2018年10月31日

No 4846   桜島まらそん2018・鹿児島マラソン2019  

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本日忘れておりましたが 鹿児島まらそん2019の当選発表日だったらしいです

昼休みに 女性スタッフから 全員当選ですと報告がありました

それを聞いて 青ざめる 男性スタッフ陣  ははは

毛利歯科クリニック関係者
フルマラソン男性7名、ファンラン8.5キロ女性5名、全員当選しました!
男性スタッフが怪しい! 裏で金を回していると懐疑的です、ははは!

おいちゃんたちもそろそろ走り始めます!
四年連続当選者も四名です!

ちなみに男性スタッフはイヤイヤ走らされております!ははは!

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おいちゃん 今年は シューズを大バーゲンでゲットしました

まだ2回しかはいておりませんが 12月には
桜島マラソンの ハーフがあります

時間内に走れるように、練習せねば・・・
posted by Dr.モーリィー at 15:05| ライフワーク | 更新情報をチェックする

No 4845   【目を合わせて笑顔であいさつする】

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おいちゃんのお気に入りブログ【人のこころに灯をともす】からの転載です

【目を合わせて笑顔であいさつする】

慶応大学名誉教授、ボブ・トビン氏の心に響く言葉より…



南アフリカの北ナタール族の人々は、毎日「私はあなたを見ています」と言ってあいさつします。
相手は「私はここにいます」と応じます。
こうした人々の間では、人は誰かが見るまで存在しません。
あなたが相手を見ることで、相手を存在させるのです。

まさに「あなたが私を見るから、私は存在するようになり、私はここにいる」というあいさつのとおりです。
この部族の人々は、出会う人全員から直接自分の存在を確認してもらいながら、日々生活しています。
人に見られることで自分が存在しているのです。

ある日、いつも通っているスポーツクラブでチェックアウトを済ませた私を、受付スタッフの一人が追いかけてきました。
私は少し驚いて、何か忘れ物でもしたのかと思いました。
ところが、彼は私に追いつくと、近々転職するのでお別れのあいさつをしたかったのだと言います。
私は驚きました。
彼が受付で働いていた1年間、彼とは一度も会話したことがありません。

入っていくときに笑顔で「こんにちは」とあいさつし、出ていくときに「ありがとう」と言う以外、私は何もしていません。
それにもかかわらず、「いつも親切に接してくださったので、お礼が言いたかったんです。あなたがクラブに来られるたびに、僕は幸せな気持ちになりました」と彼は言うのです。
特別なことは何もしていないのに、とそのときは思いました。

しかし、その翌週、他の会員がチェックインやチェックアウトのときにどうしているのかを注目してみると、受付スタッフがそこにいないかのように振る舞う人がほとんどであることがわかりました。
ボソボソとつぶやくだけの人もいれば、何も言わず、目も合わせずにメンバーカードとロッカーの鍵を放り投げる人もいます。
どうりで彼が私の後を追ってくるわけです。

『ポジティブ・インパクト まわりにいい影響をあたえる人がうまくいく』ディスカヴァー

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トビン氏は、「目をまっすぐ見て心を通わせる」ことが大事だという。
人と会うときや話をきくとき、相手の目をまっすぐ見て応えると、人間関係が必ずよくなるからだ。

人間関係の中で最悪な状態は、「存在の否定」だ。
相手の存在を無視したり、「出ていけ」とか「死ね」、「バカ」とかの相手を否定する言葉を言ったり、相手に暴力を振るうことだ。
その反対の「存在の肯定」は、相手の「目をまっすぐ見て心を通わせる」ことであり、「笑顔」や、愛ある優しい言葉、和ませる言葉、元気づける言葉をかけることだ。

人は誰でも、自分の存在を認めてもらいたくて仕方がない。
ほめられたり、感謝されたり、愛されたり、頼りにされたり、「かっこいい」とか「素敵だね」と言われたり。
そして、「人から必要とされている」とか「役に立っている」と感じることで、また頑張れる。

「目を合わせて笑顔であいさつする」ことはとても大事だ
posted by Dr.モーリィー at 06:47| ちょっと気になる善い言葉 | 更新情報をチェックする

2018年10月30日

No 4844   【自分基準と他者基準】

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おいちゃんのお気に入りブログ【人のこころに灯をともす】からの転載です

【自分基準と他者基準】

メンタルトレーナー、梯谷幸司氏の心に響く言葉より…


がんになって休業している整体師さんとお話ししていたときのことです。
「そもそもどうして整体師を仕事に選んだんですか」と聞いたら、「お客さんの喜ぶ顔が見たくて」というのです。
そこで私はこう続けて言いました。

「私が最近よく言う『喜びのずれ』がまさにそれです」
「お客さんが喜ばないと、あなたの喜びにはならないのですか?」
「自分の喜びは他人次第なんですか?」
「もしそれが病気の原因だとしたらどう思いますか?」

すると彼は何かに気づき、頭を抱えてうわ〜っと叫び始めました。
「俺は40年間、何やってたんだ!」
1ヵ月後、その人から連絡がありました。

「今日病院に行ってきたのですが、がんが消えていました」
驚いたわたしは、「何をやりました?」と尋ねました。

「自分は確かに、喜びの持ち方がずれていました。何ができれば自分は喜ぶのか、この1ヵ月間、自分基準で徹底的に取り組んだのです。他人がどうこうではなく、これができたら自分は素晴らしいと言える。それをどんどん考えました」
「とにかく休養中で時間があったので考えて、実際に自分が価値あると思うことをやり続けました。そして病院に行ったら、がんはきれいに跡形もなく消えていたのです。病院の先生にも、経過観察も通院もいらないと言われました」

たとえば飲食店であれば、自分の料理をおいしいと言う人もいればおいしくないと言う人もいる。
それは当然のことです。
でも、お客様がおいしいと言ってくれなければおいしくないんだ、という考え方になると、一体あなたは何をしたいのでしょうか。
すべてがお客様次第では、自分の価値観を放棄することに等しいのです。
普通の人はこの基準が葛藤しているから、「何をしたらいいかわからない、じっとしていよう」とブレーキがかかるのです。
あるいは、他者基準で動いているうちに、だんだん他者に振り回されることに疲れ、「うまくいかないし、なんか違う気がする」と思い始めて途中でやめてしまう。
これが、起業しても3年で撤退してしまう要因のひとつです。

また、誰かから批判されたり、バカにされるような発言を受けた時、他者基準の人は、それらの情報を自分自身の人格と重ね合わせてしまい、「自分が批判や否定をされた」と認識してしまう特徴があり、様々なダメージを感じやすくなり、ビジネスがうまくいかない、対人関係がうまくいかない、病気が治らないなど、様々な不都合な現実の温床になりやすくなります。
それに対して、自分基準の人は、それらの情報を自分自身の人格と重ね合わせず、単なる情報として認識するので、さほどダメージを受けません。
この他者基準を使うか、自分基準を使うかは、人生の中の現実を大きく左右してきます。

『なぜかうまくいく人のすごい無意識』フォレスト出版

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小林正観さんは、商店街の活性化策としては、「一人勝ち」する人が出てくればいいという。
一人勝ちというと、いかにも自分のことしか考えていない身勝手な人のようだが、たった一軒でも、流行る店が出てくれば、その店を目指して商店街に人の流れができる。
すると、流行っている店の近くの店にも人が来るようになる。
最初から商店街全体をよくしようと考えると、全員の利害が反するので、その話し合いだけで何年もかかり、結局は何も手が打てなくなる。

小林正観さんは、全国で町おこし、村おこしが成功した例を見てきて、そこには共通点があったという。
それは…

1. その町や村で育った人が一度都会に出て生活し、戻ってきて何かを始めた。
2. 都会に住んでいた人が仕事を辞め、その町や村に移り住んで何かを始めた。
3. その町や村の外に多くの友人・知人を持っている人が何かを始めた。

「商店街を活性化しよう」というかけ声のもと、自分の店はそっちのけで、その活性化のために奔走(ほんそう)する人がいる。
自分の店はボロボロで、閑古鳥が鳴いているというのに…。
言い方は悪いが、この手のタイプの人は、「人の幸せこそが私の幸せ」というある種のボランティア好きの人に多い。
人が幸せになったときだけ、自分も幸せになれる。

商店街の活性化とは、「他者基準」。
自分の店の活性化は、「自分基準」。

自分基準を大切にできる人でありたい
posted by Dr.モーリィー at 22:17| ちょっと気になる善い言葉 | 更新情報をチェックする

No 4843    夜間当番

10月29日は だいたい半年に一回、回ってくる
夜間当番でした

診療終了後 18:30から23:00まで
鹿児島市内で一軒だけ 急患対応いたします

スタッフも 歯科衛生士1名 受付1名

楽しみは  夕食 今回は スタッフの希望で「銀のさら」

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頑張りました!  他の仕事もはかどりました!
posted by Dr.モーリィー at 07:33| クリニック情報 | 更新情報をチェックする

No 4842   【感情の流れをいったん遮断するテクニック】

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おいちゃんのお気に入りブログ【人のこころに灯をともす】からの転載です

【感情の流れをいったん遮断するテクニック】

福井県霊泉寺住職、南直哉氏の心に響く言葉より…



人は、「他人の海」で生きなければならないのですから、ストレスや葛藤がないわけがありません。
感情に左右されないほうがいいと思っている人は多いかもしれませんが、感情が揺れたり乱れたりするのは当然です。
大事なのは、その波に巻き込まれたり、流されたりしないようにすることです。
つまり、感情が「心」という器からこぼれさえしなければいいのです。

「不動心」という言葉があります。
これは私に言わせれば、何があっても岩のように動かない心のことでも、まったく波立たない水面のように静かな心のことでもありません。
生きているうちは、そんな心を持つのは無理な話です。
喜怒哀楽がなければ、死んでいるのと同じですから。

私が考える不動心とは、揺れてもいいがこぼれない心のこと。
ヤジロベエのようにゆらゆら動いたとしても、軸は一点に定まっている心のことです。
ヤジロベエはどんなに大きく揺れても、決して台から落ちません。
見事なものです。

不測の事態に動揺したり、理不尽な目に遭って怒りがこみ上げたりしても、しなやかに揺れて、またスッと元に戻る。
言い換えればそれは、平均台の上をバランスをとりながら歩くような感覚に近いかもしれません。
自分が決めた道から外れなければいいのですから、その間でなら、揺れてもまったくかまわないわけです。

なぜ人が、感情に翻弄(ほんろう)されるかといえば、根本的に認識を誤っているからです。
感情の問題の十中八九は、ものの考え方と見方の問題です。
事態を正しく認識していれば、いったん感情が乱れてもそれに翻弄されることはありません。
感情の波に飲み込まれているときは、自分の中の何かが判断を誤らせています。
認識を誤らせるのは、自分の立場やプライドを守りたいという気持ちかもしれません。
あるいは、ひとつの観念に執着しているからかもしれません。
それをあらわにするには、いったんテクニカルに感情を止めればいいのです。
感情の流れをいったん遮断(しゃだん)するテクニックを知っていれば、ヤジロベエのように揺れても戻る不動心を培うことが可能なのです。

『禅僧が教える 心がラクになる生き方』アスコム

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南氏は、本書の中で「感情の流れをいったん遮断するテクニック」についてこう書いてある。
『頭で渦巻いている感情や思考は、自分の意思で止めようと思って止まるものではありません。
感情や思考の動きを鎮静化させ、意識の方向を切り換えるためには、体のほうから感情をコントロールするテクニックが必要なのです。
僧侶としては、まず座禅をおすすめします。
ただ、日常生活の中で思考や感情をいったん遮断して、クールダウンする気軽なやり方もあります。
感情からいったん降りて、「平場(ひらば)」に戻す方法です。
たとえば、散歩する、昔の愛読書を読む、お茶をじっくり味わう。
食事をひとりで味わって食べる、肌の感覚に意識を向けながらお風呂に入る。
そういったことを行うと、思考や感情の揺れが静まります。
意外かもしれませんが、草むしりや雪かきなどの単純労働も役立ちます。
単純な肉体労働を繰り返すと感情の起伏が収まり、クールダウンしやすいのです』

『陽明学の教えの中に「天下のこと万変といえども、吾がこれに応ずる所以は喜怒哀楽の四者を出でず」とある。
どんなに世の中が激しく移り変わろうとも、喜怒哀楽の四者を大事にしておけば生きていけるということである。
陽明学は学問、政治すら喜怒哀楽が要(かなめ)であると言っている』(行徳哲男)

喜怒哀楽を表に出さないのが出来た人間であり、悟った人間だと思う人がいるが、それではただのロボットと変わない。
蘇東坡(そとうば)が言ったように、「仏もまた一個有血的男児」だからだ。
仏には、ふつふつとたぎるような熱情がある。
逆に言うなら、冷めている人間はサタンだからだ、と行徳師は言う。

感情の流れをいったん遮断(しゃだん)するテクニックを身につけたい
posted by Dr.モーリィー at 07:05| ちょっと気になる善い言葉 | 更新情報をチェックする

2018年10月29日

No 4841     第5回 七福杯

10月28日 快晴・絶好のゴルフ日和の中
第5回 毛利歯科クリニック主催
ご縁に感謝の 七福杯 ゴルフコンペを開催いたしました

直前にキャンセルの方もいらっしゃた為
8組28名で ワイワイ・ドキドキ・ニコニコ
ゴルフを楽しんできました

今回は 鹿児島の名門コース 知覧カントリークラブ 難コースでもありますが
素晴らしいコースです

雰囲気をどうぞ

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嬉し恥ずかし 表彰式

優勝
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準優勝
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皆さんに景品が当たりました
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ちなみに月一ゴルファーのおいちゃんは いつものごとく 100オーバー、ははは

でも今回は ニアピン1回と バーディー2回(自慢です:ははは)大満足の一日でした
なのに 100おーばー  さすがやなあ!

 
次回:第6回は 来年4月か5月を予定しております! お楽しみに!
posted by Dr.モーリィー at 22:01| クリニック情報 | 更新情報をチェックする

No 4840    【ドラッカー全教え】

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おいちゃんのお気に入りブログ【人のこころに灯をともす】からの転載です

【ドラッカー全教え】

ウィリアム・A・コーエン氏の心に響く言葉より…



ピーター・ドラッカーは現代経営学の父というだけの人物ではない。
彼は、現代的マーケティングの分野を切り拓いたひとりでもある。
40年以上にわたり、「企業が中心とすべきは顧客である」と経営者に説きつづけたのだ。

企業活動はすべて、顧客のニーズに対応し、それを満たすものでなければならない。
そして、顧客価値を生み出すのがマーケティングの目的である、と。
私は、ピーターが企業に問いかける4つの質問がすごいと思った。

● 自社の中核をなす事業はなにか。
● 顧客はだれか。
● 顧客はなにに価値を見いだすのか。
● 中核事業でどういう成果をあげるのか。

質問は、もちろん、のちにもうひとつ増えて5つとなる。
追加の質問は、当初、「それについてなにをするのか」だったが、最終的には「どう実現していくのか」に落ち着いた。

ピーターは、P&Gやインテルといった企業のCEOと会うたび、この問いを投げかけていた。
そして、この質問に答えようとすると、多くの発見が得られると彼らは口をそろえたように言う。
私も、コンサルティングをする際、同じような質問をしている。

ピーターの本や言葉は、マーケティングや顧客についての金言にあふれている。
その一部を紹介し、若干の解説をしたいと思う。

「企業の目的は顧客の創造である」と彼は語っている。
「企業の目的とは利益の創造であり」という当時の常識と真っ向からぶつかる見解だ。
当時の経営者が常識としていた考えは、利益をどう生み出すのかという大事な部分が抜け落ちた空論だとピーターは見ていたのだ。
大事なのは顧客を生みだすこと。
そのために、企業は、競合他社より高い価値(=便益から費用を引いたもの)を提供できなければならない。
利益をもたらしてくれるのは顧客のみなのだから。

「企業の基本的機能はイノベーションとマーケティングのふたつだけで、ほかはすべてコストだ」とも語っている。
もちろん、その他の機能もなければ企業が回らないし、そのような機能による貢献があるのもわかた上で、彼は、このふたつを特に取りあげたのだ。
イノベーションとは、消費者の好みや技術が変化していくなかで企業が立ち止まるわけにいかないことを意味している。

マーケティングがしっかりしていなければ、製品について顧客に学んでもらうことができない。
つまり、その機能や価格や存在場所などを知ってもらえない。
イノベーションだけでもマーケティングだけでも企業が成功することはなく、成功には両者を兼ね備えている必要がある。

マーケティングと営業の違いも彼は明確にした。
「マーケティングの目的は営業を不要にすることだ」という彼の言葉は、経営者にとって驚きだった。
顧客の欲求を深く理解し、販売促進などしなくても顧客が列をなして買うほどの製品を作るのが大事だというのが彼の考えである。
車などの製品をまず設計し、そのあと、だれにどう売り込むのかを考えるようではだめだ、まずターゲットする顧客と製品の目的をしっかり把握し、その顧客が満足する車を設計するほうが合理的というわけだ。

『ドラッカー全教え ~自分の頭で考える技術~』大和書房

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本書の中でこんな逸話が紹介されていた。
『ゼネラル・エレクトリック(GE)「伝説の経営者」と呼ばれるジャック・ウエルチが経営コンサルタントのドラッカーと対面したのは、CEO就任直後、1981年のことである。
そのときドラッカーはふたつの問いを発しただけだったが、その結果、GEの未来が大きく変わった。
たった2つの問いが、ウエルチのCEO在任中に数千億ドル規模の違いを生み出したのだ。
ちなみに質問は次の2つである。
●GEという会社をこれから作るのだとしたら、いまのような事業としますか。
●ひとつめの問いに対する答えがノーの場合、どうされますか。
この問いに対するウエルチの回答は、市場で1位か2位になれないのであれば、その事業は立て直すか売却するか整理するしかない、だった。
その結果、株式価値が4000%も上昇するなど、GEの経営であれほどの成功を収められた主因はこの経営戦略にあった』

核心をつく質問は、会社を変え、人の生き方さえ変える力がある。
その質問により、自分の脳の検索エンジンがフル稼働し、その答えを自ら探しはじめるからだ。
そして、自分の頭で考える技術が身につく。

自ら考え続ければ、オリジナルな新しい発想が生まれ、そこにイノベーションが生まれる。
自分の頭で考える技術を身につけたい
posted by Dr.モーリィー at 19:10| ライフワーク | 更新情報をチェックする

No 4839   【「近代西洋思想」から「東洋思想」へ】

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おいちゃんのお気に入りブログ【人のこころに灯をともす】からの転載です

【「近代西洋思想」から「東洋思想」へ】

東洋思想研究家、田口佳史氏の心に響く言葉より…



これまで私たちが生きてきた時代、社会というのは、原則として「近代西洋思想」をベースとして形作られていました。
私たちのライフスタイルはもちろん、働き方も、会社のあり方も、法律、政治、経済の様式まで、あらゆるものが近代西洋思想、近代西洋文明に則って作られてきました。
たとえば「企業は利益を追求する存在であり、自由な市場が保証されることによって、経済は健全に機能する」という考え方があるでしょう。
そうした考え方の下、世界中の企業が活動し、その一員として私たちは働き、そういった経済環境のなかでモノを買い、日々の生活を成り立たせてきました。

ごく当たり前の感覚として、商品を買うときは「少しでも安い方」を選びますし、企業はそんな消費者のニーズに応えるために「少しでも安く、効率よく生産しよう」と躍起になります。
すると当然、効率よく生産することに長けた人材、そういうことを実現してくれる優秀者を採用しようとします。

れらはすべて、私たちにとって当たり前のことばかりです。

しかし、そんなパラダイムが古今東西ずっと続いてきたかと言えば、そんなことはありません。
実際には150年から200年ほど前に、中世ヨーロッパ社会が終焉を迎え、産業革命が起こり、近代という時代が始まりました。
そんな近代西洋文明をベースとしたパラダイムが、今現在、広く世界を覆っています。
私たちの「当たり前」の根源はそこにあるのです。
しかし今、時代は再び大きな転換期を迎えています。
言い換えるなら、近代西洋文明をベースとしたパラダイムが、あちらこちらで破綻し始めているのです。
これもまた、今起こっている「変化の正体」の一つです。

これまで全地球規模で世界をリードしてきた近代西洋文明をベースとしたパラダイム。
そんなパラダイムが揺らぎ始めた今日、揺り戻しのように世界中で見直されているのが東洋思想です。
今、世の中では「近代西洋思想的な発想」から「東洋思想的な発想」へとさまざまな側面で転換が起こっています。
行きすぎた資本主義が格差社会を増長し、世界中で問題になっているのもその一つの表れです。

物質的充足より、心の充足を求める人が増え、その延長でマインドフルネスや禅仏教が世界的に流行しているのもその一つ。
あるいは「所有よりもシェア」という意識が広がり、シェアビジネスが増えているのも、東洋思想的アプローチの一側面と捉えられます。
このように今さまざまな側面で東洋思想への揺り戻しが起こっているのです。
もちろん近代西洋文明のすべてが悪いというわけではなく、あくまでも「西洋と東洋の知の融合」が求められ、そうした動きが世界中で起こっているということです。

ここで「東洋思想とはどのようなものか」をきちんと定義し、解説しておきましょう。

私の言う東洋思想とは「儒教、仏教、道教、禅仏教、神道」の五つの思想を指しています。
日本に八世紀以上存在し、精神性や風土に根づき、息づくことで、私たち日本人の暮らしの根源となっている「知的資源」と呼べるものです。
これら東洋思想に共通する特性を、近代西洋思想と対比すると、両者がいかに「相補い合う関係」にあるのかがはっきりと見えてきます。

西洋は「外側にある(すなわち、誰もが見ることができる)真理に迫っていく」という真理探究方式を採る一方、東洋では「自分の中にある仏性、神的性に迫っていく」という真理探究の方式を採ります。
西洋思想では、どちらかと言えば「外側」に関心の中心が置かれ、「誰でも理解できること」「普遍性」を重視し、モジュール化に適しています。
反対に、東洋思想では「自分の心の中」に関心が向けられます。
自己の内なる仏や神に気づくこと、自己の仏性、神的に目覚めることを重視します。
それだけ精神性に富んでいるということです。

西洋…外側にある対象に向かう
東洋…内側にある対象に向かう

このように、まさに正反対だからこそ相補の関係に成り得るのです。
180年前の幕末の思想家佐久間象山は「東洋道徳、西洋芸(技術)」という言葉で、両者を対比し、その特性の違いを見事に表現しました。
東洋は『精神』領域に長けているので、そこに資する知見を提供すべきであり、西洋は『技術』において一日の長がある。
佐久間象山は「両者の得意分野を融合して使うべきだ」と言っているのです。
まさに「西洋と東洋の知の融合」です。

『なぜ今、世界のビジネスリーダーは東洋思想を学ぶのか 史上最高のビジネス教養「老子」「論語」「禅」で激変する時代を生き残れ』文響社

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田口氏は本書の中でこう語る。
『今、世の中では盛んに「イノベーションが必要だ」と叫ばれています。
では、どんな人からイノベーティブなアイデアは生まれてくるのでしょうか。
誤解を恐れずに言えば、それは「楽しんでいる人」であり、「遊び半分の人」であり、「無駄なことをしている人」です。』

それを表す言葉が老子にあるという。
『《有を以て利を為すは、無を以て用を為せばなり》
目先の利益で有用・無用を決めつけてはいけない。
今は無用に思えても、先々で必要になることもある。
何の役にも立っていないようでも、見えないところで大事な役割を果たしているものもある。
「無用の用」ということをよく考えなければいけない』

「遊戯三昧(ゆげざんまい)」という禅語が、「無門関」の第一則にある。
山田無文老師は真の「遊戯三昧」の境地をこう教えている。
「働くことがそのまま遊びなんです。人のためにすることがそのまま遊びなんです。苦しい目に逢うこともまたそのまま遊びなんです」

『人生最大の幸福は「職業の道楽化」にある』と言ったのは本田静六氏。
職業の芸術化であり、趣味化であり、ゲーム化であり、スポーツ化である。

東洋思想を更に深く学びたい
posted by Dr.モーリィー at 19:04| ちょっと気になる善い言葉 | 更新情報をチェックする

No  4838  大阿闍梨・大弁財天招福大護摩祈願祭

久しぶりの最福寺情報です

恵観開山も 10月25日の 第21回フィリピン世界平和記念祈願祭をはじめ
日本中・世界中を 祈りの行脚をしていらっしゃいますが

おいちゃんの 小・中・高の幼なじみ 豪泉貫主も
この度 高野山真言宗の 最高行位
伝燈大阿闍梨位に 昇供されたそうです

10年に一回の行事で 今回は 全国で60名とか!
とても狭き門ですね!


場所は 高野山:金剛峯寺!

情報をいただきましたので 皆様にも シェア致します

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伝授大阿闍梨様と
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着替えを手伝ったりしてくれるお付きの従僧
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満月と 根本大塔
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お堂に入るときの儀礼

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11月1・2・3日  鹿児島市平川 最福寺大仏殿にて 11時から

大弁財天招福大護摩祈願祭が 執り行われます

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家門繁栄・商売繁昌のほか 願意のいろいろ

必勝合格・学業成就

身体健康・技芸上達

夫婦円満・病気全快

家庭円満・世界平和

航海安全・五穀豊穣

大漁満足・恋愛成就

良縁成就・安産成就

如意吉祥・開運招福

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おいちゃんも 3日に 久しぶりに参座予定です💡😃✌  チェスト!

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2018年10月28日

No 4837   【とにかく「与える」ことが大事】

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おいちゃんのお気に入りブログ【人のこころに灯をともす】からの転載です

【とにかく「与える」ことが大事】

内藤誼人氏の心に響く言葉より…



アドラーによると、人に好かれる人には、共通してみられる特徴がある。
それは、相手から何かを「とろう」とするのではなく、むしろ自分から相手に何かを「与えよう」とするのである。

知り合いの誕生日には贈り物をし、お中元、お歳暮も欠かさない人がいるとしよう。
旅行に出かければ、必ず、お土産を忘れない人がいるとしよう。
自分がアイスを食べたくなったときには、ついでに他の人のぶんまで買ってきてくれるような人がいるとしよう。
そういう人が、周囲の人たちに嫌われるということは、あまり想像できない。
なぜなら、彼は「与える」人だからだ。
私たちは「与えてくれる人」が大好きなのであって、そういう人とつきあいたいと思うものなのである。

ケチな人は、人とうまく交わることができない。
ケチな人は、自分から何かを与えようとはしない。
そんなことをすると、自分がソンをしてしまうことになり、ソンをすることは彼にとっては許せないことだからである。

オランダにあるユトレヒト大学のアーク・コンターは、相手に贈り物をする行為は、相手との感情的な結びつきを強める、と述べている。
コンターによると、特に「見返りのない贈物」が重要であって、そういう贈物をする人は、だれにでも好かれるらしい。

世界でナンバーワンの営業成績を出すような、伝説的な人たちの本を読むと、とても興味深い。
彼らは、他の営業マンに比べて、話術が巧みであるとか、説明上手であるとか、そういうことはない。
彼らは、ただ、他の人がやらないようなこと、たとえば、お客さまの誕生日に、必ずバースデーカードを出す、といった「与える」行為をしているのである。
たったハガキ一枚で、差をつけているだけなのだ。

田中角栄さんといえば、「人たらし」で有名であったが、特に難しいことをしたわけではない。
角栄さんは、結婚する人がいると聞けば、だれよりも早くご祝儀を出すとか、家族に亡くなった人がいると聞けば、律儀に花輪を出す、ということをしていただけである。

「私は、お金持ちではないので、そんなに贈物ができません」という人もいるだろうが、それは言い訳にすぎない。
別に高価なモノを贈りなさい、などといっているのではない。
ハガキでも手紙でもいい。
とにかく「与える」ことが重要なのであって、その金額は関係がないのだ。

『アドラー心理学 あなたが愛される5つの理由』ぱる出版

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「与える人」の反対は、「奪う人」。
奪う人は、ちょうだい、ちょうだいと何でも欲しがる人であり、人から、物だけでなく、時間や、情報や、エネルギーを奪う。
そして、もらってばかりいて、与えることをしない。
人にストレスを与え、不平不満を口にし、相手の気持ちを冷やし、がっかりさせる人。

与えるとは、物やお金だけでなく、「ほめること」「喜ばすこと」「元気」「夢」「癒(いや)し」「愛のある優しい言葉」「笑顔」等々。
人を喜ばせ、幸せにする人だ。
だから、まわりにどんどん人が集まる。

しかし、奪う人からは、仲間は逃げていく。
一緒にいても何のメリットもないからだ。

ケチくさいことをせず、惜しみなく「与える人」でありたい
posted by Dr.モーリィー at 06:47| ちょっと気になる善い言葉 | 更新情報をチェックする

2018年10月27日

No 4836   【楽しい気分でいたら楽しいことは勝手に起こる】

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おいちゃんのお気に入りブログ【人のこころに灯をともす】からの転載です

【楽しい気分でいたら楽しいことは勝手に起こる】

ナリ心理学代表、ナリ氏の心に響く言葉より…



引き寄せのブログを書いていて、実際に引き寄せまくって幸せな人は、もちろん、そのまま幸せを引き寄せ続けていくのが最高だと思います。
でも、もしも「引き寄せブログをやっているのに、なかなか引き寄せられない」とか、「引き寄せブログをやっているのだから、引き寄せないと」と、引き寄せたことにしてしまっている人は、たぶん、引き寄せには向いていない。

だって、それって、
「引き寄せじゃなくて、自分への嫌がらせ」でしょう?
というのも、結果が欲しい人は、結果が向こうから歩いてやってくるのを待つのではなく、すでに行動しています。
しかも、迷わずまっすぐに。

だから、あなたが行動せずに「引き寄せたい」のに「引き寄せられない」と思っているものは、じつは、本当に欲しいものではなかったり、今の現状から逃げたいだけなのかもしれません。
僕は、基本的には「引き寄せの法則」とは、「引き寄せなくても最高に楽しい」の法則だと思っています。
恋愛を楽しみたい」というときに、素敵な出会いがあるでしょうし、「仕事を楽しみたい」というときに成果が出る。
お金を使うことを楽しんでいれば、お金が入ってきたり、人生を楽しみたい人のところには素敵なできごとが起きる…。

今をとことん楽しんでいれば、結果がどうであれ、すべてが楽しい。
これは、引き寄せといえば引き寄せですが、引き寄せではないといえば引き寄せではありません。
なぜなら、
結果の価値を決めるのは、今を楽しんでいるかどうかだから。

楽しく過ごし、すべての結果を楽しんでいれば、それは結果的に「引き寄せの法則」を使い、引き寄せたことになります。
でも、「今は楽しめていなんだけど、結果は欲しい」となると、苦しみが生まれます。
そういう人には、引き寄せは向いていない。
僕のところにも、そういった相談がたくさんあります。

「引き寄せられていない」と悩んだり、嫌なことが起きているのに「これも、最善なんだ!」と無理やりポジティブに引き寄せているかのようにブログを更新するくらいなら、いっそのこと「引き寄せなくても、私は最高に幸せ」になることのほうが大事だと思います。
おすすめしたいのは、
「引き寄せても、引き寄せなくても、毎日が楽しい。どちらにしても、私は最高に素敵。は〜。幸せ。さて、しゃぶしゃぶ食べに行こっと」
そのくらいラクな心持です。

楽しい気分でいたら楽しいことは勝手に起こります。
不安も恐れも減りますし、行動する勇気も湧くでしょう。
楽しそうな人のところには楽しみたい人が集まり、仲間も生まれます。
そうやって、自分が欲しいものや、やりたいことへの最短ルートを自然と選んで進んでいくことでしょう。
一番大切なのは、今、幸せな気分でいること。
今、楽しむこと。

引き寄せるから幸せになるのではなく、幸せな人がただ引き寄せてるだけなのね。笑。

「私なんて石ころだから」から生まれる苦しみの中で必死になって結果を引き寄せようとすれば、結局は苦しみが引き寄せられます。
人生は証拠集めの旅という話をしましたが「私は石ころだから」という前提を抱きつづける限り、その証拠が集まってくるんです。

ときおり僕のところにこんな質問が来ます。
「やりたいことをやれたら幸せになれますか?」
これも、引き寄せの原理とまったく同じこと。超逆です。
やりたいことをやっていてもやっていなくても、幸せな人は幸せだし、結婚してようがしてなかろうが、幸せな人は幸せだし毎日を楽しんでるよ。

結果に執着してしまうのは、自分を否定しているから。
自分を肯定すると、結果への執着から解放されます。
解放され、のびのびやっている人に、結果はやってくる。
ものごとがうまくいくしくみって、こうなっているんだと思います。

『あなた何様?』サンマーク出版


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この本の題名は、「あなた何様?」というインパクトのあるもの。
この題名だけを見て、「なんだよおまえこそ何様だよ、若造のくせに!」と思ったり、イラッとしたり、ムッとしたとしたら、そこに「自己否定の強さ」があらわれている。
自分を認めて自己肯定ができている人は、「何様?」と聞かれても別になんとも思わないし、自分への批判や否定とも思わない。
自己肯定感の低い人は、自分のことを攻撃されていると思ったり、見下げられていると思ってしまうから。
言われて腹が立つことは、じつは当たっているし、隠していたことがバレたことに腹が立つ。
的外れなことって、あまり腹が立たないからなのだと、ナリ氏は本書の中で言う。

いつも幸せな人は、どんなときも、どんな状態になっても幸せ。
いつも楽しい人は、誰と会っても、どんなに失敗しようが楽しい。
いつも面白がっている人は、嫌なことがあっても、面倒なことがあっても、それを面白がってしまう。

幸せなことがあるのではなく、楽しいことがあるわけでもなく、面白いことがあるわけでもない。
幸せだと思う人、楽しいと思う人、面白いと思う人がいるだけ。
そしてそう思える人にはすべて、自己肯定感がある。

「楽しい気分でいたら楽しいことは勝手に起こる」
どんなことも、楽しめる人でありたい
posted by Dr.モーリィー at 07:10| ちょっと気になる善い言葉 | 更新情報をチェックする

2018年10月26日

No 4835   【20%の才能と、30%の努力と、50%の運】

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おいちゃんのお気に入りブログ【人のこころに灯をともす】からの転載です

【20%の才能と、30%の努力と、50%の運】

さいとう・たかを氏の心に響く言葉より…



私は仕事についてすべて計算ずくで行うが、ヒット作品というものはだいたい苦労に比例しない。
悩んで、悩んで、悩み抜いて考えてつくった作品があまり売れなかったり、ふとした瞬間に閃(ひらめ)いたキャラクターがヒットしたりする。
この仕事についていえば、私は20%の才能と、30%の努力と、50%の運だと思っている。
運とは、その人の行動について回ったり、離れたりするもの。
その運が見えた人、運をつかめる体制になれる人が幸せになる。

この業界は、天才ばかり集められるが、その多くが消えていく。
いくら才能があっても運が50%を占めているのだから、成功する人間は一握りだ。
才能があってもプロ意識を持たずに努力をしなければやはり運をつかむことはできない。
才能もあって、努力をして、それでも運をつかめなければ成功できないのだ。

私自身でいえば、非常に幸運な人間だ。
まず、この仕事に気がついたこと、つまり絵で大好きな映画と同じようなことができる、と気がついたことがそもそもの運だ。
これはものすごい強運だと思っている。

私はこの仕事の可能性について、気づくことができた。
そしてそれに気がついたからこそ、運を引き寄せるようになった。
しかし、考えて、考えて、考えても気づけない場合もあるだろう。
そのような人は結局運がなかったということになる。

ただ何もしていなくても運を呼ぶことはできない。
30%の努力が土台となって、さらに20%の才能があって、50%の運を呼ぶことができるのだ。

運が50%を占めることを述べたが、だからといって運のせいにしたり、悪運を嘆いたりすることに意味はない。
しかも運というのは、運をつかんでいることに気がつかない場合が多い。
私のこれまでの人生の中でも、振り返ってみて、あの時はこういう運だったと、歳を重ねてからわかることが実に多い。
人との出会いなど運ばかりだ。
私の場合はあれも運だった、これも運だったと、運がついて回っていた。
なにせ半分が運なのだからそれも当たり前といえば、当たり前だ。

しかし、私は運が悪かったと思っても仕方ない、と考えている。
自分を幸せにしてやれるのは自分しかいない。
だから自分の考え方次第で、幸せが決まる。
そもそも五体満足に生まれてきたことが大きな幸運だ。
私は過去に、網膜剥離の手術を行い、糖尿病を患った。
だから、毎日を元気に過ごせること自体が奇跡だと私は思っている。

私は良いことも悪いことも正面から受け止めるようにしている。
そして幸運には感謝し、悪運を忘れるようにしている。
悪い運だけではない。
私は描いたものもすべて忘れるようにしている。
そうしなければ、新しいものが出てこないし、新しいものを描く意欲がそがれてしまうからだ。

自分の置かれた境遇、直面した運、出会った人、これらのせいにして自分の不幸の原因のあら探しをするのではなく、自分の価値観を持って幸福を感じ取ることを考えたほうがいいに決まっている。
仕事での苦しみや悩みは尽きることがないし、時として運が悪いことに出くわすことがある。
それでも私は、苦境もまたエネルギー源として捉えて、苦境に立つ自分を楽しみさえした。
不運を不幸だと考える必要などないのだ。
だから私はそもそも不幸だと思ったことは一度もない。

『鬼平流』宝島

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運を大事にするものは、運からも大事にされる。
これは、幸田露伴の言う「惜福(せきふく)」と同じだ。
惜福とは、福を惜(お)しむことだが、福を使い尽くさないこと。
つまり、福を大事にすることであり、福に感謝することでもある。

「福」を「運」という言葉に置き換えても、まったく同じことが言える。
たまたま巡ってきた運に感謝する。
逆に言うなら、感謝多き人に運がやってくる。

そして、「運がいい」と言う人は謙虚な人。
自分の力ではなく、何か大きな力が働いているという「おかげさま」の心がある。
謙虚な人、おかげさまの心のある人は、神さまから好かれる。

自分の才能をフルに生かし、精いっぱいの努力をして、謙虚な心で、運を引き寄せたい
posted by Dr.モーリィー at 06:36| ちょっと気になる善い言葉 | 更新情報をチェックする

2018年10月25日

No 4834   【なりたい自分になれる時代】

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おいちゃんのお気に入りブログ【人のこころに灯をともす】からの転載です

【なりたい自分になれる時代】

コンサルタント、椎原崇氏の心に響く言葉より…



あなたが、自分らしくガンガンに活躍していくと、必ず、あなたのことを大好きになって称賛する人が増えて、必ず、あなたのことを批判したり、小バカにしたりする人が増えます。

これ、おもしろいように両方とも増えるのです。
つまり、これもまた、一種のアクセルとブレーキです。
つまり、あなたが、自分らしくあればあるほど、リーダーシップを発揮すればするほど、輝けば輝くほど、より多くの人たちに影響を与えるということです。

そうなれば、そうなるほど、
あなたはたくさんの人に称賛や応援されて
あなたはたくさんの人に批判されて、バカにされるのです。

称賛や応援をもらうと、なんか、期待に応えないといけない感じがして窮屈に感じたり、ひとりよがりになって大切な友達を失ったり、人の意見をきかなくなって視野が狭くなったり、称賛や応援に執着が生まれて、自分らしくいられなくなるって側面もあるかもしれません。
批判されたりバカにされることで「やってやろうじゃないの!」とスイッチが入ってエネルギーが湧いてきたり、「今が幸せだったんだ」って気がつけたり、自分にはない視点が入ってきて、視野が広がったり、「自分の器」が大きくなるキッカケになったりする側面もあるのかもしれません。
ほら、そうすると、称賛と批判が逆の効能をもたらしているでしょう?

だから、批判も称賛もどちらもあまり変わらないのです。
大切なのは、影響力が大きくなればなるほど「自分の感覚を中心に生きる」という意識なのです。

今、時代も、考え方も、国も、情報も、「なりたい自分になっていいんだよ!」
ってどんどん後押ししてくれているような感じがするのです。
人生というのは、自分と環境とで、一緒に創造していくものです。
「理想の自分」というのは「自分」と「環境」2つの要素で構成されていて、自分自身で自分に変化をもたらし、環境を変えながら、創っていくものだということなのです。

今の日本、今の時代は、
ほしいものを手に入れていける時代
好きな場所に住める時代
海外に安く簡単に行ける時代
すぐに世界中を相手に商売ができる時代
自分が好きなことをしている動画をアップしてお金が稼げる時代
いろいろな人の考え方を簡単に学べる時代

もう、とんでもなく自由がきく時代なのです。
この時代に、日本という国に暮らす僕ら。
今置かれているこの環境こそが、「なりたい自分になっていいんだよ」という僕たちへの愛のこもったメッセージのように思えませんか?

それができる時代にいるんだから。
それができる環境にいるんだから。
なりたい自分になっていい。

『うまくいったやり方から捨てなさい』サンマーク出版

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すべての人から好かれることなどできないのに、多くの人はそれを求めてしまう。
大好になってくれる人がいれば、それと同じくらい大嫌いになってしまう人もいる。
嫌われることを極端に恐れてしまう。
だから、多くの人は、ブログやSNSで発信することをためらう。

一度きりの人生、花は花として目立ったほうがいい。
引っ込んでいてどうする、と。
今やらずしてしていつやる。
やらずにできるわけがない。

今は、「なりたい自分になれる時代」
いままでの規制やワクを取り払い…
なりたい自分をめざしたい
posted by Dr.モーリィー at 08:40| ちょっと気になる善い言葉 | 更新情報をチェックする

2018年10月24日

No 4833  無料公開 イルカショー

先日 所用で 鹿児島水族館の近くに行きました

するとアナウンスが 水路で 無料のイルカショー、 調教をしますと

なかなかの ポジションから イルカショー 堪能させていただきました

「ついてるついてる!、感謝・大感謝」でした

毎日 やっているのか 土日だけなのかは不明でしたが おすすめです!

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2018年10月23日

No 4832   【上機嫌は人のためならず】

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おいちゃんのお気に入りブログ【人のこころに灯をともす】からの転載です

【上機嫌は人のためならず】

明治大学教授、齋藤孝氏の心に響く言葉より…



現代は、インターネットという、誰でもいつでも不機嫌をまきちらせてしまえるツールが誕生し、「他人の不機嫌には傷つきやすいのに、自分の不機嫌は無意識に発散させてしまう」人が増えている時代です。
不機嫌を人にさらしている状態は、いわば「裸の王様」です。
荒波のように波立った不機嫌を鎮め、オブラートに包んだ言動ができれば、自分も周囲も安心して社会生活が送れるようになります。
マナーは自衛手段でもあるのです。

周囲の空気が硬く委縮していても、他者へのサービス精神にあふれ、生きることのエネルギーにあふれた人が一人でもいれば、場の調子は必ず良い方向へと転じていきます。
上機嫌であるというのは、人に対してオープンであるということです。
その時々の気分で揺れることなく、つねに安定した上機嫌の心持ちを維持継続して物事に対応できる「オープンマインド・オープンバディ」な人は、円滑にコミュニケーションができます。
コミュニケーションを通じて周囲にも良い効果を及ぼすことができ、結果的に自分の気持ちもさらに向上します。

「上機嫌は人のためならず」。
周囲の不機嫌に悩んでいる人、コミュニケーションの取り方に悩んでいる人こそ、上機嫌の効能に助けられるはずです。

たとえば急ぎの用事があって電車に乗ろうとしたところ、前にいるお母さんとベビーカーの動きがおそく、自分が乗る前に電車のドアが閉まってしまったとしましょう。
「子連れで出かけるのは本当に大変だろうなあ」といたわりの心が持てる人もいるでしょうが、一瞬「やっぱりベビーカーは邪魔だな」「あの母子がいなかったらなあ」とイラッとしてしまう人もいることでしょう。
「不機嫌の芽」が出る瞬間です。
私は「不機嫌の芽」自体が必ずしも悪いものだとは思っていません。
心のなかに不快な気持ちが生まれること自体は生理反応であり、人間としての性(さが)であるからです。

以前、「機嫌とは、人の表情や態度に表れる快・不快の状態」だと述べました。
感情の変化をその時点で確認し、抑えて、人前で見せなければいいのです。
万一その場で舌打ちをしてしまっても、「あ、今のは良くなかったな」と自分を立て直すことができれば、上機嫌に一歩近づけます。

あるいは、家族や友人に「今日ベビーカーが邪魔で電車に乗れなくてさ―」とグチを言ってしまうことはあるでしょう。
それでもまだ大丈夫。
彼らはあなたの元々の性格や普段の行動を知っています。
「まあまあ、そんなにイライラしなくても」「あなたらしくないんじゃない」と諫(いさ)めてくれ、「あ、今のは良くなかったな」とすぐに反省することができるはずです。

しかしこのところの日本では、自分が思ったことをすぐにSNSに書いてしまう人が後を絶ちません。
「今日電車に乗ろうとしたらベビーカーが邪魔で乗れなくて、用事に遅れちゃった。最悪」
すると、どうでしょうか?
あなたの不機嫌…他者に対する不寛容さを露(あら)わにした不用意な発言が、いきなり全世界に発信され、拡散し、多くの人に「未熟な人」という印象を与えてしまいます。
これは非常に危険な状態だということが、おわかりでしょうか。

「陰口」とされるものが、「陰」ではなくなり、公にさらされています。
SNSは、こうして不用意に発せられた不機嫌な言葉であふれています。
家でくつろぎながら何気なしにつぶやいたことが世界に伝播(でんぱ)することで、あなたの評判が下がったり、人間関係が破壊されたり、最悪職を失ったりすることもありえます。

現代人は他者の不機嫌に傷つきやすくなっている一方で、24時間攻撃性を発揮できるようにもなりました。
その主戦場はあなたも毎日ふれているであろうインターネット。
もっと言えばツイッター、フェイスブック、LINEなどといったSNS(ソーシャル・ネットワーキング・サービス)です。
情報テクノロジーの発達とともに、インターネットは、個人が自由に発言しコミュニケーションできる場所を数々生み出してきました。

発信とコミュニケーションの機会が生まれたことで、人類社会に数々のメリットがもたらされたことは疑いようのない事実です。
しかしその一方で、個人が自由に発信しコミュニケーションできるというインターネットの利点は、不機嫌を増大、蔓延させ、遠くまで広げてしまうという弊害ももたらしてしまったように思います。

自動車の免許をとるときは、誰でも必ず自動車教習所に通って講習を受け、実技・筆記の双方で試験を受けて、合格する必要があります。
もちろん免許を持っていても事故を起こす可能性はありますが、教習を受けているからこそ、人々は「いつ何かの拍子に加害者になるかもしれない」ということを頭の片隅に置きながら、身を引き締めて運転を行えるわけです。
それに対してSNSはどうでしょう。
免許どころか運転講習すらないのに、誰もが無責任に自分の気分を発信できてしまう。
私はこれは非常におそろしいことだと思っています。
みんながみんな、知らず知らずのうちに複雑な首都高速に乗っかってしまっている。
SNSでの発言が原因で職を失った人や、他人の発言に傷ついて自殺した人もいるような状況なのに「いつか何かの拍子に加害者/被害者になるかもしれない」と言う発想が希薄な人が多いように見受けられます。

インターネットには、自分も無免許運転であるにもかかわらず、他人を取り締まろうという不機嫌で傷つきやすい運転者があふれています。

『不機嫌は罪である (角川新書)』


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「上機嫌は人のためならず」とは、「情けは人のためならず」からきたもの。
人に親切にすれば(情けをかければ)、相手のためになるだけでなく、やがては自分によいことがかえってくるということ。
上機嫌も同じで、自分が上機嫌でいれば、それはやがて、上機嫌がかえってくるということ。

齋藤孝氏は、周囲が不機嫌なときは、日本の神話「天の岩戸」を思い出すといいと言う。
天の岩戸とは、言うまでもなく、アマテラス大御神が弟スサノオノミコトの乱暴な言動にほとほと耐えかねて、岩戸の中にこもってしまったという話だ。
アマテラス大御神は、太陽の神様なので、世の中は真っ暗になってしまった。
そこで他の神々が相談して出した結論が、岩戸の前で宴会をするということ。
みんなで岩戸の前で、酒を飲み、歌って踊って、大笑いをした。
すると、アマテラス大御神は、私がこもっているのに、「何でみんなでそんなに楽しそうにしているの」と気になって、岩戸を少し開けたときに、力持ちの神様がその岩戸を目一杯開いたという物語だ。

つまり、こうした笑いや、踊り、歌などで、場を楽しくして、不機嫌な人を上機嫌にするということ。
だから、上機嫌こそが問題を解決する、という教えだと斎藤氏は言う。

「上機嫌は人のためならず」
いつも上機嫌な人でありたい
posted by Dr.モーリィー at 06:35| ちょっと気になる善い言葉 | 更新情報をチェックする

No 4831  冠婚葬祭!

おいちゃんも 54歳

この年になると 冠婚葬祭に出席することも多い 今日この頃

特に今年は 回数が多いような感じがする

お祝い事が 7:3で 多いです

特に結婚式関連は 親戚の一つ下の世代が 結婚ブーム まだまだ続きそうです!

結婚式以外にも 合格・昇格?・昇任・妊娠・出産などなど

おめでとうございます 

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2018年10月22日

No 4830   【ついてると言うトレーニング】

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おいちゃんのお気に入りブログ【人のこころに灯をともす】からの転載です

【ついてると言うトレーニング】

斎藤一人さんの心に響く言葉より…



《人は波動を感知しながら生きている。言葉の波動を口に出して伝達する》
人はそれぞれ波動を出しています。
そして、たがいにその波動をそれとなく感知しながら生きています。
波動には二種類あります。
一つは、考え方から出るムードやふんい気の波動。
同じような思い、考えを持っている人同士が、その波動を好んで集まるんですね。
二つ目は、言葉の波動です。
言葉を口に出して伝達すると、同じ波動を持った人同士が吸い寄せられて集まってきます。
波動が同じ人とは、波長が合うとも言いますが、一緒にいても居心地よく過ごせるし、仕事などもうまくいきますよ。

《「言霊」のエネルギーをフル活用すれば、運に勢いがつく》
言葉は「言霊」というエネルギーを持っています。
そのエネルギーは、波動となって伝達されます。
そのエネルギーを使うか使わないかによって、人生に大きな違いが出てきます。
幸せになりたいと誰もが願っているでしょう。
どんなときでも、「ついてる」という言葉を言いましょう。
それが運に勢いをつける一番いい方法です。
「ついてる」と言うだけですから、簡単でしょう。

《「ついてる」と言うだけで、幸運波動がやってくるから、自然にハッピーになる》
「ついてる。ついてる」と言っていると、実際に「ついてる」ことがどんどん起きてきます。
なぜなら、「ついてる」と言えば、幸運の波動がやってくるから、あなたの周りは「ついてる」ことでいっぱい。
いつも「ついてる」という言葉を口にしていると、知らない間にとてもハッピーになっているから不思議。
だって、本当に「ついてる」ことばかりに包まれるから、自然にハッピーになるんです。
ただ、「ついてる」と言っているだけ。

《まず、人が喜ぶことを言葉に出す。心はあとからついてくるもの》
心にもないことを言うのはダメという人もいるけれど、そうじゃないんです。
心のなかで思っていても、考えていても、行動に出さなければなんにもなりません。
あなたはいつまで経っても変わらないでしょ。
だから、先に言葉に出せばいいんです。
心はあとからついてきますよ。

《スリに遭って今月の食費がなくなっても、「想像できないくらい、ついてる」と言うんです》
買物をしに行って、お金を支払おうと思ったら、財布がない。
さっき買物袋のなかを確かめたばかりだから、きっと、スリに遭ったに違いない。
そんなとき、
「ああ、今月の食費がなくなっちゃった。どうしよう。ついてないなあ」
と言う代わりに、ついてる言葉を言うんです。
「命までなくさなくてよかった。ついてる。ついてる」
本当に困ったときこそ、言うんです。
「私ってついてる。想像できないくらいついてる」
これが「ついてる」のトレーニング法。

《「ついてる」は感謝の言葉。それが言えないのは、感謝の気持ちが足りないから》
「ついてる」と言うのは、幸せに生きるための第一歩。
「ついてる」とは感謝の言葉。
それが言えないのは、どんなことに対しても感謝の気持ちが足りないから。
今日、生きていられることが感謝だし、「よかった!よかった!」なんです。
感謝の言葉をつづけると、天の声が聞こえてきます。
その声こそ、あなたを幸せに導いてくれる最高の声です。

《ついてないときでも、ついてると言うトレーニング》
あなたが自転車で道路を走っているとき、石ころにつまずいて転んで路肩に投げ出されてしまった。
脚は痛いし、ヒザがすりむけて血が出ている。
そんなときは、「痛いなあ。ついてないなあ」とつい、口から出てしまいますよね。
でも、ついてる人ならこう言っちゃいます。
「骨が折れなくてよかった。ついてる。ついてる」
心のなかでついてないと思ってもいいんです。
ついてないときでも、ついてると言うトレーニング。

『最新版 斎藤一人 ツキを呼ぶセラピー (ロング新書)』KKロングセラーズ

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斉藤一人さんは、本書の中でこう語る。
『いつも感謝を忘れないことです。
感謝を口に出して言うと、また感謝したくなるようなことがつづけて起こるの。
それで、また感謝する。
だから、感謝している人には、いいことばかり起きます。
グチや不平不満ばかり言っている人は、感謝の心のない人。
そういうのを「魔寄せ」と言います。
魔を寄せつける人には、つきがありません』

「ついてる」とは感謝の言葉。
感謝のない人は、うまくいったことを、自分の力だと思い込んだり、まわりにいばったりする。
「ついている」と言う人は、「私の力ではありません」まわりの人や神さまのおかげですという、「おかげさま」の心を持っている。
「おかげさま」とは、「今回はたまたまうまく行っただけで、私の力ではありません。何か目に見えない大きな力が助けてくれたんです。ありがたい」、という謙虚な心であり、感謝の心がある。
感謝すれば感謝したくなるようなことばかりが起き、「ついてる」といえば「ついてる」ことがばかり起こる。

嫌なことが起きたら、それは天から試されていると思って…
どんなときも、「ついている」を口ぐせにしたい
posted by Dr.モーリィー at 06:50| ちょっと気になる善い言葉 | 更新情報をチェックする

2018年10月20日

No 4829    【大人の道徳】

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おいちゃんのお気に入りブログ【人のこころに灯をともす】からの転載です

【大人の道徳】

明治大学教授、齋藤孝氏の心に響く言葉より…



私は道徳の第一原理は、「己の欲せざる所、人に施すこと勿(なか)れ」だと思います。
「自分がやられて嫌なことは人にするな」、これが道徳の基本です。

この言葉について、『論語』では先生である孔子と弟子との間の次のようなやり取りが紹介されています。
弟子が孔子に質問しました。
「先生が一生を懸けて行うこと、目標としていることを、一言でいうと何になりますか?」
そうすると孔子は答えました。
「恕(じょ)かね」
「恕」というのは、「寛容さ」とか「許す」とか「心の広さ」といった意味の言葉です。
孔子は続けて言いました。

「つまりは己の欲せざる所、人に施すこと勿れだね」
それを聞いた弟子は、
「ああ、そういうことですか」
と言いました。しかし孔子は答えたのです。
「いや、でもね、おまえなどには一生かけても、なかなかできることではないよ」

この「己の欲せざる所、人に施すこと勿れ」という言葉は、小学一年生でも分かるようです。
この言葉を拙著『声に出して読みたい日本語』に入れたところ、この本を授業で使ってくれている小学校の先生が教えてくれたのですが、子どもたちはこの言葉が一番好きだと言ったということです。
小学1年生でも、「自分がやられて嫌なことは、人にしてはいけないよ」というのはすぐに分かる。
これが道徳の基本なのです。

人間が社会生活を営んでいく上で、時には意見や利害の対立が起きることがあります。
そのような時に、最低限、人々の生命や財産、人権などが侵された場合のことを想定して、法というものが定められています。
ですが、法を侵さなければ自由に振る舞っていいのかというと、そういうわけにはいきません。
人々の権利同士がぶるかり合う状態になってしまうと、人間関係がギシギシしてしまう。
でも、法の外側にクッションがあれば、権利同士がぶつからない、あるいはぶつかっても衝撃を吸収できるのです。
そのクッションの役目を果たしているのが、道徳なわけです。

例えば、人から何か嫌なことを言われた。
じゃあ、その相手を訴えるか。
それはできない。
だけど、自分がされて嫌なことは、人に言うのはやめよう。

そういうふうにして、みんなが「自分にされて嫌なことは、人にするのをよそう」と思えば、人間関係に道徳のクッションができます。
そういうクッションがたっぷりある社会は、個々人の権利と権利がぶつからず、人間関係がギスギスしない。
それが暮らしやすい社会ということになるのです。

『大人の道徳 (扶桑社新書)』

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自分がされて嫌なことを平気でする人がいる。
「自己中心的」だったり、「自分の非を認めない」、「共感しない」、「良心が欠如している」、「人と親しい関係を築けない」、「無表情」、「冷淡」、「反社会的」、「嘘をつくことに抵抗がない」、「周りをコントロールしようとする」等々。
昨今は、これらを総称して「サイコパス」(反社会性パーソナリティー障害)などという。

「恕」とは思いやりのこと。
思いやりがある人は、他人の立場に立つことができる。
他人の痛みや苦しみ、喜びを、自分のことのように感じることができる。

「冷たい言葉」、「冷たい表情」、「不機嫌」、「無視」…
自分がされて嫌なことは、他人にもしない人でありたい
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2018年10月19日

No 4828   【百歳人生を生きるヒント】

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おいちゃんのお気に入りブログ【人のこころに灯をともす】からの転載です

【百歳人生を生きるヒント】

五木寛之氏の心に響く言葉より…



日本人は、明治維新以後、和魂洋才を旨として、西洋の哲学や思想を、近代化の規範としてきました。
その結果、日本は科学・技術大国として成長をとげました。
しかしいま、これまでの洋才主義に翳(かげ)りが出てきています。
いや翳りどころか、もうこれまでの価値観だけではやっていけない所まで来ているのかもしれません。

私はいま、明治維新以来の脱亜入欧の国のあり方、西洋一辺倒あるいはアメリカ一辺倒のあり方を、見直すことが求められているような気がしてなりません。

たとえばキリストは、30代で亡くなりました。
若くして死んだキリストの宗教観は、いわば青春の熱情が横溢(おういつ)しています。
キリスト教は、青春の宗教と言っていいかもしれません。

西洋の文化に、一種の青春主義の匂いがまとわりつくのは、このキリストの青春期の死と、大いに関係があると、私は考えています。
それに対し、ブッダは長生きをしました。
旅先で80歳で亡くなりました。
30代の宗教家と、80代の宗教家では、神の観念や人間観が違って当然です。

すでに日本という国は、戦後の青春期、繁栄期を終え、下山の道を歩みはじめました。
これまでの青春主義では、下山の道のりは通用しません。
しかも高齢化社会を迎え、国民も下山の道を歩みはじめています。
いま私が、ブッダの思想の可能性に思いをめぐらすのも、そのためです。

医学や科学の進歩の恩恵で、人の寿命は100歳まで伸びるという。
そういう大転換の時代を迎えているいま、人間という生き物への価値観が追いついていない。
人生の生き方や、死生観が「人生50年」と考えられていたモノサシのままです。
そこに、漠(ばく)とした不安が蔓延しているのではないでしょうか。

100歳人生を生きるには、そもそも、これまで信じてきた人生観や死生観の転換が求められます。
「人生100年」時代にふさわしい生き方や、人間性についての考え方を、あらためて再構築し、新しい生き方、新しい哲学を打ち立てることが必要ではないか。
私はそんなふうに考えるのです。

世界に先駆けて、日本人は、100歳人生を生きなければならない入り口に立っています。
日本人は、あとにつづく国々に、どうすればいいかを、指し示す役割があるのではないかとも考えます。
そのためには、私も、いくつか覚悟をしなければならないと感じています。

『百歳人生を生きるヒント (日経プレミアシリーズ)』

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五木氏は、本書の中でこう書いている。

『2017年の初めに、世界的ベストセラーとなった2冊の本があります。
1冊が「サピエンス全史」で、もう1冊が「ライフシフト―100年時代の人生戦略」という本です。
「サピエンス全史」ですが、7万年前、アフリカの片隅でとるに足りない動物だった人類が、西暦2017年の現在、いまや神になる寸前まで進化して、永遠の若さだけでなく、神の役割をも手に入れようとしていると、歴史学者の著者は述べています。
この歴史学者の説を、現在進行形の社会に照合するとどうなるのかという本が「ライフシフト」ではないかという感想を持ちました。
国連の推計によると、2007年に日本で生まれた子供の半分は、107歳以上生きることが予想されているというのです。
著者はこう書いています。
「私たちはいま途方もない変化のただなかにいるが、それに対して準備ができている人はほとんどいない。その変化は、正しく理解した人には大きな恩恵をもたらす半面、目を背けて準備を怠った人には不幸の糧(かて)になる」』

もし仮に定年を60歳だとしたら、100歳までには40年もある。
人生の半分近くを余生として生きるにはあまりにも長すぎる。
年金の支給の支給開始年齢は毎年遅くなっているし、医学の進歩により未来は長寿が約束されている。
そこで必要となってくるのが、「生涯現役」の考え方。
金銭的にも健康的にも精神的にも、現役で長く働けることが、長寿社会には必須だ。

そして精神面では、ある程度の年齢になって必要となってくるのが、仏教的な考え方。
仏教には「生老病死」という逃れられない苦しみがあると教えている。
これを「四苦」というが、この四苦を逃れる方法が「悟り」を得ること。

百歳人生を生きる覚悟を身につけたい
posted by Dr.モーリィー at 06:12| ちょっと気になる善い言葉 | 更新情報をチェックする

2018年10月18日

No 4827   【大死(だいし)一番】

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おいちゃんのお気に入りブログ【人のこころに灯をともす】からの転載です

【大死(だいし)一番】

茂原機能クリニック医長、伊藤豊氏の心に響く言葉より…



人間が死にもの狂いになったとき、常識を超えたすさまじい力を発揮できることは、日常よく耳にしたり、実際に経験することです。
極限の状態における人間の力は想像以上に強烈です。
こんな力が、日常生活や仕事の上で、ここ一番というときに発揮できれば、人生はすばらしいでしょう。
天風先生は、「人間は本来そういう力を持っている。それに気づかないでいるだけだ」と言っています。

禅に、「大死底人(だいしていのひと)」という言葉があります。
これは、趙州(じょうしゅう)和尚と投子大同(とうすだいどう)禅師との間で交わされた会話に由来しています。
「趙州、投子に問う。大死底の人、却って活するときいかん。投子いわく、夜行を許さず、明に投じて、須らく到るべし」

つまり、「心身ともにこだわりを超越でき、煩悩、妄想、欲を払い尽くした人(大死底人)が新しい生を得るにはどうしたらいいのかね」
「夜歩きせず、明るい朝を待ってから行けば、どこにでもたどりつけるさ。大死に徹することができれば、新しいエネルギーが必ず満ちてくるものだ。死ぬ気になれば死にはせぬ」と。
お釈迦さまでさえ、四苦八苦で悩まれたのです。
「大死」に瀕することは、人生最大のチャンスである場合も多いのです。
もちろん、そのまま、暗黒を見たまま、死んでしまう人もいます。

これをチャンスだと思うか、不幸と思うかです。
大死に瀕したとき、徹底的に死んだ気になるかどうかにかかっているのです。

「もう一度自分の人生を考え直さなければいけない。自分にとって本当に大切なものは何か。自分は今、何をすべきか、そして何ができるか」と天風先生は言います。
自分で理想を掲げ、目的を持ち、計画を立てて、自分自身が仕事を通して成長するような生き方をしていたのだろうか?
人に喜ばれるように、世の中の役に立っていただろうか?
と悩んでみても、アメリカン・グローバリゼーションがはびこり、成果主義がはびこり、成果主義が大手を振り、人間性だとか、個性が軽視され、すべてに「結果」だけが求められる現在になってしまったのです。
これからすすんでいくであろうコンピュータ化、AI化で、人間としての仕事はどんどんなくなってしまうでしょう。

どんな時代になろうと、天風先生の言われるように「どこまでも人間をつくれ。それから後が仕事だよ」ということです。
文明・文化がすすめばすすむほど、増えるのがストレスです。
誰が何と言おうが、ストレスだけは増えることはたしかです。

「人生にはね。自分が知っている以上の大きな消息や事実があるのだよ。自分が何のために生きているのか。何が幸せで、何が不幸せか。そこのところを、落ち着いてよく考えてみることだ」と天風先生は言われました。
「消息」とは、事情、様子という意味である。
人が生きていたり(息)、死んだり(消)することでもある。
つまり世の中には、あらゆるものが生きたり死んでいったりする大きなうねりのようなものがあって、すべてがその波の中で営まれているのです。

『現役医師が教える 中村天風哲学 最強のマインド・フルネス』KKロングセラーズ

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「大死一番(だいしいちばん)」という禅語がある。
そのあとに「絶後再蘇(ぜつご再びよみがえる)」という言葉が続く。
死んだ気になって全力でやってみること、死にもの狂いで何かをすること、そうすれば、本来の自分を見つけることができ、再びよみがえる、ということ。
まさに、「大死底人」だ。

死んだ気になるとは、覚悟を決めることだ。
覚悟を決め、肚を決めれば、勇気がわいてくる。

絶体絶命の危機に瀕したとき…
「大死一番」と、ピンチをチャンスに変えられる人でありたい
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