2017年12月31日

No 4422 年越しの夜

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今年も一年間 公私ともども
目標を決め 一所懸命 走ってきました

善いことも 悪いことも
うまくいくこともいかないことも
たくさん経験しましたが

すべてが 今後の糧になることでしょう

万象肯定  万象感謝

陰徳陽報

如意吉祥  開運招福  心身健勝

こころ穏やかに  こころ豊かに

皆様も 善い年をお迎えください

追伸)久しぶりに 紅白を生で見ております
   今から 行衣に着替えて 平川最福寺に行き
   深夜零時からの 元旦初護摩に 参座致します

   世のため 人のために 祈ってまいります!

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No 4421   最新ぶろぐ更新情報!

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最新ぶろぐ更新情報です!
毎日のおいちゃんのお気に入りぶろぐ「人のこころに灯をともす」からの転載をはじめ
日記代わりに ボケ防止に ははは! ぶろぐを更新しております
時間あるときにでも 覗いてくださいませ

こころ穏やかに  こころ豊かに
    合掌    ひで坊  拝


No 4418    大忘年会2017
http://mouri-dc.seesaa.net/article/455865903.html

No 4417    大掃除2017
http://mouri-dc.seesaa.net/article/455863816.html

No 4407   七福保育所
http://mouri-dc.seesaa.net/article/455684710.html

No 4400    4400回達成!
http://mouri-dc.seesaa.net/article/455535013.html

No 4396    第三回 JK七福杯 
http://mouri-dc.seesaa.net/article/455467253.html

No 4387   年末恒例行事B   山田和子ジャズダンス 発表会
http://mouri-dc.seesaa.net/article/455306695.html

No 4386 年末恒例行事A  桜島マラソン
http://mouri-dc.seesaa.net/article/455305923.html

No 4384 年末恒例行事@  忘年会
http://mouri-dc.seesaa.net/article/455305168.html

No 4367    稲盛和夫さん鹿大へ100万株を寄付(80億円)
http://mouri-dc.seesaa.net/article/454928283.html

No 4365    屋久島七福神 2017
http://mouri-dc.seesaa.net/article/454916373.html

No 4349    イルカ水路
http://mouri-dc.seesaa.net/article/454681855.html

No 4347    最新ぶろぐ更新情報
http://mouri-dc.seesaa.net/article/454651284.html
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No 4420    【自分がいかにありがたい状況に生きているか】

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おいちゃんの お気に入りブログ 【人のこころに灯をともす】からの転載です

【自分がいかにありがたい状況に生きているか】

小林正観さんの心に響く言葉より…


生れてからずっと目が見えいない人は、「1秒でもいい、いや0.1秒でもいいから、親の顔を見てみたい」「結婚した相手の顔を見てみたい」「子どもの顔を見てみたい」と思いながら生きているそうです。
私たちは、0.1秒どころか、生まれてこのかた目が見えないことなどないにもかかわらず、目が見えるということに対して、感謝することなどまずありません。
それどころか、「あれが欲しい」「これが欲しい」「あれをよこせ」「これをよこせ」と現状に対して不満ばかり口にしています。


私たちは小さい頃から、足りないものをリストアップして、それを手にいれなければ幸せになれないと教え込まれています。
そのように洗脳されているのです。
それを、「夢と希望に満ちあふれた生活」といいます。

それに対して、私は「夢と希望もない生活」を送っています。
夢も希望もない代わりに、悩みも苦しみも煩悩(ぼんのう)もありません。

私は酒もタバコも麻雀も、娯楽といわれるものは何もしませんし、休みもほとんどありません。
「何が楽しくて生きているのですか?」とときどき尋ねられることがありますが、「ただ幸せをかみしめて」生きている。

「自分がいかに恵まれているか」「自分がいかに幸せか」「自分がいかにありがたい状況に生きているか」ということに気づいたら、「不平不満・愚痴・泣き言・悪口・文句」の「五戒」など口から出てきません。
願いがかなったら、望んだものが手に入ったら感謝する、というのは、本当の感謝ではありません。
何も要求することなく、不平不満を言うこともなく、いま目の前にあるものをありがたく味わう。
それこそが、本当の「感謝」なのです。

人は、自分がいかに幸せな状況のなかで生きているかに気がつきません。
それは、海で泳いでる魚は、海を見ることができません。
それで「自分も海をみてみたい」と思い、釣り人が垂れている釣り糸にガブリ!とかぶりつくのです。
すると海の上に引っ張り上げられる。
それで初めて、魚は海というものを見ることができるのです。

釣り上げられた魚が「私」なら、釣り上げた人とは「神さま」。
釣り上げられた状態は何かといえば、「事故、災難」。
海とは、「幸せ」そのものです。
神さまに「幸せというものを見せてください」と言うと、神さまは「わかりました」と言って、災難や事故というものを起こして、私たちを釣り上げてくれます。

かぜをひいて、丸1日何も食べられなかったら、かぜが治ったときに食べた1杯のおかゆがとてつもなくおいしく感じられるでしょう。
元気いっぱいで毎日おいしいごちそうばかり食べていたら、おかゆのおいしさはなかなかわからないでしょう。
では、かぜで丸1日食べられなかったことは、はたして不幸なことだったのでしょうか?
そうとはいえないでしょう。
その体験があったからおかゆのおいしさ(幸せ)を味わうことができたのです。
私たちが「幸せ」を感じるためには、その前には一般的に「つらい、苦しい、大変」といわれる状況が起こるようです。
そういう構造になっている。

そのことに気づいたら、私たちはつらいこと、苦しいこと、大変なことに遭遇したときも、一喜一憂せずに、平静な心でいられるかもしれません。

『人生は4つの「おつきあい」』サンマーク出版

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人は、「失って初めて、その大切さに気づく」という習性がある。
それは、両親だったり、恋人だったり、健康だったり、する。
当たり前の日常が、いかに大切な日々だったのか、いかに有り難かったのか。
やっかいなことに、それを失ってみないと気づかない。

「ありがとう(有り難う)」の反対は、「当たり前」だと言われる。
目が見えることも、耳が聞こえることも、話しができることも、本当は、当たり前ではない。
有ることが最も難しいことなのだ。
奇跡のようなこと。
そのことに気づいたとき、当たり前のように過ぎていく日常には感謝しかなくなる。

それは、自分の体に対しても同じ。
寝ている間も動いてくれている心臓や肺、ありとあらゆる臓器は文句もいわず365日休みなく動いてくれている。

自分がいかにありがたい状況に生きているか、に気づける人でありたい
posted by Dr.モーリィー at 07:14| ちょっと気になる善い言葉 | 更新情報をチェックする

2017年12月30日

No 4419    【クリスマス・キャロル】

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おいちゃんの お気に入りブログ 【人のこころに灯をともす】からの転載です

【クリスマス・キャロル】

ゲアリー・ケラー氏の心に響く言葉より…


クリスマスをはじめ、人々に幸せをもたらすあらゆるものを嫌悪している、無慈悲で、しみったれで、どん欲で、守銭奴の代名詞のようにいわれる男スクルージ。
チャールズ・ディケンズの名作『クリスマス・キャロル』の主人公、エベニーザ・スクルージだ。

あるクリスマスイヴのこと、スクルージのもとにかつての共同経営者ジェイコヴ・マーレイの亡霊が現れる。
マーレイは嘆き悲しんで言う。
「私が今夜ここに来たのは君に警告するためだ。
君にはまだ私のような運命を免(まぬが)れるチャンスも希望もある。
いずれ3人の精霊が君のもとに現れるだろう」

やがて精霊たちがやってきて、スクルージの過去、現在、未来を見せる。
それはぞっとするような経験で、翌朝目覚めても、彼の動揺はおさまらなかった。
めまいを感じながらも、彼はまだ運命を変えるだけの時間があることに気づく。

通りに飛び出すと最初に出会った少年に、市場で一番大きな七面鳥を買って、彼のたった一人の使用人ボブ・クラチットの家に名前を伏せて届けるように頼む。
また、以前貧しい人のための施(ほどこ)しを懇願されてはねつけた紳士に会うと、すぐに許しを乞い、多額の寄付を約束する。
最後に甥の家に行き、長いあいだ自分が愚か者だったことを詫び、祝祭の晩餐の招待を受け入れる。
甥と妻と客たちは、彼が心から喜んでいる様子にひどく驚く。

翌朝、クラチットが遅刻して出勤してくると、スクルージが待ちかまえていて、いつものように怒鳴る。
「こんな時間に来るなんてどういうつもりだ?もう我慢ならない!」しかしスクルージの次の一言を聞いて、クラチットは耳を疑う。
「だから、君の給料を上げようと思う!」

その後もずっと、スクルージはクラチット一家の力になる。
クラチットの末息子で病弱なティムのために医者を見つけ、ティムの第二の父ともいえる存在になる。
彼は残りの人生を他人につくすことに時間とお金を費やしながら生きていく。

マーレイの亡霊が現れたあとスクルージはどうなったか?
彼の目的は変わり、それが最優先事項を変え、その結果、生産力を向ける対象が変わった。
マーレイのおかげで、スクルージは新たな目的の力、変化を引き起こす力を身をもって知ったのだ。

物語が終わるころには、スクルージの目的はもはやお金ではなく、人間になっている。
人との交わりに幸せを感じ、なんとか救いの手を伸ばそうとする。
お金をため込むことより人を助けることに価値を見出し、お金は人のために役立ててこそのものだと考える。

どんな人間か、どこへ行こうとしているのかによって、その人が何をし、何をなしとげるかが決まる。
目的を持って生きる人生は、どんな人生よりも力強く幸せである。

『ワン・シング 一点集中がもたらす驚きの効果』SBクリエイティブ

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「クリスマス・キャロル」は、ディケンズが1843年に書いた最初の小説だ。
当時の英国は、産業革命の始まりで、失業者の増加や、スラム街の発生、長時間労働や児童労働、食糧暴動や、機械打ちこわし暴動等々、様々な都市問題が毎日のように起こっていた時代だ。
そんなとき、このクリスマス・キャロルは発売され、大ベストセラーとなった。
そして、その後、このスクルージのように、改心する人間が続出したという。

人の生き方にとって、もっとも大事なことは、その方向性だ。
どちらを目指して進んで行くかによって、人は全く違った道を歩んでしまう。
己の欲のために生きるのか、人の喜びのために生きるのか。
意欲が強ければ強いほど、間違った方向性を目指すなら、その崩壊のスピードは早まる。

我々はいったい、どこを目指しているのか、どんな人生を歩もうとしているのか。
人の喜びのために生きる人は幸せだ
posted by Dr.モーリィー at 07:20| ちょっと気になる善い言葉 | 更新情報をチェックする

2017年12月29日

No 4418     大忘年会2017

大掃除の後は 場所を移動して 大忘年会へ

雰囲気をどうぞ

幹事さんの頑張りや 幹部スタッフの 挨拶やイベントで
とても盛り上がりました

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今回は 頑張っているスタッフに美味しいものを食べてもらおうと
おいちゃん 奮発しました
レンブレントホテルの 特別メニュー
夏のイベントで とても美味しかったので
スタッフのために 冬バージョンを特別に作っていただきました

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楽しんでいるスタッフです

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恒例の 誕生会も

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恒例の抽選会は 笑いすぎて 大変でした

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2次会は ぎゃらりーに移動して 誕生会へ

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おいちゃん、疲れがたまっていたのか
1次会の ビール 日本酒 焼酎で ダウン
2次会は みんなの嬉しそうな楽しい声を
子守歌に ギャラリー横の部屋で 休憩・仮眠
静かになったので 移動すると 片付けが始まっておりました ははは

みんな かなり飲んでいたのか?
片付けが終わって 帰ろうとすると
おいちゃんの靴がない???

すると 1つ サンタさんからの贈り物?
上等な靴が置かれてありました???
酔ったスタッフが 履き間違えていったようでした ははは

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善き思い出になりました

全体集合写真がありません
飲み過ぎて 忘れてしまったようです ははは

来年も 笑って 忘年会を迎えられるように 頑張ります

より善いクリニック創りのために
地域医療に貢献するために
スタッフ一同 精進いたしますので
新年も よろしくお願いいたします

皆様も 善きお年を迎えられますように 祈念いたします
posted by Dr.モーリィー at 20:37| クリニック情報 | 更新情報をチェックする

No 4417     大掃除2017

毛利歯科クリニック 年内の診療は 28日の午前中まで

午後は 器械に・設備に・空間に
今までの感謝の気持ちを込めて
スタッフ全員で 大掃除・大掃除

ピッカピカになりました
感謝・大感謝です

レセプト準備完了後 大忘年会の会場へ移動です

大掃除の雰囲気をどうぞ

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No 4416   【笑いこそ、人間の持つ「唯一、かつ強力な武器」】

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おいちゃんの お気に入りブログ 【人のこころに灯をともす】からの転載です

【笑いこそ、人間の持つ「唯一、かつ強力な武器」】

ライフネット生命保険会長、出口治明氏の心に響く言葉より…


《よく笑い、よく眠る。悩みの7割はそれで解決》
…笑いこそ、人間の持つ「唯一、かつ強力な武器」。

たとえば、今の日本において、とくに仕事や公式の場では、ひたすら「真面目」が尊ばれ、「笑い」や「おふざけ」や「いたずら心」などの遊び心はタブー視される傾向があります。
しかし、あらゆるイノベーションの生まれる素地は、じつはこうした遊び心からなのです。
逆に、青筋を立ててひたすら「真面目にせなあかん!」となったら、ロクなことになりません。
視野が狭くなり、四角四面な発想しかできなくなります。

いい例が、東日本大震災のときのわが国の首相の対応です。
あのとき、首相は官邸のソファに寝泊まりをして、飲まず食わずで指揮をとっていた。
非常事態においては、大将は、しっかり眠り、たっぷり食べて、心身ともに健康な状態でいなければならない。
でないと、適切な判断ができません。

ところが、彼はその真逆をやっていたのです。
「みんなががんばっているのだから、俺もがんばらなあかん」と思ったのかもしれませんが、発想が逆です。
睡眠不足で、食事もロクにとらなければ、イライラしますし、怒鳴りたくもなるし、判断もブレやすくなります。
それで国を左右する判断をしようとしていたのですから、恐ろしいものです。

仕事でもプライベートでも、深刻にならないほうがいい。
落ち込むことがあったら、仲のいい友達や、あるいはパートナーとおいしいものでも食べて、ゲラゲラ笑って、あとはぐっすり眠れば、悩みの7割くらいは解消できます。
講演会などで、「人生落ち込んだときの過ごし方をアドバイスしてください」という質問にはいつもこう答えているのですが、質問者の方からは「僕は真面目に質問しているんですよ」と言われたりします。
でも、これは私の真面目な答えなのです。
もしかすると質問者の方は、「この本を読んだら元気になる」といった具体的かつ安直な答えを期待されていたのかもしれません。

でも、疲れていたら本すら読めません。
本を読むにも体力が必要なのです。
それより、たくさん食べて、大いに笑って、ぐっすり眠ったほうがいい。
そして、スッキリしたら、翌日からまたゼロクリアして一所懸命働くほうがいい。
真面目に考えすぎるのは不幸の元なのです。

『人生の教養が身につく名言集 (単行本)』三笠書房

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真剣さと深刻さは違う。
真剣さは必要だが、深刻さはいらない。
深刻になった途端、柔軟さがなくなり、物事の判断が鈍(にぶ)るからだ。

同様に真面目なのはいいが、真面目過ぎるのはダメ。
ルールを守るとか、誠実であるとか、嘘をつかないという真面目な資質はとても大事だ。
しかし、それが行き過ぎると、ゆるしや、寛容さ、といった「しなやかさ」がなくなってくる。

笑いは、ゆるしであり、共感であり、肯定だ。
状況が厳しければ厳しいほど、ユーモアや笑いが必要だ
posted by Dr.モーリィー at 08:50| ちょっと気になる善い言葉 | 更新情報をチェックする

2017年12月28日

No 4415    【ときには「我」も必要】

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おいちゃんの お気に入りブログ 【人のこころに灯をともす】からの転載です

【ときには「我」も必要】

精神科医、斎藤茂太氏の心に響く言葉より…


「人の集まり」の中で活動するときは、「我」は捨てたほうがいいもののひとつだろう。
いつも「我」を出していると、「自分勝手」「傍若無人」「わがまま」などの、ありがたくない評価をちょうだいし、ケンカの火種となりやすい。
たくさんの人たちの中でうまくやっていこうと思ったら、人と折り合ってゆく努力をしなければならない。

ただし、「我」は捨てたほうがいいけれど、完全に捨て去ってはいけない、とひと言つけ加えておこう。
「過剰適応」という言葉がある。
我を捨てて、周囲に自分を合わせようとがんばり過ぎた結果、心身の健康に支障をきたすようになる…心の病のひとつだ。

人と一緒にいるときは元気にふるまっているが、ひとりになるとどっと疲れ、不安感につきまとわれ、わけもなくイライラして、ひどくなると夜眠れなくなり、頭痛や動悸がおこり、息苦しくなり…ひと口でいえば、自律神経の働きに問題が生じてくるのだ。
とくに日本人は、この過剰適応を起こす傾向が強いようだ。
それは日本が前にならえ、横にならえの社会であることが大いに関与していると思う。

ちなみに過剰適応を起こしやすい性格的な特徴は、次のようなものだ。
「人に好かれたい、いい人でありたい、という気持ちが強い」
「人の言葉や流行、マスコミなどに影響を受けやすい」
「がんばり屋さんで、神経質」
「リラックスして人と接することができない。緊張する」
「趣味がない。自分ならではの世界や楽しみがない」

もちろん人とうまくつき合い、世の中と上手に折り合うことは大切だ。
しかし、心のどこかに「私は私よ、みんなが私と違う考えを持っていたとしても知ったことじゃない。ほっといてよ」という心境を持たなければならない。
これを口に出して表明せよ、というのではない。
そういう「我」は、心の中に納めたまま、大切にしてほしい。
刃を鞘(さや)に納めるように、である。

『「捨てる」「思い切る」で人生がラクになる (WIDE SHINSHO 211 (新講社ワイド新書))』

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『ピカソは、「オレの絵をどう思う?」などとは聞かなかった。
「オレの絵をどう思うかは、おまえの勝手だ」と言っていたという』(同書より)

我々はつい、人の評価や評判を気にし、ちょっと批判されたくらいで、クシュンとなってしまいがちだ。
いい人でいたい、という思いが強いからだ。
しかしながら、全ての人に好かれることなど絶対にできない。
普通は、5割の人に好かれれば、5割の人には好かれない。
どんなに人格者であろうと、批判者は常にいる。

ときには「我」も必要だ
posted by Dr.モーリィー at 05:59| ちょっと気になる善い言葉 | 更新情報をチェックする

2017年12月27日

No 4414    【マイナスの価値しかないと思えることさえにも、意味を見出して感謝する】

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おいちゃんの お気に入りブログ 【人のこころに灯をともす】からの転載です

【マイナスの価値しかないと思えることさえにも、意味を見出して感謝する】

渡辺和子氏の心に響く言葉より…


女子学生たちと五十年以上接していて気がつくことは、この年頃の人たちの多くが、愛に必要なのは、すばらしい対象に出会うことだと考えていることです。
それも決して間違いではないのですが、その対象が「すばらしさ」を失った時にも、果たして愛し続けることができるかどうか、ここに「愛の本質」が問われています。
健康だった相手が病気になってしまった時も、前途を嘱望(しょくぼう)されていた相手が挫折にあった時にも、その人を愛し続けることができるかどうかは、私たちが自分の中に、「愛する力」を養い育てているかどうかに、かかっているのです。

エーリッヒ・フロムが『愛するということ』という本の中で、「愛するということは、単なる熱情ではない。それは一つの決意であり、判断であり、約束である」ときびしい言葉を述べているのも、この愛の本質を指摘したものと言えるでしょう。
ふだんからピアノの練習もせずに、立派なピアノを見つけさえすれば、上手に弾けると思ったり、絵を描く練習もせずに、ひたすら美しい景色を探している人にも似て、ふだんから「愛する」練習をしないで、すてきな人との出会いを待っていては、いけないのです。

愛する力を育てるためには、まず私たちが毎日の生活の中で「当たり前」と考えていることや、人、物を「有り難い」と、感謝の気持ちで受けとめることが大切です。
マイナスの価値しかないと思えることや、不幸、災難、苦しみにさえも意味を見出して、これまた「有り難い」と感謝できる時、私たちは愛すべきものを随所(ずいしょ)に持ち、愛し難い人さえも、その人の存在そのものの価値を認める、愛深く幸せな人間になれるのです。

『幸せはあなたの心が決める』PHP研究所


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昔の人は、「一緒に苦労してくれないか?」とプロポーズして結婚したという。
今の人は、「一緒に幸せになろう」と言って結婚する。

一緒に苦労するのが前提なら、二人で苦労することは何ともない。
しかし、幸せになろうと言って、苦労することになってしまったら「話が違う」ということになる。
昨今、離婚が増えているのは、こんな理由もあるからではないか、と。

日常の中で、当たり前の幸せに気づける人は、普段から苦労することを厭(いと)わない人。
苦労が前提だから、ちょっとした幸せにも気づくことができる。

物事はうまくいかなくて当たり前、と肚をくくると、ほんの少し成功しただけで感謝できる。
スタートラインを低くとることはとても大事だ。

マイナスの価値しかないと思えることさえにも、意味を見出して感謝できる人でありたい
posted by Dr.モーリィー at 07:19| ちょっと気になる善い言葉 | 更新情報をチェックする

2017年12月26日

No 4413   【《立派タイプ》と《すごいタイプ》】

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おいちゃんの お気に入りブログ 【人のこころに灯をともす】からの転載です

【《立派タイプ》と《すごいタイプ》】

斎藤一人さんの心に響く言葉より…


この世の中にはね、ざっくり分けると《立派タイプ》と《すごいタイプ》の人がいるの。
この2つのタイプはぜんぜん生き方がちがうんだよ。

《立派タイプ》というのは、「私は英語が苦手なのでがんばって勉強します」とか、「遊びに行くのはやめて年中無休で仕事をがんばります」とかって、いちいち立派なことを言って生きている。
そして、やりたくないこともムリして、がんばってやっちゃうタイプ。

もう1つの《すごいタイプ》というのは立派に生きることができないの(笑)。
立派に生きるとこわれちゃうんだよ(笑)
《すごいタイプ》は、自分のできる範囲内のやれることをやる。
そして、やりたいことを1個やって、やりたくないことを1個やめる。
とにかく、真面目に生きててきげんが悪いなら、不真面目でも明るい笑顔できげんがいいほうがよっぽどいいんだよ。
そう思ったら月1回は映画を観に行こうとか、年に1回は海外旅行しようとかって、やりたいことをやっているほうが、いつもごきげんだし、うまくいくんだよ。
それでしあわせに向かっていくのが《すごいタイプ》の生き方なの。

《立派タイプ》は、できないことをできるようになろうと、いっしょうけんめい努力する。
ところが《すごいタイプ》は努力しない。
その代わり、できる人にお願いするの。
《すごいタイプ》は、上に立てば立つほど力を発揮する。
なぜかっていうと、《すごいタイプ》とは“他力(たりき)”なの。

その逆に、他力はいけないとおもって、何でも自力(じりき)でやろうとするのが《立派タイプ》なの。
だけど、エジプトのピラミッドだろうが、万里の長城だろうが、自力でできたものなんて1つもないんだよ。
ぜんぶ他力なの。

この世の中というのは、自分ががんばってできることは、せいぜい人の倍。
ところが、他力を集めると、1000倍でも1万倍でもできるの。
オレは人生でこんなにもすごい成功をおさめたけれど、自分でやった努力は1%以下かもしれない。
いろんなものはひらめきでくるけど、このひらめきですら他力なんだよ。

ただし、他力だけで生きようとおもっても、人はだれにでもホイホイと他力を出してくれるわけじゃないんだよ。
だって、人のためになにもしないヤツのために、やってやろうなんて気が起きるわけがないんだよ。
人はだれでも、そういうヤツはキライなの。
だから、笑顔で「ありがとう」「感謝しているよ」って言う。
そして、自分が得意なことはやってあげる。
そうやって助けたり、教えたり、補いあっているから、自然と他力が集まってくるんだ。

21世紀は「魂の時代」だから、頭で考える《立派タイプ》よりも、ハートで考える《すごいタイプ》のほうが、なぜかうまくいくんだよ。
仕事がうまくいかない、人間関係がうまくいかない、人生がうまくいかないという人は、頭で考えちゃっているの。

ここで特別の「1%の努力で100%の効果を出せる」すごい人の極意を教えるよ。
1%の努力ってなんだとおもう?
たった2つのことなんだよ。

1つ目は、顔に愛嬌(あいきょう)があること。
2つ目は、人から愛されることを、言葉にして言っていること。
なんですかっていうと、笑顔でいるとか、愛想がいいとか、人の肩の荷がおりることを言うとか、人が喜ぶようなことを言うとか、そういうことだよ。
それで、この「1%の努力」だけは、絶対に自分がやるしかないの。

『斎藤一人 そのままの自分でいいんだよ』(宮本真由美)PHP研究所

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《すごいタイプ》の人は、人の力を結集することができる。
そういう人は、いくつになっても、人から可愛がられるような可愛げのある人。
人から愛される人望のある人。
言葉に愛がある人。

この反対の《立派タイプ》の人は、エラそうだったり、威張ってたり、理屈っぽかったり、冷たかったりするような、人から好かれない人。
言葉に愛がない人。

我々がこの世に生まれてきた大きな目的の1つは、人間関係を学ぶため。
人との接し方を通じて、自分を少しでも高めていくこと。
いつも人が喜ぶことを考えている人は、人に与えている人。
だから、人が助けてくれたり、動いてくれたりする。

《すごいタイプ》をめざしたい
posted by Dr.モーリィー at 06:40| ちょっと気になる善い言葉 | 更新情報をチェックする

2017年12月25日

No 4412   【器の大きさで「幸せ」は決まる】

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おいちゃんの お気に入りブログ 【人のこころに灯をともす】からの転載です

【器の大きさで「幸せ」は決まる】

マーク・ポネ氏の心に響く言葉より…


ある年老いたヒンドゥー教の師は、一人の若い弟子が不平ばかり言うのにうんざりしていました。
それである朝、その弟子に塩を買いにいくように言いつけました。
弟子が戻ると、師はコップ一杯の水に、ひと握りの塩を入れて飲んでみなさいと言いました。

「どんな味がしたかな」と師が尋ねました。
「塩辛いです」と言って、弟子は塩水を吐き出しました。
師はクスリと笑い、同じひと握りの塩を持って、弟子を湖に連れて行き、それを湖の中に撒(ま)くように指示し、そして湖の水を飲んでみるよう言いました。

弟子のあごから水がしたたり落ちるのを見て、師は尋ねました。
「どんな味がしたかな」
「真水です」と弟子は答えました。
「塩の味はしたか」
「いいえ」
その答えを聞いて、師は昔の自分とよく似ている弟子と並んで腰を下ろし、こう諭(さと)しました。

「人生の苦労とは、塩のようなものだ。
それ以上でもそれ以下でもない。
苦労の量はいつも同じだ。
まったく同じなのだ。
だが、私たちが味わう苦さは、その苦労を入れる器の大きさによって決まる。
だから、苦しい目にあったときは、物事を感じる自分の度量を大きくするしかないのだ。
コップではなく、湖になりなさい」

『「自分を変える」心の磨き方: 迷っても、つまずいても、もっと「幸せ」になれる!』三笠書房

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安岡正篤師の器量の話がある。
『「あれは器量人だ」という言葉が通俗用語になっておりますが、これは人間の具体的存在を器という字で表現しているもので、人間の大きさ、深さを量(はか)る言葉として用いている言葉であります。
あれは頭が良い、よく出来る。
けれども人を容(い)れない。
人を用いる量がない。
深みがないなどといわれる人があります。
度量、器量ということが良く考えられなければならないわけです』《安岡正篤一日一言》より

坂本竜馬(勝海舟という説もある)は西郷隆盛を、「大きく打てば大きく響き、小さく打てば小さく響く」と表したという。
相手が子供なら子供と同じ目線で偉ぶらないで話し、相手が天下国家のことを論ずるなら堂々と又それを論ずる。

器の大きな人物は、「肚ができている」「胆力がある」「怒りをコントロールできる」「許しがある」「人の話をじっくり聞くことができる」等々の人のことを言う。
《器の大きさで「幸せ」は決まる》
胆力のある器量人を目指したい
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No 4411   【悪いことの中にも「いいことがあった」と思える人】

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【悪いことの中にも「いいことがあった」と思える人】

精神科医、和田秀樹氏の心に響く言葉より…


わたしは「いいこともあったんだ」という考え方が好きです。
望まない部署に異動になってしまった、大きなプロジェクトが成果も出せずに解散してしまった、三年がかりで挑戦してきた資格試験に今年も失敗してしまった…そういった、挫折感を味わって当然の経験のあとで、「でもいいこともあったんだ」と考える人なら、いつまでも落ち込んでいないで新しい意欲を取り戻すことができるからです。

配置転換されても仕事に恵まれた時期がありました。
プロジェクトは解散しても信頼できるパートナーと出会えました。
試験は失敗しても去年より手ごたえを感じました。

すべて、結果は「不運」でも自分が得たものはたしかにあるのです。
そのことに気がつく人も、幸せ探しの上手な人です。
身のまわりに幸せ感を見つけやすい人です。

悪いことの中にも「いいことがあった」と思える人は、どういう経験をしてもそれを自分にプラスと考えることができます。
どんなに失敗だらけの日々が続いても、そのことで自分が後退してしまったとは思いません。

実際、ビジネスで大きな成功を収めるような人でも、不運続きの時代や不遇な日々がかならずあるものです。
新しい事業に手を出しては立て続けに失敗したり、サラリーマンの場合にも系列会社や採算の取れない部門に回されて「これまでだな」と挫折感を味わったりしています。
しかし彼らは、そういった日々を自分の不幸な時代とは受け止めません。
なぜなら、どんなに失敗や挫折感を味わっても、その中には「いいこともあった」と受け止めるからです。

事業には失敗しても、つぎの成功につながるヒントが見つかった。
読み違えはあっても着眼の正しさは確信できた。
サラリーマン不遇の時代にも、エリートコースにいては経験できない実務や販売の苦心、コストの無駄を学ぶことができた。
不遇な時代を経験したから、部下の気持ちがつかめるようになった…。

そういったことがすべて、自分にとってのプラス材料と思える人が、どんな逆境にあっても前向きな気持ちを失わずにやっていけます。
落ち込まずに意欲を持ち続けることができます。
だから大きな成功を収めることができたのです。

『[オーディオブックCD] 必ず!「プラス思考」になる7つの法則 ()』新講社

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何か嫌なことや不幸なできごとがあったときにとる行動で、その人の「人としてのレベル」や「人間性の高さ」が分る。
悪いことの中にも「いいことがあった」と思える人なのか、反対に「ツイてない」とか「不平不満」、「愚痴・泣き言」を並べ立てるのか。

「私は自分の障害に感謝しています。自分を見出し、生涯の仕事に出会えたのもこの障害のおかげだからです」 
ヘレン・ケラーの言葉だ。
今がどんなにひどくて最悪だと思える環境だとしても、ヘレン・ケラーのことを考えたら誰もが黙るはずだ。

どんな人であろうと、ちゃんと探せば身近に感謝すべきことはいくらでもある。
歩くことができて幸せ。
息ができて幸せ。
笑うことができて幸せ。
そして、今この瞬間、生きていて幸せ…。

悪いことの中にも「いいことがあった」と思える人でありたい
posted by Dr.モーリィー at 21:59| ちょっと気になる善い言葉 | 更新情報をチェックする

2017年12月23日

No 4410   【人を笑わせると「やる気」がでる】

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【人を笑わせると「やる気」がでる】

早川勝氏の心に響く言葉より…


《ユーモアで人を笑わせると「やる気ホルモン」が分泌される》

これまで私がブレることなく「やる気モード」を持続させることができたのは、いついかなる場所、どんなときであっても、周囲の人たちを笑わせてきたからに他ならない。
とにかく大優先で、目の前の相手を楽しい気分にさせるサービス精神のもと、常にその場を盛り上げるエンターティナーを演じてきた。

よって、上司や部下、お客様や取引先、友人や知人など、周囲からの私への評価は、「おもしろい人」「話術が巧みな人」「パワフルな人」である。
ただ、意外に思われるかもしれないが、幼少期の私への評価は、「控え目な子」「真面目な子」「無口な子」であった。
だから、ユーモアのセンスや卓越したトークスキルというのは、決して天賦の才ではない。

思春期から現在に至るまで、私は意識的に努力してお笑い芸を磨き、自己改革を続けてきたのだ。
なぜなら、人を楽しませる行為こそが、自らの「やる気ホルモン」を活性化させる最も効果的な手段であることに気づいたからだ。
明るく元気になったその相手から、お返しとして、さらなる「やる気」パワーをもらってきたのである。

それはもう計り知れないほど、モチベーションアップへの相乗効果は絶大であった。
みんなでお互いを明るく楽しませ合い、笑って過ごすことができれば、知らず識らずのうちに、仲間が増え、ますます「やる気」があふれて止まらなくなる。
それこそ笑いが止まらない話ではないだろうか。

自分の力だけで成功したなどと豪語している輩は、驕(おご)り以外の何ものでもない。
やはり人生は、どれだけ人に支援してもらえるかが成功の鍵を握っているのだ。
あなたの笑わせる行為こそが、あなたの応援団をより強力な味方にしていく。

より確かなのは、私が人を笑わせれば笑わせるほど、成功に次ぐ成功が訪れたという事実だ。
周囲を楽しませてきたおかげで、私はあらゆる営業コンテストに次々と入賞し、物凄いスピードで昇給・昇格を果たすことができた。
大笑いしながら人生のステージが上がっていったのだ。
そうして、その芸の道が、私の最も大切な仕事となっていったのである。

ではここであなたへ、ケンタッキー・フライド・チキンの創業者、カーネル・サンダースの名言を贈りたい。
《他の人に一生懸命サービスする人が、最も利益を得る人物である》

もちろんサービス精神とは笑わせることだけに限らないが、どうせ一生懸命サービスするなら、楽しいほうが喜んでもらえるではないか。
「楽しいんでほしい」という、おもてなしのサービス精神なくして、自らが利益を得ることはあり得ない。
それが大原則だ。

「自分だけ楽しければよい」ではなく、常に「他人をどれだけ楽しませるか」ということに気を配っておくことである。
世界中の成功者たちを思い出してほしい。
彼らのほとんどはウイットにとんだユーモアに長け、いつもジョークを飛ばしている。
余裕綽々(よゆうしゃくしゃく)のスマートな佇(たたず)まいで、周囲の人々を笑いの花束で包んでくれる。

『やる気があふれて、止まらない。―究極のモチベーションをあやつる36の習慣』きずな出版

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人に好かれる人は、人を楽しませることに徹している人。
そういう人は、傍(はた)からみているといつも上機嫌に見える。
反対に、自分だけが楽しんでいる自己中心的な人は、周りからみると気難しくて不機嫌そうにみえる。

笑いという「上機嫌」は肯定であり、笑わないという「不機嫌」は否定だ。
周りの人を否定する人には、人は寄りつかない。

そして、我々は、道を聞くときでも、笑っている人や機嫌のいい人を探す。
笑いが人を引き寄せるからだ。

人を笑わせると、自分も明るくなって、笑顔になる。
人を笑わせることで、自分もパワーをもらえるからだ。
その逆に、人を怒ったりすると、テンションが落ち、パワーがなくなる。

どんなときも、人を楽しませ、笑わせる人でありたい
posted by Dr.モーリィー at 08:04| ちょっと気になる善い言葉 | 更新情報をチェックする

2017年12月21日

No 4408   【「努力しています」という言葉】

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【「努力しています」という言葉】

中谷彰宏氏の心に響く言葉より…


運のない人は、「自分はそこそこ努力しているんですが、うまくいきません。どうしたらいいんでしょう」と言います。
この言葉自体、おかしいのです。

本当に努力している人は、「努力しています」とか「こんなに努力しているのに」とは言いません。
そういうことを言わない人のほうが、実際はたくさん努力しているのです。

「努力しています」と言うのは、「努力したから許してね」という甘えになります。
または、「こんなに努力しているのに、なんでうまくいかないんだ」と、逆恨みが起こります。

本当に努力している人は、自分の努力と工夫がまだ足りないと考えています。
「努力しています」という言う人は、ほかの人の努力や工夫が見えていません。
「自分のほうが努力している」「自分はこれだけやっているのに」と文句を言うのです。

日本人が好きな英語のフレーズに「do my best」があります。
運のある人は「do my best」とは言いません。
「I'll do my best」は、やる前から言いわけをしています。

「全力を尽くしますから、結果がでなくても許してくださいね」ということです。
運のある人は、「やるだけやってみます」とは言いません。
ひと言、「やりましょう」とだけ言います。
ゴールを目指して、ひたすら突き進むのです。

『運のある人、運のない人/“もっている人”は、人とは逆のことをやっている』ぱる出版

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「自分は努力しています」という言葉と、自分は「一生懸命やってます」、「大変なんです」、「頑張ってます」という言葉は同じ。
「努力」も、「一生懸命やっている」も、「大変なんです」、「頑張ってます」も、みんな、まわりの人が言ってくれる言葉。
まわりがその頑張りを認めるからこそ、「頑張っているね」と声をかけてくれる。

世界中を見渡してみれば、自分よりもっと、努力している人や、一生懸命やっている人は、ゴマンといる。
それを知らずに、「努力しています」と言うのはとても恥ずかしい。
そう思うなら、「自分はまだまだだな」と謙虚になれる。

どんな努力も厭(いと)わない人でありたい
posted by Dr.モーリィー at 08:14| ちょっと気になる善い言葉 | 更新情報をチェックする

No 4407   七福保育所

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posted by Dr.モーリィー at 07:55| ライフワーク | 更新情報をチェックする

2017年12月20日

No 4406   【読めない名前は誰のため?】

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【読めない名前は誰のため?】

小林正観さんの心に響く言葉より…


《覚えやすく、書きやすく、使いやすい名前は〈喜ばれる存在〉への第一歩》

たくさんの方から名刺をいただいたり、著書にサインさせていただいたりする機会があります。
そのとき、ものすごく画数が多くて読めないような文字の名前の人がいます。

「改名したのですか」と聞くと、「占い師のような人に勧められて」という人が多いのです。
名前は何のためにあるかというと、他の人に覚えてもらうため、呼んでもらうためですね。
そのためには「もう少し読みやすい名前の方がいいかな」と、よく思います。

もし〈喜ばれる存在〉になることが自分の心の中にあるのなら、そんな難しい漢字をあえて使わなくてもいいのではないでしょうか。
読みやすい名前に変えて急に流れがいい方に変わり、「こんな簡単なことで…」と驚かれた方もいます。
名前というのは、読まれて、覚えられて、書かれて、初めて名前と言えるのであって、自分にしか読めない名前というのは、他人からの支援が届きにくいのではないでしょうか。

《読めない名前は誰のため?》

『宇宙も神様もぜんぶ味方につける習慣』宝島社

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我々がこの世に生まれてきた目的は、「人に喜んでもらうこと」「人の役にたつこと」だと言われる。
人に喜んでもらったり、役にたつには、「人から可愛がられる」ことが必要だ。
可愛がられる人は、老若、年齢を問わず、「素直」「笑顔がある」「人の悪口や文句を言わない」「挨拶ができる」「人の話をよく聞く」等々の人。
そして同時に、愛嬌(あいきょう)がある。

名前は、人から覚えられ、可愛がられるための第一歩。
それは名前だけでなく、「店名」や「商品名」、「イベントの名前」などみな同じだ。

あらゆることを、「人に喜んでもらうためはどうすればいいか」という視点で考えてみることが必要だ。
ひとりよがりや、独善的思考は人を困惑させるだけ。

すべてのことを、「人に喜んでもらう」という視点で考えて行動したい
posted by Dr.モーリィー at 08:25| ちょっと気になる善い言葉 | 更新情報をチェックする

2017年12月18日

No 4405   【驚くことの達人】

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【驚くことの達人】

A・マクギニス氏の心に響く言葉より…


デビット・ソークは地元大学の学生部長を引退し、今は年間1000枚以上を撮影する写真家である。
以前私は彼にこう聞いたことがある。

「どうしていつもカメラをもち歩いているのですか?
何か珍しいシャッターチャンスをものにして、それを出版社に高い値で売りつけようというわけですか?」

「いやいや、とんでもない」と彼は答えてこうつけ加えた。
「ものがもっとよく見えるように写真をとるんですよ。
注意深さが足りないと怠慢になって、家の桃の木の新しい花びらにも気がつかなくなるでしょうし、中庭をうろついているトカゲの不思議な色も見落としてしまうでしょう。
カメラを持ち歩くおかげで観察力を維持できるんですよ」

私の妻は「感嘆術」のエキスパートだ。
結婚する以前、私は一度として朝のコーヒーを楽しんだという記憶がなかった。
朝のコーヒーは私にとって単なる目覚まし代わりにすぎなかった。

そしてダイアンに出会った。
彼女は朝3回のうち2回は両手でカップをささげもち、ふくいくたる香りを胸いっぱいに吸い込んでは感激して叫ぶのだ。
「ああ、なんていい香りでしょう。
目覚めの一杯のコーヒーは最高ね!」

積極人間は自分に起こった物事すべてが、毎日毎日よくなっていくとは言わない。
また、人生最悪の日はもう二度と訪れないとも言わない。
いったい、明日がどんな一日になるのか…誰にだってそんなことはわかりっこないのである。

われわれが知っていること…それは、この世の中は欠点だらけであっても、味わったり楽しんだりできる素晴らしい物事にあふれたたいした世界なのだ、ということである。
パブロ・カザルスの一言で締めくくることにしよう。
「感動したり愛したりしているうちは、人は決して年をとることがない」

『今できることから始めよ! (知的生きかた文庫)』

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一緒にいて楽しい人は、ちょっとしたできごとにも、喜びの声を発して、感嘆する人。
反対に一緒にいてつまらない人は、何かプレゼントをしても、驚きもしなければ、何の反応もない人。
どちらが一緒にいたい人かは言うまでもない。

国木田独歩は、「自分の生涯の願いは驚きたいということだ」と言う。『牛肉と馬鈴薯』より
それを、安岡正篤師は、
「感動したり感激するには心を柔らかくすることです。
問題意識の深さと感受性の高さが心を柔軟にします。
そして、この一点で人は振り分けられます」『安岡正篤 運命を思いどおりに変える言葉』より
と述べた。

心が柔軟で瑞々(みずみず)しくなければ、驚くことや感動することはできない。
心を柔らかくして「驚くことの達人」になりたい
posted by Dr.モーリィー at 07:02| ちょっと気になる善い言葉 | 更新情報をチェックする

2017年12月17日

No 4404    【人を喜ばせると自分も嬉しくなる】

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【人を喜ばせると自分も嬉しくなる】

西田文郎氏の心に響く言葉より…


きれいごとを言っても、しょせん商売のホンネは「売りつけよう」にあると思われがちです。
もしあなたが優秀なビジネスマンになりたいなら、この「売りつけよう」を、「喜ばそう」に置き換えてください。
というのも、商売の相手はお客さんの「脳」です。
財布ではありません。
お客さんの脳、ユーザーの脳、消費者の脳、取引先の脳…。
あなたの商品やサービスに対して、また店や会社に対して、さらには自分という人間に対して、その脳をいかに「快」にするかの競争がビジネスであり、商売なのです。
脳が「快」になれば、心も財布も自然と開くのです。

相手の脳を「快」にすることを、世間では「喜ばせる」と言うのです。
「売りつけよう」にあるのはテクニックだけです。
しかし「喜ばそう」とすれば、イヤでも相手のことを考えます。
どうしたら喜ぶか…それを追求するエネルギーがわいてくるのです。

なぜなら人を喜ばせると自分も嬉しくなる。
それが人間です。
仕事が深化し、質的に高まり、広がりも生まれるのです。

『No.1リーダーを支える 英断の言葉 (西田文郎の<究極の言葉>シリーズ)』現代書林

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自分勝手な人は、自分さえよければいいと自分のことしか考えない。
自分本位な人だ。

その反対が相手本位の人。
相手の喜ぶことをまず先に考える。

自分本位から相手本位になるには…
「売りつける」から「喜ばせる」に。
それは相手を、「驚かせる」、「感動してもらう」というサプライズも同じ。

仕事が面白くない人、仕事が深まらない人は、人を喜ばそうと考えないから。
自分の損得だけを考えている人は、まわりから好かれない、くだらなくて、面白くない人間。

「人を喜ばせると自分も嬉しくなる」
どんなときも、誰かを喜ばせる人でありたい
posted by Dr.モーリィー at 06:05| ちょっと気になる善い言葉 | 更新情報をチェックする

2017年12月16日

No 4403   【いま悪くいわれようが良くいわれようが、それは恐れることはない】

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【いま悪くいわれようが良くいわれようが、それは恐れることはない】

神渡良平氏の心に響く言葉より…


明治維新を興した青年たちに大変な思想的感化を与えた本に、佐藤一斎の『言志四録』がある。
その佐藤一斎に抱かれて育った孫の士子(ことこ)が、敗戦の焦土の中で戦後日本を背負って立った吉田茂を育て上げた養母であったことは意外に知られていない。
吉田茂は土佐出身の政治家・竹内綱(つな)の五男として生まれたが、すぐ横浜の事業家・吉田健三の養子となり、士子の手で育てられている。

人間の資質、それも一番基本的な人生に対する姿勢は、幼い時おぶわれた母の背中で形成されたものである。
吉田茂はワンマン宰相だと悪口を叩かれるものの、戦前の反動として、「左翼にあらずんば人にあらず」として荒れ狂った左翼思想の嵐に抗(こう)し、一方では戦勝国としてカサにかかって諸政策を押しつけてくるマッカーサーの連合国総司令部(GHQ)と折衝し、戦後日本の平和国家路線を敷いたことは、やはり偉大な政治家として評価できる。
吉田茂の性格の一つである気ぐらいの高さ、節を曲げない一徹さは、あるいは養母譲りのものではあるまいか。
士子は折に触れ機会を見つけて祖父・一斎の『言志四録』の精神を説き、幼い茂を教育した。
例えば、次の一節は吉田茂の生き方を表現して余りあるものがある。

「当今の毀誉(きよ)は懼(おそ)るるに足らず。
後世の毀誉は懼(おそ)るべし。
一身の得喪(とくそう)は慮(おもんばか)るに足らず。
子孫の得喪は慮るべし」(言志録・八九条)

いま悪くいわれようが良くいわれようが、それは恐れることはない。
しかし、後世の評価は恐れるべきだ。
自分自身の成功失敗から来る得失は心配するに足らないが、子孫に及ぶ得失は考慮しなければならない。

吉田茂の一徹さは曾祖父佐藤一斎の精神によって裏打ちされていたと見ることができるのではなかろうか。

昭和二十年代前半、多くの進歩的文化人(?)が、ソ連をはじめとした東側諸国を含む全面講和条約締結を求めたのに対し、それは現実的ではないと一蹴し、昭和二十六年九月、サンフランシスコ平和条約、および日米安全保障条約を締結した時の吉田茂に、この姿勢を見ることができよう。
「人類の楽園」といわれた共産主義諸国が馬脚を現して崩壊し、それが幻想でしかなかったことが判明したいま、歴史は吉田茂の選択が正しかったことを告げている。
あのとき多く青年たちを扇動し、街頭デモを繰り広げた進歩的文化人たちは、一様に口を閉ざして当時のことを語らない。

それだけに吉田茂の先見の明と一徹さには頭が下がる。
「右顧左眄(うこさべん)しない。己の信ずるところを貫くのみだ」
吉田のそういう声が聞こえてくるようではないか。

『下坐に生きる (Chichi‐select)』致知出版社

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「行蔵(こうぞう)は我に存(そん)す。
毀誉(きよ)は人の主張、我に与(あずか)らず我に関せずと存じ候(そうろう)。
各人へ御示し御座候とも毛頭異存(もうとういぞん)これなく候」
という、勝海舟の言葉がある。

私の行いや言動は自らの信念によるものである。
だから、けなしたりほめたりするのは人の勝手である。
そんなものに私は関与しない。
どなたにお示しいただいてもまったく異存はない。

これは、福沢諭吉が書いた『痩(や)せ我慢の説』に対する勝の有名な返事だ。
命を賭けて、信念を持ってやったこと、学者・福沢ごときにとやかく言われる筋合いはないというのである。(以上、『日本人の心に響く名言』より)

まさに、現代はSNSやネット上では多くの誹謗中傷がある。
その多くが匿名(とくめい)だ。

どんなに心が強い人間でも、連日のように誹謗中傷にさらされれば参ってしまう。
言う方は簡単だが、言われた方はたまったものではない。

「いま悪くいわれようが良くいわれようが、それは恐れることはない。しかし、後世の評価は恐れるべきだ」
何物にも動じない肚(はら)をつくりたい
posted by Dr.モーリィー at 06:25| ちょっと気になる善い言葉 | 更新情報をチェックする

2017年12月15日

No 4402   【霧の中を行けば覚えざるに衣しめる】

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【霧の中を行けば覚えざるに衣しめる】

藤尾秀昭氏の心に響く言葉より…


学の大家の渡部昇一先生、将棋の永世名人の米長邦雄先生、そのお二人による対談集があります。
米長先生は最後に「運」について言及され、
「ねたむ、そねむ、にくむ、ひがむ、うらむ。
そういう気持ちを持っている人に運はついてこない。
そういう人は運命の女神から見放される」
と締めくくられました。

渡部昇一先生は「惜福(せきふく)」の話をされました。
これは自分に舞い込んできた幸福を惜しむということ。
自分に舞い込んできた幸福を使い切らないで大事に一部とっておく。
そういう心がけの人に運命の女神は微笑む…ということです。

まさに、その通りだと思います。
両先生の話に首肯(しゅこう)しながら、私はその時、道元の言葉を思い出していました。
「古人云(いわ)く、霧の中を行けば覚えざるに衣しめる、と。
よき人に近づけば覚えざるによき人になるなり」

昔の人は霧の中を歩いていると
知らないうちに衣が湿るといっている。
それと同じように、よき人のそばにいると、知らないうちに、自分もよき人になっている、ということです。

道元のこの言葉は
実は運をよくする真髄を教えているのではないかと思います。

どんなに才能のある人でも悪い人の中に交わっていては
運をよくすることはできません。
よき人に交わり、よき言葉、よき教えにふれていくことこそ、
運をよくする根元であろうと思うのです。

安岡正篤先生の言葉があります。
「人間はできるだけ早くから、
良き師、良き友を持ち、良き書を読み、ひそかに自ら省み、自ら修めることである。
人生は心がけと努力次第である」

『生きる力になる言葉』致知出版

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「朱(しゅ)に交(まじ)われば赤くなる」
という中国の古いことわざがある。
黒に近づけば黒くなり、朱に近づけば必ず赤くなる、という言葉からきている。

よき友人を選べばよき人となるが、悪い仲間と一緒に遊んでいれば悪くなる。
どのような師を選び、どのような仲間と一緒にいて、どのような本を読むかで人生は決まってくる。

「霧の中を行けば覚えざるに衣しめる」
よき言葉を使い、惜福を実践し、よき師、よき友、よき本とともに、毎日を過ごしたい。
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