2018年12月31日

No 4937   本年もありがとうございました

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今年も一年間 公私ともども
目標を決め 一所懸命 走ってきました

善いことも 悪いことも
うまくいくこともいかないことも
たくさん経験しましたが

すべてが 今後の糧になることでしょう

万象肯定  万象感謝

陰徳陽報

如意吉祥  開運招福  心身健勝

こころ穏やかに  こころ豊かに

皆様も 善い年をお迎えください

追伸)今から 行衣に着替えて 平川最福寺に行き
   深夜零時からの 元旦初護摩に 参座致します

   世のため 人のために 祈ってまいります!

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No  4936   【二脚の小さな椅子】

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おいちゃんのお気に入りブログ【人のこころに灯をともす】からの転載です

【二脚の小さな椅子】

弁護士、湯川久子氏の心に響く言葉より…



子どもが小さいときは、かわいいものです。
その子がいるというだけで幸せな気持ちになります。
思い出も楽しいものばかりです。

しかし、その子が大きくなったとき、必ずしも親の期待どおりになるとはかぎりません。
不登校の娘、家庭内暴力の息子、十代で妊娠出産した娘、高校、大学、結婚と順調だった娘の離婚、就職に失敗してノイローゼになった息子など、彼らの親の苦労はどれほど深く大きいものか。
「息子は中学までクラスで一、二番でした。やさしい子でしたが、高校受験に失敗してから性格が変わってしまい、悪い仲間と遊ぶようになりました。主人が一度きつく叱りましたら、家出してそれっきり帰ってきません。友だちの話では、暴力団に入っているらしいのです」
「娘は完璧に育てたつもりです。なのに離婚だなんて。私の子育てがどこかで間違っていたのですね」
「こんなことになるのなら、いっそ子どもなんていないほうがよかった。子どものない人がうらやましいです」
それぞれに悩む親の苦悩を聞いていると、子どもへの深い愛情に比例して、後悔や自責の念が伝わってきます。

私はといいますと、司法試験に挑戦していた二十代後半から三十代はとても忙しい日々でした。
周囲の人たちの手助けもあって、なんとかやってきましたが、百点満点の親だったかというともちろんそうではありません。
もっと、かまってやればよかった、という悔いはたくさんあります。

でも、過去は取り返せません。
当時の若かった自分にとっては、それがせいいっぱいの育児だったと思うのです。
こどもたちはすでに大きくなっていた、ある日のこと。
押入れを整理していたら、子どもらが小さいころに使っていた椅子が出てきました。
ピンクとブルーの二脚の木製の椅子は、色あせて、金具も錆(さ)びています。
「もう使わないから、捨てちゃおうか」
「いいだろう」
夫と私は、椅子を一脚ずつ手に持って、ゴミ捨て場に持っていき、壊れた家具の上にそっと置きました。

その帰り道、私はもう後悔しはじめていました。
当時は上質だった小さな椅子に、チョコンと座って食事をしていた子どもたち。
もうすっかり大きくなりましたが、幼かったころのかわいらしい顔と、当時の思い出がその椅子には残っていました。
なくなっていたらどうしよう、と思いながら、私は暗い道を一人でゴミ捨て場に走りました。
椅子は、私を待っているかのように、二脚並んでこちらを見ていました。

まだまだ未熟で、目の前の仕事と育児に必死に向き合ってきた私。
充分にかまってやれませんでしたが、笑顔と成長を見せてくれた幼かった子どもたち。
二脚の木製の椅子は、その思い出を刻んだものでした。

子どもの小さかったころの写真や思い出の品を見ながらそのときのことを思い出すと、「あの時代をたしかに共に生きたのだ」という気持ちになり、少し心が落ち着くものです。
「子どもは成長する過程で、百粒を超える喜びと幸せを親に与えてくれるが、子どものことで傷ついた親は、百粒の涙を流す」と言います。

子どものことで苦労した親は、人として成長し、人にやさしくなります。
そう考えると、親としての自分を育ててくれるのは、自分の親でも先生でもなく、子ども自身なのです。

子が親の期待通りに育ってくれるなど、そうそうありません。
子に過度の期待をしたくなるときほど、自分は子をたしなめる資格があるのか、自問します。
子は親の背中を見て育つと言いますが、まさにそのとおりです。
子は親の「言うこと」は聞きませんが、「親がしてきたこと」はそのまま真似るものなのです。

『ほどよく距離を置きなさい』サンマーク出版

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「子供叱るな来た道だもの  年寄り笑うな行く道だもの」という言葉がある。
また、『梁塵秘抄(りょうじんひしょう)』の中にもこんな歌がある。
「遊びをせんとや生れけむ
戯(たはぶ)れせんとや生れけん
遊ぶ子供の声きけば
我が身さえこそ動がるれ」

子どもは、遊びや戯(たわむ)れをするために生まれてきたのだろうか。
遊び戯れる子どもたちの声を聞いていると、愛(いと)おしさに自分の身体も動いてしまう。

愛おしくて、可愛い子どもなのに、気が狂ったように怒ってしまった、というような経験がある親は多い。
「子ども用の小さな椅子」
子どものことで苦労した親は、人として成長し、人にやさしくなれる
posted by Dr.モーリィー at 09:45| ちょっと気になる善い言葉 | 更新情報をチェックする

No 4935   あじ福  和菓子ケーキ 

年末 忘年会の 目玉企画

天才和菓子職人 ATARUによる 和菓子ケーキ 作品コレクション

2018

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2017

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2016

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2018年12月30日

No 4934   【この世へ何をしにきたのか】

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おいちゃんのお気に入りブログ【人のこころに灯をともす】からの転載です

【この世へ何をしにきたのか】

稲盛和夫氏の心に響く言葉より…



私たち人間が生きている意味、人生の目的はどこにあるのでしょうか。
その根源的な問いかけに、私は真正面から、それは「心を高める」こと、「魂を磨く」ことにあると答えたいと思います。

欲に迷い、惑うのが、人間という生き物の性(さが)です。
放っておけば、私たちは際限なく財産や地位、名誉を欲しがり、快楽に溺れかねない存在です。
生きている限り、衣食が足りていなくてはなりませんし、不自由なく暮らしていけるだけのお金も必要です。
立身出世を望むことも生きるエネルギーとなるだけに、一概(いちがい)に否定すべきものでもないでしょう。

しかし、そういうものはいくらたくさん溜(た)め込んだとしても、どれ一つとしてあの世へ持ち越すことはできません。
この世のことは、この世限りでいったん清算しなくてはならないのです。
そのような中で、たった一つだけ滅びないものがあるとすれば、それは、「魂」というものなのではないでしょうか。

死を迎えるときには、現世でつくりあげた地位も名誉も財産もすべて脱ぎ捨て、「魂」だけ携えて、新しい旅立ちをしなくてはなりません。
だから、「この世へ何をしにきたのか」と問われたら、私は、「生まれたときより、少しでもましな人間になる、すなわち、わずかなりとも美しく崇高な魂を持って死んでいくためだ」と答えます。

様々な苦楽を味わい、幸不幸の波に洗われながら、息絶えるその日まで、倦(う)まず弛(たゆ)まず一所懸命に生きていく。
その日々を磨砂(みがきずな)として、人間性を高め、精神を修養し、この世にやってきたときよりも少しでも高い次元の魂を持ってこの世を去っていく。
私はこのことよりほかに、人間が生きる目的はないと思うのです。

昨日よりましな今日、今日よりよき明日であろうと、日々誠実に努め続ける。
その倦まぬ営みにこそ私たちが生きる目的や価値が、たしかに存在しているのではないでしょうか。

人生における労苦とは、己の人間性を鍛えるための絶好のチャンスなのです。
試練を、そのように絶好の成長の機会としてとらえられることができる人、さらには、人生とは心を高めるために与えられた期間であり、魂を磨くための修養の場であると考えられる人…そういう人こそが、限りある人生を、豊かで実り多いものとし、周囲にも素晴らしい幸福をもたらすことができるのです。

『「成功」と「失敗」の法則』致知出版社

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「ほほえみ読本」という小冊子の中に『捨てて』という詩がある。

『捨てて』
どんな大事なものでも
荷物はみんな捨ててください
自分のからだも捨てるんですよ
《三途(さんず)の川の番人のことば》

どんなにお金があろうが、何千坪もあるような豪華な家に住んでいようが、どんなにスタイルがよくて美人(美男子)であろうが、どんなに有名で役職があろうが、三途の川を渡る時は、みんな捨てていかなければならない。
この世に残していけるものがあるとするなら、それは人の心に残った思い出だけ。
それは、いい思い出も、嫌な思い出もある。

しかし、どうせ残すのなら…
どれだけ人が喜んでくれたのか。
どれだけ人の役に立ったのか。
どれだけ人に感謝されたのか。

それが、「人の心に灯をともす」ということ。

「この世へ何をしにきたのか」
少しでもましな人間になるため、日々、己の魂を磨き続けたい
posted by Dr.モーリィー at 19:05| ちょっと気になる善い言葉 | 更新情報をチェックする

No 4933   【人をやる気にさせるには】

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おいちゃんのお気に入りブログ【人のこころに灯をともす】からの転載です

【人をやる気にさせるには】

小林正観さんの心に響く言葉より…



あるところで話をしていたときに、32人の参加者のうち、8人が、中学か高校の先生だったことがあります。
話の本題が終わって雑談になったとき、私はその先生方に、こんなことを言いました。
「自分が中学生や高校生だったときに思ったことですが、方程式や単語を、生徒に教えることももちろん大切だったのでしょうが、先生からは、『なぜ数学という学問はおもしろいのか』『どうして英語というものに興味を持ったのか』『なぜ美術に惚(ほ)れたのか』という話を本当は聞きたかったのです。『この学問は、こんなにおもしろいところがある』『こんなに学問というものはおもしろい』という話をしてほしかったのです」と言いました。

フランス語にモチーフという言葉があります。
これは日本語で「動機」と訳します。
モチベートは「動機づけする」「やる気にさせる」という意味です。

このモチベートを名詞にするとモチベーション、motivation(動機づけること、やる気にさせること)になります。
私は、その先生方に「教育を考えるときに、このモチベーションということを、大きく取り入れていただきたい」とお願いしました。

例えば、数学の先生や英語の先生をしている人、あるいは美術の先生をしている人、というのは、その学問が嫌いであったはずはありません。
それが好きであったからこそ、その教師になったはずなのです。
そうであるならば、「なぜその学問が好きになったのか」「どんなおもしろさや深さがあるのか」を話すことによって、生徒にモチベート(動機づけ)できるかもしれません。

生徒に向かって、「なぜ勉強しないのだ」「なぜわからないのだ」というような、鋭い言葉を浴びせるよりも、その生徒をやる気にさせる、「なぜその学問が楽しいのか」ということを伝えていくことが、教育の大事な側面であるように思います。
人間の教育の中で、先生が与えるモチベート(やる気にさせる、動機づけすること)というのは、私たちが考えている以上に、大きな問題なのかもしれません。

『こころの遊歩道 「1日5分」で幸せを感じる方法論』イースト・プレス

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この人を「やる気にさせる、動機づけする」ということは、何も学校教育だけのテーマではない。
企業においても、これは同じだ。
特に、中小企業や商店において、この「楽しさ」を伝えることは大事だ。
自分の子息がいるにも関わらず、多くは都会に行ったり、役所や大企業に勤めてしまい、帰ってこない、継がない、というケースは多い。
もちろん、給料の問題はあるが(中小企業より大企業の方が総じて高い)、その根本には親が仕事の楽しさを伝えてこなかった、ということが多い。

また後継者問題だけでなく、親や大人の世代が、楽しそうに、面白がって、カッコよく仕事をしたり、勉強したりする姿を見せるのは大事だ。
子どもは、そんな大人を見てあこがれる。
つまり、理屈ではなく、行動で示すということ。

人をやる気にさせるには…
「楽しさ」を伝えることはとても大事だ
posted by Dr.モーリィー at 07:22| ちょっと気になる善い言葉 | 更新情報をチェックする

2018年12月29日

No  4932  2018大忘年会

大掃除の後は 場所を ぎゃらりー七福庵に移して 恒例の大忘年会

徳子ばあさんの(母さんの)手作りオードブルと
牛一 特選の お肉による すき焼きとしゃぶしゃぶ
ビール、特選大吟醸「獺祭」や原酒「三岳」ワイン などなど

楽しい、大満足の、大満腹の 大忘年会でした

来年も 善き一年となり スタッフ全員で
また」 大忘年会を開催したいです

今年の雰囲気をどうぞ

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No 4931   【われただ足るを知る】

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おいちゃんのお気に入りブログ【人のこころに灯をともす】からの転載です

【われただ足るを知る】

樺旦純氏の心に響く言葉より…



「世の中は不平等である」こう書いてしまうと身もふたもないが、おそらく、多くの人がそう思っているのではないだろうか。
家が裕福なら、金の苦労をしなくても済む。
親がよいコネを持っていれば、就職にも困らない。
要領が良い性格なら、出世も早い…。

それは現実かもしれないが、いくら嘆いたところで、世の中が変わるわけではない。
それよりも、勤勉、努力、体力、勇気、何でもいい、今自分が持っているものを数え、それを生かす方法を考えるほうがはるかに建設的だ。

幸福そうに見える人でも、必ず悩みを抱えている。
自分の思い通りに生きている人など、一人もいない。
「親にカネがない、コネもない」と不平等に文句を言い、「目が可愛くない!」として嫉妬心を強くしたり、世間を恨む前に、「持たないがために、現在の自分がどれほど恵まれているか」に目を向けるべきである。

健康で、仕事もあり、帰る家がある。
どんなにお金があっても、病気だったり、家庭が不仲で会話がなかったり、友人が一人もいない…。
そんな辛く孤独な生活を送っている金持ちや美人をたくさん知っている。

自分をとりまく環境や持っているものに不満を持つどころか、わりと恵まれている方ではないかと思えるはずである。
フランスの哲学者デカルトの幸福論には、「人が支配できるのは世の中でも他人でもなく、自分自身の思想だけである。ベストをつくしても、それ以外のものを変えることができないとわかれば、手の届かないものを得ようとする欲求を起こすことはない」と書かれている。
デカルトは運命に逆らうよりも、自分の欲求を変えようと努めた方がよいと主張しているのだろう。

京都、石庭で有名な竜安寺には「足る(満足)を知れ」と書かれた蹲(つくばい)がある。
真ん中に「口」という字を共有したデザインで書かれているた、「吾れ、唯、足るを、知る」と読む。

『運のいい人の習慣 (幸運を引き寄せる80のつぶやき)』kkロングセラーズ

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「ないことを嘆くのではなく、あるものを数えて喜んで生きる」という言葉がある。
あるものとは、今与えられているものだ。
与えられているものに、感謝をして生きることこそが、幸せに生きる道。

どこに視点を向けるのか。
不平不満を増幅させるようなものばかりを見ているのか。
不平不満は、また新たな不平不満を呼ぶ。

反対に、「ありがたい」、「おかげさま」と感謝する対象を見つけ続けるのか。
感謝の習慣のある人は、感謝したくなるようなできごとがまた起こる。

「われただ足るを知る」
今あるものに感謝できる人でありたい
posted by Dr.モーリィー at 09:51| ちょっと気になる善い言葉 | 更新情報をチェックする

No  4930 大掃除

今年の診療は 12月28日の午前中まで
軽く昼食を食べて スタッフ全員で 大掃除

本院編

写真待ち・準備中







別院編

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ラボ・技工所編

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どこにこんなに ものがあったのかというくらい
ゴミが不要なものが

掃除の後は 場が見違えるほど綺麗に
善き場に善き空間になりました

スタッフ全員に 大感謝です
posted by Dr.モーリィー at 09:33| クリニック情報 | 更新情報をチェックする

2018年12月28日

No 4929   【「楽しい」が求められている】

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おいちゃんのお気に入りブログ【人のこころに灯をともす】からの転載です

【「楽しい」が求められている】

斎藤一人さんの心に響く言葉より…



世間の人は、「仕事は難しい、難しい」っていいます。
でも、一人さんは「そうでもないよ」って。
「仕事はそんなに難しくないよ」って。
だって、仕事は当たり前をやってれば、当たり前にうまく行くんだよ。
「じゃあ、当たり前って、なんですか?」っていったとき、人のお役に立つこと。

仕事って、どのぐらい、人さまのお役に立っているか、なんです。
そうすると、私なんかの場合だと、お客さんのお役に立つ商品を作る。
それと、私は社長だから、お給料出したり、やりがいのある仕事を作ったりするんですけど。
ウチの仕事をしている人たちやお客さんのお役に立つことをする。

サラリーマンだったら、会社の役に立つことはなんだろう、って一生懸命考えて、会社の役に立つことをする。
職場の仲間に仕事のやり方を教えたりして仲間のお役に立つ。
お店をやっている人は、たとえば焼き肉屋だったら、おいしい焼き肉を食べさす他に、最高の笑顔で、最高に感じがいいおもてなしをするにはどうしたらいいか、お客さんのお役に立つことを真剣に考えてやる。
これって、当たり前ですよね、ふつうでしょう?

ただ、今は、ふつうにお役に立つだけでは、うまくいかない。
今は、お役に立つことに「楽しい」を加味しないといけない時代なんです。
「楽しい」が求められている。

だから、会社で、暗いムードをかもし出しながら、一生懸命、仕事をして、「私、会社のお役に立つことしてます」といってても、なかなか、会社に認めてもらえないんです。
同じ一生懸命働くのでも、明るい笑顔で、元気はつらつと楽しげに働いてなきゃいけない。
お店だったら、そこのお店の人が出てくるとお客さんの気分も明るくなるとか、「そこへ行くと楽しくなっちゃう」というのもなきゃいけない。
だから、仕事のコツなんて、勤め人だろうが、商人だろうが、全部同じ。
お役に立ったうえに、その人がいると場が明るくなっちゃうとか、そういうことが大切なんです。

「楽しい」が求められている今の時代、そんなのは、もう当たり前。
そんな、感心したり、ビックリするようなことじゃないんです。
もう、サッサと、「楽しい」を加味してお役に立つことをやっていかなきゃなんない。
それを当然のこととして、生きるしかない。

『斎藤一人 愛される人生 [音声特典付] (ロング新書)』KKロングセラーズ

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その人が入ってくると、一瞬で、場がパーッと明るくなる人がいる。
ワーッと歓声があがったり、笑い声がたえなくなるような人だ。
反対に、その人が入ってくると、サーっと静かになり、みんな押し黙ってしまうような人がいる。
場の空気を冷たくさせる人だ。

いつも上機嫌の人は、まわりを上機嫌にさせる力を持っている。
その人がいると楽しいからだ。
そして、まわりには楽しい人たちが集まる。

反対に不機嫌の人は、不機嫌をまき散らし、まわりを不機嫌にさせる。
だから、人が寄りつかない。

楽しさや上機嫌は伝染する。
同様に、不愉快や不機嫌も伝染する。

仕事のコツは…
「人さまのお役に立つこと」に加えて「楽しい」こと。
「楽しい」を加味してお役に立つことをやっていきたい
posted by Dr.モーリィー at 06:56| ちょっと気になる善い言葉 | 更新情報をチェックする

2018年12月27日

No 4928   【自分の行動が多くの人の人生を変える】

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【自分の行動が多くの人の人生を変える】

ジェリー・ミンチントン氏の心に響く言葉より…



あなたが選択をするたびに何が起こるだろうか?
あなたは変化をつくり出し、そうすることによって自分の人生経験を変える。
だが、それで終わりではない。

「小さなどんぐりが生長して大きな樫(かし)の木になる」という格言のとおり、最初はささいなことでも、やがて大きくなる可能性がある。
あなたの選択は自分の人生経験に影響を与えるだけでなく、多くの人の人生を変える可能性があるということだ。

たとえば、ある人が誰かに腹を立てると、二人とも気分を害する。
そしてその二人は別れたあとで出会う人たちに自分の怒りをぶちまける。
幸せな感情も同様だ。
楽しそうに話をしている人たちは、その幸せを他の人にも伝える。
このように、どんな感情も次々と周囲に広がっていく。

ドミノ倒しを想像しよう。
ひとつのドミノを倒すと、次々とドミノが倒れる。
私たちの行動が周囲の人に影響を与えるのもそれと同じ原理だ。

世の中に影響を与えるのは、私たちの感情だけではない。
私たちの行動もまた、地球上の人びとに影響を与える。

あなたがどんな感情を表現し、どんな行動をとるかは、あなたしだいだ。
しかし、それはネガティブであるよりポジティブであるほうがずっといい。
それはまさに、自分が世の中にとって有益な存在となるか有害な存在となるか、どちらを選ぶかという問題だ。
今後、自分がなんらかの選択をするとき、それが世の中に好影響か悪影響のどちらを与えるかを必ず自問しよう。

《自分の行動が多くの人の人生を変える可能性があると考慮して最善の選択をしよう》

『自分の価値に気づくヒント (ディスカヴァー携書)』ディスカヴァー携帯


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多くの人は、自分の行動など世間に影響を及ぼさないと思っている。
影響を及ぼすことができるのは、ひと握りの有名な、政治家や、経営者、人気ブロガー、テレビタレント、スポーツの選手たちだろう、と。
しかしながら、本当は、誰もが、毎日、他人に大なり小なり影響を与えている。

それは例えば、家庭や仕事のできごとや、あるいは毎日見るFacebookやlineやメール、また他には、いつも行くコンビニやレストランや、車や電車で移動中に感じたこと。
その中で、ちょっとほっこりしたり、感動したり、嫌な気持ちになったり、喜んだり、腹が立ったり、嬉しくなったり、気分が悪くなったり、と色々な気分になる。
これが他人に影響を与えているということ。
積もり積もれば、人は人に大きな影響を与えている。

それは例えば…
毎日、怒ってばかりいる人。
毎日、不機嫌な人。
毎日、イライラしている人。
毎日、愚痴や泣き言ばかり言っている人。
毎日、人の批判や悪口ばかり言っている人。
こんな人が、まわりにいい影響を与えられるわけがない。

そうではなくて…
毎日を、笑顔で、明るく、上機嫌で、感謝の言葉を口にし、うれしい、楽しいと言っている人に。
多くの人にいい影響を与えられる人でありたい
posted by Dr.モーリィー at 06:52| ちょっと気になる善い言葉 | 更新情報をチェックする

2018年12月26日

No 4926    年末恒例の 大掃除WAX掛け  年賀状

毛利歯科クリニックでは
本院で6月と12月に  別院で4月と10月に
WAX掛けを実施しております

ピッカピカで気持ちの良い診療ができますし
患者様に、スタッフにとても喜ばれております

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年賀状も ラストスパートです ははは
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No 4925   【長い尺度で自分の人生を見る】

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【長い尺度で自分の人生を見る】

臨済宗円覚寺派管長、横田南嶺氏の心に響く言葉より…



なぜ若くして亡くなってしまう人がいるのでしょうか。
良い行いをしたのに、あるいは何の穢(けが)れも知らない子どもであっても、なぜわずかしか生きられずに、死んでしまう人がいるのでしょうか。
その疑問に答えるのはひじょうに難しいのですが、仏教では人間のいのちを「一代限り」とは見ていません。
なぜ若くして亡くなってしまうのかという疑問を持つのは、自分の一生を自分一代と見てしまうからではないでしょうか。

仏教では、いのちはずっと流れていくものという、大きな流れで見ています。
一部分だけ区切ってみると、あんなにいい人なのに、こんな目にあってということがあるかもしれません。
でも長い目で見れば、早く亡くなろうと、長生きしようと、みんな同じではないかと思います。

そして自分が良いことをすれば、その良い種は必ず先に行って芽を出すだろうと思います。
たとえば幼い子を残して、がんで亡くなった30代の女性にしても、その30数年だけを見れば、気の毒に思うかもしれません。
でももっと大きな目で見れば、その方がいたことが残された人たちの中にきっと素晴らしい種を残したのではないでしょうか。

松原泰道先生も、実のお母さまを3歳の時に亡くされています。
きっとお母さまはまだ30代そこそこだったのでしょう。
その30年だけを見れば、なんとかわいそうな人だと思うでしょう。
でももう少し長い尺度で見ると、松原先生はお母さまの思いを受け継いで、102歳まで長生きされましたから、お母さまの思いは松原先生の中にずっと生き続けたといえるのです。

尺度を変えて、もう少し長い尺度で見れば、30歳で亡くなったお母さんの人生も決して無駄なものでも、短いものでもなかったことがわかります。
今の人たちは物事を「短くしか見ない」ことが私は問題だと思います。
自分のいのちを自分一代のものと区切って見てしまうので、「自分のいのちだから好き勝手に生きればいい」という自分勝手な発想も生まれてしまいます。

でもそれはきわめて部分的な見方であって、いのちというものは自分が生まれる前から続いていて、死んだあともずーっと流れていくものなのです。
だとすれば、今良いことをやっておけば、すぐには芽が出ないかもしれませんが、次の世代、またその次の世代で実を結ぶかもしれません。

昔は年齢を数え年で数えたので、「生まれる前からいのちは宿っていた」という発想がごく自然にでてきました。
今はそれがなくなったので、よけいに自分のいのちは一代限りという思いが強くなってしまうのでしょう。
でも自分一代だと、結局、自分が死んだらそれで終わりです。
それではあまりに寂しいではありませんか。
ずっと流れていくもの、受け継がれていくものがあると見たほうが、今の一生をより意義深く生きられるのではないでしょうか。

落語に『松山鏡』という面白い話があります。
昔、鏡がない村に親孝行の息子が住んでいました。
父親は亡くなりますが、孝行を尽くしたことがお殿さまの耳に入り、褒美をもらえることになりました。

「何を望むか」とお殿さまから聞かれた孝行息子は「死んだ親に会わせてほしい」と言うのです。
お殿さまは徳のある賢い方でしたから、桐箱に入れた鏡をあげました。
すると鏡がない村に住んでいた息子は鏡を見て、「おやじがいる」と喜ぶのです。
親の面影を鏡に映った自分に見たのでしょう。

これは大変深い話です。
鏡を見ている「私」がいるということは、親のいのちがここに生きているという何よりの証です。

「無常」というと私たちは形があるものが滅びていくもの寂しいことととらえがちですが、それだけではありません。
常に生じては滅していく、そのくり返しが、「無常」です。

『二度とない人生だから、今日一日は笑顔でいよう 生きるための禅の心』PHP研究所

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数え年とは、生まれたときがすでに1歳であるという、年の数え方。
母親の胎内にいた「十月十日(とつきとうか)」も勘定に入れるからだと言われている。
普通は満年齢を使うが、亡くなったときは、享年(きょうねん)あるいは行年(ぎょうねん)で数えるので、数え年を使う。
享年とはこの世に生存した年齢のことを言う。

「生前(せいぜん)」というお葬式などで使う言葉がある。
「生前はお世話になりました」などと言う。
生きる前という意味だが、本当は「死前はお世話に生りました」と言った方が正しいのではないかと思ってしまう。
「大往生(だいおうじょう)」も同じで、生の世界に往(ゆ)くのではなく、本当は「大往死」ではないか、と。
小林正観さんはこの言葉を解説し、昔の人は、「あの世」の世界を信じていてたのではないか、と言っていた。

生まれ変わりを信じるなら、多くの疑問が解決する。
それは、例えば人の一生を百年と思うのではなく、たとえば「千年」、「二千年」であると思うこと。
そう思うなら、様々な困難に出会ったことも、大失敗したことも、不遇だったことも、いい学校や会社に行けなかったことも、結婚しなかったことも、長い尺度で見たらほんの一瞬のできごと。
長い尺度で自分の人生を見ることができる人でありたい
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2018年12月25日

No 4924   【少年老い易く学成り難し】

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おいちゃんのお気に入りブログ【人のこころに灯をともす】からの転載です

【少年老い易く学成り難し】

致知出版社、藤尾秀昭氏の心に響く言葉より…



『少年老い易(やす)く学成(な)り難(がた)し
一寸(いっすん)の光陰(こういん)軽んずべからず
未(いま)だ覚(さ)めず池塘春草(ちとうしゅんそう)の夢
階前(かいぜん)の梧葉已(ごようすで)に秋声』

南宋の大儒者(じゅしゃ)、朱熹(しゅき)の有名な詩である。
題は「偶成(ぐうせい)」。

越智直正氏はその著『男子志を立つ』の中で、この詩をこう解釈されている。
「年をとるのは早いが、理想を成就するのは難しい。
わずかな時も無駄にしてはならない。
石段の脇に繁るアオギリの葉が秋の訪れでいつしか色づいているように、自分自身が人生の秋ともいうべき初老の時期にさしかかってしまった。
少年時代を楽しむうち、早くも老境は迫ってくる」

「学」を単なる勉学ではなく「理想」と捉えているところに、古典を生きる糧とされてきた人ならではの独自性がある。

歴史を辿ると、一寸の光陰を惜しんで学んだ多くの先達に出会う。
『福翁自伝(ふくおうじでん)』によると、福沢諭吉は緒方洪庵(おがたこうあん)の適塾での修業で、布団を敷き夜具をかけ枕をして寝たことがなかった。
寝るのは机によりかかるか床の間を枕にするぐらい。
それほどに勉強したのだ。

勝海舟もまた、「貧・骨に到り」と表現するような極貧の中で勉強した。
「夏夜蚊帳(かや)無く、冬たるきを破り、ただ日夜机に依(よ)って眠る」という毎日。
飯を炊くにも薪がなく「自らたるきを破り、柱を割(さ)いて」飯を炊いた。
「困難ここに至ってまた感激を生じ」と日記に記している。
そういう生活の中で海舟はオランダ語の習得に励んだ。
辞書は高価で手が出ないので、借料を払って借り受け、それを一年かけて二部写し取り、一部は自分用。
もう一部は売って金に換えた。
学ぶべきは、この精神のタフさである。

ここで忘れてならないのは、先達の先達たる所以(ゆえん)は、若年期だけでなく、生涯学ばんとする姿勢を貫いた、ということである。
「業(ぎょう)高くして廃せず等身の書」という古言がある。
いかに学業を積んでも、地位や身分がいくら高くなっても、その時の自分にふさわしい書を持ち、学び続けよ、ということである。

晩年の安岡正篤師もこんな一言を残している。
「老年廃せず少年の学」。
老年になっても若き頃に聖賢の人たらんと燃えた情熱を失ってはならない、ということである。

人生は生涯をかけて自分を完成させていく修養の道程…朱熹の詩が教えているのも、畢竟(ひっきょう)そのことである。

『小さな修養論2』致知出版社

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佐藤一斎の『言志四録』の中にこんな言葉がある。
「少にして学べば壮にして為すことあり
壮にして学べば老いて衰えず
老にして学べば死して朽ちず」

青少年(子ども)の頃から学べば、壮年(大人)になってから重要な仕事をなすことができる。
壮年になってからも更に学び続ければ、老年になってからもその力は衰えることはない。
老年になってからも尚(なお)学ぶことをやめなければ、死んでからもその業績は語り継がれ、次の世代に引き継がれていく。

うかうかしている暇(ひま)はない。
このあっという間の人生、一瞬たりとも無駄にはできない。
いくつになっても、どんなときも、学び続ける人でありたい
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No 4923    コツコツ、継続 薄紙を重ねると!

日々のブログに書いている 気になる言葉

コツコツ、継続、A4コピー用紙:薄紙も重ねると

こんなんなりました!

いつか 365日 日めくりカレンダーでも作ろうかな ははは

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2018年12月24日

No  4922   【批判を恐れないこと】

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おいちゃんのお気に入りブログ【人のこころに灯をともす】からの転載です

【批判を恐れないこと】

ジェフ・ケラー氏の心に響く言葉より…



多くの人が成功への道の途中で挫折してしまう主な原因は、他人の意見に惑わされることです。
他人の意見に耳を傾けることは大切ですが、批判や拒絶を恐れているかぎり、大きな業績をあげることはできません。
人はみな、批判されると心が傷つきます。

しかし、何をしても批判される可能性は常にあります。
すべての人があなたの選択に賛成してくれるとはかぎらないからです。
どんなことをしても批判される可能性はあるのですから、批判への最善の対処法について考えたほうが得策です。

多くの場合、批判は個人的な好みを反映したものにすぎないということを覚えておきましょう。
実際、人々は「そういうやり方が気に入らない」という言い方をします。

以前、企業の社員研修プログラムを担当していたとき、一部の参加者から「講義ばかりで質疑応答の時間が少ない」という指摘がありました。
しかしその一方で、「質疑応答の時間を減らして講義の時間を増やしてほしい」という要望もありました。

要するに、人々はさまざまな好みと興味とニーズを持っていますから、すべての人を満足させることはできないということです。
どの選択肢を選ぼうと、誰かがなんらかの不満を抱くものなのです。

『夢をつかむ方法』ディスカヴァー

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ジェフ・ケラー氏は「批判」について本書の中でこう語る。
『批判を自分への個人攻撃と解釈してはいけません。
人々は相手を批判するとき、相手の人格を否定しているのではなく、相手の意見や仕事ぶりが気に入らないことを指摘しているにすぎないからです。
誰が何を言おうと自信を失う必要はありません。
最終的に、他人の発言を気にするかどうかを決めるのは自分自身です。
「批判は学習のための貴重な教材である」という格言があります。
まったくそのとおりです。
批判されたときは、相手の発言の中から的確な指摘を探しましょう。
批判には有益な情報が含まれていることがよくあります。
あなたの課題は、それを見つけて有効に利用することです。
また、一般に、辛辣な批判をする人は、精神的に不安定である場合が多いのです。
そういう人は、他人を侮辱するような意地悪な発言を平気でする傾向があります。
ターゲットを選んで、日ごろの欲求不満をぶちまけるのです。
そういう人の言うことを真に受けて失望する必要はありません』

昨今は、SNS上で匿名性をいいことに、辛辣で無責任な批判が横行している。
しかし、書かれた本人だけでなく、それを見た人は誰もが嫌な気分になる。

それを斎藤一人さんはこんなふうに言っている。

『人間が一つ上のステージ上がろうとすると邪魔が入る。
でも、それは邪魔しているのではなく「あなたの人生を盛り上げようとしてくれている」ってこと。
そのとき「ありがとね」って、ニコって笑っていったら、その人の器量に相手が心服するから』

批判や誹謗中傷は、「あなたの人生を盛り上げようとしてくれている」こと。
人生というドラマには、ハラハラドキドキするような、盛り上がりが必要だからだ。
何もなかったら、つまらない三流のドラマになってしまう。

どんな批判も恐れない人でありたい
posted by Dr.モーリィー at 11:22| ちょっと気になる善い言葉 | 更新情報をチェックする

2018年12月23日

No 4921   【人に喜ばれることをしてみましょう】


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おいちゃんのお気に入りブログ【人のこころに灯をともす】からの転載です

【人に喜ばれることをしてみましょう】

小林正観さんの心に響く言葉より…



《まわりに喜ばれる喜びは、自分が喜ぶのとは比べられない大きさです》

人は、人の間に生きていることから「人間」と言います。
人間として生きるということは、自分のためではなく、他に存在するもののために生きるということです。

体の中に目を向けてみても、肺や心臓、肝臓、腸など自分のために存在する臓器は何ひとつありません。
みな、体内の他の臓器や細胞を生かすために働いているのです。
ひとつの宇宙が人間の体にまとまっている、ともいえるかもしれません。

ですから、人は、この世に生れたからには自分がいかに目標に向かって歩み、達成するかということではなく、いかにまわりに喜ばれる存在になるか、ということに尽きます。
たとえば頼まれごとをやってあげて、相手がにっこり笑って「ありがとう」と言ってくれたとき、本当の「存在の喜び」が湧いてきます。
喜ばれることが、人間の最も根源的な幸せなのです。

人に喜ばれることをしてみましょう。
いちばん楽しくて、幸せなのは実は私なのではないか、と思えるに違いありません。

『感謝ではじまる幸せの習慣』宝島社

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小林正観さんは、「たのまれごと」について本書の中でこう書いている。
『自分にできないことは頼まれません。
頼みやすい人は喜ばれる存在です。
頼まれごとは、自分が汗をかいてその人の要望に応えることを言います。
頼まれたらどんどん引き受けていきましょう。
なぜなら、私たちが生まれてきた目的は「いかに喜ばれる存在になるか」ということだからです。
それはつまり、「いかに頼まれやすい人になるか」ということです』

頼まれやすい人は、頼まれやすい顔をしている。
いつも笑顔で機嫌よく、愛のある言葉を言い、相手をほめ、ほっこりさせる。
反対に頼まれにくい人は、いつも不機嫌で、不平不満をいい、色々なことのあらさがしばかりしている。

頼まれごとを気持ちよく引き受け…
いつも、人に喜ばれることをする人でありたい
posted by Dr.モーリィー at 08:02| ちょっと気になる善い言葉 | 更新情報をチェックする

2018年12月22日

No 4920   年間アワード


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毛利歯科の 外部保証会社 ガイドデント社から
一年間の 契約数や 保険利用率の低さ(再治療が少ないということ)
等を 表彰しますとのこと

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外部契約費は 必要なのですが 患者様の満足度・安心感向上のために
この制度を活用いたします!  頑張ります!


posted by Dr.モーリィー at 21:46| ライフワーク | 更新情報をチェックする

No 4919   【お互いが相手を選べない】

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おいちゃんのお気に入りブログ【人のこころに灯をともす】からの転載です

【お互いが相手を選べない】

本田健氏の心に響く言葉より…



「人間関係」と言ったとき、多くの人はおそらく、家族・友人・仕事(学校)関係の三つくらいのカテゴリーを思い浮かべると思います。
実際、住所録をつくるときも、「家族・親戚」「友人」「仕事(学校)関係」と三つのファイルに分けている人が多いのではないでしょうか。

人間関係には、「自分で決められる」関係と、「決められない」関係があります。
「自分の好きな人とだけ、つきあっていればいい」のであれば、世界はシンプルでストレスもなく、うまく回っていたかもしれませんが、現実はそうではありません。
まず、家族・親戚は、自分で決められません。
パートナーは別としても、自分の親や生まれてくる子どもは、自分の意思では選べません。
仕事(学校)についても、勤め先(クラス)の人間関係は、基本的に押しつけられるものです。

「この人と働きたい(一緒のクラスになりたい)」と願っても、思い通りにはならず、変な人・ウマが合わない人が、たいてい一人くらいは混ざってしまいます。
そう考えると、自分で決められる人間関係は、友人・知人くらいしかありません。

このように、私たちはきわめて選択肢が少ない中で、人間関係をつくっています。
だから、ウマの合わない人と「うまくいかないこと」があるのは、当然なのです。
トランプで言うと、「最高のカード」がそろっていない状態でプレーをさせられているわけです。
そして、手持ちのカードを捨てる機会もなかなかありません。

たとえば、親のことを心から尊敬できる人は実は少数派で、極端なケースでは「親とは二度と会いたくない」というくらい、親と合わない人もいます。
ある意味で、正反対とも言える性格の人が、親子になってしまったケースもたまにあります。
親子らしい会話がまったくできないぐらい、相手が“天敵”のようになってしまうと、大変です。
そうなると、壮絶な戦いが起きます。

「お互いが相手を選べない」ところに悲劇があるわけです。
職場でも、基本的に価値観が自分と違う人たちと折り合っていく必要があります。
ですから、「人間関係で悩む」のは当然ですし、とても自然なことなのです。

普通の生活をしていると、自分の人生の中に、たいてい一人や二人は、よく理解できない人が混じってきます。
それは、人生の“辛口のスパイス”みたいなものです。
人生は“甘口のスィーツ”だけだと、ちょっとつまらないものです。
ときには、唐辛子のような人と出会って、「ヒーヒー」と言うぐらいが、おもしろくなってくると考えてみましょう。
自分の不運をただ呪うのか、「人を理解するチャンスをもらった」ととらえるかで、あなたの今後も変わってくるでしょう。

考えてみれば、地球上には70億人もの人がいるにもかかわらず、私たちが個人的につきあっている人は、ほんのわずかです。
ほとんどの人が、たった30人程度の人間関係の中で動いています。
知り会いを含めても、つきあいがあるのがせいぜい百人くらいのものでしょう。
こうした“スモール・ワールド”が、この地球上には同時に無数に、存在しているわけです。

実際に、携帯電話の履歴を一週間分調べてみたら、緊密に連絡を取り合っている相手は、せいぜい30人ぐらいという人がほとんどでしょう。
仕事関連の人たちを含めて、その30人くらいの人たちが、“あなたの世界”なのです。
彼らをどれだけ理解して、彼らにどれだけ理解されているのか…「人間関係の質」は、そこで決まります。
驚くべきことに、実は私たちは、この30人のことすら、ろくに知らないのです。
“自分の世界”を形成している人たちが、人生で何を考え、何を感じているのかも、ほとんど理解していないし、あなた自身もまわりの人から理解されていません。

『なぜ、あの人はいつも好かれるのか (単行本)』三笠書房

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本田健氏は本書の中でこう語る。
『「決められてしまった人間関係」の中で、どうやって幸せを見出すのかを考える、ことです。
「どうして私の家族はこうなんだ」とイライラし、悩みながら生きるのか。
あるいは、その中で幸せを見つけていくのか。
家族関係で苦労が多かった人、悩まされた人は、「出口の見えない混沌とした状況から、どう幸せを見つけていくか」という、人生で一番必要なトレーニングを、ごく幼い頃から受けていた、と考えてください。
生きていく上で、「自分の好きな人ばかりの班」に属せることは、ほとんどないと考えたほうが現実的です。
そして、家族関係で幸せな人は、「この世界は楽しいところなんだ」と素直に感じながら人生を生きるでしょう。
そういう人は、ぜひその幸せをかみしめましょう』

「お互いが相手を選べない」というのが世の中の常(つね)。
それを、「置かれた場所で咲きなさい」と渡辺和子さんは言った。
渡辺さんが自身を失い、修道院を出ようとまで思い詰めたとき、ある宣教師の方が短い英語の詩を渡してくれたという。
そこにはこんな言葉があった。
『いただいた詩は、「置かれたところで咲きなさい」の後に続けて、こう書かれていました。
「咲くということは、仕方ないと諦めることではありません。
それは自分が笑顔で幸せに生き、周囲の人々も幸せにすることによって、神が、あなたをここにお植えになったのは間違いでなかったと、証明することなのです」』

どうにもならないことに文句を言ったり、愚痴や泣き言を言っても、事態は何も変わらない。
そんなことより、どういう状況に置かれても、その中に、楽しさや喜びや幸せを見つけること。

「置かれたところで咲きなさい」という言葉をかみしめたい
posted by Dr.モーリィー at 07:16| ちょっと気になる善い言葉 | 更新情報をチェックする

2018年12月21日

No 4918   【「すごく元気です」と答える】

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おいちゃんのお気に入りブログ【人のこころに灯をともす】からの転載です

【「すごく元気です」と答える】

ジム・ドノヴァン氏の心に響く言葉より…



私たちが自分自身や外界とコミュニケーションをとる際の主な手段は、言葉だ。
他人との交わりにおいてもそうだが、私たちは心の中で自分に話しかけるときも言葉を使っている。
実際、私たちが生活している世界はすべて、言葉で定義されている。

それなら、なぜ私たちは言葉の使い方にもっと注意を払わないのだろうか?
二、三年前、言葉がどのように経験の作用を強めたり弱めたりするのかという記事を目にした。
そこで説明されていた素晴らしい方法を使えば、ある状況を定義するために使う言葉を変えることによって、その状況が生活におよぼす作用を変えることができるのだ。

この方法の威力を体験してみたいなら、誰かに「元気ですか?」と聞かれたとき、ごく普通に「元気です」と答えるかわりに「すごく元気です」と答えて自分が実際にどういう気分になるかを確かめるといい。
気持ちを込めて情熱的にそう言ってみよう。
この方法を使うことによって、よい感情を高めると同時に、あまりよくない感情を抑えるような言葉に変えることができる。
たとえば、「彼(彼女)には本当に腹が立つ」と言うかわりに「彼(彼女)にはちょっととまどっている」という言い方に変えてみよう。
同じ状況であっても気分的に違ってくるはずだ。

日常生活の中で「それほど素晴らしくない」環境の影響を抑えることが、いい気分を高めることにつながる。
言葉は私たちが思うとおりに使うことのできる最も威力のある資源のひとつなのだ。

これによってもたらされる恩恵がもうひとつある。
それは「暗示効果」と呼ばれる。
私は自分の経験から言うのだが、「元気ですか?」と聞かれて「すごく元気です」と答えると本当に気分がよくなるのだ。
「元気です」と比べて「すごく元気です」という言葉の響きには、なぜか私の気分をよくしてくれるものが含まれている。

逆もまた真なり、だ。
ネガティブな感情を表現する際にトーンダウンした言葉を使えば、そのインパクトは弱まる。
これから二、三週間、この方法を使ってみて、何が起こるかを自分で確かめてみよう。

『何をしてもうまくいく人のシンプルな習慣 (ディスカヴァー携書)』ディスカヴァー携書

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たとえば、自分の好きな映画を友人にすすめたあと、何日かたって「どうでしたか?」と尋ねることがある。
一番がっかりするのは「まだ行ってない」。
次にシュンとしてしまうのは、「まあまあだった」。
逆に、最高に嬉しい言葉は、こちらが聞く前に「とっても素敵だった」「すごく感動した」「すぐに他の人にもすすめました」と相手から先に報告してくれること。

言葉一つで、「もう、この人には二度と教えない」か、「素敵な情報を見つけたら真っ先に教えよう」か、に分かれる。
言葉の頭につける感嘆詞や形容詞には…
「すごく」、「とっても」、「メチャクチャ」、「本当に」、「超〇〇」、「サイコー」、「激しく」、「しびれるくらい」、「思いっきり」、「いいね!」、「やった!」、「なんと!」、「おみごと!」、「バンザイ!」等々がある。
「ああ!」とか「うわぁ!」とか「ひゃー!」でもいい。

中村天風師は、「元気ですか?」と聞かれたとき、もし体調が悪かったとしても、「すごく元気です」と答えなさい、という。
なぜなら、身体は病気でも、心は病気ではないからだ。
そして、「元気です」と言っているうちに不思議に病気は治ってしまう。

「すごく元気です」と答えられる人でありたい
posted by Dr.モーリィー at 07:04| ちょっと気になる善い言葉 | 更新情報をチェックする

2018年12月20日

No 4917   【不愉快な人に出会ったとき】

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おいちゃんのお気に入りブログ【人のこころに灯をともす】からの転載です

【不愉快な人に出会ったとき】

精神科医、斎藤茂太氏の心に響く言葉より…



誰にでも嫌いな人はいる。
私にも「いっしょにいると不愉快だ」と思う人はいる。
しかし、そういう人でもうまく利用することはできる。

私は、嫌な人物に出会うと「他山(たざん)の石」と思うことにしている。
「他山の石」とは、どんなものでも自分を磨く助けになるという意味だ。
他の山でとれた粗悪な石でも、自分が玉(宝石)を磨くときの砥石(といし)に使える、ということである。
自分のやっていることには、なかなか気がつかないものだ。
だが、相手の言動で不愉快な思いをすると「自分も気をつけよう」と思う。
「あれはやっちゃいけない」「ああならいほうがいい」と気がつく。
これはありがたい。
この、嫌な人のおかげで、またひとつ、やってはいけないことがわかった。
そう思うと、少しは口惜(くや)しさが晴れる。

また、その場では負けたような気がして嫌な気分でも、内心、「なんとかあいつをやっつけてやろう」「追い越してやろう」と自分が努力するエネルギーの源泉になる。
まわりがあまりにいい人ばかりでは、幸せかもしれないが、満足してしまい、それ以上に発奮しない、ということにもなり得る。
しかし、ありがたいことに、世の中は嫌な人間にことかかない。
だから、しょっちゅう発奮することができる。
人間観察の力も養われる。

電車に乗っていても、周囲を観察していると楽しいものだ。
なかにはデーンと足を開いて二人分の座席を独占している人もいる。
「他人様(ひとさま)への思いやりが全然ないなあ。あれはよくない」と思う。
ちょっと他人に気を配る気持ちがあれば、あんなことはできない。
こういう人は自分のことしか頭にないのだろう。

反対に、私の家内などは電車の中で、重そうな荷物を抱えた20代の若奥さんに「どうぞお座りください」と席をゆずったりしている。
自分の年を忘れている。
これには相手も困ってしまう。
私も以前は席をゆずると、自分がまだ若いという気持ちになって、気分がよかったが、相手への思いやりもその年齢なりに変わってくるものだと気づいた。

あなたの周囲にも、きっと「感じの悪い人」がいるだろう。
その人は、実は、神様がおつかわしになった悪い見本例である。
毛嫌いせずに「いい人間関係をつくるのに役立った。ありがたや、ありがたや」とつぶやいてみるといいのである。

『ほがらかに品よく生きる--モタさんの言葉』新講社

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小林正観さんは、「イライラさせる人」はいないという。
いるのは、イライラする人がいるだけ。
ある人をみて、Aさんはイライラし、別のBさんは何も気にならない。

これは、幸不幸の現象と同じ。
幸福という現象や、不幸という現象があるわけではなく、幸福と感じる人と、不幸と感じる人がいるだけだ。

たとえば、道で転んで足を骨折してしまったとき…
ある人は、この程度ですんでよかった、ラッキーだった、ツイてる、と感謝する。
別のある人は、ホントにツイてない、まったく嫌になる、なんでこんなことばかり起こるんだろう、と悲観する。

いつの時代にも、どんな世界にも、嫌な奴(やつ)は必ずいる。
だが、それを「その人がいるから自分も有頂天にならずにすんでいる」とか「“人の振り見て我が振り直せ”という神様からのメッセージなんだな」と思うなら、その人は幸せな人生を送れる。
反対に、「いつか仕返ししてやる」「今度会ったら怒鳴り返してやる」と思うなら、その人は不幸の道をまっしぐらだ。

不愉快な人に会った時…
「いい人間関係をつくるのに役立った。ありがたや、ありがたや」とつぶやける人でありたい
posted by Dr.モーリィー at 07:00| ちょっと気になる善い言葉 | 更新情報をチェックする