2020年04月30日

No 5572   【文句を言うならやめればいい】

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おいちゃんのお気に入りブログ【人のこころに灯をともす】からの転載です

【文句を言うならやめればいい】

斎藤一人さんの心に響く言葉より…


仕事に行き詰ったとき、何をしたらいいかについて少し詳しく説明しましょう。
まず前提として、その仕事、その会社を選んだのは全部あなたの責任だと自覚することです。
あなたがその会社に入ったのは、誰かに首ねっこをつかまれて事務所に放り込まれたわけではありませんよね。

「この仕事をやれ」とピストルでおどされたわけでもない。
全部、自分が決めて自分で選んだことです。
だから、嫌だと思ったら、いつだってやめられる。

ブツブツ文句を言っているんならやめればいいし、やめないんなら文句を言わない。
どっちかにすべきです。

この世の中には、自分が発したものは全部自分に返ってくる法則があるんです。
文句や不平不満を言っていると、それが自分に返ってくる。
試しに空に向かってつばを吐いてみてください。
つばは自分に落っこちてきますよね。

マイナスなことを言ったり、やったりすると、マイナスなことが返ってくる。
マイナスの波動を出しながら、幸せになることはできないしくみになっているんです。

だから文句を言うならやめる。
やめないで続けるんなら、愚痴、泣き言を言わない。
それだけで起きる現象が違ってきます。

「そんなことで変わるんですか?」
と驚く人がいるけれど、本当です。
挑戦してみる価値はあります。
1円もかからないしね(笑)。

要するに神様からマルをもらえるような生き方をしていればいいです。
そうすると神様からマルが返ってきます。
そして文句を言わずに仕事を続けると決めたら楽しく続ける工夫をすること。

《文句を言うなら、仕事をやめる。やめないなら、文句を言わない。》

『変な人が書いた 人生の哲学 (PHP文庫)』PHP文庫

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向田邦子さんのエッセイの中にこんな話がある。
『父は私たち子供がチョコレートを選ぶ際、絶対に取替えを許さなかった。
「お前はいま、掴んだじゃないか。文句を言うなら自分の手に言え」』(無名仮名人名簿)

兄弟で、小さな粒のマーブルチョコの取り合いになったときの話だ。

人生は取捨選択の連続だ。
受験、就職、結婚…

だって、「親に言われたから」、「学校の先生に強く勧められたから」、と人のせいにする人がいる。
どんなに強力に勧められようが、尊敬する人に言われようが、結局最後に決めるのは自分だ。

「文句を言うならやめればいい」のは、なにも仕事だけではない。
結婚だって、学校だって、自分で決めたものは、すべて、「文句を言うならやめればいい」。
そして、「文句があるなら自分の手に言え」、なのだ。

「文句を言うなら、仕事をやめる。やめないなら、文句を言わない」、という言葉を胸に刻みたい
posted by Dr.モーリィー at 07:31| ちょっと気になる善い言葉 | 更新情報をチェックする

2020年04月29日

No 5571    コロナ対策  特別GW

本格的なGWに突入いたしましたが 皆様いかがお過ごしでしょうか?
毛利歯科グループは 年間計画では例年通り 暦通りの休診を予定しておりましたが新型コロナ感染による緊急事態宣言を受けて スタッフを守るために 
患者様を守るために 4/29から 5/6までを 8連休としました。
ただ、スタッフにも 医療人としてのプライドを持ち
不要不急の外出を避け 県外への移動も避けるようにお願いしました。

GW後は5/7木曜日から 本院・別院ともに 通常通り診療いたします
そのころには 少しでもコロナ騒動が収まりますことを祈念いたします

写真は 高野山のお寺 清浄心院から送られてきた
「傘桜」のお写真です  ありがたや ありがたや

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おいちゃんも 予期せず 8連休
初日と最終日は レセプト業務に 専念致します

他の日は 基本的には 巣ごもりの日々です
診療日・平常時(月・火・木・金・土)にも
7:00〜19:30は 診療室に 巣ごもり?しておりますので
対して変わりはないのですが

診療時間には絶対できないことがたくさん
現在は100%臨床に向き合っております
だから経営の時間や歯科医師会関係・仏門関係・各種団体関係の時間は朝や夜の時間を捻出して、、、

ブレインや経営者仲間からは
経営に向き合う時間も もっと取らなければ大変だぞと忠告もたくさん受けております

こんな時だからこそできることが たくさん
まずは溜まっている 本の読破!(経営関係・雑学関係・医療関係等々)
プライムビデオ鑑賞  雑誌にも時間を割ける!
デスクワークだけだと 身体がこころが悲鳴を上げるので
2時間弱は ジョギングや筋トレ、素振りにも時間が割けます
祈りの時間や マインドフルネスの時間も わくわく!

24時間のうち 7時間は睡眠へ

学びの時間だけでも 毎日 9時間は確保できます!
感謝・感謝!

時間割表も作って 受験生のようです ははは
友人に話したら ストイックすぎるとびっくりされましたが
いつものことなので 全然苦にならず かえって ゆったりと時間が使えます
Mr.ストイック 修行僧ですから ははは

皆様も 有意義な時間を過ごされてください
時間の使い方が 一番大切な時だと思います
ピンチをチャンスに!!
posted by Dr.モーリィー at 07:47| ライフワーク | 更新情報をチェックする

No 5570   【生まれるのも独り、年老いるもの独り】

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おいちゃんのお気に入りブログ【人のこころに灯をともす】からの転載です

【生まれるのも独り、年老いるもの独り】

曹洞宗の尼僧、愛知専門尼僧堂堂長、青山俊董氏の心に響く言葉より…


《独り来たり独り去る。一として従う者なし。》(大無量寿経)

幼な子が独り旅立った。
なげき悲しむ母をおいて。

五十余年の歳月を共に歩み、いつくしみあってきた老夫婦。
夫を残して妻は逝った。
旅立つも独り、あとに残るも独り。
独り残った老翁はつぶやいた。
「孤独地獄におちています」と。

釈尊は生・老・病・死の四苦を説かれた。
生まれるのも独り、年老いるもの独り、病むのも独り、死するのも独り。

「人は、ただ独りでそれに立ち向かっていかねばならぬものだ」ということを、唯識学の泰斗(たいと)の、太田久紀先生は、ご自分が病んでみてあらためて痛感したと語っておられる。

「独り来たり独り去る。一として従う者なし」と、すでに仏は説いておられる。
「助けてもらえるような」「助けてやれるような」というあまえを捨てて、立ち向かわねば、と思うことである。

『あなたに贈る 人生の道しるべ: 続・ことばの花束』春秋社

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「我々は遠くから来た。そして遠くまで行くのだ...」
という、イタリアのパルミーロ・トリアッティの言葉がある。

我々は、この時代、この国に生まれ、今、この時を過ごしている。
独りで生まれ、そして、独りで死んでゆく。

かつての東北大震災のときは、我々は、「絆を深めよう」「手を取り合おう」「応援のためにもっと店に行こう」「みんなで集まって応援しよう」と、仲間としての温かなつながりが強く必要とされた。
しかし、このコロナ禍(か)においては、「人と距離をとれ」「近づくな」「集まるな」「不要不急なことで出歩くな」「人の集まるところには行くな」「ステイホーム」と、かつての価値観とは恐ろしいほど様変わりしている。
独りになること、孤立することをこんなにも要求されたことは、かつてなかった。
そこに何の意味があるのか?

メンタルトレーナーの梯谷幸司氏はその大きな目的を、独りになることにより「何のために生きているのか」という、問いかけを自分にするためだという。
独りになって自分を見つめなおすこと。
使命を知ること。

およそ、大事なことは、すべて独りでやらなければならない。
「生、老、病、死」は、誰に代わってもらうこともできない。
あるいは、読書も、勉強も、修行も…

『他(た)は是(こ)れ吾(われ)にあらず』
という道元禅師の言葉がある。
道元禅師が中国に留学していたとき、典座(てんぞ)の68歳の年老いた僧が炎天下黙々とシイタケを干していた。
道元禅師は、そういう仕事はもっと若い僧に任せたらどうかと言ったが、「他の人にやってもらったことは、自分でやったことにならない」と年老いた僧は答えて、その作業を続けた。
自分の「使命」は、人に探してもらうわけにはいかない。
自分で探すしかない、ということだ。

また、こんな言葉もある。
『独(ひと)りを慎(つつし)む』
君子は誰もみていないところでも心を慎み戒(いまし)める。
そして、誰も聞いていないところでも自分の言動を恐れる。
隠れて誰も分からないように思うけれども、それを長く積み重ねていくと、思いがけない時にそれが明らかになる。
これを、「慎独(しんどく)」と言って修養の一番重要な部分であり、自分を磨き、人格を高めるために必要なこと。
お天道様が見ている、ということだ。

この時期、この時…
独りになって己を見つめなおし、自分を磨きたい
posted by Dr.モーリィー at 07:25| ちょっと気になる善い言葉 | 更新情報をチェックする

2020年04月28日

No 5569   コロナ対策  再掲載  2020.4.12分!

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今朝 いつもの日曜のように がっちりマンデー見て
その後の モーニングサンデー見ていたら

仕事やコロナ対策に関して たくさんのヒントが!

歯科材料店に連絡しても手に入らないものは 手作り大作戦です

午後から買い出しに行って 材料を求め

TV番組で紹介された材料が 集まらなかったので 代用品で

夜間当番中 スタッフにお願いして 試作品 

思いっきり 手作り感がありますが 鹿児島でも いづれ必要になるかもです

アメリカの感染症対策の専門病院でも 医療品が足りないので

スキー用のゴーグルや ポリ袋で 感染予防してました

東京の 感染症対策病院では フェイスシールドが在庫切れで

クリアファイル・スポンジ・ゴムで スタッフ手作りの
フェイスシールド 作成しておりました

毛利歯科でも 必需品のマスクが 品薄になり
急遽 通常の10倍の値段で 緊急確保しました とほほ

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歯科クリニックでも 必ず必要になってくると思います。


毛利歯科では コロナショックのかなり前から
基本的には開業当初から
感染症対策には 力を入れておりました

器具の滅菌消毒 消毒コーナー

本院 消毒滅菌器材 5台

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別院 3台

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診療用ハンドピースも 通常のクリニックの 2倍から3倍はあるのでは

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切削片を吸引する 強力な 口腔外バキュームも

本院で 両サイドの 診療用ユニットを 使用範囲にしながら

9台のユニットに 7台の口腔外バキューム

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別院では 個室タイプなので 

3台のユニットに 3台の口腔外バキューム

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以前は感染症の方々からスタッフの身を守る
感染しないための予防、
他の患者様に 伝播させないための
目に見えるシステムでしたが

今回のコロナウイルスのように 誰もが感染者である可能性が強くなってくる
今後に対応するためにも 更なる 安心安全を
患者様にも スタッフにも 提供できるように
誠心誠意 努力精進いたします
posted by Dr.モーリィー at 06:58| クリニック情報 | 更新情報をチェックする

2020年04月27日

No 5568   【悪い時こそ、「いいふうに」取れるかどうか】

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おいちゃんのお気に入りブログ【人のこころに灯をともす】からの転載です

【悪い時こそ、「いいふうに」取れるかどうか】

修養団・元伊勢道場長、中山靖雄氏の心に響く言葉より…


人生では、自分の力ではどうしようもないことが起きることがあります。
そういう時こそ、「いいふうに」取れるかどうかが大事です。
しかし、そのことは頭ではわかっていても、実際にその場ではなかなか考えられないものです。
ですので、日頃からの修養が大切なのですね。

「あれもよし、これもまたよし、すべてよし、この花咲かそう、香り豊かに」これが、天の思いです。
しかし、人の心は、「あれもよし、これもまたよし、すべてよし、そう思いたし、心むつかし」なんですよね。

みたまはちゃんと正しい方向に向かって生きているのだけれど、心はそう思うのがなかなか難しい。
心は欲の塊だから、「自分の都合のいいふうに」となってしまいます。
ここに難しさがあるんですね。

私の家内のモットーは、
「済んだことはみんないいこと。これから起こることもみんないいこと。わたしに悪いことが起ころうはずがない」です。
済んだことはみんないいことですし、これから起きることもいいこと。
そういうふうに思えたら、今の人生をすべてこのままでやらせてもらうというだけになります。
そうしたら、いいご縁がどんどん湧いてくるのです。

実際は、悪いこともいっぱい起こります。
しかし、その時は、そのように生きていくしかないのです。
どんな出来事にあっても、自分が悪いことだと思わなかったら、それでいいのですから。

天がそれを起こされたのだから、「あっ、そうなんですか」というだけのことです。
それを苦にするか苦にしないかだけのことです。
「気にして苦にせず」です。

人間ですから、まったく気にせず生きていくことは難しいでしよう。
しかし、苦に思うのは自分があるからなのです。
ですから「気にして苦にせず」いることです。
普段からどう生きているかで、悪い状況に陥った時に、自分がどう考えられるかが決まってくるのです。

《「あれもよし、これもよし」悪い時こそ、「いいふうに」取れるかどうかが大事です。済んだことはみんないいこと、これから起きることもみんないいことです。》

『すべては今のためにあったこと』海竜社

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小林正観さんは、すべての現象には色はついていない、という。
色とは、「いい」とか「悪い」、「うれしい」とか「悲しい」、「幸せ」とか「不幸せ」、「ツイてる」とか「ツイてない」という色分けだ。

たとえば、「自転車で転んですりむいてしまった」という現象が起きたとする。
ある人は、それを「ツイてない」という。
しかし、別のある人は、「この程度で済んでよかった、自分はツイてる」という。
つまり、同じ現象が起こっても、人によって受け取り方が全く違うということだ。

特に、ほぼすべての人が、ひどい、悲惨だ、困難だ、と思ってしまうようなことが起きた時、そのことを「いいふうに」取れる人は、幸せに生きることができる人。
また、言い方を変えると「気にして苦にせず」の人。
そして、こういう人こそが、神さまが味方になってくれる人だ。

悪い時こそ、「いいふうに」取れる人でありたい
posted by Dr.モーリィー at 05:27| ちょっと気になる善い言葉 | 更新情報をチェックする

2020年04月26日

No 5567   【人生にはすべてを賭けるべき瞬間が何度か訪れる】

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【人生にはすべてを賭けるべき瞬間が何度か訪れる】

直江文忠氏の心に響く言葉より…


マイナスなものはすべて無視しよう。
駄目だと思うと本当に駄目になる。
マイナス分は取り戻さなくてもいい。
マイナス要因を分析していようが、次の仕事に取り組んでいようが、費やす時間は同じだ。

現時点をゼロと考え、いまここから始めよう。
事態は必ず好転する。
いままでもずっとそうだった。

最後はいつもハッピーエンドなんだ。
そうやって頭を切り換え、すぐさま前を向いて動き出す。

批判や中傷、嫉妬や言い訳など、マイナスの感情を運んでくる人に対しては、せめて気持ちの中だけでも関係を断ち切りたい。
それがどれだけ含蓄のある意見であっても、それはあくまでもその人の個人的な意見だと考えたほうがいい。
自分の感情を抑えてまで、わざわざ理解しようとする必要はない。

「あなたの言うことはよくわかった。でも私はそうは思わない」
そう言って立ち去るのが、お互いの今後の人生のためだろう。

マイナスはない。
そんなものは存在しない。
あるとすれば自分が勝手に作り出しているだけだ。

『無駄に生きるな熱く死ね (Sanctuary books)』

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直江氏は「人生にはすべてを賭けるべき瞬間が何度か訪れる」という。
『命がけで、全力で、全身全霊をかけてやるという人間の想いを伝えるには、ある意味“狂気の沙汰”が必要だ。
嘲笑されようが、逮捕されようがかまわない。
土下座し、血を流し、何日間も玄関先に座り込み、ときには「病院に行け」と心配されるほどの愚直なやり方こそが、運命を変えるカギとなるだろう。
中途半端な努力で満足して、自分をなぐさめても無駄だ。
自分をギリギリまで追い込んでこそむしろ窮地を脱することができる。
覚悟に勝る決断はない。
迷ったら、死ぬ覚悟を決めればいい。
死ぬ運命ならいまここで死ぬ。
もし自分にやり残したことがあるなら、まだ死ぬはずがない。
天がそれを決めるのだ。』

まさに、今、コロナの拡大で、多くの企業が、サービス業が、飲食店が、倒産の危機に瀕(ひん)している。
今ここを乗り越えることができなければ、そこには「倒産」の二文字が待っているだけだ。
条件はおよそすべての会社は同じ。
大会社であろうが、中小企業であろうが、個人店であろうが、与えられた条件はほぼ同じだ。

人生には、肚を決め、覚悟を決めなければならない瞬間が何度か訪れる。
そのとき、右に行くか左に行くか、エイヤっと覚悟を決めることができるのか。
それとも、どっちにも行けず、ブツブツ文句を言ったり、まわりのせいにして、そこにずっと立ち止まっているのか。

マイナスをいくら足し算しても、決してプラスにはならない。
プラスになるには、プラスの意見を足していくしかない。

肚を決め、覚悟を決めてこの難局を乗り越えたい
posted by Dr.モーリィー at 08:10| ちょっと気になる善い言葉 | 更新情報をチェックする

2020年04月25日

No 5566   【神様を味方につけるためには、不幸を嘆かず受け入れること】

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【神様を味方につけるためには、不幸を嘆かず受け入れること】

小林正観さんの心に響く言葉より…



新約聖書の中に、キリストが言ったという次の言葉が残されています。
「弱き者は幸いなり。
病める者は幸いなり。
貧しき者は幸いなり。
天国は、彼らのものである」

弱き者、病める者、貧しき者は、社会的に弱者といわれています。
そのような環境にあると、一般的に人は「不幸」と考えてしまいがちです。
PHP研究所の前社長・江口克彦さんが、松下幸之助さんについて書かれた記事に次のような文章があります。

…松下幸之助さんの人生は、その出発点において、決して恵まれたものではありませんでした。
ご存知の方も多いと思いますが、お父さんが米相場に手を出して失敗し、すべての財産を失ってしまいました。
ですから、学校にも行けません。
9歳の時小学校を中退して、大阪の火鉢屋に奉公に出されます。
10人家族は離散してしまいます。

兄弟は次々に結核になり、全員が亡くなっていきます。
松下さんもまた20歳の時に、肺カタルを患い病床に伏します。

こういうことは、私にはどう考えても運が強いとは思えないのです。
むしろ、何て運が悪いのだろうと思ってしまいます。
ところが生前の松下さんは、「いつも自分はとても運が強かった」と言うのです。

「私は学校にほとんど行っていなかったから良かった。
運が強かった。
もし大学でも行っていたら、わからないことを他人に尋ねることはしなかった。
行っていなかったから、わからないことは当たり前、だから簡単に尋ねることができた。
おかげでたくさんの人から良い知恵をもらって、会社を発展させることができた」と言うのです。

「体が弱かったのは良かった。運が強かった」とも言っていました。
「だから人に仕事を思い切り任せ、そして人も育ち、優れた人材になってくれた。
もしわしが健康だったら自分で何もかもやってしまい、人も育たなければ、会社も大きくならなかっただろう」と言うのです。

こういう話を聞くと改めて、松下さんが言う「わしは運が強かった」ということが、どういうことかと考えてしまいます…。
世の中には神様を味方につけることのできる人がいます。
その人たちには同じ共通項があります。
自分の身に降りかかってきた、一般的に「不幸」といわれる出来事を嘆き悲しんだりせず、すべて受け入れているということです。

たとえば私の場合、知的障害を持った子どもをいただきましたが、それを不幸だとは思っていません。
嘆き悲しんだりもしていません。
むしろ今は「もしかしたらこれは私にとって、ラッキーなことだったのではないか?」と思えるようにまでなりました。
そう思えるまでに何年間か、かかりましたが、私はこの子が来てくれたおかげで、本当の人間の価値というものがわかりました。

私は父親から「人間、努力しないやつはばかだ、クズだ」と言われて育ったのですが、障害児であるわが子は、努力はしませんし、頑張ることもありません。
向上心なども持っていません。
しかし、この子がいるだけで温かいのです。

「人間の価値とは、努力することや頑張ることではなくて、その人がそこに存在すると、周りが温かくなり嬉しい、という存在になること」
そんな大切なことを、この子がわたしに教えに来てくれました。
私はこの子にとても感謝しています。

障害児に対して否定的な考え方をする家庭もあると思います。
しかし、私にとっては人生を教えに来てくれた天上界の人ですから、この子に深く感謝をし、尊敬をし、大事にしています。
一般的に見て、障害児の存在を受け入れらえた家庭は、温かくなるようです。
自分たちを不幸とは思わず、障害者と一緒に過ごし触れ合う機会があることで、健常者が刺激されて、だんだん温かい人になっていきます。

「弱者」「不幸」の考え方を変えてみると、人の心の温かさを知ることができるのです。

《神様を味方につけるためには、不幸を嘆かず、まず受け入れることです。》

『「嬉しく楽しく、幸せになってしまう世界」へようこそ』廣済堂出版

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「災難にあう時節には、災難にあうがよく候。死ぬ時節には、死ぬがよく候。これはこれ災難ののがれる妙法にて候」
良寛和尚71歳の時、大地震があり、友人にあてた見舞いの手紙の中の一節だ。
「災難にあったら、あわてず騒がず、災難にあうのがよい。死ぬことが決まったら、静かに死を受け入れるのがよい。これが災難を逃れる唯一の方法だ」
なんとも身も蓋もない、一見冷たいとも思える文言だ。

しかし、文句を言ったところで状況が良くなるわけではない。
嘆き悲しんだりしたところで、事態が変わるわけでもない。

だとするなら、我々にできるのは、文句を言わず、その事実を「ああ、そうなりましたか」と淡々と受け入れること。
それが、災難を逃れる唯一の方法だと良寛和尚は言う。

その災難があっても、松下幸之助さんのように、「わしは運がよかった」と言える人だけが神様を味方につけることができる。
そして、そのうえさらに、「その困難があったからこそ、今の自分がある」と感謝できる人…

不幸や災難を嘆かず、淡々と受け入れることができる人でありたい
posted by Dr.モーリィー at 06:00| ちょっと気になる善い言葉 | 更新情報をチェックする

2020年04月24日

No 5565   【「いいことさがし」ができる人】

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【「いいことさがし」ができる人】

聖路加病院小児総合医療センター長、細谷亮太氏の心に響く言葉より…



私の出合った「いいこと」の一つを紹介します。
紀伊半島の途中に、日本でいちばんいっぱい雨が降る尾鷲(おわせ)というところがあります。
二、三年前、熊野までの山道を伊勢から車で送ってもらった時、この町を通りました。
雨が多く、台風もよく来る地域なので、ここには尾鷲傘というとても丈夫な名物傘があるという話を聞きました。

別の機会にもう一度尾鷲の近くを通ることがあったので、「以前来たときに尾鷲の傘の話を聞いたのですが、町中へ行けば買えますかね」と運転をしてくれている土地の友人に聞くと、「職人さんの家を知っているから行ってみましょう」と寄り道をしてくれました。
ところが、職人さんは亡くなっていました。
その職人さんのつくった傘を預かってまだ売っているかもしれないというので、隣のお土産物屋さんも訪ねてみたのですが、そこも閉まっていてあきらめて帰ってくることになりました。

そのときに友人にとても親切にしてもらったので、ある雑誌に連載しているコラムにお礼をかねて残念無念の顛末を書きました。
すると、読者の中に尾鷲傘を持っている人がおられて、尾鷲傘を宅急便でプレゼントしてくれたのです。
そんな人が二人もいました。
されにその文章の中で、「傘好きな私としては」と書いたものですから、そのコラムの編集者がロンドンへ行ったお土産にと、素敵なこうもり傘まで買ってきてくれました。

そんないきさつで、傘が三本集まりました。
尾鷲傘が二本来たあとにロンドンの傘までおまけについてきたと私が話をしたら、「よかったね」と言う人と、「得したね」と言う人がいました。
でも、「よかったね」と思ったほうが人生がなんだか豊かになると思いませんか?
それは、贈ってくれた人の感謝の気持ちを共有しているからです。

「いつもいいことさがし」という本を、暮しの手帖社から二冊出しました。
その本のサイン会では、「いいことがいっぱい見つかりますように」とサインしています。
いいことが見つかるための最初のトレーニングとしては、パレアナのように単純に、「今日はいいお天気でよかったな」とか、「おいしいものが食べられてよかったな」ということを喜ぶ習慣を持つことです。
それが習慣になると、大変な状況の中にこちらから跳び込んでもいいことが見つけられるようになると思います。

とてもつらい状況の中で涙を流したあとで、「やっぱりあのことはよかったんだ」と、もう一回思い返せるような「いいことさがし」は、高級な「いいことさがし」の一つです。
気難し屋が優しい人に変わるのを喜んだり、人の喜びを自分の喜びにしたりしながらパレアナは成長していきます。
そこがパレアナの素敵なところです。
パレアナのような子どもが大人になったら、高級な「いいことさがし」がたくさんできる人になるでしょう。

『きっと「大丈夫。」』佼成出版社

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世間が、震災や、大火災や、大事故、また、今回のような疫病の蔓延で騒然としているとき、どうしても人はネガティブなことを考えてしまう。
マスコミも暗くて悲惨な状況ばかりを報道するので、どうしても焦点がそこにあたってしまう。

「百匹目の猿現象」という言葉がある。
宮崎県の幸島という島に住むサルの一頭が芋を海水で洗って食べることを覚えた。
すると、同じような行動をとるサルが増え、それが100匹を超えたとき、かなり遠く離れた大分県崎山に住むサルも突然、同じ行動が見られるようになったという話だ。
ある行動が一定数(閾値・いきち)を超えると、まったく接触のない同類の仲間にも伝播するということ。
今回のコロナ騒ぎでも同様のことが起きているのではないだろうか。

多くの人がネガティブなことを思い、その数が一定数を超えると、一挙にそれが現実になる。
それが、時代の雰囲気や空気という「気」をつくる。

どんなにつらくて、大変な状況になろうと…
その中で、「いいことさがし」ができる人でありたい
posted by Dr.モーリィー at 06:31| ちょっと気になる善い言葉 | 更新情報をチェックする

2020年04月23日

No 5564   【世界を変えるのは、いつも「新人」なのだ】

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【世界を変えるのは、いつも「新人」なのだ】

瀧本哲史(たきもとてつふみ)氏の心に響く言葉より…



コペルニクスは地動説という、まさに世界がひっくり返るくらい大胆な新説を唱えました。
そして、コペルニクスの地動説はたんなる新説ではなく、動かしがたい事実でした。
実際、いまのわれわれは地動説の正しさをよく知っています。
それではいったい、当時の人々はどうやって地動説を受け入れていったのでしょうか。

20世紀を代表するアメリカの科学史家、トーマス・クーンはコペルニクスの時代を丹念に研究した結果、驚くべき結論にたどり着きました。
コペルニクスの地動説は、彼の死後1世紀あまり、ほとんど賛同者を得られなかった。
ニュートンの仕事も、主著『プリンキピア』が出てから半世紀以上、一般の支持を得られなかった。
ダーウィンの進化論だって、すぐに受け入れられたわけではない。
それでは、こうした世界をひっくり返すような新説は、いつ、どのタイミングで、どのようにして受け入れらえていくのか?

彼の結論は「世代交代」です。
つまり、天動説を信じる古い世代の大人たちは、どれだけたしかな新事実を突きつけても、一生変わらない。
なにがあっても自説を曲げようとしない。
地動説が世のなかの「常識」になるのは、古い世代の大人たちが年老いてこの世を去り、あたらしい世代が時代の中心に立ったときなのだ。
「世代交代」だけが、世のなかを変えるのだ。
…と、そんなふうに言うわけです。

トーマス・クーンは、これを「パラダイム」という言葉で説明しました。
パラダイムとは、簡単にいうと「ある時代に共有された常識」といった意味の言葉です。
文明とは、ゆるやかなカーブを描くように少しずつ発展していくものではない。

それまでの常識(パラダイムA)が、あたらしい常識(パラダイムB)に打倒されたとき、時代は次のステージに突入する。
さらにパラダイムBが、もっとあたらしいパラダイムCに打倒されたとき、時代はもう一段上のステージに突入する。
そして古いパラダイムが、あたらしいパラダイムに移り変わる(パラダイム・シフト)ためには「世代交代」が必要である。
古い世代の人たちに世界を変える力はない。

…トーマス・クーンは『科学革命の構造』という著書のなかで、次のように結論づけています。
「このようなあたらしいパラダイムの基本的発明を遂げた人は、ほとんど、非常に若いか、パラダイムの変更を促す分野にあたらしく入ってきた新人かのどちらかである」
「明らかに彼らは、通常科学の伝統的ルールに縛られることがなく、これらのルールはもはや役に立たないから外のものを考えよう、ということになりやすい」

『ミライの授業』講談社

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行徳哲男氏の若者についての言葉がある。
◆若者よ。
いつの時代でも変革は若者から始まった。
疑問、覚醒、憤怒は若き者の特権だ。
安寧、規制、常識は老いた者の繰り言にすぎない

◆大化の改新、蒙古の襲撃、明治維新、どれも皆若者たちによる革命だった。
歴史とは、新が旧に、小が大に、青が老にとって代わることだ。

◆若者に失望したら国は衰える。
世の大人には、若者のアラを探し「今どきの若い者は」と揶揄したがる癖がある。
彼らと我々がどう違うかばかり考えている。
どこがどう違うかではなくて、どこがどう同じなのか探す努力をするべきである。
若者と我々がどう同じかを探したときに若者への失望はたちどころに消える。

◆今どきの若者が世の中を変えていく。
日本が救われるためには、若者と女性に期待するしかない。

パラダイムの転換、いわゆる「パラダイムシフト」が起こるとき、今までの競争のルールが変わり、競技する場所(事業領域)が変わる。
そして、とんでもない異業種の人が参入してくる。
つまり、今まで戦っていた競争相手が変わるのだ。

たとえば、デジタルカメラでいうなら、競争相手は他社のデジタルカメラだと思っていたら、それが突如スマホに変わった、というようなことだ。
これは、さまざまな業種、業界で起こっている。
あらゆる分野が、ITやAIというデジタルの世界に突入したからだ。

トーマス・クーンは、「古い世代の人たちに世界を変える力はない」という。
だが、変える力はなくても、応援する力はある。
がんばる新人、未来にチャレンジする若者を、気持ちよく応援する大人でありたい
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2020年04月22日

No 5563   【すべてのものが経済で成り立っている】

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おいちゃんのお気に入りブログ【人のこころに灯をともす】からの転載です

【すべてのものが経済で成り立っている】

斎藤一人さんの心に響く言葉より…


すべてのものが経済で成り立っているんです。
そのくらい、経済って大事なものなんです。
常に豊かな人ってのはいるんです。
全員が苦しいわけじゃない。
だから、バブルのときだって苦しんでいた人はいる。

それを左右するのは、戦国時代は強ければよかった。
だけど今は経済を勉強しなさいって神が言っているんです。
20世紀までは戦争の時代。
戦争の時代は戦争を学ぶ。
それで人の命のたいせつさを学ぶ。
21世紀は戦争はなくなった。
人の命はたいせつで、もう殺しちゃいけないってことがわかってきた。

21世紀は経済の時代なんです。
だから経済的なことがどんどん出てくる。
で、誰も逃げられない。

日本という国も国家として経済的戦いがある。
会社もある。
わかるかい?
世界じゅうが経済で戦うんです。
経済の戦争が始まるんです。
個人もそれは避けられない。

神は経済を学べって言ってるんです。
大学で教えているような経済学じゃないんです。
会社に行ったらどこのパートよりも返事がいいとか、このパートを雇って得したとか、使いやすい人間になる。
要は得させるんだよ。
得をさせっこなの。

戦争の時代は殺しっこなの。
経済とは得させっこなの。
日本の製品を買って得させればいい。
それができなかったら、韓国の製品へ行っちゃうんです。

人間も同じです。
サラリーマンの人は、30万もらっているひとなら、50万稼げばいいんです。
おいといて得な人をやめさせる会社はない。
よく「私たちは使い捨てにされた」っていうけど、怒っちゃダメですよ。
使えないから捨てられたんですよ。

100万稼ぐ人を30万で使ってやめさせる社長はいません。
だから、50万の価値のある人間、60万の価値のある人間になる。
価値があるっていうと特殊な能力がないといけないって思うんだけど、使いやすいことなんです。
使いやすくて能力があることなんです。
で、使いやすくて、こういう本を読んで勉強をしたり、経済のことを知ってたらもっといい。
「あいつだけは残したい、あいつだけは」って言われるような人間にならないといけないよ。

『斎藤一人 仕事は面白い (当代きっての実業家が明かす仕事術の神髄!)』マキノ出版

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今、世界中に感染が拡大しているコロナウィルス。
このコロナ危機は、実は経済の危機でもある。
世界中が鎖国戦略をとり、いままでおし進めてきたグローバル経済、世界は一つという戦略がことごとく否定されることとなった。

病気も、疫病も、震災も、結局は経済が絡(から)んでいる。
国の経済に余裕がなければ、今回のような爆発的な蔓延を防ぐことはできない。
同時に、それによって疲弊した会社を立て直すこともできない。

経済は、自分だけが得しようとすると、必ずどこかで滞(とどこお)る。
それを、京セラ創業者の稲盛和夫氏は、経営には「利他の心」が必要だと言った。

それは、「経済」の元々の意味とも共通している。
「経済」という言葉は「経世済民(けいせいさいみん)」が語源だ。
これは、世をおさめ、民を救う、という意味。
つまり、そこには「利他の心」が必要だということ。

斎藤一人さんは、「経済とは得させっこ」だという。
今こそ、人を、まわりを、得させることを考えるとき。
まさに、利他の心でこの国難を乗り切りたい
posted by Dr.モーリィー at 05:21| ちょっと気になる善い言葉 | 更新情報をチェックする

2020年04月21日

No 5562   【催眠術と思い込み】

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おいちゃんのお気に入りブログ【人のこころに灯をともす】からの転載です

【催眠術と思い込み】

小林正観さんの心に響く言葉より…



次のような事実を皆さんが知ると、ちょっと人生観が変わるかもしれません。
催眠術をかけた人に、「この五円玉は熱いです。これからこの五円玉を腕に乗せます」と言いながら五円玉を乗せます。
ところが、その五円玉は熱くはなく、普通の五円玉なのです。
普通の五円玉を腕に乗せるのです。

催眠術にかけられた人が、普通の五円玉を肌につけられて、熱いですよと言われると、「ギャッ」と言って目が覚めます。
「熱い!」と、目を覚ます。
普通の五円玉をくっつけただけなのですが「いやあ、すごく熱かった」とその催眠術にかかっていた人は言います。
あまりに熱かったり、生命の危険をともなったりすることが起こると、催眠術にかかっていた人は目をパッと開いて、催眠状態が一瞬にして解けます。
そして、五円玉を乗せてから、一、二分すると、火ぶくれができます。

普通の五円玉なのだから、熱くはない。
熱かったと本人が認識しただけです。
認識しただけなのに、なんと本当に火傷をしたかのように、水疱(すいほう)ができる。
熱いものをつけたという「認識をした」だけで、体が変化してしまった。

人間の体は、事実に対して反応するのではなくて、「認識」に反応するようです。
すべて自分がどう「認識」するか。
「認識」が主人であって、それに対して体は百パーセン忠実に反応します。

前にも述べましたが、内臓を温めておくとガンになりにくいらしい。
江戸時代の人の体温が平均三七度くらいだったそうですが、今は、三六度くらいで、一度くらい下がっているといわれています。
だから免疫力が低下しているぶん、体温を上げればよい。

もう一つ内臓の温度を上げる方法。
それは「笑う」こと。
笑うことはある種の体操でもあります。
笑いは、心拍数を上げ血圧を上げて呼吸を盛んにし、酸素消費量を増やします。
これは体操したのと同じ状態です。

不機嫌に「つまんない」と言っていると、体温が上がらない。
だから面白くないダジャレを聞いても、「面白い」と言うほうがよい。
笑ったほうがいい。

笑いは、ジョギングなどのスポーツと違って誰でも簡単にできます。
笑うことで健康が手に入るのです。
お金もかからず、こんなラクな方法は他にありません。

『「そ・わ・か」の法則』サンマーク出版

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「プラシーボ効果」という言葉がある。
偽薬効果とも言われ、元はラテン語で「喜ばせる」という意味の単語からきているという。
何の薬効もないただの砂糖やデンプンを、これは最近発見された非常に貴重な薬だ、などと偽って権威ある医師が患者に服用させると、症状が一気に緩和する、というような状態のことを言う。

催眠術でのやけどの実験は、まさに、このプラシーボ効果と同じようなことが体に起きるのかもしれない。
それは、『人間の体は、事実に対して反応するのではなくて、「認識」に反応する 』ということだから。
「認識」とは、ひらたく言うなら、「勘違い」や「思い込み」のこと。

「人生の99%は思い込み」という心理学者の鈴木敏明氏の言葉がある。
まさに、その「思い込み」を変えれば、人生も変わるということ。
やけどもできるくらい「思い込み」に力があるのなら、免疫力アップにも同じように効果があるはずだ。

『「認識」が主人であって、それに対して体は百パーセン忠実に反応する』
今、コロナウイルスで多くの人が不安におののきビクビクして暮らしている。
「不安」や「怖れ」という認識を、「安心」や「希望」に書き変える…

たとえば、「今、自分はどんどん免疫力がアップしている」という思い込みに書き変える。
今、まさに、「笑い」と「ポジティブな思い込み」が必要だ
posted by Dr.モーリィー at 06:10| ちょっと気になる善い言葉 | 更新情報をチェックする

2020年04月20日

No 5561   【人はけっして1人では生きていけない】

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【人はけっして1人では生きていけない】

野村克也氏の心に響く言葉より…



私は高校を卒業してプロ野球選手になるとき、占い師にこう言われた。
「あなたの仕事運は、とてもいい。もし失敗するとしたら、それは女が原因です」
いまにして思えば、さすが京都で「よく当たる」と評判だった先生だけのことはある。

考えてみれば、私がまったく女の人にモテないというのは、子どものときからだった。
女子からまるで人気がなくて、盆や正月に同級生の女の子の家にお呼ばれするようなときにも、なぜか私は声をかけてもらえなかった。
貧乏でみすぼらしい子どもだったからだろうか。
そのうえ、上級生の男の子たちにはよくいじめられた。
それを見つけて私を助けてくれたのが、担任の女の先生だった。
当時、代用教員として赴任していた20歳の若くてきれいな先生だった。

先生は、私の境遇を知って、いつも何かと優しくしてくれた。
放課後は1人だけ残って先生の手伝いをさせてもらったり、おやつをもらったりしていた。
あるとき、先生は、いつも私をいじめている上級生が、校庭でみんなと相撲をとって遊んでいるのを見て、その上級生にこう言った。

「私と相撲しましょう」
先生は、その体の大きな上級生を気持ちいいぐらいに投げ倒すと、私を見てミッコリと笑った。
先生にみんなが拍手喝采をした。
「や〜い。女に投げ飛ばられた〜」
次の日から、上級生はすっかりおとなしくなった。
そして、私はますます先生が大好きになった。

あれは、まちがいなく私の初恋だった。
「俺は将来、この先生みたいな人と結婚したい。美人で優しくて賢くて強くて、こういう最高の女性と一緒に生きていきたい」
ずっとそう思っていた。

そして、いま私の隣にいる古女房は、たしかにだれよりも強い女性だった。
しかし、それ以外は、まるで初恋の先生とは違っていた。
あの占いの先生に言われたとおり、やはり私は女運が悪かった。
この女房のおかげで、私は南海の監督をクビになり、阪神の監督もクビになった。
しかし、いまこの歳になって改めて振り返ってみると、この女房がいたらからこそ、どんなときでも野球を捨てずにがんばることができた。

あのとき、南海を追われて落ち込んでいる私に女房は言った。
「南海なんかやめたってなんとかなるわよ。あなたには野球しかないんだから、もっと野球をがんばりなさい」
そう尻を叩いてくれる人がいたから、ここまで長く野球の世界で生きてこられたのだ。

私はこう見えても気が小さくて人がいい。
そのうえ本当は怠け者だ。
そういう男は、こういう強い女に叱咤激励されなければ何ひとつ満足に成し遂げられないということを見抜かれていたのだ。

だれが見抜いていたのか。
それは神様と女房だ。
どっちも「カミさん」だ。

そう考えれば考えるほど、私は運がいい。
私は結局、仕事運にも女運にも恵まれていたのだ。
感謝、感謝である。
その感謝とは、神様と女房だけでなく、野球への感謝でもある。
野球を通じて出会ったすべての人たちに対する感謝である。

人はけっして1人では生きていけない。
私はミーティングで選手たちにそう言い続けながら、その深い意味を自分に問い続けてきた。

人は人によって生かされていると気づいたとき、人のために何かができる人間になる。
人のために何かができる人間になったとき、人は人の気持ちがわかるようになる。
人の気持ちがわかるようになったとき、私たちは人との縁や運を知る。

『運 「ツキ」と「流れ」を呼び込む技術』竹書房


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運は、「運ぶ」「運送」「運搬」という字にもあるように、運ばれてくるものだ。
つまり、誰かが運んできてくれるもの。
だから、誰と知り合うかが大事だ。

運をもたらしてくれる人と知り合いになった方がいい。
しかし、結婚で言うなら、その運を運んできてくれる人は、必ずしも世間一般に言われる「良妻」だけではない。
それは悪妻でもいいのだ。

古代ギリシャの哲学者ソクラテスの有名な言葉がある。
「とにかく結婚したまえ。良妻なら幸福になれるし、悪妻なら哲学者になれる」

なぜなら、「運」には色がついていないからだ。
良妻がよくて、悪妻が悪いということではない。
これは「病気」が悪くて、「健康」がいいというのと同じ。
病気でも幸せな人はいるし、健康でも不幸な人はいる。

知り合った人との縁を、良くするか、悪くするかは、その人の考え方次第、捉え方次第。
「人はけっして1人では生きていけない」

どんなご縁も大事にする人でありたい
posted by Dr.モーリィー at 06:48| ちょっと気になる善い言葉 | 更新情報をチェックする

2020年04月19日

No 5560   【逆境や困難に慌てない】

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【逆境や困難に慌てない】

新渡戸稲造氏の心に響く言葉より…



人は突然不幸に見舞われると、それがどの程度のものなのか、大きさが分からなくなる。
例えば、足元から急に鳥が飛び立つと、その大きさや種類までも分かってくる。
天災あるいは人による災いに遭遇した時も同じで、その瞬間は目がくらんで真相を見誤ることがある。
そして小さなことを大きく考えたり、大事なのに軽んじたりして、無駄に心を労したりする。

また禍いに見舞われた時、すぐにその始末をすると、その結果が将来まで尾を引いてかえって悪い結果を生じることがあるから、一歩退いて冷静になって対処することが必要である。
もちろん、失火とか病気とか、直ちに対処しなければならないものもある。
しかし火災の後の始末、家の再建などは考える余裕があるし、病気についてはどう対処するか、よく考えた方がいい。

僕の友人で、働きすぎから重い病気にかかった者がいた。
彼が発病した時、彼の妻は非常に心配して泣き出したが、友人が入院した翌日、「自分も非常に驚き疲れたので、3日間保養に行きたい」と言い、友人を看護の人に託して保養に行ってしまった。
3日間過ぎると妻は戻ってきて献身的に友人の介護を始めた。

結局この友人は全快するまでに3年以上かかったのだが、病気が癒えたのち、妻に「あの時保養に行ったのはどういう考えだったのか」と尋ねると、
妻は「あなたの病気が長くかかることが分かり、かつ私もあの時、あなたの病気がショックで吐血しました。看護する大切な役目があるのに自分が病に倒れることがあってはと思い、少し静養して気を静め、あなたの病気にどう対処するか考えたのです」と言った。

すべて禍いや不幸は不意に起こるものである。
慌てず落ち着いて前後を考え、物事の軽重を比較して対処法を考えることが大切である。
やみくもに大変大変と騒ぐとますます逆境に深入りしてしまう。

『逆境を越えてゆく者へ』実業之日本社

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新渡戸稲造氏は本書の中で「逆境」についてこう語っている。
『僕は逆境にある人に、もう少し爪先立ちをして前を見ることを切に願う。
僕はたくさんの青年を知っているが、中には学校の試験に落第した者、校則に違反して退学を命じられた者、商売で失敗した者、養子に行ったが先の人たちと意見が合わなくなった者、病気になり医者から警告を受けた者などいろいろいる。
青年の傾向として、一度落第すればもう学問はできないと思ったり、退学を命じられると世界中に勉強する場所は他にないように思い込んだり、一時意見が合わなくなると永久にその家の人たちとはやっていけないように思ったり、医者から注意されると直(ただ)ちに死の宣告を受けたかのように思ったりする。

こうした時に、「さて、この先は…」と静かに熟考すれば、必ず前途に光が見えるはずである。
かつて、後藤男(だん・後藤新平)からこんな話を聞いた。
後藤が勝海舟を訪れた時のこと、勝翁が「君は医学生なら首の筋肉作用くらいは知っているだろう。ろくに知らない奴が多いんだよ。縦や横に動かすことは知っていても、何か事が起こった時に、チョイット首を伸ばして向こうの先を見通すことのできない奴が多い」と言われた。
まさにそのとおりで、事が起こるとただ慌てふためくばかりで、「さて、この先は…」と首を伸ばすことはなかなかできない。
だから昔の人も、「窮地に陥り勢いのなくなった人は常に初心に帰るべし」と言っている。』

「山を出なければ山は見えない」
という、特別尼僧堂堂長・正法寺住職、青山俊董氏の言葉がある。
我々は、山の中に入り込んでしまうと、今自分がどこにいるのかを忘れてしまう。
これは、逆境や困難という山も同じだ。
その中に入り込むと自分を見失ってしまい、不必要にあわてたり、不安で取り乱したり、泣き叫んだりする。

不安の渦に巻き込まれそうになったときは、自分を他人のように客観視して見る。
「さあ、どうする(自分)」、「さてこの先は…」と突き放してゲームのように見てみる。
そのとき、自分があまりに、真面目過ぎることや、近視眼的であることに気がつき、ニヤリと笑いが浮かんだらしめたものだ。

逆境や困難を越えてゆく者でありたい
posted by Dr.モーリィー at 19:50| ちょっと気になる善い言葉 | 更新情報をチェックする

No 5559   【先生、ぼく、きょう生まれたんだよ】

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【先生、ぼく、きょう生まれたんだよ】

吉岡たすく氏の心に響く言葉より…



「先生、ぼく、きょう生まれたんだよ」
と、ミツオくんが、嬉しそうに話しかけてきました。
そこで、私が、「そう。ミツオくんも生まれたときは、ほんとうに小さかったんだろうな。それが、おとうさんやおかあさんのおかげで、こんなに大きくなったんだね。どれくらい重くなったのか、先生が、はかってあげよう」
と、言いながら、ミツオくんを抱きあげました。
ミツオくんは少しはずかしそうに笑っています。

それを見た子どもたちは、歓声をあげました。
そこで、私は、ミツオくんを抱きあげたまま、子どもたちに、
「これから、先生がミツオくんを抱いたままみんなの前を通るから、ひとりずつ、ミツオくんと握手して『おめでとう』を言って、お祝いしてあげようね」
と、話しますと、子どもたちは手をたたいて喜びます。

私は、ミツオくんを抱いて、みんなの前を通りました。
子どもたちは、ミツオくんと握手をして『おめでとう』と言いました。
そのたびに、ミツオくんは『ありがとう』とお礼をしていました。
みんな、ほんとうに嬉しそうでした。

私は全部の子どもの前を通ってから、ミツオくんを席まで、抱いていきました。
そして席におろして、私も握手をしながら「お誕生日おめでとう」と心から祝いました。
ミツオくんは顔をまっ赤にしていました。
そして、にこにこ笑っておりました。

そのあくる日、ミツオくんのおかあさんから、手紙をいただきました。
「ミツオは毎日学校から帰ってまいりますと、よほど疲れるのか、『ただいま』という声も聞こえないくらい小さい声です。
そして、座敷にあがってくるなりごろんと横になってしまいます。
ところが、きょうはずいぶんかわっていました。
『ただいま』という声も、びっくりするような大きな声です。
そしてハアハア肩で息をしながら、私のそばに走ってきて『おかあちゃん、ぼくね、先生に抱いてもろたよ』と申します。
そしてそのあと、座敷中をポンポンとびながら『先生に抱いてもろた、先生に抱いてもろた』と大はしゃぎです。
私まで嬉しくなってしまいました。
先生ありがとうございました」

この手紙をよんで、私自身驚きました。
何かなにげなく抱き上げたことが、ミツオくんにとっては、こんなにも嬉しいことであったとは思いもよらなかったのです。
私は手紙を何度もよみかえしながら、教室に行きました。
そして教室の中にはいりました。
すると、二三人の子どもが走ってくるなり、大きな声で、
「先生、ぼく、あさってやで。たのむよ。抱いてや」
「ぼくもやで」
と、言うのです。

誕生日の予告申し込みです。
その日から、私の学級では、その子どもの誕生日には、その子どもを抱きあげることになったのです。

『サスケと小さいサムライたち (1979年) (PHP books)』PHP

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今の時代は、学校で先生が、子どもを抱きあげる、さわる、というような行為はセクハラやわいせつ行為になってしまう可能性が高い。
まして、コロナウイルスが猛威を振るっている現在は、社会的距離(ソーシャルディスタンス)を取らなければならないし、顔をマスクで覆わなければいけない。

今まさに、昔から良しとされていた、多くの価値観がガラッと変わってしまった。
ふれあい、ハグする、ハイタッチ、抱きしめる、握手をする。
そして、コミュニケーションにとって最も大事な笑顔もマスクで見えない。

これらは、自己重要感を高めるのにとても大事な要素だ。
自分はまわりから大切にされている、と。
これは、何も子どもたちだけの話ではない。
大人になっても、老人になっても、このことはとても大事だ。

だが、今は、仕方がない。
しかし、このコロナ騒ぎが収まった暁(あかつき)には、なんとしても、この人と人との温かなふれあいだけは忘れないでいたい。
ただ、先生が子どもを抱っこするというのはこれからも色々な問題で難しいとは思うが…

さまざまなコミュニケーションを通して、自分も人も、自己重要感を高める。
親子で、夫婦で、親しい人同士で、温かなつながりを持つこと。
とりわけ、誕生日はその絶好の機会だ。

誕生日は素敵な一日としたい
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2020年04月18日

No 5558   【正義中毒】

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【正義中毒】

脳科学者、中野信子氏の心に響く言葉より…


「清純な優等生キャラで売れていた女性タレントが不倫をしていた」
「飲食店のアルバイト店員が悪ふざけの動画をSNSに投稿した」
「大手企業がCMで差別的な表現をした」

もちろん、不倫は法律上してはいけないことですし、店の営業妨害になるような動画の投稿は刑事罰につながることもあります。
また、CMなどで特定の人たちを差別するような表現を用いることも問題でしょう。
しかし、自分や自分の身近な人が直接不利益を受けたわけではなく、知りもしない相手に非常に攻撃的な言葉を浴びせ、完膚(かんぷ)なきまでに叩きのめさずにはいられなくなってしまうというのは、「許せない」が暴走してしまっている状態です。
我々は誰しも、このような状態にいとも簡単に陥ってしまう性質を持っています。

人の脳は、裏切り者や、社会のルールから外れた人といった、わかりやすい攻撃対象を見つけ、罰することに快感を覚えるようにできています。
他人に「正義の制裁」を加えると、脳の快楽中枢が刺激され、快楽物質であるドーパミンが放出されます。
この快楽にはまってしまうと簡単には抜け出せなくなってしまい、罰する対象を常に探し求め、決して人を許せないようになるのです。

こうした状態を、私は正義に溺れてしまった中毒状態、いわば「正義中毒」と呼ぼうと思います。
この認知構造は、依存症とほとんど同じだからです。

有名人の不倫スキャンダルが報じられるたびに、「そんなことをするなんて許せない」と叩きまくり、不適切な動画が投稿されると、対象者が一般人であっても、本人やその家族の個人情報までインターネット上にさらしてしまう、企業の広告が気に入らないと、その商品とは関係のないところまで粗探(あらさが)しをして、あげつらう…
「間違ったことが許せない」
「間違っている人を、徹底的に罰しなければならない」
「私は正しく、相手が間違っているのだから、どんなひどい言葉をぶつけても構わない」

このような思考パターンがひとたび生じると止められなくなる状態は、怖ろしいです。
本来備わっているはずの冷静さ、自制心、思いやり、共感性などは消し飛んでしまい、普段のその人からは考えられないような、攻撃的な人格に変化してしまうからです。
特に対象者が、例えば不倫スキャンダルのような「わかりやすい失態」をさらしている場合、そして、いくら攻撃しても自分の立場が脅かされる心配がない状況などが重なれば、正義を振りかざす格好の機会となります。

『人は、なぜ他人を許せないのか?』アスコム

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小林正観さんは「正義感」についてこう語っている。

『人間が怒ったり、腹を立てたりするのは、どこからくるのかというと「正義感」から生じていることが多いようです。
自分が正しくて、相手が間違っていると思ったときに人は腹を立てる。
相手を追及したくて、非を認めさせようと思って「正義感」を振りかざして怒っているのですが、実は誰よりも腹を立てている自分が損をする仕組みになっています。
損得勘定でいうと、あまりプラスにならないことを一生懸命やっている。
キリストの言葉にこのようなものがあります。
「裁く者は裁かれる。裁かぬ者は裁かれない。許す者は許される。許さぬ者は許されない」
投げかけたものが返ってくる。
投げかけたものが自分のまわりを取り囲んでいます。
私は、これまで、「人格」の勉強をしてきた結果、最後まで残る「怒り」「憎しみ」という感情は、実は「正義感」から発生するものであるらしい、ということがわかりました。
「人格者」というのは、正しさを「正義感」でもって振り回している人のことではありません。
真の「人格者」とは、どんな状況であっても、腹を立てない、怒らない、イライラしない。
常に「ありがとう」を言い、常に出てくる言葉が肯定的であり、常に言動で人を和らげ、穏やかにすることができる。』(努力ゼロの幸福論)

昨今は、SNSなどで、正義感を振りかざしてヒステリックになって怒ったり、誹謗中傷(ひぼうちゅうしょう)する人が多い。
特に、名前を出さず匿名(とくめい)でやっている人は、より過激で、攻撃的で、汚い言葉になりがちだ。
自分が傷つかない安全なところにいるからだ。

正義感があることそれ自体は素晴らしい事だが、それが強すぎると問題だ。
敵をつくってしまったり、相手を傷つけてしまったり、人の言うことを聞かないやっかいな人になってしまう。

「正義感中毒」の人ではなく…
ゆるす人、イライラしない人、怒らない人でありたい
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2020年04月17日

No 5557   【偏見にみちた言葉で攻撃されてしまったとき】

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【偏見にみちた言葉で攻撃されてしまったとき】

明治大学教授、堀田秀吾(しゅうご)氏の心に響く言葉より…


偏見は、否定的な感情や思い入れ、プライドやイデオロギーなどを伴うものであるだけにやっかいです。
ある対象を「大嫌い」と思っている人に「その考え方は間違っている」と言っても、感情的な部分から反発が生じやすく、効果が出ない可能性が高いでしょう。
これを説得するには、否定するよりも、相手のマイナスを塗りつぶせるような、プラスの新しい情報を伝えることがおススメです。

そこで紹介したいのが「無効化」という方法です。
これは、北海道大学の尾崎一郎氏らの研究です。
偏見を含んだ発言というのは、往々にして対象を攻撃するという意図があります。
たとえば、SNSやネットの掲示板で、隣国の悪口を書く人たちがいます。
発言者は、その発言によって、隣国の人たちを侮辱したり、傷つけたりしたいのです。
そういう意図がないなら、わざわざ公の場に書き込まず、自分の日記にもでも書いておけばいいわけですから。
無効化という方略は、その攻撃力を削ぐ方法です。

以前、サッカーのキング・カズこと三浦知良さんが、現役を続けていることに対し、元プロ野球選手で野球評論家の張本勲さんから、某テレビ番組で「若い選手に席を譲らないと。団体競技だから、伸び盛りの若い選手が出られない。だから、もうお辞めなさい」などと言われたことがありました。
スポーツ選手の年齢に関する偏見が、もとになった発言です。
この発言を受けて、ネットもメディアも炎上しました。
しかし、キング・カズは、やはり役者が違います。
次のように返したのです。

「張本さんほどの方に言われるなんて光栄です。『もっと活躍しろ』って言われているんだなと。『これなら引退しなくていいって俺に言わせてみろ』ってことだと思う。
張本氏の「侮辱」のことばを「激励」ととらえたのです。
これには、世間も当の張本さんも絶賛。

アスリートの先輩に対して顔を立てつつ、攻撃の無効化に成功しました。
「反動蹴速迅砲(はんどうしゅうそくじんほう)」というのは、サッカーマンガ『キャプテン翼』の中で、ある登場人物が使う、相手のシュートをそのまま蹴り返すカウンターシュートのことです。
キング・カズの切り返しは、相手の攻撃を見事に返して点を取ったということで、まるで反動蹴速迅砲のようでした。

こういった無効化は、必ずしもすぐに効果があるとは限りませんし、空振りに終わることもあるでしょう。
でも、そこであきらめてしまっては何も変わりません。
不毛に見えても、少しずつ上書きしていくことで、いつか認識が変わるときが来るかもしれない…。
そう信じて、意識的に偏見に立ち向かい、矯正しようとする姿勢も大切です。

『「勘違い」を科学的に使えば武器になる 正しい話し方よりも納得される伝え方』秀和システム

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相手の攻撃を無効化するには、ユーモアで返すという方法がある。
第43代アメリカ大統領のジョージ・ブッシュの話がある。
『ブッシュ大統領は、 メジャーリーグのボストン・レッドソックスがワールドシリーズを制して、 メンバーがホワイトハウスを訪問した際、絶妙のジョークを披露した。
というのも当時、各メディアはブッシュ大統領の知性や知識、 さらにはボキャブラリーの貧困などをやり玉に挙げていたからだ。
メジャー制覇に貢献した松坂大輔投手を紹介するスピーチの際、彼はこういった。
「 英語で苦労しているという点では、私も大輔と同様だ」』(一流の人の話方)より

偏見に満ちた意見を持っている人を説得したり、考え方を改めさせるのは難しい。
仮に、その場では、相手を言い負かすことができたとしても、心から納得はせず、いつまでも根に持ったりするものだ。
だから正面突破ではなく、「ずらす」「はずす」「いなす」「肩透かしを食わす」「ひねりを利かす」「裏をかく」「フェイントをかける」と言うように、「無効化」が必要だ。

偏見でみちた言葉で攻撃されてしまったとき…
キング・カズのような切り返しができたら最高だ
posted by Dr.モーリィー at 07:48| ちょっと気になる善い言葉 | 更新情報をチェックする

No 5556   【その悪口はあなたのものになる】

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おいちゃんのお気に入りブログ【人のこころに灯をともす】からの転載です

【その悪口はあなたのものになる】

高野山真言宗功徳院住職、松島龍戒氏の心に響く言葉より…



お釈迦さまの一行が、竹林精舎(ちくりんしょうじゃ)に滞在していたときのこと。
この地域で多くの信者を抱えているバラモンの地位にあったアッコーサカは、自分の信者が、次々にお釈迦さまの教団に宗旨替えしていくのを、とても腹立たしく思っていました。
しかも、自分の身うちである兄の妻がお釈迦さまに宗旨替(しゅうしが)えしてしまったことや、その妻を呼び戻そうと、お釈迦さまのもとに出向いた兄までもが、自分を見限りお釈迦さまの教団に出家してしまったことに、不満を募らせていました。

ある日、アッコーサカは我慢の限界とばかり、お釈迦さまのものへ怒鳴り込んだのです。
「ゴータマよ。よくも私の教団の信者を横取りしたな!
私の兄夫婦をうまく丸め込んで、自分の信者にするなどとんでもない。
おい、ゴータマの弟子たちよ。
お前らの崇拝するゴータマは、ブッダとは名ばかりとんでもない男だぞ!」
と、お釈迦さまの弟子たちに向かって次々と悪口を浴びせました。
お釈迦さまは、弟子たちが彼を止めようとするのを制し、言い終わるのをじっと待ち続けました。

ひとしきり悪口を言い終えたアッコーサカに、お釈迦さまが尋ねます。
「あなたはお客さまに、食事のおもてなしをすることがありますか」
「もちろんあるとも」と、アッコーサカ。
さらにお釈迦さまが尋ねます。
「ではもし、お客さまがその食事に手をつけなかったら、その食事は誰のものになりましょうか」
アッコーサカは間髪(かんはつ)を入れず、
「食べてもらえなければ、それは私のものとなるほかはないだろう」と答えます。

その答えを待っていたようにお釈迦さまは言いました。
「それでは私は、今日あなたが並べ立てた数々の悪口をいただかないことにしましょう。
そうすれば、その悪口はあなたのものになるほかないですね」
さらにたたみかけるように、続けます。

「あなたに悪口を言われ、怒りにまかせて私が言い返してしまったら、それはあなたと食事をともにするのと同じことです。
私や私の弟子たちは、決してあなたと食事を供(とも)にすることはないでしょう」
アッコーサカは、さんざん並べ立てた悪口が、結局自分に返ってきたことに気づかされました。
(相応部経典)より

『おやすみ前の3分音読で嫌なことがスーッと消えるほとけさまの話』徳間書店

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我々は人から、いわれのない非難を受けたり、理不尽な悪口を言われたりすると、たいてい反論してしまう。
どちらが正しいか決着をつけよう、と思ってしまったりもする。
しかし、たとえ相手を打ち負かしたところで、相手は心の底から納得はしないし、逆にそれを根に持ったりするものだ。

批判や非難、悪口雑言は受け取らないこと。
こちらが受け取らなければ、相手のものになる。
しかし、やり返せば、相手と一緒に食事をすることになってしまう。

旅はどこへ行くかではなく、誰と行くかが大事だという。
食事も同じで、何を食べるかではなく、誰と一緒に食べるかが大事。
なにも、悪口をいう嫌な相手と、我慢して一緒に食事をすることはない。

批判や非難は、にこやかにやりすごし…
悪口を受け取らない人でありたい
posted by Dr.モーリィー at 06:42| ちょっと気になる善い言葉 | 更新情報をチェックする

2020年04月16日

No 5555    5555回!

単に ぞろ目で めでたいなあと!

今後もコツコツと頑張ります!

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posted by Dr.モーリィー at 07:46| ライフワーク | 更新情報をチェックする

2020年04月15日

No 5554   【小休止のすすめ】

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おいちゃんのお気に入りブログ【人のこころに灯をともす】からの転載です

【小休止のすすめ】

ヒロミ氏の心に響く言葉より…



人生は何が起こるかわからない。
この使い古された言い回しを、僕は53歳になった今、実感を込めて使うことができる。

1986年に21歳でデビット伊東、ミスターちんと3人でB21スペシャルを結成して以来、約20年、タレント・ヒロミとして芸能界の一線でやってきた。
テレビのレギュラー番組は途切れず、テレビ欄から名前が消えることもなかった。
空気の変化を感じたのは40歳を迎える直前のこと。
プロデューサーやディレクターから「ヒロミさん、もうちょっと丸くなれない?」と言われることが増えていった。

何か不祥事を起こしたわけではない。
しかし、潮が引くように出演番組が終わっていく。
僕は世間から、スポンサーから、「タレント・ヒロミ」が求められなくなっていることを強く感じた。
それでもしがみつき、テレビの仕事を続ける選択肢もあっただろう。
ただ、その先に待っていたのは、支えてくれた番組スタッフからの「ヒロミさん、つまらないから芸能界に席はないです」という最後通牒だったとも思う。

僕は、求められていない感の中であがいて、しがみつくよりも自分の意思で線を引くことを選んだ。
「タレント・ヒロミ」を小休止させよう、と。
これは誰にも相談せずに決めた。
「俺、時代に合わなくなってきた」と感じたからだ。

おじさんと呼ばれる年齢になっての、初めての大きな挫折だった。
若いうちに売れず苦労して挫折感を味わいまくる人、50歳でリストラされて途方に暮れる人。
挫折と向き合うタイミングが違うだけで、誰もが一度は「きついな」という局面に対処しなくちゃいけなくなる。
人生はそういうふうにできているのだと思う。

タレント・ヒロミを小休止し始めた頃から、20代のベンチャー企業の経営者たちと遊ぶ機会が増えた。
仕事に邁進するための一時の小休止を求める彼らから「遊びを教えてください」と言われ、釣りやウォータースポーツ、キャンプなど、いろんな遊びに連れ出した。
遊びのアニキと慕ってもらう一方で、僕は彼らからビジネスを学んだ。
そして、「ビジネスもおもしろそうだ」「芸能界じゃなくてもやっていけるんじゃないか」と思い、規模は比べれられないほと小さかったが、「トレーニングスタジオ515」を始めることにした。

「起業家ヒロミ」になって、人を雇い、店舗を増やし、ビジネスの世界に足を踏み入れた。
芸能界とはまったく異なるルールと習慣。
小休止を取って別の世界に身を置くと、まったく違う景色が見えてきた。

それから約10年、2014年あたりからまた急に風向きが変わり始めた。
タレント・ヒロミが求められるようになったのだ。
長い小休止の間、心のどこかで「また俺みたいなキャラクターを求めてくれる人が現れることもあるのかな」とは考えていた。
しかし、本当にそうなるとは思っていなかった。
始まりはママのことを話すワンコーナー。
そこから4年で状況はがらりと変わった。
正直、自分でも「なんで急に?」という気持ちが抜けない。
50歳になって再ブレイクなんて言われる日がくるとは夢にも思っていなかった。

変わったことと言えば、小休止の時間を経て力の抜きどころが見極められるようになったことだろう。
実際、戻ってきてから旧知のスタッフや先輩から「最近、力抜けていいよね」と言ってもらえる。
ブランクがあったおかげで、「8割の力加減で、周りを活かすとうまくいく」と気づけたのだ。

『小休止のすすめ (SB新書)』(ヒロミ&藤田晋)

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ヒロミ氏は、「引き際」について本書でこう語る。
『10年、休んでみて、あのとき自分から身を引いた判断は間違っていなかったと思っている。
気持ちを半分、芸能界に残して「出たいんだけど、出る番組がない」「今でも呼ばれれば出ます」とどっち付かずにやっていたら、次へ進めなかったはずだ。
引き際よく、実績も何もかも手放してしまうこと。
それが次につながる評価に変わっていくんだと思う。
ボクシング連盟や体操協会など、アマチュアスポーツの世界でスキャンダルが相次ぎ、引き際を間違える偉い人の姿が、毎日、テレビに映し出されているときがあった。
もめて炎上している人たちほど、なかなか辞めない。
これまでの功績を盾に、細かな「言った、言わない」で争っている。
引き際さえ良ければ次があるはずなのに、もめればもめるほど印象が悪くなり、その人が本来持っていたはずの魅力まで失われていく。
もし、あなたが、引くべきか、しがみつくべきかの選択を迫られる場に向き合うことがあったら、ぜひ、自分の意思で引くことを選んでほしい。
しがみつこうとしている場を手放すことで、必ず再起に繋がる次の何かを掴むことができる。
そのとき引き際を汚さなかったあなたには、必ず支えてくれる人が現れる。』

伊藤肇氏の「出処進退」についての話がある。
『「東洋人物学では『出処進退(しゅっしょしんたい)』と『応対辞令』とが、人物を見る二つの柱となっている」と安岡先生から教わった。
「出処進退」では、特に「退」が重視される。
「退」には、ごまかしのない人間がそのままでるからである。
女々しい奴は、いつまでもポストに恋々(れんれん)とするし、智慧(ちえ)があって、男らしい奴は最盛期にさらりと退く。
「己を無にすること」と「仕事への執着を断ちきる作業」をした上でさらに出処進退の大原則である「進むときは人まかせ、退くときは自ら決せよ」(越後長岡藩家老 河井継之助)を実践するのである。
せっかく困難な二つの作業をやっておきながら、「退」を人に相談したら、それは茶番劇となる。
誰が、相談を受けて「いい時期だから、おやめなさい」という奴がいるものか。
「まだまだ、おやめになるのは早いですよ」と、止めるに決まっている。
それをいいことに居座ったら、老醜をさらすことになる。
いうなれば「退」は徹頭徹尾、自らを見つめ、自らを掘りさげて行動しなければならぬから、自然に日ごろの心栄えが一挙手一投足に反映する。
だから、そこのところを凝視しておれば、ホンモノかニセモノかがよくわかる、という寸法である。』(帝王学ノート)より

会社においても、自治会や、ボランティアの役職においても、出処進退、とりわけ退(しりぞ)き方や辞め時は大事だ。
いかに、鮮やかに退くかを見られている。
退くとは、元外務大臣の広田弘毅(こうき)氏の句、「風車 風が吹くまで 昼寝かな」のように、「小休止」の時でもある。

人生において…
時には、「小休止」も必要だ
posted by Dr.モーリィー at 06:53| ちょっと気になる善い言葉 | 更新情報をチェックする

2020年04月14日

No  5553   【人間関係をぶち壊す三点セット】

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おいちゃんのお気に入りブログ【人のこころに灯をともす】からの転載です

【人間関係をぶち壊す三点セット】

萩本欽一氏の心に響く言葉より…



「笑い」が遠くなる三点セットをご紹介しましょう。
この三つが揃えば、返ってくるのは笑顔ではなく沈黙。
空気は突然重くなり、多くの人はうまく対応できません。
「人間関係をぶち壊す三点セット」と言ってもいいでしょう。

その三点とはこれです。
「顔が怖い」、「セリフが怖い」、「音程が低い」。
顔の怖さとは、もちろん顔のつくりではなく、表情のこと。
普段の笑いが少ない人ほど、顔が怖くなりやすいと思います。

笑うとき、僕たちは顔の筋肉を動かすわけですよね。
ワハハと大笑いをするときは、頬骨の下にある大頬骨筋(だいきょうこつきん)という筋肉が動いて、大きな口を開けさせるのですって。
筋肉は使えば鍛えられますから、いつも笑っている人は笑みを浮かべた表情がつくりやすくなります。

その逆で、普段から笑っていないと笑顔がつくりにくくなるんじゃないかな。
運動不足がつづくと身体の筋肉や関節が固くなってくるでしょ。
それと同じように、顔の筋肉だって固まってしまうのだと思う。
これを避けるために、自分が好きなコメディアンのビデオなんかを観て、日頃から笑う訓練をしておくのもいいですね。

「セリフが怖い」と「音程が低い」は、簡単にセットになります。
相手を脅すようなセリフを思い浮かべて、心の中で言ってみてください。
低〜いトーンのほうが似合うと思いませんか?

怖いセリフと低い声は、二つ揃っただけでも相手に脅威を与えてしまいますから、どちらかを崩す練習をしておいたほうがいい。
声のトーンをあげるほうがやさしいと思います。
たてば少年野球の監督が怖い顔、怖いセリフ、低い声で「もうお前なんか出さない!」と言ってしまうと、父兄から文句がくるかもしれません。
これも思いっきり声を高くして、「もうお前なんか出さない!」と言ってみれば、「あ、監督は完全に本気で怒っているわけではないな」と察してもらえるのではないでしょうか。

えっ、察してもらえなかったら?
そういうときは、父兄から三点セットで大クレームがきちゃうかもしれませんね。

『ダメなときほど笑ってる? ~失敗をぜ~んぶ「笑い」に変える方法 (廣済堂新書)』廣済堂新書

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萩本欽一さんは、本書の中でこんなことを言っている。
『うれしいとき、ほっとしたとき、人は自然と笑顔になる。
それを目の前で見ると、自分も笑顔になれます。
だから普段から、周囲の人たちを笑顔にする方法を考えて生きていれば、自分の人生にも楽しいこと、いいことがたくさんやってくるんじゃないかな。
僕たちコメディアンは、お客さんに笑っていただくのが仕事です。
浅草の軽演劇で言えば、「声の調子」「言葉」「動き」、そして「話の展開」で笑わせます。
考えてみれば、これって、コメディアンに限らず、人とコミュニケーションをとるときにも大事な要素でしょ。
この四つのバランスが崩れると人間関係がギクシャクすることもあるし、不用意な言葉で相手を傷つけてしまうこともあります。
笑いのなかでも「嘲笑」「冷笑」なんて、見たくありませんよね。
日常生活に必要なのは、気持ちのいい笑いです。
気持ちがいいと、人は自然と顔の筋肉がほぐれ、笑みが浮かんできます。
まずはこれ、「相手の頬をゆるませる」ことを目標にするといいかもしれません。
あの人の話を聞いていると、なんだか楽しい気分になるな、と』

斎藤一人さんは、出世するには「大きな声を出すこと」だという。
「おはようございます」という挨拶も大きな声でする。
大きい声であいさつする人は、「こいつの何か言うと反撃される」と無意識に思われるので、あまり怒られないという。
そして、声は「ドレミファソ」の「ソ」の音程がいい。
大きな声で、ちょっと声を高くして「ソ」の音で話せば印象は変わってくる。

そして同時に、盛り下がる言葉を言わない、ともいう。
盛り上がる言葉の反対が、盛り下がる言葉。
相手を一瞬にして冷やすような言葉だ。
すると、笑顔が消える。

笑顔と、盛り上がる言葉と、明るくて大きな声を心がけたい
posted by Dr.モーリィー at 06:54| ちょっと気になる善い言葉 | 更新情報をチェックする