2019年02月17日

No 5007  【キュレーションの力】

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おいちゃんのお気に入りブログ【人のこころに灯をともす】からの転載です

【キュレーションの力】

勝見明氏の心に響く言葉より…



キュレーションは美術館や博物館で企画や展示を担当する専門職のキュレーターに由来します。
例えば美術館のキュレーターは、既存の作品、資料の意味や価値を問い直し、コンテンツを選択して絞り込み、それらを結びつけて新しい意味や価値を生み出す。
そんなキュレーターの仕事と同じ発想が、あらゆるビジネスにおいて求められているのです。
フリーの「無料」、シェアの「共有」にならって、キュレーションをひと言で表現するなら「編集」ないしは「新しい編集」とでもなるでしょう。

例えば、アップルのタブレット・コンピュータ「iPad」は、アメリカでは「キュレーテッド・コンピューティング」と呼ばれます。
多機能化や高機能化を積み重ねてきたパソコンと異なり、つくり手によってコンテンツや機能が選択され絞り込まれ、編集されたことで、逆に使いやすさという新しい体験の価値が提供されるコンピュータといった意味合いです。
ネット上でも氾濫(はんらん)する情報の中から一定のコンセプトにより選択し、編集して新しい価値を持った情報を発信する「情報のキュレーション」が盛んに行われています。

キュレーションの成功例は街の中にもあります。
百貨店は、「百貨」の名の通り、多彩な商品がそろっている業態で、主に高級品を扱います。
その百貨店は業績が低迷し、業界の売り上げは今世紀に入り、この10年で約10兆円から約7兆円(2018年は約6兆円)にまで縮小しました。
一方、替わって人気上昇中なのが、ユナイテッドアローズ、ビームス、シップス、ベイクルーズといった、センスのよい洗練された商品を選び、絞り込んで提供するセレクトショップです。
人気セレクトショップがテナントとして入る駅ビルのルミネは、この10年あまりで売上高が百貨店とは逆に約70パーセントも増えています。

セレクトショップもキュレーションの典型で、欧米ではオーナーやスタッフは、キュレーターに例えられたりもします。
この場合、キュレーションは「目利(めき)き」といった意味にもなるでしょう。

やはりテレビ番組で、テレビ朝日系列の『アメトーク!』というトーク番組があります。
お笑芸人の雨が上がり決死隊がMCを務め、毎回、7〜8人のお笑芸人ゲストが出演します。
短命のお笑番組が多い中で、2003年4月にレギュラー化されてから、午後11時15分〜午前0時15分という深夜枠ながら、平均10パーセント前後の視聴率を保ち、ときには15パーセント前後の高視聴率をたたきだす人気番組です。
漫才ブームが始まり、この10年間の間に覚えきれないほど多くの芸人が登場しました。
それは芸人過剰時代を思わせるほどです。
『アメトーク!』の持ち味は、その中から人気の高さや知名度といった既存の尺度ではなく、有名無名を問わず、毎回、ある共通性を持った芸人たちを集める“くくりトーク”のくくり方にあります。
家電好きの「家電芸人」、住居が近い「五反田芸人」、通う店が同じだった「餃子の王将芸人」など、いわゆる楽屋ネタをテーマに設定することで、芸人の日常の中にお笑の価値を発掘するのです。
これも、一種の芸人のキュレーションです。
中でも特徴的なのは、「滑舌(かつぜつ)悪い芸人」「中学のときイケてないグループに属していた芸人」「人見知り芸人」…等々、“負の笑い”を誘うくくりがしばしば行われ、どちらかというと地味な芸人が集められるのに、逆に新鮮さが生まれ、面白さと親しみを感じてしまうところです。
芸能界においては、その他大勢的な売れていない芸人も、くくりトークでくくられるとにわかに光を放ち、価値を持つ。
いわば“石ころ”も“ダイヤ”に変わる。
それがキュレーションです。
過剰でとらえきれない状態から、選択し絞り込み、結びつけ、編集し、新しい価値を生み出す。
どうやら世の中はその方向に向かっているようです。

過剰な世界から絞り込みの世界へ。
より多くからよりシンプルへ。
多機能高機能から絞り込まれた“腎機能”“好機能”へ。
マルチからスマートへ。

21世紀には大きな流れが生まれようとしています。
受け手の視点で目利きし、再編集して「より善い価値」「より適した価値」を実現していくキュレーションの時代に入ろうとしているのです。
アップルのスティーブ・ジョブズがキーになる機能をキュレートしてiPadをつくり出したように、自分が取り組む仕事やビジネスにおいて何をどうキュレートすればいいかという、キュレーターとしての意識です。

世の中にあらゆる価値があふれ、先が見えにくいときは、受け手の視点で目利きし、「何をどう編集するか」というキュレーションの考え方を取り入れると、仕事の方向性がとてもすっきり整理されます。

『石ころをダイヤに変える「キュレーション」の力』潮出版社

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キュレーター、長谷川祐子氏の「キュレーション 知と感性を揺さぶる力」(集英社新書)より
『「キュレーション」という言葉を用いた書物が、アートの文脈とは無関係に出版されるほど、いまキュレーション、キュレーターという言葉が市民権を得つつある。
選択する、解釈する、構成するという意味ではエディターの仕事に近く、展覧会を企画し、美術館をつくったり、アーティストの新作制作に関わったりする点ではプロデューサーに近いともいえる。
一方で文献、フィールドの双方に関わるリサーチャーであり、ときにアカデミックなテキストから批評テキスト、そして展覧会の広報印刷物のキャッチコピーまで考える書き手でもある。
そして展覧会企画の予算から執行の流れをマネジメントする管理者でもある。
キュレーターの仕事は、視覚芸術を解釈し、これに添って、芸術を再度プレゼンテーションすること、これが基本といえる。
世に知られていない生まれたばかりの作品を展示することは、美術史的に評価の定着した作品を展示することとは、かなり異なっている。
前者は、キュレーターの解釈力や表現力が問われるのだ。
それまでなかった価値観や知覚意識、嗜好(しこう)の生産に関わることは、社会や経済とも関わることになる。
いい作品はどう判断するのかと、よく聞かれることがある。
長いこと記憶に残っている作品と答えることが多いが、では若い作家の作品を最初に見たとき、その場でどう判断するのか。
それは、その作品が視覚の中に「到来する」「侵入してくる」という以外に表現のしようがない。
それは、視覚的インパクトという表現ではすまない何かなのである。
こちらの視覚的記憶の蓄積とそのたびごとに積み重ねてきた解釈や判断の集積により、経験あるキュレーターの眼はたえず既視感にさらされている。
その既視感ブロックを破って侵入してくる作品は、そこだけモノクロから総天然色になったときのような新鮮さがある。
アートのキュレーターとして何が重要かといえば、この視覚的記憶がすぐれていることであり、この視覚要素を他のあらゆる事象やロジックと結びつける力、そして視覚的・感覚的シミュレーション能力だろう。』

キュレーターという仕事は、美術館や博物館の専門家だけでなく、今では多くの職業に存在する。
たとえば、店主がセレクトした厳選した本だけを陳列する本屋さんや、オーナーやカリスマ店員の選んだ洋服や、雑貨などのショップ。
あるいは、本を自らの好みで選びそれをSNS等で紹介するブックキュレーター。

キュレーションはあらゆるところで行われ、エバンジェリスト的なキュレーターがいる。
エバンジェリストとは、伝道師のことだが、IT業界で主に使われ、最新のテクノロジーを一般の人にわかりやすく伝えたり、解説したり、啓蒙したりする役割の人だ。
現代はあふれかえる情報の洪水のまっただ中にあり、その中から自分にとって有益な情報を選び取るのが難しい時代だ。

キュレーションの力は今後ますます必要とされる
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2019年02月16日

No 5006   【目の前にある幸せに感謝する】

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おいちゃんのお気に入りブログ【人のこころに灯をともす】からの転載です

【目の前にある幸せに感謝する】

小林正観さんの心に響く言葉より…



九州でのある講演会で、定刻になっても半分しか人が集まらず、主催者の方が、「どうして九州の人間はこんなに時間にルーズなんでしょうね」と嘆いたことがありました。
それを聞いた私は、笑ってこのように話しました。
「定刻なのに半分も来ない、のではなくて、定刻にもかかわらず半分も来てくださっている。ありがたいですよね」

つまり、来てくれたほうに目を向けたら、「ありがとう」です。
来ていないほうの半分に、「まだ来ないじゃないか」と不平不満を言うよりも、来ている人に感謝するほうがいいということです。
同じ現象でも、感謝ができる人とできない人がいます。

私の話を聞いて、その主催者の方は、「自分は正観さんのお話を何十回も聞いているのに、まだイライラしてしまう人間でした」とおっしゃっいました。
それから、その人はまったくイライラしなくなったということです。
面白いことに、定刻に集まらなくてもイライラしなくなったら、その次の会からは、定刻には三分の二の人が来るようなりました。
イライラしているときにはなかなか集まらなかったのに、イライラしなくなったら、集まりもよくなり、人数も増えているそうです。
地球と宇宙を味方につけるためには、「自分の思いどおりの現象が100点満点になっていないじゃないか」と文句を言うのではなく、80点の現象があるのなら、その80点に、手を合わせて感謝すること。

『神さまに好かれる話: 悩みを解消する法則 (単行本)』三笠書房

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小林正観さんは本書の中でこう語る。
『ある歌手が、コンサートの直前に客席を見て、空席があることに腹を立てて帰ったことがあったそうです。
当然、コンサートは中止。
3000人ほどの規模の会場で2500人ほど入っていたそうですから、充分にお客さんは集まっていたと思います。
ただ、空席があったからそれが気に入らないというので、来てくれた人に対して自分の腹立たしさをぶつけるのは、実は本人が考えている以上に損です。
そういうことをしていると、そのうち誰からも信用されなくなります。
興行主から見ると、もうそんな危険のある人には次から頼まないようにしようと思うに違いありません。
目の前に起きている現象に対して感謝ができ、喜びを見い出すことができ、そこに幸せを感じられるようになると、自分自身がラクで楽しい、ということです。
なおかつ、地球と宇宙が味方になってくれます。』

人は、偉くなったと錯覚したり、その状態に慣れてしまうと、傲慢になる。
はじめは、ほんの数人のお客様が来てくれただけで、嬉しくて涙が出そうになった、という初心の素直な気持ちを忘れてしまう。

不満が爆発したり、不機嫌になる人は、今ある幸せに目を向けられない人。
今、生かされていることの「ありがたさ」を忘れてしまっている。

「ありがとう」の反対は「あたりまえ」だという。
「ありがとう」は漢字で書くと「有難う」。
「有(あ)ること難(かた)し」とは、有ることがまれである、めったにない事にめぐりあうようなこと、つまり「奇跡」のようなこと。
奇跡の反対は、「あたりまえ」。

我々は、毎日起こる出来事を当たり前だと思って過ごしている。
「歩けるのが、あたりまえ」
「目が見え、耳が聞こえるのが、あたりまえ」
「毎朝目覚めるのが、あたりまえ」

しかし、地震にあったら、病気になったら、事故にあったら、そんなあたりまえの毎日はあとかたもなく吹き飛んでしまう。
今、目の前にある幸せに手を合わせて感謝できる人でありたい
posted by Dr.モーリィー at 07:07| ちょっと気になる善い言葉 | 更新情報をチェックする

2019年02月15日

No 5005   【コンピュータになくて人間にあるのは、「モチベーション」】

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おいちゃんのお気に入りブログ【人のこころに灯をともす】からの転載です

【コンピュータになくて人間にあるのは、「モチベーション」】

筑波大助教、落合陽一氏の心に響く言葉より…



いつの時代でも言われることですが、現在の小中学生が社会に出る頃には、現在とはまったく違う世の中が訪れているはずです。
しかしながら、入試制度や選挙制度、雇用の仕組み、我々の死生観や幸福感、結婚の仕組みなど、まだ変わっていないものもあります。
そしてそれらは聖域などではなく、今後最も劇的に代わっていくのではないかと考えられます。

ところが、彼らに将来の指針を与える立場にある親の世代が、いまコンピュータやインターネットのもたらす技術的変化や文化的変化によって具体的に何が起こるのか、それがどういう意味を持つのかを理解していません。
そのため多くの親が、子供に見当違いの教育を与えているような気がします。
たとえば、英語教育に熱心な親は大勢いるでしょう。
「グローバルな社会で生きていくには、英語ぐらいできないと」と考えて、子供が小さいうちからバイリンガルになるための教育を行っています。
それを求めるのは保護者ばかりではありません。
学校での英語教育を求める声は財界などにも多いですし、文部科学省も小学校への英語教育の導入を進めています。
でも、それが本当に将来のキャリアに役立つでしょうか。
たしかにグローバル化によって外国人とコミュニケーションする場合は増えましたが、コンピュータの翻訳技術もどんどん向上しています。
最近は、ちょっとした仕事上のメールのやり取りなら「グーグル翻訳」でこと足りるようになりました。
音声の翻訳も含めて、その精度は短期間のうちに上がるでしょう。

そういう世界で大事なのは英語力ではありません。
たとえばコンピュータが翻訳しやすい論理的な言語能力、考えを明確に伝える能力が高いことのほうが、はるかに重要です。
英語はプログラミング言語の一種だと思って、練習して使いこなせるくらいがちょうどいい距離感のように僕は感じています。

また、子供にコンピュータ・プログラミングを学ばせる親も増えました。
たぶん、「これからはIT業界に入れば成功できる」という前提で考えているのでしょう。
はっきり言って、子供のときから単にプログラミングが書けること自体にはあまり価値はありません。
IT関係の仕事で価値があるのはシステムを作れることです。
プログラミングは、自分が論理的に考えたシステムを表現するための手段にすぎません。
ですから、「プログラミングができる」というのは、いわば「算数ができる」ぐらいの話。

大事なのは、算数を使って何をするかということ。
それよりも重要なのは、やはり自分の考えをロジカルに説明して、ロジカルにシステムを作る能力です。

「次の世界」に向けて、どんなことを学ぶべきかを考えるのは本当に難しいことです。
ただ基本的には、「コンピュータには不得意で人間がやるべきことは何なのか」を模索することが大事だと言えます。
それはおそらく、「新奇性」や「オリジナリティ」を持つ仕事であるに違いありません。
少なくとも、処理能力のスピードや正確さで勝負する分野では「ホワイトカラー」が担っているような仕事は、ほとんどコンピュータに持って行かれるのです。

コンピュータに負けないために持つべきなのは、根性やガッツではありません。
コンピュータになくて人間にあるのは、「モチベーション」です。
コンピュータには「これがやりたい」という動機がありません。
目的を与えれば人間には太刀打ちできないスピードと精度でそれを処理しますが、それは「やりたくてやっている」わけではないでしょう。
いまのところ、人間社会をどうしたいか、何を実現したいかといったようなモチベーションは、常に人間の側にある。
だから、それさえしっかり持ち実装する手法があれば、いまはコンピュータを「使う」側にいられるのです。

逆に言えば、何かに対する強いモチベーションのない人間は、コンピュータに「使われる」側にしか立てません。
スマホという小さな道具の中で、アプリを使いこなして便利に生きているつもりでも、それは誰かが作った「魔法」の世界を見ているにすぎないのです。

『これからの世界をつくる仲間たちへ』小学館


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落合氏は、「ホワイトカラー」や「中間層」が今後なくなっていく現象についてこう語っている。
『米国で2009年に始まった「Uber(ウーバー)』というタクシー配車サービスも、ヒューマン・コンピュテーションであり、ある意味で人間(ドライバー)が人工知能のインターフェイスとして機能していると言えるでしょう。
米国ではタクシー会社に所属していない個人が誰でも簡単な登録をするだけでUberのドライバーになることができます。
料金はアプリで清算できるので、ドライバーが個人でもボッタクリに遭うことはありません。
通常のタクシー会社は、顧客からのリクエスト緒を受けた配車係がオペレーションをします。
しかし、Uberはそれをコンピュータがやるので、人件費がかかりません。
したがって、乗車料金も安くすることができます。
当然、ドライバーの取り分もふつうより多くできるでしょう。
実際、Uberのドライバーの平均時給は日本のタクシー運転手の3倍程度になっています。

これまでブルーカラーの労働者は、その仕事をマネジメントするホワイトカラーの搾取を受けてきたと言うことができます。
実質的な価値を生み出しているのは現場のブルーカラーなのに、どういうわけかマネジメントをしている側のほうが高い価値を持っているように見えていました。
話はちょっと飛びますが、たとえば共産主義が失敗したのは、そのようなコンピュータがなかったからかもしれません。
もし、「維持コストのかからない管理職」がいれば、労働者に富を平等に分配できるはずです。
しかし実際には、マネジメントできるほどのコンピュータが存在せず、「管理職」としての共産党や役人を食べさせなければいけなかった。
そこが富を搾取するから、労働者は豊かになれなかったわけです。
コンピュータの発達によってUberのような方式が広まれば、いままでマネジメントという中間的な位置で食べていた人たちの仕事は必要ありません。』

「おそらく私たちの社会は、中産階級を維持する方法を見つけなければならないという重荷を背負うことをやめてしまったのだ」(スコット・ギャロウェイ・GAFA四騎士が創り変えた世界)
インターネットとデジタル革命の大きな特徴の一つは、「中抜き」だ。
問屋や中間業者がなくなり、消費者が生産者や製造業と限りなく近づく。
会社においても同じで、中間のホワイトカラーがいらなくなる。

《コンピュータになくて人間にあるのは、「モチベーション」》
高いモチベーション力を身につけたい
posted by Dr.モーリィー at 07:45| ちょっと気になる善い言葉 | 更新情報をチェックする

No 5004  夜間当番

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半年に1回くらい廻って来る 夜間当番の日

電話を待ちながら 事務仕事・事務仕事

今回は相談の電話が 1通来ただけの 静かな当番日でした

こんな日もあるものだ

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posted by Dr.モーリィー at 07:37| クリニック情報 | 更新情報をチェックする

2019年02月14日

No 5003   【根拠のない感情論で、テクノロジーの進化をせき止めてはいけない】

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【根拠のない感情論で、テクノロジーの進化をせき止めてはいけない】

堀江貴文氏の心に響く言葉より…



もはやAIがなければ、社会のインフラは成り立たない。
そんな状況になりつつある。
一方で、AIの存在感が高まるのと相反するように、「脅威論」も噴出している。
「AIは、人から仕事を奪ってしまうのではないか?」
「人間を凌駕(りょうが)する知能は、やがて人間を排除してしまうのではないか?」という意見だ。

人の知性や成長力、順応性などを考慮しない、バカらしい意見だ。
人間の可能性も、ずいぶん下に見られたものだ。

これだけは言わせてもらいたい。
AIを人類の敵などとみなし、わけのわからない脅威論で排除しようとするなど、絶対に許されない愚行だ。
根拠のない感情論で、テクノロジーの進化をせき止めるのは、人が知性体であることをやめるのに等しい。

もしAIに脅威を感じるのなら、AIのことを正しく学び、現在の知見から、人間社会に何をもたらそうとしているのかを、自分なりに考えてみるべきだ。
火を怖がったサルみたいに、テクノロジーの前で怯(おび)えているだけでは何も解決しない。
つかみがいいだけの脅威論など、飲み場の笑い話程度に聞き流し、来るべきAI社会と、自分がどのように向き合っていくかを、真剣に考えてみてほしい。
そうしなければ、あっという間に「AIに奪われる側」になってしまうだろう。

AIがロボットのような「身体性」、つまりは「手」や「足」を獲得したとき、まずAI自身がさらに爆発的な進化のジャンプを果たすだろう。
そして、“AIロボット”として、人がやっていた仕事を請け負い、人々の生活を本格的にサポートする役割を果たし始める。

いずれは「人が働かなくていい世界」がやってくる。
AIやロボットに仕事を奪われる…ある意味では、事実だろう。
だが、奪われるという発想を持つ必要はない。
私たちの方から、AIやロボットの側に、面倒な仕事を受け渡すのだ。
そして、私たちはやりたいことだけに没頭できるようになる。
素晴らしいことではないか。

IT革命とグローバリズムにより、経済格差や情報格差、教育格差など、あらゆる分野で格差がどんどん拡大している。
今後はAIやロボットを使いこなす人と、そうでない人との格差の拡大が始まる。
使いこなす側が受けられる恩恵と、使いこなせない側の不利益は、これまでの格差とは比べものにならないほど、大きくなるだろう。
とてつもない「AI格差」の時代が、始まりつつあるのだ。

メールやスマホ、SNSが出現したとき、「そんなものに頼っていたらダメだ!」「インターネットのことは、まるでわからん」などと、旧態依然たる生き方や働き方に固執していた厄介者たちが、いまどうなっているか。
答えは明白だ。

『僕たちはもう働かなくていい (小学館新書)』

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堀江貴文氏は、本書の中でこう述べている。
『テクノロジーの歴史は、“身体拡張”の歴史でもある。
自動車が登場して、人力車や飛脚はいなくなった。
移動の手段を、私たちは自動車に“拡張”することで、1日で数百キロを移動することができるようになった。
人類は身体の“拡張”を繰り返してきた。
そうして過去から想像もつかないような、質の高い生活を過ごしている。
自動運転やドローンも、いわば「目」や「耳」など感覚の技術拡張と言える。
AIやロボットは人間の“身体拡張”の最良のサポーターである。
手を組み続けていこうと、考えるのが正しい。
仮にAIが奪う側だとして、AIに負けじと、自分も進化しようとは思わないのか?
それこそが人間ではないのか?』

『歴史学者ユヴァル・ノア・ハラリは、AIの進化が加速していいく今後、人々がどのように生きていくべきかを、わかりやすく提言している。
21世紀の人間は、「狩猟民族に学ぶべきだ」という。
狩猟民族は自分たちの願望に合うように環境を変えるのではなく、自分自身を環境に適応させてきた。
そして自分の身体や五感に対して、鋭敏であり続けた。
生き延びるために、目で見ること、耳で聞くこと、鼻で嗅ぐこと、すべてについて研ぎ澄ました。
それらは現代人が、いま失いかけているものだ。
30代、40代になろうと、新しい知見を得る好奇心を持ち、狩猟民族のように鋭い感性と柔軟性を使いこなすことが、AI時代を生き抜くには求められるということだ。
だが、好奇心も感性も、柔軟性も、狩猟民族が有していた能力は、実は、AIやロボット、“身体拡張”といった現代のテクノロジーを駆使していけば、ほぼすべてをカバーできるようになるのではないだろうか…』

時代は変わる。
本書の中で、堀江氏は「我々は人間のまま“死”を迎える最後の世代」になるという。
AIやロボットがどんどん進むと、人間の身体の不具合ができたとき、ロボットのパーツとや臓器と取り替えられる時代がくるからだ。
それどころか、アニメの攻殻機動隊のように、直接、脳とネットがつながる電脳の時代もいつか現実の世界になるかもしれない。

「根拠のない感情論で、テクノロジーの進化をせき止めてはいけない」
今一度、狩猟民族に学び、生き延びるため、五感を研ぎ澄ませたい
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No 5002  天使たち

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毛利歯科グループの スタッフや関連企業のための 保育所 「七福保育所」

たまに 寄るのですが 行くたびに 元気をもらえます

子供たちの 成長は 目を見張るものがありますね

たくさんの学びも あります

未来の宝物 天使たちの 瞳は きらきら輝いております

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2019年02月13日

No 5001  【「デザイン」の本来の意味は「設計」】

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おいちゃんのお気に入りブログ【人のこころに灯をともす】からの転載です

【「デザイン」の本来の意味は「設計」】

各務太郎氏の心に響く言葉より…



日本でデザインという言葉を使うと、「絵心」「センス」「クリエイティビティ」という言葉と一緒に使われることがある。
敢えて強調するが、デザインと、センスやクリエイティビティは、全く関係がない。
とにかく新しい視点を提供すること、新しい課題を発見するということ、それこそがデザインなのである。

「デザインは問題解決」ということは、私たちも多くの本や記事で目にしてきた。
しかし、その本意は伝わりきっていないのではないかと思う。
例えば傘について考えてみよう。
傘というプロダクトは、「雨が上空から降ってくる」という問題に対して、「手で持てる軸の先に膜をつけて水滴をさえぎる」という解決の糸口を見いだしたものだ。
ここまでがデザイン。
膜の模様や、柄の形状のことはデザインとは呼ばない。

つまりデザイン力とは問題解決力のこと。
あくまで「問題を発見し、解決の糸口を示す」能力なのである。
私たちが普段「デザイン」と聞いて想像する「オシャレなグラフィック」等は、厳密にはデザインの範疇(はんちゅう)ではない。
絵心、造形力、センス、クリエイティビティは一切関係ないのである。

欧米では「デザイン」とは、課題解決や設計に特化した言葉であって、私たちがイメージするような「物事をきれいに整えること」は、「スタイリング」というまったく別の作業として存在していたのだ。

「問題解決」と「自己表現」。
その意味するところにおいて180度異なるデザインとアートであるが、なぜ日本ではこれほどまでに互いに混同されてしまうようになったのだろうか。
私は図工教育にその原因の一端があるのではないかと考えている。
つまり小学校から高校にかけての図工の授業の中で、絵や粘土が上手だったクラスメイトが、気づけば芸術系の大学や専門学校に進み、その後緒「デザイナー」として働いているから無理もない。
しかし冷静に思い返してみてほしい。
美術が得意というのは「自己表現」が得意ということであり、他人よりも上手に「スタイリング」ができる(オシャレに整えることができる)ということであって、決して「問題解決」に長けているというわけではない。
逆に言えば、本来「デザイナー」は美術系大学を出ている必要はまったくない。
質の高い課題を発見し、解決の糸口を提示することが出来さえすれば、簡単なポンチ絵が描ければ十分なのである。

実際世界のトップのデザイナーの中には絵心が皆無と言えるひとが数え切れないほどいるが、彼らの「デザイン力(問題解決力)」はやはりスバ抜けている。
もし企業の採用担当者が「問題解決力の高いデザイナーを雇うことで社内にイノベーションを起こしたい」という意図で、スタイリングだけが得意な人を採用してしまった場合は悲劇だ。
きっと社内の会報誌の表紙がいたずらにオシャレになるだけで終わってしまうことだろう。

『デザイン思考の先を行くもの』クロスメディア・パブリッシング

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各務太郎氏は「見立てる力」について本書の中でこう語っている。
『それは、ふつうの人から見れば全く関係ないふたつの異なるものも、それぞれをシナリオまで抽象化してとらえることで、同じ土俵で結びつけることができる眼力。
例えば作曲家がジェットコースターに乗ったら、その上下運動やスピードの緩急がメロディに「感じてしまう」かもしれない。
パティシエがドバイの面白い建築物を見たら、新しいケーキのフォルムに「見えてきてしまう」かもしれない。
その人の専門性や得意分野のフィルターを通すことで、他の人には見えないものが見えてくること。
それはもはやロジックやマーケティングでは説明不可能なもの。
そしてハーバードのデザイン教育は今、世界を変えるようなイノベーションを起こす上で、この「個人の見立てる力」こそが、いちばん重要な要素と考えている。』
そして、各務氏は「あの人だったらどんなアイデアを出すだろう」というロールプレイングを脳内で行うという。
たとえば、アンパンのCMをつくることになったとして、それを仮に「もしユニクロがアンパンのCMをつくったらどうだろう」と考える。
たぶん色んな国籍を持った若者が、それぞれ異なる色の鮮やかなカラーパンツをはき、軽快なBGMとともにアンパンを片手に白い階段を降りてくる画が想像できる。
また、料理のレシピ本を手に取り、「この本から絶対に建築を学ぶ」と決めて読み始めるといった具合だ。

「デザイン」の本来の意味は「設計」であり、新しい見立てや視点を通して問題解決をするという行動。
従来言われてきた「デザイン」は、「スタイリング」であり、それが美しくセンスよく整えること。

そして、「むしろ、誰もが手放しに称賛してくれるアイデアは実行しないほうがいい。なぜなら人は、一般的に既視感のあるアイデアは安心して受け入れることができるからだ。そのアイデアはきっともう、誰かがやっている」。
「見立て力」を磨き、新たな視点で様々な問題を解決できる人でありたい
posted by Dr.モーリィー at 07:19| ちょっと気になる善い言葉 | 更新情報をチェックする

2019年02月11日

No 5000  ブログ更新 5000回 達成!

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今回で 通算5000回更新  達成!

おいちゃんのお気に入りブログ 「人のこころに灯をともす」からの転載や
クリニック情報、イベント情報、研修会報告、食レポ?  などなど

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ひとつは ボケ防止のために  ははは

今後も ゆーーっくりとのんびりと
お付き合いくださいませ!

  皆様に 感謝・大感謝です!

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2019年02月10日

No 4999   【親の敷いたレールを逸脱する】

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おいちゃんのお気に入りブログ【人のこころに灯をともす】からの転載です

【親の敷いたレールを逸脱する】

習志野台幼稚園理事長、いぬかい良成氏の心に響く言葉より…



これからの時代は、AI(人工知能)のロボットが、今まで人がしていた仕事を担っていくといわれています。
親の言う通りに勉強して、単に知識をたくさん詰め込んでも、AIにはかないません。
そうした中で生き残っていけるのは、従順なロボットのような「良い子」ではなく、従来の常識を打ち破るような革新的で突き抜けた発想のできる子どもです。
親のイライラにおびえ、親の機嫌を損ねない「良い子」を演じたまま成長すると、「良い子症候群」に陥る危険性があります。

「良い子症候群」は、「良い子」であると他人に認めてもらうことでしか自分に自信を持てません。
そのため、少しでも誰かに注意されたりすると、極端に落ち込んだり、あるいは逆ギレしてしまうことが多いのです。
「うちの子はどうしてこんなに悪い子なんだろう?」
そう思い悩んでいるお父さんお母さんは、我が子が「良い子」でないことをむしろ歓迎してください。

私の持論は「子どもは悪い子に育てましょう!」です。
もちろん、「子どもを乱暴者に育てましょう」とか、「子どもを犯罪者に育てましょう」と言いたいわけではありません。
私のいう「悪い子」とは、簡単にいうと“親の敷いたレールから逸脱する子ども”です。

多くの子どもたちは、「あなたには無理!」とか「これはダメ」「あれもやめなさい」「そうじゃなくて、こうしなさい」と、親の決めたルールにがんじがらめにされています。
そんな親の決めたルールに支配され、親の望むゴールに向かってひょろひょろ伸びているきゅうくつな道…それが親の敷いたレールです。

親が思い描く幸せが、必ずしも子ども自身の幸せとは限らないのです。
「いい学校に行きなさい。そうすれば人生幸せになれるから」と、親の敷いたレールに沿って子どもが一流大学に合格したとします。
しかし、その子が自ら「行きたい」と望んだのではなく、ただ親の進める大学に入った場合、子どもは入学した後の人生を描けなくなってしまいます。
大学に入るという目的が達成されそこで燃え尽きてしまう、いわゆる「燃え尽き症候群」になってしまいます。
しかし人生が始まるのはこれからです。
社会に羽ばたく前の通過点に過ぎない大学入学が、人生の終着駅になってしまっていませんか?

『子どもは「悪い子」に育てなさい 天才児が育つ7つの習慣』楓書店

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いぬかい氏は本書の中でこう語っている。
『「常識とは、18歳までに身につけた偏見のコレクションに過ぎない」
これはアインシュタイン語録のひとつです。
「これが常識!」と信じて親がこどもに押しつけているルールは、実は親の限られた経験と知識による「偏った常識」であることがよくあります。
古今東西、偉業を成し遂げた人物には、子どものころに問題児だったというエピソードが多々あります。
「Think different」…これは、「世界を変えた人たちは、変人だった」というメッセージを伝えるアップル社(スティーブ・ジョブズ)の有名なCMのキャッチコピーです。
このCMに登場するのは、トーマス・エジソン、アルベルト・アインシュタイン、パブロ・ピカソ、ジョン・レノン、アルフレッド・ヒッチコック、モハメド・アリなど、歴史に名を残すイノベーター(改革者)ばかりです。
たとえばノーベル賞を受賞した天才物理学者のアルベルト・アインシュタインは、子どものころから天才だったわけではなく、10歳近くになっても言葉をまともに話せず、クラスメイトにバカにされていたといいます。
トーマス・エジソンは、小学1年の算数の授業で「なぜ1+1は必ず2になるの?2つの粘土を混ぜたら、ひとつの粘土になるじゃないか」と教師にしつこく食い下がり、「この子は頭がおかしいから、もう学校に来なくていいです」と教師に見放されてしまいます。
そのため、エジソンは小学校さえまともに出ていませんが、ご存知の通り、彼は世界屈指の発明王になりました。
けれど、残念ながら「出る杭は打たれる」のが世の常です。
特に日本の社会は周囲との協調性を重んじ、「長いものには巻かれろ」とか「寄らば大樹の陰」といったメンタリティが強いので、空気を読まずに和を乱すような子どもは、まさに「出る杭」として周りから叩かれがちです。
それは、他の子どもと違うユニークな「個性」を持っている証拠です。
たとえ自分の子どもが扱いにくいと感じても、他の子どもと比べてそれを恥じたり、ムリに押さえつけるのはやめましょう。
長いものにイージーに巻かれない子どもには、未来に花開く素晴らしい「ギフト」が宿っている可能性がありますから。』

また、いぬかい氏は、親が決めたルールを押しつけてはいけないとは言っても、すべてを子どもの自主性にまかせ、自由奔放にやらせていいということではないという。
人としての土台となる基礎は身につけないと単なるわがままな子どもになってしまうからだ。
そこで必要となるのが「態度教育(しつけ)」だ。
「あいさつ」「返事」「履物をそろえる」「姿勢を正す(立腰)」「食事のマナーを身につける」という5つの基本要素。

今までは、いい大学に入り、安定した大企業や官公庁に入るといったことが安泰で、人生の幸せにつながった。
しかし、これからは違う。
想像もつかないような大変化がやってくるからだ。
自ら考え、創造性を発揮し、新しいことにチャレンジし、冒険し、行動する人でなければ生き残ってはいけない。
その基本になるのが、教育だ。
何かを覚えてそれを再生するだけの記憶勝負の教育では、AIに一瞬にして負ける。

「親の敷いたレールを逸脱する」
いい大人になっても、親の敷いたレールから外れられない人は多い。

従来の常識を打ち破るような、革新的で突き抜けた発想を大事にする人でありたい。
posted by Dr.モーリィー at 07:39| ちょっと気になる善い言葉 | 更新情報をチェックする

2019年02月09日

No 4998   【エストニアで見つけたつまらなくない未来】

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おいちゃんのお気に入りブログ【人のこころに灯をともす】からの転載です

【エストニアで見つけたつまらなくない未来】

孫泰蔵氏の心に響く言葉より…



僕にとって最も刺激的な国の1つ、エストニアを訪れています。
エストニアは、欧州バルト三国の1つで、人口わずか約130万人の国です。
首都タリンの旧市街地は、世界遺産に登録されており、ロールプレイングゲーム「ドランゴンクエスト」に出てきそうな、中世の趣を残した街並みが広がっています。
そんな小国のエストニアがなぜ刺激的なのかというと、この国から「未来の社会」を感じ取ることができるからです。
エストニアの人々はいま、世界に先駆けて、新しい価値観とライフスタイルを掲げ、そのビジョンを最新技術とデザインによって、社会に「実装」しはじめています。
その社会とはどのようなものか。
一言でいえば、「ヒューマン・オートノミー」という言葉で言い表せるでしょう。

オートノミーには「(行動や意思の)自由」といった広い意味合いがあります。
そのため、この言葉には「人は好きなときに、好きなところで生活し、働き、学び、友に出会い、子を育て、人生を楽しむことができる」という意味が込められています。
エストニアは、人々が自由に生きられるという社会をつくり上げようとしているのです。

一方、日本の社会は縮小し、至るところで「パイの奪い合い」が起きています。
そのためか、最近、同調圧力の強さが増しているように感じます。
会社で何か新しいことをしようとしても、上司から「勝手なことをするな」と押さえつけられてはいませんか。
会社で働く必要はない仕事なのに「ここにいろ」とオフィスのイスに縛り付けられてはいないでしょうか。

日本の社会では、場所の制約に縛られ、組織の制約に縛られ、時間の制約に縛られ、何か新しいことをやろうと思っても身動きが取れない。
そう感じている人が少なくありません。
少子高齢化や低成長の経済、将来への不安…理由はたくさんあるでしょうが、何かに抑圧され、組織も個人もどんどん縮こまっている、そんな感覚があるはずです。

ですが、それは僕たちの思い込みに過ぎません。
「やれないだって?そんなことはないよ。僕たちはもっと自由なはずだ。自らを解放し、やりたいことを軽やかに実現すればいいのだよ」
エストニアは、自らの世界観を掲示することによって、このように問い掛けてくるのです。
実際にエストニア人と交流を重ねれば、気づくことでしょう。
僕らが常識だと思っていたことが、実はそうでないことを。
「何だ縮こまる必要なんてない」、そして、「僕たちはもっと自由になれる」ということを。
何より、「つまらない」と思っていた社会を僕らが変えられるということを…。
エストニアを知ることで、これからの個人と国家の新しい関係について、そして新しい経済の仕組みが見えてきます。
これこそが、「つまらなくない未来」の1つです。

まず、エストニアで有名なのが「イ―エストニア」と呼ばれる、政府の電子化に関する取り組みです。
エストニアは、1991年に旧ソ連から独立した後、行政システムの電子化を掲げました。
その後、国民にデジタルIDカードを配布し、行政サービスをすべてオンラインで受けられるようにしました。

現在、公的サービスの99%が電子化され、24時間年中無休で利用できます。
そのため、行政の窓口で並ぶ必要がありません。
たとえば、住民票の変更は、パソコンやスマートフォンからアクセスして済ませることができます。
面倒な確定申告についても、数分から15分程度で終わってしまいます。
1年間のすべての取引が電子化されて記録として残っており、自ら入力しなくとも確認をしていくだけで済むからです。

選挙の投票についてもオンラインで、世界中のどこからでも簡単に行えます。
交通違反をしても、その場で罰金をスマホで支払うといった具合です。
政府の議事録もすべて公開されていて、紙の書類は使いません。
病院も警察も学校も税金もすべてのサービスが電子化され、それを利用するためのデジタルIDで1つにつながっているのです。

『ブロックチェーン、AIで先を行くエストニアで見つけた つまらなくない未来』ダイヤモンド社

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孫泰蔵氏は本書の中で「未来の組織」や「人の価値」についてこう語る。
『プロジェクトチームを案件ごとに毎回、作っては解消し、作っては解消しというように、機動的で流動性のあるチームが成果を出す時代に入る。
大企業のように大きな組織体である必要性がなくなるでしょう。
経営者の役割も変わり、映画プロデューサーのような役割になると思います。
プロデューサーが好きな企画を立て、脚本や監督、俳優、スポンサーなどを集めて映画制作を行うように、経営者もそのアイデアをチームで実現していくのです。
そこで経営者に求められるのは、人と人との関係性をデザインする力になるでしょう。
また、ブロックチェーン技術により、そのプロジェクト1つ1つが記録されることになれば、個々の信用も自然と築かれるようになります。
すると、「有名大学に入った」や「大企業に入った」というおおざっぱな経歴よりも、「いつ誰と何をどう成し遂げたのか」ということが評価として残る。
つまり、評価の解像度が上がるのです。
大事なのは、自分がどんな価値を提供できるのかということです。
有名企業に入ったところで、何もできないのであれば評価がつきません。
何となくいい大学に入り、何となくいい企業への就職を果たした人では、他人に価値が提供できない。
いわゆる「つぶしがきく」と思って選んだ道ではつぶしがきかない、価値にならない時代に突入するのです。
それよりも、すきなことを突き詰めて、1つ1つのプロジェクトを成し遂げていく方がより大きなレコードになるでしょう』

これからの時代は、単なる学歴や、大企業や一流企業に在籍していたということは価値にはならない時代だ。
レストランのシェフで言えば、海外のレストランに何年いようが、有名店で何年修行しようが、彼(彼女)のつくる料理がおいしくなかったら、そんな経歴は何の意味もない。

未来は大きく変わる。
自分の価値を極限まで高める努力をし続けたい
posted by Dr.モーリィー at 07:33| ちょっと気になる善い言葉 | 更新情報をチェックする

2019年02月08日

No 4997  城山観光グループ 創業70周年 記念講演会         元サッカー日本代表監督 西野監督

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城山観光グループ 創業70周年 記念講演会に
スタッフ6名で 参加してきました

演者は 元サッカー日本代表監督 西野監督

臨場感あふれる前回のワールドカップのお話
これからの日本代表サッカー界の話
経営者にも 多くの学びがありました

最近 サッカーと不思議なご縁を感じる おいちゃんです
posted by Dr.モーリィー at 07:34| 講演会・イベント情報 | 更新情報をチェックする

2019年02月07日

No 4996   【インパクトカンパニー】

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おいちゃんのお気に入りブログ【人のこころに灯をともす】からの転載です

【インパクトカンパニー】

神田昌典氏の心に響く言葉より…



福沢諭吉が、『学問のすすめ』を世に出したのは、約150年前…
東京で蒸気機関車が走り、全国で郵便が届けられ、そして横浜でガス灯が輝き始めた「文明開化」の時代である。
常識を覆(くつがえ)すテクノロジーが続々出現し、過去から培ってきたスキルが通用しなくなり、自分の未来が見えづらくなった人々に対し、生活の糧(かて)となる実学を学べ、と勇気づけた『学問のすすめ』は、当時の10人に1人が読む大ベストセラー書となった。

その文明開化と同様に、私たちは今、急激な技術進化を経験する時代サイクルの中にいる。
これまで人生は80年と信じていたのに、いまや人生は100年となり、10年先かと思っていた人工知能や自動運転サポートは、すでに日常に入り込み、SFの世界だった宇宙旅行やゲノム編集技術は、実用へのカウントダウンが鳴り始めている。
「新文明開化」と言ってもいいほどのスピードで激変する世界で、私たちの頭の中は、まったく現実が変化するスピードに追いついていない。

住所をナビに入れる運転手は、自動運転技術が実用化すれば、さっそく機械に置き換えられていくことになる。
にもかかわらず、タクシー会社は、新人ドライバーを雇い続けている。
このように「未来」と「現在」、「思考」と「行動」が噛(か)み合わない会社が、いたるところにある。
機械翻訳で言語の壁は消えていくと外では言っているのに、社員には英語試験のスコアを求め、クラウト会計やクラウド人事の導入で、作業するだけの人材は必要なくなるのに、人手が足りないと嘆いている。

ルーティーンの仕事は、機械に置き換えられていくから、デジタル変革に成功した企業は大きく儲かる。
一方で、機械にはできない雑用は増えていくから、ホワイトカラーはさらに忙しくなるのに、スキルも給与も上がらない。
その結果、高齢化が急激に進む日本では、好況が続いている裏側で、子どもの貧困、介護離職、高齢者の孤立など、さまざまな社会的矛盾が、いっせいに表面化し始めている。

しかし、このように先が見えない時代だからこそ、明確な使命を打ち立て、本格的な成長を実現していく会社がある。
それが本書のテーマである、インパクトカンパニーである。

インパクトカンパニーとは、経済的に成長しながら同時に、事業を通じて社会問題の解決を目指す中小企業のことだ。
大企業やベンチャー企業ほど目立たない存在ではあるが、これからの社会にとって決定的な影響力(インパクト)を及ぼす。
なぜなら、圧倒的に、その母数が多いからだ。

中小企業は、日本の法人数の99.7%、全従業員数の69.7%を占める。
大都市圏を除くと、中小企業に勤める従業員比率は85.0と、さらに増える。
この巨大セグメントが、新しい時代への適応に遅れたら、地元の雇用は少なくなり、地域社会の衰退はまぬがれない。
逆に、ほんの一部の会社でも、社会問題の改善をもたらしながら、成長を実現する事業に取り組み始めたら…これは、とても面白いことになる。
高齢化社会・先進国の日本だからこその、地域社会創生のモデルを、世界に向けて描き出せるといっても大げさではないだろう。

「インパクト」という言葉は、すでに金融分野で使われている。
「インパクト投資」とは、経済的利益を確保しながら同時に、貧困や飢餓、差別、環境破壊といった社会的問題の解決を目指す投資手法だ。
ベンチャーが0から事業を立ち上げるのに対して、インパクトカンパニーは、成熟した既存事業から、新しい成長を創り出す。
その際、既存事業の延長で成長するのではなく、ビジネスモデル自体を劇的に進化させるのだが、そのプロセスには、一定のパターンがある。

大抵の場合、それは会社存続の危機から始まる。
業績が壁にぶつかった結果、捨てるべき事業、引き継ぐべき事業が総点検される。
事業を絞り込んだ後、ほどなく自分たちにしか実現できない未来が浮かび上がる。
価格競争を繰り返す会社の日常が、社会的要請に突き動かされる日常に変わる。
個人プレイがチームプレイへと進化する。
マスコミに頻繁に報道され、地方の小さな会社でも、世界から注目されるようになるといった具合だ。

要は、限られた市場の中で硬直しかねない事業が、未知なる領域へと飛び出し、未来から応援される事業へと変わるのであるが…、私の観察によれば、インパクトカンパニーへと進化し、本格的な成長をスタートできるかどうかの転換点が訪れるのは、創業20年へと向かうタイミングである。

『インパクトカンパニー 成熟企業を再成長させる、シンプルな処方箋』PHP

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時代は音を立てて変わっている。
そして、誰もが、その変化の先にあるものが何であるか、ある程度予測がついている。
やがてやってくる未来だ。

いつか、あらゆる乗り物が自動運転になることを。
いつか、ほぼすべての仕事がITやAIと密接につながることを。
いつか、シェアリングエコノミーが様々な分野に浸透することを。
いつか、働き方が多様になり組織のありかたが激変することを。
いつか、世界の言葉が瞬時に自動翻訳されることを。
いつか、現金がなくなり電子マネーになることを。
いつか、金融業界や士業が激変することを。
いつか、人が乗れるドローンで空飛ぶタクシーができることを。
いつか、100才が平均寿命となり、ほぼすべの人が生涯現役で働くようになることを。
いつか、介護を始めあらゆる分野にロボットが配置されることを。

変化のスピードはますます早くなり、その結果、多くの会社が生き残れるか否かの判断が、ここ10年か15年のうちに決してしまう。
「私たちの頭の中は、まったく現実が変化するスピードに追いついていない」

頭を切りかえ、インパクトカンパニーを目指したい
posted by Dr.モーリィー at 08:01| ちょっと気になる善い言葉 | 更新情報をチェックする

2019年02月06日

No 4995   【無名にして有力なる人たるべし】

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おいちゃんのお気に入りブログ【人のこころに灯をともす】からの転載です

【無名にして有力なる人たるべし】

安岡正篤師の心に響く言葉より…



《無名にして有力なる人たるべし》…無名有力

諸君は宜(よろ)しく平凡にして、その味わい飽(あ)かざる人たるべし。
無名にして有力なる人たるべし。
もしおのずからにして、奇抜或いは有名となることあらば、力(つと)めて捉われざる工夫をなすべし。
(送別の辞…日本農士学校第十一期卒業式)

『安岡正篤 人生手帖』致知出版社

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神渡良平氏が「無名有力」についてこう書いている。
『安岡正篤先生は勉強会でよく「有名無力、無名有力」と言われた。
有名無力、無名有力とはこういう意味だ。

「若いときには誰もがひとかどの人物になりたい、立派な会社を作り上げたいと一所懸命努力をします。
だんだん頭角を現し、人々の評価もいただけるようになって、名が上がって有名になってきます。
会社の規模も大きくなってきます。
そうなるとちょっとした名士になり、講演を頼まれたり、新聞に原稿を書いたり、テレビに出演したりして、だんだん忙しくなってきます。
そしていつのまにか自分を掘り下げる時間すらなくなって、有名ではあるけれども無力な人間になり下がることが多いものです。
しかし、世の中には、新聞、雑誌に名前が載るわけではない、テレビのスポットライトがあたるわけでもないけれども、頭が下がる生き方をしている方がいらっしゃる。
無名だけれども有力な生き方をしていらっしゃる』(下座に生きる・致知出版社)より

行徳哲男師は「感奮語録」の中でこう語っている。
味わいのある人とは、「素・朴・愚・拙」の人。

「素(そ)」
素のよさは何も身につけない。
木を見るとわかる。
枝葉をつけた木は見栄えはいいが、滋養は枝や葉が吸ってしまい、幹は弱る。
枯れ木は見栄えこそないが、実に力強い。
これこそが「素」の魅力

「朴(ぼく)」
言うなれば泥臭さ。
柴田錬三郎がシベリア抑留中の話を書いている。
そこに極寒のなかで靴下をしばしば盗まれたという話がある。
盗人はインテリや育ちのいい人間だったという。
それに対して「俺の靴下を履けよ」と情けを示したのは、魚屋のおやじやヤクザ者だったそうです。
限界状況で情を示せる人間には、どこか朴訥な田舎っぽいところがあると柴田錬三郎は言っています。

「愚(ぐ)」
アホになれる、馬鹿になれることそういう人物の下にはたくさんの人が集まる。
この人のためにと皆が思う。
これが本当の利口というもの。
目から鼻に抜けるような才たけた人間は慕われないし、人も寄り付かない。
利口は馬鹿であり、馬鹿は利口なのだ。
馬鹿こそ力。
馬鹿力のゆえん

「拙(せつ)」
下手くそのこと。
下手くそな人間は魅力的。
今の時代、上手に生きる要領居士(こじ)があまりに多すぎる。
ゆえに人間の魅力がなくなっている。

講演会などで、流れるように話をし、知識や情報も抜群にあるのだが、なぜか胸に響かない人がいる。
反対に、話はつっかえつっかえでヘタだが、妙に魅力的で味のある話をする人がいる。

「平凡にして、その味わい飽(あ)かざる人たるべし」
無名有力の人を目ざしたい
posted by Dr.モーリィー at 07:18| ちょっと気になる善い言葉 | 更新情報をチェックする

No 4994   厄払い星まつり 2019

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2月3日 日曜日
厄払い星まつりに 参座するべく 平川最福寺に 行って参りました

お大師様 弘法大師 空海の開いた 真言密教
2時間余りの 勤行に 皆さま 手を合わせて 祈っておられました

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途中 一般信者さんも 護摩壇に挙がって 護摩木を壇に投げ入れます

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今年も 600人以上の参拝者が

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護摩の炎と 参拝者の熱気で お寺の中は 熱い気で 満たされておりました

その後 法被を着た大厄の方や 恵観開山、豪泉貫主、来賓の方々が
「福は内、鬼は外」と豆まきお菓子まき野菜まきも

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追伸)

@ 来賓で来られた 湯元姶良市長

  豪泉貫主、湯元市長、おいちゃん

  鶴丸高校の同級生 クラスメートでした ははは

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それぞれ 己の行場で 頑張っております

A 厄払いのニュースで 有名な 成田山新勝寺も
  お大師様 弘法大師空海が開いた 真言密教
  真言宗智山派の仏教寺院 同派の大本山の一つである

   千葉県成田市成田!
posted by Dr.モーリィー at 07:02| 講演会・イベント情報 | 更新情報をチェックする

2019年02月05日

No 4993   【大人は時代の空気に敏感である】


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【大人は時代の空気に敏感である】

明治大学教授、齋藤孝氏の心に響く言葉より…



《大人は時代の空気に敏感である》
時代の感覚というのは、刻一刻と変化しています。
LGBT(セクシャルマイノリティ)にまつわる社会事情、SNSを中心に広がった#metoo運動など、かつては見過ごされていた動きや発言にフォーカスが当たり、どんどん修正が加えられていきます。
男女ともに、「△△さん」という呼称を使用するのも、ここ最近ではごく普通のこととなりました。

私たち大人は、この“速度”に慣れていかなければいけません。
「昔は違っていたんだ」などという云い訳は、今やナンセンスです。

たとえば江戸時代に書かれた『葉隠』には、娘が駆け落ちをしたために、家族全員が腹を切らなければいけなくなったケースが書かれています。
極端な例に思われるかもしれませんが、時代が変われば考え方も変化するのです。
大人なら、そういった時代の空気感を常に感じ取り、フレキシブルに対応していきたいものです。

『大人の対応力』ワニブックス

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よく、政治家に時代錯誤なことを言ってしまいSNSで炎上したり、ニュースの話題になることがある。
その多くは、時代の空気に鈍感なこと。
「上から目線の高圧的発言」であったり、「男は〇〇であれ!女は〇〇こうなければならない!」的な時代錯誤の発言や差別発言であったりする。
そのほとんどが、「気遣いがない」、「配慮がない」、「優しさが感じられない」、「心を冷やす」発言だ。
会津藩の「什(じゅう)の掟(おきて)」の中にもある、「弱い者いじめをしてはいけない」「卑怯(ひきょう)な振舞をしてはいけない」等の、人の気持ちを推し量るという共感力の欠如が大きく影響する。

また同時に、年齢を重ねると新しい情報や流行に疎(うと)くなる。
好奇心や、挑戦心や冒険心がなくなってくるからだ。

時代の空気に敏感な真の大人でありたい
posted by Dr.モーリィー at 06:56| ちょっと気になる善い言葉 | 更新情報をチェックする

2019年02月04日

No 4992   【人生は、ただ一場の夢】

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【人生は、ただ一場の夢】

無能唱元氏の心に響く言葉より…



三十歳の頃、野尻湖を訪れたときのことです。
夏の夕暮れ、私は東岸の道を散歩しておりました。
すると、近くの林の中から、林間学校の生徒たちのものらしい合唱の歌声が聞こえてきました。
それは有名な輪唱曲「ロウ ロウ ロウ ユア ボート」でした。

私は立ち止まり、みずうみの対岸を見つめながら、しばらくその歌声に聞き入りました。
この頃、私は英会話を学んでおりましたので、そのとき、それまでは気にもかけていなかった、この歌の内容を何気なく訳しながら聞いていたのです。

ロウ ロウ ロウ ユア ボート
ジェントリ ダウン ザ ストリーム
メルリー メルリー メルリー メルリー

漕(こ)げよ 漕げよ 漕げよ 小舟を
おだやかに 流れにそって くだれ
楽しげに 楽しげに 楽しげに 楽しげに

そして、これに続く、この歌の終章を聞き、その意味を初めて知ったとき、私は愕然(がくぜん)としたのです。それは、
ライフ イズ バット ア ドリーム
人生は ただ一場の 夢

という一行でした。
「なんということだ!」と私は思わず、うめきました。
ただの単純な童謡だと思っていた歌詞の中に、古典的日本文学にただよう仏教的諦観(ていかん)にも共通する表現があろうとは!

「無常迅速(むじょうじんそく)」「一期一会」などと、言い表されている、人生の哀感が、この童謡の中の、しかもたった一行に、かくも突然に、かくも衝撃的に言い表されていようとは!
私はしばし呆然(ぼうぜん)として、みずうみを渡ってゆくこの輪唱の響きを聞いていたのでした。

人生における幸せとは、この幻とも思えるひとときを、いかにイキイキ、ワクワク過ごせるかにかかっていると言っていいでしょう。
みずうみのほとりで、そう気がついたとき、それは私のサトリでした。

『小さなサトリ―ミニ・エンライトメントが人生を変える』河出書房新社

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城山三郎氏の小説にこんな一節がある。
『一期(いちご)の盛衰(せいすい)、一杯の酒。
一代の英雄の興亡盛衰の重さも、一杯の酒のうまさに叶わぬ、というのね。
ついでにいえば、わが人生、酔生夢死という終わり方をしたいわ』(本当に生きた日)より

室町時代の「閑吟集」にも、こんな言葉がある。
「何しようぞ くすんで 一期は夢よ ただ狂え」
いったい何をしてるんだ、まじめくさって。
人生なんて一瞬の夢よ。
面白おかしくただ狂え、と。

「人生は、ただ一場の夢」
人生を、面白がって、楽しく、暮らしたい
posted by Dr.モーリィー at 07:12| ちょっと気になる善い言葉 | 更新情報をチェックする

2019年02月03日

No 4991   【「デザイン思考」でゼロから1をつくり出す】

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【「デザイン思考」でゼロから1をつくり出す】

中野明氏の心に響く言葉より…



テレビ局の元プロデューサーで、現在は現役を引退している私の知人が、こんな言葉をつぶやいたことがあります。
「私たちの時代は本当に良かった。先輩のやり方を真似ていれば、万事うまくいきましたからねぇ…」
いまこの本を手に取っている人がこの言葉を聞いたとしたら、なんともうらやましい話だなぁ、と感じるに違いありません。

というのも、現代は過去の延長でものごとを判断したり行動していては、思うような成果が出ない時代に突入しているからです。
たとえば、かつては「モノ作りは日本のお家芸」などと言われたものです。
しかしいまやモノ作りの拠点は海外に移転し、「お家芸」などと言うのがおこがましい時代です。

落日の典型が家電業界や家庭向けゲーム業界でしょうか。
すでにサンヨーの名は世の中から消え、シャープの経営危機は続いています。
あのソニーでさえ輝きを失い、任天堂の売り上げはつい先頃まで下降するジェットコースターのごときものでした。

先の知人が所属していたテレビ放送業界も例外ではありません。
ネット回線を利用した画像配信サービスのネットフリックスがいよいよ日本に上陸し、視聴者が観たいときに自由にテレビ番組や映画を観ることができるようになると業界の再編は必至です。
もはや先輩のやり方を真似ているだけではどうにもなりません。
組織は右肩上がりで成長し、人は年功序列で出世して、やがて悠々自適の老後を送れる世界など、もはや幻想です。

不毛な消耗戦から脱却するに当たって注目を集めているのがイノベーション、つまり革新的な手段や方法です。
そもそもイノベーションの重要性を最初に説いたのは、経済の動態的な発展とその要因について研究した経済学者ヨーゼフ・シュンペーターです。
シュンペーターはこの非連続的な発展、従来の軌跡とは異なる軌跡上での発展こそが、経済の動態的発展だと考えました。
そしてシュンペーターは、この非連続的な経済発展の原動力になるものこそがイノベーションだと考えたのです。

イノベーションは、既存の人やモノの結合を解体して、従来とは異なる新たな結合の実現、すなわち「新結合」によって達成されます。
この活動は古い秩序を破壊して新しい価値を創造することです。
ですからイノベーションとは「創造的破壊」でもあるわけです。
そしてこれが「ゼロ」から「1」をつくる本当の意味です。
つまり「ゼロ」とは「無価値なもの」、「1」とは「価値あるもの」の象徴的な表現にほかなりません。

不毛な消耗戦からの脱却に求められているのは、既存路線の延長線上での連続的発展ではありません。
従来の秩序からズレたところ、いわば従来と異なる軌跡の上に新たな価値を創造する非連続的な発展です。

そして、その有力な手法の1つが「デザイン思考」なのです。
「デザイン思考」とは、《イノベーションを生み出すために、卓越したデザイナーの思考法を活用すること》。

『超図解「デザイン思考」でゼロから1をつくり出す』Gakken

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「デザイン思考」について本書の中にこう書いてある。
『■ 1のものを100にする試みではなく、ゼロから1を生みだす試み
■ 「開発者の視点」でなく、「生活者の視点」からの問題解決
■前例や合議よりも、希望と願望を優先させたプランニング
■失敗の繰り返しを前提とした前向きなアプローチ
■「こうあるべきだ」でなく「あったらいいな」という、人々の共感を大切にするマインド
論理思考ではフォローできない、人間重視・生活重視の思考、それこそが「デザイン思考」なのです!』

そのために必要なのが、「共感力」。
一旦自分の意見や主張を捨て、問題や課題と寄り添い、それに共感する姿勢。

次に必要なのが、「フレーミング力」。
視点を変え、視点をズラして、真の問題は何かを探る力。

そして、大事なのは「常にトライする力」。
失敗をおそれず、まずやってみる、そして成功するまでそれを修正し続ける力。
ポジティブ思考で、量をこなし、失敗しながら進む。

すぐれたアイデアや発想のコツは、組み合わせにあり、それをあきらめず、考え続けた人だけに降りてくる。
「デザイン思考」でゼロから1をつくり出したい
posted by Dr.モーリィー at 22:53| ちょっと気になる善い言葉 | 更新情報をチェックする

No 4990   【仕事と人生を激変させるなら】

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おいちゃんのお気に入りブログ【人のこころに灯をともす】からの転載です

【仕事と人生を激変させるなら】

金川顕教氏の心に響く言葉より…



「一日一冊ビジネス書を読んでいます」という人や、「映画を年間100本見ています」という人、「毎週、セミナーを聴きに行っています」という人がいます。
こうした行動は、すべてインプットです。
そして所詮忘れてしまうことなので、僕に言わせれば、ゼロプット。
ですからこんなことをしている人の話を聞くと、「だから何?」となります。

インプットなんて仮想世界にあるようなもの。
学んでいると勘違いしているだけで、一つも身についていません。
いくら読んだり、聞いたりしても、忘れてしまって後には残りません。

例えば不動産の優良物件があったとします。
「ここのマンションはおすすめです」という文章を読んだとしても、まったくほしくはなりませんん。
内装の写真を見たってそこまで興味は持てません。
でも実際に現場にまで行き、部屋の中を歩いて動線をたしかめたり、クローゼットを開いたりして、使い心地を判断すると、人はほしくなるものです。

服だって同じです。
ネットで「いいな」と思う服を見つけても、実際に着て、体を動かして着心地を確認しなければ、その服の良さはわかりません。
「行動」をすることで、人ははじめて「これ、いい」とか、「この家に住みたい」という感情が湧いてくるのです。

読書も仮想世界の中にあるようなものなので、ただのインプットで終わらせず、現実世界でアウトプットすることが大切です。
つまり、「本を100冊読みました」「偉いですね」でもありませんし、10冊の本を読んで終わる人よりも、1冊の本をしっかり読んで、しっかりアウトプットした人のほうが、はるかに身につくわけです。
本を1冊読みたいと思うなら、アウトプット先を前もって決めておくと効果的です。
例えば、アマゾンレビューを書く、日記にあらすじを書く、アイデアを書き出す、TODOリストを作る、メモ帳に思いついたことを書く…などなど、こうしたアウトプットを目的に本を読むという逆の発想をするのです。
たったこれだけのことで読書の成果は変わります。

1時間かけて、1冊の本を読んだだけでは、その1時間は、ただのゼロプットの時間です。
でも5分、10分、アウトプットの時間を取ることを前提に行えば、アウトプットの時間は、1万時間にカウントされ、それが結果に結びつきます。

昔から仲がいい友人に、とても優秀な営業マンがいます。
彼は年収1億円を切ったことがなく、約5000人の社員の中でも、常に営業成績はトップです。
ちなみに彼は、話題の本のタイトルをチェックするぐらいで、本をほとんど読みません。
それなのになぜ優秀なのか。
それは、毎日、飲み会、ゴルフ・パーティと、リアルの世界で、ひたすら人と会って話をして、アウトプットをしているからです。
読書は、アウトプットするためのきっかけや、人とコミュニケーションをするためのネタにすぎません。
インプットに命をかけるヒマがあるくらいなら、行動することこそが、最速で結果を生むのです。

『仕事と人生を激変させるなら99.9%アウトプットを先にしなさい』SBクリエイティブ

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どんなに素晴らしい知識があろうと、世界を変えるようなアイデアを持っていようと、自分の頭にしまっておくだけで、世に伝わらなければそれは無いのと同じ。
つまり、すべてのことは、アウトプットされなければ存在意味はないということ。
それが、行動するということ。

日本の昔からの学校教育の弊害がそこにある。
何かを覚えてそれを再現するというシステムの繰り返しだからだ。
高校受験や大学受験がまさにそれだ。

しかし、録画や録音なら、AIのほうがよっぽど優れている。
人は、アウトプットして初めて、自ら考えるようになり、それが行動に結びつく。

読書においても、読後感や読書録を書くことを前提に本を読めば、驚くほど速読になれる。
それを続けると、書きたい箇所の文章がピンポイントで目に入ってくるようになる。
必然的に、書けない箇所は飛ばし読みできるので、速読になる。

「仕事と人生を激変させるなら」
日々、アウトプット力を磨きたい
posted by Dr.モーリィー at 07:29| ちょっと気になる善い言葉 | 更新情報をチェックする

2019年02月02日

No 4989  朝礼  職場の教養

毛利歯科グループの 大切なる 朝のルーティン  朝礼

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職場の教養 2019.2.2

政治史や政教を記した中国最古の歴史書「書経」

  古代中国を治めた天子や王、参謀の言葉や経験が記されている!



人望あるリーダー像

1、寛容でありながら厳しい一面がある

2、柔和でありながら芯が通っている

3、慎重でありながら物事の処理が機敏

4、有能でありながら相手を見下さない

5、従順でありながら意志が強い

6、直情でありながら心は温かい

7、大まかでありながら筋は通す

8、決断力に富みながら思慮深い

9、行動力がありながら善悪のケジメはわきまえている


「相反するような気質」

「臨機応変さとバランス感覚」


できていないことが多いです  肝に銘じて精進いたします

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posted by Dr.モーリィー at 23:31| クリニック情報 | 更新情報をチェックする

No 4988   【学校の「当たり前」をやめた】

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おいちゃんのお気に入りブログ【人のこころに灯をともす】からの転載です

【学校の「当たり前」をやめた】

千代田区立麹町中学校長、工藤勇一氏の心に響く言葉より…



現在、私は千代田区立麹町中学校の校長を務めており、今年で5年目となります。
麹町中は、多くの日本の中学校からみれば、少し「特殊」な学校です。
皇居に近く、学区内には国会議事堂や最高裁判所、首相官邸、衆議院、参議院の議員会館などもあります。
今でこそ、地元の生徒が通う学校ですが、かつては、学区外の全都から越境入学した生徒達が半数以上を占めていて、「番町小→麹町中→日比谷高→東京大学」といった名門校の一つに数えられたこともありました。
卒業生には錚々(そうそう)たる方々がいます。
学校の施設・設備も相当なものです。
見学に来られた方々がため息をつくような素晴らしいホールなどもあります。
たくさんの外部指導員の支援を得る予算も十分にあります。
でも、だからといって、麹町中で取り組んでいることのすべてが、この場所、この施設・設備がなければできないということではありません。

注目されている取り組みの中には、「服装頭髪指導を行わない」「宿題を出さない」「中間・期末テストの全廃」「固定担任制の廃止」などがありますが、初めて聞く方は、おそらくびっくりされると思います。
その他、現在進行中の麹町中学校の取り組みも、学校関係者の中には、「認めたくない」という方がいるかもしれません。
しかし、これらは、昨日や今日、思いついたことではありません。
山形で教員を始め、その後、東京都の教員となり、目黒区、東京都、新宿区の教育委員会で指導主事や管理職として経験してきた中で、ずっと考え続けてきたことです。

「目的と手段を取り違えない」
「上位目標を忘れない」
「自律のための教育を大切にする」

こうしたいくつかの基本的な考え方を大切にして、多くの学校で「当たり前」とされてきたことについて、見直しを続けてきました。
それはある意味、私にとっても、自分自身の教師としての習慣や考え方をそぎ取る作業でもありました。

今、日本の学校で行われている教育活動の多くは、学校が担うべき、「本来の目的」を見失っているように感じます。
加えて、その事実に多くの教育関係者が気付いていないことに驚きます。

多くの学校では日々宿題が出され、生徒たちは定期考査に向けて、学習に励んでいます。
教師は学習指導要領に基づき、一人ひとりの学力を伸ばそうと、手厚い指導を行っています。
教室には「みんな仲良く」などの目標が掲げられ、学級担任の指導の下、「和」を重んじた学級経営が行われています。
日本中どこでも見られる光景ですし、私もかつてはこういうことを目指していました。

しかし、私はこれら当たり前に見えることでさえ、本当に意味があるのだろうかと考えるようになったのです。
学校はなんのためにあるのか…。
学校は子どもたちが、「社会の中でよりよく生きていけるようにする」ためにあると私は考えます。
そのためには、子どもたちには「自ら考え、自ら判断し、自ら決定し、自ら行動する資質」すなわち「自律」する力を身に付けさせていく必要があります。
社会がますます目まぐるしく変化する今だからこそ、私はこの「教育の原点」に立ち返らないといけないと考えています。

今、日本の学校は自立を育むことと、真逆のことをしてしまっているように感じます。
手取り足取り丁寧に教え、壁に当たればすぐに手を差しのべる。
けんかや対立が起きれば、担任が仲裁に入り、仲直りまで仲介する。
そうして手厚く育てられた子どもたちは、自ら考え、判断、決定、行動できず、「自律」できないまま、大人になっていきます。
そして、大人になってからも、何か壁にぶつかると「会社が悪い」「国が悪い」と誰かのせいにしてしまうのです。

将来に夢や希望を持てない子どもが多いという調査結果があります。
理想と現実のギャップに嘆き、自暴自棄になっている若者もいます。
景気が良いと言われていますが、雇用は不安定で、労働生産性は低く、経済的格差も広がっています。
そうした状況を招いていることの一因に、学校教育の根本的な問題があると私は考えています。
学校は、人が「社会の中でよりよく生きていけるようにする」という本来の目的を見失い、そこで行われている教育活動と実社会との間に乖離(かいり)が起きているのです。

なぜ、そのようになってしまうのでしょうか。
一言で表せば、「手段が目的化」してしまっているからだと私は思います。
例えば、国が示す学習指導要領は、大綱的基準にすぎないのですが、多くの教員はこれを「絶対的基準」と考えがちです。
その実、学習指導要領を読み込んでいるわけでもなく、教科書に従って授業をしている教員が大半のように感じます。
つまり、子どもたちに必要な力を付けるための「手段」であるはずの学習指導要領や教科書が、「目的」となり、消化してこなす対象となってしまっているのです。

目的と手段を見直し、学校をリ・デザインする…そんな思いで、私はこの5年間、学校づくりを進めてきました。
一見、画期的と思われる、宿題や定期考査の全廃も、長い教員経験の中で「目的」の本質を見極め、適切な「手段」を考え抜いてきた結果にすぎないと思っています。

「そんなことが可能なのか」と思う方もいるでしょう。
実際、学校教育は多くの法令等で規定され、廃止することができない部分もあります。
しかし、大半の部分は、法令よりも「慣例」によって動いているだけです。
校長が覚悟を持って、自らの学校が置かれた立場で何が必要かを真剣に考え抜くことができれば、いくらでも工夫できるものです。
多くの学校関係者が、そうした視点で日々の教育に当たれば、学校が変わり、ひいては社会も変わっていく可能性があると私は本気で思っています。

『学校の「当たり前」をやめた。 ― 生徒も教師も変わる! 公立名門中学校長の改革 ―』時事通信社

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インターネットをはじめとするデジタル革命によって、様々な業界で大変革が起きている。
そして、今ある多くの仕事や職業がなくなろうとしている。

日本は、平成元年、世界の時価総額ランキング上位50社のうち32社が入っていた。
しかし、30年経った今は、たった1社しか入っていない。
GAFAと呼ばれる、Google、Apple、Facebook、Amazonをはじめとする多くの新興企業が台頭してきたからだ。
日本ではこの平成30年の間、世界で活躍する企業が一社も育たなかったということだ。

その大きな原因の一つは、日本の教育にあると言われている。
覚えること、記憶することを主とした教育は、創造性や独創性や自主性を育てなかった。
つまり、「自律」するための教育がおろそかにされてきたのだ。

何かを変えようとすると決まって、旧勢力から反対される。
それを変えていくには、すさまじいエネルギーと覚悟がいる。
そして、多くの人は、その壁の前で撃沈し、昨日と同じ今日を続けることになる。

『学校の「当たり前」をやめた』
自分も社会も組織において…
「当たり前」をやめる覚悟を持てる人でありたい
posted by Dr.モーリィー at 07:28| ちょっと気になる善い言葉 | 更新情報をチェックする