2017年07月30日

No 4203   【プラス発想で生きるには】

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おいちゃんの お気に入りブログ 【人のこころに灯をともす】からの転載です

【プラス発想で生きるには】

船井幸雄氏の心に響く言葉より…


すべての事柄にプラス発想で取り組み、前向きな心で生きるための条件を具体的に考えてみると、2つの点に集約されるように思います。
それは、「現状肯定」と「感謝」です。

現状肯定とは、たとえばあなたがリストラの憂き目にあったとします。
それは望んだことではないでしょうが、その事実はもう変えられない。
そういうとき、その事実を後ろ向きにとらえるのはやめて、そこを出発点として、できるだけ前向きに現状打破に取り組む。
そういう姿勢のことです。

コンサルタントの世界でも、こういうことがあります。
あるパチンコ店では、300台ある機械のうち、じっさい稼働しているのは100台程度にすぎないとします。
こういうとき、人は3分の1しか動いていない…とマイナス発想におちいりやすいものです。

しかし、そんな場合でも、私たちはつぎのようにアドバイスするのです。
まず、もともと100台しかない店だと考えて、稼働していない200台は頭から排除してしまいましょう。
そして、稼働している100台にしぼって、お客さまに徹底的に満足してもらえるような努力、工夫をしましょう。
その100人に満足してもらったら、その満足度を150人、200人とひろげてゆき、最終的に300人までもっていきましょう…。

こうしたやり方をすると、店の経営者は前向きになって、おおいにやる気を出してくれるのです。
つまり、客観的な事実は変わらないくても、それを前向きに受け止めるか、後ろ向きに受け止めるかで、結果には雲泥の差が出てくる。
だから、現状肯定がとても大切なのです。

現状肯定とは、よくも悪くも、すでに起きてしまったことをすべて「よいこと」だとして受容することです。
すなわち、過去はみんな善。
それが現状肯定の精神なのです。

もう一つは「感謝」。
感謝の心をもつと、その人間のいちばんよい部分、長所が出てきます。
したがって、感謝できる材料があるから「感謝しよう」ではなく、「どんなことにも感謝しよう」と思うことが大切です。

近ごろでは、人の悪いところを見つけたり、いたらない部分を批判したりするのが上手な人が増えた半面、人に感謝の思いを伝えることは下手な人が多いようです。
そんな姿勢では決して他人を喜ばせられないし、自分も成長していきません。

ですから、まず、起きてしまったことを現状肯定する。
つぎによいことがあったらもちろん、悪いことがあっても、ありがとうと感謝するよう努める。
この現状肯定と感謝は、プラス発想で人生を前向きに生きるために不可欠な2大条件といえます。

『法則』サンマーク出版

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船井氏は、「起きることはすべて必然、必要であり、ベストのことしか起こらない」という。
それはつまり、「現状肯定」であり、「過去はすべて善」ということでもある。
「過去はすべて善」とは、過去に起こったことは、自分にとって、すべて必要、必然なことだったと得心すること。

いいことがあったときに「ありがとう」と感謝するのはとても必要なことだ。
しかし、五日市剛氏は、「嫌なことがあったときにも『ありがとう』と言ったほうがいい」という。
なぜなら、『ありがとう』という言葉で、不幸や不運の連鎖が断ち切られるからだ。

『プラス発想は、「現状肯定」と「感謝」』
プラス発想で生きていきたい
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No 4202   【今日、何かいいことあったかい?】

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【今日、何かいいことあったかい?】

斎藤一人さんの心に響く言葉より…


私はお弟子さんに会うと、必ず最初に言う言葉が決まっています。
「今日、何かいいことあったかい?」

いつも楽しい話が聞きたくてたまりません。
そして私自身は何が起きても楽しい。
仕事も楽しいし、人生も楽しい。
風邪をひいても楽しいし、雨が降っても楽しい。

私をよく知らない人は、
「一人さんはお金持ちになったから楽しいんですよ」
と言いますが、お金持ちになったから楽しいんじゃないんですよ。
楽しいからお金持ちになったんです。
順番が逆ですね。
私はお金持ちになる前からずっと楽しかった。

たとえば身近な人に不幸があったとしても、ふつうの人は死んだら人生が終わりだと思っているけれど、私は何回でも生まれ変わると信じているので、そんなに悲しくはない。
村芝居みたいなもんで、今世は親子として出会ったけど、次に生まれ変わったら兄弟になっていたり、結婚相手だったり、おもしろいんです。
そう思っている私は、人が亡くなっても、また会えると思っているのでそんなに悲しまなくてすみます。
それから自分の人生の舵は自分で握っていると思っているから、人生をどうにでもできるのも楽しい。

私は人生を映画だと思っているんです。
自分が監督で自分が主役。
喜劇にするか、悲劇にするか。
どんな映画、つまり人生にするか、私の自由だと思っているから楽しくてたまりません。

思い通りにならないことが起きたら、
「どうしたら思い通りになるのか」
と考えるのが楽しい。
私という存在自体が楽しいんです。

だから悪い方角もクソもない。
西に行こうが東に行こうが、私がいるところが楽しい。
北海道が楽しいんじゃなくて、北海道に私がいるから楽しいんです。
そうやって楽しく生きていれば、友だちができないとか、人間関係が続かない、という悩みが起きるのが不思議になります。

『変な人が書いた 人生の哲学』PHP研究所

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米国の教育学者ピーター・クライン氏が提唱した、グッド・アンド・ニュー(Good & New)という組織活性化の手法がある。 
直近24時間以内の「良かったこと」もしくは「新しいこと」を皆の前で発表するのだ。 
校内暴力が多発し、無法地帯となったアメリカの学校でこの「Good & New」を使うことにより、短期間で安全な環境に変えたことで有名になった。

毎日、グッド・アンド・ニューを発表すると、参加者は発表のためのネタ探しをする。
すると、「良かったこと」や「新しいこと」に焦点(しょうてん)を当てる生活が始まる。
つまり、斎藤一人さんが、「今日、何かいいことあったかい?」とお弟子さんに聞くのと同じことだ。

楽しいことを毎日の中で見つけるのが上手な人は、毎日が幸せで楽しい。
嫌なことや苦しいこと、つまらないことを日常の中で見つけるのが上手な人は、毎日、不平不満やグチ、文句を言って暮らす。

「今日、何かいいことあったかい?」
良かったこと、楽しいことを見つけるのが上手な人でありたい
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2017年07月29日

No 4201   【常に好奇心や関心・興味を持つこと】

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【常に好奇心や関心・興味を持つこと】

小林正観さんの心に響く言葉より…


講演会の後の、ある二次会(30人ほど)で、こんな出来事がありました。
私が「お札をこういうふうに折ると、どうも仲間(お金)を呼んでくれるらしい」という楽しい話をしたときのことです。
「どういうふうに折るんですか」と、ほとんどの人が笑顔になり、その折ったお札の見本をその場に回しました。
ぐるりと回っていき、2種類の見本がたまたま私の目の前の30歳ぐらいの女性のところに来ました。

1つ目の見本を見て、彼女はこう言いました。
「こんなことを考えつく人って、ずいぶん暇なんですね。暇な人でないと、こんなこと見つけませんよね」
これが、彼女の開口一番の言葉でした。

それから10秒ほど経って、2つ目の見本が彼女のところに回ってきました。
彼女はそれを見ながら、こう言いました。
「この脇の人物がこういうふうに折れているのを見ると、変なふうにゆがんでいて不愉快ですね。こんな変な顔って見たくないですよね」

私は、笑顔で穏やかに言いました。
「〇〇さん、今、2つのものを見て、2回とも否定的な反応したことに自分で気がつきましたか」
「えっ、そうですか」
本人は驚いた様子でした。
否定的な反応をしたこと自体に、彼女自身は気がついていなかったようなのです。

「今、1つ目は、開口一番こう言ったのですよ。
2つ目が回って来たときには、こういったのですよ。
2つが2つとも、大変否定的な言葉でした。
話題の本体の話をするのではなく、まったく関係のないところを非常に皮肉っぽい目で見ながら、それについて冷たく否定的な意見を言っていました。
『こういう楽しい話があるのですよ』と言った私をがっかりさせました。
その言葉を聞いて、体中の力が抜けてしまいました。
『ああ、この人には何を言ってもダメなのだ。もうそれ以上の話をしても仕方ないかな』という気にさせられたのですよ」
と私は申し上げました。

何か面白く楽しい情報があったとき、それを教わった人が開口一番で否定的なことを言った瞬間に、その情報を持ち込んだ人は、シュンとしてしまいます。
そして、これ以上のことを言ってもまた冷たく否定的な言葉が返ってくるだけなんだと思ったら、2つ目、3つ目の情報は話さなくなります。
この人に対して何か楽しそうな情報や役に立ちそうな情報を持ち込んでも、多分、役に立たないだろうと思ってしまうのです。

「こんなことを考えつく人って、ずいぶん暇なんですね」と言った瞬間に、それはもう、それ以上のことを聞きたくないと潜在意識の中で言っているようなものです。
それは取りも直さず、「私はそんなことについて、新しい情報は仕入れたくない。今の私で充分なのだ」という驕(おご)り、高ぶり、傲慢(ごうまん)、うぬぼれの側面を見せているということにほかなりません。

謙虚であるということは、自分以外の人が何か面白い情報や、楽しく新しい情報を持ち込んできたときに、「それで、それで」と言って聞く立場になることです。
つまり、自分の中に吸収しようとする心があること、常に好奇心や関心・興味があることが、謙虚さの1つなのではないでしょうか。
自分の中に、ある程度の勉強をしてきて、そんなつまらないことには関心がないという場合に、否定的で冷たい反応になるのだと思います。
で、開口一番そういう言葉が出てくるのでしょう。

その結果として、そこから先の話は進まなくなります。
つまり、否定的な言葉を言い、そこでピシャッと遮断してしまうのは、本人は気がついていないのかもしれませんが、とてももったいないことをしている、と私には思えました。

謙虚であるということは、相手の話や情報をなるべくたくさん聞き入れて、自分が大きくなること(広がること)です。
謙虚に、興味を持って人の話を聞けば、相手は多分もっと話をしてくれます。
そして、そのたくさんの話の中から自分の感性に合うものだけを取り入れればよいのです。
その1つのひとつの情報について、気に入る、気に入らない、と間の前で感想を言うことは意味がありません。
「なるほど、そうですよね。それで、それで」というふうに、笑顔で相手の話を引き出すこと、これこそが謙虚さであり、なおかつ、もっとも自分が得する立場というものではないでしょうか。

『神さまに好かれる話: 悩みを解消する法則 (単行本)』三笠書房

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人があの世に旅立ったとき、神さまから聞かれることがあるという。
「あなたは、人生をどれくらい楽しんできましたか?」(同書の中から)

楽しんで生きてきた人は、人の話を面白がって、楽しそうに、「それで、それで」と聞く。
楽しんでこなかった人は、人の話をつまらなそうに聞き、さらに、冷たく、否定する言葉を言う。

人の話だけでなく、どんなことが起きても、それを面白がったり、その中に楽しみを見出し、好奇心いっぱいに生きている人は幸せだ。
常に好奇心や関心・興味を持って生きていきたい
posted by Dr.モーリィー at 06:54| ちょっと気になる善い言葉 | 更新情報をチェックする

No 4200  祝 4200回!達成!

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今回で 通算4000回更新  達成!

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ひとつは ボケ防止のために  ははは

今後も ゆーーっくりとのんびりと
お付き合いくださいませ!

  皆様に 感謝・大感謝です!



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最新ぶろぐ更新情報です!
毎日のおいちゃんのお気に入りぶろぐ「人のこころに灯をともす」からの転載をはじめ
日記代わりに ボケ防止に ははは! ぶろぐを更新しております
時間あるときにでも 覗いてくださいませ

準備中

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2017年07月28日

No  4199   【地力のある人】

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【地力のある人】

川北義則氏の心に響く言葉より…


一見、頭のよい人間よりも、どこか鈍な人間のほうが大きな仕事をやり遂げることが多い。
これはなぜだろうか。
理由は二つあるように思える。

ひとつは余計なことを考えないからだ。
「ダメかも知れない」とか「もっとよいやり方があるのでは…」といったことに思いを馳せない。

もうひとつは「繰り返す能力」があることだ。
「反復」ということを軽く見る傾向があるが、人間心理に一番影響を及ぼすのは繰り返しなのである。

つまり余計なことを考えないで、一つ事を繰り返す能力を、鈍といわれるような人は持っているのだ。
この能力は地道な努力、すなわち「地力(じりき)」のようなもの。
つまり鈍と見える人には地力があるのだ。

『ちょっと自分を変えてみる生き方』廣済堂出版

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鈍(どん)な人の反対は、鋭(するど)い人。
鋭い感性を持つのはよいが、それが「過ぎる」と問題だ。
過敏(かびん)であったり、神経質であったり、ナーバスになったりする。
だから、何か新しいことを始めるときも、考えすぎてスタートできなかったりする。

反対に、鈍な人は行動が早い。
あまり深く考えないからだ。
自転車に乗ることができるようになったのは、とりあえず乗ってみたから。
いくら考えても、行動しなければ先には進めない。
そして、行動的な人は失敗を恐れない。

「よく若い人に言うのだが、一日も早く“地力”をつけよ、と。
僕はこの“地力”という言葉が好きで、これは人間の足腰を鍛え、少々のことではへこたれない本物の力を意味する。
地力をつけるには、苦労を体験するのが必須条件だ」(土光敏夫)

少々のことではへこたれない、地力のある人をめざしたい
posted by Dr.モーリィー at 07:08| ちょっと気になる善い言葉 | 更新情報をチェックする

No 4198   うなぎ

土用の丑の日を過ぎてしまいましたが
むしょうにウナギが食べたくなって 行ってまいりました

うなぎの 美鶴

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とてもおいしくいただくことができました  満足・大満足

おいちゃんの 個人的な意見ですが 場所や好みの味など
ベスト3は 甲乙つけがたく

うなぎの美鶴・うなぎのふじ井・うなぎの松重

これで 暑すぎる夏も頑張れます!

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posted by Dr.モーリィー at 06:45| SHOP情報 | 更新情報をチェックする

2017年07月27日

No 4197   【自分に負荷をかける】

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【自分に負荷をかける】

内藤誼人氏の心に響く言葉より…


格闘技の選手は、手足に重りなどをつけてトレーニングをする。
マラソン選手は、わざわざ空気の薄い高地に出向いてトレーニングをする。
なぜ、わざわざ重りをつけたり、空気の薄いところでトレーニングをするかというと、それだけ自分に負荷をかけることができ、トレーニング効果もグンと高くなるからである。

重りがなければ練習もラクであろうし、空気が薄くないほうが練習はしやすいであろう。
けれども、そういう“ぬるま湯状態”にいたら、結局は、自分を鍛えることができない。
自分を追い詰め、苛酷な環境に置かないと、人は強くなれないのである。

自分にハンデを課す、というのはいいことだ。
たとえハンデがなくとも、そういうときには自分で意識して、ハンデを課したほうがいい。

「卓球日本」の名が世界にとどろいたのは、萩村伊智朗の登場によってであった。
彼は、昭和29年、ロンドンの世界選手権で優勝すると、以来、8回連続して世界選手権に出場、金メダル計12個を獲得して、世界を仰天させた。
なぜ萩村は、それほど強かったのか。

その理由は、せりあいに強くなるため、練習では心の中で自分にハンデを課していたからである。
練習のとき、萩村は、0−5から数えたという。
自分が負けている状態をイメージし、そういうハンデがあるという設定で練習していたせいで、「せりあいに強く、逆転力のある勝負師」と呼ばれるようになったのである。

仕事をするときには、あえて自分にハンデをかけよう。
たとえば、「金曜日までに片づけてほしい」とお願いされた仕事は、自分の心の中でさらに2日のハンデを課して、「水曜日までには終わらせてやる!」という気持ちで取り組むのだ。
「1日5件の営業回り」が会社のノルマなのだとしたら、やはり自分にハンデを課して「1日15件」の訪問先を回るようにするのだ。

「ただでさえ、やる気がないのに、そんなことはできませんよ」と思うかもしれないが、そうではない。
みなさんがやる気にならないのは、自分を甘やかしているからである。
ラクなところで生きているから、やる気も出ないのだ。
自分にハンデを課して、厳しい状況に追い込めば、「これはいかん!」と思ってやる気が出てくる。

人間というのは、追い込まれれば、だれだってやる気になるのだ。
ノルマや締切が比較的ラクだったら、どうなるか。
当然、追い込まれるまでやる気にならないだろう。
だから、わざと自分の心の中でハンデを課し、自分を追い込むのである。
そうすれば、やる気も出てくる。

チューリッヒ大学のコーネリウス・コーニングは、締切直前になってやる気が高まる現象を「デッドライン・ラッシュ」と呼んでいる。
だれでも締切直前にはやる気が出るのだから、わざと締め切りを前倒しで設定すれば、いつでもやる気は引き出されるのだ。

『自分を「やる気」にさせる! 最強の心理テクニック』ぱる出版

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負荷をかけたり、ハンデを課すことは、個人だけでなく会社においても同じことが言える。
強い筋肉質の会社になるため、より厳しい会計処理をしたり、より苛酷な条件を自らに課すことだ。

言い方は悪いが、負荷をかけるということは、自分で自分の首を絞めること。
自分で自分の首を絞めなければ、人(世間)から首を絞められてしまう。
つまり、会社として生き残れなくなる。

「百尺竿頭(ひゃくしゃくかんとう)に一歩を進む」(伝灯録)という禅語がある。
百尺の長さの竿 (さお) の先まで達しているが、その上、なお進もうとする努力や工夫のこと。
努力を尽くした上で、さらに一歩、もうひと踏ん張り、尽力(じんりょく)する。

ときに、自分に負荷をかけることも必要だ
posted by Dr.モーリィー at 09:05| ちょっと気になる善い言葉 | 更新情報をチェックする

2017年07月25日

No 4196   【父の教育】

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【父の教育】

女優・作家・演出家の、わかぎゑふ氏の心に響く言葉より…


私は父の晩年、56歳の時に生まれた子どもだった。
父の口癖は「残念ながら、僕はきみが20歳になるまで生きてへんと思うで」。
子供の頃はそれが悲しくてよく泣いたリもしたが、いつの間にか「ま、人間いつか死ぬんから、その時はその時やん」と言い返せるような強靭(きょうじん)な精神力を持つ中学生に育った。
ひょっとしたらあれも父の教育のひとつだったのかもしれない。

父とはよく映画の話をした。
だが普通の親のようにいい話、素敵な教育なんかしてくれたことはなかった。

「ふー子(私のことをそう呼んでいましたね)、あの女優見てみぃ、ソフィア・ローレンって言うんやで。ええ女やろ、あの口の大きいのが格好ええねん」なんて話がいつもメイン。
女が何を着たら綺麗か、どう振る舞ったらビビッとくるか、何を言ったら可愛いと思うかなんて、女の話ばっかりだ。
何を考えてたのか、考えてなかったのか知らないが、おおよそ中学の女の子に聞かせても、人生の役に立つ話はなかった。

が、恐ろしいことに私は30歳を超えてから、脚本家とよばれ、演出をするようになった。
とたんに父の言っていた格好いい女、可愛い女の仕草や表情の指導が役にたった。
不思議なものである。

それから彼は私によくレポートを書かせた。
見てきた映画の感想文を書けと言うのである。
父に提出すると「なかなか面白かった。また書いてください」などと採点する学校の先生のように赤字でメッセージの書かれたものが戻ってきて、千円札がクリップで挟んであった。

「これでまた別の映画を見て、聞かせてください」ということだった。
もちろん、面白くなかったらお金は付いてこなかった。
映画代を稼ぎたい私は一生懸命、父にレポートを提出したものである。
おかげで、まず友達に映画の話を聞かせるのが上手くなり、手紙の達人になり、そしてエッセイストにもなった。

なんだろう…
父は見抜いていたのだろうか?と思うことがある。
実際には私が高校生の時に(自分の予告どおり、私が20歳になる前でしたね)死んだので、彼はまったく自分の教育が浸透した娘の姿を見ることもなかったが。
面白くて、お茶目な父、素敵な男だった。

『父へ母へ。100万回の「ありがとう」』PHP研究所

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「効果的な質問は人を育てる」という言葉がある。
聞くことにより、聞かれた相手がそれを自分の頭で考えるからだ。
脳から汗の出るくらい考え抜くと、それが結局は実践力がいちばん身につくことになる。

反対に、答えを教える暗記の教育は、実践力や応用力、あるいは創造力は身につかない。
覚えたものを再生するだけでは、携帯の録音機能の方がすぐれている。

「効果的な質問は人を育て、いい質問は人を動かす」
いい質問を発し続けたい
posted by Dr.モーリィー at 07:01| ちょっと気になる善い言葉 | 更新情報をチェックする

No 4195  夏の恒例行事:大掃除・WAX掛け

毛利歯科クリニック 夏の恒例行事 大掃除とWAX掛け

スタッフの協力と 業者の 神業仕事に 感謝・大感謝です

おかげさまで、24年目を迎えた クリニック内も
2回のWAX掛けで ピッカピカです

気持ちも ピッカピカです

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posted by Dr.モーリィー at 05:49| クリニック情報 | 更新情報をチェックする

2017年07月24日

No 4194   【仕事の広げ方】

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【仕事の広げ方】

西野亮廣氏の心に響く言葉より…


《仕事の広げ方》
『お金をかせごうとすると、どこから手をつけていいのか迷うけど、信頼の面積を広げるという風に考えると霧が晴れる』

新卒から入社したリクルートを経て、東京都で民間初の中学校校長になった藤原和博さんの「稼ぐ話」が面白い。
ザックリ説明すると、収入をアップさせるには自分を“レアカード化”する必要がある、と藤原さんは言う。
自分をレアカード化するための話は、「誰でも1万時間かければ『100人に1人』になれる」という“1万時間の法則”から始まるんだけど、「100人に1人」程度では食ってはいけないし、「100人に1人」ばかりが集まったプロの世界で戦って抜きん出ようと思ったら、まあ大変。

そこで藤原さんは、新たに別分野に1万時間投じることを勧めている。
最初に1万時間を投じたAという分野で1位を目指すのではなく、新たに1万時間を投じて「100人に1人」になったBと掛け合わせて、「100分の1×100分の1=1万分の1」になれ、と。
Aに加えてBの能力もある「1万人に1人」になると、まあまあレアカードで、そこそこ食っていける。

乱暴な喩えだけれど、イメージとしては、「お笑い」を1万時間やって、「家電」を1万時間やれば、『アメトーク!』の家電芸人のオファーが舞い込んでくる、みたいな(まあ、そんな単純な話じゃないんだけど。あくまで喩えッス)。
AとBを結ぶ線の上が、その人の需要というわけ。

しかし、とはいえ「1万人に1人」だ。
ここで藤原さんは、「さらに別分野に1万時間を投じましょう」と言う。
3つ目(C)に1万時間を投じることで、「100分の1×100分の1×100分の1=100万分の1」の人になりましょう、と。

A、B、Cの3点を結んでできた三角形の面積が、その人の需要で、この三角形をクレジット(信用)と呼ぶ。
さて。
そんなこんなで僕は「お笑い」をAに置き、Bに「アート」を置いた。
芸人やお笑いファンの感覚的に鼻につくんだよね、アートって。
だからAとBが離れていて、イイ。

あとは三角形の頂点のC。
ここで、たとえば「小説」なんかに手を出しても、僕の場合は、AとBから、そこまで離れていないので、平べったい面積の小さい三角形ができあがってしまう。
クレジットを大きくするためには、もっともっと離す必要がある。
「学校」か「町づくり」あたりが面白そうだなぁ、とボンヤリ考えております。

あと、そもそも“芸人”という肩書がいろんな仕事を内包しちゃっていて、「クセ」が発生しづらいから、いっそのこと肩書を変えてやろうかと思っています。
肩書なんて、別に何でもいい。

『魔法のコンパス 道なき道の歩き方』主婦と生活社

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毎週のようにSNSが炎上しても、「日常的な炎上は暖炉のようなもの」とまったく動じない西野亮廣氏。
これほどアンチ西野派がいる芸人も珍しい。
しかし、逆にいえば、西野氏ほど他人と違う道を歩もうとしてる芸人もいないともいえる。

これから先、我々は、「道なき道を歩く方法」が分からなければ確実に落伍(らくご)してしまう。
5年先どころか、1年先もどう変わるかわからないほど、変化の激しい時代だからだ。

だからこそ、個人としてもそうだが、会社としてもこの「仕事の広げ方」にチャレンジする必要がある。
それも、できるだけクレジット(信頼)の面積を広く。

昨年と今年、もっというなら先月と今月、昨日と今日、何の変化も、何の進歩もなかったら、個人も会社も、将来は危うい。
常に、クレジット(信頼)の面積を広げる努力を忘れない人でありたい
posted by Dr.モーリィー at 06:52| ちょっと気になる善い言葉 | 更新情報をチェックする

2017年07月23日

No 4193   【遺伝子は全体の2パーセントしか働いていない】

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【遺伝子は全体の2パーセントしか働いていない】

筑波大学名誉教授、村上和雄氏の心に響く言葉より…


定年で会社を辞めたとき、「自分がいままで苦手で手を出せなかったものに挑戦する」と宣言して、絵とカラオケを習い始めた人がいました。
何しろ、自他ともに認める音痴で、絵の宿題は、全部絵のうまい兄弟に頼んでいた人です。
そのことを知る友人たちは、からかい半分で、その姿を見ていました。
「まあ、やってごらんなさい」といったところだったのでしょう。

ところが一年後、彼は、歌でも絵でも、決して上手とは言えないまでも、驚くほどの進歩を遂げ、周囲をびっくりさせたのでした。
こういうとき、人は「人の可能性は無限のもの」と思うのかもしれません。
しかし一方では、「カエルの子はカエル」で、それ以外のものにはなれないという事実もあります。
つまり、人の能力や可能性は無限ではないという考え方です。

確かに、遺伝子にかかれている情報には限りがありますから、そこに書かれている以上のことはできません。
こんなことを言うと、自分の気に食わないところを、親からの遺伝のせいにする人がいるかもしれません。
実際、「頭が悪いのは、お母さんのせいだ」「走るのが速いお父さんに似ればよかったのに、運動神経は、お母さんの遺伝子を受け継いでしまった」などと言った覚えのある人は、意外と多いのではないでしょうか。

しかし、そういうふうに考えるのは、とんだお門(かど)違いです。
人間の全DNAで常にたんぱく質をつくるために働いているのは、じつは2パーセント、多くても10パーセントにすぎません。
つまり、細胞の中の全DNAは、30億もの膨大な遺伝情報を持ちながら、そのほとんどはオンになっていないのです。

一方、大腸菌などの下等生物の場合は、オフ部分はきわめて少なく、ほとんど全開状態で活動しています。
一般的に、高等動物になるほど、オフ部分が増えます。
そういう意味で、人はもっともオフの部分が多い生物と言えます。

これは、言い換えるならば、それだけ未知なる可能性を秘めているということです。
これから、どんな可能性が花開くかわからないのですから、あることができなくても、けっして親のせいにして諦めてしまわないことです。

遺伝子は全体の2パーセント程度しか働いていないのですから、私たちが「こうだったらいいな」と思うことは、ほぼ可能性の範囲にあるはずなのです。
ということは、逆に言えば、思わなければ可能性は広がらないということです。

ライト兄弟が飛行機を発明できたのは、「空を飛びたいな」と思ったからです。
エジソンが電気をはじめ、いろいろな画期的な発明をしたのは、すべて「こいうものがあったらな」「こういうことができたらな」と思ったからです。

『そうだ! 絶対うまくいく! 幸せ遺伝子オンになる生き方 (PHP文庫)』PHP文庫

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「私たちの最大の弱点は諦めることにある。成功するのに最も確実な方法は、常にもう一回だけ試してみることだ」
というトーマス・エジソンの言葉がある。

「絶対に無理」、「もうダメだ」と思ったらそこで全ては終わってしまう。
「できない、無理」と思ったそのときが「スタートのとき」。
そこからもう一回試してみる。

頭を柔らかくして、何か打つ手はあるはずだ、何か方法はあるに違いない、ともう一度チャレンジする。
「遺伝子は全体の2パーセントしか働いていない」

我々は無限の可能性を持っている
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No 4192   【「ありがとう」のチカラ】

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おいちゃんの お気に入りブログ 【人のこころに灯をともす】からの転載です

【「ありがとう」のチカラ】

小林正観さんの心に響く言葉より…


自分がお世話になっているものに対して感謝の気持ちをもって接している人は、必ず恵まれます。
自分の力だけではない、周りのいろいろなもの、いろいろな人のおかげで自分は成り立っているのだと気づいているからです。

私の周りには、いろいろなものをつくったり、売ったりしている「誠実な商売人」がいます。
これらの商品はよく売れているようです。
なぜ売れるのか、それは感謝をしているから。
それだけ。

これらの商品の制作に携わっている方々は、「ありがとう」を言い続けている人が多いのです。
すると、つくられたものも、やる気になるようです。
関係者全員が喜びに満ちていると、商品も飛ぶように売れるようです。

反対に、いくらよい商品をつくっても、制作に携わる人たちが罵倒(ばとう)し合ったり、悪口を言い合ったりしていると、商品自体がげんなりして活気がなくなります。
その商品を売っている店の人たちによっても売れ行きが変わってきます。
店長と店員が喧嘩ばかりしていれば、どんなに商品がよいものであっても、売れなくなる可能性が高まります。

店員さんたちが笑顔で「ありがとう」を言い合っている店では、よく売れます。
感謝の気持ちを、笑顔を浴びせられた商品は“ありがとうバージョン”に変わるのです。
そしてまた、その商品を買った人にも、喜びが伝わっていきます。
このように「ありがとう」には目に見えない感染力があるようです。

『ありがとうとお金の法則 (だいわ文庫)』だいわ文庫

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夫婦だけでやっている飲食店に入ったとき、主人が奥さんに対して、怒鳴りまくって、高圧的に命令している場面に遭遇したことがある。
カウンターに座ったが、ドキドキして嫌な気分になり、食事どころではなかったことを覚えている。

反対に、同じように夫婦だけでやっているこぎれいな和食の店に入ったとき、ご主人が、奥さんに対して「これをお願いします」「はいかしこまりました」「ありがとうございます」と、とても丁寧なやりとりに感動したことがある。
「親しき中にも礼儀あり」とは、よく聞かれる言葉だが、お互いに敬意をもった丁寧なやりとりができるのは、そこに「感謝の気持ち」があるからだ。

「ありがとう」という言葉が充満している店舗には、スタッフの間だけでなく、飲食店だったら、料理にも、お皿にも、調理道具にも、カウンターにも、柱一本一本にも、「ありがとう」という感謝の波動が宿っている。
そして、お客様はその感謝の波動を一瞬にして感じ取ってしまう。

「ありがとう」のチカラは偉大だ
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2017年07月22日

No 4191   【失敗を笑って話せる人】

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【失敗を笑って話せる人】

斎藤一人さんの心に響く言葉より…


人っていうのは、なぜ失敗することのほうが多いかっていうと、失敗から学べることが、すごく多いからなんだよね。
その失敗を苦にして暗くなっちゃう人と、笑って話せる人がいるんだけど、失敗を笑って話せる人っていうのは、運が開けるよ。
その失敗を乗り越えちゃってる人ってことだからね。

人の失敗談って、聞いてるほうも肩の荷が下りるし、聞くとけっこう楽しんだよね。
なおかつ、その失敗を笑いながら聞いてるから、自分は失敗をしないですんだりするんだよね。

人間って、暗くなっちゃうのが一番よくないの。
でも失敗を、イヤなこと、隠したいことって思って、つい暗いところに閉じ込めるんだよ。
そうすると、腐ってカビが生えるんだよ。

それをオープンにしちゃって、「いや〜、俺、こういうバカなことしちゃってさ、若いときこうだったんだよ。こうやって失敗しちゃったんだよ」って、窓を開けて風を通してあげるんだよ。
そうすると、人ってね、「この人は大きい人だな」って思うだよ。
「こういうことを冗談を入れて笑って話せちゃうんだ、すごいな」って。
そうして、人の見る目も、変わってくるんだよ。

あとね、失敗を笑って話せるというのは、「この人の前でなら、自分の傷も明かしていいんだ」って思えるということ。
そうやって、いろんな失敗談をお互いにオープンに話せると、ものすごく楽しくなっちゃうし、いいコミュニケーションが生まれるよね。

自分の失敗を隠したがる人って、失敗がいけないことだと思っているんだよ。
だけど、人は失敗するものなの。
もし、失敗がなくて生きてきたという人がいたら、親の言うことを聞くか、世間の言うことを聞くかしてきたの。

自分で思い切ってやってきた人間っていうのは、最初っからはうまくいかないんだよ。
だけど、自分でやったんだから、それは「経験」であって「失敗」ではないんだよ。
「これをやってみたら、うまくいかなかった」っていうだけで、「じゃあ、次はこうやってやろう」「次はああやってみよう」ってなったら、それは「失敗」じゃないの。
「これではうまくいかない」ということがわかったってことなの。

『斎藤一人 大開運 人生を楽しむ仕組み』学研

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失敗を笑って話せる人は、失敗をネタにできる人。
失敗しても、「しめた!ネタができた」と考えることができるならホンモノだ。

現代は、先の見えない時代だ。
今まで安泰だった大企業でさえ、この先どうなるかわからない。
生き延びるには、さまざまなチャレンジを繰り返すしかない。

しかし、失敗し慣れていない人は、チャレンジすることを恐れてしまう。
今まで大きな失敗もなく、順調にやってこれた会社や人たちだ。

しかし、失敗し慣れている人は、何回でも気軽にチャレンジする。
一度や二度の失敗なんかへっちゃらだ。
つまり、「打たれ強い人」。

打たれ強い人は、失敗してもそれを引きずらない。
常に前向きで積極的だ。
だから、明るくて肯定的。

失敗を笑って話せる人でありたい
posted by Dr.モーリィー at 07:33| ちょっと気になる善い言葉 | 更新情報をチェックする

No 4190     桜島 納涼船!  2017

夏の定番! 鹿児島市歯科医師会主催の 桜島納涼船に
スタッフ・家族 有志で 参加してきました

今回は 24名の参加

暑い夏を ちょっと忘れる 楽しい時間でした

雰囲気をどうぞ

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ビンゴ大会でも 子供たちが 賞品をゲットしていたようでした!

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主催の鹿児島市歯科医師会の皆様に 大感謝です!

次は MBC夏祭り、BBQ、 スタッフ参加の イベントも 楽しみです!

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2017年07月21日

No 4189   【あわてず、さわがず、うろたえず】

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【あわてず、さわがず、うろたえず】

中村天風師の心に響く言葉より…


人間というものは男女の別なく、いかなる場合にもその人生に生きる際、慌ててはいけないのである。
というのは、人生に生ずる錯誤や過失というものは、その原因が、心が慌てたときに多いからである。
慌てるというのは、またの名を周章狼狽(しゅうしょうろうばい)というが、これは心がその刹那(せつな)、放心状態に陥って、行動と精神とが全然一致しない状態をいうのである。
だから、さまざまの過失や錯誤が生ずるのも当然である。

そしてそういう心になると、時には笑えない滑稽ともいうべきミステイクさえ行うのである。
たとえば、手に持っているのを忘れてその物品を紛失したと早合点して、大騒ぎして探すなどという、常識ではとても考えられない珍芸さえ演出するのである。
すなわち、結論的にいえば、真に沈着な心こそが、明澄(めいちょう)なる意識を生み出し、明澄なる意識こそがその行動を截然(せつぜん)として遅速緩急誠によくこれを統制するものである。

すなわち武道の極意を把握するものや、その他神技に入るような堪能清廉(たんのうせいれん)な人は、皆この真理にしたがっているからなのである。

『ほんとうの心の力』PHP研究所

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「大切なことは、うろたえないことである。
あわてないことである。
うろたえては、かえって針路を誤る。
そして、沈めなくてよい船でも、沈めてしまう結果になりかねない。
すべての人が冷静に、そして忠実にそれぞれの職務を果たせばよい」

松下幸之助翁の言葉だ。

「慌てない。慌てたって間に合わないよ」という中村天風師の言葉もある。
大嵐の時、大事件が起きた時、大トラブルが起きた時…
もうことが起きてしまっているのだから、そこで慌てたって間に合わない。

少し冷静になって、自分を上から見るように客観的に考えてみる。
ふっーと深呼吸して、頭を冷やして、まるで他人(ひと)ごとのように考えてみる。

ここぞというとき…
あわてず、騒がず、うろたえない人でありたい
posted by Dr.モーリィー at 06:51| ちょっと気になる善い言葉 | 更新情報をチェックする

No 4188   【人生二度なし】

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【人生二度なし】

森信三師の心に響く言葉より…


そもそもこの世の中のことというものは、大抵のことは多少の例外があるものですが、この「人生二度なし」と言う真理のみは、古来只(ただ)一つの例外すらないのです。
しかしながら、この明白な事実に対して、諸君たちは、果たしてどの程度に感じているでしょうか。
すなわち自分のこの命が、今後五十年くらいたてば、永久に消え去って、再び取り返し得ないという事実に対して、諸君たちは、果たしてどれほどの認識と覚悟とを持っていると言えますか。

諸君たちが、この「人生二度なし」という言葉に対して、深く驚かないのは、要するに、無意識のうちに自分だけはその例外としているからではないでしょうか。
要するにこのことは、諸君たちが自分の生命に対して、真に深く思いを致していない何よりの証拠だと言えましょう。

ところが諸君らは、平生何か自分の好きな物、たとえば菓子とか果物などを貰(もら)ったら、それのなくなるのが、いかにも惜しいと思うでしょう。
そして少し食べては、「もうこれだけしかない」とか「もうこれだけになってしまった」などと、惜しみ惜しみ食べることでしょう。
私達は、菓子や果物のように、食べてしまえば、ただそれだけの物に対してさえ、なおかつそれほどの惜しみをかけているのです。
否、うっかりすると、そのために兄弟喧嘩すら起こしかねないほどです。

しかるに今この世において、最も惜しまねばならぬ自分の生命に対しては、それほど惜しまないと言ってよいのです。
おそらく諸君たちの若さでは、今後自分は一体何年くらい生きられるものかなどということは、一度も考えてみたことさえないでしょう。
しかしながら、今自分の生命の意味を考えて、この二度とない人生を、真に意義深く送ろうとするならば、諸君らの生活も、おのずとその趣を異にしてくることでしょう。

すべての物事を粗末にせず、その価値を残りなく生かすためには、最初からそのものの全体の相を、見通してかからねばならぬと思うのです。
したがって今この二度とない人生を、できるだけ有意義に送ろうとすれば、われわれとしては何よりもまずこの人生が二度と繰り返し得ないものであり、しかも自分はすでに人生のほぼ三分の一とも言いうべき二十年近い歳月を、ほとんど無自覚のうちに過ごしてきたということが、深刻に後悔せられなくてはなるまいと思うのです。

われわれは、わずか一日の遠足についてさえ、いろいろとプランを立て、種々の調査をするわけです。
しかるにこの二度とない人生については、人々は果たしてどれほどの調査と研究とをしていると言えるでしょうか。
否、それどころか、この「人生二度なし」という、ただこれだけのことさえ、常に念頭深くおいている人は、割合に少ないかと思うのです。

かくしてわれわれが、人間としてこの世に生まれてきた意味は、この肉体が朽ち果てると同時に消え去るのでは、まだ十分とは言えないと思うのです。
というのも、この肉体の朽ちるとともに、同時にその人の存在の意味も消え去るというのでは、実は肉体の生きている間も、その精神は十分には生きていなかったという、何よりの証拠と言ってよいでしょう。
こう考えてきますと、諸君らは生まれて二十年、今こそここに志を立てるべき時です。
だが諸君!
諸君らは、誓って死後にも生きるような人間になろう、という大志を立てたことが果たしてあると言えますか。
しかしこのような志が真に確立しない限り、諸君らは真に深く自分の生命を愛借するとは言えないでしょう。
何となれば、真の精神は不滅であり、いかに凡人といえども、その生涯を深い真実に生きたなら、必ずやその死後、何らかの意味でその余韻を残しているからです。

《この文章は、天王寺師範学校での森信三先生の修身科の授業を、生徒に口述筆記させたもの》
『運命を創る』致知出版社

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アメリカのジャーナリストのミッチ・アルボムが書いた、「モリー先生との火曜日」という小説がある。
難病ALS(筋萎縮性側索硬化症)に侵された、モリー・シュワルツ教授が死を前にして、かつての教え子であるミッチに贈った、「最後の授業」を記録したノンフィクション小説だ。

その中にある、心に残る言葉…
■いかに死ぬべきかを学べば、いかに生きるかも学べる。
■人生に意味を与えられる道は、人を愛すること、自分の周囲の社会のために尽くすこと、自分に目的と意味を与えてくれるものを創り出すこと。
■人間はあぶないと思うと卑しくなる。危険を感じれば、自分のことしか考えなくなる。

人は死を意識したとき、たった一度きりの人生だったことに気づく。
そして、人生には終わりがあることを。

「寸陰(すんいん)を惜(お)しむ」という道元禅師の言葉がある。
ひと時の時間も無駄にせず、志を成し遂げるべし、ということ。

「人生二度なし」
たった一度しかない人生、寸陰を惜しんで生きてゆきたい
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2017年07月19日

No 4187   【自分の体に感謝する】

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【自分の体に感謝する】

春日大社宮司・医学博士、葉室頼昭氏の心に響く言葉より…


人間がいちばん嬉しいのは、人に認めてもらうことです。
反対に、一生懸命やっても誰にも認められないというのは悲しいものです。
これはなぜでしょうか。

科学で証明されないものや目で見えないものは信じないなどと言う人がよくいますが、この宇宙には、絶対に、永久に見ることができないものがひとつあります。
それは何かというと、自分自身です。
自分という人間は永久に見ることができません。

鏡や写真などに映して見てはいますが、あれはあくまでも影を見ているわけです。
自分はどんな顔をしているのかも分かりません。
自分自身を知ろうと思えば、他人から見てもらうしかないのです。

もしあなたが女性であれば、「きれいですね」「若いですね」と言われれば嬉しいでしょう。
それは、自分では自分のことが分からないからです。
男性は、「素晴らしい」「立派だ」といわれると、ああそうなのかという気がして嬉しくなるでしょう。
生き生きした気持ちになると思います。

これと同じで、人間の身体の細胞一つ一つもみんな生きています。
ですから、認めてあげることで、やはり非常に生き生きとしてくるのです。
この体は、生まれてからずっとこの何十年一秒の休みもなく働いてくれています。
この体に生かされているのに、ご主人さまが一向に褒(ほ)めてくれないとなると、細胞も怒ります。
もう力が出なくなってしまうのです。
ですから、一つ一つの細胞を、「素晴らしいね」と認めてあげて、感謝してあげる。
これが健康の本当の基本です。

私は、健康のために、感謝の心を込めて毎日、頭から足の先までをなでています。
私は医者で体全体の構造を知っていますから、頭をなでながら、毛髪、皮膚、頭蓋骨、脳と次々に「ありがとう」と感謝していきます。

五十肩という病気があります。
なかなか治らないので不平をこぼす人がいますが、そんな人に「あなた、肩に感謝したことがありますか」と尋ねると、びっくりするのです。
長い間、ものを持ったり、支えてくれたり、いろいろと働いていてくれているのに、ご主人さまがちっとも感謝してくれないので、肩の細胞が怒っているのです。
それが五十肩です。
それで、「まず肩に感謝しましょう」といっているのです。
感謝すると治ってきます。
これは本当の話です。

『神道 感謝のこころ』春秋社

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色々なものやこと、あるいは人に感謝することはとても大事だ、とはよく言われることだ。
しかし、意外に忘れているのが、自分の体に感謝すること。

「体は借り物」という言葉がある。
神さまからお借りしているものだから、いつかは返さなくてはならない。
お返しするときが、いわゆる、死ぬとき。

体は自分のものだと思っている人は、ぞんざいに扱う。
しかし、神さまからお借りしていると思うなら、感謝の心をもって、大事に扱うようになる。

毎日、自分の体に感謝したい
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2017年07月18日

No 4186     【足るを知る者は富む】



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【足るを知る者は富む】

浜松医科大学名誉教授、高田明和氏の心に響く言葉より…


ブッダは「嫉妬することで満足することがないから、明らかな智慧(ちえ)をもって満足するほうが優れている。明らかな智慧をもって満足している人を、嫉妬が支配することはできない」と述べておられます。
もしあなたが「足(た)る」を知る、つまり自分のもっているものの大切さを知り、ひとをうらやんでも意味がないという智慧をもつなら、もはや嫉妬があなたを支配することはないと語っているのです。
「足るを知る」ということは、「いま自分のもっているものを大切にせよ」ということです。
もともと「足るを知る」という言葉は老子(ろうし)の「足るを知れば辱(はずかし)められず」から来ています。
そして「足るを知れば辱められず」に続けて「止まるを知れば殆(あや)うからず(限度を知れば危険はさけられる)、もって長久なるべし」と語っています。

老子はこの説明として「名誉と身体とどちらが大切か、健康と財産はどちらが大切か、得ることと失うことはどちらが苦しいか、ひどく欲しいものがあれば、大いに散財する、たくさん持てばたくさん失う」といっているのです。
他人が何かをもっていても、それは健康に比べれば意味がない、もっているものは必ず失うようになるのだ、だからうらやんでも仕方がないといっているのです。

連合艦隊司令長官を経て、昭和天皇の侍従長として二・二六事件の際にあわや一命を落とすばかりの経験をし、天皇に請われて終戦時の総理大臣になった鈴木貫太郎(かんたろう)大将の座右の銘は「足るを知る者は富む」でした。
あれほどの名声地位をもつ鈴木貫太郎大将がこれを座右の銘にしていたということに深い感慨を覚えます。

堀口大学という詩人がいます。
芸術院会員で文化勲章をもらい、功成り名遂げたこの詩人に「座右銘」という詩があります。

「暮らしは分が大事です
気楽が何より薬です
そねむ心は自分より
以外のものは傷つけぬ」

人をそねみ、うらやんでも、結局うらやむ自分が傷つくのだという詩です。
これはほんとうにわたしたちの心を動かす詩です。
さらに「気楽が何より薬です」という言葉には「気楽になることが人生の目的だ」という意味も含まれているように思えます。

江戸時代の禅僧で書画をよくして博多の仙香iせんがい)和尚は「寡欲(かよく)なれば即ち心おのずから安らかなり」と書いています。
つまり自分のもっているものに満足し、多くを望まない、うらやまない、他人のもっているものを欲しがらないということを実践すれば、心は自然に楽になると教えているのです。

『人生の目的は「心が楽になること」』新講社

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「皆さぁ、自分が賢いとか、できる人間だとか思っちゃダメだよ。
私も含めて、皆バカなんだから早くバカに気付かないと。
バカだってわかれば人間慎重になるから」(所ジョージ)

自分は大(たい)した者じゃない、と思うことができるなら、分をわきまえることができる。
分をわきまえるとは、「身の程(ほど)を知る」ことであり「背伸びしない」、「我を張らない」ことであるが、それが「足るを知る」ことにつながる。
また、自分に良い意味でのプライドや誇りを持つことは大事だが、それが前面に出てしまい、鼻につくようになったら人から嫌われる。

「さらに、もっともっと欲しい」と、足るを知らない人や欲深い人は、不平不満や文句が多い。
「足るを知る者は富む」
人と比較をせず、今ある幸福に気づきたい
posted by Dr.モーリィー at 06:46| ちょっと気になる善い言葉 | 更新情報をチェックする

2017年07月17日

No 4185    欲 と 夢と 我慢・精進  努力

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友人たちとの会話から

夢を叶えるために みんな努力をしている
子供たちも 高校球児も オリンピック候補も
受験生も その親御さんも 周りの応援者たちも

小さいころからの夢を 思い続けて その道のプロ・本物を
目指して 願い続けて 努力を続けて
挫折と喜びを 何度も何度も 味わいながら、、、

みんないろんな夢や希望に向かって頑張っている

個人的な小さな欲ではなく  大きな欲 周りを喜ばせることが大きな欲は
味方も多いので 叶うことが多いのだろう

自分よがりな欲や 他の人を蹴落としてまでというような
わがままな欲は 成功しません

また 何もかも得ようというのは 世の中そんなに甘くはない
宇宙の法則 等価交換の法則、プラスマイナスゼロの世界
自然界も同じ 海の干満や 地球全体の降水量など
どこかで多ければ どこかは必ず少なくなるのが 必然

だからこそ 自分の夢があれば 棚ぼたを待ってただ寝て待つのではなく
代償の先払いで 先ずは努力を、苦労を、体も頭もたくさん汗をかき
知恵を絞って 夢を追いかける

そして 諦めずに コツコツと 真面目に 誠実に
これしか 成功の法則はないなあと  

全員が納得の 見解でした

おいちゃんも こつこつ、真面目に、誠実に
まだまだ 頑張りますよ

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No 4184   【意味のないことは一つもない】

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【意味のないことは一つもない】

足立幸子氏の心に響く言葉より…


これからは「何だかわからないけど、やってみると、行動に移すと、理由がわかる」という時代になります。
行動に移す(表現する)と、本当の理由が見えてきます。
こういうことがいっぱい起こってきますので、勇気を出して行動に移して下さい。

頭は本当にロクなことを考えず、すぐ判断してしまいますから、ありのままを受け入れるためには、出来るだけ頭の中はボーッとさせておいた方がいいですね。
頭をボーッとさせているのは罪悪のように思っておられる方が、今まではたくさんいらっしゃたと思いますが、これからは出来るだけ頭はカラッポにしておいた方がいいです。

頭がボーッとしている時には、意識はハート(胸のあたり)にあります。
カリカリして頭にくるという時は、頭に意識がある証拠ですね。
ハートに意識があれば、頭には絶対にきません。
何でも「どうぞ」と、あるがままに受け入れられます。

ですから数字の計算とか、どうしても頭で考えなければいけない時以外は、なるべく意識はハートに降ろしておいた方がいいですね。
そうしますと本当に楽で、平安な気持ちになれます。

ボーッとしていると、確かに私の場合は、日常の行動の中で一見無駄と思われることを随分やってしまいます。
電車を乗り過ごしたりとか、反対方向に乗って行ったりとかは年中ですが、これも意味なくやっているわけではないのです。
ですから「意味のないことは何もない」と、とらえるかどうかなのですね。
私は今までの人生で「意味のないことは全くなかった」とわかった時、本当の意味で感謝の気持ちが出てきました。

「意味がない」と思ったら、本当に意味がなくなってしまいます。
ですから例えば、反対方向の電車に乗ってしまったことに気がついて電車から降りまして、「《おおもと》の部分で生きている私が、意味のないことをするはずがないじゃないか」と思って駅で色々見るわけです。
もしかすると誰かに出会うために、反対方向に乗った可能性がありますから見てみるのです。
誰も知っている人がいないと、今度はポスターとかを見るのですね。
そうすると、必要な情報が必ずあります。
「あー、このポスターを見るために、一駅反対方向に乗ったんだ」とわかるのですね。
ですから、何も無駄ではないのです。

無駄は一つもありませんから、無駄とするかどうかは、ご自分次第なのです。
いつも「無駄なことをしているわけがない。起こることは、全部意味があって起こっている」と、とらえられた方がいいですね。
そうしますと、みんなが楽になれます。
大事なことは、少しでもカリカリしたりカッカすると、宇宙との調和度は簡単にドーンと落ちてしまうということです。

『あるがままに生きる』ナチュラルスピリット

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どんなことにも意味がある、と心の底から得心(とくしん)することができたら、感謝の気持ちが生まれる。
「そうか、そういうことだったのか」と自分を高めるために教えてくれた、という感謝の気持ちだ。
苦労や苦難であろうが、病気であろうが、失敗であろうが、それが起きた意味がある。

「意味がある」とは、自分へのメッセージ。
そのメッセージを無視すると、また同じようなことが起こる。
行動を変えていないからだ。

人生には「意味のないことは一つもない」。
自分に起こるさまざまなメッセージを、謙虚に受け止めたい
posted by Dr.モーリィー at 22:46| ちょっと気になる善い言葉 | 更新情報をチェックする