2019年05月31日

No 5158   【起業家のように企業で働く】

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おいちゃんのお気に入りブログ【人のこころに灯をともす】からの転載です

【起業家のように企業で働く】

小杉俊哉氏の心に響く言葉より…



『起業家のように企業で働く』を出版してから5年半が経過した。
この5年半を振り返ると、当時とは大きく環境が変化している。

見えやすい点としては、超人手不足で、求人倍率が高く圧倒的な売り手市場となり、新卒の学生たちは多くの内定を得て、その中でもっともよい会社を選んでいる。
特に意欲が高く優秀な人材の行動も大きく変化している。
5年半前は、就職人気ランキング上位を占める、金融・保険を中心とするいわゆる日本の一流企業に就職する、というのがまだ王道だった。
しかし、かつては思うように人材を集められたメガバンクも今や優秀な人材を惹きつけるのに苦労している。
彼らの志望は戦略コンサルティング会社や、外資系企業だったりするからだ。
たとえば、数十万人が読者という「外資就活ドットコム」のチヒロさんのコラム「外資イケメン図鑑」に出ているようなキャリアがあこがれだったりするようだ。
それは、まず戦略コンサルティング会社に入って、起業し、それを売却してまた次の企業をしたり(シリアル・アントレプレナー)、あるいは大学で教えたりする、というようなキャリアだ。

また、一旦退職しても、外で経験したことを活かして変革の担い手になりうる「出戻り」を積極的に進める動きが注目されるようになった。
パナソニックはその代表だ。
自らの専門性を磨きフリーランスとして独立して働くことを目指す人も多くなっている。

このような人材キャリア感の変化を受けて、企業側も社員を縛り付けるのではなく、より自律的に働いてもらうという方向に急速に変化している。
副業の解禁・緩和は、意識が高い人材を社内に引き留めておく手段にもなっている。
かつての副業は小遣い稼ぎが主流であったが、たとえば学生時代からNPO活動に関わってきた学生は、自分のオフの時間を使って世の中の役に立ちたいという思いを就職してからも持ち続けるからだ。
働き方改革により、残業が厳しく規制されるようになり、プライベートに使える時間が増えてことも、それを後押ししていると感じる。

またNPO法人クロスフィールズなどを使って資本関係のない発展途上国の企業に「留職」をしたり、国内でも企業間移籍のプラットフォームなどを使ったりしてベンチャーなどに人材を出向させる企業も増えてきた。
資本関係のある子会社への出向だとどうしても甘えが生じるが、たとえば、破綻した第三セクターやスタートアップで働くことは、1年でも武者修行となり大きな成長が期待できるからだ。

この5年半で、AI、ロボットの導入の必要性は常識となり、業種を問わずAIを専攻したエンジニアやデータサイエンティストが求められるようになった。
新卒でも彼らの年収は1千万円を超えるというケースも、珍しいことではなくなった。
さらに、日本人ではとてもニーズをまかなうほどの人数を確保できていないので、海外の新卒生を「スカウト」にいくような動きも今後加速していくだろう。

さて、このような変化の中で、企業で働くメリットを改めて考え、企業において「起業家のように」働くことは、ごく一握りの人たちではなく、誰にでも必要なことになってきたのではないだろうか。
企業で働く人にとって「起業家」とは、縁の遠い存在かもしれない。
何か特別な能力を持ち、成功する保証もない事業にリスクをとって望むエネルギーに恵まれ、なるべくしてなる別世界の人、というイメージだと思う。

企業に勤める人たちとスタートアップ経営者。
彼らと間近で接してきてつくづく思うこと。
それは「起業家」マインドが必要なのは、スタートアップ経営者だけではない。
企業で働くにしても「起業家」のように考え、働くことが必要だ、ということだ。

企業において、どんどん出世していく人、あるいは、やらされ感なく楽しそうに仕事をしている人は、例外なく「起業家」マインドを持って自律的に働いている。
「起業家」マインド、すなわちアントレプレナーシップが、企業人にも必要だということはさんざん言われてきた。
しかし、「で、具体的にはどうすればいいの?」ということに対する答えは掲示されてこなかったように感じる。

『起業家のように企業で働く 令和版』クロスメディア・パブリッシング

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小杉俊哉氏は本書の中でこう語る。

『企業研修で多くの人たちに接してきて感じるのは、ほとんどの人が組織に依存していて、自ら主体的に動けるということを忘れてしまっている、ということだ。
企業で働く自律した人は、50人に1人、100人に2人くらいしかいない、という実感がある。
企業で働くにしても、自ら仕事を作り出し、自らの責任において行う、すなわち「自律」が必要になった。
結局は、いざとなったら誰も助けてくれないし、責任をとってくれない。
日々ニュースとして取り上げられている企業のM&Aや部門売却・買収の対象となった人たちのことを考えればわかるはずだ。
かつては、上司の指示を受け、言われたことをきちんとそつなくこなす部下が優秀な部下であると評価された。
今でも、もちろん言われたことはちゃんとやらなければ評価されることはないだろう。
だが、それだけでは十分ではないんだ。
この20年あまりで、企業とそこで働く人材との関係は、上下関係から、横並びの対等な関係に変わっている。
その意味は、固定的な保証された関係から、流動的な双方向性の努力が必要な関係、すなわち、親子関係から大人同士の関係へと変化したということだ。
企業の経営者や管理者は、業績を上げて人材が魅力を感じる場や機会を与え続けないと、人材を惹きつけ、働き続けてもらうことは出来ない。
人材も、自身の能力やエンプロイアビリティ(雇用されうる能力)を高めるために自己投資をし続けないと、環境が変わったときに要らない人材になってしまうリスクが高い、ということだ。』

フィンランドでは、小学校から起業家精神の教育をしている。
起業家精神(アントレプレナーシップ)とは、
『創造性、自己効力感(自己に対する信頼感や有能感のこと)、柔軟性、活動、勇気、イニシアティブとリスク管理、方向性、協調性とネットワーク能力、ものごとを達成するモチベーション、常に学び続ける態度、空想性、豊かな発想、我慢強さなどを意味します。
フィンランド教育省は、起業家精神は「アイデアを行動に翻訳する個人の能力」と定義しています。
これは創造性を発揮してユニークなアイデアを生み出し、さらに単なるアイデアで終わらせずに行動に移す、という二面の能力を要求しているのです』(みんなの教育 スウェーデンの「人を育てる」国家戦略)より

起業家のように企業で働く人には限りない魅力がある
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2019年05月30日

No 5157   【正しい情報を得る努力】

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おいちゃんのお気に入りブログ【人のこころに灯をともす】からの転載です

【正しい情報を得る努力】

堀江貴文氏の心に響く言葉より…



皆と同じように小学校、中学校、高校に通い、受験を経て大学に行き、皆と同じようなスーツを着て就職活動をして大企業に入ってサラリーマンになり、その後、結婚して家族を持ち、マイホームを買う…。
僕はこれまで一貫してそうした「世間の常識」を押しつける人に異を唱えてきた。

では、そうした世間の常識を押しつけてくるのは誰かというと僕の場合、田舎で暮らす情報リテラシー(情報レベル)の低い親である。
僕だけでなく、そういう人は多いのではないか。

僕の親は「大企業に就職しろ」だの「ちゃんと結婚しろ」だのと、ずっと僕にまくしたててきた。
だが、僕にとってはその親が強要してくる情報が害悪になることが多かった。
では、なぜ親は、そういうのかというと、テレビをはじめとした旧態依然としたメディアの嘘に毒されているからだ。
特にテレビが流している情報がすべて真実だと思い込んで、思考が短絡的になっている人は驚くほど多い。
テレビほどではないかもしれないが、新聞や週刊誌も同様だ。

また、やはりネットには嘘やデマが多い。
そのまま鵜呑みにしてしまってはいけない情報が「普通」に存在していることを忘れてはいけない。
こうした情報がなくなることはないだろう。
では、どうすればいいのかというと、まずは、嘘情報を鵜呑みにしてしまう人を遠ざけるしかないのだ。
それがたとえ親であろうと同じことだ。
実の親だからといって、何かの知見を得る相手として常にふさわしいとは限らない。
もちろん、親子の情愛は大切にすればいい。

あとは、情報発信において信頼できる人を1人でも多く見つけるしかない。
これはリアルでもネットでも同じことだ。
「情報強者」を探して、自分も「情報強者」になるしかない。
情報強者は、情報弱者と違ってデマに踊らされることもないし、正確な情報を得やすく、正しい判断ができる。
正しい情報も間違った情報も発信するのは人間だ。
そうであれば、正しい情報を発信する人間とのつながりを持つようにするしかない。

今はツイッターで誰をフォローしているかということも重要だ。
それによって自分が情報社会のどこに属しているかということがわかるのだ。
情報強者になりたければ、質の低い情報を発信する人間とそれを信じ込む人を遠ざけ情報の感度を上げていくしかない。

『(169)情報だけ武器にしろ。: お金や人脈、学歴はいらない! (ポプラ新書)』

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堀江氏はこう語る。(本書より)
『チャレンジしたいとき、本当にやりたいことが見つかったときに、あなたは自由に動いてみればいい。
「常識」という声がうるさいかもしれないが、それは幻想の「情報」であることがほとんどだ。
「思い込みの罠」に、いいようにはまってはいけない。
別の既存のレールの上を生きる人を否定しているわけではない。
自分で納得して選んだ道ならいいと思う。
でも、その道を選ばない人にとって、別の道もあるよ、あなたにとってこっちのほうがラクだし向いているかもしれないよ、という未来があることをわかってほしい。
自分の可能性を狭めてしまう常識に価値はない。
誰かが勝手につくった既存のルールなんて守る必要はない。
自由に生きることが何より幸せな人生なのだから。』

現代は、様々な価値観が考えられないくらい、日々大きく変わっている。
人口減少、高齢化、終身雇用の崩壊、働き方等々。
これらの価値観は、すべて、ITやAIの進化と相まって、幾何級数的に変化している。

これらの変化に親世代はついていけないのだ。
まさに、「最近の若者は」と言う世代になってしまったということ。
親世代は、自ら、「新しいモノや考え方を身につけ」、「世のなかの変化を楽しむ」姿勢がなければならない。
そのためにも…
日々、新しくて、正しい情報を得る努力を重ねたい
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2019年05月29日

No 5156   【工業化社会から情報化社会へ】

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【工業化社会から情報化社会へ】

落合陽一氏の心に響く言葉より…



新卒で会社に就職し、年齢に応じた昇給を繰り返しながら定年まで勤め上げる。
このような終身雇用・年功序列を前提とした労働形態が一般的になったのは、戦後になってからのことです。
明治期の日本の産業は農業をはじめとする第一次産業が中心でしたが、昭和期にはいって工業化が進展するに伴い、技術に習熟した熟練工の需要が増し、企業側は勤続年数に応じた昇給や手厚い福利厚生などを提供するようになります。
この傾向は戦後になるとさらに進み、高度経済成長期に入って若い労働力が求められるようになると、多くの企業が長期雇用を前提とした雇用形態をとるようになりました。
この工業を基盤とした社会では、労働者の多くが同一のインフラに乗り、同じ信念を持ち、同じ方向に成長していくことが、生産の効率化とコストの最小化のために効果的でした。

生涯ひとつの会社で同じ社風に染まり、出世競争をしながら生産性を上げていくことが、会社にとっても個人にとっても最適解となる。
終身雇用・年功序列に象徴される日本人の働き方は、こうした社会状況のもとで形づくられたものです。

しかし、現在、そのやり方はもはや有効ではありません。
契機となったのは工業化社会から情報化社会への転換です。
現在の世界の時価総額ランキングに目を向けると、インターネット関連の企業が上位を独占しています。
また、産業別の経済利益率を比較しても、「インターネット付随サービス業」は飛び抜けて高い数字を示していることがわかります。
2000年代以降、世界経済は工業ではなく情報産業を中心に回るようになったのです。

また、終身雇用・年功序列の制度が、少子高齢社会の日本にはそぐわなくなったことも大きな要因です。
この制度では社員の年齢が上がるほど人件費が増大します。
戦後の若年層が多かった時代には問題になりませんでしたが、今の社会状況では企業の負担が大きく維持は難しいでしょう。

こういった社会状況の転換は現在も進行中で、今後はさらに巨大な変化が訪れる可能性があります。
その中で重要なキーワードになると考えられるのが、「限界費用ゼロ化」「インフラ撤退社会」「ダイバーシティの実現」です。

『日本進化論 (SB新書)』

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3つのキーワード、「限界費用ゼロ化」「インフラ撤退社会」「ダイバーシティの実現」についての説明を本書より。

《限界費用ゼロ》
「限界費用」とは経済学の用語で、財やサービスを生産するとき、ある生産量からさらに一単位多く生産するのに伴う追加的な費用のことです。
20世紀の工業的なものづくりでは、新たに追加で製品をつくろうとすると、その分の原材料費や人件費がかかるため、限界費用が増加します。
その結果生まれたのが、画一的なデザインによる大量生産です。
商品を1つ増産するときの限界費用を最小化するには、同じ設計の製品を向上で大規模に生産するというやり方が、最も効率的でした。
しかし、スフとウェア産業やインターネット産業では、事情は全く違ってきます。
パソコンやスマホで、データやアプリを一単位多く生産するときにかかる追加的な費用は実質ゼロです。
今、インターネットに接続されたすべての人々はその恩恵にあずかっています。
限界費用が低下すると、生産手段の民主化が進み、生産者と消費者の境界はあいまいになります。
動画配信(ユーチューブなど)、SNS(ツイッターやインスタグラムなど)といったプラットフォーム型のビジネスは、限界費用のゼロ化にによって登場したサービスといえるでしょう。
同様に、今後はコンテンツ業界に限らず、様々な分野でプラットフォーム的な仕組みが導入されるようになるでしょう。

《インフラ撤退社会》
少子高齢社会では、これまでのような右肩上がりの成長を前提とした、大規模な社会的インフラの構築は難しくなります。
特に過疎化が進む地方の村落では、巨大なインフラを維持管理するコストがわりに合わなくなるため、従来の大規模なインフラを、個別の状況に応じた適正なサイズのインフラに置き換える必要が出てきます。
今後、インフラの縮小・撤退がはじまることで、地方の利便性はますます失われ、東京への一極集中はさらに加速する未来を予想する人もいるかもしれません。
もちろん都市部への集中は傾向として見てとれますが、それ以外にも、コミュニケーションテクノロジーの発達を踏まえると、また違った周辺環境を考えることができるかもしれません。
20世紀までの労働環境では、毎日オフィスに出勤して仕事をするのが当たり前でした。
しかし、今日ではビデオ通話サービスのSkypeや、チャットツールのslacksなどが登場し、自宅やカフェを拠点に働く人も増えています。
ハードウェア的なインフラが後退した地域でも、ネットワークインフラさえ確保されていれば、何不自由なく仕事ができる環境が整いつつあるのです。
将来的にはテレプレゼンス(遠隔地のメンバーとその場で対面しているかのような臨場感を提供する技術のこと)、テレイグジスタンス(バーチャルリアリティの一分野であり、遠隔地にある物や人があたかも近くにあるかのように感じながら、操作などをリアルタイムに行う環境を構築する技術およびその体系のこと)といった技術の発展によって、身体の移動に関わるコストはゼロ近くにまで抑制されるでしょう。
インフラが縮小・撤退した後の地方であっても、そこが不毛の土地とは限りません。
むしろ安い家賃や生活費、豊富な自然といった魅力に目を向ければ、新しい事業にふさわしい土地になる可能性もあるのです。

《ダイバーシティの実現》
テクノロジーの発展は、私たちの社会にまつわる様々なダイバーシティ(多様性)を促進します。
ここでいう多様性とは、性別・人種・年齢・障がいまでを含めた、幅広い人間のあり方を受け入れるという意味です。
これまでも人間は、テクノロジーによって身体能力を拡張させ、個人間の能力差を縮めたり、能力の欠陥を補ったりしてきました。
その好例がメガネです。
自然の中で生活していた人類にとって近視は致命的な弱点となったはずですが、メガネが普及してからは大きなハンディキャップではなくなりました。
先進的な例としては、分身ロボットの「OriHime(オリヒメ)」が挙げられるでしょう。
遠隔操作でありながら、まるでその場にいるような感覚を再現できるロボットで、身体が不自由な難病患者や不登校児でも、病院や自宅にいながら身体感覚を伴ったコミュニケーションがとれます。
これまで障がいとされてきたようなハンデがあっても、健常者と同じような働き方を実現できる技術が登場しはじめているのです。
こういった人間の身体機能を補うテクノロジーは、社会の多様性を促進します。

■「限界費用ゼロ」とは、たとえば飛行機に空席があった場合、乗客が10人増えても、20人増えても経費は変わらない(厳密にいうと食事とか、飲み物代はかかるが)。
これは映画館や電車やバスでも同じ。
自家用の車にしても、週に2回しか使わないなら、あとの5日は空いている。
空いてる日を、シェアリングすれば、ほぼ限界費用ゼロで運用できる。
特にインターネットでは、これは顕著で、音楽配信(Spotifyなど)や、映像配信(ネットフリックなど)は、何人増えようと限界費用ゼロだ。
インターネット検索も、SNSも、テレビ電話のフェイスタイムも、lineも、Zoomも、みんなタダだ。
つまり、コストゼロのサービスやビジネスのこと。
これは、今後ますます伸びていく。

■「インフラ撤退社会」とは、簡単にいうなら「箱もの」がなくなっていくということ。
これも、箱ものを補う、インターネットを使った技術がますます盛んになる。

■「ダイバーシティの実現」も同様に、インターネットやAIやロボットの技術を使って更に可能性が拡大していく。
たとえば、言語の違いなども、翻訳ソフトがもっと進めば、同時通訳も不可能ではなく、人種の違いを超えて多様性を受け入れることができる。

工業化社会から情報化社会へ大きく変わった今…
頭を切り替え、変化の波を乗り越えていきたい
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2019年05月28日

No 5154   【新しいものが好きで、世の中の変化が好きな人】

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【新しいものが好きで、世の中の変化が好きな人】

成毛眞氏の心に響く言葉より…



拙著「理系脳で考える」に、「AI時代になると真っ先に文系脳の人が食いっぱぐれ、理系脳の人が生き残る」と書いた。
理系脳と言うと、理工学部などを卒業した理科系をイメージされるかもしれないが、理系脳と理系はイコールではない。
私が言う理系脳とは、新しいものが好き、世の中の変化が好きという感覚に近い。

ドローンとか、VRとか、最新のiPhoneといった、新しいガジェットが出ると聞くといち早く飛びつくタイプが理系脳の持ち主といえる。
だから、本当は「理系」に代わる何か別の言葉が必要なのかもしれない。
文系学部出身者でも理系脳の人はいる。
文系脳の人は、新しいものに興味を持たないから、変化に対応できない。

理系脳の子に育てるにはSTEM教育が必要だが、最低でも新しいデバイスとプログラミングを学ぶ機会を与える必要がある。
娘が小学生のころ、近所に住む東大生が「家庭教育のアルバイトをさせてほしい」と言ってきたことがある。
当然、英語とか数学を教えるものだと思っていたら、話が全然違っていた。
工学部の彼は、娘にHTMLを覚えさえ、その流れでプログラミングをたたき込んでいた。

その後、娘は中学、高校、大学、そして卒業後に入社した商社でもプログラミングの技術を使うことはなかった。
ところが、最近になって転職した企業でプログラミングの研修を受けたのだという。
同僚が四苦八苦しているなか、娘だけが与えられた課題を小一時間でクリアしたと話していた。
「昔取った杵柄(きねづか)」というやつだ。

このエピソードから、子どもの頃にプログラミングを身につけておくと、大人になってからも十分通用することがわかる。
プログラミングの考え方さえ理解していれば、仕事のAI化にも難なく対応できる。
子どもの頃からプログラミングに触れさせるのは、もはや絶対必須と言える。
ある程度プログラミングに精通していないと、新技術の登場によって何がどうなるかも理解できない。

たとえば、「〇〇さんが言っていたからビットコインを買ってみる」という人と、ビットコインが成立する構造を理解した上で買う人との間には、決定的な差が生まれてしまう。
これは他のあらゆる物事に共通する話である。
「〇〇さんが言っていたから」で行動していたのでは、他人に生き血を絞られるような人生を送っても文句を言えなくなる。

何度も繰り返すが、受験勉強はほどほどにして、子どもが興味を持つことをとことん追求させればいい。
ただ、自力で興味の対象を見つけられる子どもは20%程度ではないか。
興味の対象が見つけにくいのだったら、ゲームをやらせればいい。
ゲームだったら熱中する子は多い。

「ゲームなんてとんでもない。ゲーム中毒になるくらいならガリ勉のほうが大学に行ける確率が高いからまだマシだ」
あなたがそう考えているとしたら、相当頭が古い。
ゲームに対する認識が昭和期のファミコンで止まっていると言っていい。

現代のゲームを攻略するためには、自分でいろいろな工夫をする必要がある。
親が思っているようり、はるかにクリエイティブな作業と言える。
「日経サイエンス」に「ビデオゲームで認知力アップ」という記事が掲載された。
これはテレビゲームが知的能力を長期的に向上させる効果があると発表した論文である。

これによると、日ごろからアクションゲームをする人は、注意力や迅速な情報処理、課題の切り替えの柔軟性、頭の中で物体の回転を思い描く力など、さまざまな認知機能の向上が心理テストによって実証されたという。
アクションゲームをする人の反応時間を調べたテストでは、ゲームを始める前と比較して成績が10%以上もアップしたとの結果が出ている。ゲームで培った能力がビジネスにも応用できると言われるようにもなっている。
たとえば、腹腔手術を手がける外科医がゲーマーだった場合、手術の手際がよいという研究結果も報告されている。

『AI時代の子育て戦略 (SB新書)』SB新書

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成毛氏は本書の中でこう語る。
『タクシーやバスの運転手は、自動運転車の導入で職を奪われる可能性が高い…というのは、もう耳にタコができるくらい聞かされている話だ。
産業革命のような従来のイノベーションで仕事を奪われてきたのは、工員や肉体労働者などのブルーカラーワーカーだった。
しかし、AI化はホワイトカラーの職種の多くを代替可能にすることがわかっている。
もはや大手企業のビジネスマンや士業も、将来的に安泰とは言いがたい。
これまで高給取りのイメージが強かった弁護士の仕事も足下が揺らいでいる。
医療分野に関しても、エコーやX線透視検査、CT検査などの臨床検査技師の仕事は、完全にAIに移行するに違いない。
医師が携わるのは、インフォームドコンセントやメンタルケアなど、人間としてのサービスに限定されることになるだろう。
医師は技術者というより、接客業のような方向にシフトするのではないか。
仮想通貨が今まで以上に普及すれば、銀行業務もいよいよ本当に終わることになりかねないから、なりふり構わずに生き残りを模索することになる。
自動車業界も、電気自動車に移行すれば、これまでエンジンを作ってきた部品メーカーはもとより、トランスミッションやバッテリーなどを納入していたメーカーも全滅してしまう。
とにかく技術が進化するスピードはとてつもなく速くなっている。
固定電話が携帯電話になるのに100年を要したわけだが、ガラケーがスマートフォンに置き換わったのが10年。
自動車もこのようなスピードで技術革新が進むと考えるのが自然だ。
今後、AIが代替するであろう仕事は、2つのタイプに大別できる。
1つは過去のデータが膨大に蓄積されている仕事。
弁護士などは膨大な判例を扱うから、ディープラーニングしやすい。
もう1つのタイプは、AI化することで大量に人員を削減できる仕事。
人数が多くて同一労働をしている分野だ。
AIのシステムに100億円を投資しても、それを導入することによってコストが500億円カットできるなら、企業は迷わず投資する。
その典型例が自動運転だ。
一方で、両者の中間に位置する仕事は、そう簡単にはなくならないのではないか。
たとえば、お神輿(みこし)をつくっている職人は日本全国に数えるほどしか存在しないだろう。
そこに50億円くらい投資して職人ロボットをつくったところで回収不可能だから手を出すわけがない。』

そして、『子どもは将来「AIを使う人間」と「AIに使われる人間」とに二分されることになる。
では、AIを使うメンタリティをどう養っていけばよいか。
結論をいえば、新しい技術に触れさせることに尽きる。』

新しい技術が出てきたとき、否定的になる人と、面白がってそれをすぐに取り入れる人がいる。
しかし、否定的になって新しいものを取り入れない人には、どんなに能力があろうが、成功することはできない。
そこから派生する、新たなビジネスやサービスを生み出すことができないからだ。

これからの時代を生き抜くには…
新しいものが好きで、世の中の変化が好きな人でありたい
posted by Dr.モーリィー at 07:26| ちょっと気になる善い言葉 | 更新情報をチェックする

2019年05月27日

No 5153   【会社を辞めるときの話】

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【会社を辞めるときの話】

小林正観さんの心に響く言葉より…



会社勤めの人に、「会社を辞めるときの話」をしようと思います。
特に、今「辞めたい」と思っている人に読んでもらいたいものです。
実は、「どう生きるか」ということは「どう死ぬか」ということに等しい。

人間の死二種類(「肉体の死」と「存在の死」)についてはすでに御存知のことと思いますが、もう一度説明すると「存在の死」とはその人が存在したことを誰もが忘れてしまったときに生じます。
だから、釈迦もキリストもマホメットもプラトンも芥川龍之介も、まだ死んでいない。
存在を忘れられないういちは、その人は「死んでいない」。
そうしたら、「どう生きるか」は、「どう死ぬか」(死)を考えることで、答えが出るわけです。

同様に、「辞める」ことを考えたとき、初めて「勤める」ことの意味が分かるのかもしれません。
どんな会社に勤めても何度かは、そして誰でも、「辞めたい」と思うことがあるでしょう。
そのときに、「喧嘩別れ」をするのはやめなさい、ということを言っておきたいのです。

「喧嘩別れ」をして辞めた人は、必ず次の会社でも「喧嘩別れ」をします。
喧嘩が早いか遅いかだけで、「喧嘩別れ」をする人は永久に(どこの会社でも)「喧嘩別れ」を続ける…。
「今の仕事が、会社が、気に入らない」という人は、何ヵ所も会社を変わっている人が多いのですが、そこに気付く必要があります。

「転職するな」「転職を考えるな」というのではありません。
ある会社に勤めているうちに、あるいは社会人として生きて行くうちに、自分が見え、意外な自分の才能に気付き、新しい方向や分野が見える、ということもあるでしょう。
そういう積極的で前向きで前進的な動機なら、「辞める」ことも「転職する」ことも勧めたいくらいです。
しかし、「喧嘩別れ」して辞めるのは勧められません。

仮に、ある人が三つの会社を経てきたとしましょう。
そこの社員仲間や役員から信用され、今も付きあいが続いていれば、「応援団」を三つ持っているのと同じことになります。
家族と同じかそれ以上の長い時間をともに過ごしてきた仲間なのですから、その仲間があなたを知らないわけはありません。

『楽しい人生を生きる宇宙法則』講談社

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小林正観さんは、会社を「辞めよう」と思ったときの注意すべきことについてこう語る。
『「辞めたら」この会社に二度と来ないだろう、同僚とも上司とも付きあいがなくなるだろう、という状態であるのなら、「辞める」のは数ヵ月先に延ばし、「良い関係」になってから辞めるべきです。
「自分が勤めた会社」は全て自分の味方にすべきなのであって、敵にすべきではない。
もともと、みな味方になるはずなのです。
敵にはならない。
「ひたむき」で「誠実」な人だったなら、です。
「良好な関係であるなら辞める必要なんかないじゃないか」という人もいるでしょう。
一度は辞めようと思った人も、良好になれば「辞める必要がどこにあるんだ」と思うかもしれません。
そう思ったら、仕事を続ければ良いのです。
「仕事がつまらない」とか「自分には合っていない」とか言っていたのが、実は仕事の問題ではなく「人間関係」が問題だったことに気付いたということになります』

人には二つの種類のタイプがある。
ひとりは、出会う人出会う人、すべてを味方にしていってしまう人。
もうひとりは、出会う人出会う人がことごとく敵になってしまう人。
どちらの人が、人に好かれているか、魅力があるかは言うまでもない。

稲盛和夫氏は、人生の目的は「心を高めること、魂を磨くことにある」という。
それが、魅力ある人。
ということは、言いかえるなら、人生の目的は、「(今より)少しでも魅力ある人になること」。

魅力ある人は、味方が多い。
出会う人出会う人、すべてを味方にしていけるような人でありたい
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2019年05月26日

No 5152   【遊戯三昧に生きる】

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【遊戯三昧に生きる】

無能唱元氏の心に響く言葉より…


「普通に暮らしていることって、すっごく幸せなんだ!」
ある日、19歳になったばかりの少女がそう言うのを聞いて、ああ、この「気づき」こそ、「サトリ」というものなんだなあ、と私は一つの感動とともに思い入りました。
この少女の「サトリ」は、座禅修行30年を積んだ禅僧のそれと比べても、いささかも遜色のあるものではありません。
「無味(むみ)、無為(むい)、無事(ぶじ)」の中に、生の喜びを見いだすことは、きわめて稀れであっても、凡人にとっても可能なことなのです。
ただ、そのあとが続かないのですが。

凡人にとってのこの喜びは、しばらくほうっておくと、じきに色あせ、退屈によって、かき消されてしまうのです。
これは凡人ならずとも、賢人であっても同じことです。
禅僧には書画をよくする人物がよくいますが、これも悟りすましているばかりでは退屈で、そのひまつぶしを目的として、一つの芸の達者になった人なのではないでしょうか。

陽だまりの中で、数匹の猫がじゃれあって遊んでいます。
子猫はとても遊び好きで、ときには人間にさえ、一緒に遊んでくれとせがむことがあります。
これは、エネルギーが有り余っているからで、それを遊びで発散しないではいられないからなのです。
ところが、同じ陽だまりの中でも、親猫はうとうとと眠っており、めったに眼を開こうとはしません。
これは「若さ」というエネルギーをもうなくしているからなのです。

これから考えられることは、「若さ」というエネルギーと、「遊ぶ」という意欲は相関関係にあるということです。
猫と同様に、われわれ人間も、人生に「遊び」とその楽しみを求めつつあるかぎり、「若さ」をいつもまでも失わないで済むのではないでしょうか。

禅家は、「人生は遊戯三昧(ゆげざんまい)をもって生きよ」と説きます。
これは、「人生そのものを、ゲームとして、それを楽しめ」と言っているのです。
しかし、この遊びとは、どうもパチンコや競馬、ナイトクラブ、カラオケなどの、いわゆる、娯楽施設における遊びとは、ややそのおもむきを異(こと)にしているようです。

ではどの点を異にしているかと、おおまかな分け方ですが、娯楽型の遊びはおおむね消費的であり、遊戯三昧の方は多分に創作的、あるいは生産的であるのです。
たとえば、音楽の鑑賞は消費的であり、作曲および演奏は生産的であるように…。
後者で特に大切なことは、そこには「自己主張」があり、「自己表現」がある、ということです。
人間は生活の上で、自己表現がなされるとき、自己充足の満足を得ることができます。
そして、この満足を得ることによって、生きる喜びを、心の底から覚えるのです。

しかし、このように遊戯三昧に生きるには、人間にはさまざまな制約があります。
その最も一般的な制約とは、経済的な問題です。
人間は好きなように自由に生きるには、自由に使える十分な資金を必要とします。

チャップリンは、「人間にとって必要なのは、希望と勇気と少しばかりのお金である」と言っております。
しかし、あらゆる制約から解放されて、遊戯三昧に生きるには、「少しばかりのお金」では、どうも足りないようです。

『小さなサトリ―ミニ・エンライトメントが人生を変える』河出書房新書

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藤原東演住職は「遊戯三昧」についてこう語る。

『「遊戯三昧(ゆげざんまい)」という禅語は、「無門関」の第一則に出てくる。
我を忘れて、無心に遊んでみないか。
仕事も、趣味も、生活でなすことも、さらには人生の運不運もすべて遊び心で生きることがすばらしい。
仕事は成果をあげなくてはならない。
「何かのため」という意味づけが不可欠だ。
ところが、遊びは何かのためにという目的がない。
その成功とか失敗なんか関係がない。
成果など計算したら、それは遊びではない。
人の評価も気にする必要がない。
ただやることが面白い、楽しいからやるのである』(禅、「あたま」の整理/知的生きかた文庫)より

あらゆることを遊び心をもってやる、というのは、ゲームを楽しむ気持ちでやるということ。
ゲームの楽しみとは、たとえばゴルフにしてもすべてがうまくいくから楽しいのではない。
思い通りのところに飛ばない、思い通りに打てない、トラブルになる、くやしい、そんなことすべてを含めて、「思い通りにいかない」ことも楽しいのだ。

「人生とは何ですか」との問いに、今東光氏はこう答えた。
『人生というのは冥土(めいど)までの暇(ひま)つぶしだよ』
遊戯三昧に生きることができたら最高だ
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2019年05月25日

No 5151   【「お先にどうぞ」の生き方】

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おいちゃんのお気に入りブログ【人のこころに灯をともす】からの転載です

【「お先にどうぞ」の生き方】

医師、鎌田實氏の心に響く言葉より…


現代資本主義社会では、僕たちは自分を中心に考えざるをえません。
でもほんの少しでいいから「利他を以て先とす」の気持ちで生きたい。
「お先にどうぞ」の生き方です。

人間はいろいろです。
自分自身が変わっている人間なので、変わっている人がいることをよく理解しています。
馬が合わない人もいます。
でも、そんな苦手な人が社会にうまく適応できないで苦しんでいるときに、共感したり、悲しんだり、悲しんであげられる人間になれたらいいなと思っています。

そうすればみな、菩薩のように心が磨かれる。
この気持ちが社会にあふれれば、もっと、世界は平和で幸福になっていくはずです。
もちろん、なかなか思い通りにはいきません。

この世には「利他を以て先とす」の気持ちで生きるには、いささか障害が多いのも事実です。
そんな障害を取り除くための闘いをしなければ、平和も幸福も絵空事になってしまいそうです。
だから人生は闘いが大事なのです。

自分を含めて、利己的な人が多い社会の中で、利他的に生きるのはとても苦労が多いです。
相手を自分と同じくらい大切に思う…。
頭ではわかっていても、実際に行動に移すのはとても難しいことです。
人間は自分を大切にしようとする生き物だからです。

僕たちの頭の中に、爬虫類(はちゅうるい)と同じ脳が組み込まれています。
生きぬくためなら、どんなことでもする、自分の命を大事にするというのは、当たり前のことです。
この鉄則がなければ命は簡単に壊れていってしまいます。

100万回立ち上がる覚悟を、人は本能に近いカタチでもっているのだと思います。
生き抜こうとする爬虫類の本能がなければ、とっくのとうに、この地球から生命体がいなくなっていた可能性もあります。
利己的な人を見たとき、嫌なヤツと決めつけないで、これが人間だと思うところから、付き合いのスタートをすればいいのです。

利己的な人間という生き物が、利他的に生きるというのは、並々ならぬ努力が必要なのです。
だから生きるということは闘いなのです。
だまだ十分にできていない自分に、いつもそういい聞かせています。

『遊行を生きる 悩み、迷う自分を劇的に変える124の言葉』清流出版

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相田みつを氏の言葉がある。
『「お先へどうぞ…」
やさしくてうつくしい日本語ですね。
いいことは、他人(ひと)様を先に…
自分のことは後まわし。
遠い遠い、先祖の日本人がこんな美しい、暖かい言葉を残してくれたんです。
他人のことなんかそっちのけ自分さえよければ…
我先に、我先に…
とみんな夢中で突ッぱしる。
もう一度「お先へどうぞ…」という、うるおいのある美しい日本語で、お互いに呼びかけ合える世の中になって欲しいなあ…』

デイビッド・ハミルトン氏は、『あなたの健康と幸福は、「お先にどうぞ」と言った回数で決まります』という。
「お先にどうぞ」という言葉を多く使いたい
posted by Dr.モーリィー at 06:33| ちょっと気になる善い言葉 | 更新情報をチェックする

2019年05月24日

No 5150  求人情報!

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宜しくお願い申し上げます
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No 5149   【何かを与えられるような人】

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おいちゃんのお気に入りブログ【人のこころに灯をともす】からの転載です

【何かを与えられるような人】

樺旦純氏の心に響く言葉より…



「毎日、残業して働いているのに、会社は自分を評価してくれない」「夫は私を理解してくれない」「妻は身勝手なことばかり言う」
そう不満をこぼす人は少なくない。
人は生きている限り、集団生活を強いられる。
その中でうまくやっていくには、適応性だけでなく、相手の要求が何であるか、読み取れる能力が必要だ。
大きな不満が生ずる原因は、相手の要求を正しく察知できないことにある。

たとえば、あなたがヘッドハンティングをする仕事についたとして、どんな人間を引き抜こうと思うだろうか。
才能、成績、職務態度、学歴、年齢…これらのうち、もっとも重視するのは、やはり実績だろう。
年齢や経験よりも、その人が現在の会社にどれだけ還元しているか…すなわち社内価値をみるはずだ。
そして、それが他の会社でも十分に通用できるものかどうかを検討する。

その人の能力に対して、相手がどれだけ報酬を払うかということを市場価値というが、通用するのであれば、その人の市場価値は高いと判断できる。
ただし、報酬と能力が比例するとは限らない。
優れた能力をもっていても、会社に還元しなければ、それに見合った評価しか得られないだろう。

「こんな会社に入るべきじゃなかった」「運が悪かった」と嘆いている人は、会社が求めているのは、与えられた仕事を真面目にこなしている人間ではなく、与えられたら、それを10の利益にして返してくれる人間である。
人々が期待する以上のことをやってみせる行動力のある人は、集団の中でもイニシアティブを持ち、周囲に進歩をもたらす。
状況を自ら切り開いていける人、人々にも何かを与えられるような人に、より大きな幸運が訪れるのだ。

『運のいい人の習慣 (幸運を引き寄せる80のつぶやき)』KKロングセラーズ

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不満が多い人は、「何かを与えてもらう」のに慣れてしまっている人だ。
自ら与えることをしないで、与えてもらってばかりいるとそれが当たり前になる。
その当たり前が少しでも損なわれると、不満になる。

「魅(み)は与によって生じ、求(ぐ)によって滅(めっ)す」
という無能唱元師の言葉がある。
人の魅力は、与えることによって発生し、人から取ろうとするとそれは即座に消えてしまう。

魅力ある人は、惜しみなく与えている。
みんなの役に立ちそうな話、面白い話、儲かりそうな情報、等々をタダで教える。
多くの人に、何かを与えられるような人でありたい
posted by Dr.モーリィー at 05:55| ちょっと気になる善い言葉 | 更新情報をチェックする

2019年05月23日

No 5146   【100%、自分が悪い】

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【100%、自分が悪い】

斎藤一人さんの心に響く言葉より…



この世の中は、自力の後に他力あり。
他力を願っているだけじゃ、なんにも起きない。
わかりますか?

たとえば、流行ってるケーキ屋は、最初、ケーキやなんかを修行して、おいしいケーキが作れるようになった。
お金もためてたから、自分のお店も出せた。
お客さんを喜ばそうってこともやってる。
その結果、店が流行ってるんです。

高校野球だって、甲子園に出てる子たちのこと、みんなが応援するけど、あの子たちは、みんなが応援してくれるだけのことをやってきたんです。
休みもなく練習して、グラウンドで一生懸命、ボールおっかけたり、やってるから、みんなが応援するんだよ。
なんの努力もしてなくて、人のこと、「いいな、いいな」っていってるだけじゃ、自分の人生、なに一つよくならない。

ラーメン屋をやってて、もし、お客さんがこないんだとしたら、ラーメンがおいしくないか、笑顔でお客さんと接していないか、いずれにしろ、自分に問題があるんです。
それを改良すればいいだけの話なんであって。
ところが、お客さんがこないのは、「世の中が悪い」とか、「政治が悪い」とかいってたら、なにも改良しようとは思わない。
だから、「100%、自分が悪い」っていう。
そしたら、千手観音のごとく、あの手、この手が出てくるんです。

人間のからだは、肉体と精神でできてます。
肉体のほうは、食べ物からとる栄養から作られる。
精神は、考え方、思う言葉。
食事のバランスが悪いと病気になるけど、人間、よくない考え方をしても病気になる。
そしたら、自分が病気になっちゃったんだとしたら、食事のバランスが悪いか、自分の考え方が悪いか、どっちかです。

隣に住んでるおじさんのせいで、自分が病気になるわけじゃない。
お向かいのおばあちゃんのせいで、病気になったわけじゃないんです。
そうやって、自分の問題だ、って気づけば、人間、「食事を改良しよう」とか、「考え方を改良しよう」とかってなるよ。
「あの医者に問題がある」っていうなら、ヨソの病院に行くこともできるよね。
だから、しあわせに生きる方法って、いろいろあるんだ。
それをやればいい。
だけど、「自分が被害者だ」と思ったら、あの手、この手が出てこない。
そしたら、具合はなかなかよくならないよ。
でも、「100%、自分が悪い」と思えば、元気に生きられるんです。

『斎藤一人 愛される人生 [音声特典付] (ロング新書)』


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「100%、自分が悪い」ということは、自分を責めろ、と言っているわけではない。
そうではなくて、「人やまわりのせいにしないこと」だ。
人やまわりのせいにしたとき、自分は何も努力をしなくなる。
そして、自分が動かないことを正当化する。

「100%、自分が悪い」と思う人は、問題を打開しようと、ありとあらゆることを考える。

滝口長太郎氏の「打つ手は無限」という言葉がある。

『すばらしい名画よりも
とてもすてきな宝石よりも
もっともっと大切なものを私は持っている
どんな時でも、どんな苦しい場合でも、 愚痴を言わない
参ったと泣き言を言わない
何か方法はないだろうか
何か方法はあるはずだ
周囲を見回してみよう
いろんな角度から眺めてみよう
人の知恵も借りてみよう
必ず何とかなるものである
何故なら打つ手は常に無限であるからだ』

どんな問題に出くわしても、それを、「100%、自分が悪い」と思うなら…
「千手観音のごとく、あの手、この手が出てくる」
「打つ手は無限」、と心に刻みたい
posted by Dr.モーリィー at 08:23| ちょっと気になる善い言葉 | 更新情報をチェックする

2019年05月22日

No 5145   【トム・ピーターズのブランド人になれ!】

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おいちゃんのお気に入りブログ【人のこころに灯をともす】からの転載です

【トム・ピーターズのブランド人になれ!】

トム・ピーターズの心に響く言葉より…



ブランド人の時代にようこそ。
いたるところでホワイトカラー革命の火の手があがっている。
この革命を無傷で生き延びられる人が、はたして何人いるだろうか。
職の保証は灰塵(はいじん)に帰した。

世の中はこれからどうなるのか。
私の答え…また、職の保証が戻ってくる。
と言っても、みなさんが考えているようなものではない。
新しい職の保証だ。
いや、新しいと言っても、しばらく忘れていただけで、実はふる―いものなんだ。

大企業なんてものが生まれるまえ、いやそのはるか昔、社会保障も失業保険もなかった頃、図らずも、ホワイトカラー労働者から元気と気骨と勇気を奪った「セーフティネットなるものがまだ存在しない頃、職を保証するものは、《抜きんでた技量》と《ネットワーキングの力》だった。
世間(市場)で通用する技量、ひとを感動させ、ひとから感謝される技量をもたなければ生きていけなかった。
世間の評判と仲間の支援(これが当時のネットワーク)がなければ生きていけなかった。
その頃にまた戻ると思えばいい。

村の鍛冶屋のように古いといえば古いし、ハリウッドのように、あるいは世界のどこかのアパートの一室で、インターネットを使って仕事をしている人のように、新しいといえば新しい。
仕事には丹精を込め、自分が仕上げた仕事にはきちんと責任を取らなければならない(あなたの仕事を、社会は必要としているのだから)。
この点については、昔も今も変わらない。
ただ、評判が伝わる速度が、昔と今ではくらべものにならないだけだ。

昔の職人は、仲間づきあいと世間の評判を大切にし、修練研鑽を怠らず、誇り高く、自分の腕一本を頼りに生きていた。
これを現代の言葉になおすと、要するに、自分の名前をブランドにしていたのだ。

私はブランド信者である。
ブランドが、マーケティングのペテンだとは思わない。
消費者はそれほど馬鹿ではない。
玉石を見分ける目をもっている。
いいものは売れる。
ブランドとして認知されたものは売れる。
ジップロックやiMacやスターバックスをみればわかるだろう。
ブランドは「信頼のマーク」である。
名前やロゴを見ただけで、消費者は安心する。
ブランドかどうかで、あらゆる商品とサービスがふるいにかけられる。

ナイキやスターバックスのブランド確立に一役買ったスコット・ベッドベリーは、ブランドについてこう語っている。
「偉大なるブランドは感情に訴える。
すべてとは言わないまでも、私たちが下す決断の多くは、感情に左右される。
ブランドは、人の心を強く揺さぶる。
製品の機能より大切なもの、それは心の接点なのだ…。
偉大なるブランドは、結末のわからないストーリー、はてしなく展開していく隠喩的なストーリー…。
そのストーリーが、深い感動の中に身を置くために人々が必要とする感情の流れを創りだす」

人間がブランドになるなんて、そんなひどい話はない。
非人間的だ。
人間の尊厳はどうなる。
そう言って怒る人もいるかもしれない。
みなさんはどうか知らないが、私はすこしもそうは思わない。

ブランドになった人間をイメージしようとして、私の頭にまっ先に浮かぶのは、ベンジャミン・フランクリンやスティーブ・ジョブズといった人たちだ。
私は会社人間(ましては会社奴隷)よりも、そういう血筋の人たちのほうが好きなのだ。

私の友人にアニエット・ルミューというアーティストがいる。
私の家の壁には、彼女のすばらしい作品『I AM』の横に、雑誌から切り取ったモノクロのフルページが飾ってある。
その広告いわく…「あなたは、あなたの人生のCEO」。

『トム・ピーターズのサラリーマン大逆襲作戦〈1〉ブランド人になれ!』阪急コミュニケーションズ

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現代は、人類史上、1万2000年以来の大変革の時だと『サピエンス全史』のハラリ氏は語る。
それは、言うまでもなくITやAIのデジタル革命だ。
AIによって、サラリーマンも絶滅危惧種となる日が近い。
特に、バックオフィスと言われる事務処理や、管理、総務、人事、経理、財務、法務などの業務の多くはAIに取って代わられる可能性が高い。

そうなったとき、唯一生き残れる方法が、トム・ピーターズのいう「ブランド人」になること。
この本は2000年に出版されたものだが、現代でもいささかも色あせない。

ブランド人とは、自分をブランド化して高く売れるようにすること。
これは、個人だけでなく、会社も同じこと。

どれだけユニークで、他と違うスペシャルを持てるか、そして、それを発信できるか。
特に、発信というアウトプットは大事だ。
SNSだけでなく、あらゆる機会をとらえてアウトプットする。
どんなに素晴らしいことも、人に知られなかったら、それは無いのと一緒だからだ。

この大変革の時代に生き残るため…
ブランド人を目指したい
posted by Dr.モーリィー at 06:29| ちょっと気になる善い言葉 | 更新情報をチェックする

2019年05月21日

No 5144  Jrと 初野球観戦

5月19日 日曜日

鹿児島で開催された ソフトバンク対日ハムの
公式戦を Jrと初めての 野球観戦!

あいにくの雨のため 途中コールドでしたが
楽しい 思い出に残る 一日となりました

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posted by Dr.モーリィー at 06:50| ライフワーク | 更新情報をチェックする

No 5143   【現象そのものには色はついていない】

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おいちゃんのお気に入りブログ【人のこころに灯をともす】からの転載です

【現象そのものには色はついていない】

小林正観さんの心に響く言葉より…



ある日あなたが、自転車に乗って転んで大怪我をしたとしましょう。
全治一週間のケガを負ってしまって大変だと思うかもしれませんが、それはあなた自身がシナリオに書いてきたこと、すでに決まっていたことなので、特別なことではありません。
その転んでしまったという現象に対して、落ち込むことも、笑って過ごすこともできますし、ただ何も感じず淡々と過ごすこともできます。
その現象をどう受け止めるかは、自分次第ということです。

ほとんどの人は、現象と自分の感情が一体だと思っているかもしれません。
よく、「上司に怒られたので、とても落ち込んでいる」という人がいますが、上司が怒ったことと、自分が落ち込むことは別です。
「上司が怒った」という現象と、悲しい、辛いという感情が別々に存在しています。

もともと、現象そのものに、色はついていません。
私たちが勝手にその現象に感想をつけて、「嬉しい」「悲しい」という色をつけているにすぎません。

目の前の現象に一喜一憂せず、ニコニコと、淡々と、そうなりましたかと捉えていくと、自分が楽になります。
一喜一憂する人には共通点があります。
辛いことがあったからといって、すぐ落ち込んでしまう人がいますが、面白いことに、そのような人は誉められると、すぐに有頂天になるようです。
すぐ落ち込む人は、すぐに有頂天になる。

これはどういうことでしょう。
それは自分自身を人と比べて、他人の評価に一喜一憂しているということ。
つまり、自分自身の考え方や、思想を持っていないということです。

これは幼児性の表れと言えます。
自分自身の生き方や考え方をきちんと持っている人は、人の評価に左右されません。
人と比べることに意味はありません。
私たちは淡々と生きていけばいい。

大事なことは、一喜一憂せずに、ただ受け入れていくということ。
目の前の現象に、「嬉しい」「悲しい」という色をつけるのは自分なのです。

『無敵の生きかた みんなが味方になる』廣済堂出版

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目の前の現象を、「幸せだ」とか「不幸せだ」という色をつけるのも自分。
現象そのものに色がついているわけではない。
だからある人は、それがあったからこそ「幸せだ」と思い、別のある人は「不幸せだ」と思う。
万人が「悲惨だ」、「辛い」と思うようなことでさえ、「そのことがあったおかげで今の自分がある。幸せだ」と思う人もいる。

また、幼児性について小林正観さんは次のように語っている。(楽しい人生を生きる宇宙法則)より
『家庭のことで言いますと、同じ言葉を他人から言われたときに、怒らないで踏み留まることができるにもかかわらず、同じ言葉を妻から言われるとものすごく腹を立てて爆発してしまう夫がいます。
また、同じ言葉を他人から言われても怒らないけれども、夫から言われるとキレてしまう妻がいます。
それは、どういうことかと言うと、外では踏み留まる能力があるにもかかわらず、家庭では踏み留まらないということなんですね。
《踏み留まれない》のではなくて、《踏み留まらない》んです。
これを一言で言うと“幼児性”です。
実は、“幼児性の克服”のためにも結婚というものが存在します。
家庭を持って、妻に対して夫に対して、あるいは子供に対して、「私」が気に入らなくて爆発する、その「私」の“幼児性”を是正するために結婚というものがあり、家庭というものが存在します。
家庭というものは、ただ自分の思いを通すための甘える場所でも、ストレスを発散させる場所でもありません。
幼児性を削っていって大人になっていく作業の場所として、結婚があり、家庭が存在するということです。』

「幼児性を削っていって大人になっていく作業の場所として、結婚があり、家庭が存在する」
日々、幼児性を削る努力を重ねたい
posted by Dr.モーリィー at 05:56| ちょっと気になる善い言葉 | 更新情報をチェックする

2019年05月20日

No 5142   【お金をかけずに豊かで幸せな生活を実践する】

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おいちゃんのお気に入りブログ【人のこころに灯をともす】からの転載です

【お金をかけずに豊かで幸せな生活を実践する】

三浦展氏の心に響く言葉より…



2012年に『第四の消費 つながりを生み出す社会へ』を上梓した。
同書は単に理論的な本として読まれただけでなく、多くの若い世代が新しい行動に一歩踏み出す、あるいは行動を加速することに影響を与えたようだ。

そもそも「第四の消費」とは何か、特徴だけを簡単に説明する。

1. 物の豊かさ志向から人間関係の豊かさ志向へ
物の豊かさから心の豊かさへという志向の変化は、内閣府「国民生活に関する世論調査」においても過去40年間の長期トレンドである。
高度経済成長期であり、第二の消費社会である1970年代半ばまでは物の豊かさ志向が強かったが、その後の第三の消費社会を通じて心の豊かさ志向が物の豊かさ志向を上回り、強まり続けた。
第四の消費社会である現在は、消費や生活を通じて心の豊かさを求めることは当然の大前提となっており、具体的にはいかに豊かな人間関係を築くかが重視される。

2. 私有志向からシェア志向へ
物の豊かさ志向の縮小は、生活の中から不要な物を減らすという志向となって現れる。
一家に一台テレビやクルマを私有しようとした第二の消費社会から、家族それぞれが自分専用のクルマ、テレビ、ステレオなどを私有し、一人一台の時代になった第三の消費社会を経て、第四の消費社会になると、人々は特に必要のない物は私有せずレンタルで済ませたり、シェアをしたりするようになった。
カーシェアリング、シェアハウスなどがその典型である。
またシェアには、核家族や会社の中での閉鎖した人間関係を解体し、家族や会社の外側へ個人を開放していくことで、地域社会の中で個人個人が自分の持つスキルをお互いに提供し合って生活の質を高めようという意味もあり、特に本書にはそうしたシェアの事例が多い。

3. ゴージャス・ブランド志向からシンプル・ナチュラル・手作り志向へ
円高、株高、土地高の進行により経済的にピークに達した第三の消費社会においては、海外高級ブランドのファッションやクルマを買うことが日常化し、華美な消費行動が盛んになった。
しかしバブルが崩壊すると次第に人々の生活はシンプル志向になり、エコロジー意識の高まりもあって、人工的な物、ケミカルな物、大量生産品よりも、ナチュラルな物、作り手の顔が見える手作りの物を志向する人が増えていった。
そもそも第三の消費社会のまっただ中においても、すでに無印良品のようなノーブランドでシンプルでエコでナチュラル志向の商品が登場し、ひたひと人気を拡大し続けた。
それは、不要な物をイメージ広告で売りつける第三の消費社会の偽善性に対する批判意識がすでに台頭しており、第四の消費社会を準備していたということである。

4. 欧米・都会志向から日本・地方志向へ
高級ブランド志向からの離脱は欧米志向を弱めた。
明治以来の日本において生活を近代化することは生活を欧米化することであり、欧米の物を生活に取り入れることであり、いち早く欧米文物が輸入される都会が人々の憧れだった。
しかし第三の消費社会において生活の欧米化はほぼ頂点に達し、第四の消費社会になるとむしろ日本の伝統を見直す気運が広がり、京都人気が高まった。
さらに欧米の文物が輸入される都会よりも、古い日本の生活が残っている地方への関心が高まることにもなった。
それは言い換えると、経済・文化のグローバルリズムに対する「小さな経済圏・文化圏」の創出を意味する。
しかし小さな経済圏は、グローバルなそれと対立するのではなく、共生するのである。

大体こうしたことが第四の特徴である。
私はそこに「再・生活化」という共通の軸があるのではないかと思う。
「再・生活化」とは、高度経済成長期以前の日本人の一般的な暮らし、生活を、もう一度見直し、再評価し、部分的にであってもそれを現代の生活に取り入れようとする動きである。
具体的に言えば、工業製品をたくさん私有する現代の消費生活ではなく、あるいは食品ですら加工食品が主流となり、野菜や果物も工業製品のように生産される現代に対して、少しでも自ら食べ物をつくる側に回りたいという意識が高まり、実際に、少しであっても農業をする人が増えたり、味噌づくりワークショップに参加する人、梅干しや梅酒をつくる人などが増えたりしている。

こうした生活は、日本人の大半が第一次産業従事者だった1950年代までは(ほんの60年ほど前!)、単なる日常である。
だが、そうした日常からあまりにも遠く離れたところに来てしまった現代生活の中で、特にバーチャル化、デジタル化が急速に進んで生身の人間らしさが日常から奪われていくことに対して、これでいいのかと疑問を感じる人々も増えてきたのであろう。
バーチャル化もデジタル化も原子力も現代文明が生み出した「魔法」である。
その魔法によって、われわれは60年ほど前にはまったく想像もしなかった暮らしを、今している。
ほとんどドラえもんの道具のように、何でも可能だ。

だが、ドラえもんがポケットから取り出す道具が実に素朴でアナログな形をしているのとは異なり、現代の道具はスマホの画面を指でなでるだけである。
本当に魔法のように実在感がない。
そして何より、一般人は魔法を理解できない。
種も仕掛けもあるはずだが、一部の魔法使いだけがそれを知っている。
そういうリアリティのない時代にわれわれは生きている。

だからこそ、今ほどリアリティを求めたくなる時代はないのだ。
魔法ではなく生活が欲しくなる。
生き物として生きている実感が欲しくなる。
ひとつひとつの行動がすべてリアルな生活。
リアルなものをつくり、リアルな行動で成り立つ生活。

『100万円で家を買い、週3日働く (光文社新書)』

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本書の中の「お金をかけずに豊かで幸せな生活を実践する生き方」の事例には次のようなものがある。
■家賃月1万円で離島で豊かに暮らす
■狩猟採集で毎月の食費1500円
■夫婦2組、赤ちゃんも一緒にシェアハウスで暮らす
■8700坪の農地を買って週末を過ごす
■地域の人が老若男女一緒に食べる
■マンション街に「自由解放区」をつくる
■空き家に住み、「流し」と屋台で歌う
■退屈なニュータウンの自宅兼事務所をスナックにする
■すたれた郊外商店街に「縁側空間」をつくる
■現代の長屋をつくる

IT・AI化の加速する社会に対して、生き残る術(すべ)は大きく分けて二つある。
一つは、IT・AIの中に身を投じ、何らかの形でその恩恵を享受したり、自ら変化し進化しつづけるという生き方だ。
もう一つは、IT・AIによって損なわれたもの、置き去りにされた価値観を取り戻すような生き方、お金をかけずに豊かで幸せな生活を実践する生き方。
IT・AIあるいはロボットの進化により、何年か後にはなくなってしまう職業は数多くあるが、この二つの生き方は、AIにとって代わられることはない。

バーチャル化やデジタル化という現代文明が生み出した「魔法」が横溢(おういつ)する時代。
今、「どんな生き方をするのか」…
自分の本当の生き方を探し、実践したい
posted by Dr.モーリィー at 06:44| ちょっと気になる善い言葉 | 更新情報をチェックする

2019年05月19日

No 5141   【人生は攻略できる】

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おいちゃんのお気に入りブログ【人のこころに灯をともす】からの転載です

【人生は攻略できる】

橘玲氏の心に響く言葉より…



人生に必勝法はないけれど、ゲームと同じように、「こうした方がいいこと」と「やってはいけないこと」がある。
人生ゲームの鉄則はものすごくシンプルなものばかりだが、それを知っているかどうかで大きな格差が生じる。

そして、いま人生ゲームの約束事が大きく変わりつつある。
これは日本だけでなく世界的な現象で、「一生懸命勉強していい大学に入り、大きな会社に就職して定年までこつこつ働く」とか、「そういう男性と結婚して専業主婦になる」という、お父さんやお母さんの世代の必勝法はまったく役に立たなくなってしまった。
そればかりか、古いやり方にこだわっているとどんどんヒドいことになる。

むかしの攻略法が使えなくなった理由は、テクノロジーがとんでもない勢いで進歩しているからだ。
20年前はインターネットは生まれたばかりだったし、15年前はフェイスブックやツイッター、10年前はlineやビットコインはなかった。
AI(人工知能)が将棋や囲碁のトッププロに勝つようになったのはこの5年だ。
これからもみんなが驚くような発明(イノベーション)が次々と出てきて、そのたびにゲームのルールは大きく書き換えられていくだろう。
いましか使えない知識をどれだけ覚えても、あまり役に立たないのだ。

人生というゲームのゴールは幸福になることだ。
そして幸福な人生にも土台が必要で、それは次の3つだ。

1. お金(金融資本)
2. 仕事(人的資本)
3. 愛情・友情(社会資本)

幸福は、この3つの「資本」の上につくられる。
貧しくても家族や友人に囲まれて幸福なひとはいるし、ひとり暮らしでもバリバリ働いて充実しているひともいる。
仕事も愛情・友情もないけど、大金をもっているからそれでじゅうぶん、というひとだっているかもしれない。
でも、お金も、仕事も、愛情や友情も、どんな資本もないなら幸福になりようがない。
これが「不幸」だ。

『人生は攻略できる』ポプラ社

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橘玲氏は本書の中でこう語る。
『■ひとは無限の可能性を持って生まれてくるけど、その選択肢は年齢とともに減っていく。
いま日本の社会には、50歳くらいになって、これからどうすればいいかわかなくなってしまった大人がものすごくたくさんいる。
それは、会社にいわれたことだけをやってきて、自分だけの「スペシャルなもの」を見つけられなかったからだ。

■「好きなことと得意なことがちがっていたらどうすればいいのか?」という質問が出るかもしれない。
実際、こういうことはよくあるし、人生の重要な選択になる。
それは、一般論としていうならば、好きなことより得意なことを選んだようがうまくいく。
ぼくの知り合いに、プロレス大好きな公認会計士がいる。
彼にとって、好きなことはプロレスで、得意なのは会計だ。
そしておそらく得意なことを捨てて好きなことを仕事にしていたら、いまのような裕福な暮らしはできなかっただろう。

■日本のサラリーマンは、いちど会社を決めたら、それを変えることなく、会社内で別の部署に移っていく。
日本人はこれを当たり前のことだと思っているけど、外国人が聞いたら腰を抜かすほどびっくりする。
世界のなかで日本にしかないこの独特の働き方は「日本型雇用」と呼ばれていて、その特徴は年功序列だ。

■伽藍(がらん)というのは、お寺のお堂とか教会の聖堂のように、壁に囲まれた閉鎖的な場所だ。
それに対してバザールは、誰でも自由に商品を売り買いできる開放的な空間をいう。
そして、伽藍かバザールかによって同じ人でも行動の仕方が変わる。
バザールの特徴は、参入も退出も自由なことだ。
商売に失敗しても、さっさと店を畳んで別の場所で出直せばいい。
その代わり、バザールでは誰でも商売を始められるわけだから(参入障壁がない)、ライバルはものすごく多い。
ふつうに商品を売っているだけでは、どんどんじり貧になるばかりだ。
これがゲームの基本ルールだとすると、どういう戦略が有効だろうか。
「失敗を恐れず、ライバルに差をつけるような大胆なことに挑戦して、一発当てる」だ。
もちろん、運よく成功するより挑戦に失敗することの方がずっと多いだろう。
でも、そんなことを気にする必要はない。
バザールでは、悪評はいつでもリセットできるのだから。
これを言い換えると、バザールの必勝戦略は「よい評判(「あの店、美味しいよね」「あそこがいちばん安いよ」)をたくさん集めること」になる。
だからこれを「ポジティブゲーム」と呼ぼう。
それに対して伽藍の特徴は、参入が制限されていて、よほどのことがないと退出できないことだ。
このような閉鎖空間だと、ちょっとした悪口が消えいないままずっとつづくことになる。
その代わり、新しいライバルが現れることはないのだから、競争率はものすごく低い。
どこにでもある商品をふつうに売っているだけで、とりあえずお客さんが来て商売が成り立つ。
これがゲームの基本ルールだとすると、どういう戦略が最適だろうか。
それは「失敗するようなリスクはとらず、目立つことはいっさいしない」だ。
なぜなら、いちどついた悪い評判は二度と消えないからだ。
このように、伽藍の必勝戦略は「悪い評判(失敗)」をできるだけなくすことになる。
こちらは「ネガティブゲーム」だ。
伽藍の世界の典型は学校だ。
いじめへの対処が難しいのは、生徒たちが伽藍のなかでネガティブゲームをしているからだ。
転校や進学で友だち関係をリセットすると、不登校の子が学校に通いだしたり、いじめっ子に友だちができたりするのはこれが理由だ。
もちろん会社も、典型的な伽藍の世界だ。
日本の会社のいちばんの特徴は「終身雇用制」だ。
これは、いちど入った会社で定年までずっと働くことで、こんな奇妙な慣習が残っているのは世界のなかでもはや日本だけだ。

■ガラパゴスみたいな雇用制度にしがみついていた結果、日本の会社はスペシャリストを育てられなくなってしまった。
伽藍のせかいに閉じ込められたサラリーマンは、なにひとつ「スペシャル」なもののないまま年をとっていく。
日本の会社ではスペシャリストとバックオフィスが混在しているが、自分がどちらなのか、リトマス試験紙のようにかんたんに見分ける方法がある。
それは、定年後も同じ仕事をつづけられるかどうかだ。
スペシャリストは会社の看板を借りた自営業者みたいなものだから、会社を辞めても同じ専門で転職するか、フリーになって仕事をつづける。
スペシャリストにとって定年は、長い仕事人生のなかのひとつのイベントに過ぎない。
欧米で定年が大きな問題にならないのは、多くのひとがスペシャリストとして働いているからだろう。
それに対して日本では「定年後」をどうするかで大騒ぎしている。
これはサラリーマンの本質がバックオフィス、すなわちクリエイティブなものがなにもないマジックジョブだからだ。』

橘玲氏は、一人ひとりが自分の「評判」を持っていないと、誰からも声をかけてもらえない時代になってきたという。
そんな世界で生きていくのに大事なのはネットワークをつくること。
それには「テイカー(受け取るひと)」ではなく「ギバー(与えるひと)」になることだという。
たとえば、面白い情報を教えたり、面白い知り合いを紹介すること。
それを気前よくタダで与え続けること。

これからの人生の攻略法を身につけたい
posted by Dr.モーリィー at 07:48| ちょっと気になる善い言葉 | 更新情報をチェックする

2019年05月18日

No 5140   konnmari流 魔法の片づけ

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ちぇすと!  頑張ります!
posted by Dr.モーリィー at 07:06| ライフワーク | 更新情報をチェックする

No 5139   【日本人の勝算】

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おいちゃんのお気に入りブログ【人のこころに灯をともす】からの転載です

【日本人の勝算】

小西美術工藝社社長、デービッド・アトキンソン氏の心に響く言葉より…



日本には今、大きなパラダイムシフトが訪れています。
パラダイムとは、ある時期、ある集団の中で、常識として認識されている「思想の枠組み」を意味しています。
一方、シフトという英語には、変える、移すなどの意味があります。
パラダイムが変わる、つまり、それまで常識と認識されていたさまざまな事柄が、大きく移り変わること、これがパラダイムシフトです。

パラダイムシフトが起きると、それまでのやり方がまるで通じなくなります。
当たり前だと考えられていた前提条件が大きく変わってしまうので、対処の方法も大きく変えなくてはいけなくなるからです。
日本で今まさに起きているパラダイムシフトの原因は、人口減少と高齢化です。
日本ではこれから、人類史上いまだかつてない急激なスピードと規模で、人口減少と高齢化が進みます。

人口が右肩上がりで増えるというパラダイムが、右肩下がりに減るというパラダイムにシフトしたのです。
これまで当たり前だと認識されてきたことが、すべて当たり前ではなくなります。
日本は大きなターニングポイントに立たされているのです。

人口減少と高齢化が進む日本には大変厳しい未来が待ち構えています。
これは脅しでもなんでもなく、人口動態などのデータを冷静かつ客観的に分析すれば見えてくる、ほぼ確実な日本の未来です。
今すぐにでも対応を始めないと、日本は近い将来、三流先進国に成り下がることは確実です。
いや、下手をすると、日本は三流先進国どころか途上国に転落する危険すらあるのです。

しかし日本国内の議論を聞いていると、あたかも今までの仕組みを微調整して対応すればなんとかなるという、その場しのぎで実に甘い、のほほんとした印象しか伝わってきません。
嵐が目の前に迫ってきているというのに、危機感はまったくといっていいほど感じられません。

ご存じの通り、日本ではすでに少子化が始まり、子どもの数が年々減っています。
1950年に全人口の55%もいた24歳以下の人口尾は、2030年には18%まで低下します。
人口の55%が24歳以下だった時代、大学教育が若い人だけだったことは、大学の経営戦略としても、国家の教育のあり方としても、理に適っていました。
しかしその数が18%にまで減少する以上、大学のあり方そのものを転換しなければなりません。
国民の55%を対象としていた時代の延長線上で、国民の18%の教育をどうするかを議論すべきではありません。
国民の82%をどう教育するかが課題となっているのです。

「人生100年時代」と言われる中、刻一刻と変化するこれからの世の中で、何十年も前に学校で学んだ知識や一個人の経験から得られた知見だけで、物事に適切に対処していえるとは思えません。
この観点からも、25歳以上の成人の再教育は間違いなく必要になるのです。
その際には、大学が大きな役割を担うべきです。

しかし今、各大学はすでに少なくなってしまった子どもたちの奪い合いを、血まなこで繰り広げています。
これこそ、今までの枠組みに囚われ、固定観念に染まっている証拠です。
これは大学に限った話ではありません。
あらゆる場面で、これまでの固定観念に囚われない、新たな解決策を見つける必要があるのです。

日本は今、大変革の時代を迎えています。
もはや平常時ではありません。
皮肉なことに、大変革が起きると、それまでの仕組みや枠組みに詳しければ詳しいほど、固定観念に囚われてしまい、新たな発想を生み出すことができなくなります。

『日本人の勝算: 人口減少×高齢化×資本主義』東洋経済新報社

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デービッド・アトキンソン氏は、「まずは所得を継続的に上げること」が必要だという。
その結果、生産性は上がるが、そのためには企業の規模を大きくする必要がある、と。
日本では20人未満の社員の企業で働いている労働者の比率が全労働者の20.5%で、30人未満まで含めると、29.9%となる。
先進国の場合、これら小規模企業に勤める労働者の比率と生産性の相関関係は0.93と、非常に高い。
日本の人材評価は世界第4位だが、生産性は第28位だ。
一方、アメリカの人材評価は第24位だが、生産性は第9位となる。
これも、企業規模で説明がつくが、従業員数が250人以上の企業で働くアメリカ人労働者の比率が49.8%にのぼるのに対し、日本はたったの12.9%だ。

これは農業で考えるとよくわかる。(以下、「ジブン農業」より抜粋)
アメリカと比べると日本とあまりにも条件が違いすぎるので、オランダと比べてみる。
オランダの国の面積は九州とほぼ同じで、その半分が農地で、農家1戸あたりの農地面積は25haだが、日本は1.8ha。
そして、農産物の輸出ランキングでみると、1位はアメリカの1449億ドル、2位はオランダで866億ドル、日本はなんと57位で33億ドルしかない。
なぜなら、オランダは最新の通信技術(ICT)を駆使したハイテクな農業を行っていて、付加価値の高い商品を作りそれを輸出しているからだ。

これから日本の企業が生き残るには、適正な規模まで企業規模を拡大し、生産性を高め、賃金を上げ、教育投資をし続けること。
個人でいうなら、どの年代においても、新たな知識や技術を取り入れる生涯学習(リカレント教育)にチャレンジすること。

大変革の時代…
固定観念を捨て、新たな発想で生き抜きたい
posted by Dr.モーリィー at 07:04| ちょっと気になる善い言葉 | 更新情報をチェックする