2020年02月29日

No 5495   【ワクワクすること】

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おいちゃんのお気に入りブログ【人のこころに灯をともす】からの転載です

【ワクワクすること】

大嶋啓介氏の心に響く言葉より…


いま、多くの学びは「やり方」に焦点が当たっています。
しかし、僕たちの人生において重要なことは「やり方」ではありません。
「あり方」です。
そう、大切なことは「生き様」なのです。

チームづくりにおいて、リーダーが「どんな心で」「どんな姿勢で」「どんなあり方で」仲間と接しているのか。
それこそが、もっとも大切なことです。

「リーダーのあり方で、もっとも大切なことは何?」
と聞かれたら、僕は間髪いれずに、
「ワクワクしていること」
と答えます。
「ワクワクで成功できるのか?」と聞かれたら、
「ワクワクでしか成功は続かない」
と即答します。

脳科学の視点からメンタルトレーニングを指導してくださった西田文郎先生は、
「成功する人には、成功する脳の状態がある。
成功する人は、ワクワクしているから潜在能力が引き出され、成功していく。
成功したからワクワクするのではない。
ワクワクしているから成功するのだ」
と言われています。

成功者や究極のリーダーたちは、“感情が先で結果が後”だったのです。
「心が変われば行動が変わる。行動が変われば結果は変わる」という言葉があるように、心が変われば、結果が変わります。
心×行動=結果
どんな心で×何をするか=結果(未来)

「人生は100年の夏休み」
この言葉、僕が日本一大好きな作家ひすいこたろうさんの言葉です。
自分の人生を100年の夏休みだと思うと、ワクワクしてきませんか?
夏休みだったら「楽しもう!」となりますよね!
この人生の夏休みを、あなたはどう過ごしたいですか?

同じくひすいさんの著書で『あした死ぬかもよ?』という、30万部を超える大ベストセラ―があります。
その本のなかに、このようなことが書いてあります。

『アメリカのある地域では、90歳になるとアンケートがおこなわれるそうです。
「90年間の人生を振り返って、もっとも後悔したことは何ですか?」
この問いに対して、なんと9割の人がまったく同じ回答だったのです。
90歳のほとんどの人が後悔することって、何だと思いますか?
答えは、
「もっと冒険しておけばよかった…」
なのです。』

ワクワクとは、心が喜んでいる最上級の状態。
心から喜びがわいてくる状態。
つまり「ご機嫌でいる」「楽しむ」ということです。

『世界一ワクワクするリーダーの教科書』きずな出版

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大嶋氏は本書の中で、「運を良くする方法」についてこう語る。

『伊勢神宮の前に、修養団という研修施設があります。
そこの寺岡講師に、運をよくする方法を教えていただきました。
運を良くする最高の方法、あなたは、いったい何だと思いますか?
ヒントは、神さまがもっとも喜ぶことです。
神さまはお母さんみたいな存在だそうで、僕たち人間は神さまにとっては子どものよう存在。
「神さま=お母さんがもっとも喜ぶこと」がヒントです。
さあ、何でしょう?
答えは、
「今日一日を喜んで生きること」
僕たちが「今日も幸せだな」「仕事ができることに感謝だな」と、いまに幸せを感じて喜んで生きることが、神さまにとってもっとも嬉しいことだそうです。
喜んで生きている人に、運を運んでくれるのだそうです。』

樹木希林さんは「面白がる」についてこう語る。
『面白いわよねぇ、世の中って。
「老後がどう」「死はどう」って、頭の中でこねくりまわす世界よりもはるかに大きくて。
予想外の連続よね。
楽しむのではなくて、面白がることよ。
楽しむというのは客観的でしょう。
中に入って面白がるの。
面白がらなきゃ、やってけないもの、この世の中。』(一切なりゆき)より

面倒なことも、ややこしいことも、困難も、病気も…
それを「面白がる」ことができたら、人生は最高だ。

人生を、
ワクワクして、面白がって生きていきたい
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No 5494   【誰にも、何か理由がある】

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【誰にも、何か理由がある】

大久保寛司氏の心に響く言葉より…



ときどき思いもよらないことを言う人がいます。
たとえば、こんな風です。
私が拙著の感想を尋ねると、「何ページの何行目の字が違っていましたね」。
あるときなどは、「値段が高いですね」と値段を指摘してくださる方もいました。

それを感想というのだろうか…と思いつつ、そうした思いがけない意見にも、最近、動じずに明るく返すことができるようになりました。
「すみません。おいくらならよろしいですか?」
と間髪を入れずに質問します。
あるとき「150円」という値がついたことがあります。
一冊1600円の本が、150円に下値更新です。
一所懸命つくった本を「150円」と言われて、寂しい気持ちになりましたが、
「彼はなぜそのように考えるのだろう」
と疑問をもつと、新しい研究課題の発見です。

人の見方や考え方を制限したり、強制したりすることはできません。
ですから、「え?」と驚くような意見に出会ったら、「なぜ?」と考えるのです。

「どうしてあんなばかげた質問に、ニコニコ笑って答えていたのですか。よく否定も非難もしませんでしたね」
と言われることがあります。
簡単なことです。
ばかげた意見と言うけれど、本当にばかげているかどうかは、その時点ではわからないからです。
もしかすると、私が勘違いをしているかもしれません。
突飛な意見や発想は、新しい可能性を秘めているかもしれないのです。
「新たな可能性」の確率はあるいは少ないかもしれません。
それでもゼロではありません。

「おいくらでしょうか」と自分の疑問をぶつけてみる。
また、この「ひょっとすると」は、相手の話を一度は真剣に聞くことにもなります。

不思議なものでそうなると、突飛な意見を言う人の発想のもとを知りたい、とも思うようになりました。
優劣や善悪、常識・非常識で判断するのではなく、相手の「心の構造」に関心を寄せるのです。
心の構造は、癖のようなものです。
それを知ることは、相手を理解する手がかりになります。

一番悪いのは、話の途中で「この人はダメだ」とさじを投げてしまうことです。
さじを投げたとたん、心の構造の向こうにあるその人の「メッセージ」を見落とします。
相手との距離も広がります。
突飛な意見や変な意見でも、真剣に聞いてみてください。
新しい発見があれば、幸せになります。

『月曜日の朝からやる気になる働き方』かんき出版


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人は、その人の表面的な言葉や態度に反応してしまう。
その意見や態度の背後には、その人自身の何等かの理由や事情があるかもしれないのに…。

アメリカのある有名なコンサルタントの話がある。
『ある日、電車に乗ったところ、子どもが電車の中を走り回って大騒ぎをしていたが、その父親はそれを何も注意しなかった。
見かねてそのコンサルは、父親に「子どもをなんとかしてください」と言いに行ったという。
するとその父親は、
「そうですよね、注意しなければいけないですよね…。
実は、今朝妻が亡くなったんです。
それを子どもたちに、どう伝えようかと今考えていて…
本当にごめんなさい」、と。
コンサルはその父親の話を聞いて深く反省し、「誰にもその行動の背景には、何か理由がある」と思うようになったそうだ。』

突拍子もない意見が出たり、面と向かって批判されたりしたとき…
カチンとこないで、冷静に、
「なぜそう思うのですか?」と尋ねることができる人でありたい
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2020年02月26日

No 5493   【「不幸そう」にしていたら、脳は「不幸」を連れてくる】

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【「不幸そう」にしていたら、脳は「不幸」を連れてくる】

斎藤一人さんの心に響く言葉より…


オレの味方も脳なんだよ。
みんなの味方も脳なんだよ。
でも、敵も脳なんだよ。
敵も味方も外にはいないんだよ。
頭の中でさぼろうとしているヤツがいるんだよ。

脳を働かせるコツは
「おかしい」
この言葉ですよ。
「私が成功しないのは、おかしい」って、自分の脳に言うんですよ。
これだけいい話を聞いたのに、「いい話聞いた」って納得しちゃダメなんだよ。
「いい話聞いて、幸せにならないのは、豊かにならなかったら、おかしいんだ」って思うんですよ。
わかるかい?
すぐ脳がサボろうとしてるんですよ。
みんなね、脳というこのジャジャ馬にやられちゃダメだよ。

それから、病気を利用しちゃダメだよ。
病気を一回利用すると、あいつ何回でもそれを味しめるとやるからね。
だって、具合が悪いって言えば済むもん。

町会で呼び出されようが、なにしようが、「病気です」って言えば行かなくて便利なんだよ。
便利だけど、あいつを利用すると、あいつにズルズルズルズル引きずられていっちゃう。

一生は一回しかないんだよ。
バカバカしくて、病気なんかしていられないよね。
貧乏も嫌だよね。
「天国言葉を話しなよ」って言ってるけど、「誰に言うんですか?」って、自分の脳に言うんだよ。
「幸せだ、幸せだ」ってずっと言っていたら、脳はしょうがないから、幸せな現象を連れてくるんだよ。

不幸そうにしていたら、不幸を連れてくるんだよ。
これが、一人さん流の精神論なんだよ。
わかってくれなくても、いいんです。
ただそうなんです。

『成功脳 [音声特典付] (ロング新書)』

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病気を都合よく利用すると、いつか病気に利用されるようになるという。
つまり、仮病で休んだりするのを繰り返すと、いつか本当の病気になってしまう、ということだ。
また、スーパーやコンビニにある身障者用の駐車場に、平気で車を止める健常者がいる。
これも仮病と同じで、都合よく使わない方がいい、ということだ。

そして、「私バカだから」という人もいる。
謙遜して言っているつもりだろうが、この人も確実に本当のバカになっていく。

天国言葉とは、「ついてる、うれしい、楽しい、感謝してます、幸せだな、ありがとう、ゆるします」。
「幸せだ、幸せだ」と言っていたら、脳は「幸せ」を探し出して連れてくる。
「不幸そう」にしていたら、脳は「不幸」を連れてくる。

どんなときも、天国言葉を使う人でありたい
posted by Dr.モーリィー at 07:12| ちょっと気になる善い言葉 | 更新情報をチェックする

2020年02月25日

No 5492   【「すみませんが」という言葉】

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【「すみませんが」という言葉】

鴨下一郎氏の心に響く言葉より…



いわゆる、「逆ギレ」というのは、筋の通らない話です。
迷惑をかけたほうが迷惑を被った人へ、悪いことをしたほうが正しいことを主張している人へ、ムカッ腹を立てるのですから、こんな大人げないことはありません。
寝坊して、「どうして早く起きれないの」と叱られたお子さんが、「どうして、ぼくが目を覚ますまで、起こしてくれなかったんだ」と、お母さんに腹を立てるようなものです。
まったく大人げがない。

たぶん人は、一方的に悪者にされることに耐えられないのでしょう。
非は自分にあると十分にわかっていながら、それでも耐えられない。
だから、すなおに謝れない。
反省できない。
「悪いのは、自分だけではないじゃないか」と反発して、腹を立てるのです。
とはいえ、腹を立てれば相手から、いや相手のみならず周りの人たち全員から「大人げない人だ」と見なされて、いっそう軽蔑されるでしょう。

私は、あっさりと「すいません」と、白旗を上げるほうがいいと思います。
そうすれば、「潔いい人だ。人間ができている」と、かえって尊敬されます。
軽蔑されるよりも、尊敬されるほうがいいでしょ?

今、駅員さんは命がけ、と聞きました。
夜9時をまわった時間帯。
とくに、忘年会シーズンの12月。

酔っ払ったお客さんに、不用意に「ここは禁煙ですよ。タバコを吸ったらいけない場所ですよ」と注意しようものなら、「なにを、このヤロウ」と逆ギレされて、カバンを振り回す。
あるいは、ホームの下へ突き落そうとする。
また、傘で刺すこともある。
逆ギレされて、命を落としかねません。
冗談ではなく、本当に乱暴な人が少なからずいるというのですから、物騒な世の中です。

一方的に悪者扱いされると、逆ギレする…、と述べました。
ですから駅員さんたちは、語りかけ方に工夫しているそうです。
「すみませんが」と謝ってから、「ここは禁煙です」と注意する。
駅員さんが謝る必要はないのですが、このひとことをつけ加えることによって、「一方的に、あなたを悪者扱いするんじゃありませんよ」と、暗に伝えるのです。
これ、逆ギレを防ぐ効果あり、だとか。
相手に「腹を立てさせない」ためのコツとして、私たちの日常生活の中でも応用できそうです。

日本人は「すみません」という言葉をよく使います。
また、よく頭を下げます。
謝らなくてもいいのに謝って、頭を下げる必要はないのに頭を下げます。
よく揶揄(やゆ)されたり、非難されたりする日本人の習慣ですが、必ずしも悪いものだとは思いません。
昔から無意識のうちに実践している、お互いに「腹を立てない生き方」をするための、大事なコツなのではないか?と思います。
先に「すみません」と頭を下げるのは、「一方的にあなたが悪いといっているのではありませんから、誤解しないでください」と、暗に相手に伝える行為なのかもしれません。

「すいませんが、今日は『燃えるゴミの日』なんですから、『燃えないゴミ』を出されてはこまります」といったように、「謝ってから、相手を非難する」という、論理的には矛盾した言葉の使い方をします。
論理的には間違っているのでしょうが、心理的には「すみません」のひとことで、相手もすなおに「すみません」といえます。
相手が腹を立てずに、注意に従ってくれれば、こちらもまた腹を立てずに済みます。
この言葉によって、人間関係のストレスが軽減されているとすれば、それはそれで役に立っているのでしょう。

『「機嫌のいい人」に人は集まる--「腹を立てない」ですむこころの処方箋 (WIDE SHINSHO190)(ワイド新書) (新講社ワイド新書)』

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西田文郎氏は「素直さ」についてこう語る。
『監督やコーチに反感を持ち、腹をたてたり、また注意されると「チェッ」「うるせえなあ」とすぐ反発して、不服そうな顔をする選手がいます。
そういう素直さのない選手は、適切なアドバイスにも耳を傾けられなくなります。
さらにスポーツ選手にとって最大の敵といえるストレスを四六時中かかえることになります。
素直でないとは、別の言葉でいうと「ひねくれている」ということです。
人間関係がスムーズにいかず、いろいろな場所で衝突やトラブルが多くなります。
素直か、素直でないひねくれ者か、確かめる方法があります。
「面白くないなあ」「つまらない」「やってられない」「バカらしい」「クソッ」「このやろう」「あいつのせいだ」「誰も自分のことをわかってくれない」…。
こういう言葉をすぐに口にしたり、心の中で思ったりしやすいのは素直でない選手です。
一方、「ありがとう」「ありがたい」という気持ちが強いというのが、素直な人の特徴です。』(NO.1メンタルトレーニング/現代書林)より

反感を持ったり、反発する姿勢が普段から多い人や、負の感情をため込みやすい人は、逆ギレしやすい。
また、「自分の方が上だ」、「下に見られたくない」と強いプライドを持っていたり、コンプレックスを持っている人も逆ギレしやすい。
そして、頭にカーっと血が上ると、自分の感情を抑えられず、普段の地が出てしまう。

そういう人に対しては、自分が一旦引いて、オブラートに包んだ言葉をかけることが有効だ。
真正面から、注意でもしたら、ケンカになるだけだからだ。
それが、「すみませんが」という言葉。

普段から負の感情をためこまず…
感謝多き、素直な人でありたい
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2020年02月24日

No 5491   【行動範囲を広げること】

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【行動範囲を広げること】

小林正観さんの心に響く言葉より…


運というものは、動くことにより、初めて何かに当たっていきます。
家に引きこもって「楽しいことが何もない」と何もしないより、たとえば散歩に出かけてみる。
うして、行動範囲が広がると、出会う人・物・事がでてきます。
出会ったものを一つひとつ大切にしていくと、いつの間にか自分の生活が忙しくなっていきます。

人生が面白くないという人は、まず、動いてみることから始めてみましょう。
「行動範囲の広さ=人格の広さ」という宇宙法則があります。

わがままを言い、人格が荒れているあいだは、周りの人から声がかかりません。
知り合った人に誘われること自体、人格的に好意をもたれる穏やかな人になったということ。

友人と旅行をすると、24時間一緒に行動を共にします。
友人に合わせるということが入り込むと、どんどん人格が向上していくようです。
交流関係が、人間関係の内部に入り込んでいきます。

周りの人から声をかけられて、あちこちに行けるようになると、また人格が広がっていきます。
誘われたとき、3、4回断ってしまうと、もう二度と誘われないようになります。
1、2回のうちに行ってみるのも、人格の許容度・寛容度が広まったということです。

『笑顔で光って輝いて (じっぴコンパクト文庫)』

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小林正観さんは、『「運」は「動」より生ず』と言う。
これを「運動」と呼んだ。
実践すること、行動することが、「結果」を生むからだ。
実践すれば必ず、「運」がやってきて、楽しく、おもしろい現象が起こるという。

あの伊藤博文が「一たび動けば雷電のごとく、発すれば風雨のごとし。周りの者は、ただただ驚き、呆然とするばかりで、敢えて正視する者すらいない。それこそ我らが高杉さんのことだ」と評した、高杉晋作はこんな唄を残している。
「真(しん)があるなら今月今宵(こんげつこよい) あけて正月だれも来る」
このままでは幕府によって長州はつぶされる、もし、国を思う気持ちがあるなら、今集まれ、という思いを込めて即興で作った唄だと言われる。
それを、幻冬舎の見城徹氏は翻訳してこう言った。
「情けあるなら今宵来い。明日の朝なら誰も来る」

人は、2回、3回と誘っても来ない人は、二度と誘おうとは思わない。
情けが感じられないからだ。
人と人との関係は、すべからく「情」によって動く。
理論や理屈ではない。
情の人は、動の人だ。

「行動範囲を広げること」
まわりから誘われ、声をかけられる人でありたい
posted by Dr.モーリィー at 20:13| ちょっと気になる善い言葉 | 更新情報をチェックする

No 5490   【やってみなけりゃわからんことだけが楽しい】

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【やってみなけりゃわからんことだけが楽しい】

ひすいこたろう氏の心に響く言葉より…


「いつか本を書いてみたい」
僕が漠然とそんな夢を見始めたのが2002年。
でも、僕の周りには本を書いたことのある人が誰ひとりいなかったので、作家になる方法がわからなかったんです。
だから、行動を起こすこともなく、なんとなく2年が過ぎました。

そんなある日、心理学の講座を受講したときのこと。
8人のグループワークで、僕は本を書いてみたいという夢を語りました。
すると偶然にも、その輪の中に作家さんがいた!

「おまえ、本、書きたいの?」
彼は僕よりだいぶ年下だったにもかかわらず、「おまえ」と完全な上から目線!
「…はい。本を書いてみたいんです」と僕が答えると、いきなりこう言いました。
「原稿は?」(作家さん)
「え? 原稿ですか? まだ書いてないです」
「おまえ、意味わかんねえよ」(作家さん)
「え?」
「だって、おまえ、本書きたいのに原稿はないんだろう?意味わかんねえよ」(作家さん)

いきなり、「意味わかんねえよ」扱いです。

「よく考えてみろ。
『僕はミュージシャンを目指しています。1曲も作曲していませんが』というヤツはミュージシャンになれると思うか?
おまえはそれと一緒だよ。
俺は本を書きたいと思った時点で書いてた。
で、いつなんどき編集者に会ってもすぐに渡せるようにカバンに入れてた。
なんでおまえのカバンから、原稿が出てこない?
いまおまえのカバンから原稿が出てきたら、俺はすぐに編集者に渡してあげたよ。
おまえはチャンスを台無しにしてる。
意味わかんねえよ」

これに対して、僕は「そうは言うけど、俺の周りで本を書いた人なんか誰ひとりいないんだ。だからやり方がわからないんだ!」と言い返したかったのですが、気が弱くて言えませんでした。
もう、悔しくて、悔しくて、とにかくわからないまま進むしかないと思い、ブログを立ち上げて、なんでもいいから1話書いた。
それ以来、毎日ブログを書き続けた。
結局それが僕のデビュー作『3秒でハッピーになる名言セラピー』につながりました。
方法なんかわからなくたって、今日できる1歩を踏み出せば、次の1歩が見えてくるのです。

最後に、きつかわゆきおさんの言葉を贈りましょう。
「やってみなけりゃわからんことだけが楽しい」

《わからないまま進め。やり方がわかるようなら、それは夢ではなく、「ただの予定」。》

『あなたの人生がつまらないと思うんなら、それはあなた自身がつまらなくしているんだぜ。 1秒でこの世界が変わる70の答え』ディスカヴァー

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将来、「サッカーの選手になりたい」と思っている子どもが、現在サッカーをやっていないし、なんの運動もしていない、などということはあり得ない。
起業もそうだ。
いくら、「素晴らしいレストランのアイデアがあるんです」と言っても、レストランの経験もなく、頭の中だけでチラっと考えているだけなら、それは成功する確率は限りなくゼロに近い。
本気で思っている人は、すでに駆け出している。
レストランで働いて料理や接客を覚えたり、レストランの人脈を築いたり、自分の理想の店を何軒も見て食べまくったり、食器やインテリアに興味を持ったり、設計士と友達になったり、経理や計数を勉強したり…と。

多くの人が、なんとなく、「そうなったらいいなぁ」と、ただ、夢を夢見ている。
まだ、一歩も踏み出していない人が、いくら夢を語ったとしても、それを本気にする人はいない。

「やってみなけりゃわからんことだけが楽しい 」
人生を楽しくするため…
とにかく、一歩を踏み出したい
posted by Dr.モーリィー at 19:56| ちょっと気になる善い言葉 | 更新情報をチェックする

2020年02月23日

No 5489   【アマゾンのように考える】

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【アマゾンのように考える】

ジョン・ロスマン氏の心に響く言葉より…


アマゾンには14のリーダーシップの原則がある。
この原則が、規模を拡大するときに大きな役割を担った。
そのおかげで、スピードと説明責任、リスク負担、適切な結果を出すことのバランスを保てる。
気をつけなければならないのは、1つの原則ばかり頼りすぎてはいけないということだ。
そして賢く使わなければならない。

1. カスタマー・オブセッション(顧客への執着)
2. オーナーシップ(当事者意識)
3. 創造し単純化する
4. 多くの場合、正しいことをする
5. 学び、好奇心を持つ
6. 最高の人材を確保して、育てる
7. 常に高い目標を掲げる
8. 大きく考える
9. まずは行動する
10. 倹約
11. 信頼を得る
12. 深く考える
13. 気概を持つ。反対意見を表明し、決まったら全力を尽くす
14. 結果を出す

この中の「オーナーシップ」についてはこう書いてある。
《全員がオーナーである/企業最適化のための報酬戦略》

アマゾンの報酬体系について書かれたものはたくさんある。
給与の最高額は16万5000ドルというのが、一般的な推定である。
他の報酬は株式付与である。
これはもうアマゾン全体に当てはまることではなくなっている。
アマゾンは個人やチーム別のボーナス体系はやめ、市場に比べて給与は低く抑えている。
それはなぜか?

人は制度の抜け穴を利用する。
評価と報酬の機能を最大限に利用しようとするのが人間の性(さが)だ。
有史以来の狩猟・採集生活をしていた時代は、それが生物学的に不可欠なことだった。
そして、今日、それは特に中間〜上層管理職に当てはまる。
自分の組織は“金銭第一主義”のメンタリティは排除できると思っているかもしれない。
しかし長い間には、意識的にせよ無意識にせよ、生来の性質があなたの徹底した楽観主義を上回る。
チームは、最高の報酬をもたらす目標に到達することを目指すようになる。
それは避けられないことだ。

では、アマゾンの報酬戦略を動かすものは何だろうか。
それは、オーナーシップである。
「リーダーはオーナーである。長期的視野に立ち、短期的な結果を求めて、長期的な価値観を放棄することはない。自分のチームのためだけでなく、会社全体の代表者として行動する。“それは私の仕事ではない”とは絶対に言わない」

「われわれの現金報酬は、大半の企業に比べて少ない」とベゾスは言う。
「そしてどんな種類の報奨金もない。
その理由は、チームワークの障害となるからだ」

社員に責任感を持たせたい、しかも変化を起こさせたいと思うなら、報酬体系も調整しなければならないかもしれない。
全員が勝つこと、そしてそれができるのは、会社の目標を達成したときだけということを明確にする。
それで一部の社員を失うなら、できるだけ早いうちのほうがいい。

アマゾンの報酬体系は、急進的でとても興味深い。
アマゾンではこれが功を奏している。
特に2008年以降、株価が41ドルから2千ドルに急騰した。
これはどの企業にも当てはまるわけではないだろう。
しかしCEOやチームのリーダーは、すばやく断固たる変化を起こさなくてはならない。
“ふつうのビジネス”が通用しなくなったとき、CEOは経営陣の報酬体系を考えなおし、(a)勝つには大規模な変化が必要であること、(b)勝つのは会社が進歩したときだけであること、これら2つを核にする。
チームや個人の業績は、報酬には結びつかない。

W・エドワーズ・デミングが言ったように「誰もが自分のために働くのは、部分的な最適化である。本当の最適化は誰もが会社を助けようとして働くときに可能となる」。

『アマゾンのように考える 仕事を無敵にする思考と行動50のアイデア』SB Creative

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本書の中には50の興味深いアイデアが掲載されている。
その中の一つに「パワポは捨てろ/イノベーションは6枚のメモから始まる」というのがある。
『アマゾンのリーダーたちは、どのようにアイデアを生み出し、その正しさを示しているのだろうか。
それは最高の人材を雇うのと同じ方法だ。
アマゾンではアイデアを形にしようとすると、まずその取り組みについて、物語のような構成で説明する6枚(6ページ)のメモ(ナラティブ)を作成する。
21世紀のイノベーションを生み出すプロセスとしては古臭く感じるかもしれないが、ベゾスは昔ながらのやり方が一番いいとこもあることを証明してきた。

アイデアや提案を完全なナラティブ(物語)で書くことで、もっとよいアイデアが生まれ、アイデアがわかりやすくなり、そのアイデアについての話し合いが進む。
何をどうするべきか、より的確な意思決定が行われる。
計画に無駄がなくなり、リスクが減る。
ナラティブを書くことは大変で、時間もかかる。
しかしそれは組織のために身につけるスキルだ。
高い基準と、時間をかけてこの能力を強化しなければならないという認識が必要だ。』

ナラティブは1人で書くこともできるが、だいたいは1つのグループで取り組むという。
そして、このときのルールは書いた人の名前を載せないこと。
また、箇条書きやスライドをあまり使用してはいけない。
その検討会議はだいたい60分で、はじめの10分から15分は黙って、提案とビジョンについて読み込む。
その次に、メリット、選択肢、次のステップ、そして決定について話し合う。
大事なことは、すぐれたナラティブを書くには、何度も書き直しをすることで、たいてい1週間以上かかるといわれる。

アマゾンのように考え、行動できたらどんな会社も再生する
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No 5488   【時代を超えて生き残るために】

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【時代を超えて生き残るために】

ジェームス・スキナー氏の心に響く言葉より…


かねてより、私は「普通」という言葉をウザいと感じてなりません。
「普通は、こうするよね」「普通は、そういうことしないよね」
こうした発言はウザいだけであり、耳障(みみざわ)りなのです!
なぜそんな低い基準で物事を考えるのでしょうか?
なぜ最初から「最強は…」でスタートしないのでしょうか?

よくよく考えてごらん。
「普通」は、悲惨ではありませんか?
普通は、ガン・心臓病・脳卒中・糖尿病といった生活習慣病で死にます(80%以上)。
普通は、結婚できない、または離婚します(合わせると50%以上)。
普通は、年収300万円台しか稼げません(現在の日本の中央値が360万円)。

これは、現代社会の平均値であり、悲惨ではないのでしょうか!
そして、普通は、会社が潰れてしまうのです。
開業してから2年以内に8割の会社が廃業をすると言われています。
そして、時代を超えて生き続ける会社は、たったの2%程度しかないのです。
ここで、最初の発想転換をあなたに提案したい。
「普通は?」の代わりに、「最強は?」、これを尋ねよう!

進化における大原則があります。
「成功ほど失敗するものはない」というものです。
ある時代においては、恐竜が成功します。
それは、恐竜がその時代のニーズ・環境に適応しているからです。
餌が豊富。
そうとなったら身体が大きくても良い。
いや、逆にその方が得。
天敵から身を守る上で絶対に有利。
沼地などに住んでいると、ノロノロしていても大丈夫。
つまり、これは成功をするというわけです。

しかし、時代が移り行き、環境が一変してしまったら、どうなるでしょうか?
氷河期に突入します。
すると餌が減ります。
でっかい身体を養うほどの食糧が得られなくなります。
今まで最大の強みだった身体の大きさが、致命傷になってしまうのです。
機敏に動き、少ない餌で賄い、そして寒くなると、南に向かう知恵・本能が必要になります。
つまり、この恐竜が鳥に進化するか、絶滅してしまうか、ふたつにひとつになるのです。

企業においても、同じことが言えます。
時代のニーズ・課題・チャレンジが出てきます。
そして、それに見合った反応をします。
顧客の望む商品を発売します。
その環境に適した組織体制を整えます。
その時代に受け入れられるリーダーシップ・スタイルを発揮します。
すると、これはこの時代に適応しているから成功します。

しかし、時代が移り行き、環境が一変します。
国際化時代に入ります。
高度成長期が終わります。
インターネットやAI(人工知能)が主流になります。
老齢化が進み、人口が減り始めます。
労働者に対して、より優しいリーダーシップ・スタイルが要求されます。
すると、どうなるでしょうか?
今までの経営のあり方が恐竜化し、会社が絶滅の危機に陥ってしまうのです。

そこで、ほとんどの経営者はどうするでしょうか?
今までに成功したやり方をより熱心に行おうとし、失敗を招きます。
成功するほど失敗するものはないのです!
だからこそ、時代を超えて生き残る企業は2%程度しかありません。

『史上最強のCEO』フローラル出版

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ジェームス・スキナー氏は、今ほど経営を成功させることが容易な時代はないという。
それは、78億人もの顧客がいて、ベンチャーキャピタルやプライベートエクイティファンド、銀行などが事業資金を提供するのに躍起になっている。
しかもその金利は歴史上一番低い(タダ同然)し、誰でも無限の情報を手にすることができ、予測は今までのどの時代より正確にできるようになっているからだという。
そして、自社には何もなくても、設備も、能力も、技術も、資源も、戦略的パートナーシップにより、利用できるようになっている。
「こんな好環境で成功できなければ、どうかしている」、と言う。

だから、唯一の問題は「自分」だということに気づかなければならない。
ほかの何かが問題だと思っている限り、変えることはできない。
たとえば、松下幸之助やジェフ・ベゾスやスティーブ・ジョブズ等の優秀な経営者が、もし我々の会社を経営してくれたら、たちまち業績は激変することは間違いない。
とするならば、景気が悪いとか、優秀なスタッフがいないとか、時代が悪いとか、言っている場合ではない。

まさに、氷河期に突入した恐竜のように、環境が激変しこのままでは生き残れない時代…
「普通」であったら、ほとんどが倒産する。

「時代を超えて生き残るために」
いまこそ、ノロノロ動く恐竜から進化する必要がある
posted by Dr.モーリィー at 16:46| ちょっと気になる善い言葉 | 更新情報をチェックする

2020年02月21日

No 5487   【読書をプロデュース】

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おいちゃんのお気に入りブログ【人のこころに灯をともす】からの転載です

【読書をプロデュース】

バラエティプロデューサー、角田陽一郎氏の心に響く言葉より…


僕は、人が「この本はつまらない」と指摘する行為は、なんとなく「この本のダメなところがわかった=自分はそこに気づく能力がありますよ」と言いたいがための“知的に見せたいポーズ”に過ぎないのではないか、と推察しています。
仮に、その指摘が(結果的に)正しかったとしても、僕はそれを聞いて、その作品を拒絶することはしません。
むしろ、自分でその作品を経験して、その指摘された箇所を自分がどう感じるのかを知りたくなります。
要は確かめてみたくなるのです。
確かめた結果、もちろん「僕にはおもしろかった」となる本も多々ありました。

よく「この本に書かれていることは、自分が知っていることばかり」という理由で、その本に対して低評価を下す人がいます。
僕の本にも以前、そういうレビューを書かれたことがありました(笑)。
だからというわけではありませんが、この“知っていることばかりだった論”には賛同できません。

もちろん「別に僕は、あなたに向けて書いたわけじゃないんですけど」という大前提はありますが、それ以前の問題です。
何かの本を読んで「おもしろい」あるいは「つまらない」と感じることは当然ですが、その理由が「自分の知っていることばかりだったからつまらなかった」と判断する知性が残念なのです。

つまり、自分の知識量でしか「おもしろいか、つまらないか」を判断できない、その人の生き方がすでにつまらないのではないか、ということです。
「あれもこれも知っていることばかり」と不満を言う人は、知らないことが書かれている本を探して読めばいいだけではないでしょうか。
たとえば、フランス革命のことなら何でも知っているという人がいたとします。
「どの本も知っていることしか書かれていない。だからつまらない」と言うのなら、大学の図書館にでも行って、研究者たちが書いた最新の論文集を読めばいいと思いませんか?

パナソニック創業者の松下幸之助が「出すぎた杭は打たれない」という名言を残しています。
この言葉は広く知られていますが、僕は最初に聞いたとき感動しました。
僕がここで「出すぎた杭は打たれない」と書くことで、初めてこの名言に触れた読者の人は、あの日の僕のように感動するかもしれません。
使い古された言葉ですから、今さら書くことをダサいと思う作家もいるかもしれませんし、それこそ「知っていることだ」と一笑に付す読者もいるでしょう。
でも、書き手が「知っていることだ」と書くのを避けていたら、文章を読んで感動する人を減らす可能性が増してしまいます。

それに「あれもこれも知っていることばかり」という人は、生き方がつまらないだけではなく、ご自分の知性も危険に冒されています。
同じレベルの本ばかり読んでいて、ステップアップしていないとも言えるからです。
僕の経験上、本当に読書が好きな人や知性の高い人は、自分の知っていることに出会っても「知っていることだからつまらない」と判断しません。
初めてその知識に出会って感動した自分を思い出し、おもしろさを再発見・再確認しているものです。
結局、知っているかどうかではなく、それに触れた自分がどう感じたかが大事なのではないでしょうか。

『読書をプロデュース』秀和システム

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角田氏は「バラエティ読み」についてこう語る。
『「バラエティ読み」は、気持ちよく読書することを突き詰めたメソッド。
そのポイントは5つある。
1.ジャケ買いでいい
2.途中でやめていいし、併読したほうがいい
3.積読(つんどく)でいい
4.感想文も書かない、メモしなくてもいい
5.速読しない
自分にとっての気持ちよさ、おもしろさの感覚で本と向き合うだけでいいのだ』

齋藤孝氏は、「本は知識を仕入れ、整理するうえで、もっとも効率的で究極の素材だ」という。
本の中には、著者の人生と時間が詰まっているからだ。

本だけでなく、何かを批判する人は、「自分はもっとすごいと思われたい」「認めて欲しい」「自信がないことの裏返し(劣等感がある)」等々であり、いつも傍観者の立場にいる。
ほとんどの人は、批判はするが、自分の一冊を書くことはしない。
その本がつまらないというなら、「自分で納得する本は自分で書くしかない」。
人生もまた同じ。

「あなたの人生がつまらないと思うんなら、それはあなた自身がつまらなくしてるんだぜ」(ひすいこたろう)
本も、映画も、人生も…
おもしろがって、楽しむ人には限りない魅力がある
posted by Dr.モーリィー at 07:35| ちょっと気になる善い言葉 | 更新情報をチェックする

No 5486  2020鹿児島マラソン中止

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鹿児島マラソン中止の情報が出て 安心したような残念なような 
マラソンロスともいうべき
なんか胸に大きな穴が開いてしまったような感じです

参加費の返金の賛否が話題になっておりますが
おいちゃんの個人的な意見ですが
準備にお金もかかっていると思いますが 返金ゼロでも 
準備した Tーシャツなど 参加賞はもらいたいなと
できれば記念に ははは

そうでないと 毛利歯科グループで 10万円の 鹿児島市への寄付は
ちょっと厳しい、、、

鹿児島2020  ロゴが楽しみだったので、、、


知人が わかりやすくブログを書いていましたのでシェアいたします
無知なおいちゃんも 勉強になりました 感謝いたします。

http://shigematsutakashi.com/running/19157/?fbclid=IwAR2cZtEyeOagrylwOi5c6wxchhLHvCcewzPEfaQC8lR9nJZDHWDuDDEQr90

マラソン大会が中止になり、返金がないことへの批判が出ています。これはマラソン大会というものがどういうものか共通認識がされていないからではないかと思いブログ記事にしました。

賛否はあるかと思いますが、返金されないことをちょっとだけ納得してもらえるかもしれません。というか、これを共通認識としていく活動がメディアも含めて必要だと思います。
全国各地でマラソン大会が中止になりましたが、マラソンを走ったことのない人まで巻き込んで、返金論争が起こっています。もっとも、ほとんどのランナーが返金なしでも「仕方ない」としており、 […]


追伸) 3月4日の情報です

鹿児島マラソン対応

(2)参加賞等の取扱いについて
今回大会に参加予定であったランナーの皆様方全員に、準備が整い次第、参加賞等を順次送付いたします。
(参加賞等)
オリジナルTシャツ・出走記念タオル(フルマラソン参加者のみ)・ナンバーカード
大会プログラム等

※今回の完走メダルにつきましては、次回大会での完走の際に、合わせて贈呈する
予定としております。

(3)次回大会への優先枠の設定について
今回大会に参加予定であったランナーの皆様方全員に、次回大会において、優先して申し込める機会を設けます(抽選なしで出走可能)。ただし、参加料は必要となります。

参加証もらえて、ほっとしております。 
来年は必ず走って 完走メダル2個獲得を目指します! 
今年参加予定だった スタッフも 準備期間が1年延びたので
喜んで、張り切って走りことでしょう  ははは!


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posted by Dr.モーリィー at 06:59| ライフワーク | 更新情報をチェックする

2020年02月20日

No 5485   【武器は走りながら拾え!】

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おいちゃんのお気に入りブログ【人のこころに灯をともす】からの転載です

【武器は走りながら拾え!】

ニューヨークBIZ発行人兼CEO、高橋克明氏の心に響く言葉より…


…ニューヨークはマンハッタンで、東海岸最多発行部数を誇る日本語新聞を発刊し、最多アクセス数のニュースサイトを運営、同時に日本からのイベントプロモーション、米国進出サポート事業を展開するマルチメディアカンパニーを経営しています…
そう自己紹介すると、特に日本のみなさんは僕のことをエリートだと誤解してくれます。
アメリカの大学を卒業、MBAなんかを取得し、TOEICやTOEFLでもハイスコア、日々ビジネス英語を駆使して、現地のニューヨーカーたちと商談している…そんな、優秀でバリバリの「スーパービジネスマン」だと。

バレる前に実際のところをカミングアウトすると、正体はまったく違う、むしろ真逆のタイプの人間です。
瀬戸内海の片田舎で育ち、学生時代はケンカに明け暮れ、テストなんてまともに受けたことがない。
MBAどころか、浪人してやっと入った日本の私立大学をたった4ヶ月で中退し、そこからフラフラとフリーター生活を開始。
新聞配達、テキ屋、ホスト、怪しいケータイ電話販売など実に30職種近いアルバイトを転々としては、その日暮らしで食いつないでいた20代でした。
TOEICやTOEFLは存在すら知らなかった。

エリートどころか、完全に落ちこぼれ側の人間でした。
今でも本質は変わっていません。
TOEICやTOEFLの違いは未だに厳密にはわからない。

それでも今、世界の中心といわれる街のど真ん中にオフィスと自宅を構え、日々この街の最新事情を最先端で取材し、あらゆる国籍の人たちと商談し、365日24時間、これ以上ないほどの刺激的な生活をしています。
日米の政界、財界、芸能界、ビジネス界のトップ中のトップと仕事をし、「え?この人、今、オレとしゃべってるの?ウソだろう」と思う毎日です。

幼少の頃から「死ぬまでに一度は生で見てみたい!」と憧れたハリウッドスターやメジャーリーガー、思春期に誰よりも影響を受けたアスリートやアーティスト、社会人になってから尊敬してやまない経営者や文化人の方々とは、ひとり残らずご一緒しました。
本当にひとり残らず、です。

渡米するまで海外留学の経験どころか、海外旅行はおろか国内線の飛行機すら乗ったことがなかった僕が、なぜ、12歳のとき、みんなで書いた七夕の短冊に「将来は、ニューヨークでジャーナリスト」と願ったそのままの人生を、あるいはそれ以上の人生を歩めるようになったのか。
それはたったひとつのことをしたからに、他なりません。
それは、自己啓発セミナーに出席し続けたからでも、特定の宗教に肩入れして拝み倒したからでも、毎日、決まった時間だけ日本経済新聞を読み続けたからでも、ありません。
流行りの「ウィンウィン」だの「ポジティブシンキング!」だの「ブラッシュアップ!」だのを口癖にしたからでも、異業種パーティに顔を出し続けて名刺を配りまくったからでも、ない。
僕がした本当にたった、ひとつのこと。それは、

「行動した」ことでした。

「はぁ?」という声が聞こえてきそうです。
「何を当たり前のことを」と言われるかもしれません。
セミナー参加も立派な「行動」じゃないか、と。

果たして、そうでしょうか。
僕がここで言う「行動」とは「インプット」のことではありません。
「アウトプット」のみを指した言葉だと思ってください。
具体的な夢に向かって行う、直接的な体現方法のみのことを指しています。

27歳のとき、ニューヨークにコネどころか、知り合いさえひとりもいない状態で、ビザとパスポートの違いもわからない圧倒的準備不足のまま、七夕の短冊に書いた「第一希望」の夢だけを胸に渡米した。
第2希望や第3希望の夢を捨て、その結果、第10希望くらいの人生に落ち着くかもしれないけれど、それでもいい、ただ、実現すると決めて生まれて初めて飛行機に乗った。
そこには、自分に才能があるかないかすら、関係なかった。
アメリカに飛び立ったあの日が、僕にとっての究極の「アウトプット」だった、と今でも思っています。

日常の生活や普段の仕事でも、満足のいかない現状を劇的に変えるのは、多少のリスクを背負った「アウトプット(行動)」しかないのではないか、と思っています。
日めくりカレンダーのありがたい言葉に納得しているだけでは、何も変わらない。
ニューヨークに来て、日本との違いを一番実感したのは、人々の「インプット」と「アウトプット」のバランスでした。

日本は、国民全体が一定の教育を身につけていて、それは世界に誇れることだと思います。
その一方で、情報は必要以上に溢れ、普通に生活しているだけで、望む望まないに関わらず、あらゆる知識、教養がインプットされていく。
サブカルチャーの裾野は広がり、次から次へとトレンドを追いかけなくちゃいけない空気が蔓延し、半年前の流行語を口走っただけで、周囲から白目で見られる圧力に疲労している。
情報の海を泳いでいるつもりが、いつしか、その情報に溺れてしまっていく。
それが今、僕が外から母国を俯瞰(ふかん)した印象です。

世界では、とんでもない(愛すべき)バカに会うことがあります。
本当に、頻繁に(笑)。
日本では、なかなか出会えない、そんな超越的な彼らに会うたび、日本人の多くが今、「インプット」のしすぎなんじゃないかとさえ感じてしまうのです。

人は「生涯勉強」ではあるけれど、それは「インプット」のみを指している言葉ではないはずです。
それだけ頑張って得た知識や人脈を、いつ、どこで使うのか。
世界はもっと、行動しています。

特にニューヨークは、夢を追って世界各国から来た人間、あるいは命がけで母国の内戦や差別、貧困から逃れてきた人間が、新しい人生を作るため、ひしめき合い、競争し合っています。
言葉もままならないまま、「行動力」だけを武器にして。
その極意をひと言でいうなら、

…見る前に飛んじゃえ…

アメリカには「leap on faith」という言葉があります。
この国で暮らしていると本当によく聞く言葉です。
直訳すると「運命に(on faith)飛び込もう(leap)」。
宗教的な深い意味合いもあるみたいなのですが、一般的には、「まずは、やっちゃおうぜ!」とか「とりあえず、スタートしてみよう!」みたいなときに使います。

そう、「見る前に飛んじゃえ」くらいな感じです。
僕はそれを実践しただけに過ぎない。
言葉やスキル、資格は、ニューヨークに渡ったあと、走りながら身につけていきました。

インターネットの発達以降、世界の流れはどんどん加速しています。
そのスピードのなかでは、インプットしすぎているうちにチャンスは流れていってしまいます。
動き始めるための最低限のスキルはすでにあるはず。
なにより知識や教養なんて青天井、100%なんて存在しないから、いつまでも追いかけることになる。
そうなる前に…。

氾濫している、“有益チック”な情報をかき集めることも、流行りの「自分探し」のための「自分探し」も直ちに止め、本棚に並んだ自己啓発本をすべて処分し、まずは本当に自分のやりたいことを自分に聞き、そして、そこに飛び込んでみよう。
準備はいらない。
あなたを含め、この本を買ってくれる誰よりも、落ちこぼれであったと自信を持って言える僕は「行動したこと」だけで、人生をすべてひっくり返しました。
次はあなたの番です。
「見る前に飛ん」じゃって、「武器は走りながら拾え」、ばいい。

『武器は走りながら拾え!』ブックマン社

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中国の朱子学の考え方の一つに「先知後行(せんちこうこう)」がある。
先知後行とは、先に正しい知識を得たのち、それをもとに行動しなさい、という考え方。

それに対する概念として、王陽明は「知行合一(ちこうごういつ)」を唱えた。
知識と行動は、分けることのできないものであり、表裏一体であるとの考え方だ。
本当の知とは実践を伴うものであるということ。

正しい知識や思想を得るために、まずは勉強しなければいけない、という人は多い。
今の学校教育がまさにそれだ。
知識を得るのがいけないと言っているのではない、ただ頭に知識を詰め込むだけ詰め込んで、それをアウトプットしない人が如何に多いかということだ。
本来は、知識と行動というアウトプットは表裏一体のもの。
準備もなしに「とにかく走り出せ」というのは少し乱暴ではあるが、現代人はそのくらいのスピード感でちょうどいい。

薩摩には、西郷隆盛や大久保利通らをつくり上げた、郷中教育というのがあった。
その中にこんな言葉が残されている。
「泣こかい 飛ぼかい 泣こよか ひっ飛べ」
高いところから、飛び降りようかどうしようか迷って泣く子供に向かって、「泣くくらいなら、サッサと飛び降りろ」と言ったのだ。
ぐずぐず考えてないで行動しろ、ということだ。

「地球は行動の星」
ぐずぐず考えていないで、さっさと行動できる人でありたい
posted by Dr.モーリィー at 08:17| ちょっと気になる善い言葉 | 更新情報をチェックする

No 5484   【文系AI人材になる】

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おいちゃんのお気に入りブログ【人のこころに灯をともす】からの転載です

【文系AI人材になる】

野口竜司氏の心に響く言葉より…


「AIによって仕事がなくなるのでは?」とネットやテレビや雑誌などで日々語られています。
残念ながら、「AIによってなくなる仕事はたくさんある」ということは、もう変えようのない事実です。
この事実に目を背けず、まずは素直に受け入れましょう。
そのうえで、次に向けてどう準備し、どう動き出すかのほうが大事です。

人間がAIに勝つ、負けるというスタンスでいるよりも、AIと共に働くスタンスに切り替えるのです。
AIによって仕事がなくなったら、「新時代の新しい職種にチェンジ」すればいいんです。
これまでの歴史を振り返ってみても、新しい技術が生まれてそれが社会に定着したとき、いくつかの職種がなくなってきましたが、その一方で新しい技術を使ったこれまでなかった新しい仕事が生まれてきています。

AI時代においても、新しいタイプのAI職が多く生まれるはずです。
IT革命が起こり、インターネットが普及すればするほど、多くのIT関連職が生まれました。
「あなたの職業は?」と聞くと「IT関連です」と答える人が急増したときのように、「AI関連で働いています」と答える人も急増するのは間違いないでしょう。

そしてIT関連と一言にいっても、たくさんの細かい職種が存在するように、AI関連職もバラエティに富んだ新しい職種が生まれてくるはずです。
AIによる失職を補う、新しいAI職の誕生は必ず起こりますので、心配することはありません。ただ、

一番リスクが高いのは、AI失職を恐れ今の仕事に執着しすぎて、身動きが取れなくなることです。

この状態にならないように気をつけなければいけません。
「自分の職種は大丈夫だろうか?」と心配しているくらいならば、新しい時代に向けて柔軟に動き出すために「今、もっているスキルや経験や業界の知識を用いて、AIと共に働けばいい」といった気持ちに切り替えていきましょう。

これまでのAI人材教育は、AIを「作る」ことにフォーカスされていました。
そして、この数年でAIを「作る」ハードルがとても下がっています。
AIを「作る」側の経験者が増え、教育環境も整ってきたこともありますが、それだけではありません。
そこそこの精度のAIを作るのであれば場合によって、熟練レベルのAIエンジニアやデータサイエンティストがいなくても、AIはカジュアルに作れるようになってきたのです。

また、自らAIを作らずに、すでに作られたAIを利用するという手もあります。
構築済みのAIサービスには、Google、AmazonなどAIサービスを始めとして、各社の「チャットボット」「画像認識」「音声認識」「音声合成」などのテーマを扱うものがあります。
企業自らがオリジナルで作らなくても、これらのAIを使うだけで済むケースが増えてきています。

そして、実務現場でのAI導入が増えれば増えるほど、今後は「AIを作る仕事」以外の仕事が多く発生していきます。
こうした仕事は文系が得意とする領域となり、「文系AI人材」の仕事が大量に発生していくことになります。
それは、「理系AI人材」がやらない「AI活用に必要なすべての仕事」です。
この広範囲にわたる文系AI人材の仕事領域において、共通して必要となる力があります。
それは、「AIと働くチカラ」です。
この「AIと働くチカラ」を身につけるのはどうするのか?
まずやるべきは、AIのキホンを知り、AIの作り方を知り、AIをどう活かすか企画する力を磨き、AIの事例をトコトン知ることです。

『文系AI人材になる: 統計・プログラム知識は不要』東洋経済新報社

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本書にAI活用のリーディング企業(アマゾン)を紹介してあった。
『《アマゾンのAIによる消費者変化》
●AIによるレジなし店舗amazonngo
●音声スピーカーAlexaによる声の操作の一般化
●Amazon.comのパーソナライズされた買い物体験
《アマゾンのAIによる会社変化》
●需要予測AIによる仕入れ最適化
●AIによるダイナミックプライス(動的価格)
《アマゾンのAIによる働き手変化》
●物流倉庫のAI化
●ドローンによる宅配』

時代は、一億総AI職になりそうな勢いで進んでいる。
理系はもちろんのこと、文系であろうと、誰もがAIへの理解がなかれば生きていけない時代に突入している。
AIへの理解を深め、この変化の時代を乗り切りたい
posted by Dr.モーリィー at 08:12| ちょっと気になる善い言葉 | 更新情報をチェックする

2020年02月19日

No 5483   【受け容れるということ】

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おいちゃんのお気に入りブログ【人のこころに灯をともす】からの転載です

【受け容れるということ】

小林正観さんの心に響く言葉より…



「自分の子供が不登校になってしまった。どうしたらいいだろう」
という相談を受けたという話を書きました。
結局、不登校になった子供を受け容れれば、受け容れた瞬間に、その問題は何も生じなくなってしまうのです。
問題が解決してしまうというよりは、問題そのものがなかったということに気がつきます。

「問題だ、問題だ」と言っていた自分の問題であって、もともと不登校そのものが問題なのではなくて、それを「問題だ、問題だ」と言っている自分の心の問題として、それが悩み・苦しみになってしまったということでした。
子供が不登校になった、学校に行かなくなった。
ただそれを淡々とした事実として受け容れた瞬間に、子供にとっても自分にとっても、何の悩みも苦しみもなくなってしまうのです。
思いどおりにしようとしないこと。
それはイコール、その目の前の現象を受け容れるということでもあります。

生老病死(しょうろうびょうし)、生まれること、老いること、病むこと、死ぬことも、そのまま受け容れる。
そうすると、悩み・苦しみから遠ざかることができます。
悩み・苦しみを持たなくても済むことができます。

病気をしたら病気をしたでよし。
死ぬようになたら死ぬようになってそれでよし。
愛している人と別れなければいけない状況になたらそれもよし。
それについて評価・評論をしない。
感想もいちいち言わない。
「ああ、そういうふうになりましたか」というふうに受け容れることが、自分にとっていちばん楽なのです。

そんなに簡単に受け容れられるわけがないではないかと言う人がいるかもしれません。
私は受け容れる「べき」だという理論を展開しようとは思っていません。
受け容れることでいちばん得をするのは、いちばん楽になるのは、受け容れた本人なのですから。

私は、こうするべきだ、ああするべきだというような「べき論」として話をしているのではありません。
悩み・苦しみが多い人は、実は自分の思いがたくさんあり、それを想いどおりにしなければいけない。
思いどおりにならなければ嫌だと思う「思い」がたくさんあるという宇宙の構造や事実に気がついてしまったのです。
悩み・苦しみが多い人は、「思い」が強い。
あるいは「思い」をたくさん持っている人にほかなりません。

宇宙に、地球に、すべてを委ねている人、自分の思いや我儘(わがまま)をほとんど言わないで、静かに穏やかに穏やかに淡々と暮らしている人ほど、悩み・苦しみは少ないのです。
ほとんど悩んでいなくて、苦しんでいなくて、いつも笑顔で静かに穏やかに暮らしている人を私はたくさん知っています。
そういう人はほとんどの人が「思い」を持っていません。
思いどおりにしようという心が著しく少ない人ほど、楽に静かに楽しく生きることができるように思います。

『釈迦の教えは「感謝」だった』風雲社

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小林正観さんは、「受け容れる」についてこう書いている。
『(ある人が癌だと宣告され)あと三ヶ月の命、あるいはあと半年の命と言われたとします。
ありとあらゆる療法を試みて、自分の命を延命させたい、なんとか命を助けたいと、闘病生活を続けている間は、多分、苦しい心の状況だと思います。
それを仮に三ヶ月後、半年後に死ぬことを受け容れてみる…。
それを前提として、死ぬことを受け容れて、そして人生を考える。
今までは、家族のため、あるいは自分が向上しなければならないということで、無理やり努力をしてきた。
努力は本来、嫌がることを自分に課すことですから、体がそれによって、生きていたくないというふうに反応するのは当然なのです。
癌はそれを伝えにきてくれたのかもしれません。
その結果として会社を辞めることができ、仕事を休むこともできます。
そして、絵が好きだった人は、絵を描いてみればよい。
その三ヶ月の間に十枚の絵を書き残す。
死ぬことを受け容れて、あとは死ぬまでに何を残していくか、それだけを考えるのです。
そういう生き方、考え方を、「受け容れる」といいます。
初めは仕方なく受け容れていたかもしれません。
しかし、絵を三枚、四枚、五枚と描いていくうちに、
「ああ、癌になってよかた。癌にならなければ、こんな状態を永久に死ぬまで味わうことができなかった。』と思えるようになるかもしれません。
これは、受け容れるという心の段階でも、かなり上のほうになってきます。
そして、さらにその受け容れる気持ちが高まってゆくと、ついには、両手を合わせて感謝をしたくなります。
癌に両手を合わせて感謝をしたくなるのです。
「ああ、癌になったから、癌細胞さんが増えてくれたから、私は会社を辞めることができて、自分の好きなことに専念することができた」
「こういうほんとうに幸せな時間を下さったのは、癌細胞さんのお陰だ。癌細胞さん、ありがとう」
と、ほんとうに心から手を合わせることができたとします。
そうすると、癌細胞は消えていくらしい。
癌細胞は感謝されるのが大嫌いで、癌細胞は感謝の念を降らせられると、あっという間に消えていかざるを得ないようなのです。
逆に、癌細胞はストレスやイライラがとても大好きで、そのエネルギーを栄養剤としてどんどん増殖します。
免疫ということもまったく同じように作用するのですが、要は肯定的な生き方、喜びを持って楽しく生きる生き方。
そしてさらに、その受け容れが最高潮に到達すると感謝という概念になるのですが、その感謝にまで至ると、ついには癌細胞さえも生存することができなくなってしまいます。
体の免疫構造としては、喜びを感じ、幸せを感じ、さらにその心が感謝というところまで至ると、免疫性が猛烈に強くなるようです。』

「生老病死」について、我々はそれをなかなか受け容れることができない。
老病死が「苦」であることはわかるが、「生まれてくること」がなぜ苦なのかというと、それは生まれてくることによってすべての苦が生じるからだという。
生まれてくることが「縁」となって様々な「苦」が生じる。
なお、仏教でいう「苦」は思いどおりにならないことをいう。

仏教の出発点は「一切皆苦(いっさいかいく)」。
つまり、人生とは思い通りにならないと知ることから始まる。
そして、なぜ「苦」が生じるかというと、それは「諸行無常」という、すべてはうつり変わるから。

あらゆるできごとを…
淡々と、受け容れることができる人をめざしたい
posted by Dr.モーリィー at 07:29| ちょっと気になる善い言葉 | 更新情報をチェックする

No 5482  南国の雪景色!!

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久しぶりに 寒さに目が覚めました

今朝 本院で準備をし 勤務地の別院へ向かう途中 七福保育所の前を通ると

可愛い 雪だるまが 高台に住む 保育士さんの車の雪で 作成したのだとか

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別院についてから ビルの屋上に上りました

桜島も 中腹まで 雪景色 寒いはずです

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2020年02月18日

No 5481   【アルゴリズムフェアネス】

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おいちゃんのお気に入りブログ【人のこころに灯をともす】からの転載です

【アルゴリズムフェアネス】

尾原和啓(かずひろ)氏の心に響く言葉より…



未来にはワクワクが待っている。
私はそう信じています。
世の中には、もしかすると悲観論のほうが多いかもしれません。
人口減少社会や気候変動、排他主義や低成長など、未来への不安を煽るようなニュースが多く流されています。
そうしたなかで楽観論を唱えると、タチの悪いセミナーか宗教でも始めるつもりか、と思われる方もいるかもしれません。

心配はいりません。
本書で紹介したい言葉は一つ。
「アルゴリズムフェアネス」という言葉です。
聞き慣れない言葉でしょうが、世の中の不安を吹き飛ばし、私たちに明るい未来を提供してくれるかもくれないマジックワードなのです。

「アルゴリズム」は、辞書的にいえば、「数学やコンピュータで問題を解くための手順を定式化したもの」です。
もっと簡単に表現すれば、「優劣を決めるもの」と見なしていただけたらと思います。

衣食住すべて、あるいは働き方や新しい友人や恋人まで、問いかければ優先順位つきで回答を返してくれます。
あるいは問いかけなくても、アルゴリズ側が勝手に忖度して、「いま、あなたがほしい情報はこれですよね」「あなたなら、こういう働き方をすればもっと稼げますよ」「あなたは品行方正なので、この保険なら保険料が安くなります」などの提案をしてくれる。
これらはすでに始まっているサービスです。

アルゴリズムのなかで私たちにとって身近な存在といえば、GAFAと呼ばれる巨大IT企業のサービスです。
あるいは中国のアリババやテンセント、日本で先ごろ経営統合を発表したヤフーとLINEなども、それぞれのアルゴリズムを提供しています。
膨大な情報とモノとヒトを出合わせ、結びつけるという意味で、彼らは「プラットフォーム」とも呼ばれています。

それでは、私たちは安心して各社のアルゴリズムの大船に乗っていればよいのかといえば、そうでもありません。
便利すぎるがゆえに、大事なことを見失いかねないのですが、そこに歯止めをかけるのが、本書のキーワードの後半、つまり「フェアネス」です。
フェアネスとは、「公平・公正」という意味です。
ここまで述べてきたアルゴリズムにフェアネスが欠かせないことは、いうまでもありません。

たとえば、どれだけ真っ当に頑張ってもグーグルの検索結果に上位表示されない企業、フェイスブックの投稿が表示されにくい人が生まれてくれば、それはその企業や人の自由が奪われている、ということです。
しかも、これらの自由の剥奪の理由は、ときに明確ではありません。
自らそれを改善するのが難しければ、そうした企業や人は社会の下層で固定されてしまう。
この状態を慶応義塾大学の山本龍彦教授は、「バーチャル・スラム」と表現し、警鐘を鳴らしています。

『アルゴリズム フェアネス もっと自由に生きるために、ぼくたちが知るべきこと』KADOKAWA

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尾原氏は本書の中でこう語っている。
『AIが人間の知能を超えるシンギュラリティという言葉や、GAFA、フェイスブックのリブラ、さらには中国の信用スコアなど、大きな未来を示す言葉が日々の紙面を飾るようになって数年。
いつの間にか、GAFAはデータを牛耳ろうとする支配者である、という論調が増えてきました。
もちろん、彼らも営利企業としてほかを出し抜くことはあるかもしれません。
そこで私がいつも思い出すのは、イソップ童話の「すっぱい葡萄」です。
ある日、キツネが美味しそうな葡萄を見つけます。
食べようとして飛び上がるけれど、葡萄はみな高いところにあって届かない。
何度跳んでも届かないので狐は怒りと悔しさで、「どうせこんな葡萄は、すっぱくてまずいだろう。誰が食べてやるものか」と捨て台詞を残して去る、という物語です。
美味しそうな果実に向かい、何度努力しても届かなければ、とることができるだろうかと不安になり、やがてその不安は、自らの跳躍力が足りないから、と自身を傷つける悲しみへと変わります。
そこで人は、自分を落ち着かなくする不安や、自分を傷つける悲しみに耐えきれず、相手が無価値だ、相手が悪い、という怒りに変えてしまいがちなのです。
でも、怒りに任せて相手を切り離してしまっては、私たちが成長したり、葡萄が成熟して実を垂らしてきたとき、その果実を頬張り楽しむことも、その果実にある種を植え、育み、次の誰かに分け与えることもできなくなってしまいます。
だからいま、私たちを不安にさせるような大きな果実が現れたとき、それをすっぱい葡萄にしてはいないか?と自らに問いかけることが大切なのです。』

我々は未知なこと、不安なことにたいして、つい耳をふさいだり、否定してしまいがちだ。
古代から繰り返し言われてきている「最近の若い者は」という言葉と同じだ。
だがしかし、新しいことは、常に若者から始まる。
デジタルネイティブの世代がこれから大半を占めるようになる現代、あらゆる考え方は変わってくる。

アルゴリズムとフェアネスの力を信じ、未来にワクワクする人でありたい
posted by Dr.モーリィー at 07:44| ちょっと気になる善い言葉 | 更新情報をチェックする

2020年02月17日

No 5480   【2025年、人は「買い物」をしなくなる】

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おいちゃんのお気に入りブログ【人のこころに灯をともす】からの転載です

【2025年、人は「買い物」をしなくなる】

望月智之氏の心に響く言葉より…



ショッピング体験の発展で、人々は「買い物」をしなくなる…。

こんなことを言ったら、すぐさま「ありえない」と返されるかもしれない。
人々の生活の中で、買い物は欠かせない経済活動の一つ。
買い物なしでは、生活に必要な衣服や食材、電化製品も手に入らない。

企業だって商売が成り立たない。
そもそも「ショッピング体験をしているのに買い物がなくなるとはどういうことだ」と矛盾を感じる人だっているだろう。
しかし、間違いなくその時代は訪れる。
それも遠い未来ではなく、近い未来に。

日本でネットショッピングを利用する世帯が1割を超えたのは2005年のこと。
私はその翌年の2006年からネットショッピング、つまりEC(Eコマースイコール電子商取引)のマーケティングの仕事に携わっている。
その間、アパレル・食品・インテリア・化粧品・通信機器・玩具・自動車など、50以上の業種に関わってきた。
売上数億円の中小企業から数兆円の大企業まで、会社の規模もさまざまだ。

消費者の心理やニーズの理解に努めてきた私が今ひしひしと感じているのは、この数年の消費者の消費行動・購買行動が劇的に変化しているということだ。
私もアメリカや中国といったデジタル先進国にたびたび足を運んでいるが、そこではもはや消費者にとって買い物は「面倒くさいもの」という扱いになっていて、必要なはずだったプロセスを次々に省略しているのだ。

たとえば、実店舗に行くのは時間がもったいないから行きたくない。
ネットで予約できないような店には最初から行かない。
レジに並ぶのが面倒くさいから少しでも空(す)いている店に行く。
商品が届くのを待ちたくないから、多少高くてもすぐに商品が届くECサイトを選ぶ。
こういった感覚が向こうでは当たり前になっている。

そのため、小売店や飲食店は、「顧客が面倒に感じることをより少なくする」といった経営方針にシフトしており、実際にそれで大きく売り上げを伸ばしている。
日本にも参入している企業としては、注文した商品をすぐに届けてくれるAmazonや、レストランの料理を家まで持ってきてくれるUber Eats(ウーバーイーツ)、レンタルビデオ店に行かなくても映画やドラマが見られるNetflix (ネットフリックス)などが代表例だ。
彼らは「面倒くさい」を解消しながら、日本でも市場の主導権を握ろうとしているのだ。

アメリカでや中国では、個人の活躍も目覚ましい。
ネット上で熱狂的なファンを持つ個人発のブランドが、今ものすごい勢いで誕生していっている。
その中には、リリース前にもかかわらず予約購入者が100万人以上いるブランドや、YouTubeを使ってたった20分で数億円の売上を挙げるようなブランドさえある。

ただ、個人の独壇場かというと、そういうわけではない。
大企業はインターネットへの本格参入には出遅れていたが、いまや大手メーカーも本気でネットに参入する時代だ。
Eコマースサイトの歴史を振り返ると、1994年にAmazonが、96年にYahoo!、97年に楽天、98年にGoogle、99年にアリババが誕生しているが、Eコマースサイトの四半世紀の歴史の中で、メーカーも小売店を通さずに自分たちで直接販売できる手段を手に入れたのである。
中間業者を挟まない分、われわれ消費者は欲しいものをより安く買えるようにもなっているのだ。

皆さんのまわりでも、劇的な変化の一旦は感じられることだろう。
これまでスーパーやデパート、専門店で買い物をしていた人が、ネットショッピングを利用するようになった。
ネット決済や電子マネーなど、現金払い以外の決済方法で支払うようになった。
CDやDVDを買わず、レンタルショップにも行かず、定額制の配信サービスを利用するようになった。
車を持たない代わりにカーシェアサービスを利用するようになった。

ネットオークションやフリーマーケットアプリで中古品を売買するようになった。
商品の実物を見ずにネットのクチコミを参考にして購入するようになった。
つまり、10年前とは明らかに買い物の仕方が変わっているのだ。
ここ数年、百貨店・スーパー・専門店といった小売業界が試練に直面しているのも、これらが対応しきれないスピードで変化が起こっているからだといえる。

これからの10年は、この変化がさらに加速する。
AI(人工知能)の飛躍的な進歩、5Gのサービス開始といった技術革命は、もう間もなく起こることだ。
社会的にも大きな変化がある。
子どものころからSNSに慣れ親しんできた“SNSネイティブ”の世代が成人し、購買力を持つようになるのだ。

こうした変化が進展していくことで、人々は間違いなく「買い物をしなくなる」。
もちろん、お金を支払って何かを買うことがなくなるわけではない。
なくなるのは、これまでの買い物におけるさまざまなプロセスだ。
店に行くことや、現金を用意すること、商品の現物を見ること、さらには商品を自分で選ぶことも含まれる。
これまで当たり前だったプロセスが次々に省略され、そのうち「買い物をしている」という感覚さえなくなっていくのだ。

その過程で私たちを待っているのが、「デジタルシェルフ」である。
デジタルシェルフとは、ショッピングサイトの商品一覧のように、物理的な棚がデジタル上に置き換わっていくことも意味するが、「世の中の電子化が進む中で、日常の身の回りにある、ありとあらゆるものがシェルフ(商品棚)になること」を意味する。
今あなたが持っているパソコンやスマートフォンは、消費者とデジタルシェルフとを直接つなぐものであるが、将来的にはウェアラブル端末など、別の何かがそれに替わるかもしれない。

ただ、ここで重要なのは、ハード面の変化ではない。
たとえば、SNSでフォローしている人が持っているものと同じものをその場で注文する。
映画やドラマを観ながら、登場人物が来ている服を注文する。
気に入った主題歌をスマートフォンにダウンロードする。
冷蔵庫の常備品が切れるタイミングで勝手に商品が送られてくる。
スマートウオッチなどのウェアラブルデバイスが体調の変化を感知して、栄養のある食材を届けてくれる。

消費者の自覚のあるなしにかかわらず、日常のあらゆるシーンに、買い物が組み込まれていく。
デジタルシェルフは、人々の暮らし自体を大きく変えていく。
時代の変化そのものでもあるのだ。

そこでのキーワードは「購入体験」だ。
商品があふれている時代において、商品が優れていること以上に大事なのは購入体験である。
2020年代前半には、私たちのショッピング体験が、今までとは明らかに違うものになるだろう。

『2025年、人は「買い物」をしなくなる』クロスメディア・パブリッシング

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人は「買い物」をしなくなる、というより、買い物時間が限りなくゼロに近くなる、ということ。
ショッピングセンターやスーパーも大型であればあるほど、商品を探すのに時間がかかる。
それは、買い物が面倒だからだ。
本書の中でこう書いてある。
『「買う」という行為は、思いのほか面倒くさい。
まず、店に行かないといけない。
そのための身支度も整えないといけない。
店に行くまでには電車に乗ったり、車を運転したり、自分の足で歩いたりする。
店に着いたら今度は売り場を探さないといけない。
目的の売り場に着いても、類似商品がたくさん並んでいる。
そこから自分が求めているものを選ぶのも、けっこう大変だ。
品質や機能をチェックしたり、値段を見たりと、比較検討することはいろいろある。
買うものが決まったらレジの列に並び、ようやく支払いを済ませる。
買った商品を家に持ち帰るまでも買い物だ。
モノを買うためのプロセスを分解すると、買い物とは、そうした面倒なことの積み重ねだということがわかる。
もちろん、反論も考えられるだろう。
しかしそれは、「買い物のプロセスの一部分」が好きだと言っているだけなのである。
それも条件つきで。』

今後は、「体験型」の店舗しか生き残れないだろうという。
その面でいうと、飲食店は小売店に比べて今後も生き残りやすい。
ただし、Uber Eatsなどのサービスも出てきていることや、人口減少もあり、実店舗はだんだんと減っていくことは避けられない。
他には、美容室や、マッサージ、スパ、エンターテイメント施設など、そこへ行かなければサービスを受けられないものは、ネットでは代替えが難しい。

また、今後は『世の中のあらゆるものが「サブスク化」』される。
音楽はもちろんのこと、NetflixやAmazonプライムなどの動画配信だけでなく、自動車やバイク、洋服、家具、クリーニング、あるいは飲食店の食べ放題、飲み放題などもある。
サブスクとレンタルは非常によく似ている。
それは、「モノを長く持つことが非経済的」と考える人が多くなっているからだ、という。

そして、買い物時間は時代とともにますます短くなっている。
それは、企業にとっては、時間を奪い合うということでもある。
「より短い時間で買い物ができる」「より面倒でない方法で買い物ができる」という追求だ。

また、小売業によるプライベートブランド化が進むことにより、売れ筋を奪われた企業は苦境に陥っているが、昨今は企業の消費者への直販システムが盛んになってきた。
アップルのApple Storeがいい例だ。

時代は大きく変わっている。
次の10年を見据えた、変化の波をとらえたい
posted by Dr.モーリィー at 07:49| ちょっと気になる善い言葉 | 更新情報をチェックする

2020年02月16日

No 5479   【先が読めると、一気に人生がつまらなくなる】

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おいちゃんのお気に入りブログ【人のこころに灯をともす】からの転載です

【先が読めると、一気に人生がつまらなくなる】

野呂エイシロウ氏の心に響く言葉より…



ある程度の時間を生きてきたら、先が見えるようになります。
つまり、自分は支店長止まりだな、部長止まりだなとわかるようになるのです。
僕はこれが一番よくないと思う。

先が読めると、一気に人生がつまらなくなるからです。
本当は、先を読んでいるのではなく勝手にあきらめているだけなのです。
勝手に人生を捨てているだけなのです。

じつは、人間には未来を予測する能力がありません。
天気だって統計学で予測しているだけです。
それと同じです。
AIだって確率統計です。
計算しているだけで未来を予測しているわけではありません。

人間も未来は予測できない。
単純にあきらめてそう思っているだけです。
部長になれないと思っていても、もし1000億円の受注を取ってきたらどうでしょうか?
あなたがいないと会社が倒産する勢いだったら次の株主総会で役員にもなれます。
そう、自分の能力や努力をしていないことを「運」のせいにしているだけです。
運が悪いからこうなると。

しかし、そう思い始めると、僕たちはなぜかその先に進もうとせず、ブレーキを踏んでしまいます。
これは、恐怖で運を拒んでいるだけ、捨てているだけなのです。
こんなときは、「自分が本当にやりたいことは、なんだっけ?」「今の仕事の他にやりたいことはなんだっけ?」と自問自答すると、「いかん、ブレーキを踏んでいる場合ではない」と思い出せます。

いずれにしても、今見えている「先」には、まだまだ先がある。
僕らは、自分の上司を見たり、その上の役員を見たりして、狭い世界で物事を判断しています。
でも、それは知らないだけ。
本を読んだり、他の会社の人に会ったり、いろんなやり方をすればもっと大きな景色が見えます。

300年ほど前まで、ヨーロッパの人々はアメリカを知りませんでした。
つい50年ほど前まで、僕らは月の裏側を知らなかった。
でも知ることで先の先があることがわかる。

会社の形態だって働き方だってどんどん変わっている。
それを理解するところから、先の先がわかるようになります。
運は、先の先を目指し続ける人にやってきます。

『成功を決めるのは才能よりも運』大和書房

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話をしていて、つまらない人の特徴は、未来に向かって努力しない人の話だ。
「どうせ私の人生はこんなもんだ」と、未来を切り開くことをあきらめ、なげやりになって、できないことを、人のせいやまわりのせいにする。
そして、自分からは行動せずに、ただ、棚ぼたの運がやってくるのを待っている。

人生には、何千通り、何万通りと、選択肢は星の数ほどある。
それなのに、その選択肢を一つも試さないことこそ、運が悪いことの典型だ。

一つ行動すれば、何かの反応は必ずある。
もしないなら、もう一つ行動を起こすまでだ。
そして、何かのよい反応があるまで、行動をいくつでも積み重ねる。

人生は、何事もやってみなければわからない。
頭で考えて、先を読んだつもりになって、人生をあきらめるなら、そんな味気ないものはない。

人生を、一気につまらなくしないために、あれも、これも、なんでも気軽にやってみる。
腰を軽く…
行動多き人生でありたい
posted by Dr.モーリィー at 10:20| ちょっと気になる善い言葉 | 更新情報をチェックする

No 5478   【利己的な生き方と利他的な生きかた】

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おいちゃんのお気に入りブログ【人のこころに灯をともす】からの転載です

【利己的な生き方と利他的な生きかた】

筑波大学名誉教授、村上和雄氏の心に響く言葉より…


ヒトを含め、いま、この地球上に生きるすべての生物は、生命の誕生以来、幾多の過酷な試練を切り抜けて生き残ってきたものの子孫です。
何よりも自分の子孫を後世に残し、自分の種の生存を最優先することは生き抜くために必要であり、ある程度、利己的であることは生きる術として遺伝子に刻まれたものだと思います。
その一方で、群れて暮らす生きものたちは、集団として生き残るための術として、他者を思いやる利他的な遺伝子を獲得したのだと思います。

利他的であることと、利己的であることは一見、相反しているように見えますが、本来、表裏一体のものであり、種の保存と個体の生存に必要な本能行動としてヒトに定着したのだと思います。
その結果、ヒトは、利己的な生き方と利他的な生きかたを併せ持ち、そのふたつのバランスをとりながら、いまを生きているのです。

私たちは人から感謝されたときに、より強く幸せを感じます。
これは、利他のほうが利己よりも進化的に新しく、ヒトにおいて著しく発達したこころの働きが、より強く作用しているからだと考えられています。
そうであるならば、人間は利他性を強く意識することで、より利他的な生き方へと進化することが可能だと思われます。

2011年に起きた東日本大震災は、まさに人々の意識を変え、その後に展開された数々の支援は、我欲が目立つ現在の世の中に人間の利他性がまだまだ健在であることを示しました。
人間が持つ高度な社会性の基盤が利他性にあるならば、私たちは意識的に利他的な遺伝子をオンにして、日常的に助け合うこころを発揮していくべきです。
それが、よりよい社会や地球を創っていくことにつながるはずです。

進化生物学者の長谷川真理子さんは、ヒトは本来、助け合う生きものとして進化してきたと述べています。
ヒトの身体が進化によって適応的に作られたように、ヒトのこころもまた進化しました。
この考えかたは、コンピュータ・シミュレーションを用いたゲームを行うことで検証されました。

1回でゲームが終わる場合、協力行動はなかなか生まれません。
しかし、同じ個体同士が繰り返しゲームを行う場合、状況は変わってきます。
他者を裏切ってでも自分の利益だけを追求していくものは、最初は繁栄しますが、そのうち、そうした考えかたをする者同士が騙(だま)し合って自滅します。

一方、しっかりとギブ&テイクをする集団は、繰り返しゲームを行うことで双方の利益がプラスになり、結果的に繁栄します。
つまり、長期的な付き合いが続くケースにおいては、協力行動が進化することが、モデルを用いたシミュレーション研究から明らかにされたのです。
そして、ヒトほど他者と協調し、協力し、援助したりする生物は他にはいません。
では、なぜ、ヒトにおいて、これほど利他的な行動が進化したのでしょう。
それは、ヒトにこころがあったからだと長谷川さんは主張しています。

ヒトを含めた地球上のすべての生命は、連綿とつながるいのちのリレーの果てにいまを生きています。
そこには、個体の生存と種の保存という利己的な目的とともに、それを補完する利他的な恩恵も関与したことがわかります。
もしかすると、この利他性こそが生命の重要な本質かもしれません。

利他とは、必ずしも自分が犠牲になることではありません。
自分を生かすことにつながることです。
人とともに喜び、人とともに悲しむことで、その人の人生はより豊かなものになっていきます。
喜びは分けることで増えていきますし、悲しみは分けることで減っていきます。

『望みはかなうきっとよくなる』海竜社

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「うばい合えばたらぬ わけ合えばあまる」
という相田みつを氏の言葉がある。

利己的な人だけがあつまり、利己的な行動の限りをつくすと、そのグループは自滅する。
うばい合えば足りぬ、と殺伐(さつばつ)として、最後はお互いに傷つけあうことになる。

それは、地獄と天国の話にもある話だ。
天国にも地獄にもごちそうがふんだんにあるという。
食事の際には、長い箸(はし)を使う。
箸は、あまりに長いので、自分の口に持ってくることはできないが、相手の口には持っていくことはできる。
天国の住人たちは、その長い箸を使って、ニコニコしながら、お互いの口に御馳走を運んで、お互いに感謝しながら楽しく暮らしている。
しかし、地獄の住人たちは、われ先に、自分の口に御馳走を持ってこようとするが、一口も食べることができないため、みな殺気立って、ケンカが絶えず、怒鳴り声が鳴り響き、やせて骨と皮ばかりになっている。

地獄の住人は、自分のことしか考えない利己の人。
相手の利益になることや、相手が幸せになることなど、これっぽっちも考えていない。

「人間は利他性を強く意識することで、より利他的な生き方へと進化することが可能」だという。
利他的な生き方ができる人でありたい
posted by Dr.モーリィー at 10:13| ちょっと気になる善い言葉 | 更新情報をチェックする

2020年02月14日

No 5477   【この世界は、早いものが正しい】

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おいちゃんのお気に入りブログ【人のこころに灯をともす】からの転載です

【この世界は、早いものが正しい】

斎藤一人さんの心に響く言葉より…



私のお弟子さんたちは、みんな億万長者になりました。
そうすると、奇跡だって言われるんだけど、奇跡なんかじゃないよ。
ただ、私ができることをしてあげただけ。
試験会場に行って、お弟子さんの代わりに、私が問題を解いてあげてるようなものなんです。
それをやってるうちに、お弟子さんたちは私がやってるのを見て、自分でちょっとずつ成長したの。

難しいことじゃないんです。
だれにでもできることなんだよね。
普通はお弟子さんの仕事を手伝っちゃいけないとか、お弟子さんの実力そのものをつけてあげようとかって思うんです。
だけど、そんなことより、私がしてあげたほうが早い。

この世界にいる間は、なぜか早いものが正しいんです。
人はみんなそれぞれ、優れているところがあります。
ただ、事業のことや、修行のことがわからないっている人もいる。
それなら、できる人がやってあげたらいい。
そして、できることをどんどん教えちゃうの。

そうすると、できない人はできる人がやっていることをじーっと見ているだけで、いつの間にか自分も覚えていくんです。
しかも、それにプラスして自分の個性的なものが出てくるから、もっとよくなっちゃうんだよね。

世間では、まずは実力だとかって言うけど、それって本当なのかなって思う。
私は、世間が正しいと言っていることを、何でも「本当なのかな?」って思う癖がある。
よくよく考えて見ると、本当のこともあれば、そうじゃないこともあるんだよ。

学校では、試験の解答を見せ合っちゃいけないよね。
それはわかります。
だけど、学校じゃないところでそれをする意味ってわからない。

私は、仲間は助け合うべきだと思っています。
で、よその会社とは競い合うべきだと思っています。
時と場合によっては競い合うことが正しいし、ここは助け合いが正しいんだっていうときもあるんだよね。

『斎藤一人 俺の人生 (すべてが成功する絶対法則)』マキノ出版

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斎藤一人さんは「早いもの」についてこう語る。
『やりたいこと、挑戦したいことがあるなら、理由をつけずに今すぐやっちゃうことだよ。
「豪華列車で旅がしたい」と言うなら、最短でできることを考えるんだよ。
貯金してもいいけど、誰かに借金して行く方が早い。
そして、早く返す方法を考えればいい。
列車の中で仕事をして稼ぐ方法を考えてもいい。
最短で、目的を達する知恵を絞るんです。
これができると、人生も仕事もうんとたのしくなるよ』(齋藤一人一日一語)より

『「チャンスの神さまは、チャンスの顔はしていないんだよ。
大切なのは、チャンスかどうか躊躇していたらダメなんだってこと。
だって、つかんで行動してみて、初めて正しいかどうかわかるんだよ。
だから、まず、つかむんだよ。
行動の遅い人はね、すべて遅いの。
ゆっくり慎重に行動すればいいことが起こりそうな気がするけど、それは気のせいなの(笑)。
だって、じっくり考えたって正解かどうかは、行動しなければわからないんだから。
行動の早い人は、失敗したら次の行動に移るのも早いから、失敗したようには見えないんだ。
反対に、行動の遅い人は失敗してもなかなかやめようとしないから、ずーっと失敗し続けることになる』(齋藤一人「強運」になれる7つの法則)より

我々がこの世に生まれてきた目的は、「魂を磨くこと」だと言われる。
魂を磨いて、少しでもましな人間になってあの世に行くこと。

しかしながら、我々の人生は限られている。
うかうかしていると、あっという間に過ぎてしまう。
だからこそ、「早く」というのが大事になってくる。
「早く」というのは考えることではなく、行動のこと。
「失敗」だって、めげずに、倒れたらすぐに起き上がって、もう一度チャレンジするという姿勢があれば、まわりからは失敗したようには見えない。

何事も最短でできることを考えると、それがゲームのようになる。
すると、効率が高まり、また別のチャレンジをする時間ができる。
余裕が生まれるのだ。

「この世界は、早いものが正しい」
とにかく、早い行動ができる人でありたい
posted by Dr.モーリィー at 07:40| ちょっと気になる善い言葉 | 更新情報をチェックする

2020年02月13日

No 5476   【「与える人」こそ成功する時代】

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おいちゃんのお気に入りブログ【人のこころに灯をともす】からの転載です

【「与える人」こそ成功する時代】

アダム・グラント氏の心に響く言葉より…



「テイカー」は常に、与えるより多くを受けとろうとする。
ギブ・アンド・テイクの関係を自分の有利になるようにもっていき、相手の必要性よりも自分の利益を優先する。
テイカーにとって、世の中は食うか食われるかの熾烈(しれつ)な競争社会だ。
だから成功するには、人より上にいかなければならないと思っている。
能力を証明するために自分を売り込み、また、費やした努力は必ずきちんと認められるようにする。
たいてのテイカーは冷酷でもなければ非情でもない。
ただ用心深く、自己防衛的なだけである。
自分の身は自分で守らなければならないと考えているからだ。

テイカーとは正反対を「ギバー」という。
職場にギバーはめったにいない。
ギバーはギブ・アンド・テイクの関係を相手の利益になるようにもっていき、受けとる以上に与えようとする。
ギバーかテイカーかは金銭的なことでは測れない。
仕事に関しては、慈善事業にいくら寄付しているかや、いくら給料をもらっているかで、ギバーとテイカーを区別することはできない。
それより、ギバーとテイカーは他人に対する態度と行動が違っているのだ。

テイカーが自分を中心に考えるのに対し、ギバーは他人を中心に考え、相手が何を求めているかに注意を払う。
テイカーなら、得られる利益が損失を上回る場合にかぎり、相手の有利になるように協力する。
一方ギバーなら、いつ何時も、損失より「相手」の利益のほうが上回るように手を差し伸べるのだ。
いいかえれば、自分が払う犠牲はあまり気にせず、見返りをいっさい期待することなく相手を助けるということである。
仕事においてギバーである人は、自分の時間、エネルギー、知識、スキル、アイデア、有益な人脈を惜しみなく分かち合おうとするだろう。

そういうと、まるでギバーがマザー・テレサやマハトマ・ガンジーに匹敵する人物のように聞こえるかもしれないが、ギバーになるのに何も並はずれた犠牲は必要ない。
ただ他人の利益のために行動することを心がけ、助けたり、助言したり、手柄を分かち合ったり、わたりをつけてやったりするだけだ。
職場以外では、このタイプの行動をする人はざらにいる。
イェール大学の心理学者、マーガレット・クラークが行った調査によれば、親密な人間関係ではたいての人がギバーとして振る舞うという。
家族や友人に対しては、いつでも打算なしで相手の役に立とうとする。

しかしいざ職場となると、ギブ・アンド・テイクはもっと複雑なものになる。
仕事においては、ギバーかテイカーかにはっきりと分かれることはほとんどなく、たいていの人が第三のタイプになる。
それが、与えることと受けとることのバランスをとろうとする「マッチャー」だ。
マッチャーは常に“公平”という観点にもとづいて行動する。
だから人を助けるときは、見返りを求めることで自己防衛する。
マッチャーは相手の出方に合わせて、助けたりしっぺ返しをしたりしながら、ギブとテイクを五分五分に保つのである。

実際、三タイプのどれであるかによって、成功の可能性ははっきりと違ってくる。
では、もっとも成功できそうにないのは誰だと思うだろうか。
調査によれば、成功からほど遠い位置にいるのは、ほとんどがギバーだ。
どの重要な職業を例にとっても、ギバーはいつも割を食っている。
それは、自分の成功を犠牲にして、相手の利益を優先しているからなのだ。

どの職種をとっても、ギバーはとても思いやりがあり、人を疑わず、相手の利益のためなら自分の利益を犠牲にすることもいとわないようだ。
どうやら成功からもっとも遠いのはギバーのようだが、では、成功を収めるのはテイカーだろうか。
それともマッチャーだろうか。
実は、そのどちらでもない。
データをもう一度見て、私は驚くべきことを発見した。
何と、それもギバーだったのだ。

一番生産性の低いエンジニアはほとんどがギバーである。
ところがもっとも生産性の高いエンジニアも、やはりギバーだったのだ。
業績の質・量ともに最高点を獲得したのは、受けとるより多くを同僚に与える人びとなのである。
このパターンはどの分野でも変わらない。
もっとも成績の低いベルギーの医学生は、ギバーであることを示す得点が非常に高いが、「もっとも成績のよい」学生もやはりそうだった。
医学部全体では、ギバーは成績が11パーセントも高い。

ギバーは「お人好しで、他人にいいように使われる人」と思われがちだが、実は意外にも成功者が多い。
こうしたギバーたちは、「成功するのが先で、与えるのはそのあと」という一般的なやり方の逆を行き、「先に与える人」こそが、あとでもっとも成功するのだと教えてくれる。

もちろん、ギバーもテイカーも、マッチャーも成功することは可能だし、現に成功してもいる。
しかしギバーが成功するときには、ギバー特有の現象が起こるのだ…その成功がまわりの人びとに波及していくのである。
テイカーが勝つ場合には、たいていほかの誰かが負ける。
調査によれば、成功したテイカーは妬(ねた)まれやすく、何とかしてその鼻をへし折ってやろうと周囲から思われるという。
それとは対照的に、ギバーが勝つと、みんなやんやと声援を送り、非難することなどない。
その成功が、周囲の人びとの成功を増幅させるからだ。

『GIVE & TAKE「与える人」こそ成功する時代 三笠書房 電子書籍』三笠書房

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ギバーには2種類いるという。
「自己犠牲型」と「他者志向型」だ。
成功するギバーは「他者志向型」の人。

「自己犠牲型」は、楽しいと思ってやるのではなく、義務感を感じて、自分を犠牲にしてまでギブする。
頼まれたら断れなかったり、自分の貴重な時間やエネルギーを無理やり割いて、人の役に立とうとする。
だから、テイカーに利用されやすい。
そして、我慢して人に譲ることや、自己犠牲が美徳だと思っている。

「他者志向型」は、自分が「楽しいから」、「おもしろいから」、「気持ちいいから」、無理せず、自然に、人にギブする。
意義のあることをしていると感じているから、長く続く。
そして、「人を喜ばせること」「周りの人の利益になること」を常に考え、行動する。
それを長年やっていくと、必然的に感謝され、多くの人との関係ができ、そのネットワークが自然とできる。
ネットワークが広がれば、最初は自分の利益がなかったとしても、まわりの一人一人の利益が増えることにより、まわりまわって自分に利益がもたらされることになる。
これが、「情けは人のためならず」ということ。
また、大事なことは、だれかれ構わずギブするわけではない。
悪意あるテイカーにだまされるような、ただの「お人よし」ではないということ。

他者志向型のギバーを目指したい
posted by Dr.モーリィー at 07:23| ちょっと気になる善い言葉 | 更新情報をチェックする