2017年08月31日

No 4240   【よい面を見て自信を持つ】

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おいちゃんの お気に入りブログ 【人のこころに灯をともす】からの転載です

【よい面を見て自信を持つ】

松下幸之助氏の心に響く言葉より…


自信というのは、生きる上で非常に大切なものですな。
第一そうしたものがなければ、生きていてもこんなに頼りないことはない。
もっとも、自信を持ちすぎるのも困りものですがね…。

ぼくも、自信をなくすという経験は何度となくしてますわ。
悲観して、どうにも困りはて、夜も眠れんというようなこともありましたよ、実際は。
しかしね、その翌朝になると、もうすっかり考え方というか発想が変わってましたな。
昨夜悲観した材料をもとに、これはこう考えよう、あれはああしようというように、建設的な考え方が心に浮かんでくる。
禍(わざわい)転じて福となすというか、いわばそういう発想ですね。
それが自然にできたのですよ。

だから、自信をなくしたとはいうものの、そのつぎの瞬間には、どうすればそれを解決できるか、そのことをもう懸命に考えていたということですな。
幸そういうことができたので、今日までやってこれたのではないでしょうか。
それができたのは、ぼくが持って生まれた性格というものもあるでしょうが、やはり体験の中から自然に身についたものでしょうね。

百のことを行って、一つだけ成ったとしたら、たいていの人は事の成らない九十九に自信をなくし、もう再びその事を試みなくなるでしょうな。
そうなれば、まさに失敗ですね。
しかし、よく考えれば百が百とも失敗したわけではない。
たとえ一つでも事がなっているということは、他の九十九にも成る可能性があるということですね。

そう考えれば勇気が出てきましょう。
そして、事の成った一つをなおざりにしないで、それを貴重な足がかりに、自信を持って九十九にいどむことができる。
そうなれば、もはや成功したのと同然ですよ。
よい面を見て自信を持つか、悪い面を見て自信をなくすか、それによって人生は大きく変わってくるのではないでしょうか。
《人生談義》より

【事の成らない九十九に自信をなくすか、事の成った一つに勇気を持つかで人生は変わる】
(素直な心になれば、危機に直面してもこれをチャンスと受けとめ、“禍を転じて福となす”こともできる)

『すべてがうまくいく』PHP研究所

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「悲観主義者はあらゆる機会の中に問題を見出す。楽観主義者はあらゆる問題の中に機会を見出す」
イギリスの名宰相、ウィンストン・チャーチルの言葉だ。

また、イギリスの小説家、バーナード・ショーは、こう語る。
「グラスに半分ワインが残っているのを見て、『ああ、もう半分しか残っていない』と嘆くのが悲観主義者。『お、まだ半分も残っているじゃないか』と喜ぶのが楽観主義者である」

自信がない人は、できたことより、できなかったことに焦点(しょうてん)をあてる。
つまり、悲観主義者。

エジソンが電球を発明したときの有名な言葉がある。
「失敗したのではない。うまくいかない1万通りの方法を発見したのだ」
究極の楽観主義者は、たとえ1万回失敗しようが、へこたれない。

よい面を見て自信を持つ、楽観主義者でありたい
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No 4239   名曲の夕べ 2017

1990年から始まった 毎年夏の恒例行事
おいちゃんも所属する 百人会主催の
「名曲の夕べ 2017」

今年も1200人以上の方々が 会場に参加されていました
本当にありがとうございました

来年も多くの方々のご参加をお待ちしております

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posted by Dr.モーリィー at 16:58| 講演会・イベント情報 | 更新情報をチェックする

No 4238   【魂を磨き成長すること】

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【魂を磨き成長すること】

斎藤一人さんの心に響く言葉より…


たとえばここに、姉と弟の二人きょうだいがいるとします。
姉は毎月、お給料の1割を貯金しています。
一方の弟はギャンブルが大好きで、自分のお給料のすべてギャンブルに使っていました。

自分のお給料の範囲内でギャンブルを楽しんでいる間はまだよかったのです。
次第に、お給料の範囲を超えるお金をギャンブルに使うようになり、借金をつくってしまいました。

弟は姉に言うのです。
「ねぇちゃん、金、貸してくれ」とか。
「きょうだいじゃないか、助けてくれよ」とか。
このとき、姉はどうすべきでしょうか。

いろいろ意見があると思いますが、魂の時代はこうです。
『ふざけんなっ!ギャンブルやったの、アンタでしょ』
そのように思うのが正しいのです。

そして、自分がやったことの責任は自分がとりなさい、と、弟に教えてあげるんです。
最初のうち、姉は「弟だから」「身内だから」という言葉にしばられて、弟の借金の保証人になったり、肩代わりをしようとするんです。
それをやってしまうと、「ギャンブルにおぼれて借金をつくり、困る」という経験を通じて魂を成長させるはずの弟は何も学べません。

そのうえ、姉のほうも運勢が悪くなります。
なぜなら、ギャンブルで借金をつくった弟に「ふざけんなっ!」と言い、自分がやったことの責任は自分でとらせるということが、姉にとっての魂の成長だからです。
要するに、両方とも、泥沼から抜け出すことができないのです。

それって冷たくないですか、って、あなたの気持ちはよくわかります。
けれど、お互い、自分がやったことの責任は自分でとることが「魂の成長」なんです。
他人がやったことの責任をとったのでは「魂の成長」とは言えません。
それをやってしまうと、結局、助けられたほうも、助けたほうも助からないのです。
両方とも、苦労の人生になってしまうんです。

けれど、そういうことを繰り返しているうちに、姉は「ふざけるなよ」と思うようになります。
「あの子にお金は貸さないは。あの子は困っているのではなく、学んでいる最中だから」
「あの子のなかにも自分と同じ魂がある。信じて見守ってあげよう」
そう思えるようになったら合格です。
すると、弟のギャンブル借金問題も消えてしまうのです。

『絶対、よくなる!』PHP

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ギャンブル等で借金をつくってしまう人は、一度は誰かがそれを解決してやったとしても、たいていまた同じことを繰り返す。
自分でそれを解決していないからだ。

世の中の、自分にふりかかる問題もすべてそれは同じ。
自分に起こった問題を、自分で解決しなかったとき、また同じことが起こる。
なぜなら、学んでいないからだ。

生活習慣病にしても、起きた原因を追求し、それを改めない限り同じことは続く。
つまり、魂の成長がないということ。

我々がこの世に生まれた目的は、「魂を磨き成長すること」。
生きている間に、魂を磨き続け、人に喜ばれる人間になってあの世に往くこと。
自分の魂を磨き続けたい
posted by Dr.モーリィー at 16:57| ちょっと気になる善い言葉 | 更新情報をチェックする

2017年08月29日

No 4237   あなろぐ人間  大苦戦

準備中
posted by Dr.モーリィー at 08:43| 日記 | 更新情報をチェックする

No 4236   【幸せとは、すでに幸せに囲まれていることに気がつくこと】

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【幸せとは、すでに幸せに囲まれていることに気がつくこと】

小林正観さんの心に響く言葉より…


本当の幸せというのは、何かを想定して、それが手に入ったから幸せなのではありません。
幸せとは、すでに幸せに囲まれていることに気がつくということなのです。
今幸せなことに気がついたら、悪魔さんは一番困るのです。

そして、その足りないものが手に入らないから不幸だと思い、どうして手に入らないのかと人の悪口を言い、政治や教育が悪いと文句を言うのです。
こうしたことを言っていると幸せはやってきません。
そもそも悪魔さんは幸せがその人に満ち足りてこないようにしたいからです。

今自分のおかれている状況に満足しないことは、不平や不満と紙一重なのです。
「ほしいものが手に入らないから不幸なんだ」
「もっともっと努力しないと幸せにはなれないんだ」
と思うことは、悪魔さんの陰謀かもしれないのです。

朝起きて、目が見えること、耳が聞こえること、歩けること、ご飯が食べられること、今この瞬間が幸せだと思える人に、悪魔さんは手を出すことができません。

『「ありがとう」のすごい秘密 (中経の文庫)』中径出版

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小林正観さんはこう語る(本書の中で)。

「悪魔さんが一番手を出せない非常に困った存在は、今の普通の状態を『幸せなのよね』と言ってる人です。
なぜなら悪魔さんは幸せを知ってしまった人には手を出せないからです。
私たちは、ありとあらゆることに恵まれているので、その恵まれていることに気がついたら『ああ私は本当に恵まれてこの世に生まれてきたんだ。本当にラッキーでついてる』と思えるわけです」

やっかいなことに、多くの人たちは、病気になったり、入院したり、会社の業績が悪化したりしないと、今まで過ごしていた当たり前のような日常が、どんなに幸せだったのか気づかない。
幸せがなくなってみて初めて気づくのだ。

すごい大イベントが成功したとか、人生の一大事が決まったというのもよいが、それだけを幸せの目標にすると、他に日常無数に起きている幸せに気づくことができない。
幸せには大きいも小さいもない。
幸せかどうかは、幸せに気づける人か、気づけない人かの違い。

「幸せとは、すでに幸せに囲まれていることに気がつくこと」
目が見えること、耳が聞こえること、歩けること、ご飯が食べられること、今この瞬間が幸せだと思える人でありたい
posted by Dr.モーリィー at 08:41| ちょっと気になる善い言葉 | 更新情報をチェックする

2017年08月28日

No 4235   【10年後、君に仕事はあるのか?】

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【10年後、君に仕事はあるのか?】

藤原和博氏の心に響く言葉より…


《高校生諸君へ》

君たちは親と違う人生を歩むと言うけれど、どこが決定的に違うのか?
大きく3点あります。
ものすごく大きな違いがね。

1つめは、君たちが社会人になる2020年代の半ばには、多くの親が体験した「標準的な人生モデル」は追求できないということ。
会社で正社員にはなれないかもしれないし、大手企業に入社したとしても一生そこで働くのは珍しくなるでしょう。
新卒の一括採用が残っているかどうかさえ怪しい。
結婚して子育てし、マイホームを持つかどうかもわかりませんよね。
だから、親の人生モデルを前提として君たちに説教しても通じない。

2つめは、言わずと知れたスマホと、それにつながったネット世界の広がりです。
いまの高校生は1998年以降の生まれになりますが、グーグルも1998年生まれなんです。
グーグル以前とグーグル以降は人種が違うと思ったほうがいいでしょう。
君たちの世代は、人生の半分をネット上で暮らすことになるでしょう。
ネットゲームの中毒患者でなくても、社会人としてちゃんと仕事をしようとすれば、そうなるんです。
たとえば、SNSで仲間を募る「魔法の杖(つえ)」は最強ですよね。
親世代には、学校の枠を超えて仲間を集めようとすれば、駅の伝言板くらいしかなかったんです。
自分の存在の半分は、ネットのなかで広がりながら他人とつながりを持つことになります。
そして、その存在を評価されることで、自分の居場所が保障される感覚がある。
ネット世界から個人がクレジット(信用と共感)を与えられることになるからです。
リアルかバーチャルかは関係ありません。
リアルな場はますます複雑怪奇になり、居場所がなかったり、存在を脅かされることも増えるでしょう。
だから、仮にフェイスブックやツイッターが衰退することがあっても、新しいSNS的なサービスは次々と現れる。
グーグル以降の人間は、ネット上で自己肯定感を得られる気持ちの良さからもはや逃れられないと思います。

3つめは、人生の長さ(ライフスパン)が決定的に異なること。
明治・大正を生きた世代と比較すると、君たちの世代は平均寿命が2倍に延びることになります。
いまの親世代もあと40〜50年の人生が残っているから、十分に長いんだけどね。
親世代が生きている昭和・平成の時代は、1997年までは高度成長期でした。
子ども時代には掃除や洗濯機をロボットがやってはくれませんでしたから、面倒なことや手間のかかる仕事がまだまだ多かった。
不便な社会を知っている世代なんです。
でも、君たちは違います。
そうした面倒な手間を人工知能(AI)やロボットがやってしまう時代を生きているんです。
切符を買って改札で駅員さんにハサミを入れてもらっていた時代から、カードやスマホで自動改札を素通りできる時代へ。
世間話や値段交渉をしながら肉屋さんや八百屋さんでいちいち買い物をしていた社会から、加工食品を黙ってレジへもっていきレンジでチンしてもらえばすぐに食べられる社会へ。
そんな、なにかと便利な「コンビニ社会」に生まれてきたから、好きなことでもして時間をつぶさなければ暇で困ってしまう。
「人生とはいかに時間をつぶすか」という感覚が強くなるはずです。
だからこそ、君たちの世代が成熟社会を進化させ、日本のスポーツ・文化・芸術を花開かせる可能性は高いと思います。
このように、世界観、自分観、人生観が、親の世代とは決定的に異なることになるのです。
だから、理解されなかったとしても安心していいんですよ(笑)。

2020年に開催される東京五輪。
アテネ五輪のあとのギリシャや北京五輪のあとの中国など、世界の歴史を振り返れば、オリンピックを大々的に開催するために競技場や道路整備などに投資しすぎた国は、閉幕後、景気が大幅に落ち込むことが予想できるからです。
これらの理由から、2020年代にはおそらく求人も半減することになるでしょう。

『10年後、君に仕事はあるのか?―――未来を生きるための「雇われる力」』ダイヤモンド社

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この文章は、高校生に向けて書かれているが、このことは、そっくりそのまま親世代にも通じる大事な事実。
ITやAI、ロボットなどの大きな変化に対して、生きていくための方策は同じだからだ。
10年後、多くの仕事が消滅していくかもしれない中で、どんな勉強をしたらいいのか、何を身につけたらいいのか。

未来はもうすでに始まっている。
働き方改革。
SNSによるつながりの世界。
人生100年時代の生き方。

「10年後、君に仕事はあるのか?」
時代の変化に対して、変化対応能力を磨きたい
posted by Dr.モーリィー at 19:56| ちょっと気になる善い言葉 | 更新情報をチェックする

No 4234   【アイデアとは既存の要素の新しい組み合わせ】

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【アイデアとは既存の要素の新しい組み合わせ】

ジャック・フォスター氏の心に響く言葉より…


わたしが一番気に入っているのは、ジェームス・ウェブ・ヤングの説明だ。
「アイデアとは既存の要素の新しい組み合わせ以外の何ものでもない」
わたしがこの説明を特に気に入っているのには、二つの理由がある。

第一に、ここにはアイデアを得る方法が明示されている。
アイデアを手に入れるのは、新しい料理のレシピを作るようなものだと教えてくれているのだ。
すでに知っている材料を、これまでとは違った方法で組み合わせるだけ。
アイデアを得るというのは、こんなに単純なことなのだ。

単純というだけでなく、これは天才でなくてもできる作業だ。
ロケットを開発する科学者である必要もなければノーベル賞受賞者である必要もない。
国際的な画家や詩人、腕ききの広告マンでなくてもいい。
ピュリッツァー賞受賞者や世界的に有名な発明家でなくても大丈夫なのだ。

普通の人だって、毎日いいアイデアを思いついている。
毎日新しいものを創造したり、発明したり、発見したりしている。
車の修理方法、キッチンの流しや玄関の補修方法、夕食の調理法、売上げを伸ばす秘訣、節約の仕方、子供のしつけ方、コスト削減の方法、生産量を増やす方法、メモのとり方、企画書の書き方、物事をよりよくしたり、簡単にしたり、安くするための方法…人間が毎日思いついているアイデアをあげていけば、きりがない。

わたしがヤングの説明を気に入っている第二の理由は、アイデアを得るためのカギだとわたし自身が確信していること、つまり「材料を組み合わせる」と言う点をずばり突いているからだ。
実のところ、わたしがこれまでに読んだアイデアについての本はすべて、組み合わせる、関係づける、並べる、統合する、結合する、といったことに触れていた。

フラシス・H・カルティエはこう述べている。
「新しいアイデアを手に入れる方法はただ一つ。それまでにもっていた二つ以上のアイデアを組み合わせたり結びつけたりし、以前は気づかなかった関係が見出せるような新しい並べ方にすることだ」
イギリスの作家アーサー・ケストラーはこう考えた。
「クリエイティブな独創性とは、何もないところからアイデアを創造することではない。しっかりと確立された考え方を組み合わせ、相互に深め合うというプロセスからアイデアを生むことだ」。
彼はこのプロセスを「異縁連想」と呼び、次のように述べている。
「創造的な行為とは、すでに存在する事実、考え、技能、技術を新たに発見し、選び、並べ直し、組み合わせ、統合することである」

『アイデアのヒント』CCCメディアハウス

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脳力開発の創立者、城野宏氏は、こう語る。
「発想とか、アィディアとかいう言葉が流行しているが、単にすわったままで「考える」のでは、記憶を再現しているだけなのであり、新しい現実の組み合わせを創造してゆく活動にはならない。
他人の記憶との組み合わせをつくるためには、他人との接触をもたねばならぬ。
つまり足を使い、口を使って言葉で通信するのである。
書物という文字による他人の記憶体験の吸収も役にはたつ。
結局、脳を十分に使うというのは、自分の記憶体験の組み合わせを、手を使ってできるだけ多く現実化することであり、同時に足と口とで、他人の記憶体験との接触をつくり、それとの組み合わせを手を使ってできるだけ沢山現実化してみるということである」

既存の要素の新しい組み合わせを、具体的なアイデアにしていくには、手と、足と、口を使う以外にない。
頭の中で考えているだけではアイデアは具現化はしない。
つまり、アイデアは、行動によってしか生まれないということ。

「アイデアとは既存の要素の新しい組み合わせ」
すでに知っている材料を、これまでとは違った方法で組み合わせ、新たなアイデアを生み出したい
posted by Dr.モーリィー at 06:35| ちょっと気になる善い言葉 | 更新情報をチェックする

2017年08月26日

No 4233   【「愛国心」という言葉】

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【「愛国心」という言葉】

ケント・ギルバート氏の心に響く言葉より…


100%の確信をもって断言しますが、現代の日本人は「愛国心」という言葉に対して、何かしらの抵抗感を持っています。
読者の中に、子供時代から現在に至るまで、「私は愛国心を持っています」と言い続けた日本人が何人いるでしょう。
戦後生まれであれば、よほど愛国心の強い両親に育てられ、学校の教師や友人など、環境にも恵まれた人でないかぎり難しいと思います。
ほとんど全滅に近いのではないでしょうか。

ちなみに一般的な家庭で健全に育った米国人であれば、「あなたは米国に愛国心を持っていますか?」という質問に対して、ほぼ全員が、「はい。私は子供時代からずっと、米国に愛国心を持っています」と即答するはずです。
幸い私も、そのような極めて一般的な考えを持つ米国人の一人です。
だから日本人の愛国心への抵抗感を見ると、とても奇異に映るのです。

「愛国心」という言葉を使うのは後ろめたく、カッコ悪いことだと思っている日本人は、世界に出かけた場合には、逆にバカにされたり、大恥をかいたりしてしまうかもしれません。
世界のほとんどの国では、自然に愛国心を表明することが、ごく当たり前だからです。
むしろ、「愛国心はありません」などと平気で答える人のほうが、多くの場合、世界中で奇異な目で見られて、信頼を失ってしまうことを、日本の皆さんは知っておくべきです。

そういわれても、日本の皆さんはピンとこないかもしれません。
なにしろ、「愛国心」という言葉に日本人が知らず知らずのうちに抱かされてしまった拒否感について、あまりにも無自覚なうえに、その原因が根深いものですから…。

では、次のような例に置き換えてみたらどうでしょうか。
返ってきた答えが「いやー、うちは先祖代々、酷(ひど)い歴史を歩んできた一族でしてね。とても誇れるようなものではないですし、そんな暗い過去を持つ家族を愛しているだなんて、口が裂けてもいえませんよ」というものだったら、皆さんはどう思うでしょうか。
「自分の家族やご先祖様について悪しざまにいうなんて、本当にこの人は大丈夫なのかな?信用していいのかな?」と、心のどこかで思いませんか?

正直にいえば、日本人が「自分たちには愛国心がありません」と発言するのを聞いた外国人の多くは、今、述べた家族の例と同じような「この人たちは本当に信用できるのかな?」という違和感を抱くと思います。
そのくらい非常識な発言なのです。
日本以外の多くの国の人々にとって、「愛国心」は「家族を愛する心」と同じくらい、ごく自然なものです。
だから、「私には愛国心がない」「国のことなんかどうでもいい」などといわれると、むしろ眉をひそめたくなるのです。

そういう風にいうと、「いや、もちろん私だって日本のことは好きなのですが…」とおっしゃる日本人は多いと思います。
そうおっしゃる方には、重ねて聞きたい。
では、「日本を好き」なのと「祖国を愛している」の違いは何ですか?

それに対する一つの答えは「マインドコントロール」です。
いきなり結論めいた話になりますが、戦後の日本では、日本人が愛国心を持つことに抵抗感や罪悪感を抱かせるような学校教育と、マスコミによる報道や放送が、意図的に行われてきました。
そして、それは現在進行形で、今、この瞬間にも行われています。
はっきりいえば、皆さんは一種の洗脳を受け続けているのです。

戦後、この洗脳を教育機関やマスコミを操(あや)って行わせた陰の主犯は、GHQ(連合国軍最高司令官総司令部)でした。
米国政府が仕組んだといっても構いません。
要するに私の祖国であるアメリカ合衆国の占領政策によるものであり、謀略です。

この謀略は「ウォー・ギルト・インフォメーション・プログラム(WGIP)」と名づけられています。
簡単にいえば、先の戦争についての罪悪感や嫌悪感を日本人の心に植えつけて、日本を二度と軍事的に立ち上がれない国にしようというものでした。
米国政府がそこまでのことを行った原因は、日本や日本人のことを米国が極端に恐れたせいなのです。

日本を「好き」であっても「愛国心」という言葉をなかなかいえない原因のもう一つは、「日本人が日本のことを知らない」ことにあります。
誰も「知らないもの」を愛することはできません。
その点でいうと、明らかに日本人は日本のことを「十分には」知らないように思えてなりません。

これも世界での話で恐縮ですが、何か国の人々が集まるパーティのような席では、まずはたいてい、各々(おのおの)の国の「お国自慢」になるものです。
皆が、それぞれ自国の文化や伝統、歴史について語ったり、相手の国のことについて質問したりするのですが、その場で自国の歴史や文化を語れない人は「無教養な人」と思われてしまいます。
その点、日本人はどうでしょう。
海外で盛んに活躍している有能な人ほど、「もっと日本のことを知らなければ」おっしゃることが多いようですから、きっと普通に大学を卒業した程度では、知識が足りていないのでしょう。
そして、その知識不足の大きな原因も、やはりGHQの「WGIP(ウォー・ギルト・インフォメーション・プログラム)」にあります。

日本の歴史や文化、さらに日本の本質について語る際に絶対に外せないのは、「天皇」の存在です。
逆にいえば、天皇とはいかなるものかに関する知識なしに日本のことを語るのは、たとえるなら「ユダヤ教にいっさい触れずにイスラエルを語りなさい」とか「キリスト教への言及なしに西洋文化について論考しなさい」とかいっているようなものです。
まともな知性を持っていれば、そんなことができるわけもないことがわかるはずです。
しかし戦後日本では、天皇についての歴史や文化伝統を学ぶことは、一種のタブーでした。
日本の人々がつくりあげた公式の歴史書である『古事記』や『日本書紀』に書かれた「神話」を学校で教えることさえできませんでした。
八世紀に編纂(へんさん)されたこれらの書物にすら「神代(かみよ)」、つまり神話の時代の話として書かれているのですから、「神話」として教えればいいはずですが、それさえ行われなくなったと聞いて、私はとても驚きました。

その民族が、どんな「神話」を持っているかということ自体が、比較文化研究の視点から見ても、とても興味深いことであるはずです。
日本人も、自分たちの国の神話を知ったうえで、他の国々の神話を知ると、似ている点や、違う点などが色々分析できて、とても面白いだろうにと思えてなりません。
神話の時代から現代に至るまで、ずっと天皇と共に続いてきた国だからこそ、世界の人々は日本という国に憧れ、敬意を抱くというのに、どうも天皇について多くの日本の方々は、その存在に対してあえて無関心でいるか、少し斜に構えつつ、敬しながらも遠ざけるべきものであるかのように考えているように思えます。

しかも、「天皇」と「愛国心」の両者を合体させて論じることは、戦後の日本では、ある意味では非常に危険なことだったようです。
戦争が終わって七〇年以上もたった今日でさえ、天皇を想起しながら愛国心を語ることは、すなわち軍国主義的であると考えられているのです。
それこそが、「WGIP」がめざした世界観でした。
しかし、世界に誇るべき「天皇」を忌避(きひ)し、封印するなんて、「もったいない」にもほどがあります。
冷静になれば、これがいかにバカらしいことであるかがわかるでしょう。

『ついに「愛国心」のタブーから解き放たれる日本人 (PHP新書)』PHP新書

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斎藤一人さんは、こう語る。
『「国誉め(くにほめ)」という神事がある。
これは古代、ある国に任命された役人が 一番最初にやった仕事。
その国がどんなに素晴らしいかを褒めたたえるその行為が神事になる。
不幸な人はこの国誉めができない。
例えば、北海道に住んでいて 北海道の悪口を言っている人』

「愛国心」とは、たとえば「愛国心」の反対を考えてみるとわかる。
国に対して「嫌悪(けんお)感を抱いている人」、「憎しみを持っている人」、あるいは、マザー・テレサ的に言うなら「無関心の(無視する)人」ということになる。
これを国ではなく、「人」に置き換えてみると、それがいかにひどい仕打ちか分かる。

人は、誉められたら気持ちがいい。
これは国も同じだ。
日本をけなされたり、憎しみの対象となったら、どんなに悲しいか。

「愛国心」という言葉の呪縛(じゅばく)から解き放たれたい
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2017年08月25日

No 4232   【朝起きたらやるべき仕事があること】

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【朝起きたらやるべき仕事があること】

田中真澄氏の心に響く言葉より…


イギリスの作家チャールス・キングスレーは「毎朝、床から起きたら、たとえ好きであろうと嫌いであろうと、何か一つやるべき仕事があることを神に感謝しよう」と言い残したそうですが、この言葉は日々仕事に追われているサラリーマンにはピンとこないと思います。
仕事があるのが当たり前と考えているからです。

ところが、全く仕事がない状態が続き、経済的な不安を感じながら過ごしていると、自分の仕事を持ちたいという気持ちが湧いてきます。
とくに日本人は仕事をすることが生き甲斐としてきた民族ですから、何もやるべき仕事がなくなると、自分が世の中から取り残され、必要とされていない人間になったのではないかと感じてしまうのです。

企業には「経営目的」(経営理念)があるように、個人にも「生きる目的」があります。
その「生きる目的」を私は次のような言葉で提言してきました。
「生涯、自分の心を磨き続け、死ぬまで世のため人のために尽くす(働く)こと」、つまりは「生涯学習、生涯現役(終身現役)」ということです。

企業が経営目的からはずれたことをやれば世の批判を浴びるように、人間も生きる目的から逸脱した行動をとれば、同じく世の中から批判を浴びて当然のはずです。
つまり、生きる目的からすると、定年を迎えたら仕事から解放されていいという考え方は、今日では間違いになってきたのです。
それは人生が50年か60年で終わっていた昔には許されたことですが、今は人生が昔よりもおよそ2倍になったのですから、働く年数も2倍でなければなりません。
そうでなければ世の中の仕組みがうまく作動しないことになります。

この冷厳な事実を、日本ではほとんど誰も指摘しません。
むしろ老人福祉の思想の下に、高齢者の自律・自助を促すことよりも、高齢者保護に世間もマスコミも関心を寄せ、政府もその方向に政策を展開するばかりです。

国民の88%がサラリーマンとして働いている日本社会では、人々は仕事よりも趣味や個人生活に関心が強くなっているからだと思います。
その普段の仕事への関心の弱さが、老後の仕事に対する準備のなさにつながっているのです。
ですから自分が無職になって心細さを痛感するようになって、やっと仕事を持つことの重要性に気付くのです。

何度も繰り返しますが、これから年々、老後ミゼラブル・老後貧困・老後破産・老後危機・下流転落といった言葉で表現されている高齢者層の困窮状況が増えていくでしょう。
多くのサラリーマンは自分を中流と考えているようですが、このまま老後対策をしないで手をこまねいていれば、定年後には下流階級に転落する高齢者の増加があるからです。
高齢者の3大ミゼラブルは「孤独死」「認知症」「犯罪」と言われています。
サラリーマンが勤め先を離れて組織の一員でなくなることによって心理的には孤独感を感じ、それがこうじると「孤独死」に追い込まれるようになります。
また職場の仲間との交流がなくなり、コミュニケーションの場や機会が激減していくと認知症になりやすくなります。
さらに経済的に困窮することで、やむを得ず窃盗や詐欺などの「犯罪」を犯すようになることから、この3大ミゼラブルが表面化したのです。

こうした老後のマイナス現象に巻き込まれないためには、とにかく定年後も何かの仕事を持つことです。
何の専門的な技能も知識もなければ、まずはお手伝い的な仕事を専門にすればいいのです。

私はこれまでの講演・著作で再三にわたって「一引、二運、三力」の言葉を使ってきましたが、人生の成功要因の第一は他人様からいただく「引き」です。
すなわち「〇〇さんに頼みなさい」「あの人は信用できるから相談してみたら」といった紹介をいただくことです。
この紹介のご縁ができない人は、どんなに知識や技術が優れていても仕事の注文が少ないことから事業は長続きしません。

『小に徹して勝つ―凡人の成功哲学』ぱるす出版

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我々がこの世に生まれてきた目的は、生まれたときよりも少しでもましな人間になって、この世を去ること。
つまり、生涯、勉強し、魂を磨き続け、人に喜んでもらい、人の役に立つ人間になること。
反対に、この世にいるうちに、悪いことばかりをして、人に嫌われ、世に害をなす人間になったら、生まれてきた意味はない。

日頃から頼まれごとを気持ちよく引き受けてきた人は、定年後もまわりから「引き」がある。
しかし、頼まれたとき「嫌な顔」をしたり、「自分が損することはやらない」という姿勢の人には、やがて頼まれごとはやってこなくなる。
するとまわりからの「引き」もなくなる。
つまり、運がなくなる。

定年後に、孤独等の「老後ミゼラブル」におちいるかどうかは、若いうちからの生き方や姿勢によって決まる。
定年になって、急にその生き方を改めようとしても、それは時すでに遅い。
若いうちから、勉強し続けたか、魂を磨き続けたか、人に喜んでもらい、人の役に立つ生き方をしてきたか。

『朝起きたらやるべき仕事があること』
「生涯学習、生涯現役(終身現役)」を目指したい
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2017年08月23日

No 4231   【10倍の量を投げかける】

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おいちゃんの お気に入りブログ 【人のこころに灯をともす】からの転載です

【10倍の量を投げかける】

小林正観さんの心に響く言葉より…


薬剤師の方は、こんな質問をされました。
「実は私は今、薬局を続けるべきかどうか悩んでいるんです」
とおっしゃるのです。
「それはまた、どうしてですか?」
と私。

「いろいろな勉強をしてきて、薬というものが、本当に人に役立っているのか、と思うようになりました。
薬を売れば売るほど、人の体を壊しているような気がして…」

「薬局の方は、やめることも考えているということですか?」
「もちろんそうです。薬害とかもありますし、薬というものが本当に役に立つものなのか、と」
そんなやりとりがあって、最終的に私がした提案は次のようなことでした。

「薬局に薬を買いに来る方は、体の不調や痛みを抱えている人ですよね。
その人たちの“とりあえずの”対症療法薬として、薬を売るという立場は肯定してもよいのではありませんか。
そして、そこに罪悪感のようなものがあるなら、こうしてみるのはどうでしょうか。
それは、今までの薬局の薬剤師としての仕事の10倍の量を、“世のため人のため、社会のために”貢献するということに費やす、ということです。
そうすれば、今までの仕事は、自分の人生の10分の1でしかなくなるから、自己嫌悪や罪悪感は、ずいぶん薄くなるのではありませんか。
しかも、“仕事”はそのままですから、生活か収入とかの部分もクリアできる。
ただし、今までの10倍ものエネルギーで生きるわけですから、人生は大変に過酷なものになります。
それができれば全て解決だと思いますが」

その薬剤師の方は、深く深くうなずきました。
「投げかけるものがマイナス100であっても、その結果、じゃあ200のプラスを投げかけようと決意をし、実行したら、結果的に神は喜んでいるんじゃないか、と小林さんの文章にありましたね。私もその生き方でいきます」
美しい笑顔でした。

そこから始まった具体策も、これまた楽しいものになりました。
それは、「こんな生き方やこんな考え方の人が、こんな病気になるみたいだ」というコピー資料を、とりあえず10種類くらい作ってみよう、というもの。
“現場”におられるのですから、そういう“統計的”な推論を得やすい立場ではあるのです。

私たちのやりとりを聞いていた、運転をしてくださっていた方は、ポツリとこんなふうに言いました。
「そういうふうな解決方法をとったら、クヨクヨしたり自分を責めたりしないですみますね。
いつでも、それが10分の1になってしまうような、プラスの投げかけ10倍を考えていったら…」

『生きる大事・死ぬ大事 死を通して見えてくる幸せな生き方』イースト・プレス

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知り合いがアルコール依存症になり、彼が退院したあと断酒会に一緒に出席したことがある。
断酒会では、色々な人がいたが、酒屋さんをやっている方もいた。
お酒は、適度に楽しむ人にとっては、人を魅了する極楽の液体となるが、アルコール依存症の人にとっては悪魔の水となる。
一生飲むことはできない。
だから、酒屋を続けるかどうか悩んでいた。

自分の仕事にもし、少しでも罪悪感があったら、この正観さんの対処の方法が非常にソフトで芸術的な解決法となる。
今やっている仕事をやめずに、それ以上の投げかけを「世のため、人のため」にしていく。

これは、何も仕事だけのことではない。
生きることにおいても、まったく同じこと。

もし、マイナス100のことをしてしまったら、プラス200のことを投げかければいい。
マイナスのことをしてしまったことは消えないが、それ以上のプラスを投げかけることでどんどんそれを薄めることができる。
マイナスのことに焦点を当てるのではなく、プラスのことに焦点を当て行動してみたい
posted by Dr.モーリィー at 13:30| ちょっと気になる善い言葉 | 更新情報をチェックする

2017年08月21日

No 4230   【行動することによって自分の程度が分かる】

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【行動することによって自分の程度が分かる】

心理カウンセラー、植西聡氏の心に響く言葉より…


哲学者の三木清は、「行動することによって、人は、自分がどの程度の人間か知ることができる」と述べました。
何かを行えば、必ず結果が出ます。
仕事の実績が出ます。
告白した相手から返事がきます。
受験の合格発表が出ます。

いい結果が出れば、何も思い悩むことはありません。
自分自身に自身を持てます。
しかし、悪い結果が出ることもあるのです。

仕事は失敗し、告白した相手からは断られ、受験には落ちてしまうかもしれません。
そのような結果が出れば、自分が魅力のない人間であること、自分は欠点がある人間であることを否応なく知らされます。

しかし、そんな悪い結果が出ることを恐れて何もしないでいたら、いつまでも自分がどの程度の人間かを知ることはできません。
覚悟を決めて行動し、自分がどの程度の人間かを知ったほうがいいでしょう。
しかし、もし悪い結果が出ても気に病むことはないのです。
そこから少しずつ自分を成長させていく努力をしていけばいいのです。
何も行動せず、自分がどの程度の人間か知らない人は、いつまでも成長することができません。
そのほうがむしろ愚かなことなのです。

『覚悟のコツ (リンダパブリッシャーズの本)』リンダパブリッシャースの本

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『フランスの経済学者であり、実業家だったジャン・パティスト・セイは、
「平凡で、何もできない人間の特徴は、《決断できない》ということである」
と言いました。
せっかく目の前に大きなチャンスがあるというのに、
「もし失敗したら、どうしよう」
「どうせ上手くいかないに決まっている」
「誰かがやってみるのを待って、その様子を見てから、自分がやるかどうか決めても遅くはないのではないか」
と、あれこれ悩んでいるうちに、せっかくのチャンスを逃してしまうのです』(同書より)

何事もやってみなければ分からない。
頭で考えているだけでは何の結果も出ない。
成功への過程とは、やっていくうちに間違えが見つかったらそれを修正する、その繰り返し。

「行動することによって自分の程度が分かる」
行動して、その結果がうまくいけばいいが、悪くなることのほうが多いのが現実だ。
失敗したときは、自分の身の程(ほど)が分かる。

失敗を恐れずに、行動する人でありたい
posted by Dr.モーリィー at 06:38| ちょっと気になる善い言葉 | 更新情報をチェックする

MNo 4229   【威張っちゃイケない、ナメられちゃイケない】

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【威張っちゃイケない、ナメられちゃイケない】

斎藤一人さんの心に響く言葉より…


徳川家康ってね、すっごい慎重だったの。
一回ね、崖みたいなところを通ったことがあって。
で、家康って「馬の名人だ」って言われてたの。
だから、家康はどうやってあそこを渡るんだろう、って、みんな見てたの。

そしたら、馬から降りて、馬の後ろから歩いてきたのね。
ハハハ、それぐらい、あの人は用心深い。

ところが、その用心深い家康が、武田信玄が攻めてきたときにね、天下の武田の騎馬隊に猛然とね、突撃かけたんだよね。
それで、一騎打ちしたの。
一生のうち1回ね、アレをやっておいたからナメられなかった。

だけど、ナメられたら終わりなんだよ。
人間、いつもおとなしいだけじゃダメなんだよ。
「丸くとも、ひと角あれや、人心」、と言ってね。
人間、まんマルじゃダメなんだよ。
ここいちばんのとき、「これ、おかしいですよ」って言えないと。

一見すると感謝できないことにも「感謝してます」と言うと、世間が変わり、あなたの人生も変わるよ…ということを、今までわたしは言ってきたんです。
前は「感謝してます」と言うと、因果が消えて、より一層しあわせになる、成功しちゃう人たちが、ホントにたくさんいたんだよね。
ところが最近、世間をぐるっと見渡したとき、波動が変わってきちゃってて。
魂的な修業が、「感謝します」から、
「威張(エバ)っちゃイケない、ナメられちゃイケない」
に変わってきた。

今、起きている問題は、「感謝してます」では埒(らち)があかないケースがほとんど。
「威張っちゃイケない、ナメられちゃイケない」を念頭に置いて、答えを出すと、しあわせで、成功するんです。

ナメられちゃイケないと思っていると、やがて自然と、ナメられないで対処できるようになるしね。
威張っちゃイケないと思っていれば、人に威張らない。
この2つができるようになったとき、あなたは本当の実力がついて、世間から絶大なる信頼を勝ちとることができる。

難しい反面、非常にやりがいのある修業だし、ホントに魂が喜ぶような挑戦です。
楽しくワクワクしながら、1日100回「威張っちゃイケない、ナメられちゃイケない」を唱えてみるといいですよ。

『人生に成功したい人が読む本 (PHP文庫)』

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いつも、おとなしかったり、いい人でいようとすると、ナメられるケースがある。
ナメられる人は、「自信がない」「オドオドしている」「風格がない」「小さな声でまともにしゃべれない」「言い返せない」等々の特徴がある。
つまり、堂々としていないし、毅然としていない。

一度ナメられてしまうと、その後ずっと頭があがらない。
子分のように扱われたり、イジられたり、バカにされたり、軽んじられたり、みくびられたりする。

ナメられないためには、ときに「非情さ」を見せつけることも必要だ。
たとえば、それは中国の孫武(孫子の兵法を書いた)の宮廷の女官を指揮したときのエピソードが有名だ。

もちろん、感謝の念が根底にあることが大事なのはいうまでもない。
しかし、いつもおとなしいだけではダメなのだ。

「威張っちゃイケない、ナメられちゃイケない」
威張っちゃイケないが、ナメられない人生を送りたい
posted by Dr.モーリィー at 06:33| ちょっと気になる善い言葉 | 更新情報をチェックする

2017年08月19日

No 4228   【よい言葉は自分自身のため】

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【よい言葉は自分自身のため】

佐藤富雄氏の心に響く言葉より…


つねに前向きな言葉を使っていると、人生は前向きに動いていきます。
「私の人生はよくなるいっぽうだ」
「必ずできる、とにかくやってみよう」
私もつねに、こういう前向きな言葉を使ってきました。
そして、「いくら出世しても、それだけでは面白くない。私は思う存分に人生を楽しみたい」と望んでいましたから、「人の何倍も働き、人の何倍も稼ぐ。収入は実業家並みに、趣味は貴族的に」と言葉にしてきました。

そう言って歩んできて実際にどうなったのかというと、私は今、確実に夢を現実のものとしています。
仕事は順調でじゅうぶんに収入がありますし、趣味はヨット、ハンティング、スキー、カメラなど多彩です。
私は著述のほかに講演をすることも多いので、
「夢や望みを抱くと心も身体もイキイキとする」
「私たちの脳には、夢を実現させる仕組みが備わっている」
「その仕組みを上手に活用するために、よい言葉をどんどん使おう」
と大勢の方々の前で話す機会に恵まれています。

このおかげで私は、自分の口から出た言葉の恩恵をそっくり一身に受け、夢をことごとく叶えることができたのです。
言葉は、それを発した当人に最も強く働きかけるからです。
言動の一致というよりも、言ったとおりに現実は動いていくのです。
そのうえ、私のように、大勢の方々に聞いていただくことで、言ったとおりのことが現実になるスピードはいっそう早まります。
あなたもぜひ、将来の夢や希望を周囲の人々に語ってください。
言えば言うほど、夢の実現が早まります。

「口ぐせ理論」の神髄は、自分の言葉によって自分の人生をつくっていく、というものなのです。
ここがちょっと誤解されやすい点なのですが、「口ぐせ理論」というものは、元気な人の元気な言葉によって元気を分けてもらう、というものとは違います。
むしろその反対で、自分の言葉で自分の元気をつくりだし、その元気を周囲の人にも受けとってもらおう、というものです。

自分の口から出た元気な言葉は、そっくりそのまま我が身に返ってくるのです。
これはぜひ、あなたも試してみてください。

しかし、
「いくらよい言葉をかけても、相手はちっともわかってくれない」
「意識して誉め言葉や感謝の言葉を使っているのに、相手からよい反応を引き出せない」
と悩んでしまう人もいます。
その場合は、少し視点を変えてみてください。

言葉の御利益はすべて自分に返ってくるのですから、相手がどんな返事をしようと、それは大した問題ではありません。
大切なのは、自分がどれだけ自分のためによい言葉を使っているかという点です。
誉め言葉や感謝の言葉は、聞くよりも話すほうが効力は大きいのです。

よい言葉を口にするのは、まず自分自身のためです。
あなたはあなた自身のためによい口ぐせを用いてください。
それを継続していくことによって、周囲のあなたを見る目が変わっていき、あなたが期待しているとおりのよい反応を示してくれる人々が増えてきます。
こういうよい循環をつくっていきましょう。

口ぐせの効果は、言った瞬間からたちどころにあらわれます。
しかし、言葉を聞いた相手に変化があらわれるには少し時間がかかる、と心得ておいてください。

『いい言葉は人生を変える! (ベスト新書)』

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自分で発した言葉を一番聞いているのは自分。
なぜなら、口の一番近くある耳は自分のものだから。
よい言葉や感謝の言葉を発しても、まわりがあまり聞いていなかったり、関心がないように感じても、自分に聞かせるためにしゃべっている、と考えるなら、人のことはあまり気にならなくなる。

反対に、いつも相手を批判したり、不平不満、愚痴、泣き言を言うことは、自分で毒を吐いているということ。
やがて、まわりからも恨みをかったり、人も離れていく。
そして、毒を吐けば、相手も傷つくが、自分の方がもっとダメージは大きい。

「よい言葉は自分自身のため」
よい言葉を発し続けたい
posted by Dr.モーリィー at 18:26| ちょっと気になる善い言葉 | 更新情報をチェックする

2017年08月18日

No 4226   【人口減少社会の希望】

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【人口減少社会の希望】

山崎亮氏の心に響く言葉より…


日本には1718の自治体があり(2014年4月時)、そのうち約半数は2040年までに消滅の可能性がある。
こう予言したのは増田レポートで、もちろん「このまま何も手を打たなければ」という注釈付きで考えなければならない指摘なのだが、いまの日本では誰ひとり経験したことのない「人口自然消滅」という趨勢(すうせい)の中で、僕らは豊かな社会のあり方を想像していかなければならない。
人口が減れば税収も減る。
自治体が使えるお金は少なくなり、日本中のまちはますます寂れていく…。
そんな悲観的な未来を描くのは容易(たやす)いことだ。

しかし、「ちょっと待てよ」と思う。
日本は先道を転がり落ちるように衰退していくわけではない。
未知なる局面を迎えて、少しばかり身動きがとれなくなっていると考えたほうがいい。
それはちょうど、体型に合わなくなった古い服を脱ぎ捨てて、これからの自分にピッタリ合った、美しくて機能的な服に着替える段階といってもいいだろう。

日本の未来を考えるとき、ぼくはしばしば「縮充」という言葉を使う。
本来は繊維の加工に関する用語だが、人口や税収が縮小しながらも地域の営みや住民の生活が充実したものになっていくしくみを僕らは編み出さなければならない時期を迎えている。
そのしくみこそが、これからの日本のサイズに合った衣装であり、衣装を仕立てるために不可欠な力が市民の「参加」だと感じている。

未来とは誰かがつくってくれるものではない。
新しい国家モデルのもとで、僕たちがつくりあげるものである。
それなら人々がまちづくりに参加して、魅力的な地域を自らつくりだせばいい。

行政の都合だけで無理やりコンパクトシティ化を進めるのではなく、市民が話し合いの場に参加し、自分たちの未来を自分たちでつくりあげればいい。
行政だってそれを望んでいるはずなのだ。
市民が自らの情報発信をすること、企業の商品開発に市民が参加すること、市民参加型の地域包括ケアを実現させることは可能だろうか?
人口も経済も縮むかもしれないが、市民の生活は充実するような方策がきっとあるはずだ。

そのとき、キーワードとなるのが「参加」である。
人々の主体性を伴った参加なくして「縮充する未来」はありえない。
幸いなことに、参加の潮流はさまざまな分野で高まりつつある。

縮減でも縮退でもない。
拡充でも補充でもない。
縮みながら充実させて、質感が良く温かい地域社会をつくること。
いわば「少数精鋭化」する未来について考えてみたいのだ。

拡大する時代の「少数精鋭」は、選ばれし者に限られた話だったかもしれない。
しかし、縮充する時代の少数精鋭化はみんなが参加することを前提とする。
そして、その潮流はすぐに始まっているのだ。

『縮充する日本 「参加」が創り出す人口減少社会の希望 (PHP新書)』

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山崎氏は本書の中で「参加」についてこう語る。
「『個』が優先されてきたことによる違和感のようなものに、日本人は気づき始めているのではないかという思いがある。
はたして『個』の時代は僕らの生活を豊かにしたのだろうか。
都合よく一人になれる一方で、病気になったり、事故に遭ったときの不安は増大していないか。
鬱、自殺、孤立死といった悲しい出来事や、振り込め詐欺のような卑劣な犯罪は、人と人とのつながりが希薄になったことと無縁ではないように感じている。
OECD(経済協力開発機構)が2005年に実施した社会的孤立に関する国際調査によると、家族以外の人との交流がまったくない、あるいはほとんどないと答えた日本人が15.3%もいて、この数字はOECD加盟国の中でもっとも高いという。
諸外国ではあまり見られない孤立死が日本で増えている背景には、人と人とのつながりが希薄になってことが一因ではないかと指摘している。
講演などでもしばしば話すのだが、僕には大好きなアフリカの諺(ことわざ)がある。
『早く行きたければ一人で行きなさい。遠くまで行きたければみんなで行きなさい』
一人では満たされない感情はたくさんある。
喜びも、悲しみも、孤独の中で噛みしめるより、仲間と分かち合ったほうがいい…。
そう考える人たちが日本中で増えてきていると感じる」

日本の人口減少は恐ろしいほどの速さで進んでいる。
我々は、このことは避けられない未来なのだと腹をくくり、その方向にそった最善の方法を探していくしかない。
そのひとつの解が、「参加型」のしくみをつくっていくことだという。
考えてみれば、我々は欧米型の「個」を重視する考えを従来より取り入れ、それが今、行き過ぎてしまったのかもしれない。

『早く行きたければ一人で行きなさい。遠くまで行きたければみんなで行きなさい』
人口減少社会での生き筋を探してみたい
posted by Dr.モーリィー at 08:30| ちょっと気になる善い言葉 | 更新情報をチェックする

2017年08月17日

No 4225     【呼べばやってくる】

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【呼べばやってくる】


精神科医、斎藤茂太氏の心に響く言葉より…
《幸も不幸もない。 要は心の持ち方一つなのだ。》(シェークスピア)“斎藤茂太”

何でも他人のせいにする人がいる。
それを「他罰(たばつ)」と言うが、晩年、生きがいもなく、孤独になり、わが身の不幸をかこつ人が現役時代にいかなる生活を送っていたかを調べると、他罰傾向が強く、すべてを不幸と結びつけていることがわかった。

私もこの頃「失敗」が増えた。
つい先日、羽田空港の公衆電話の上に帰りの航空券を忘れた。
私は大喜びで「自分史」の老化への過程の中に書き加えた。

「失敗は成功のもと」とつぶやきながら。

『心を豊かにする100の言葉』PHP

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時実新子(ときざねしんこ)さんにこんな言葉がある。
「太郎を呼べば太郎がくる」
これは、時実さんが祖母から教えてもらった言葉だそうだが、「不幸を呼べば不幸がくる。幸せを呼べば幸せがくる」という意味だという。

我々は日ごろ、色々なものを呼んでいる。
グチや不平不満・文句とかを言っていれば、グチや不平不満を言いたくなるような状況がやってくる。
つまり、グチや不平不満を呼んでいる。
ツイてるとか、うれしいとか、楽しいと言っていれば、運や、うれしいこと、楽しいことがやってくる。
つまり、運や、うれしいこと、楽しいことを呼んでいる。

すべての今起きている現象は、自分が呼んだからやってきている。

「幸も不幸もない」
世の中には、「幸」という現象も、「不幸」という現象もない。
自分がある現象を見てそう感じただけ。
つまり、「幸せ」を呼べば「幸せ」が来る。
だからこそ、「呼ぶ」ことが大事。

いいことも悪いことも、呼べばやってくる。
どんなときも「幸せ」を呼ぶ人でありたい
posted by Dr.モーリィー at 19:22| ちょっと気になる善い言葉 | 更新情報をチェックする

No 4224   【主役となるか被害者となるか】

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【主役となるか被害者となるか】

マーク・レクラウ氏の心に響く言葉より…


あなたの人生の責任を負っているのは、ほかならぬあなた自身だ。
上司、配偶者、親、友人、知人、顧客、景気、天気ではない。
自分の人生で起こることについて他人を責めるのをやめると、すべてが変わる。

自分の人生に責任を持つということは、人生の主導権を握って「主役」になるということだ。
あなたは「被害者」になるのではなく、主役として境遇を自らつくり出すか、少なくとも自分が状況にどのように対処するかを決定する力を得ることができる。
重要なのは、人生で何が起こるかではなく、自分がどんな心の姿勢を持つかだ。

心の姿勢は自分で選ぶことができる。
もし自分の状況を他人のせいにするなら、自分の人生を好転させるためには、他人を変えなければならないという理屈になる。
だが、他人を変えることはまず不可能である。

一方、もしあなたが主役なら、自分の人生の中で好きではないことを変える力を持っている。
あなたは自分の思考、感情、行動をコントロールすることができる。
もし結果が気に入らないなら、自分の思考、感情、行動を変えればいいのだ。

責任に対する考え方→他人や環境のせいにする(被害者)→自分が責任を持つ(主役)
現状に対する姿勢→言い訳をして正当化する(被害者)→たえず改善に努める(主役)
変化に対する姿勢→何も変えようとしない(被害者)→率先して変化を起こす(主役)
焦点をあてる対象→問題に焦点をあてる(被害者)→解決策に焦点をあてる(主役)
運に対する考え方→幸運に恵まれるように祈る(被害者)→自分で幸運をつくり出す(主役)

被害者は人生でうまくいかないことをすべて他人や環境のせいにする。
しかし、そんな姿勢ではいつまでたっても問題を解決することができない。

たとえば、交通事情のせいで遅刻しがちだと思い込むと、あなたはいつまでも遅刻しがちになる。
これは被害者の行動パターンだ。
しかし、主役になって人生の主導権を握りたいなら、早めに家を出ればいい。
そうすれば、問題はすんなり解決する。

被害者意識を持っている人は、自分の人生の責任を他人になすりつけて自分を正当化する。
一方、主役はつねに自分の人生に責任を持ち、過去の経験から学び、たえず改善に努め、理想を追求する。
大切なのは、あなたがどちらを選ぶかということだ。

『習慣を変えれば人生が変わる』ディスカヴァー

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「人生の悲喜こもごもさまざまな出来事は、実はすべて必要で必然です」(船井幸雄)
人生に起こるすべてのことが、必要で必然である、と深く思ったとき、自分の人生の主役となれる。
しかし、人生に起こるすべてのことが、理不尽で、納得いかない、と思ったとき、被害者となる。

よく、人生は「舞台」だと言われる。
自分が脚本を書き、なおかつ、自分が主役となってそれを演じる。
自分で脚本を書いているのだから、筋書きに文句は言えない。
つまり、人生を、不平不満やグチ・泣き言の多い「悲劇」にするのか、楽しくて、幸せいっぱいで、大笑いの「喜劇」にするのかは自分が決めている。

結局、何でも他人のせいにする人は、自分が変わろうとしない人。
自分を正当化しようとするから、他人のせいにする。

たった一度しかない人生…
被害者ではなく、主役として精一杯楽しみたい
posted by Dr.モーリィー at 09:23| ちょっと気になる善い言葉 | 更新情報をチェックする

2017年08月16日

No 4223   【「生きざま」を見せることで誤解を解く】

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【「生きざま」を見せることで誤解を解く】

小林正観さんの心に響く言葉より…


忠臣蔵(ちゅうしんぐら)の「四十七士(しじゅうしちし)」の中に神崎与五郎(かんざきよごろう)という人がいます。
彼は浪人になってから「美作屋善兵衛(みさくやぜんべえ)」と名乗り、吉良(きら)家の内情を探っていました。
ある日、屋台で隣り合わせた町人に「あんたは、元はおさむらいだね。どこの国の人だね」と尋ねられた与五郎は、「播州(赤穂)だ」と答えました。

当時は「浅野家の家臣たちがあだ討ちをするのではないか」というのが町の噂(うわさ)になっていて、町人も「きっとやってくれるんだよな」と与五郎にからみます。
むろん討ち入りの準備は進んでいました。
しかし、四十七士には「決して計画を人に話さない」という誓いがありますから、「いや、主君のあだ討ちなど、誰もそんなことは考えていない」と答えるしかありません。

「意気地(いくじ)のない話だ…」と彼の名前を聞いた町人は、お酒の勢いもあり、与五郎の頭に冷や酒をドボドボかけ、「それこそ寒酒もよかろう(神崎与五郎)」だ」という言葉を残して店を出ていきました。
その後、吉良邸に討ち入って切腹を命じられた四十七士の中にはもちろん与五郎もいました。
町人は墓前に頭をこすりつけて謝り、一生彼の墓の世話をしたそうです。
“生きざま”を見せることで与五郎は誤解を解き、町人に「わかってもらった」のでした。

《誤解されているときには、これからの「生きざま」を見せることで誤解を解く。「いつかはわかってくれる」と信じられれば、弁解や言い訳がずいぶん減っていく。》

『心を軽くする言葉-宇宙を味方の「か・が・み」の法則』イースト・プレス

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江戸時代の名僧、白隠禅師の逸話がある(『君の霊格を高めよ』無能唱元)より
『松蔭寺の門前に住む財産家の娘が身ごもってしまい、父親から、だれの子かと激しく責めたてられ、つい、白隠禅師の子だといってしまう。
激怒した父親はその赤ん坊を抱いて松蔭寺にやってきて、「今まで尊敬していたが、人の娘に手をつけるとはとんだ生ぐさ坊主だ。さあ、この赤ん坊を引きとってくれ」と大声ののしって帰って行ってしまった。
禅師は別に怒る風もなく、その赤ん坊をそだて始めた。
それで禅師の信用はすっかりなくなり、信者も弟子も去って、松蔭寺はすっかりさびれてしまった。
禅師は赤ん坊をとてもかわいがり、村々を托鉢して行く。
村人の中には禅師の姿を見ると嘲笑し、石を投げたり、塩をまいたりする者もあった。
ある雪の日、赤ん坊を抱いて托鉢をしている禅師の姿を見ていたその娘は、ついに耐えきれなくなって、ワッと泣き出すと、父親に真実を打ちあけ、あれは白隠さんの子ではない、と言った。
仰天した父親は、禅師のもとへ走り、平あやまりにあやまった。
禅師は、初めと同じように、別に怒る風もなく、「ああそうか、父がいたか。よかったな」といって、その赤ん坊をかえした。
このことがあってから、以前にも増して信者や弟子が松蔭寺に集まるようになったという』

「駿河には過ぎたるものが二つあり、富士のお山に原の白隠」とまでうたわれ、500年に一度の天才と称されたのが白隠禅師。
生涯を墨染(すみぞ)めの衣で過ごしたといわれる。

誤解を受けても、一切言い訳をしない。
そして、誤解は行動で解く。
しかしながら、凡人にはこのことがなかなかできない。
ついつい、言い訳をしたり、大声で自分の正当性を主張してしまう。

「いつかはわかってくれるだろう」と信じ…
「生きざま」を見せることで誤解を解きたい
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2017年08月15日

No 4221   【人と違うことをすることを恐れない】

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おいちゃんの お気に入りブログ 【人のこころに灯をともす】からの転載です

【人と違うことをすることを恐れない】

心臓血管外科医、天野篤氏の心に響く言葉より…


天皇陛下の心臓手術は東京大学と順天堂大学の合同チームにより行われた、「異例のケース」といわれた。
その手術を執刀して以来、私の生い立ちや、これまでの歩みをたくさんの記事にしていただいた。
過分なおほめの言葉も頂戴し、テレビでも、「天野篤」というひとりの医師が、どのようにして陛下の手術に携わるようになったのかを幾度も紹介していただいた。

そこでの「人となり」を数行に要約すると、天野篤という人間はだいたい次のようなことになる。
「落ちこぼれだった高校生が、心臓病で闘病する父親を助けようと医師を志し、三浪して日大の医学部に入った。
やがて心臓外科医になるが、自分も立ち会った3度目の手術で父親を失う。
自分にもっと力があればと、一念発起し、ひたすら腕を磨いていき、6000例を超える心臓手術を行うまでになった」

三浪という不名誉なことも含めて、たしかに事実はそのとおりだ。
今は順天堂大学医学部の心臓血管外科教授というポジションに押し上げていただいたが、もともとは出身大学の医局にも属さずに、一匹狼ともいえるような道のりを歩いてきたノンエリートだ。
ここに私の原点がある。
生来、人と同じことをするのが嫌いな反骨精神もある。
だが、30年医者をやってきて、本音でいいたい思いもある。

たとえば、受験難関校から旧帝大医学部に合格した秀才だけが医師になって本当によいのだろうか?
手術するのは学者ではない。
組織で偉くなる人でもない。
今後の医療現場では、かつての医師と現代の医師とでは求められる力が違うということもある。
最先端の医療現場では、医師が「ダヴィンチ」という手術支援ロボットを操作して、出血の少ない外科手術を行う時代にもなった。
つまり、小さい頃からコンピューターゲームの得意だった子が、優秀な外科医になりうる時代になっている。

私のように、小さい頃、プラモデル作りが得意だった子どもが患者さんのために役立つような時代だ。
プラモデルでは、部品のはがし方だって相当に集中してやった。
ひとつひとつの部品は、ニッパーできれいにはがさないとうまく仕上がらない。
1個部品を壊すだけで台無しになり、後戻りしなければならない。
そういうことが、熱中してきたことを通じてわかる。
だから、若い人のいろいろな経験を否定しないことが大切だ。

お母さんが我が子に、「ゲームばっかりして」と怒ることもあるだろうが、私は否定してはいけないと思う。
「ダヴィンチ」以上の手術支援機器が登場してくると、その技術的な進歩が、これまでの不可能を可能にするきっかけになったりする。

実際、医学部で教授という立場で、意思を育てるという側に立つと、弾力性ある若い力を、そのまましなやかに伸ばすには、どうしたらいいのかと、日々考えさせられる。
次世代のそれぞれの「思い」をどのように磨いていき、未来を切り拓(ひら)いていくのか…これからサポートしたいことでもある。

『熱く生きる』セブン&アイ出版

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「禍福(かふく)は糾(あざな)える縄(なわ)の如(ごと)し」ということわざがある。
災いと幸福はまるで、より合わせた縄のように、かわるがわるやってくる、という意味。
失敗だと思っていたことが、成功する原因になったり、子どものころの無駄だと思っていた経験が、大人になって役に立つ、というようなことは多い。

これからの世の中はすさまじい勢いで変化する。
今までの技術が一瞬にして役に立たなくなるような、新技術も登場するだろう。
大事なことは、これからは、暗記したり、それを再生するというようなデジカメ的能力はまちがいなく必要なくなってくるということだ。
つまりたとえば、受験勉強で必要な記憶再生能力のようなこと。
現在は、それがスマホ一つでこと足りるからだ。

みんながやるから、自分もやる、というような生き方では、確実に取り残される。
人と違うことをすることを恐れない人でありたい
posted by Dr.モーリィー at 19:35| ちょっと気になる善い言葉 | 更新情報をチェックする

No 4220   【無事是貴人】

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おいちゃんの お気に入りブログ 【人のこころに灯をともす】からの転載です

【無事是貴人】

臨済宗相国寺派管長、有馬頼底氏の心に響く言葉より…


禅語の中で特に有名なものの一つに「無事是貴人(ぶじこれきにん)」『臨済録』という言葉があります。
「無事」という言葉から、「平穏無事で何事もないのが一番」という意味合いに取られることも多いのですが、じつはここで言う「無事」とは、そいう意味ではありません。
言うなれば、「ただ、造作すること莫(なか)れ」ということであって、つまるところ「何もしない」という意味です。
つまり「仏の道を歩み、悟りを得るというのは、何もしないということだ」とこの言葉は説いているのです。

そう言われても、なかなかピンとこない人も多いでしょう。
たとえば、庭先にきれいな一輪の花が咲いていたとします。
そんな花を見つけると、花の美しさを際立たせようと周囲の草花を抜いてしまったり、逆に別の草木を植えてみたり、石を配して、いかにも趣深(おもむきふか)そうな演出をしたり、逆に照明を当てて鮮やかにライトアップしてみるなど、いろいろなことをしてしまう人がいます。
しかし、本来の美しさというのは、何もしない、ありのままの姿にこそある。
それが「無事是貴人」という言葉の教えなのです。

それは、人間性と言う意味においても同じではないでしょうか。
もともと仏教には「どんなもの、どんな人の中にも仏がある」という考えがあります。
あらゆる人、動物、植物にも仏の心が宿っているのです。

そのように初めから自分の中に仏の心があるというのに、自分の外側ばかり見て「仏の道を極めたい」「悟りを得たい」と奔走するのは、愚かなことです。
事実、日本の禅宗文学に一大金字塔を建立した白隠禅師も「遠く求むるはかなさよ」(遠くばかりを見ても、仕方ないのだよ)と述べています。

元来、あなたには「あなたなりの美しさ、すばらしさ」があるものです。
過度に着飾ったり、化粧をしたり、高価な持ち物を持たなくても、そのままのあなたで十分にすばらしい。
「いい大学を出た」「いい会社に入った」「お金持ちだ」「部長だ、専務だ、社長だ」と、いろいろな要素で自分を装飾しなくても、本当の魅力は「あるがままのあなた」にあるのです。

つまり、それが「何もしない」という生き方なのだと思います。
もちろん、「何もしない」というのは、怠惰な生活を送るという意味ではありません。
目の前の日常をありのままに受けとめて、淡々と、自然にまかせて、懸命に生きること。

「幸せになりたい」「満たされたい」と頑張るのではなく、あるがままのあなたとして淡々と生きることが大事なのです。
わび茶の完成者として知られる千利休は「叶うはよし、叶いたがるは悪し」と言っています。
「願いが叶うのはいいことだけれど、叶って欲しいと願うのはよくない」ということです。
もしかしたら、あなたにも夢や希望、願望があるかもしれません。
しかし、それは「求めるもの」ではありません。
淡々と、懸命に生きる中で「いつのまにか叶うもの」だと利休は言っているのです。

何かを求めるでもなく、自分を虚飾するのでもなく、ただ淡々と「何もしない」という生き方をする。
ぜひとも実践して欲しいものです。

『金閣寺・銀閣寺の住職が教える 人生は引き算で豊かになる』文響社

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小林正観さんは、「頼まれごとの人生」と、よく言う。
「頼まれごとの人生」とは、自ら、ああだ、こうだ、と画策したり動いたりするのではなく、人から頼まれたことをただ淡々とこなしていく、という生き方のこと。

人からの頼みを断ってばかりいる人は、やがて、人から頼まれなくなる。
人からよく頼まれる人は、あまりこだわりなく、気持ちよく引き受けてくれる人。
これを続けていると、大きな意志の力で自分が動かされているのがわかる。
それが、「使命」だと正観さんはいう。

ただひたすら一所懸命に、自分の目の前にきた仕事や頼まれごとを黙々とこなしていくこと。
定年後なにもすることがない、という人は、頼まれごとを引き受けてこなかった人。
若い頃から気持ちよく引き受けてきた人は、いくつになっても、あちこちから声がかかる。

「無事是貴人」の生き方を目指したい
posted by Dr.モーリィー at 09:26| ちょっと気になる善い言葉 | 更新情報をチェックする

2017年08月14日

No 4219   【時代の空気を知りたければ】

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おいちゃんの お気に入りブログ 【人のこころに灯をともす】からの転載です

【時代の空気を知りたければ】

本田直之氏の心に響く言葉より…


今の若い連中はお酒も飲まなければ、車を所有したいという願望も強くないといわれています。
それをみて覇気がないと憤る人がいますが、そういう人たちはすでに時代感覚を失っているのではないでしょうか。
ダーウィンの進化論ではありませんが、環境の変化に合わせて、進化してきた結果が、彼らの生き方や行動スタイルなのだと、僕は思っています。

だから、時代の空気を知りたければ、年配者ではなく若者とつきあうべき。
自分たちと違うといって敬遠していても何も始まりません。
そういう人は、やがて淘汰されているようになっているのです。

『本田流 しりあがり的 額に汗する幸福論』かんき出版

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「今は暗い時代だ、どんどん悪くなっていく」という人がいる。
しかし、よく考えてみればわかるが、昔に比べて今の時代はすべてが格段に便利になり、社会も少しずつよい方向に進んでいる。

江戸時代は、洗濯機もクーラーもテレビも、スマホも、パソコンも自動車も飛行機もなかった。
現代はそれがさらに日々進化している。
なぜなら、人が「こうあって欲しい」「こうなると便利だ」と考えたものが次々と実現しているからだ。
そして、戦争も紛争も、かつてに比べたら格段に少なくなっている。

つまり、どんどんいい方向に進化しているのだ。
時代の変化が分からなくなると、変化を否定するようになる。
昔はよかった、と。

1200年以上前に建てられた法隆寺の塔にも、「最近の若者はしょうがない」という意味の落書きがあるという。
「時代の空気を知りたければ、年配者ではなく若者とつきあうべき」
時代の変化を否定しない人でありたい
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