴らしい行動は、私たちが当然とみなしていた「大人の脳」の成せる業なのです』

人はいくつになっても、成長できるし、脳を鍛えることもできる。
「もうダメだ」、と思ったときに本当にダメになる。

「脳は年をとるほど賢くなる」
いくつになっても好奇心を忘れずに、脳の潜在的な力を発揮したい
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2018年04月09日

No 4567   【だんだん楽しくなってきた】

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【だんだん楽しくなってきた】

辻仁成氏の心に響く言葉より…


■《成功は、楽しんでいる人に生まれる》
息子くんが起きてきて、
「パパ、成功する人って、成功したいと思わない人なんじゃないかな?」
といきなり言いました。
「成功って、野心丸出しで目指すもんじゃなくて、誰よりもそのことを楽しんでいる人のところに生まれる力なんじゃないかな」
どうやら、ユーチューバーのことみたいですが、ご名答!

■《まず自分が幸せになる》
ハッピーの法則。
人をハッピーにしようなんて考えたら絶対ダメ。
まず自分が誰よりもハッピーにならなきゃ。
まず君が幸せになりなさい。

■《心が整いました》
落ち着かないときは「落ち着きました」と過去形にします。
祈るときは「ありがとうございました」と過去形にします。
まだ安心できないときも「安心しました」と手を合わせて過去形にします。
日々を整える術です。
「ありがとう。心が整いました」

■《だんだん楽しくなってきた》
知り合いに「だんだん楽しくなってきた」が口ぐせの人がいます。
素晴らしい感覚スイッチだな、といつも感服しています。
その魔法の言葉は、まわりを上向きにさせるからです。
僕もこの魔法を、最近借りています。
さて、だんだん楽しくなってきたぞ。

■《ひとりインタビュー》
自分で自分を発奮させ、やる気にさせるしかありません。
昔はよくひとりインタビューをやりました。
「おめでとうございます、大成功ですね!」
と自分にマイクを向けて。
「苦しい道のりを激白してください!」
すると、不思議や元気になるよ!
マジ、やってごらん。

■フランス人はどうして変わり者ばかりなの?とバンサンに聞いたら
「ムッシュ〜辻、それは違う、
フランス人は個性豊か、みんな自分の人生をいちばん大切にしているだけ。
カフェに大スターがいても、
みんな『私だってスターじゃん』って顔して無視。
カフェがスターだらけになる国民性だよ」
バンサン、かく語りき。

『立ち直る力』光文社

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辻仁成(つじひとなり)氏は、作家、ミュージシャン、映画監督、演出家としても、多方面で活躍している。
現在は、パリで息子さんと二人暮らし。
本書は、息子さんに向けて書かれた言葉が本になったもの。

■自分が幸せでないのに、人を幸せにすることはできない。
まず、自分が幸せになること、楽しむこと、面白がること。

■神さまにお願いする時は、過去完了形にするといいという。
「〇〇になりました!」と言ってから「ありがとうございました!」と感謝する。

■人生はドラマのようなもの。
ドラマでは、主人公が絶体絶命の危機になるが、そこから奇跡的にうまくいく。
危機におちいったときは、いよいよドラマは佳境(かきょう)に入ったということ。
そこから、だんだん楽しくなってくる。

■自分自身へのインタビューはどんなことも聞ける。
だから、将来の成功した自分に向かって、インタビューする。
「ご苦労をされてきましたね、今どんなお気持ちですか?」

■名刺交換程度で、有名なスターや偉い人を紹介されたとしても、たいていは、むこうは何も思ってはいないし、覚えてもいない。
有名人と知り合いになろうとするより、自分を高め、自分に自己投資し、向こうから知り合いになりたいと思われるような人になることの方が先。

どんなことにも、どんな状況でも…
「だんだん楽しくなってきた」と思える人でありたい
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2018年04月08日

No 4565   【危険な道をとる】

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【危険な道をとる】

岡本太郎氏の心に響く言葉より…


人々は運命に対して惰性的であることに安心している。
これは昔からの慣習でもあるようだ。
無難な道をとり、皆と同じような動作をすること、つまり世間知に従って、この世の中に抵抗なく生きながらえていくことが、あたかも美徳であるように思われているのだ。

徳川三百年、封建時代の伝統だろうか。
ぼくはこれを「村人根性」といっているが、信念をもって、人とは違った言動をし、あえて筋を通すというような生き方は、その人にとって単に危険というよりも、まるで悪徳であり、また他に対して不作法なものをつきつけるとみなされる。
これは今でも一般的な心情だ。
ぼくはいつもあたりを見回して、その煮えきらない、惰性的な人々の生き方に憤りを感じつづけている。

ぼくが危険な道を運命として選び、賭ける決意をはっきり自覚したのは25歳のときだった。
パリで生活していた頃だ。
絵描きは絵の技術だけ、腕をみがけばいいという一般的な考え方には、ぼくはどうしても納得できなかったのだ。
しかしそれは極めて危険な問いだ。

芸術ばかりではない。
他の部門のあらゆる専門家、さまざまの企業内の社員でもみんなそうだと思うのだが、この道一筋、ただ自分の職能だけに精進すれば尊敬もされる、報われもする。
それを根本的に疑ったり、捨ててしまえば生きてはいけない。
食ってもいけないということになる。
与えられた枠からはみ出して、いわば無目的的に自分を広げていくとすれば、その先は真暗な未知、最も危険な状況に落ち込むことを覚悟しなければならない。
それは極端にいえば死を意味する。

残酷な思いで、迷った。
ぼくはごまかすことができないたちだから。
そして…いまでもはっきりと思い出す。
ある夕方、ぼくはキャフェのテラスにいた。
一人で座って、絶望的な気持ちで街路を見つめていた。
うすい夕陽が斜めにさし込んでいた。

「安全な道をとるか、危険な道をとるか、だ」
あれか、これか。
どうしてその時そんなことを考えたのか、いまはもう覚えていない。
ただ、この時にこそ己に決断を下すのだ。

戦慄が身体の中を通り抜ける。
この瞬間に、自分自身になるのだ、なるべきだ、ぐっと総身に力を入れた。
「危険な道をとる」

いのちを投げ出す気持ちで、自らに誓った。
死に対面する以外の生はないのだ。
その他の空しい条件は切り捨てよう。
そして、運命を爆発させるのだ。

『自分の中に毒を持て―あなたは“常識人間"を捨てられるか (青春文庫)』

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藤原和博氏は、ITやAIの大きな変化により、10年後には多くの仕事がなくなるという。
その激動の時代を生き抜くには、自分の専門分野とは別の分野に1万時間を投じよ、という。
現在の自分の専門分野と併せてまた別の分野でもプロになると、かなりレアな人材になるからだ。
そして、さらにもう一つまた別の分野、すなわち3つの分野のプロになると、ほとんどマネされない究極のレア人材となり10年後、20年後でも食べていけるという。

それが、岡本太郎の言う「枠を取り払う」ということ。
そして、「危険な道をとる」こと。

もし、仮に自分がもう年配になっていて、危険な道をとることができないなら、せめて必要なことは、若者たちの新たな挑戦や、突拍子もないアイデアをつぶさないことだ。
足を引っ張らないことだ。
そして、応援したり、後押ししたりすることだ。

世界に類をみない革命、明治維新を成し遂げたのは20代や30代の若者たち。
しかし、忘れていけないのはその裏には、彼らを認めたり、応援した、年長者や老人たちがいたから。

あえて危険な道をとる人たちには、未来を切り拓(ひら)くパワーがある
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2018年04月07日

No 4563    【自己投資は運を呼ぶ】

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【自己投資は運を呼ぶ】

杉山大輔氏の心に響く言葉より…


自分が自分のことを信じていなければ、誰が自分のことを信じてくれるでしょうか?
根拠のない自信でもいいのです。
自信のための自己投資ほど自分に返ってくるものはありません。
誰よりも自分で自分を応援しましょう。

好きなアイドルのために、徹夜してライブに並んで、すべての曲を購入して、ファンクラブに入り、情報をネットで集めたりする人もいます。
このエネルギーを自分自身に使うことが大切です。
当たり前ですが、自分の人生の主人公は自分です。
自分を応援して、時間を自分の人生のために振り分けたほうがいい。
自分の財産は自分自身です。
そのための自己投資を365日毎日、生きている年数、続けることで、たとえどんなことが起きても自分で対応することができるようになります。

そして、仲間も自分の財産の重要な一部です。
所属している会社から離れたときに自分にどれだけの人がついてくるのか?
それがポイントです。
地位をなくしても、肩書がなくなっても、自分というブランドと特徴があればまた頑張ることができる。
そこに仲間が加われば、怖いものはありません。
そのような人は世界中のどこに行っても、どんな職種・職業でも怖いものはないはずです。
物質的なものよりも、学んで頭の中に入れた知識や、体験を通して得た経験こそが最も重要な財産になります。

『運を動かせ』ディスカヴァー

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杉山氏は本書の中で自己投資についてこう語る。

『多くの成功した先輩方と会うと気づくのですが、とてもシンプルなコンセプトだけれど、誰もが続けていることがあります。
みなさん自分を信じ、自分に投資することを当たり前に続けているのです。
年齢問わず、常に新しいことを学ぼうとする姿勢が大事です。
自己投資をやめた瞬間に自分の成長は止まります。
年齢に関係なく、貯金よりも自分にどれだけ投資しているかがポイントです。
そうして自己能力を鍛えれば、お金は後からいくらでもついてきます。
貯金があっても能力を鍛えないと成長はありません。
女性も男性を選ぶ時、貯金通帳にいくら入っているかよりも、どれだけ自己投資しているかで判断したほうがいいと思います』

事業においては、素晴らしいお店や繁盛店を見て感動することはとても大事だ。
しかし、ただ感動するだけで終わってしまったら、それは素人。
プロなら、感動させる側にまわらなければならない。

どこかのお店や、誰かのファンになって応援することはとても楽しいし尊い。
しかし、プロを目指すなら、ファンという自分を応援してくれる人をつくらなければならない。

プロはお金を稼げる人。
プロになるためには、自己投資が必要だ。
それは、プロである限り、死ぬまでずっと続く。

「自己投資は運を呼ぶ」
自己投資し続ける人でありたい
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2018年04月06日

No 4562   【声に出すこと】

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【声に出すこと】

藤木相元氏の心に響く言葉より…


外国語を習得する秘訣は、とにかく声に出して音読することだ、とよくいわれます。
これは、はっきり口で発音することによって、その響きが五感を通して脳に伝わり、言葉の意味やニュアンスまでまるごと脳に刻みこまれるからです。
“体で覚える”とは、まさにこのことなのです。
目読だけでは、脳に刻みこまれる力が弱く、生きた言葉のセンスがなかなか身につかないわけです。

この「声に出すこと」は、外国語を学ぶときだけでなく、運をつかもうとする場合にも、ひじょうにだいじになってきます。
自分のほしい運がはっきりしたら、ことあるごとに「私はこういう運がほしい」と口に出してみるのです。
人に話してもいいし、人に話すのが恥ずかしかったら、自分一人でいるときに言ってみる。
とにかく、実際に言葉にし、声に出してみることです。

近ごろよく、大脳生理学の面から、胎児教育ということがいわれています。
胎児は成長しはじめて間もなく聴覚が発達し始めるので、母親や父親がやさしく話しかけたり、いい音楽を聞かせてやると、感受性が豊かで頭のいい子に育つというわけです。
母親の胎内にいるときに、いつもやさしい言葉をかけてもらっていれば、おのずと柔和な相がつくられていき、逆に、たえず両親のケンカする声などを聞かされていると、目も眉もつりあがった相になって、この世に誕生してくることになるのです。

この脳相は、3歳から10歳くらいまでのあいだに、明か暗かに分かれ、運のよし悪しを左右することになるのですが、たとえ幼少期に暗の相になってしまった人でも、成人してからでも、いくらでも明の相に変えることは可能です。
その方法の一つが、ほしい運や願望を口にすることで、脳にしっかりと、その願望を刻みこむことなのです。
これを続けていると、その言葉の“明”の面が脳相に刻まれ、顔の相や、ひいては行動までを運をつかむ“明”に変えるわけです。

私のこれまでの体験でも、一家が繁栄する“明”の家庭に共通していることは、毎朝の「おはよう」という挨拶がしっかりしていることです。
そこには、おのずと、今日もお互い明るく生きよう、という願いがこめられています。
家族のあいだで“明”を与えあっているともいえます。

企業も同じで、どんどん発展する会社では、かならず朝の挨拶がしっかりしています。
職場のみんなが“明”をもたらす言葉を口に出すことで、自然とその会社に運も近づいてくるのです。

スポーツの世界でも、個人競技にしろチーム競技にしろ、気合のはいった選手は、控え室などでひとりで精神を統一したあと、大きな声を出して「よし、やるぞ!」と気合を入れますが、こうした声がよく出て、しかもその声が大きい人やチームほど強いとよくいわれます。
これも、「勝つ」という願望をしっかりと自分に植えつけることで運を呼び込んでいるわけです。

ダスキンでは、毎日、全員が「損と得の道があるとすれば、損の道を歩もう…」と、大きな声で社訓を唱えています。
ダスキンにはいったばかりの人は、最初は驚き、大きな声で唱えるのを恥ずかしがったりするそうですが、そのうちに、自然と大きな声が出るようになるそうです。
これは、唱えることを強制された結果そうなるのではなく、大声で唱えることで、自分が変わり、明になっていくことを無意識のうちに感じとっているからでしょう。
こうして、そこで働く一人ひとりの人が明になっていけば、会社全体が明になり、運のつく会社にもなってきます。

『運のつくり方・開き方―人生は変えられる (PHP文庫)』

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自分の口に一番近いのは、自分の耳。
自分の発した声は、自分の耳が一番最初に聞き、次にそれは脳に刻み込まれる。

中村天風師は、特に夜寝る前と朝起きたときに“明”になる言葉、すなわち、「明るくなる言葉」、「元気が出る言葉」、「勇気が出る言葉」、を唱えた方がいいという。
さらに、鏡の前で自分に向かって、“明”を宣言すれば、それは強く脳に浸透する。

家族間での朝の挨拶や、会社における朝礼での社是や社訓の唱和は、場を“明”にし、運を引き寄せる。
口にした言葉は、言った通りになるからだ。
運を引き寄せる言葉を声に出す習慣を身につけたい
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2018年04月05日

No 4561    【失敗とは成功の前兆】

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【失敗とは成功の前兆】

コリン・ターナー氏の心に響く言葉より…


業種に関係なく、あなたは常に無限のチャンスがある。
型にはまった考え方を捨て、新しいものとかかわろうとする人々は、物質的に満たされるだけではなく、自分の仕事のなかに多大な喜びと満足を見出すことができる。
もしあなたがチャンスを待って、言い訳に言い訳を重ねているのなら、いずれは「もう年をとりすぎた」という最後の言い訳にたどり着くであろう。
この世を去るその日まであなたは、世界は自分に背を向けていて、自分の才能はふさわしい評価を得ず、成功した人たちは単に「運」や「まわりの力」に恵まれていただけなのだと考えつづけるであろう。

億万長者とあなたとの間にあるただ一つの差異は、「自身の姿勢」なのだ。
あなたは自分自身にとって、最も質が悪く手ごわい敵になりうるのだ。
「この世のどんな力も、あなた自身ほど、あなたの成長を確実にそして容赦なく妨げることはできはしない」
自分の無限の可能性を理解し、チャンスをつかむことは自分の当然の権利なのだと気づいたなら、ただ前に進めばいい。

1809年、ケンタッキーにある赤ん坊が生まれた。
父親は貧しいうえに、浮浪者であった。
母親は子どもが9歳のときに他界した。
すべてのチャンスは待っているだけではなく、自分で探さなければいけないと言い残して。
父親が反対し、彼は本を読むことも許されなかった。
彼の名はアブラハム・リンカーンといった。

「探せ、さらば見つけられるだろう」という言葉は、人は何であれ、まず探さなければそれを手に入れることはできない、という意味である。
待て、されば訪れるだろうとは意味が違うのである。

『あなたに奇跡を起こすやさしい100の方法 (PHP文庫)』PHP

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本書の中にこんな物語があった。
『ある父親が息子の通信簿を見て、そのあまりの劣等生ぶりに愕然とした。 
父親は息子に法廷弁護士になってもらいたいと考えていたが、校長はその可能性はまったくないと断言した。
少年は落伍者だった。
そう、この人物こそウィンストン・チャーチルである。
彼は法廷弁護士にはならなかった。
ただ英国史上最も偉大な指導者の一人となったのである。
挫折は彼に大志を抱かせた。
奇妙に聞こえるかもしれないが、失敗とは人間を立ち止まらせ、その人生を考えさせ、チャンスを探させる、成功の前兆なのだ。
失敗の数が多いほど、未来の成功への可能性は高くなるのだ』

松下幸之助翁は、「子どもの頃は貧乏で一家離散、 病気がちで体が弱く、学歴もない(小学校中退)人だった。でも、だから成功できた」という。
貧乏、病気がち、無学歴、という3つの困難があった。
並の人間なら、そのうちの一つでもあったら、ペシャンコになってしまう。
それを乗り越えたがゆえに、大きな仕事を成し遂げた。
これは、リンカーンも、チャーチルも同じ。

だからこそ、人はみな、無限のチャンスを持っている。
「失敗とは成功の前兆である」、という言葉を胸に刻みたい
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2018年04月04日

No 4559   【笑いがわかる人になれ】

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【笑いがわかる人になれ】

櫻木健古氏の心に響く言葉より…

ユーモア精神を身につけよ、とは、必ずしも、ジョークをポンポン飛ばしたり、ユーモア・パフォーマンスをなしたり、といったことだけを指すのではない。
これらはむしろ二義的なこと、あえていえば、どうでもいいことである。
第一義的に大切なのは、「ユーモアに対する感性」を身につけよ、ということである。
「笑いがわかる人間になれ」ということである。

落語についていえば、これを鑑賞できる人間になりましょう、ということ。
それさえできるなら、落語的なユーモアへの感性は身についていることになる。
みずから落語を演じることは、必ずしも必要ではないのである。
ただし、やりたい人、その才のある人は、大いになさるとよいわけであるが…

駄ジャレ一つ飛ばすことができないなら、それはそれでけっこうである。
ただし、ユーモリストたちの言行を、「おもしろいな」と思える人にはなりなさい。
それが、ユーモアへの感性があるということ。

「くだらんこと言ってやがる」としか思えないなら、あなたは笑いがわからず、“あそび”ができない、味もそっけもないクソマジメ人間ということになる。
ある表現を用いれば、「笑わせ屋」になる必要は必ずしもないが、「笑い屋」にはなりなさい、ということ。
双方ともになれるなら、もちろん、それに越したことはないが…。

人が笑わせようとしたのに笑ってやらないのは、ヘソ曲がりに非ずば、笑いの感性に欠けているのであり、どちらにしても欠陥人間なのであって、そのような人の人間関係がうまくゆかないのは当然である。

『「笑い」の力(パワー)が人生をひらく―ちょっと高度な人間関係術 (PHP文庫)』

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ユーモアのセンスを磨き、人前で当意即妙にジョークを言って笑わせたりすることは、かなり難度が高い。
しかし、自分を笑い飛ばすとか、自分の欠点をさらけ出したり、失敗をネタにする、というようなことは、比較的難度が低い。
ただし、プライドを捨て、恥をかく覚悟を決めなければならない。

「およそ恥ということを打ち捨てて、世の事は成るべし」(本書より)
と言ったのは坂本竜馬。

一緒にいて楽しい人は、よく笑う人だ。
ちょっとした話に、大げさに驚いたリ、笑い転げたりしたら、また会いたくなってしまう。
笑いの感性が高い人だ。

『「笑わせ屋」になる必要は必ずしもないが、「笑い屋」にはなりなさい 』
笑いがわかる人でありたい
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2018年04月03日

No 4558   【三日会わざれば】

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おいちゃんのお気に入りブログ【人のこころに灯をともす】からの転載です

【三日会わざれば】

松下幸之助氏の心に響く言葉より…


幕末のころ、土佐の檜垣清治(ひがきせいじ)という人が、そのころ土佐で流行していた大刀を新調し、江戸から帰ってきた坂本龍馬に見せたところ、龍馬は、「きさまはまだそんなものを差しているのか。おれのを見ろ」と言って、やさしいつくりの刀を見せました。
そして、「大砲や鉄砲の世の中に、そんな大刀は無用の長物だよ」と言いました。

清治は「なるほど」と気が付きました。
そこで、龍馬のと同様の刀をこしらえて、その次に帰ってきたとき見せました。
すると龍馬は、「このあいだは、あの刀でたくさんだと言ったが、もう刀などは要らんよ」と言いながら、ピストルを取り出して見せたというのです。

またその次に帰ったときには、「今の時勢では、人間は武術だけではいけない。学問をしなければならない。古今の歴史を読みたまえ」と勧めたということです。
さらにそのつぎに会ったときには、「面白いものがあるぞ。万国公法といって、文明国共通の法律だ。おれは今それを研究しているのだ」と語ったそうです。

清治は、「そのように龍馬にはいつも先を越されて残念だった」と人に語ったといいますが、坂本龍馬という人はいつも先々を見ていたから、そういう姿も出てきたのではないかと思われます。
そしてそういう、現状にとらわれない、絶えず先を見るというような姿は、やはり素直な心が働いているところから生まれてくるものではないでしょうか。

《素直な心になるために》

『松下幸之助 成功の金言365』PHP研究所

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「男子三日会わざれば刮目(かつもく)して見よ」
という『三国志演義』からきた言葉がある。

真の男子たるもの、死に物狂いで勉学や修練すれば、 三日も会わなければ、 見違えるように成長しているものだ。
さあ、目をこらしてよく見るがよい、と。

反対に、三日どころか、一ヶ月たっても、一年たってもまったく進歩のない者もいる。
現状を変えようとしない人だ。
世の中が凄(すさ)まじいまでに変化しているのに、自らを変えようとしない人は必ず時代から取り残される。

しばらく会わなかったら…
見違えるように成長している人でありたい
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2018年04月02日

No 4556   【馬鹿なことをたくさんすること】

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おいちゃんのお気に入りブログ【人のこころに灯をともす】からの転載です

【馬鹿なことをたくさんすること】

小林正観さんの心に響く言葉より…


昔は人生相談をたくさん受けていました。
その中には「毎日がむなしい」という方がいました。
仕事で言うと、「毎日がむなしい」「同じことの繰り返しで楽しくない」「やめようと思う」との内容が多いのですが、私はそういうとき、この質問をしてきました。
「あなたは自分で自分のことが好きですか」。

多くの人は、まずびっくりします。
そして考えます。
多くの場合、「私は私が嫌いです」との答えです。

「どうしたら自分で自分を好きになるんでしょう」
実はそこにこそ、日常生活のなかのむなしさと縁を切る方法があるのです。
結論的には、馬鹿なことをたくさんすること。
「馬鹿なこと」というのは(金銭的・経済的に)全く、あるいはほとんどプラスにならないこと、です。

たとえば、会社に30分早く行く。
そのときに自分のお金でバラを1本買って飾る。
人の机でなく、自分の机でいいのです。
自分のために自分のお金で机に花を飾るわけ。

あるいは、廊下に落ちている紙くずを、歩くついでに拾い、近くのくずかごまで持っていって捨てる。
トイレ掃除も有効です。

こういう提案をすると、必ずこういう言葉が帰ってきます。
「花は会社の費用で買うことになっており、私が買っていかなくてもちゃんと飾られてます」。「廊下やトイレの掃除は掃除のおばさんがやることになっています」。
その答えをしているうちは自分で自分を好きになることはまずないでしょう。
「一銭にもならないことをどれだけできるか、するか」が、自分で自分を好きになるポイント。

馬鹿なこと、一銭にもならないこと、誰からも評価されないことを一生懸命やってみてください。
そいう馬鹿なことをしている自分が、いつの間にかとてもかわいらしく、いとおしく、思えてきます。
「自分で自分を好き」になってきます。
「馬鹿な奴だ」と思いながら、でも自分の心に温かいものを感じるはず。

「自分で自分を嫌い」なら、それは「仕事」の問題ではなく、あなたの生き方の問題です。
「嫌い」な自分をどこに連れていっても、どこに勤めさせても、どんな職業を選んでも、「むなしい」だけです。
仕事の内容や待遇の問題ではありません。

一銭にもならないことや馬鹿なことをたくさんするのはいいのですが、「自己満足」の心も50%は必要です。
自分の生活を犠牲にしてまで「人のために尽くす」のは勧められません。
「人のためにする」「人に喜んでもらう」50%、「それで自分も楽しく嬉しい」50%というのが、最も健康で、長続きするような気がします。
70対30だと辛くて自己嫌悪ですし、30対70だと自分中心のエゴイストに思えて、またまた自己嫌悪です。

もちろん、自分の心のありようが変わると、人が「どうしてあんなに人のために自分を犠牲にするんだろう」と思っても、自分は満足で楽しく、幸せに思いつつ生きることができます。
「人のために」しているのではなく、「自分が楽しいから」「幸せだから」「嬉しいから」したい、と思えるようになるのです。

『楽しい人生を生きる宇宙法則』講談社

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自分のことを好きになれない人は、自分に劣等感があったり、自信がなかったり、いつもクヨクヨしたり、心配したり、という自己肯定感のない人が多い。
一銭にもならないことや、馬鹿なことをたくさんやると、自己肯定感が湧いてくる。

自己肯定感がある人は、失敗してもすぐに立ち直れるし、他人のミスや失敗にも寛容になれる。
そして、心に余裕ができる。

大事なことは、一銭にもならないことを長く続けること。
長く続ければ続けるほと、自己肯定感は増してくる。

それは…
「 毎月、神社やお寺にお参りに行く」
「社内や近所の掃除を毎日黙々とやる」
「PTAや近所や公的な役職などを、頼まれたら快く引き受けるが、出処進退を誤らない」
「講演会やイベントや飲み会など、人数が足りなくて困っているから来て等、頼まれたときには、支障のない限りできるだけ出席する」
「人のためになるようなブログを書き続ける」等々。

一銭にもならないことや、馬鹿なことをたくさんやる人でありたい
posted by Dr.モーリィー at 07:15| ちょっと気になる善い言葉 | 更新情報をチェックする

2018年04月01日

No 4554   【志は高く、身は低く】

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おいちゃんのお気に入りブログ【人のこころに灯をともす】からの転載です

【志は高く、身は低く】

山崎武也氏の心に響く言葉より…


小さな子供に話しかけるとき、立ったまま見下ろすような姿勢でしたのでは、きちんとしたコミュニケーションは成立しない。
一方的に上から下へという威圧感が、子供を無意識のうちに押さえつけているからである。
コミュニケーションは対等の足場に立ってのみ可能である、という原則が忘れられている。

まず、物理的に対等な状態をつくり出さなくてはならない。
すなわち、子供に対しては膝を折って姿勢を低くして、目線の高さを同じにするのである。
そうすると、子供に対する気持ちの持ち方も、自然に謙虚なものになる。
物理的に対等なかたちをつくれば、精神的にも対等な心理状態になれるのである。
子供に対しても、友人に対するがごとくに話すことができるようになる。

そのような状況に対しては、子供は敏感に反応する。
威圧的な大人ではなく、自分よりは経験深い人生の先輩が、自分のことも考えてくれながら自分に話しかけてくれていると感じる。
好意を持って、大人のいうことを聞こうとする姿勢になるのである。
子供に限らず大人に対する場合でも、例えば車椅子の人と話をするときは、やはりしゃがんでからにする必要がある。

講義や講演をするときは、講師は一段と高くなった壇上から話すことが多い。
もちろん昔から顔が見えるようにという配慮もある。
しかし、押しつける話ではなく、人の心に訴えかける話をする場合は、講師の目線が学生や聴衆のとできるだけ同じ高さになるように配慮する。
そのほうが、話の内容が聞く人の頭の中にスムーズに入っていく。
それだけ理解の度合いが高まる。

人に対する場合は常に謙虚にという心掛けが重要なことは、誰でも知っている。
高ぶることを戒め、身を低くする心構えである。
しかし、物理的に身を低くすることは、意外に忘れがちな点である。

平身低頭はいきすぎであるが、身も頭も相手と同じ高さに保って話をする「並身低頭」を肝に銘じる。
そこから優しい人柄が滲(にじ)み出してくる。

『「気の使い方」がうまい人: 相手の心理を読む「絶対ルール」 (単行本)』三笠書房

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「上から目線」という言葉がある。
相手の発言や態度が上から見下ろして、モノを言っているように聞こえるときに言う言葉だ。
「偉そうに見える」、「威張っているように見える」、ということ。
上から目線でモノを言われると、たいていの人はカチンとくる。

偉そうな態度を改める一つの方法が、身を低くするということ。
言志四録の中に、「志は高く、身は低く」という言葉がある。
身は低くとは、腰を低くすることであり、謙虚な姿勢のこと。

また、レストランなどでも、膝を折ってしゃがんで注文を聞くスタイルをとっているところがある。
膝を折って注文を取るスタイルにすると、苦情が圧倒的に減る、という話を聞いたことがある。

決して卑屈(ひくつ)になるのではなく…
「 志は高く、身は低く」を実践する人でありたい
posted by Dr.モーリィー at 06:58| ちょっと気になる善い言葉 | 更新情報をチェックする

2018年03月31日

No 4552   【面白いことが起きたぞ!】

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おいちゃんのお気に入りブログ【人のこころに灯をともす】からの転載です

【面白いことが起きたぞ!】

斎藤一人さんの心に響く言葉より…


《困ったことが起きたら「面白いことが起きた!」と言ってみな。奇跡が起きるから。》

人間を「成功に導く階段」があります。
それは「困ったこと」なんです。
「困ったこと」が起きたときは、「困ったなぁ」って言わないこと。
なぜなら、階段を一歩降りてしまうことになるから。

だから、困ったことが起きたら、「面白いことが起きたぞ!」と言ってごらん。
階段をひょいと飛び上がることができるから。

「面白いことが起きたぞ!」と言えた時点で、世間にも神様にも「こんなことで困っていないよ!」という宣言になるんです。
このひと言で「あなたの勝ち」が決定するんですよ。

『一日一語 斎藤一人 三六六のメッセージ』ぴあ

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斎藤一人さんは本書の中でこんなことを言っている。
《「おいしい」って、言って食べると「おいしい料理」。黙って食べると「ただの料理」。》
『まずいときは、「まずい」って文句を言うくせに、おいしいときに、「おいしい」って、言わない人がいるんだよね。
おいしいときは、「おいしい」って言おうよ。
いっしょに食べてる人も、作った人も嬉しくなるんだよ。
それだけで人生、ずいぶん違うよ』

「言葉は魔法」といわれる。
自分の言った通りになるからだ。
困ったことでも、嫌なことでも、つまらないことでも、それを「面白い!」と言えば、自分の脳はそこから面白いことを探し始める。

「おいしい!」も同じ。
そして、「面白い」も「おいしい」もまわりが明るくなり、喜ぶ言葉だ。
まわりが明るくなって喜び、自分も明るくなって喜ぶ言葉を、どんな時も言うようにする。

言葉は魔法だから
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