2017年04月30日

No 4071   【すぐカッとなる人が増えている】

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おいちゃんの お気に入りブログ 【人のこころに灯をともす】からの転載です

【すぐカッとなる人が増えている】

心療内科医、海原純子氏の心に響く言葉より…


ささいなことですぐ怒り、いつまでもそのままの人がいる。
かと思うと、ごめんなさい、と謝ったのに機嫌がよくならず、さらに居丈高になって文句を言い続ける人を見かけることもある。
そうした人は「人間ができていない小物」などと周囲から評されるものだ。

実はそうした「怒れる人」は、今現在の出来事に怒っているわけではないことが多い。
心の中にため込んできた古い怒りが、新しく起こったことで浮かび上がり、爆発しているのだ。
だから、このような人の激怒の対象になってしまったら、「ささいなことで、なぜこんなに怒鳴られるの?」と落ち込んだり、逆に怒ったりする必要はない。
怒りはあなたではなく、その人の心のなかにため込んだ未解決のものに向かっているのである。

また逆に、自分がささいなことでいつまでも怒り続けたり、相手が謝っても怒りがますます燃え上がって制御できない方は、心のなかにため込んだ怒りに気づく必要がある。
今、すぐカッとなる人が増えているのは、小さな怒りをため込んでそのことに気づこうとせず、怒りをため込みすぎた人が多いからなのだ。

怒りは自分の身に危害が加わるのを防ぐための感情でもある。
小さな怒りの段階できちんと表現しておくことは、悪いことではない。
むしろ、健康的である。
しかし、「怒るのは小物。ゆとりがない人」という思いのために、つい、にこやかな表情を作ったり、「いい人」をしていたりすることが多いので要注意。

『大人の生き方 大人の死に方』毎日新聞社

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精神科医のエリック・バーン博士の理論の中に、「スタンプ収集」というものがある。
スタンプ収集というのは、スーパーとか飲食店で発行するカードで、ハンコ(スタンプ)がたまったら、何かの特典と交換するものをさす。
これは、人間も同じで、怒りや、嫌な感情をため込んでいると、あるときそれが満杯となり、爆発する。
いつもは物静かな人が、ささいなことをきっかけに、暴力的になったり、攻撃的になったり、激怒したり、時には犯罪を引き起こしたりもする。
健康的な精神を保つには、スタンプが満杯になるまえに、このためこんだ感情をこまめに交換(消費)しなければならない、とエリック・バーン博士はいう。

「こまめに怒りを外に出す」とは、その場その場で怒らなければいけない、ということではない。
怒りとは、「あなた」という相手に向けた「あなたメッセージ」。
「あなたメッセージ」には、非難や命令が含まれているので、相手は素直に受け取りにくい。
そうではなくて、「わたしは」という自分の気持ちを素直に伝えること。

自分の心の中の小さな怒りに気づきたい
posted by Dr.モーリィー at 06:28| ちょっと気になる善い言葉 | 更新情報をチェックする

2017年04月29日

No 4070    再告知  東寺催し物・池口恵観開山 新刊情報

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おいちゃんも親しくさせていただいている
陶彩画の 草場一尋先生の 個展

「第2回 陶器の絵画展」が
真言宗総本山 世界遺産 京都の東寺で
2017年4月29日から6月11日まで
入場無料にて 開催されるようです

おいちゃんのぎゃらりーにも シルクレ・ジクレ作品はが
多数 展示されております

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情報2
池口 恵観 最福寺開山についての 最新版

田原総一朗プロデュース 「今なぜ、池口恵観なのか?」

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荒行で知られる鹿児島 最福寺の池口恵観法主の本 『なぜ今,池口恵観なのか』−2_-_「身の丈」経営,「身の程」人生

http://blog.goo.ne.jp/rk_kobayashi/e/6d579d7140b2e9dcbd5c77d4d8b9998b

なぜ今,池口恵観なのか

 『なぜ今,池口恵観なのか』(バジリコ刊)は,田原総一朗氏プロデュスと表記されている。これについて,田原氏は,本書の冒頭(10ページ)で次のように述べている。
 本書は、私が初めてプロデュースというかたちで関わった本である。池口患観という異色の僧侶は、「宗教と人間」という普遍的かつ優れて現在的なテーマにおいて、私が今最も関心を抱く人物であり、当初は「池口恵観論」のような書き下ろし、ないしは対談として本にまとめようと考えていた。しかし、今回は「ジャーナリストとしての田原の視点」というノイズを外し、「池口恵観の来し方」、「日本という国」、そして「祈るという行為の本質」といった題材を提供して池口氏自身に率直に語ってもらう方が、より深みのある内容になると考え直した次第である。結果、非常に興味深い内容の本となったと思う。

−−−−−−−−−−
 
池口法主の寺,最福寺(さいふくじ)は鹿児島市平川町にある高野山真言宗の寺院である。最福寺は護摩行の荒行で知られる。2メートルにも達しようかという火柱を目の前で約1時間、お経を唱え続ける。アスリートに人気があり、柏レイソルの選手達、清原和博、金本知憲、新井貴浩、他作家の家田荘子らが訪れている。
 これについて,池口氏は,p176〜178で,"私の寺には、政界、財界、芸能界、スポーツ界、あるいは任侠界の人まで、実に様々な人がいらっしゃいます。”と記している。そのうち,スポーツ選手に関しては,次のように語っている。
┏┓
┗■ 煩悩を受け入れる (p176〜178)
 私の寺には、政界、財界、芸能界、スポーツ界、あるいは任侠界の人まで、実に様々な人がいらっしゃいます。
  ・・・・・・・(略)

 スポーツ選手で思い出すのは、私の寺にやって来て、十年も護摩行を重ねた金本知憲さん、阪神タイガース監督です。彼は、「苦しい時に信じられるのは自分と神仏だけ」だと、著書『覚悟のすすめ』(角川グループパブリッシング) に私との應摩行について書いてくださいました。護摩行は継続によっていっそう大きなパワーをいただけます。それは、私の行人生で得た教訓であります。

 その他、阪神から広島カープに戻って昨年二千本安打を成し遂げた、金本さんの後輩である新井貴浩選手は、チームメイトの石原慶幸選手たちと、毎年鹿児島に来て護摩行をしています。誰もが最初はもっと打ちたい、もっと活躍したい、という願いで始めますが、行を重ねていきますと、人間として心を磨きたいと願うようになっていきます。それは、私にとって大きな喜びであります。
 スポーツ選手にも、それぞれ体調や運気の波があります。怪我もします。そんな時、私を頼ってくれます。広島カープは昨年(平成二十八年)優勝を果たし、「神っている」といわれました。新井貴浩選手と石原選手は、毎年鹿児島の私の寺に来て護摩行を行いますが、一昨年からは監督と何人かの選手も一緒に来てー熱い思いに耐えて行を修していかれました。

 清原和博さんが、このほど執行猶予付きの判決を受けました。故郷に戻って心身の健康を取り戻すところから再出発をするようです。かつて、巨人軍のスター選手として活躍していた頃に、彼は鹿児島の私の寺で修行をしました。五日間寺に宿泊し、燃えさかる炎の前で護摩行をしたのですが、修行はこの時だけでそれからはせず、今回の覚醒剤使用の罪にいたってしまったのです。あれほど頑張ったのに、清原選手があのような結果になって しまったのは、本当に残念です。ずっと、寺に通って行を続けてほしかった、もっと強く勧めるのだったという思いです。

 ○ 池口恵観 鹿児島最福寺護摩行 Saifukuji Goma Gyo.m4v

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 おいちゃんも すでに 8冊購入いたしました
時間ができたときに 恵観法主に サインをお願いして
お世話になっている方々に プレゼントしようと考えております!
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No 4069   【「生きているということは、誰かに借りをつくること」】

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【「生きているということは、誰かに借りをつくること」】

藤尾秀昭氏の心に響く言葉より…


小さなスパンでは、不順もありますが、季節は確実にめぐっています。
「四時(しじ)の序(じょ)、功(こう)を成したるものは去る」
という言葉が『十八史略(じゅうはちしりゃく)』にあります。

四時というのは、春・夏・秋・冬のことです。
春は春の役割をしっかりと果たして夏にゆずっていく。
夏も、秋も、冬も同じです。

それぞれの役割を精一杯果たして、次の季節に移っていくわけです。
何千年、何万年と続く宇宙の摂理から、人間も逃れられません。

役割を果たした人は常に、次の人にバトンタッチして、冥界(めいかい)に移っていきます。
言い換えれば、いま、ここに生きている私たちは自分の役割を果たさなければならない、ということです。

どんな偉大な指導者も、哲人も一人で人格を形成した人はいません。
人は皆凡夫なり、と聖徳太子はいったそうですが、人は皆、縁の中でしか生きられない、その意味では人は皆一様に凡夫です。

一篇の詩が思い出されます。
どなたかの作かは知りませんが、時折、思い起こしては自らを省みています。

生きているということは、誰かに借りをつくること
生きているということは、その借りを返していくこと
誰かに借りたら、誰かに返そう
誰かにそうしてもらったように、誰かにそうしてあげよう
誰かと手をつなぐことは、その温もりを忘れないでいること
巡り合い、愛し合い、やがて別れのその時、悔いのないように今日を明日を生きよう
人は一人では生きてゆけないから
誰でも一人では歩いてゆけないから

『生きる力になる言葉』致知出版社

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どんな人であろうと、誰であろうと、人は赤ちゃんのとき、母親に世話をしてもらったから大きくなることができた。
「おむつをかえてもらった」、「お乳をもらった」、「着替えさせてもらった」、「抱っこしてもらった」、「熱のあるとき必死になって看病してくれた」…。
同様に、幼稚園、小学校、中学、高校と、まったく親の世話にならずに、学校生活をおくれた者もひとりもいない。
仕事も家庭も同じで、誰かのご縁とお世話があったから、今がある。

死ぬときも同じ。
死んだあとは、必ず誰かのお世話になる。

人の世話になって生まれて育ち、人の世話になって死ぬ。
だからこそ、生きている間は、そのご恩返しをしておきたい。

「生きているということは、誰かに借りをつくること」

借りを返すとは、人様に喜んでいただくこと、お役に立つこと。
お借りしたご恩を、少しずつでも返してゆきたい
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2017年04月28日

No 4068   【凛とした生き方】

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【凛とした生き方】

臨済宗相国寺派管長、有馬頼底氏の心に響く言葉より…


どんな人でも、何か良いことが起こると嬉しいでしょうし、素敵な物を手にすれば当然喜びます。
ところが、禅の世界には「好事不如無(こうずもなきにしかず)」『碧巌録』と言う言葉があり、「どんなに良いことでも、無いに越したことはない」と教えています。
「良いことが、無いに越したことはない」とは、いったいどういう教えでしょうか。
「良い出来事なら起こった方がいいに決まっている」と感じる人も多いでしょう。

ごく簡単に言うならば、良いことが起こったとしても、それに囚われ、執着してまえば、それはすでに「良いこと」ではなくなる。
そんなものなら、初めから起こらないほうがいい、というのがこの言葉の教えです。
わかりやすい例を一つ挙げてみましょう。

宝くじで高額を当てた人が、その後の人生を狂わせてしまうなんて話を聞いたことはないでしょうか。
実際、私はそんな人を何人も見てきました。
宝くじが当たるというのは、それそのものは好事と言っていいでしょう。
思いがけず大金が入ってくるのですから、誰もが喜ぶ出来事です。

しかし、そのせいで、かえって強欲になったり、そのお金を独り占めにしようとしたり、自分に近寄ってくるすべての人に疑いの目を向け、猜疑心でいっぱいになってしまうとしたら、これほどの悪事はありません。
宝くじの当選によって人生を狂わされた人は決まって「あんなもの、当たらなければよかった」と思うものです。
好事が起こったときというのは、じつはその人の人間性が試される瞬間でもあるということ。
もちろん、それは「宝くじが当たる」という、やや現実離れした話に限りません。

たとえば、あなたの仕事が認められ、出世することができたとします。
仕事が認められることも、出世することも、悪いことではありません。
紛れもなく好事でしょう。

しかし、出世したことで、急に「自分が偉くなった」と勘違いをして、周囲の人間に横柄な態度をとるようになったり、謙虚に努力する心を忘れてしまったら、せっかくの好事も台無しです。
さらに、自らの名誉欲がちょっと満たされることで、よりいっそう強欲になって「もっと出世したい」「もっとみんなに認められたり」「もっと、スゴイと言われたり」という思いばかりが先行する人もたくさんいます。
そんな醜い人間になってしまうくらいなら、最初から出世などせず、地道に努力を続ける人でいたほうがよほど幸せなのかもしれません。

きっとあなたの周りにも、そんな「好事」によって評判を落としたり、周囲からの信頼を失った人がたくさんいるのではないでしょうか。
まさに好事というのは、人生の落とし穴でもあるのです。
大事なのは、何か一つ好事があったら、それに囚われることなく、すぐに捨て、淡々と次に向かっていくことです。

『碧巌録』には「手に白玉の鞭を把(と)って驪珠(りしゅ)、 尽(ことごと)く撃砕(げきさい)す」という言葉があります。
宝石を握ったら、それを打ち砕いていかなければいけない、という教えです。
いかにすばらしものであっても、それを握りしめ、執着してはいけない。
たとえそれが宝石であっても、それを打ち砕いていかなければならないと厳しく教えているのです。

よく「過去の栄光にすがる」という表現をしますが、あれこそ自らの執着心に囚われて、いつまでも小さな宝石を握り続けている状態です。
偉業であれ、評価であれ、名誉であれ、金銭であれ、何か好事が起こったら、それを自ら打ち砕き、次へ進む意識を持つことが大事なのです。
本当にすばらしい功績を挙げる人というのは、決して過去の栄光にすがることなどありません。
一つの偉業を成し遂げたとしても、まるで何事もなかったかのように、翌日からはまた淡々と自らの使命に取り組むものです。
ぜひとも、そんな潔く、凛(りん)とした生き方をして欲しいものです。

『金閣寺・銀閣寺の住職が教える 人生は引き算で豊かになる』文響社

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「好事魔(こうじま)多し」という言葉がある。
良いことには、とかく魔(邪魔)が入りやすい。
たとえ、良いことがあったとしても、有頂天にならず謙虚でいることが必要という意。

良いことがあったときや、逆に悪いことがあったときにも、それは、その人の人間性や器が試されているとき。
偉そうになってしまったり、威張ったり、逆に、ガックリと落ち込んでしまったり、不機嫌になったり、まわりに当たったり。

「何か一つ好事があったら、それに囚われることなく、すぐに捨て、淡々と次に向かっていくこと」
潔く、凛とした生き方をしてみたい
posted by Dr.モーリィー at 06:21| ちょっと気になる善い言葉 | 更新情報をチェックする

2017年04月27日

No 4067   【争うと運が悪くなる】

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【争うと運が悪くなる】

弁護士、西中務氏の心に響く言葉より…


私は半世紀近く弁護士をして、本当に大勢の人々の人生を見せてもらいました。
民事、刑事の仕事の全てを合わせれば、依頼者はのべ1万人を超えるでしょう。
1万人もの人生を見てきた私にはわかるのですが、世の中には、確かに運の良い人と悪い人がいます。
例えば、運の悪い人は、同じようなトラブルに何度も見舞われます。

《良い人と付き合う》
運を良くするコツの一つは、これです。
弁護士をして、大勢の人々を見ていて気づいたのは、「良い人の周囲には良い人ばかり」なのに、「悪い人の周りには悪い人ばかり」という不思議な事実です。
裁判の依頼者でも相手方もそうですが、しょっちゅう争い事を起こしている人には、他人を陥れたり傷つけたりしても自分が得をしたい「悪い人」がよくいます。
そんな人の関係者を調べてみると、やはり同じようなタイプの「悪い人」ばかりが、ぞろぞろと出てくるものなのです。
運を良くしたいのなら良い人と付き合う。
これが、弁護士の経験則です。

《争うと運が悪くなる》
つくづく感じるのは、「争っていいことは何もない」ということです。
たとえ、訴訟に勝って大金を手に入れたところで、運を悪くしては何もなりません。
実際、争いで手に入れたお金はすぐに失うことになります。
意外かもしれませんが、「争わないほうがいい」とは、弁護士の基本です。
離婚にせよ、倒産処理や遺産相続にせよ、争い事が起こって裁判になれば弁護士はより大きな報酬がもらえます。
争いを避けてしまえば、もらえるのはせいぜい相談料くらいで、さほど利益にはなりません。
だから、弁護士は依頼者が争うように仕向けていると思われがちのようですが、それは事実とは違います。
裁判は依頼者にとって最も不利な決着だと言っているだけなのです。

裁判が不利な決着なのは、勝っても負けても恨みが残るからです。
不思議なことに、裁判で勝った後に不幸になる人が珍しくありません。
勝訴を勝ち取った後に会社が倒産したり、不渡り手形をつかまされたり、経営者が交通事故にあったりする例を数々見てきました。
きっと恨みを買ったために、運が落ちてしまったのでしょう。
争いは恨みを残し、運を落としてしまう。
どうか、決して忘れないでいてほしいものです。

『1万人の人生を見たベテラン弁護士が教える「運の良くなる生き方」』東洋経済新報社

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孫子の兵法の中の有名な言葉がある。
「百戦百勝は、善の善なる者に非るなり。戦わずして人の兵を屈するは、善の善なる者なり」
百回戦って百回勝つのが最善の方法とは言えない。
戦わずして、勝利を得るのが最善の方法だ。

全戦全勝で勝ったとしても、必ず双方に被害は出る。
そして、負けたほうに恨みが残る。
だからこそ、知恵の限りを尽くし、争いにならないようにすることこそが最上の方策。

善き人と付き合い、争いをさける人生でありたい
posted by Dr.モーリィー at 21:04| ちょっと気になる善い言葉 | 更新情報をチェックする

No 4066   鴨池中 歯科健診

今年も 学校歯科医をしている 鴨池中学校に
歯科健診に行ってきました
歯科医師3名 歯科衛生士2名 歯科助手1名 計6名で 参加しました

昨年までは 13クラスだったのですが
3年生 4クラス 2年生4クラス 1年生3クラスの 11クラスと
ここにも 少子化の影響ですかね???

虫歯にり患している子は 少なかったなあ
善いことなのですが、
しかし 顎が小さくなっているからか
歯列不正の子や 歯石の多い子が 目立ちました

雰囲気をどうぞ

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No 4065   【人間的成功を目指す】

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【人間的成功を目指す】

西田文郎氏の心に響く言葉より…


私は、経営者に必要な3つの力について、勉強会などでお話してきた。
それが「知・徳・胆(たん)」である。

「知」とは「知性」であり、分析力である。
組織経済学、戦術・戦略、マーケティング、財務、実行力といった、ビジネスモデルの構築に関する部分で、いわゆる「金儲けの仕組みづくり」である。

「徳」とは、人望、人間力などといった、経営者が備えておくべき「心」に関する部分である。

最後の「胆」とは「胆力」であり、決断力である。
度胸と言ってもいいだろう。
度胸のある人のことを「肝が据わっている」という言い方をするが、経営者は決断力がないと、まず成功しない。
情熱、度胸、勇気、正義、信念、執念、独自力、達成力、先見性、予知力などといった、メンタルタフネスに関する部分である。

私は、これまでの勉強会や著書の中で、成功には「社会的成功」と「人間的成功」の2つの成功があるとお話してきた。
そして、経営者の皆さんには、一見すると相反するように見えるこの2つの成功を両方とも目指すようにお伝えしてきた。

「社会的成功」とは、競争原理によって成り立っているこの社会での成功である。
経営者ならば、他社との競争に“打ち勝つ”ことで、高い地位や収入、企業繁栄を獲得することである。
社会的成功を実現するには、極めて厳しい戦いに勝利する必要がある。
一生懸命に社会的知性を高めていかないと、競合やライバルには勝てないからだ。
言い換えるならば、社会的成功は「正しさ」の追求である。
経営ならば、いかに正しい営業戦略や財務戦略を選択できるかで、効率性や生産性を追求して、その結果として社会的成功に到達できることになる。

それに対して、「人間的成功」は精神的な成長や充足によってもたらされるものである。
その際、家族や友人、近しい人たちとの良好な関係は欠かせない要素となるので、「他者を受け容れる能力」が必要となる。
人間が一番気づかないものが「自分自身」である。
他人のことは気づかなくてもよいことまで気づくのに、自分の欠点にはなかなか気づけないものだ。

不思議なことに、人間は自分の愚かさに気づくと、人間的に成長するものなのである。
自分の愚かさに気づいている人は、謙虚である。
反対に、自分の愚かさに気づいていない人は、すぐ図に乗って見苦しいばかりだ。

「人間的成功」とは言い換えるならば、「己の愚かさ」の追求である。
人間はどうしても「自分は他人より優れている」と思いがちである。
この心持ちでは他者を受け容れることは難しい。
自分の愚かさに気づいている人というのは、たとえ自分のほうが能力的、経済的に優位だとしても、決して驕ることなく、相手の美点や長所を見出して、自分の愚かさに気づくものである。

ただ世の中を見てみると、「社会的成功」を手にしようとがむしゃらになって働くあまり、もう一つの「人間的成功」をないがしろにしてしまう経営者が実に多い。
家庭をまったく顧みることなく仕事一辺倒になり、富と名誉は手にしたものの、妻や子どもに愛想を尽かされて、結局は豪邸に一人ぼっち取り残されて、心の中の大きな喪失感と孤独感にさいなまされる人もいれば、自分の健康には目もくれず、がむしゃらに仕事をして、会社は急成長したものの、内臓もボロボロで、体力も衰退し、病床に伏せってしまう人もいる。
このように、いくら大きく稼いで、「社会的成功」だけを達成しても、「人間的成功」がなければ、優越感や達成感はあっても、幸福感は味わえないのだ。
社会的成功だけを考え、感謝や恩を感じないでいると、どんなに大金を手に入れたとしても、誰にも感謝せず、感謝されることもなく、孤独な人生のまま死んでいくことになるのである。

『天運の法則』現代書林

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お金や社会的地位を得ることを否定する人がいる。
お金は汚いもの、お金持ちは悪い人、というような偏見があるからだ。
斎藤一人さんは、それは「お金に対する偏見ではなくて『人間』に対する偏見だ」という。
お金持ちにもいい人もいるし、貧乏な人にもいい人はいる。
また、その反対に「悪い人」もいる。

『「人間的成功」とは言い換えるならば、「己の愚かさ」の追求である』
「己の愚かさ」を分かっている人は、偉そうにはしない。
だれとでも、面白がって、ふざけたり、バカなこともやったりすることができる。
時に、子どものようになって楽しむことができる人。

感謝や恩を忘れず、人間的成功を目指したい
posted by Dr.モーリィー at 05:56| ちょっと気になる善い言葉 | 更新情報をチェックする

2017年04月26日

No 4064   鹿児島大学 副学長

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おいちゃんの 同級生・友人たち 各分野で頑張っておりますが
先日の リビング新聞に 高校時代の友人が

鹿児島大学の 副学長に就任したとのこと

凄い・快挙ですよね!

昨年も 鹿児島県弁護士会会長就任
鹿児島市医師会会長就任の 友人の記事をブログアップしましたが
今年は 副学長とは  凄すぎるなあ

おいちゃんも自分の 行場 歯科医療の現場で頑張るぞ!
posted by Dr.モーリィー at 21:19| ライフワーク | 更新情報をチェックする

No 4063   【面白がること、ふざけること】

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【面白がること、ふざけること】

佐藤愛子氏の心に響く言葉より…


友達の中には私が年中、物を盗まれたり騙(だま)されたりしているのを見て心配し、真剣にお説教をしてくれる人がいる。
しかし私はどんな同情や説教よりも「ただ面白がる」遠藤(周作)さんによって慰められる。
「今度からオレに相談せえ」
と遠藤さんはいい、私は「うん」というが、相談してもその通りにしたことがない。
多分、私につける薬はないのである。
どんな薬を持ってきても私には効かないのだ。
遠藤さんにはそれがわかっているのだろう。
薬が効かないとなれば、病人の手をただ握ってやるしかない。
遠藤さんはその握り方を心得ている人なのだ。
これで狐狸庵(こりあん)流のデタラメさえいわなければ、彼は最高の人物なのであるが…。
《淑女失格「私の履歴書」》

6年前、私の娘の結婚が決まり、その披露宴での祝辞を私は遠藤(周作)さんに頼んだ。
娘の嫁ぎ先は実業畑の真面目で常識的な人たちが揃っているから、祝辞は自然真面目でしかも長々しいものになった。
宴席に料理が運ばれ、それを食べながらスピーチを聞くのであるから、あまり長いと皿の音やら私語やらでザワザワしてくる。
そこで私は末席からメインテーブルの遠藤さんにメッセージを送った。
…つまらんから面白うしてちょうだい。

すると遠藤さんから返事がきた。
「ナンボ出す?」

そのうち遠藤さんの祝辞の番がきて、遠藤さんはマイクの前に立った。
そしていきなり大声で叫んだ。
「みんな、メシを食ってはいかん!」
一座はびっくりしてシーンとなる。
その途端に傍らのテーブルから北杜夫さんがいった。
「酒は?」
「酒は飲んでよろしい…」
わーっと笑い声が上がって私は嬉しくなった。

「小説を書く人間はみな、おかしな人であります」
遠藤さんのスピーチはそんなふうに始まった。
「ここにいる北杜夫もおかしいし、河野多恵子さんも中山あい子さんもみなおかしい。
その中でも一番おかしいのは今日の花嫁の母、佐藤愛子さんであります。
杉山さん(婿さんの姓)。
これからこの人をお母さんと呼ぶのは大変ですぞ」
人が笑う。
しかし遠藤さんはニコリともせずにつづけた。

「私は昔、中学生であった頃、電車でよく会う女学生であった佐藤愛子に憧れ、何とかして彼女の関心を惹(ひ)こうとして、電車の吊り革にぶら下がって猿の真似をしました。
そしてバカにされたのであります…」
例によって例のごときデタラメである。
「今思うと私はなんというオロカ者であったか、あんな猿の真似をしたりしなければ、今日はこの披露宴の父親の席に座っていたと思いますが…」
爆笑の中で遠藤さんはいった。

「最後に私から花婿にお願いがあります。
どうか佐藤愛子さんを、この厄介な人をよろしくお頼みもうします…」
普通ならばこういう時は「愛子さんの大事な一人娘をよろしく」というところだ。
おふくろをよろしく、というのは聞いたことがない。
私はジーンときた。
遠藤さんはやっぱり私のことを心配してくれていたのだ。
それがはっきりわかった。
だがその後、遠藤さんは手洗いに立ち、末席の私の傍らを通りながら、
「おい、7千円やぞ、7千円…」
といって出ていった。
ジーンんときていた私は忽(たちま)ち我に返って、
「7千円は高い…」
と早速いい返したのであった。
《不敵雑記たしなみなし》

『人間の煩悩 (幻冬舎新書)』

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小林正観さんはこう語る。
「神様は…
面白がる人には、どんどん面白いこと
楽しがる人には、どんどん楽しいこと
幸せがる人には、どんどん幸せなこと
を、くださるみたいなのです。
さらに、さらに重要なこと。
感謝する人には、感謝したくなるような現象を、次々に降らせるみたいだ。」

面白がること、ふざけることこそ、人生に明るさや元気さをもたらしてくれるものはない。
それは子供心を呼び覚ますことであり、そして、それこそが人間の幅や深さと言う余裕の源泉となる。

面白がる人には、どんどん面白いことがやってくる。
楽しがる人には、どんどん楽しいことがやってくる。

人生を面白がったり、時にふざけて生きることができたら最高だ
posted by Dr.モーリィー at 06:13| ちょっと気になる善い言葉 | 更新情報をチェックする

2017年04月25日

No 4062   【教育や学びがますます必要となる】

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おいちゃんの お気に入りブログ 【人のこころに灯をともす】からの転載です

【教育や学びがますます必要となる】

大坂大学大学院教授、石黒浩氏の心に響く言葉より…


今後、肉体労働は全部機械に任せられるようになります。
知的労働であっても、法律も医学も全部人口知能に変わります。
ただ、「自らを知ろうとする」という部分だけは、AI(人工知能)がすぐに取って変わることはできません。
変わるとしても、長い年月が必要だと思います。
これは、人間とその他の動物との決定的な違いでもあります。

医学分野はそのほとんどがAIとロボットに変わります。
法学も、工学も取って変わられますが、教育だけ残ります。
教育は最も難しい分野だからです。

もちろん、教育の現場では新しいメディアが盛んに使われるようになるし、AIやロボットがどんどん入ってくるでしょう。
現在の教師の役目は、チューター(学習の助言や補助を行う人)のような存在に近づいていくと予想されます。
しかし、教育プログラム自体を企画するのは難しい。
「人に何を教えればいいのか」「どうやって興味を持たせればいいのか」といった問題は極めて複雑で、簡単に自動化できないのです。
少なくとも医学や法学に比べて自動化が難しい分野だと断言できます。

語弊を恐れずに言うならば、医師は新しいことをやってはいけない存在です(大学の研究者は除きます)。
たとえば新しい薬を、「効果がありそうだから、あの患者さんに使ってみよう」というわけにはいきません。
失敗が許されないからです。
となると、仕事は決まりに沿ったルーティンワークになります。
それは工場のラインで働く人と、本質的にはとても近い。
いわば、すごく優秀な職人が、病院と呼ばれる、あまり自動化されていない工場で働いているようなものなのです。
つまり医師たちも、非常に性能がいいという条件があるものの、やはり「肉体マシーン」なのです。
AIの進化によって、彼らは職場を追われるか、給与がみるみるうちに落ちていくかもしれない。
そんな危機感を持っている医師は少なくありません。

対して「人はどうやったら成長するのか」「人はどう導くと、何を考え、何をしたいと思うようになるのだろう」といった問いに直面する教育は、まさにこれからの重要性が増す分野です。
教育を別の言葉に言い換えるとしたら、「人間プログラミング」です。
ロボットのプログラミングは僕たちの研究分野の一つですが、人間のある役割だけを引っ張りだして、こちらの思い通りに動かしているわけで、対人間に比べればはるかに単純です。
逆に言えば、教育はまだまだ解明できていない「人間それ自体」をプログラミングするわけですから、最も高度なチャレンジです。
ありとあらゆる知識を総動員して、研究をすすめるべき分野なのです。

『枠を壊して自分を生きる。: 自分の頭で考えて動くためのヒント (単行本)』三笠書房

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石黒氏はこう語る(本書より)。
「現代は、20代の中盤から30歳くらいまでに教育を受ける期間が延長された時代だと言えます。
では200年後はどうなっているでしょうか。
僕の予測では人生の9割が学びの期間になる。
これは決して突飛な話ではありません。
昔に比べて教育期間が延びているのは、コンピュータが高度化しているからです。
そのおかげで生活は便利になっていますが、一方で職業という面から見ると、多くの人が高度化した機械を使いこなすスキルを求められるようになった。
学ばなければ役に立たないのです」

これからますますITはすすみ、ロボットや機械は高度化してくる。
新たな機械もどんどん出てくる。
それらを使いこなすための学びの時間もどんどん増える。

学ぶことが好きな人の時代になるということ。
好奇心を持ち続けることができるかということでもある。

これからの時代…
教育や学びがますます必要となる
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2017年04月24日

NO 4061   【何に対しても感謝する習慣を身につける】

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【何に対しても感謝する習慣を身につける】

アンソニー・バーグランド氏の心に響く言葉より…


人間はとかく愚痴を言いたがる生き物です。
夏になると「暑い」、冬になると「寒い」と愚痴を言います。
春と秋はすごしやすい季節ですが、それでも強い風が吹くと「今日は肌寒い」、雨が降ると「うっとうしい天気だ」などと愚痴を言います。
こんなふうに人間は年がら年中、気候ひとつとっても愚痴を言いながらすごしているのです。

気候について愚痴を言う人は、それ以外のことにも愚痴を言う傾向があります。
たとえば勤務中も「いやな仕事だ」、食事中も「料理がまずい」などと愚痴を言います。
要するに、いつも心に不満があり、それが愚痴となって表面化するのです。

愚痴を言うことは決して建設的な態度ではありません。
むしろ恥ずべき態度です。
愚痴を言えば言うほど、心の中に不満がたまります。

その結果、精神的にも肉体的にも経済的にも、ますます多くの不幸を招き寄せてしまうのです。
変えることができないなら、愚痴を言ってもしかたがありません。
変えることができるなら、それを変えるための行動を起こすべきです。

どうしても愚痴を言いそうになったら、自分の人生の中で恵まれていることに意識を向けて積極的に感謝しましょう。
感謝の対象はいくらでもあります。

成功していない人は何かにつけて愚痴を言い、成功している人はあらゆる機会をとらえて感謝します。
アメリカの経営コンサルタント、ブライアン・トレーシーは、こう言っています。
「何に対しても感謝する習慣を身につけることだ。感謝するたびに、現状よりさらに大きな業績をあげるきっかけになる」

《変えることができないなら、愚痴を言うな。変えることができるなら、変えるための行動を起こせ。》

『人生が変わる習慣』ディスカヴァー

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人の愚痴を聞き続けると、具合が悪くなる。
愚痴には毒があるからだ。
変えることができないこと、自分の容姿や、過去、あるいは他人の性格や行動に関する愚痴は聞いていて疲れる。

不満がたまっている人は、ささいなことにも文句をつけ、愚痴をいう。
やがて、イライラや不満が、顔に出てしまう。
険(けん)のある「不満顔」だ。

「他人は変えられない。変えることができるのは自分だけ」
愚痴ではなく、感謝に意識を向ける。
何に対しても感謝する習慣を身につけたい
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2017年04月23日

No 4060   【自分の匂いを生かせ】

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【自分の匂いを生かせ】

冨山和彦氏の心に響く言葉より…


グローバル化しないと生き残れない、という時代背景もあるのだと思います。
楽天やファーストリテイリングなど「英語を社内公用語にする」企業が一時期話題になりました。
社内に危機感を与えるショック療法的な意味合いは理解できますが、そこには大きなリスクも潜んでいます。
英語化の意味することが、脱日本や日本的なるものの否定だとすると、結果として企業を“無色透明”化し、競争力の源泉となっている「その企業らしさ」まで消し去りかねないからです。

考えてみれば、世界で通用している会社というのは、むしろ発祥の地の匂いが強い。
コカ・コーラはアメリカ南部の匂いがするし、アップルはシリコンバレー臭が極めて強い。
ネスレはスイス臭いし、シーメンスはドイツ臭い。
フィリップスはオランダ臭いし、イケアはスウェーデン臭いでしょう。

逆に、その体臭が薄まった結果、世界的な競争力を弱めてしまった会社もあります。
かつては世界的なブランドを誇った日本の電機メーカーはその象徴かもしれません。
企業の“体臭”というのは、極めて大切なのです。
その企業のアイデンティティを薄め、無色透明に近づけ、国際化に成功した会社というのを、私はひとつも知りません。

それはスポーツを見れば一目瞭然。
だいたい日本人がブラジル式のサッカーをやろうとしても、うまくいかない。
勤勉な日本人に合ったサッカー以外で、世界では戦えない。
また、日本では絶対的4番打者だった野球選手も、アメリカに行けば中距離ヒッターです。
世界で成功しようと思ったら、自分自身を顧みたうえで、どうやったら通用するかを考えるべきであり、外国人や外国企業そのものになろうとすることではないのです。

実際、世界で大きく成功している日本企業も、極めて“体臭”の強い個性的な企業が多い。
コマツ、ブリヂストン、キッコーマン、日本電産…。
これら世界でグローバル企業として評価されている企業が、果たして英語を公用語にしているかどうか。
日本人同士で話すなら日本語でいい。
長く世界で成功している会社は、使用する言語になど本質はないことをよくわかっています。

結局、日本人であることや、日本でその会社が発祥した歴史、沿革からは、自由にはなれないのです。
ならば、そのDNAを生かすべき。
“体臭”を徹底的に活用すべきなのです。
そして大事なことは、その“体臭”の使い方は、時代や環境によって変わっていくべきだということです。

日本の戦後の奇跡の成長は、その“体臭”の使い方が正しかったからです。
しかし、“型”は本質ではありません。
戦前の日本は欧米の帝国主義を真似て失敗しました。
今、行うべきは、今の時代、今の環境に合った“型”を見つけること。
それも“体臭”を生かしながら、です。

『有名企業からの脱出 あなたの仕事人生が手遅れ≠ノなる前に (幻冬舎単行本)』幻冬舎

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本来どの企業にも、独特の体臭ともいうべき個性がある。
それを社風とか企業風土という。
これは、人においても、商品においても同じだ。

その匂いが強烈であればあるほど、熱烈に好きな人もいるかわりに、徹底的に嫌う人もいる。
選択肢が多い現代、全部の人に好かれることはできない。

匂いを前面に出すことは、角張(かどば)ることだ。
いわば喜怒哀楽をはっきりさせる、と言ってもいい。
喜怒哀楽の振幅の激しい人ほど、魅力がある。
逆に言うなら、喜びも、怒りも、哀しみも、楽しみも、ほとんど表情に表さない、能面のような人だとしたら、冷(ひ)え冷(び)えとして心が感じられない。
これは、匂いという個性も同じ。

自分の匂いともいうべき個性を大事にし、それを伸ばしたい
posted by Dr.モーリィー at 07:03| ちょっと気になる善い言葉 | 更新情報をチェックする

2017年04月22日

No 4059   【信頼すれども期待せず】

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【信頼すれども期待せず】

医師、矢作直樹氏の心に響く言葉より


自由になるためには、他人に妙な期待を抱かないこと。
期待はときに、自分と相手の「自由度」を狭めてしまうからです。

どれほどの専門家であっても個人の能力には限界があります。
A氏ならこれをやれるはず、B氏はこれ以上のことをこなせるはず、細かいことをいくら個人ベースで突き詰めたところで、なかなかその通りにはなりません。

ままならない。
それが人間という存在です。
将棋やチェスの駒(こま)のように、誰もが思った通りに動くわけではありません。
年配者になった自分は若い頃と比べると確実に経験値が上がっています。
若い自分には対応できなかった状況も、場数を踏んだことで着実に対応できます。

しかし自分ができるからといって、若いスタッフに今の自分と同じレベルを求めるのは無茶な話です。
そこを理解できなければ「どうしてできないの?」という怒声、罵声(ばせい)が口をついて出てしまいます。
そこには「こんなはずじゃなかった」という強い感情が存在します。
そしてこれこそ、知らず知らずのうちに自分の中に芽吹いた、強いこだわりです。

「信頼すれども期待せず」

ちょっと冷たいなと感じる方もいらっしゃると思いますが、お互いの自由度を奪わないためにも、ある程度、必要な感情なのです。
期待しないというのは「依存しない」ということでもあります。
依存しないというのは、自分と相手の関係において「心の距離」をとり、その距離をただし、相手の言動にいちいち囚われないこと。
これは気持ちの上で「絡(から)め取られない」状態です。

私たちの人生は「距離のとり方」で左右されます。
日々の経験が学びとしてどう深まるか(深下するか)は、自分が交流する相手との距離をどうとるかで決まります。
今、個人ベースの話をしていますが、距離のとり方は、会社、町内、自治体、あるいは国家に到るまで、すべて影響します。

すべての出来事、すべての現象、すべての関係は、距離のとり方次第です。
この、距離のとり方を学ぶことこそ、私たち人間が、この世界に何度も輪廻転生している理由だと言われます。
距離をとる上で、私が実践している感情コントロールがあります。

「(何かを)してくれたら、ありがとう。してくれなくても、それが当然」
私自身は常にそう思っています。
期待しない、つまり依存しないということは、いかなる状況でもプラスマイナスゼロでいることかもしれません。

『身軽に生きる』海竜社

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夫婦や親しい友人であっても、あまりに近づきすぎるとそこに甘えが生じる。
夫婦なんだから、親しい友人だから、これくらいやってくれて当然、という甘え。
期待度が高ければ高いほど、裏切られたときの喪失感や、がっかり度も高くなる。
どんなに仲がよくても、適度な距離感を伴った淡々とした付き合いがいい。

ここで言う、「期待しない」とは、相手に対する期待値を下げた自分の心の状態を言う。
つまり、相手に過度な期待をしないということ。
どんなにひどいことが起きても、期待値を下げれば、「この程度で済んで、よかった!」、「ありがたい」となる。
しかし、期待値が高ければ、「なんで私だけこんな目にあうの!」、「ツイてない」となる。

『あんなにしてやったのに、「のに」がつくとグチが出る』(相田みつを)

「信頼すれども期待せず」
「(何かを)してくれたら、ありがとう。してくれなくても、それが当然」と思えるような人でありたい
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2017年04月21日

No 4058   あじ福: 全国菓子博覧会

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あじ福 天才和菓子師 ATARU先生の FBから
https://www.facebook.com/iwagawa.ataru?fref=nf&pnref=story

4月21日〜5月14日まで三重県の伊勢で開催される全国菓子博覧会。
昨日は、そこで展示される工芸菓子を搬入してきました。
4年に1回開催される全国菓子博覧会の中でも工芸菓子は、毎回注目されます。
全国の菓子職人の皆さんが、店の仕事もしながら毎日コツコツと和菓子の材料で木や花や動物などを作ります。

今回、九州からは鹿児島だけの出展ですが。全国の素晴らしい菓子職人の皆さんの工芸菓子をぜひ会場で実際に見ていただきたいです。
http://www.kashihaku-mie.jp/

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先日搬入した、工芸菓子です。

【耐雪梅花麗】(雪に耐えて梅花麗し)

西郷隆盛が詠んだ詩です。来年の大河ドラマが「西郷どん」(せごどん)に決まった時に、今回は大河ドラマ、鹿児島の繋がりで、これを作ろうと思いました。

元広島カープのエース、黒田博樹投手の座右の銘でも知られ、ニューヨークヤンキース時代には、この詩をプリントしたTシャツをチームメイトに配ったこともニュースになりました。

辛い冬の時期を耐え、なお且つ寒い時期に花を咲かせ春を告げる。桜とはまた違った雰囲気で大好きな花です。

その梅に鹿児島の象徴とも言える桜島というシンプルな感じです。

その他にも全国の素晴らしい技術を持った職人さんが作る工芸菓子は、圧巻です!

ぜひ会場で直接ご覧ください。
posted by Dr.モーリィー at 10:57| 講演会・イベント情報 | 更新情報をチェックする

No 4057   【感謝する習慣の恩恵】

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【感謝する習慣の恩恵】

ロバート・A・エモンズ氏の心に響く言葉より…


感謝の気持ちは、心、からだ、社会に、数え切れないほどの恩恵をもたらします。
近年の多くの研究によって、健康や幸福への効果が確認されています。
それらの臨床試験、実験、大規模なアンケートからは、ありがとうの習慣はあきらかに効果をもたらし、しかもその効果は持続することがわかっています。

■医療関係の仕事に就く人々に、感謝の気持ちを2週間にわたって日記に綴ってもらったところ、ストレスや鬱(うつ)が減り、その効果が持続しているという回答が、それぞれ28%と16%に上がった。 
■ありがとうの習慣がある人は、そうでない人とくらべてストレスホルモン(コルチゾール)の分泌が23%少ない。
■感謝の気持ちを記録すると脂肪の摂取量が25%も少ない。
■自殺未遂による入院患者が感謝の思いを伝える手紙を書いたところ、88%が「夢も希望もない」という状態から少し立ち直り、94%が以前よりも楽観的になった。
■ありがとうの効果によって、慢性的な痛みを抱える人(その76%は不眠症にも悩んでいた)の睡眠の質が10%改善し、気分の落ち込みが19%軽減した。

ありがとうの習慣を身に付けると、感情をコントロールできるようになり、ひいては、からだにもよい効果がおよびます。
これを治療法として見た場合、少ない費用ですぐに効果が上がり、誰でも利用できるという利点があります。
これまでのところ、悪い副作用は見つかっていません。
もちろん、感謝の気持ちだけですべてが解決するわけではありませんが、従来の療法の効果を著しく高めることができるのです。

ありがとうの恩恵は、ほかにもあります。
そのうちのごく一部を紹介すると、自尊心や意志力、よい人間関係、深い精神性、高い創造力などが得られ、スポーツや勉学の成果も向上します。
このように、感謝の精神は、幅広い効果をもたらすので、「優れた資質の典型」とされているのも当然でしょう。
それはまた、自分、他人、世の中のよい面を伸ばすことにつながり、癒しや励ましを後押しし、人生の新たな扉を開いてくれるともいわれています。

『ありがとうの小さな練習帳 ―幸せを招き寄せる感謝のレッスン26』プレジデント社

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五日市剛氏の素敵な言葉がある。
『いつも、心から「幸せだなぁ」と感じられる人には、ある共通項があります。
なんだと思いますか。
それは、「たくさん感謝している」ということです。
幸せなことがあるから、感謝しているのではありません。
感謝しているから、「幸せだなぁ」と感じられるんですね』

幸せなことや、嬉しいことがあるから感謝するのではない。
普段から「感謝する習慣」があるから、他の人が見過ごしてしまうような、ほんの小さなことにも感謝できる。
もっと言うなら、大多数の人が不幸だと思うようなことの中にも、感謝のタネを見つけることができる。

感謝する習慣を身に付けたい
posted by Dr.モーリィー at 06:02| ちょっと気になる善い言葉 | 更新情報をチェックする

2017年04月20日

No 4056   【家庭は、何のために存在するのか】

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【家庭は、何のために存在するのか】

小林正観さんの心に響く言葉より…


みなさんは、家族は長く一緒にいて自分の主張をし合うことが仲よしの証拠だと思っているところがあります。
でも、私はそのように家族をとらえていません。
家族とは、他人に対して言わなくてすむわがままを、目の前の家族という名の特別な存在に対しても言わないという訓練の場なのだと考えています。

あることを他人から言われたときに、その他人に対しては腹を立てたり、怒ったり、怒鳴ったり、いら立ったりしない。
ところが、同じ言葉を夫や妻、子どもから言われたら、ものすごく激昂(げきこう)して、腹を立てて、怒って、怒鳴りまくってしまうという人はいませんか?
実は結構いるのですが、そういいう性質を幼児性といいます。

つまり、この人には甘えていいという特別な感情を持っているわけです。
もしここで踏みとどまることができるなら、その人は忍耐力というのを持っているわけです。
自分で自分の感情が制御できているんですね。

それがある人との関係では制御できて、コントロールできるのに、別の人との関係ではコントロールできないというのは、制御ができないのではなくて、制御をしないのです。
家族だから、妻だから、夫だからという理由で制御しないのは、甘えているという意味でそれを幼児性といいます。

結婚というのは、幼児性の克服のための訓練の場なのです。
そこのところに気がつかない限り、多分穏やかな家庭生活というのを得ることはできません。

家族というのは、わがままを言い合うために存在するのではなく、わがままを言えるような人間関係が目の前にあって、それでなおかつそのわがままを言わないために存在するのです。
言わないということは大人になるということです。

この話をしたらある人がこう言いました。
「それではストレスをどこで発散するんだ」と。

もう一度いいます。
家庭というのはストレスを発散する場ではありません。
幼児性でわがままを振りまきたくなる状況設定をされているのが家庭。
そこで自分がいかに幼児性を振りまかないで、それを克服していくかということ。
これは業(ごう)というものですけれど、その業の克服のために、家庭というものが存在するのです。

家庭というところは、人間が成長する場所なのですね。
幼児性というものを克服するために家庭が存在するということがわかってくると、子どもとの関係、親と子の関係というものも見えてきます。

実は親が子どもを育てているのではなくて、子どもが親を育てにきているということに気がつきます。
結婚した時に、自分だけのわがままで生きてきた人生から相手が一人増えるわけです。
妻という名の家族が。
そして、子どもができたときにはもう一人別な存在ができてきます。
妻や夫や子どもが自分の思いどおりにならなかったりすると、感情をかき乱されます。

そのときに、どんなことがあってもいら立たないということの訓練の場として、実は家庭というものが存在する。
ですから、家庭はわがままを言うところではないし、ストレスを発散する場ではないのです。

『みんなが味方になる すごい秘密』KADOKAWA

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昨今、親が躾(しつ)けと称して自分の子供を虐待(ぎゃくたい)したり、妻に暴力をふるったりする記事をよく見る。
そういう人には、すべて幼児性がある。
どんなに偉そうなことを言おうが、我慢ができなくて、わがままで、自分さえよければいいという、甘えの抜けない幼児と一緒だ。

大人になりきれない幼児性のある人は、わがままを振りまきたくなる状況設定をされている場(家庭)で、自己コントロールができない。
これは家庭だけでなく、たとえば飲食店や小売店で、「お金を払っているから私はお客だ」と威張ったり、怒鳴ったり、いら立ったりする人も同じ。
あるいは、会社の中で上司が部下に接する態度も、年配者が若者に対する態度もみな同じ。
幼児性があるから、ものすごく激昂(げきこう)したり、腹を立てて怒ったり、怒鳴りまくってしまう。

「家庭はわがままを言うところではないし、ストレスを発散する場ではない」
大人になる修行を続けたい
posted by Dr.モーリィー at 05:12| ちょっと気になる善い言葉 | 更新情報をチェックする

2017年04月19日

No 4055   【人を喜ばす人生】

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【人を喜ばす人生】

斎藤一人さんの心に響く言葉より…


「自分の人生、つまんないな」「オレって、ついてないな」といってた人でも、人を喜ばす人生を歩きだすと、展開がすごい違ってきちゃう。
人生が急に輝きだす、っていうのかな。

たとえば、前に、若い男の子で「自分と仲よくしてくれる人がどこにもいないし、世の中、つまんない」っていう人がいたんです。
ところが、人を喜ばすことをやりはじめたら、会社やなんかで、仲よくしてくれる人が出て来て、毎日「楽しい、楽しい」っていいだしたの、その子。
しばらくしたら、仲のいい人と一緒にサークルに出かけるようにもなって、そこでも人に喜ばれてて「自分は幸せだ」って。
もっと驚いたのは、最近やけに顔がイキイキ輝いて、カッコよくなってきたから「なんか、いいことあったのかい?」って聞いたら、「サークルで知り合いになった女性に告白されて、今、つきあっているんです」って。

その子のことを見てて、私、思うんだけど。
よくね、定年退職だとかで、ずぅーっと家にいて、テレビを見て一日すごしてるような人に、周りが「こいいうサークルがあるから、行ってみれば」とかっていうんだけど。
サークルに出かけたとしても、結局、行かなくなっちゃうと思うんです。
だって、出かけていっても、そこで、自分がなにをしていいのかがわからない。
そうすると、そこもやっぱり、楽しくないんだよ。
だから、そういうサークルに行く前に、ふだんの生活のなかで、なにか一つ、人を喜ばせることをしてみると、いいかもわかんない。

それで、人を喜ばすって、みんなが思っているほど、難しいことじゃないんだ。
たとえば、女性に「いつも、キレイだね〜」って、いってあげたっていいし。
外で食事をしたとき、お店の人に「おいしかったよ」というのもいい。
友だちやなんかと会ったら、「あなたと会えて、うれしいよ」とか。
会社に行ったら、上司や社長に「この会社で働けて、私はついてます。感謝してます」とか。

そういう言葉をいっても喜ばせることができるし、字を書いても喜ばせられる。
なおかつ、それをやっている自分自身が、スゴく楽しいんだよね。
だから、「人を喜ばせるんだ」ってことを、自分の趣味かなんかにしちゃうと、いいかもわかんない。

私自身は、人を喜ばせる以上の楽しみは「ない」と確信しているんです。
実際に自分がやってみての感想だよ。
神がくれた、本当の楽しみ。
だと、私は思ってます。

『斎藤一人 愛される人生 [CD2枚付]』KKロングセラーズ

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「人を喜ばせる人生」の反対は、「人を悲しませる人生」又は「人をがっかりさせる人生」。
行くところ行くところで、人を悲しませたり、がっかりさせる人がいたとしたら、いつか誰からもお呼びがかからなくなる。
ところが、行くところ行くところで、人を喜ばせてきた人は、あっちこっちから引っ張りだこの人気者となる。

お釈迦さまの教えに「無財の七施」というものがある。
お金がなくてもできる七つのほどこしだ。

一、眼施(がんせ)
優しいまなざしで人に接すること。

二、和顔施(わがんせ)
おだやかな笑顔で人に対すること。

三、言辞施(ごんじせ)
やさしい言葉で人に接すること。

四、身施(しんせ)
人のいやがる仕事など、自分の体でできることで奉仕すること。

五、心施(しんせ)
人に心を配ること。ともに喜び、ともに悲しんであげること。

六、床座施(しょうざせ)
席を譲(ゆず)ること。

七、房舎施(ぼうしゃせ)
自分の家を提供すること。

人を喜ばす人生でありたい
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2017年04月18日

No 4054  東寺:陶彩画展     新刊

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おいちゃんも親しくさせていただいている
陶彩画の 草場一尋先生の 個展

「第2回 陶器の絵画展」が
真言宗総本山 世界遺産 京都の東寺で
2017年4月29日から6月11日まで
入場無料にて 開催されるようです

おいちゃんのぎゃらりーにも シルクレ・ジクレ作品はが
多数 展示されております

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情報2
池口 恵観 最福寺開山についての 最新版

田原総一朗プロデュース 「今なぜ、池口恵観なのか?」

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posted by Dr.モーリィー at 08:18| 最福寺・仏教 関連 | 更新情報をチェックする

No 4053   【耆(ろう)に学ぶ】

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【耆(ろう)に学ぶ】

清水克衛氏の心に響く言葉より…


「耆」という漢字を知っていますか?
「キ」や「シ」と読み、「おいる」「老人」といった意味があるようです。
「老」に「旨」と書いて「耆」。
うまいですよね。

老というと最近ではすっかり良くないイメージが付いてしまっていますね。
「老害」とか「老醜」なんていう言葉もありますが、とにかく、弱い、醜い、厄介者といったレッテルを貼られてしまっています。
ところが本来、、老は「知恵者」であるとか「徳の高い人」という意味なんです。

江戸時代には「老中」とか「大老」とか「家老」とか、ものすごく高い地位の人を呼ぶのにこの漢字を使っていました。
経験に裏打ちされたうまい知恵がある。
その知恵で人が進む道を示してくれる。
それが「老」であり、「耆」なんです。

「耆老(きろう)」という言葉がありますが、これなんてまさに「徳の高い老人」という意味です。
この頃は「アンチエイジング」だなんていう言葉もあるそうですが、それじゃあまるで、まったく自分を高めたくないみたいじゃないですか。

日本はこれから超高齢化社会になります。
少子高齢化は大きな社会問題になっています。
だが、待てよ。
逆から考えたら、これってものすごいチャンスですよね。
若い人たちは知恵者である年長者に囲まれるんです。
学ぶ機会がどんどん増えます。

人間は逆立ちしたって、必ず老いるのです。
当たり前のことです。
ところが多くの方はそれを考えたくないのか、忘れちゃっているのか。
そのどちらかに見えてしまいます。
しっかりと、そのことを意識したとき、老害と呼ばれるような生き様は嫌ですよね。
シワよりも今から気にしなくてはいけないのは、目です。
「心眼」と言われるような眼を持つことにこだわらなきゃ生きている意味がありません。

『耆(ろう)に学ぶ』
そう。いまこそ、耆に学ぶときです。

『耆に学ぶ』エイチエス株式会社

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タレントの高田純次氏の名言がある。
『歳とってやっちゃいけないことは「説教」と「昔話」と「自慢話」』

本来なら、尊敬されるべきはずの年配者が嫌われるのは、この「説教」と「昔話」と「自慢話」があるから。
だからこそ、この年寄の繰り言ともいうべき「説教」と「昔話」と「自慢話」をしない人が光る。

中国明代の儒学者である呂新吾(ろしんご)が 名著『呻吟語』で語っている言葉がある。
それが、「 深沈厚重(しんちんこうじゅう)」
深沈厚重 とは、どっしりと落ち着いて深みのある人物のこと。
細かいことにこだわらない豪放な人物は第二等であり、
頭が切れて弁の立つ人物は第三等だと言っている。

耆老の人とは、尊敬される老人のことを言うが、それがまさに「深沈厚重」
posted by Dr.モーリィー at 07:18| ちょっと気になる善い言葉 | 更新情報をチェックする

No 4052    第2回 七福杯

先日 開院23周年記念として
日ごろお世話になっている方々に お声掛けして
第2回ご縁に感謝 謝恩ゴルフコンペ 七福杯を開催しました

今回は 快晴・お花見モードの 絶好のコンディションのもと
13名の参加者で 和気あいあいと 楽しみました

雰囲気をどうぞ!
スタート前 集合写真
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お昼です
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景品も豪華な? 表彰式
皆さん大満足!
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優勝
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準優勝
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おいちゃんの スコアは、、、
ほすとですから ははは
練習頑張ります!

第三回は 法人記念日の 10月開催予定です!
posted by Dr.モーリィー at 06:55| クリニック情報 | 更新情報をチェックする