2018年02月28日

No 4508   【好きで始めた仕事は90パーセントうまくいかない】

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おいちゃんのお気に入りブログ【人のこころに灯をともす】からの転載です

【好きで始めた仕事は90パーセントうまくいかない】

萩本欽一氏の心に響く言葉より…


最近、「好きなことを仕事にしたい」とか、「好きなことが見つからない」という声をよく聞きます。
僕に言わせれば、好きなことは仕事にしないほうがいい。
先ほど、自分のやりたい仕事に就けなくても、いつかはたどり着けると言いましたが、本当は、たどり着けなくてもいいんじゃないかな。
僕は、好きで始めた仕事は90パーセントうまくいかないと思っています。

テレビ局を見ていると、まあよく人が辞めていきます。
テレビ局は今も人気の高い就職先らしく、みんな理想を追い求めて入ってくるから挫折しやすいのです。
子どものころから秀才で怒られたことのない人が、テレビ局に入社してADになった途端、「バカヤロー、何やってんだ!」と罵倒され、すぐ退社してしまう。
怒られたり非難されたりすることに免疫がないので、自分の全人格を否定されたように感じてしまうのかもしれません。

一方、特別好きでもない仕事に就いた人は、失敗して怒られても「もともと好きじゃないし、初めからできるわけないじゃん」と思える。
開き直りは、生き抜くためにすごく必要。
失敗も叱責も気にせず一つのことを続けていると、だんだんその仕事が好きになり、好きになると一気にうまくできるようになる。
なにごともそういう仕組みになっているみたいです。

物づくりの分野で名人と呼ばれる人に何人かお会いしましたが、僕が知る限り、好きでもない仕事に就いて名人になった人のほうが多い。
たとえばある陶芸家の名人で、商社マンに憧れ、実際に商社に勤めていた時期もある人がいました。
「たまたま故郷に帰ってきたとき、『この仕事は俺で終わりでいい。気にすることはないぞ』と背中越しに親父が言ったもんで、勢いで『継ぐよ!』と言ってしまって」と言っていました。

僕にしても、もともとコメディアンに憧れていたわけでもなく、なりたいとも思っていませんでした。
もとよりあがり症で、向いているとも思えませんでしたから。
だから師匠や先輩からから「才能ないね」と言われたときも「ええ、どうせ才能なんかないですよ」と心の中で呟(つぶや)きながら、ただ毎日練習していた。
でも、あるとき劇場のお掃除してくれていたおばちゃんから、「あんた、熱心だね。うまくなってきたよ」と言われて、「この仕事を続けていてよかった」と心底思いました。

この話を大学でもしていたら、4年生の一人が「そうか!」って、手を叩いてくれました。
好きな仕事は倍率が高く、なかなか就職が決まらずへこんでいたらしい。
「欽ちゃんのおかげで希望の就職先の幅が広がりました。ありがとう!」
そう言ってくれました。
大人の視点と大学生の視点はだいぶ違うから、身近に一人で考え込んでいるような若者がいたら、大人たちはいろいろな言葉で心を動かしてあげるといいと思います。

『ダメなときほど「言葉」を磨こう (集英社新書)』

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「定年退職したら、夢だった喫茶店をやりたい」という人がたまにいる。
しかし、年をとって、趣味で始めたような仕事はたいていうまくいかない。

何かを好きになるとほとんどの人は、そのことに対して客観性を失ってしまう。
その一つだけを見て、他が見えなくなるからだ。
すべての物事には、裏もあれば表もある。
多角度から見ることができなければ、物事の本質は見えない。

頼まれごとも同じだ。
自分の得意でないこと、意に染まないことを頼まれたときでも、ニッコリ笑って「はい、喜んで」と引き受ける。
そういう頼まれごとを引き受け続けていると、自分では思ってもみなかった得意技ができたり、見る世界が変わってきたりする。

凡人は、続けることが一つの差別化要素になる。
鍵山秀三郎氏は、「誰にでもできる平凡なことを、 誰にもできないくらい徹底して続ける」という。
そうすると、自分の使命が見えてくる。

目端(めはし)が利(き)いたリ、頭がいい人は、なかなかバカになることができない。
バカになったり、ぼーっとしたりすることができる人には、鈍感力がある。
そして、高望みしないから、スタートラインを低く取ることができる。
マイナスから出発すれば、ちょっとでもプラスになれば喜びは倍増する。

あれこれ考えず、目の前の仕事に一所懸命になれる人は、そこに喜びを見いだすことができる。
どんな仕事でも、楽しく働ける人でありたい
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2018年02月27日

No 4506   【自分を甘やかすと麻痺がくる】

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おいちゃんのお気に入りブログ【人のこころに灯をともす】からの転載です

【自分を甘やかすと麻痺がくる】

精神科医、斎藤茂太氏の心に響く言葉より…


「自分を甘やかすと麻痺(まひ)がくる」といったのは、イギリスのチャーチルだ。
「もう年だから、うんと楽をさせてもらおう」「道で転んで怪我したらたいへんだから、なるべく家にいることにしよう」。
「お嫁さん、炊事洗濯は、あなたがやってね」と、自分は何もせずに一日中テレビの前にいると「麻痺がくる」、つまり体も心も「廃用性委縮(はいようせいいしゅく)」、使っていないところから弱ってくるのだ。

もちろん年を取れば、体力は落ちる。
耳は遠くなり、目はかすむ。
体のあちこちが痛くなる。
ついつい近くにいる人に甘えてしまいがちだが、自分の身の回りのことは、自分でするように心がけたい。

さまざまな文明の利器は年寄りにとって、味方でもあれば敵でもある。
ボタンひとつで機械がやってくれる便利な世の中は体力のない年寄りにはありがたい。
が、それに甘えていると、ますます体力が落ちてゆく。

こんな実験があった。
ニンジンやジャガイモの皮をむく、皮むき器というのがある。
使いやすくて便利なのだが、それを使っているときと、むかしながらに包丁を使って皮をむいているときと、脳の働きにどのような違いがあるか調べると、包丁を使っているときのほうが脳は活発に働いていた、という実験結果が得られた。

手を使うことが脳にいいことは、以前からいわれている。
「ちょっと面倒だな」と感じることを、あえてする。
これがポイントだろう。

もし人に面倒な頼み事をされたときも無暗(むやみ)に嫌がらない。
こんな年寄りに頼ってくれる人がいるのを、ありがたいと思い、できる範囲で引き受けてみる。
人に頼られていることを実感するのは、年寄りにとって張りあいになる。

『いい人生は「ありがとう」がつくる (WIDE SHINSHO)』新講社ワイド新書


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「ちょっと面倒だな」と感じることをやる必要があるのは、なにも年寄りだけの話ではない。
若い時から、「面倒なこと」「自分の得にならないこと」「気の進まないこと」などを避けてくると、運はたまらない。

「損から入ると運がたまる」とは、萩本欽一(欽ちゃん)氏の言葉。
損や面倒なこと、気の進まないこと、から入ると運がたまる。
往々にして運は、自分の思ってもみない方向から飛んでくるからだ。

「自分を甘やかすと麻痺がくる」
車に乗ってばかりいれば、歩くことがなくなる。

面倒なことをあえて進んでやる人でありたい
posted by Dr.モーリィー at 07:09| ちょっと気になる善い言葉 | 更新情報をチェックする

2018年02月26日

No 4505   【礼儀の基本は一対一の関係にある】

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【礼儀の基本は一対一の関係にある】

精神科医、和田秀樹氏の心に響く言葉より…


目上の人に礼をいわれると、わたしたちはくすぐったいような、晴れがましいような、とてもいい気分になります。
たとえば上司に頼まれていた資料を届けて、はっきりとひとこと、「ありがとう」といわれたようなときです。

「ありがとう」といわれると、その上司の誠実さが伝わってきます。
自分の立場にふんぞり返らないで、部下にきちんと応対してくれるのがわかるからです。
それは、こちらをちゃんと認めてくれたということですね。
「仕事だから当然だ」ではなく、部下と一対一で向き合っている姿勢が伝わってくるのです。

わたしは礼儀の基本は一対一の関係にあると思っています。
相手が上司や目上の人間なら、だれでも礼儀を守ることを心がけます。
失礼のないようにふるまって当然です。

けれどもしばしば、部下や目下の人間に対しては、礼儀を忘れます。
自分の優位性を押しつけてしまいます。
そしてどちらの場合も、忘れているのは一対一の関係ですね。
社会や組織の上下関係をそのまま当てはめてしまって、相手も自分も一人の人間でしかないという気持ちをどこかに忘れてしまうのです。

反対に、高圧的な相手と向かい合ったときには、「この人は一対一の関係が苦手なのだ」と思ってください。
肩書や経験や実績といった後ろ盾をなくしてしまうと、不安になる人なのだと考えてください。
それによって、高圧的になる態度もわかってきます。
「なるほど、この人も大変なんだなあ」と思えるようになります。
それが性格的なものなのか、あるいは自信のなさの裏返しなのかわかりませんが、他人と一対一で向き合うのが苦手な人間なのは事実です。
だから、基本的な礼儀を忘れてしまうのです。

『自分は自分 人は人 -争わない「生き方」- (WIDE SHINSHO175) (新講社ワイド新書)』

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月行大道氏の礼儀についての一文がある 《なぜ、あの人は運が良いのか? (経営者新書)より》。

『「他人行儀」とは、よそよそしく接するという意味ではなく、ことわざにもある「親しき仲にも礼儀あり」ということです。
親も子どもに何かをしてもらったら、他人にお礼を言うようにきちんと丁寧に「ありがとう」と言う。
子どもを叱るときも「何やっているんだ!」と頭ごなしには叱らない。
たとえば、他人を諌めるときのように「あまり感心できることじゃないな」と、少し抑制して言う。
すると、不思議なほど家庭の中が穏やかになります。
家族関係に他人行儀を取り入れることは、家族円満の秘訣です。』

普通、親しい関係になればなるほど、言葉はぞんざいになり、 遠慮することもなくなり、なれなれしくなってしまう。
つまり、礼儀がなくなってくる。

親子間、友人同士、あるいは上司と部下であっても礼儀は必要だ。
「礼儀の基本は一対一の関係にある」
どんなときも、礼儀を忘れない人でありたい
posted by Dr.モーリィー at 07:21| ちょっと気になる善い言葉 | 更新情報をチェックする

2018年02月25日

2018年02月24日

No 4503    【苦しいときにほほえみを】

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【苦しいときにほほえみを】

東大寺別当、筒井寛昭氏の心に響く言葉より…


少し前まで西洋人の抱く日本人のイメージといえば、メガネにカメラが必需品、イラストに描かれたその顔は出っ歯で、いつもニヤニヤ笑っている、そんなものが多かったように思えます。
西洋人から見た私たち日本人は、何事にも笑い顔で、なぜ笑っているのか理解しがたい存在に映っていたのかもしれません。

東洋人の笑いは、単におかしいから笑うのではなく、その奥にある別の感情を覆うような含みのあるものだったりします。
中国北魏(ほくぎ)時代の仏像や、その影響を受けた明日時代の法隆寺の仏像などには、アルカイック・スマイルと呼ばれるほほえみがあります。
感情表現を極力抑えたなかで、口元だけが上がり、ほほえんだように見える表情が特徴です。

仏様の笑いは、一般の笑いとは違って、難儀のときに出る笑いなのです。
人々が困っていればいるほど、苦しんでいればいるほど仏様は笑います。
困っている人を助けるために笑っている。
慈悲の笑いなのです。

たしかに、穏やかにほほえまれているその表情に接すると、苦境に立たされているときでも癒され、気持ちが和らぎます。
ほほえみは仏様に限らず、人々を安心させる力をたたえているのです。

皆さんも、ためしに、ここ一番という苦しいときにほほえみを浮かべてみてください。
苦しみが和らいでいくのを覚え、再び前に向かって歩き始める勇気がみなぎってくるでしょう。

『あなたを幸せに導く仏様からのアドバイス (今を生きるシリーズ)』ワニブックス

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「絶望した人間に笑いを蘇らせることは、その人間を生き返らせることに他ならない」
ピーター・ドラッカーの言葉だ。
「苦境に立たされたとき」、「もうこれまでと悲嘆にくれたとき」、そこにユーモアや笑いがあると、「もう一度やってみよう」というひそかな勇気が湧いてくる。
笑いは希望を引き寄せるからだ。

だから、悲しいときほど、苦しいときほど、ほほえみが必要だ。
引き寄せの法則にあるように、ほほえみは、ほほえみを引き寄せるからだ。

アルカイック・スマイル で有名な、京都広隆寺の弥勒菩薩半跏思惟像(みろくぼさつはんかしいぞう)。
苦しいときも、弥勒菩薩のようなほほえみを浮かべられる人でありたい
posted by Dr.モーリィー at 06:13| ちょっと気になる善い言葉 | 更新情報をチェックする

2018年02月23日

No 4502   【運のいい人は「おもしろそうかどうか」で決める】

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【運のいい人は「おもしろそうかどうか」で決める】

脳科学者、中野信子氏の心に響く言葉より…



やるべきかやらざるべきか、どちらを選ぶべきかなどで悩んだら、「それが自分にとっておもしろそうかどうか?」で判断するのもおすすめです。
選択に悩んだとき、人はとかくどちらが正解か、どちらが正しいかと考えがちですが、それをやめて「おもしろさ」を判断基準にするのです。

その理由のひとつは、そのほうが健康によいから。

正しいと思うことを義務感で渋々やるより、おもしろそうと思えることを嬉々とした気持ちでやったほうが人はしあわせでいられます。
イギリスのロンドンで行われた調査では、幸福を主観的に感じている人は、感じていない人よりも死亡リスクが35%低い、という結果が出ています。
この調査は52〜79歳の約3800人を対象に行われました。まずは被験者に複数の質問に答えてもらい、被験者一人ひとりの幸福度を評価します。

そしてその5年後に、被験者の状況を追跡調査したのです。
その結果、もっとも幸福度の高いグループの死亡率は3.6%なのに対し、もっとも幸福度の低いグループでは死亡率は7.3%と、約2倍の差が出たのです。
これに年齢や生活習慣などあらゆる要因を考慮して、35%という数字がはじき出されました。

ではなぜ、主観的に幸福を感じている人のほうが長生きをするのでしょうか。
その理由のひとつは、人の体内にある免疫系の物質で説明ができます。
人の体の中には、その人の心の調子によって変わってくる免疫系の物質がありますが、主観的に幸福を感じている人は、その物質のバランスがよくなるのです。
逆に主観的に幸福を感じていない人は、バランスが悪くなり病気になります。
心の調子によって変わってくる免疫系の物質の代表はナチュラルキラー細胞です。

「病は気から」といいますが、このほかにも、心のもちようが体の健康に与える影響は、あらゆる実験や研究から明らかになりつつあります。
健康には、しあわせと感じる状態を少しでも長く維持できたほうがいいのです。
そのためには、日々の選択の判断基準を「おもしろさ」に合わせるのもひとつの有効な方法です。
ところで、おもしろさを判断基準にするとよい理由は、そのほうがやる気が出るから、という面もあります。
人が「おもしろい!」「おもしろそう!」などと感じているときには、脳内の報酬系が刺激されます。
すると脳内の伝達物質であるドーパミンが分泌されます。
ドーパミンは「やる気」のもととなる物質です。

つまり、何かを選択して行動するとき、正しいかどうかで判断するよりも、おもしろさで判断したことのほうがやる気をもって行えるのです。
さらに、ドーパミンは中毒性があるため、やりはじめてうまくいくと「もっとやりたい」「もっとやってみよう」と気持ちが起こります。
正しいかどうかで決めたことと、おもしろそうかどうかで決めたこと、どちらの結果のほうがうまくいきそうかはいうまでもありません。
もちろん日々の選択のなかには、おもしろさより正しさを優先しなくてはならない場合もあるでしょう。
しかしとくに年齢を重ねると、とかく人は「おもしろいかどうか」という視点を忘れがちになります。
大阪大学医学部の大平哲也准教授の論文によると、子どもは一日平均300回笑いますが、大人は17回、70歳以上になると2回しか笑わなくなるそうです。

あなたは今日、何回笑ったでしょうか?
笑いを増やすためにも、何かを選択するときに「おもしろさ」を判断基準にするのは大事、といえそうです。

『科学がつきとめた「運のいい人」』サンマーク出版

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人生をおもしろがって生きる人と、つまらなそうに生きる人では、まわりに集まる人の数が圧倒的に違う。
おもしろがって生きる人のまわりに、人が集まるのは言うまでもない。
何事に対しても、おもしろがって生きている人は、明るくて、笑いがあって、機嫌がいい。

「人間の最大の罪は不機嫌である」と言ったのはゲーテだが、つまらなそうに生きている人は、不機嫌だ。
運は、人が運んでくる。
だから、まわりに人が集まらない人には運はやってこない。

「あなたは今日、何回笑ったか?」
いくつになっても、おもしろがって生きる人には限りない魅力がある
posted by Dr.モーリィー at 06:41| ちょっと気になる善い言葉 | 更新情報をチェックする

No 4501     【情報化社会は、フロンティア時代の復活】

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【情報化社会は、フロンティア時代の復活】

スティーヴ・チャンドラー氏の心に響く言葉より…


安定した大企業で定年まで働き、リタイアしてからは、それまで養ってきた家族や子ども、そして年金と貯金に頼って生きていく…。
こうした人生設計は、産業革命以降の時代に確立された。
こうした工業化社会のライフスタイルで、人はどんどん保守的になった。
そして冒険心を忘れてしまった。
工業化社会以前の開拓時代は、冒険とロマン、フロンティアスピリットが満ちあふれていた。
それはおそらく、あの時代、個人が自分の能力を生かしきって生きていたからだと思う。
開拓者たちは、自分で畑を耕し、料理をし、狩りをした。
そして65歳でリタイアしようなどとは夢にも思わなかった。
情報化社会は、フロンティア時代の復活だ。
年齢や社会的地位よりも、個人の能力が高く評価される時代が再びやってきたのだ。
たとえば、私の会社が中国に進出し、ソフトウェアを販売する計画を立てたとする。
そのとき中国語を流暢に話し、ソフトウェアにも詳しく、前向きなエネルギーのある人物を見つけたとする。
その相手が70歳だからといって、私は採用をあきらめるつもりはない。

マイクロソフトのビル・ゲイツは言った。
『マイクロソフトの資産はたった1つ。それは人の想像力だ』
マイクロソフトのすべての自社ビル、不動産、オフィスの備品といった物理的な資産、手で触れることのできる資産が、すべてなくなったとしよう。
マイクロソフトはいったいどうなるだろうか。
ゲイツの答えは「何も変わらない」だ。
なぜなら今日の世界では、会社の価値は、社員の思考力で決まるからだ。

個人の能力が重視される時代では、学校を卒業しても、勉強を続け、スキルを磨き、つねに新しい知識を身につける必要がある。
そうすることで初めて、あなたは新時代で求められる「有能な人」になることができる。

偉大なバスケットボール・コーチのジョン・ウッデンは、次のような生き方を勧めた。
『人生が永遠に続くつもりで学び、明日死ぬつもりで生きる』
職歴、学歴、人脈、コネ、勤続年数を頼りに、仕事を確保できる時代はもう終わった。
今の時代、重視されるものはたった1つしかない。
それは、現在持っているスキルだ。
そして、自分のスキルは、自分自身でコントロールすることができる。

これは新しいフロンティアだ。
かつては仕事を引退する年齢になると、今度は老後の生活の心配をしていた。
しかし今の時代、生涯にわたって勉強と成長を続ければ、いくつになっても社会にとって役に立つ存在でいられる。
未来について学ぶほど、その未来で価値のある存在になろうというやる気も高めることができる。

『自分を変える89の方法』ディスカヴァー

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サミュエル・ウルマンの詩がある。

「年を重ねただけで人は老いない。
理想を失うときに初めて老いが来る。
歳月は皮膚のしわを増すが、情熱を失うときに精神はしぼむ」

理想や情熱を失ったときは、好奇心も、挑戦する意欲も失い、そして、老いる。
情報化時代は、まさに混沌(こんとん)とした予測不能の時代。
一寸先が見えない混沌の時代は、勇気をふりしぼって、一歩前に歩みだすしかない。

情報化時代、いくつになっても好奇心を持ち、学びと、挑戦をやめない人でありたい
posted by Dr.モーリィー at 01:35| ちょっと気になる善い言葉 | 更新情報をチェックする

2018年02月22日

No 4500    ブログ祝4500回   HP280000アクセス

おいちゃんの 
Dr.モーリィーのよろず日記(おいちゃん日記) 4500回 達成

医療法人慈尊幸徳会 毛利歯科クリニック 公式ホームページ
通算アクセス数 28万アクセス 突破しました

歯科関係の情報、地域貢献のための情報などを 今後もアップいたします
今後ともよろしくお願いいたします

                毛利   拝
posted by Dr.モーリィー at 22:16| ライフワーク | 更新情報をチェックする

No 4499   七福保育所まもなくオープンです!


医療法人 慈尊幸徳会が 地域医療に貢献するための新しいチャレンジ

企業主導型 保育所が 3月1日にオープンいたします
スタッフの子供さんと地域の皆様のために
定員12名の 小さな保育所です

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場所は 毛利歯科クリニック 本院の隣のビル
NTTビルの 1階です 大通り側ではなく サンハイツ側です

お問い合わせは 090−8666−6255
 担当 毛利孝博(毛利歯科事務長)
posted by Dr.モーリィー at 21:32| クリニック情報 | 更新情報をチェックする

No 4498   【タ行たんたん 、ナ行ニコニコ 、ハ行ひょうひょう 、マ行もくもく】

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おいちゃんのお気に入りブログ【人のこころに灯をともす】からの転載です

【タ行たんたん 、ナ行ニコニコ 、ハ行ひょうひょう 、マ行もくもく】


聖書の中に「汝(なんじ)、なぜかなぜかと問いかけることなかれ」という言葉があります。

よく相談や質問をされる方は、「なぜ、なぜ」とおっしゃいますが、問いかけた瞬間に、問いや相談の形をとって、その現象を否定しています。

「なぜこんな病気に?」。
それは「病気が気に入らない」と言っています。

「なぜ夫がゴルフばかり?」。
「それはゴルフ好きの夫が気にいらない」と言っています。

自分の身の回りで起きていることについて問いかける必要はない。
それはそれでよし、と「受け入れる」。

「タ行 たんたん
ナ行 ニコニコ
ハ行 ひょうひょう
マ行 もくもく」

で生きていくと楽なのです。

《今現在、取り囲まれている状況をすべて受け入れる。現在も受け入れる。そして未来のことも全部受け入れる。そうやって、受け入れて感謝に変わった瞬間に、宇宙全部があなたを全面的にサポートする方向で動き出します》
《自分の口からでてくる言葉は、「言えば言うだけもう一度それを言いたくなるような現象が降ってくる」というのが、宇宙の法則です》

『宇宙を貫く幸せの法則』致知出版社

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小林正観さんはこう語る(本書より)。
『目の前に心を閉ざした人がいるとします。
あなた、氷のままではいけません、暖かい人になりなさいなんて一般的に気安くいえません。
方法論もなく効果のほども知らず、というのでは喧嘩(けんか)になるかもしれません。
でも、たった一つ方法があります。
「自分が太陽になる」ことです。
自分が北風のままであれば、その人の氷はいつまでも溶かせません。
自分が自分で太陽になる…、これは簡単です。
相手を変えるのではなく自分が変わるのですから。
小乗仏教でいう「自分が悟ればいい」のです。
自分が太陽になればそれでいいのです。
自分が太陽になれば、その結果、周りの人が安らぎを覚えて暖かくなり、楽しくなり、やる気が出てくるかもしれません』

これは病気に対する方法でも同じ。
病気を敵とみなし、敵に宣戦布告し、やっつけてやると息巻けば息巻くほど、敵はますます負けるものかと頑強に抵抗する。
喧嘩になって得することはない。

病気に喧嘩を売らなということは、病気を受け入れ「たんたん」、「ニコニコ」、「ひょうひょう」、「もくもく」とやっていくこと。
それが、「自分が太陽になる」こと
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2018年02月21日

No 4497   【自尊心が低い人は感謝できない】

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【自尊心が低い人は感謝できない】

M.J.ライアン氏の心に響く言葉より…


《あなたには価値がある》

冬休みの一週間、娘が大学の友人を自宅に招待した。
私はお客さまを迎える側として、ごく当たり前のことをした。
清潔なシーツとタオルを出し、ベッドの脇のテーブルに花を生け、お客さまの食事の好みを前もって調べておいた。
夕食の席では楽しい会話を心がけ、相手の趣味や家族、将来の夢や希望について、失礼にならない程度に尋ねた。

そして一週間が終わると、彼女は帰っていった。
感謝の言葉も行動も特になかった。
お礼の手紙も、プレゼントも、電話もなかったのだ。
もちろん私は、感謝されるために娘の友だちをもてなしたわけではないし、腹を立てているわけでもない。
むしろ、彼女の態度にとても興味があると言ったほうがいいだろう。
ああいうまったく感謝の気持ちのない態度は、いったいどうやって生まれるのだろうか。

娘にそのことを話すと、じつは娘もその友だちとのつきあいで苦労していることがわかった。
とても自尊心の低い人だという。
「彼女は自分の見た目に自信がないし、間違ったことを言ってしまったとよく気にするし、 自分は頭が悪い、おもしろくないと思い込んでいるの。
私はいつも『そんなことないよ』って励まさなければならないのよ」と、娘は不満をもらした。

それを聞いて、私は急に納得がいった。
あの若い女性は自分をあまりにも低く見ているために、誰かが自分のために花を生けたり、おいしい夕食を用意したりするなんて信じられなかったのだろう。
私のもてなしに気づかなかったのは、彼女自身が自分の価値に気づいていないからだった!

感謝の気持ちを持つには、何かを与えてもらったことに気づかなければならない。
その何かは、きれいな髪を持って生まれたことかもしれないし、タヒチへの旅行や、魅力的な 新しい仕事かもしれない。
感謝とは、贈り物を受け取ったことへの反応だ。
だから、自分が贈り物を受け取ったことに気づかなければ、感謝の気持ちも生まれてこない。
そして、自分に贈り物を受け取る価値があることに気づいていないときも、感謝の気持ちは生まれてこない。

自尊心の低さは、人から感謝という喜びを奪ってしまう。
自尊心の低い人には、与えられたものを置く場所がないからだ。

ただ生きているというだけで、私たちはいつでも贈り物を受け取っている。
それはもしかしたら、ただの新しい一日かもしれないが、とにかく受け取っていることに変わりはない。
そして私たちは、ただ生きているというだけで、十分に価値のある存在だ。

もしあなたが、自分の人生の中に贈り物を見つけることができずにいるのなら、自尊心を高める必要があるのかもしれない。
作家のマヤ・アンジェローは、オプラ・ウィンフリーとのインタビューで、なぜ数々の困難に見舞われながらも自分を信じつづけることができたのかと尋ねられた。
アンジェロ ーは、神に愛されていると気づいた瞬間から、自分を疑うことはなくなったと答えた。
神が愛してくれている自分を、どうして疑うことなんてできるだろうか、と。
あなたは、すべての贈り物を受け取る価値があるのだ。

『人生に奇跡を起こすたったひとつの教え』Discover

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自尊心が過剰に高いと鼻持ちならない嫌な奴になる。
しかしながら、自尊心がなければ、他人からもらう、愛情や、気づかいや優しさやほめ言葉を受け取ることができない。

家族や親しい人からの愛情をいっぱいに受け取って、心が愛で満タンになっている人は、良い意味での自尊心がある。
だから、他人から多少嫌なことをされたぐらいではグラつかない。
だが、子供の頃からあまり愛情を受け取ってこなかった人は、自尊心がとても低くなる。

自尊心という自分に自信がなければ、他人を思いやる余裕ができない。
そして、自分のことばかり考えてしまう、利己的な行動をとってしまう。
だから、感謝ができない。

どんな場面でも、感謝できる人は心が愛で満たされている人だ。
良き自尊心のある感謝多き人でありたい
posted by Dr.モーリィー at 06:34| ちょっと気になる善い言葉 | 更新情報をチェックする

2018年02月20日

No 4496    【人生、勝負は後半にあり!】

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おいちゃんのお気に入りブログ【人のこころに灯をともす】からの転載です

【人生、勝負は後半にあり!】

田中真澄氏の心に響く言葉より…


《人生、勝負は後半にあり! 能力開発は年齢不問》

潜在能力の開発は年齢不問です。
20世紀までは「人生は60歳までが勝負」の思いできましたが、平均寿命が伸び続ける長寿時代、「人生は65歳からが勝負」との考え方が必要です。
人生の勝負が後半に移って、定年以後の生き方が問われるのです。

65歳以後も活き活き生きるには、100歳まで生きる可能性に賭け、死ぬまで働く終身現役を目指すことです。
少なくとも定年後は、年齢不問の潜在能力の開発にどこまでも挑戦し、得意なことを仕事にしながら、己を高めていく生き方を選ぶべきです。

私たち凡人にとって怖いのは年齢情報です。
例えば還暦を迎えた人は「もう60歳」と受け止めても、「まだ60歳だ」とは思いません。

人間は、前向きに生きることを心掛けていれば、いくつになっても自分の能力は開発していけるのです。
そのことを教えてくれたのは日本の正確な地図を初めて作成した伊能忠敬です。
彼は千葉県佐原の大地主で醸造業を営む伊能家に17歳で婿養子に入り、49歳で家督を息子に譲るまで家業に専念し、伊能家を繁栄に導きました。
しかし彼が本当にやりたかったことは天文学と国土の測量でした。
そこで50歳で息子に家督を譲ると、江戸に出て、19歳も若い幕府天文方・高橋至時に弟子入りし猛勉強。
ついに至時が舌を巻く程の力をつけたのです。

そして55歳から73歳で亡くなるまで日本全国を踏破し、後半の人生を測量に傾けました。
伊能忠敬の後半の人生を知ると、勇気が湧いてきます。
好きなことを本気で続けていけば、年齢を超越して願望を達成できることを実感できるからです。

『田中真澄の88話』ぱるす出版

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「人生、勝負は後半にあり! 」とは、40代でも、50代でも、もちろん60代でも言えること。
少し小金が貯まったとか、家賃収入や年金があるからと、プチリタイアを目指す人は多いが、リタイアという言葉を発した瞬間にその人の成長は止まる。
色々なことに対する興味や好奇心が薄れ、社会との接点もなくなってくる。
つまり、呆(ぼ)ける道をまっしぐら。

若い頃から、人からの頼まれごとを気持ちよくやってこなかった人は、人生後半になっても頼まれごとはやってこない。
頼まれたときに、嫌な顔をしたり、引き受けるにしても何か一言テンションを下げるような嫌みを言う人には、二度と話をもっていこうとは思わないからだ。
「頼まれごと」とは、仕事はもちろんのこと、PTAや町内や、ボランティアや公的な役職などにおいて頼まれたことも同じ。
「頼まれごと」は、たいてい、面倒くさかったり、時間がとられたり、今までやってこなかった初めてのことも多い。

人生の後半に自分のやりたかったことをやる、夢の実現にチャレンジする、という選択ができる人は素晴らしい。
しかしながら、自分の夢がなくとも、人からの頼まれごとをあれこれ、ヘトヘトになりながらやり続けるという人生にも味がある。
人のために生きる「頼まれごと」の人生だ。
どちらの人生を生きるにせよ、「人生、勝負は後半にある」。

生涯現役で、いくつになっても成長し続ける人生を歩みたい
posted by Dr.モーリィー at 06:50| ちょっと気になる善い言葉 | 更新情報をチェックする

2018年02月19日

No 4495    季節の贈り物  旬の味  たんかん!

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毛利歯科クリニックの 冬の風物詩

たんかんの季節がやってまいりました

たんかんの本場、おいちゃんの生まれ故郷:世界遺産の島・屋久島で
名人達に こころを込めて育てられた”たんかん”
今回も贈答用 A級品100キロ、プレゼント用B級品 300キロ 購入しました

日頃お世話になっている方々へ、スタッフへ、患者様へ
少しばかりの お礼の気持ちです

柑橘系の中では世界一の糖度を誇る ”たんかん”
おいちゃんのおすすめの食べ方は
@冷蔵庫で冷やす
A包丁で6分割して食べる

温度で おいしさがかなり違います
とてもジューシーで皮が薄いので 普通のみかんのように
手で剥いて食べると 手がべたべたになりますよ

4分割6分割8分割してみましたが
6分割ぐらいが 美味しく綺麗に食べられるかと思います
ぜひお試しくださいませ

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posted by Dr.モーリィー at 23:36| クリニック情報 | 更新情報をチェックする

No 4494   【努力家で才能のある人が犯す過ち】

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おいちゃんのお気に入りブログ【人のこころに灯をともす】からの転載です

【努力家で才能のある人が犯す過ち】

斎藤一人さんの心に響く言葉より…


努力家で才能のある人は、同じように努力家で才能のある人を好みます。
そして、才能もなくて努力もしない人を見ると腹を立てるんです。
そういう人って、他人も自分と同じだと考える傾向があります。
他人の行動が自分と同じくらいにできないと、特に我慢できなくなる人が多いんだよね。
だから、ついつい「なぜ、言ったことができないの?」とか「なぜ、そんなことができないの?」と言ってしまうんです。
リーダーや上に立つ人には、必ずそれを支える人がいます。
けっして1人だ けでやっているわけではないんだよね。
誰かを支えている人って、例えるなら櫓の土台みたいなものなの。
注目されるのは乗っている人だけど、支える人がいるからこそ、安全が保障されています。
だから、上の人が下の人の悪口を言ったり、欠点ばかりを指摘したりしていると、その人たちが逃げていってしまって土台がなくなり、悪口を言った人は 櫓の高いところから落ちてしまうことになるでしょう。

カリスマ美容師みたいな人も、才能があって、努力もしたんです。
だから、それが当たり前だと思ってしまいます。
すると、それができない人に怒ったり、腹を立てたりしてしまうんです。

でも、そんなことを続けていると、ある日お店に行ったら「誰もいなくなってた」ということになってしまいますよ。
美容室って予約を取ってくれる人がいて、髪の毛を洗ってくれる人がいて、 片づけたりしてくれる人がいるからこそ、いろんなことが仕事として回っていくんだよ。
上ばっかり見ていると、そんな簡単なことがわからなくなるからね。

だから、「給料を払ってるんだから当たり前」とか「こんなことぐらい、言わなくてもやれて当たり前」じゃなくて、「ごくろうさま」とか「ありがとうね」とか「偉いね」って言って感謝をするの。
そうすると働いている人も「あのカリスマ美容師がこんな私にも感謝してくれた」って喜んでくれるんです。

どんな人でも自分のことを尊重されないと腹を立てます。
そして、尊重されると誰だって嬉しいんです。
自分の仕事がどうやって回っているのか。
上に立つ人間であればあるほど、ちゃんと考えなよ。

『大丈夫だよ、すべてはうまくいっているからね。』サンマーク出版

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「箱根山、駕籠(かご)に乗る人、担(かつ)ぐ人、そのまた草鞋(わらじ)を作る人」
という落語に登場する短歌がある。
「駕籠に乗る」という目立つ人がいるが、それを担ぐ人や、その担ぐ人の草鞋を作る人もいて、世の中は成り立っている。

世の中のことは、どんなに才能があろうが、自分一人でまわっているなどということはない。
必ず誰かに支えられている。
だからこそ、謙虚な気持ちで支えてくれている人たちに感謝しなければならない。
だが、それを忘れてしまって増上慢(ぞうじょうまん)になってしまっている人がいかに多いか。

誰に対しても謙虚な気持ちで、感謝を忘れない人でありたい
posted by Dr.モーリィー at 07:18| ちょっと気になる善い言葉 | 更新情報をチェックする

2018年02月18日

No 4493 マラソン日和 気分転換!

切羽詰まって 追い込まれたおいちゃんは
本日の予定に入っていた 福岡セミナーをキャンセルして
鹿児島マラソンのための調整というか
今年初めての 長めのランにチャレンジ

天気は 快晴
絶好のコンディション、目標は20キロでしたが
16キロで ひざ痛と 足に違和感を覚えたため リタイア

うーーん  大丈夫かな???
ま、2週間あるので あと3回は 走れるかな?
完走と5時間30分切りが 今回の目標ですが、、、

疲れ切った 身体を癒すために まずは近くの真砂温泉に
サウナ入って 冷水と 温泉で かなりリフレッシュ

次は 栄養補給のために これまた近くの ざぼんラーメンへ
野菜たっぷりちゃんぽん、餃子、唐揚げ小、半チャーハンで 満腹満腹

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久しぶりに ゆっくりと 昼寝をして 脳と筋肉の超回復を図る
夕方から 月に一度の ゴルフの打ちっぱなし練習へ
筋肉痛のため 1コインで終わる
その後は 読書、事務処理、オリンピックハイライト

いやーー久しぶりに 自分のためにフルに使った善き一日でした
大満足・大満足 充実感120%

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posted by Dr.モーリィー at 20:46| ライフワーク | 更新情報をチェックする

No 4492   【今、目の前にいる人を大事にすること】

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おいちゃんのお気に入りブログ【人のこころに灯をともす】からの転載です

【今、目の前にいる人を大事にすること】

小林正観さんの心に響く言葉より…

《今、目の前にいる人、目の前にあることが重要》

私たちの周りで起きているすべての現象、人生のあらゆる出来事に、〈重要なこと・重要で はないこと〉〈大きいこと・小さなこと)の区別は、実はありません。
というのは「小さいこと」の定義を言ってくださいと言われても、誰も答えられないからです。

何らかの現象について、そのときは、小さいこと、些細なことと思っていても、それがなければ、今の自分はなかった、ということを考えたら、(大きいこと・小さいこと)の区別は、つきません。
このことを、実際にあった状況を取り上げて説明しましょう。

私が出た高校の同級生の一人が、大学にも行かず、就職もしないで、とりあえずアルバイ トとして晴海のイベント会場でコーラの販売をしていました。
そのとき、コーラ売り場の前をアメリカ人の夫婦が通りかかり、70歳ぐらいの歳のご主人が足を滑らせて倒れてしまいました。
彼は自分の売り場の前ですから、走り寄って助け起こし、ケガの手当てをしたりとかいろいろ世話してあげたそうです。
そしたら、「あなたのような親切な人に、初めて会った」と、その夫婦は大変感激し、「実は、私たちは結婚して40年も経ちますが、子どもがいないのです。あなたさえよければ、 私たちの養子になりませんか」と言われました。
彼としては、別にほかにすることもなかったから「わかりました。いいですよ」ということで、アメリカに渡り、その夫婦の養子になりました。
彼はそこで英語を覚え、大学にも行かせてもらい、卒業してからは企業買収の専門家になりました。

今は日本に戻り、その分野で大手の外資系企業の社長をやっています。

コーラの販売をしていた、その前で人が滑った、その人を助けてあげた、これらはすべて小さいことのように見えますが、結果としては小さいことではありません。
因果関係がわかったときには、一つひとつがものすごく重要で大変な出来事だったと、気 がつくでしょう。

優先順位とか、出来事の大きい小さい、とかの区別がないことを、さらにわかりやすく説明します。
人生はドミノ倒しだと思ってください。
ドミノ倒しの如く、人は連続した瞬間を生き、最後の一個がパタッと倒れて、人生を終えます。
これらのドミノは、すべて同じ材質で、同じ厚さで、同じ形状です。
大きい小さいは ありません。
重さも全部一緒。
それが一個ずつ、ただ淡々と倒れていくだけです。

自分の目の前に現れる人が、小学生であろうが、中学生であろうが、大人であろうが、大会社の社長であろうが、出会う人は全部一緒です。
それを一緒だと思えるかどうかに、その人の人間性が表れます。
社会的な地位や権力といったものを背負ってるかいないかで人を見るのは、まだ自分の中で本質的なものが形成されていないからです。
出会うすべての人、どんなに些細に見える行為も、人生を成り立たせるうえでは、どれも 必要不可欠なことであり、ドミノの一個一個が同じ価値だということに気がつくと、何も怖くなくなります。

人生で最も大事なのは、今、目の前にいる人です。
一人ひとりをきちんと受けとめていくことで、その後の人生を組み立てていける、ということです。
この一個一個のドミノ、それ自体が結果であり、次のドミノを倒す原因になっています。
倒れた「私」が、また次のドミノを倒していく。

今、目の前にいる人を大事にすること が、私の未来をつくっていくのです。
人生は、その繰り返しのように思えます。

『神さまに好かれる話: 悩みを解消する法則 (単行本)』三笠書房

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「人間万事塞翁が馬(じんかんばんじさいおうがうま)」という中国の故事がある。
幸福だと思ったことが災(わざわ)いだったり、災いだと思ったことが幸福だったりする。
人生の幸不幸は予測ができない。
だからこそ、様々なできごとに、一喜一憂してはいけないということ。

有名人や成功者に出会ったから運がよくなるわけでもなく、通りすがりの名も知らぬ老人に出会ったことが、あとで考えると幸運の始まりだった、ということもある。
運は人が運んでくる。

実践の哲学者森信三先生の言葉に、
「人は一生のうち逢うべき人には必ず逢える。しかも一瞬早過ぎず一瞬遅すぎない時に」
というものがある。

縁(えん)は絶妙なタイミングで我々にやってくる。
ただし、その縁を大事にするかどうかだ。
有名人だから大事にするとか、無名の人だからないがしろにする、というのでは良縁はやってこない。

今、目の前にいる人を大事にする人でありたい
posted by Dr.モーリィー at 07:27| ちょっと気になる善い言葉 | 更新情報をチェックする

No 4491    京セラ国分工場見学

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鹿児島大学 稲盛経営アカデミーの学外研修プログラムで
おいちゃん 初めて京セラ国分工場を訪問いたしました


京都本社と 国分工場にしかない ファインセラミックス館も見学しました

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稲盛名誉会長の歴史・京セラの歴史 まだまだ知らないことが多かったです
野元浩一郎 京セラ国分工場長の 熱いメッセージに感動いたしました

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京セラ国分工場の皆様、アカデミーの先生方、関係者すべての方々に
感謝・大感謝でした

学んだことを少しでも 当医療法人でも実践できるように
世のため 人のために 精進いたします 頑張ります
posted by Dr.モーリィー at 06:38| ライフワーク | 更新情報をチェックする

2018年02月17日

No 4490   【どんな不幸を吸っても、吐く息は感謝に】

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おいちゃんのお気に入りブログ【人のこころに灯をともす】からの転載です

【どんな不幸を吸っても、吐く息は感謝に】

渡辺和子氏の心に響く言葉より…


私どもの大学の正面玄関に、プロテスタントの牧師、河野進さんが書いてくださった、一つの小さな詩がかけられております。

天の父さま
どんな不幸を吸っても
吐く息は感謝でありますように
すべては恵みの呼吸ですから

学生でいるあいだは不幸の息をあまり吸わせないように、先生たちが配慮をいたします。
しかしながら、卒業をして、その正面玄関を背にして出ていけば、その先にある職場、結婚生活、社会には、往々にして思いもかけないような不幸がたくさん漂っている空気が待ち構えています。
生きていくためには、その空気を吸わなければなりません。
思わぬ不幸を吸い込んでしまったとしても、それをそのままで、吐き出す人になってほしくない。
さらに増幅して、大きな不幸にしてほかの人に吐きかけるような人になってほしくない。
それを感謝に変えて吐き出す人、それがある意味で本当に強い人であり、本当に優しい人だと思います。
ほかの人が吸う空気を汚さない、その強さと、ほかの人を思いやる優しさを学生たちに身につけて欲しいと願っています。

しかしながら、それは決してやさしいことではありません。
私たちが生きていくうえで、この不幸の息をどうしても吸い込んでしまうとしたら、人のせいにしないで、むしろその不幸を自分の中で感謝に変えていく。
そしてそれは、真珠がつくられていくのと同じプロセスだと私は思うのです。

真珠貝というものは、自分にとってあまり望ましくない異物が入ってきたときに、それをいやがって吐き出してしまわないで、その異物の刺激により分泌される液で、異物そのものを軟らかく、そして固く包んでいきます。
それを繰り返し大きくなったものが、真珠になるのです。
同じように、私も自分の生活の中に入り込んでくる異物、不幸を受けとめて、私しかつくれない真珠を自分の一生涯をかけてつくっていきたいと思っています。

苦しいこと、いやなこと、私たちにとってマイナスの価値しか持たないもの、それは必ずしも悪いものではありません。
それがなかったら真珠がつくれないのです。
それがなかったら感謝の息が吐き出せないのです。
そう思うときに、もしかすると、私たちの生活の中にいやなもの、苦しいこと、そういうものがあっても、それを受けとめて自分なりに、自分しかつくれない真珠に変えていける、そのことを、ありがたいと思って生きなければいけないのかもしれないと思います。

毎日の忙しい生活の中で、私たちが木を切る手を休めて斧を見つめるということは、ふだん気づかない、しかしながら身の回りにたくさん転がっているありがたいものをありがたいと気づくゆとりを持つ、ということかもしれないと思います。

『現代の忘れもの (Nature of Nursing)』日本看護協会出版社

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「不幸は感謝のかくし味」
断食をしたあとの、食事のおいしさは格別だ。
それが、なにも味のないただのお粥(かゆ)であったとしても、この世にこんなに美味しいものがあったのかと思うほど。
「空腹は最高の調味料」という言葉があるが、空腹があるからこそ、食事をしたときの喜びを感じることができる。

これは、「病気が治ったとき、しみじみと健康のありがたさを感じる」というのと同じ。
病気や、不幸という(世間一般でいう)負の部分があるからこそ、健康や幸福を感じることができる。

つらいことや困難に出会ったとき、不平不満、愚痴、泣き言、文句を言ってまわりの人のテンションを落とすのか。
逆に、どんなに現在不幸にであっても、まわりに感謝し、周囲を明るくする人であるのか。

「どんな不幸を吸っても、吐く息は感謝」の人でありたい
posted by Dr.モーリィー at 07:06| ちょっと気になる善い言葉 | 更新情報をチェックする

2018年02月16日

No 4489    【超AI時代の生存戦略】

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おいちゃんのお気に入りブログ【人のこころに灯をともす】からの転載です

【超AI時代の生存戦略】

筑波大学助教・メディアアーティスト、落合陽一氏の心に響く言葉より…


iPhoneが発表されて2017年の1月9日で10年になった。
21世紀初頭の10年間で生活をもっとも大きく変えたもの、それはスマートフォンだったと思う。
スマートフォンの普及による結果、人はインターネット上に第二の言論・視聴覚空間を作り、住所を持ち、SNSを生み、社会を形作った。
言うなれば人はデジタル空間にもう一度生まれた。

今、常時回線に接続された人々は、この世界を旅し、この星を覆(おお)い尽くそうとしている。
その結果、ありとあらゆる景色や言論が今インターネットの上に集まりつつある。
そういったIOTによる技術革新は私たちの生活習慣と文化を不可逆なほどに変えてしまった。
誰とでも連絡がつき、待ち合わせの場所と時間を厳格に決めずとも人と会うことができ、道に迷うことがなくなり、どこでも時間を潰(つぶ)すためのコンテンツを入手できるようになった。
日々、消費できないほどのコンテンツがインターネットの向こうに蓄積されている。

見ているもの、聴いているもの、考えたこと、その日の景色から今いる場所、購入した商品に至るまで、人の様子は瞬時に共有できるようになった。
この地上で、誰もが発信者であり表現者となった。
ヒトが次なる目線、デジタルヒューマンとしての視座を手に入れるのに必要だったものは、明らかにインターネットとオーディオビジュアルで接続できる第二の目と耳であった。

映像の世紀は、コンピュータという、コードで記述された魔術的ブラックボックスによって、そして個人の手の中に握ることのできるサイズで拡張された。
そのダイナミックな変化がわずか10年でなされたのだ。
そしてその変化の速度はあまりに速く、その制御機構はあまりに難解なため、そこにある仕組みを理解するには難しく、一部の修練された人間にしか理解できないということ。
日常にもたらされる奇跡とブラックボックス化の断絶が今後ますます、様々な社会変化をもたらすだろう。

『超AI時代の生存戦略 ―― シンギュラリティ<2040年代>に備える34のリスト』大和書房

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落合氏は『超AI時代の生存戦略』としては、《 ブルーオーシャンを探すクセをつける 》ことが大事だと言う(本書より)。

『ブルーオーシャンな考え方というのは、他人と違うことをやっていくということを基本にすることだ。
また、自分しかそれをやっていないけれど、それが正しいと信じることだ。
つまり、ブルーオーシャン的な思考をするのは、競争心とは真逆の考え方である。
競争心を持ち、勝つことをくり返すのがレッドオーシャンだったら、ブルーオーシャンは黙々と、淡々とやることだ。
ここで重要なのは、「競争する」というゲームが決まると、データさえあれば機械のほうが強くなるということだ。
競争をするということは同じ土俵にいる、つまり勝負するための要素が決まるから、要素が決まると機械はデータから計算可能なので機械のほうが強くなる。
それはチェスや将棋の例を見ると明らかだ。
けれど、ブルーオーシャンの考え方で、何をやるかが決まっていない状況では人間は機械に十分勝てるということだ。
この戦い方を身につけるためには、競争心は非常に邪魔になってくる。
だから、これまで言われている競争心、つまりレッドオーシャンな考え方は捨てて、自分で信じた道を淡々とやっていって、その中で自己実現もしくはストレスフリーな環境をいかに実現していくかということが重要になってくる。
なので、サーベイ(調査や測量)は、これから先、ビジョンと同様に大事だ。
たとえば「今、誰が何をやっているか」ということをインターネットで調べれば、だいたいすぐにわかる。
今、この世界で誰が何をやっているのかを調べ続けるという作業が、絶対に必要だ。
自分がやっていることに近しい分野のことは、よく知っておかなくてはいけない。
だから、「先を越されたから」とか、「先を越されそうだ」ということを考えるクセは根本からなくしていこう。
サーベイをして同様の事例があれば、そこから先に自分がどういう価値を足せるのかを考えるというマインドセットでいけばいいだけだ』

洋の東西を問わず、またいつの時代であっても、商売成功のコツは「人のやらないことをやる」ということ。
投資の格言である「人の行く裏に道あり花の山」だ。
他人のやらないこと、反対のことをやることこそが、宝の山を見つける道。

まさに、それが「ブルーオーシャン戦略」。
競争の激しい既存のマーケットは、限りなく価格を安くしたり、次々と新しい機能で競ったりして、血みどろの戦いになるのでレッドオーシャン(赤い海)という。
まだ知られていない、未開拓の競争のない市場をブルーオーシャン(青い海)という。

どんなときも、ブルーオーシャンを探すクセを身につけたい
posted by Dr.モーリィー at 08:47| ちょっと気になる善い言葉 | 更新情報をチェックする