2017年03月31日

No 4030   【心をしなやかに保つ】

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おいちゃんの お気に入りブログ 【人のこころに灯をともす】からの転載です

【心をしなやかに保つ】

臨済宗全生庵住職、平井正修氏の心に響く言葉より…


《風にそよぐ荻(おぎ)の如(ごと)し。柔剛強弱此処(じゅうごうきょうじゃくここ)なり。》(山岡鉄舟)
「心は風にそよぐ荻のようであれ。
時には柔軟に、時には剛毅に、時には強く、時には弱く、そういうしなやかさが大切である」

心というものを荻にたとえている。
風が吹くまま右へ行ったり左へ行ったり、自由自在なしなやかな心が大切だという。

それは子供の心にも似ている。
子供は毎日毎日、朝から晩まで親に怒られているのにめげない。
何度注意してもいうことを聞かない。
最後は親が根負けするほどである。

人は皆、もともとそういう心を持って生まれてきた。
ところが、成長していくにしたがって体が硬くなるのと一緒に心も固くなっていく。
だから年寄は得てして頑固になる。
これは自然に固くなるというよりも、自分で固くしてしまうというほうが的確かもしれない。

私の母が湯河原のケア付きマンションに越したときの話である。
最初はそういう場所に行けば同年代の友達もできて、生活のペースも話題も合って暮らしやすいのではないかと思っていた。
ところが、そこに住んでいるのは年をとって頭が固くなっている人たちだから、新しい話題もなくて、話といえば昔話と食べ物の話と病気の話ばかりだという。
それはそれで気楽なのかもしれないが、そいう話ばかりしていると間違いなく老いていく。

学校の先生がいつまでも若々しいのは、いつも子供と接しているからだろう。
世代の違う人間と接するのは面倒なこともあるけれど、肉体的にも精神的にも自分を固くしないためにはそういうことも必要だ。

人は何もしなければ一つの考え方に凝り固まってしまう。
自分ではそれが正しいと思って生きているわけだが、その正しさとは自分勝手な正しさにすぎない。
だから百人いたら百人の正しさがあっても不思議ではない。
ところが、年をとると、それがなかなか理解できなくなっていく。
もっともっと本来の心の柔軟性、子供のめげない姿に我々は立ち返らないといけないだろう。

「俺は信念を持っている」という人を見ると凄いと思うが、信念などはなくてもいいのだ。
それが言い過ぎならば、少なくとも自分の信念をわざわざ口に出す必要はない。
「俺はこういう信念を持っている」と声高にいうのは、よほど自分に自信がないか、虚栄心の塊なのかのどちらかであろう。
相手の信念をも理解できる人ならばともかく、自分の信念だけを振りかざす人は信用ならない。
いつもしなやかな心でいたいものだと思う。

『活学新書 山岡鉄舟 修養訓』致知出版社

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《外柔(がいじゅう)にして内剛也(ないごうなり)》
と、山岡鉄舟師は言う。
外見はニコニコとソフトな感じであるが、心の内には厳しさや強さを秘めていなければならない。

とかく我々は、人にバカにされまい、なめられまいとして、虚勢を張ってしまう。
そして、自然に振る舞えない。

「風疎竹(かぜそちく)に来る  風過ぎて竹に声を留(とど)めず」 という、菜根譚(さいこんたん)の中の言葉がある。
一陣の風が竹林に吹いたとき、竹はザワザワと音がする。
しかし、一旦風が通り過ぎてしまえば、竹林はまるで何事もなかったかのように静まり返る。

多くの人は、誰かに何か嫌なことを言われたり、バカにされたりすると、いつまでもそれに執着し、ザワザワとして心が静まることができない。
いくつになっても、心をしなやかに保っていたい
posted by Dr.モーリィー at 21:37| ちょっと気になる善い言葉 | 更新情報をチェックする

No  4029    通算患者様数 19000名 達成!  大感謝!

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本日 毛利歯科クリニック 開院23年目で
通算患者様数 カルテ番号 19000番 達成いたしました

ありがとうございます  感謝いたします

今後も より善いクリニック創りを スタッフ全員で目指します!

今後とも宜しくお願い申し上げます!

       毛利歯科クリニック  スタッフ一同


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2017年03月30日

No 4028   【スタートアップが注目を集めている理由】

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【スタートアップが注目を集めている理由】

馬田隆明氏の心に響く言葉より…


スタートアップは短期間で急成長を目指す一時的な組織体のことです。
新興企業であっても、短期間での急成長を目指さないのであれば、それはスタートアップではありません。
着実な成長を目指すものはスモールビジネスと呼ばれます。

通常の起業の対象となるような、たとえば飲食店や理髪店はスタートアップにはなかなか該当しません。
何故なら、そうしたビジネスの成長の上限は、土地の広さと顧客単価、そして顧客の回転率でほとんど決まっているからです。
一方でITやテクノロジを使って自社製品を作るような事業なら、世界中の多くの人たちに使ってもらえる可能性があるため、スタートアップになりえます。
ただし、ITやテクノロジを使っているからといってスタートアップとは限りません。
なぜなら、顧客の要望を聞き、ソフトウェアを作るような受託開発ビジネスも、顧客単価で成長の上限がほとんど決まってしまうからです。

なぜ今、スタートアップが注目を集めているのでしょうか。
その一つの理由は、世界中でイノベーションが求められており、その効果的な手段であるスタートアップへの期待が高まっているから、と言えるでしょう。

スタートアップにとって優れたアイデアは反直感的であり、直感に従って判断するとその真贋を間違ってしまいます。
ここで言う“反直感的”を言い表す表現として、さらに「スタートアップの優れたアイデアとは不合理なアイデアである」と言われることもあります。
「一見悪いように見えて実はよいアイデア」「他人から見ると狂ったように見えるアイデア」と表現してもいいかもしれません。

たとえばAirbnbは、自分の家の一部を他人が泊まるために貸し出すサービスとして始まりました。
これは多くの人が「まさか」と思う、一見悪いように見えるアイデアです。
実際その創業期、多くの有名な投資家が投資を見送ったと言われています。
しかしそんなAirbnbも、創業からわずか8年ほどで評価額が3兆円を超える企業となりました。

この一見、不合理なアイデアの選択のことをピーター・ティールは「賛成する人がほとんどいない大切な真実」と呼んでいます。
「狂気は個人にあっては稀有なことである。しかし、集団、党派、民族、時代にあっては通例である」というのは哲学者ニーチェの言葉ですが、まさに今の時代の集団が「間違って信じている幻想」を見抜き、それに異を唱えることが、スタートアップをはじめる人たちには必要な資質とも言えます。

そしてもう一つ、スタートアップにとって反直感的で重要な事実として、「難しい課題のほうがスタートアップは簡単になる」というものがあります。
たとえば社会的課題を解決する事業のスタートアップや、高度な技術を必要とするハードテックスタートアップは時に難しく見え、そのアイデアを選ぶのを避けてしまいがちです。
しかし、実は難しい課題を選ぶほうが結果として、スタートアップには簡単になる傾向があります。

なぜ難しい課題のほうが簡単になるのでしょうか。
その理由は主に、
●周囲からの支援が受けやすくなる
●優秀な人材採用につながる
●競合がいないマーケットに進出できる
といった点にあります。

まず社会的意義のある事業やミッションのある事業は、まわりの協力を取り付けることを簡単にしてくれます。
重要な社会的意義や魅力的なストーリー、ロマンのためならば、進んで協力をしてくれる人は想像以上にたくさんいます。

技術的に難しい課題に取り組むことも優秀な人材を引きつける理由になります。
昨今であれば宇宙やバイオテクノロジといった、比較的新しい技術領域に挑むスタートアップに、優秀な人材が雪崩れ込んでいます。
その理由の一つは、優れた技術者は技術的に難しい問題の解決に熱意を持つ傾向にあるからでしょう。
技術的な達成の困難さは優れた技術者を奮い立たせます。

そして優れた技術者は優れた技術者のまわりに集まる傾向にあります。
優れた技術者が一人スタートアップに入った瞬間、その人に憧れる技術者の入社応募が一気に増えるケースが散見されます。

近年、実現すれば社会的に大きな影響を与えられて、かつ技術的に実現が難しい課題に取り組む人達に対する支援も増加傾向にあります。
背景には「テクノフランソロピスト」と呼ばれる、それまでに技術で築いた私財を使い、技術でさらに世界をよくしていこうというフィランソロピスト(篤志家)の存在が増しています。
例えばMicrosoftのビル・ゲイツ、dysonのジェームズ・ダイソン、Googleの元CEOであるエリック・シュミット、Tesla motorsのイーロン・マスクらは自らの私財を拠出し、難題を解決しようとする人たちを、研究補助やエンジェル投資、コンテストの協賛などを通じ、支援しています。
彼らの重視するポイントは「ソーシャルインパクト」、つまり社会問題の解決や世界によい影響を与えるかどうかです。
そうした潮流を見るにつれて次第に明らかになりつつあるのは、平凡な企業、つまり既存のアイデアをコピーしてほんの少しの新しい何かを加えたような企業に優秀な人は集まらなくなってきているということです。
ミッションのない企業は人々を興奮させず、また成功するためのハードな働きをチームに引き起こすことができないので、結果的に成功が難しくなります。

『逆説のスタートアップ思考 (中公新書ラクレ 578)』

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馬田隆明氏は本書の中でこう語ります。
『「競争に勝つには、どうやって競争から抜け出すか」を考えることが重要であり、持続的に高収益を上げ続けるために必要な考え方です。
そのためには独占することが必要です。
独占とは、消費者からすると悪いことのように聞こえます。
しかし、そもそも独占が起こるのは、他社では叶えることのできない独自の価値を提供するから、結果的に一部の領域を占めるだけとも言えます。
独占は、独創的なことをうまくやっているからこそできることです。
素早く独占するためには、以下のような条件を満たす必要があることをピーター・ティールは上げています。
1.小さな市場を選ぶこと
2.少数の特定の顧客が集中していること
3.ライバルがほとんどいないこと
4.顧客に刺さり続ける仕組み(Stickiness)があること
5.スケールのために必要な限界費用が低いこと
IT分野はこれらの条件を満たしやすく、また規模の経済性を持っているため、結果的に独占を実現しやすいというメリットがあります。』

Airbnb、Facebook、‎Instagram、LINE、kindle、Amazon、Google…
我々がごく普通に使っている先端のサービスを提供している会社だ。
これらの企業はすべて、創業して10年から20年以下という若い企業ばかり。

時代は大きく変わっている。
そして、世界中でスタートアップへの関心がますます高まっている。
世界を変えるような、社会的意義のある事業やミッションのある事業に関わることができたら最高だ。
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2017年03月29日

No 4027   【人生というものは旅である】

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【人生というものは旅である】

伊那食品工業会長、塚越寛氏の心に響く言葉より…


例えば二泊三日の旅行に出かけたとします。
私達は旅先で観光地をめぐったり、名物料理を食べたり、お土産を買ったりするなど、時間を有効に使って存分に楽しもうとするでしょう。
なぜ旅行中、1時間も無駄にせずに積極的に行動するのでしょうか。
それは、旅行の期間が、往復の移動時間を含めて「二泊三日しかない」という意識を持っているからです。

人生も、旅行と同じく「時間が限られて」います。
ところが私たちは、いつかは人生が終わるという厳然たる事実を忘れがちです。
忘れたうえに、ダラダラと過ごして時間を無駄にしてしまったり、自分の潜在能力をフルに発揮せずに手を抜いてしまったりします。
これはたいへんもったいないことです。
もちろん、時にはゆっくり過ごす時間も必要ですが、できる限り努力をして、人生を有意義に過ごしたいものです。

伊那食品工業本社の談話室には、西暦2001年から2100年までが1枚に印刷されている「百年カレンダー」を貼ってあります。
そのカレンダーのどこかに、必ず私たちの「命日」があります。
また、現役で働ける日数はたかだか2万日程度だということもわかります。
これを見れば、無駄に過ごしていい日など人生には1日もない、ということが自覚できるはずです。

『幸せになる生き方、働き方』PHP

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「人生というものは旅である。ただし、この旅は片道切符しかない。往きだけで、かえりの切符のない旅行である」(扇谷正造)
「人生二度なし」という森信三先生の言葉の通り、この一生は一度きり。
時間は刻一刻と過ぎていく。

「われらは遠くからきた。そして、遠くまでいくのだ」(パルミロ・トリアッティ)。
二度とない人生、無駄には過ごせない
posted by Dr.モーリィー at 22:57| ちょっと気になる善い言葉 | 更新情報をチェックする

2017年03月28日

No 4026   【無駄に生きるな熱く死ね】

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【無駄に生きるな熱く死ね】

サンクチュアリ株式会社代表取締役、直江文忠氏の心に響く言葉より…


私は台湾の“ゼロ番地”という地区で生まれ、バラック小屋で育った。
まるで洞窟みたいなところだった。
後で知ったことだが、そこは旧日本軍が残していった防空壕の中だったらしい。

生まれたときから父親はおらず、生活はまさにどん底の状態だった。
拾ったゴミを売って生計を立てる人が多いこの地区で、裸で水浴びし、近所をうろつく野良犬と遊び、水や電気を盗む毎日を過ごしていた。
いつも腹が減っていて、ときどき目の前を走るネズミを捕って食べようと思ったこともある。

戦時中ならともかく、これが日本経済が急成長をとげていた1980年代のことだから、意外に思う人も多いかもしれない。
その頃の思い出はほとんど残っていない。

いまだに覚えているのは、母親が「お金持ちも貧乏人も、みんな、同じご飯を食べている。与えられた時間もまったく同じ。おまえには膨大な時間が残されている。だから、できない理由を探す方が難しい」とよく言っていたことだけだ。
日本にきたのは6歳のとき、母親が日本人と再婚したのがきっかけだ。
貧しい生活から脱した私は、豊かな日本での生活に胸を躍らせた。

しかし、待ち受けていたのはひどい差別だった。
言葉づかいがおかしいといっては同級生に笑われ、台湾人だというだけでいきなり殴られる。
そんなことが何年にも渡って繰り返された。
とにかく面倒だった。
ときには腕力でやり返すこともあったが、かえって差別を増長させるだけだった。

この国で私はマイノリティで、その事実は死ぬまで変わらない。
そして将来、みんなと同じように大人になっても自分の過去が障害になるだろう。
かといって周囲を変えようと争っても空しい。
いっそ自分自身が変わってしまった方がよっぽど楽だ。
それもハンパな変わり方じゃない。
誰からも意見されないような、圧倒的なチカラを手に入れたい。

自分がもっと強くなれば、きっと自由になれる。
純粋にやりたいことを極められる。
だからなんでもいいからとにかく世界一になってやる。
10代の私は貧困と差別という特殊な環境の中でそう決意した。

でも、一体なんの世界一になるべきだろう?
なんのために生きるべきだろう?
そんなふうに答えのない答えを探した時期もあったが、結論としてはなんでもよかった。
私はとにかく血湧き肉躍るような世界に飛び込みたかった。

『無駄に生きるな熱く死ね (Sanctuary books)』

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直江文忠氏は本書の中でこう語る。
《このまま他人まかせの人生を生きるか。それともいまから自分の人生を生きるか》
「みんな、死ぬ。
生きているということは、確実に死に向かっている。
もしかしたら明日、死ぬかもしれない。
しかし、そうやって死を受け入れることで、もっと強くなろう、いまを大事にしようという生命力があふれてこないか?
《無駄に生きるな熱く死ね》
誰かによって作られた目標に翻弄されることなく、自分の本心から生まれた目標を大切に。
そしてやると決めたからには、腹をくくる。
すべて自分のせいだ。
パートナーが悪かった。
時間が足りない。
もっとお金さえあれば。
いいアイデアが浮かばない。
意見を聞き入れてくれない。
後でそういう言い訳をしないように、決断するときは『もし途中でやめたら自分の片腕を差し出す』くらいの覚悟があるかどうかを確かめる。
それでも本当にやり通せるかどうか、自分の心とゆっくり向き合いたい。
《自分のことは、自分で決める。自分との約束を、自分から裏切らない。》
これが自分の人生を楽しみ尽くすための最善の方法だ」

「無駄に生きるな熱く死ね」
老いも若きも、来(き)し方という過去はふりかえらず…
明日死ぬと思ったら、一瞬も無駄にはできない。
“今、ここ”を、熱く熱く生きたい
posted by Dr.モーリィー at 20:41| ちょっと気になる善い言葉 | 更新情報をチェックする

2017年03月27日

No 4025   【人生はよろこばせごっこ】

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【人生はよろこばせごっこ】

やなせたかし氏の心に響く言葉より…


《人生は椅子取りゲーム。満員電車に乗り込み、あきらめて途中下車せずに立ち続けていたら、あるとき目の前の席が空いた。》『人生の歩き方』

漫画家として独立したあと、舞台演出、詩の雑誌の編集や絵本づくり、テレビ出演など、頼まれるままにいろんな仕事をしてきた。
漫画の代表作がないままに、多くの先輩・後輩の活躍をさびしく目で追う日々が続いた。
それでも漫画家であることをやめず、ぎゅぎゅう詰めの満員電車のように才能がひしめく漫画界に、あきらめることなく立ち続けていた。
すると、あるとき、目の前の席が空いた。
70歳になる直前、アンパンマンのアニメ化の話が持ち込まれ、それから一気にブレイクしたのだ。

「継続は力なり」というが、あきらめないでひとつのことを思いを込めてやり続けていると、ちゃんと席が空いて、出番がやってくるものなのだ。
今でこそ、オイドル(ぼくの造語で、「老いたるアイドル」の略)なんて言って楽しく仕事をしているけれど、人生は失意の連続だった。
特に30代から50代ごろまでは、絶望のトンネルの中にいた。

「これが代表作だ」といい切れるものがない。
歌手に持ち歌があるように、漫画家は誰でも知っている人気キャラクターを持たなければ、存在しないのと同じなのだ。
代表作を作りたい。
漫画家としてのアイデンティティを持ちたい。

そんな長い間の願いがかない、アンパンマンの人気が高くなったのは、なんと70代に入る直前、69歳のときだった。
遅咲きも遅咲き。
よく「大器晩成」とおだてられるが、いやいや、「小器晩成」の典型だ。

でも、大器でも小器でも、いいじゃないか。
せっかく生まれてきたのだ。
絶望するなんてもったいない。
なんとかなるさと辛抱して、とにかく生きていくんだ。

人生は捨てたものではない。
やがて道は拓けてくる。
それが実感だ。

『やなせたかし 明日をひらく言葉 (PHP文庫)』

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やなせたかし氏は本書のなかでこう語る。
『「なんのために自分は生きているのか」と考えるのだが、よくわからない。
C級の漫画家として、わけのわからない人生が終わるのだと思うと情けなかった。
ところが、大変に遅まきながら60歳を過ぎたあたりから、あまり欲がなくなった。
「漫画は芸術である」なんてえらそうなことは言わなくなった。
人生の最大の喜びは何か?
それはつまるところ、人をよろこばせることだと思った。
「人生はよろこばせごっこ」だと気づいたとき、とても気が楽になった。』

「あきらめて途中下車せずに立ち続ける」
あきらめて途中下車した瞬間に、ほんとうはチャンスの女神がその列車に乗り込んだのかもしれない。
チャンスの女神に巡り合える人は、あきらめなかった人だけ…

継続できる人は、ただひたすらの人。
鈍(どん)で、自分のことより、人をよろこばせるのが好きな人。

「人生はよろこばせごっこ」
そんなふうに生きてみたい
posted by Dr.モーリィー at 07:09| ちょっと気になる善い言葉 | 更新情報をチェックする

2017年03月26日

No 4024   【ハイパワーポーズ】

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【ハイパワーポーズ】

晴香葉子氏の心に響く言葉より…


オリンピックの選手などが、ゴールテープを切るときに、胸を広げ手をあげる勝者のポーズ、何度目にしても感動する力強いポーズですよね。
このようなポーズは、生まれつき盲目の選手がゴールする際にも見られます。
生まれ持った意味のあることだと考えられ、研究が進んでいます。

ハーバード大学の社会心理学者エイミー・カディが行った調査によると、ハイパワーポーズ(力強いポーズ)をたった2分間とるだけで、体内に明らかなホルモン変化が見られ、脳の状態が変わることがわかりました。
実験で行われた具体的なハイパワーポーズは、“両足を開いて立ち、手を腰にあて、胸を開いて立つ”というものや、“背を倒せる椅子にのけぞり、両手をあげて、胸を開く”といったものがありました。
反対にローパワーポーズ(力の弱そうなポーズ)としては、“身体をまるくして膝を揃えて座る”というものや、“足をクロスして立ち、両腕で自分を抱きしめるように身体をまるめる”といったものがありました。

実験の結果、ハイパワーポーズをとった人たちのほうが、ローパワーポーズをとった人たちよりも、支配的なホルモンであるテストステロンの増加が見られ、ストレスホルモンであるコルチゾールの減少が見られました。
ハイパワーポーズをとった人たちは、主張的になり、自信がアップし、ストレスが低減しましたが、反対にローパワーポーズをとった人たちは、内気になり、ストレスに敏感になったのです。
このようなホルモン変化は、20分程度もつそうなので、大事な打ち合わせや気の重い営業活動があるときは、早めに現場に到着し、場所を探し、ハイパワーポーズの時間をとるという方法で、乗り切ってしまえばいいですね。

たった2分間。
もし足りないのならばあと数分、家を出る前に、ハイパワーポーズをするだけでも、通勤のストレスも減り、やる気がアップします。
朝目が覚めたときに、ベッドに横になったまま大きく伸びをして、そのまま腕をガッツポーズにし、しばらく過ごすのもおすすめです。

私たちの多くは、パソコンに向かい、猫背で仕事をしています。
これはまさにローパワーポーズです。
落ち込みそうになったら、デスクで胸を広げ伸びをしてみるだけでも、気分が変わりますよ。

カナダの心理学者ヴァネッサ・ボーンズらが行った実験もご紹介しましょう。
参加者に血圧計による圧迫で痛みを加え、不快に思うタイミングでストップをかけるという実験をしました。
すると、ハイパワーポーズをとった人たちのほうが、ローパワーポーズをとった人たちよりも、痛みに耐えられる値が上昇しました。
力強い態度をとると、こころの痛みだけでなく身体の痛みにも強くなれるのですね。

主張的になり、自信がアップし、ストレスも低減、体の痛みにも強くなれるなんて、まさに、ヒーローに変われるポーズですね。

『小さなことに落ち込まない こころの使い方 (青春文庫)』

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晴香葉子氏は同書の中でこう語る。
「くつろいだ姿勢で、キリッとした表情ができるか試してみてください。
少し難しいですよね。
ピシッと起立した状態で、だらしない表情をするのも難しいものです。
姿勢・表情・気分は、同調しています。
表情を含む身体の状態とこころの状態がちぐはぐであると、とたんに変な感じがしてくるのです」

「ヒトは悲しいから泣くのではない。泣くから悲しいのだ」という心理学者の有名な言葉がある。
姿勢や表情と、心や気分は同調している。
逆にいうなら、無理にでも「笑えば、楽しくなったり、元気になる」ということも言える。

日頃の姿勢や表情はとても大事だ。
最近、元気がないなぁ、と感じたら…
笑顔で、ハイパワーポーズを試してみたい
posted by Dr.モーリィー at 22:52| ちょっと気になる善い言葉 | 更新情報をチェックする

No 4023    【サイエンスの面ばかりが発達して、アートの面を忘れてしまう】

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【サイエンスの面ばかりが発達して、アートの面を忘れてしまう】

日野原重明氏の心に響く言葉より…


カーライルは私にとって非常に精神的な恩人なのです。
というのは、戦後間もない頃、看護学生向きの解剖生理学の本がなかったので、私はそのテキストを書き下ろしたことがあります。
原稿用紙100枚の本文と、それから、解剖生理学だから筋肉とか骨とかの絵を自分で描きました。
線画で50枚ぐらいありました。

それらを徹夜徹夜で仕上げて出版社に渡して、ああよかったと思っていたら、2ヵ月ぐらいしてから原稿がないと言ってきたのです。
当時だからコピーなんてあるわけはなく、原稿を渡したらそれまでです。
私は「何たることぞ」と憤慨して、がっかりし、もうそのテキストを描き直すのはやめた、と周囲の者に言いました。

その時、父が、もう広島女学院の院長を定年で辞めて、上京して、私と一緒に住んでいたのですが、「重明、こんな話があるんだよ」と話してくれたのが、カーライルの大作、世界の名著といわれる『フランス大革命史』についての話です。
そのカーライルの原稿を、友人のJ・S・ミルが見せてくれと言って持ち帰った。
そうしたらそれを、書き損じの反故だと思ったミル家のお手伝いさんが、ストーブに入れて燃やしてしまったのです。

ミルの気持ちもカーライルの気持ちも想像できます。
心血を注いだ作品が灰になってしまったカーライルは、やっぱり「もうやめた」と思ったでしょう。
ところが、3、4日たって茫然自失がおさまると、カーライルは奥さんから、書かないで済むくらいなら初めから書く必要はなかったのではないかと言われました。
そして、「どうしても書こうと思ったから書いたんじゃないか。よし、もう一度書くぞ!」と言って再び著作にかかり、あの傑作をものにした、ということです。

父はその話をしてくれました。
そうして私を励ましてくれました。
私も、ナースの教科書が日本にない、必要だ、と思って情熱を持って書いたのだから、これしきのことに負けてはいられない、そう思って、すっかり立ち直って書き直しました。

父を通して、私はカーライルから多くのものを学んでいたので、それがオスラーによってまた、私の中に甦(よみがえ)ってきたわけです。
オスラーは非常に教養の深く、博識の人だったので、著書を見ても、シェイクスピアやゲーテ、モンテニュ、トマス・ブラウンやエマーソンは言うに及ばず、プラトンやアリストテレスなどの古典もいっぱい出てくる。
オスラーは弟子たちにも、医師を志すものは学生時代に医学書以外の本を多く読むように勧めたという話を、私はオスラーの直弟子だった人からじかに聞きました。

「医師が扱う仕事の三分の一は医学書には書いてないことだからだ」とオスラーは言っていたそうです。
オスラーは、「医学はサイエンスにもとづいたアートである」と言っています。
私もまさにその通りだと思います。
ところが近代になってからの医学は、サイエンスの面ばかりが発達して、医者の中にはアートの面を忘れてしまう者も出てきました。

アートを忘れてサイエンスに振り回されてしまうと、病む臓器ばかり見て、病む人間そのものに目がいかなくなってしまう。
病んでいるのは人間なのだから、その人間を癒すということを考えなくてはならない、と私は思うようになりました。
人間を大切に扱って、患者の心と体をケアするには、感性が大切なのです。
だから外国には、医学部の学生の半分を文科からとる医学校もある。
理科学的なものは医者にとって必要なものの半分にすぎないというわけです。

『(125)今日すべきことを精一杯! (ポプラ新書)』

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この、「サイエンスの面ばかりが発達して、アートの面を忘れてしまう」というのは、医学の世界だけでなく、どの業種や業界でもいえることだ。
つまり「木を見て森を見ず 」の言葉のように、自分の専門領域や業界だけを見て、大きな流れを見失ってしまう状態。
大きな流れや変化は、すべてにおいて、人の心や感性が関係している。

アートとは、芸術のことだが、他にない独自の創造性や発想力のこと。
感性が鈍(にぶ)っていたら、創造性や発想力は発揮できない。
だからこそ、どの分野においても、人の心や人間関係のことがわからなければいけないのだ。

時代が進めば進むほど、心の時代になってくる
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2017年03月25日

No 4022   【「成長社会」から「成熟社会」へ】

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【「成長社会」から「成熟社会」へ】

教育改革実践家、藤原和博氏の心に響く言葉より…


「今、時代は大きく動いている」と言われますよね。
それは、具体的にはどういうことでしょうか。
ひとことで言えば、20世紀の「成長社会」から「成熟社会」へと急速に変化しています。
つまり、もはや「成長」の時代は終わったということです。
そして、今、ものすごい勢いで、社会の「成熟」度が深まっているのです。

現在は、それぞれ一人一人が自分独自の幸福論を持たないと、幸せになれない時代になりました。
こいういう時代においては、教育も変わらなければなりません。

学校で『走れメロス』を読むという授業がありませんでしたか?
試験では「帰り道のメロスの気持ちに一番近いものはどれですか?次の4つの選択肢から選びなさい」などと問われたはずです。
典型的な4択問題ですね。
つまり、そこには、「与えられた選択肢の中に必ず正解がある」という前提があったわけです。

でももう、そのような時代ではありません。
今、求められるのは、その4つの選択肢を、自分自身で仮説として立てられる人材です。
与えられたものの中から選ぶのではなく、自分で仮説を立て、それを一つ一つ自分で検証し、ときには仮説そのものを修正し、納得できる解を見つけていける人です。

正解が一つの成長社会では、正解を早く正確に言い当てる力、すなわち「情報処理力」がもっとも重要でした。
大学入試の問題が記憶力重視のものになっていたのは、ある意味、当然です。
情報処理力の高い人を選別するのに、それがもっとも効率的だったからです。

しかし、成熟社会に入り、あらゆる場で「正解」がない問題のほうが多くなっている。
ビジネスの世界で、正解が一つで、意思決定はどの経営者がやっても大体同じ、なんてことはないと思います。
学校現場でのいじめの解決でも、介護でも、それは同じです。
それぞれの状況でそれぞれに異なる多様な解が求められている。
状況は常に変化するから、正解は一つではないのです。

こういう時代により重要になるのは、情報を「処理」する能力ではなく、「編集」する能力です。
自分の頭の中で、知識・技術・経験のすべてを組み合わせて、そのときそのときの状況の中でもっとも納得できる「解」を導きだす能力のこと。
自分だけが納得してもダメです。
関わる他者も納得できるものでなければならない。
そうした解を私は「納得解」と呼んでいます。

たった一つの「正解」がなくなった成熟社会では、自分が納得し、かつ関わる他人が納得する「納得解」を、情報を編集する能力を駆使して、どれだけつくり出せるか?
どれだけ紡(つむ)げるか?
それが問われるのです。

これからのビジネスパーソンの成功の鍵は、情報処理力ではありません。
それなら、コンピュータのほうがずっと優秀ですし、実際、現在のホワイトカラーの仕事は、次々にコンピュータに取って代わられつつあります。
それよりも、
●どれぐらいアイデアを出せるか?どれぐらい知恵が出るか?
●どんなふうに仮説を設定し、試行錯誤を繰り返し、問題解決を図っていけるのか?
●どんな世界観で、どんな新規事業を考え出し、どんなイノベーションを起こせるか?

これらが求められているのです。
イノベーションなくして、企業も国も生き残っていけないからです。

『藤原先生、これからの働き方について教えてください。 100万人に1人の存在になる21世紀の働き方 (DISCOVER21世紀の学校)』ディスカヴァー

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だがしかし、現在の学校教育で問題なのは、写真やボイスレコーダー的な記憶再生能力が未だに重視されていることだ。
これは大学の入試などで顕著(けんちょ)だ。

Googleで検索すれば出て来るようなことを、試験にするなどあまりに時代とずれている。
なぜなら、現実の会社や社会ではそうなっているからだ。
現代は、記憶再生能力(情報処理力)は、スマホ一つあればこと足りる。

もちろん、基礎や基本を覚えることはとても重要だ。
その基本がなければ、検索することさえかなわない。

『成熟社会に入り、あらゆる場で「正解」がない問題のほうが多くなっている』
編集する力と納得解を身に着けたい
posted by Dr.モーリィー at 06:39| ちょっと気になる善い言葉 | 更新情報をチェックする

No 4021   高野山 法印転衣式 3 家宝!

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高野山 法印転衣式 参列日記3

記念にいただいた 独鈷杵 三鈷杵 五鈷杵

先日の百人会の後
高野山真言宗 大僧正・伝燈大阿闍梨 池口恵観法主に
開眼していただきました

またまた 家宝が増えました  感謝・大感謝です

追伸)@
今後 恵観法主は 高野山別格本山 清浄心院の ご住職として
更なる修行に励まれるとのことです  頭が下がります
さらなるご活躍を 祈念いたします

 高野山伝燈大阿闍梨  百萬枚護摩成満行者
 高野山別格本山清浄心院住職
        大僧正   池口惠観

高野山別格本山 清浄心院公式HP
http://shojoshinin.jp/


A 最福寺 護摩行のご案内
平川 最福寺では 恵観法主による 本堂での護摩行を
毎月1日から20日まで (お尋ねの時間にもよりますが だいたい15時ごろの開始)
 お問い合わせ先  099−261−2933

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豪泉貫主による 大仏殿での護摩行を
毎月10日頃から25日頃まで  (12:30 開始)
 お問い合わせ先  099−210−0896

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日本中を 世界中を お忙しく駆け回るお二人ですので
必ず ご確認のお電話を入れてくださいね

運が良いと W護摩行の日もあります
ご利益も 倍増間違いなし  感謝・大感謝ですね


B
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最福寺  豪泉貫主
最福寺の中心は 日々の護摩行  祈願寺です
   偉大なる恵観開山が開いた 最福寺を 
   後継者として もっともっと発展させるために 日々努力奮闘中です
   ハード面もソフト面も いろいろと変わってきているようです

寺の年中行事としては、厄除星祭り、商売繁昌祈願を軸に、歌之介師匠などを招いての福来坊の集い、柴燈護摩などで信者さん以外の人に多く来寺してもらい、護摩で招福を体感してもらう機会をアピールしております

おいちゃんも 所属する福来坊友の会は  
外部から 一般の人の目線で サポートする有志の会 

 もっと多くの人に 最福寺に来てほしい
 お寺が 楽しい場所・明るい場所となり
 皆様が 福の光で 満たされてほしいと 願っております

福来坊友の会の 企画として 今年も
   三遊亭歌之助師匠と 豪泉貫主のコラボイベントを企画いたしました

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友人知人が 一所懸命頑張っている姿を見ると
おいちゃんの力は 微力ではありますが 応援したくなります

豪泉貫主に限らず おいちゃんの 同級生や友人たちは
本当に 各分野で活躍中である
おいちゃんも 刺激受けて頑張らねばと 再認識


交友関係:友人関係でのおいちゃんのポリシー

「つかず離れず 干渉せず」

 この独特な距離感で 仲の良い友達は多い  皆素敵な仲間だ
おいちゃん そんなに連絡を密にとる方ではないが
お互いに切磋琢磨  相互尊重・相互協力でともに成長したいものです
posted by Dr.モーリィー at 05:47| ライフワーク | 更新情報をチェックする

2017年03月24日

No 4020   【最後の神様】

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おいちゃんの お気に入りブログ 【人のこころに灯をともす】からの転載です

【最後の神様】

斎藤一人さんの心に響く言葉より…


「死神」というのがいます。
この死神というのは、なぜ「神」という字が付いているのだろう、という話です。
皆さんが思っているような、薄汚れた着物を着たり手にかまをもっていたり、あれは本当の死神ではありません。
あれは妖怪とか、もののけとか悪魔とか、そういうのと一緒にしています。
本当の死神とはいうのは神様なんです。
ひとつの天使と言ってもいいんです。

なぜかというと、人間は過去を引きずって生きています。
小さいとき失敗した、親に怒られた、いろんなことを引きずって生きています。
その引きずっている過去から切り離してくれるのが、実は最後の神様なんです。

これはどういうことですかというと、例えばあなたが、「一ヶ月の命だ」「今日一日の命ですよ」と言われたとします。
もし今日一日の命だとしたら、「行きたいところに行こう」それから愛する人に「お世話になりました」と言おうとか、そういうことになります。
死ということを考えると。

親もずっと生きていると思うんじゃなくて、いつ死んじゃうかわからないと思うと、「ご飯のひとつも食べさせたいな」「おすしでも食べさせたいな」「あんな貧しい中から自分のことを良く育ててくれたな」とか、いろんなことを思います。
それと、私は仕事をしていて、いつも死というものを考えます。
ひとたび死というものに会うと、どんな会社をつくり、どんな財産をつくり、どんなに土地を持っても一瞬にしてなくなります。
そうすると、人間って何をするべきなんだろう。
ただ、ただ、死を恐れるんじゃなくて、死というものがあるんだと考えただけで、そんなにごうつくばりみたいなことしなくたっていいんだ、今、幸せじゃないかと、それから、人が喜ぶ講演会でもやったほうがいいんじゃないか、と思います。

人は死というものを恐れて、毛嫌いして生きてたけど、それは悪魔がそう思わせるんです。
死神が取りついて自殺しちゃったとかというのもあるけど、それは寿命が来る前に勝手に死んだ人にとりつく「もののけ」か「悪魔」です。

人は、死んでまた生まれ変わり、何度も生まれ変わりするものだから、その迎えに来てくれる死というものを、怖いものだ怖いものだと思わせようとするのは悪魔の仕業なの。
それより、もしかしたら自分もいつ死ぬかわからない。
そして相手も、目の前にいる人も、いつ死ぬかわからない。

でも、いらいらしてガガガッと「おまえなんか大嫌いだ」と、ほんとうは愛している人に言っちゃうこともあるの。
でも、そのまま相手が死んじゃったら、あいつに何てことを言ったんだろうって、逆に言うと、自分が死んじゃったら、自分はすごく子どもやなんかを愛したのに、「ほんとはおまえなんか大嫌いだ」って言っちゃった。
その日に自分が死んじゃったら、自分は何て思うだろう。
そういうことを考えただけで、人はまともに愛の道に戻れるの。

『地球が天国になる話 (ロング新書)』KKロングセラーズ

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『捨てて』
どんな大事なものでも
荷物はみんな捨ててください
自分のからだも捨てるんですよ
……三途(さんず)の川の番人のことば……

どんなに財産があろうが、いい車を持っていようが、また、どんなに美人であろうが、鍛えられた肉体であろうが、死んだらあの世に持ってはいけない。
この世に残していけるものは、人の心に残した言葉や、愛や、想いやあるいは、憎しみや悲しみだけ。

もし、明日この世を去るとしたら…
人を傷つけたり、悲しませることだけはしたくない。
毎日、感謝の気持ちで、愛ある言葉を発したい
posted by Dr.モーリィー at 06:38| ちょっと気になる善い言葉 | 更新情報をチェックする

2017年03月23日

No 4019   【無駄のある人生】

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おいちゃんの お気に入りブログ 【人のこころに灯をともす】からの転載です


【無駄のある人生】

美術家、篠田桃紅氏の心に響く言葉より…


人は、用だけを済ませて生きていくと、真実を見落としてしまいます。
真実は皮膜の間にある、という近松門左衛門の言葉のように、求めているところにはありません。
しかし、どこかにあります。
雑談や衝動買いなど、無駄なことを無駄だと思わないほうがいいと思っています。

無駄にこそ、次のなにかが兆(きざ)しています。
用を足しているときは、目的を遂行することに気をとられていますから、兆しには気がつかないものです。
無駄はとても大事です。
無駄が多くならなければ、だめです。

お金にしても、要るものだけを買っているのでは、お金は生きてきません。
安いから買っておこうというのとも違います。
無駄遣いというのは、値段が高い安いということではなく、なんとなく買ってしまう行為です。
なんでこんなものを買ってしまったのだろうと、ふと、あとで思ってしまうことです。
しかし、無駄はあとで生きてくることがあります。

私は、3万円だと思って買ったバッグが30万円だったことがありました。
ゼロを一つ見落としていたのです。
レジで値段を告げられて驚きましたが、いい買い物をしたと思っています。
何十年来とそのバッグを使っています。
そして、買ってしばらくしてから、そのバッグの会社オーナーが私の作品を今に飾っていることを雑誌で知って、あらお互いさまね、と思いました。

時間でもお金でも、用だけをきっちり済ませる人生は、1+1=2の人生です。
無駄のある人生は、1+1を10にも20にもすることができます。

私の日々も、無駄の中にうずもれているようなものです。
毎日、毎日、紙を無駄にして描いています。
時間も無駄にしています。
しかし、それは無駄だったのではないかもしれません。

最初から完成形の絵なんて描けませんから、どの時間が無駄で、どの時間が無駄ではなかったのか、分けることはできません。
なにも意識せず無為にしていた時間が、生きているのかもしれません。

つまらないものを買ってしまった。
ああ無駄遣いをしてしまった。
そういうときは、私は後悔しないようにしています。
無駄はよくなる必然だと思っています。

『一〇三歳になってわかったこと 人生は一人でも面白い』幻冬舎

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もし仮に、無駄のまったくない人生を生きてきた人がいたとしたらどうだろう。
やることなすことすべてうまくいき、日の当たる場所や、近道だけを選び、効率的で全く無駄のなかった人生。
もしいたとすればの話だが、およそつまらない人間がそこに存在していることになる。

人は、寄り道をしたり、道草をくったり、どん底を味わったり、失敗や嫌な目に遭うという、人生の無駄を経験するからこそ、人としての味や深みが出る。
「人生の余白」ともいうべき、人としての遊びや余韻の魅力だ。

「無用の用」という老子の言葉がある。
一見すると役に立たないようなことが、実は大きな役割を果たしているということ。

無駄のある人生も、時にいいものだ
posted by Dr.モーリィー at 06:41| ちょっと気になる善い言葉 | 更新情報をチェックする

2017年03月22日

No 4018   【生きるとは呼吸することではなく、行動すること】

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おいちゃんの お気に入りブログ 【人のこころに灯をともす】からの転載です

【生きるとは呼吸することではなく、行動すること】

植西聡氏の心に響く言葉より…


「生きるとは呼吸することではない。行動することだ」
これは、フランスの哲学者であるルソーの残した言葉です。
シンプルな言葉ですが、人生で行動することがいかに大切か、ということを教えてくれています。

世の中には、幸せになる方法を教えてくれるヒントがたくさんあります。
本や雑誌はもちろんのこと、「幸せになる」ことをテーマにした講演会など、種類も豊富です。
それでも、なかなか幸せを感じられず、不安や悩みを心に抱えながら毎日を送っている人が減らないのには、理由があります。
「行動」が足りないのです。

宝くじに当たっても、実際に銀行に行って換金しなければ、1円も手に入りません。
これは人の「幸せ」も同じです。
どんなに知識があっても、念入りに計画を立てても、実際に行動を起こさなければ、喜びも得られなければ、満足感も得られません。
「始めればうまくいくだろう。でも、今は忙しくて時間がない」
こんな言い訳をする人も多いのです。

心がマイナスのエネルギーでいっぱいだった過去の自分ならともかく、心にプラスのエネルギーを増やす生活が身についた自分なら、問題をうまく解決して、スムーズに行動に移せるはずです。
理由をつけて先延ばしにするのはやめて、「やる」ほうを選ぶことが大切です。
そうすると、心の中には「やりたいことを実行できた」という満足感や、「私でもやればできる」というプラスのエネルギーが増えていきます。
そして、人生を楽しめる時間が増えるのです。

『プラスの選択で人生は変わる』海竜社

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「優柔不断は疑いと恐怖心を生み出し、行動は勇気を生み出す。 恐怖心を克服するには、家に閉じこもってくよくよしていては駄目だ。 外へ出て仕事に精を出すことだ」(デール・カーネギー)
悩みを解決する唯一の方法は、行動を起こすこと。
何時間机の前に座って考えたところで、解決策は見つからない。
なぜなら、行動の中にしか答えはないからだ。

『地球は「行動の星」だから、動かないと何も始まらないんだよ』(斎藤一人)
何度失敗しようが、具体的な行動をくり返す。

生きるとは呼吸することではなく、行動すること
posted by Dr.モーリィー at 20:47| ちょっと気になる善い言葉 | 更新情報をチェックする

2017年03月21日

No 4017   【自分の中の鏡を磨く】

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おいちゃんの お気に入りブログ 【人のこころに灯をともす】からの転載です

【自分の中の鏡を磨く】

浜松医科大学名誉教授、高田明和氏の心に響く言葉より…


ある高校の校長先生に聞いた話です。
その学校の剣道部の部長は剣道初段にすぎませんでした。
自分がそれほどの腕ではないと思っていたせいか、生徒が試合に勝ったりすると非常にほめて、「そのやり方でいいぞ。がんばれ」と励ましたのだそうです。
「欠点などどうでもいいよ。得意技だけを磨け」というのが口癖でした。
おもしろいことにこのような指導を受けた生徒は学業成績もよくなったというのです。

次に部長となった先生は剣道四段でした。
前の先生は甘やかしすぎたとして、悪いところはびしびし直すという指導法でした。
ところがそれから三年たって生徒は欠点を直すことだけに力を使ってしまい、あまり技に進歩がなかったというのです。
それどころか、生徒の学業成績も芳しくなかったそうです。

校長先生は「ある学校が一つの競技で県で優勝したりすると、他の部も皆強くなるといわれますが、その理由がわかったような気がします」と言っていました。
校長のお話はたいへん示唆的です。

「自分はだめだと思っている人を、人はばかにする」という外国のことわざもあります。
ですから、まず自分が優れていると思うべきなのです。
禅では自分が本来仏であるという気持ちをしっかり持つべきだ、とされます。
また禅の修業は、仏でない者が仏になろうという修業ではなく、自分は本来仏と同じ心をもっていたと気づかせてくれるものだとされます。

南嶽(なんがく)という僧は六祖慧能(えのう)の法を継がれた方です。
南嶽の下で若き日の馬祖同一(ばそどういつ)が修行していました。
馬祖はのちに中国唐代の禅宗発展の中心となる僧です。

ある日、南嶽が瓦(かわら)をごしごし磨きだしました。
馬祖は変に思い、「何をなさっているのですか」と訊きました。
「うん、瓦を磨いている」
「瓦を磨いてどうするおつもりですか」
「鏡にしようと思う」
これを聞いて馬祖が「瓦をいかに磨いても鏡にはならないでしょう」と問い返しました。

すると南嶽が唐突に「お前はここで何をしている」と問い返しました。
「座禅をしています」と答えると、南嶽は「座禅をして何になる」と訊いたのです。
「座禅をして仏になろうと思っています」と答えました。
すると南嶽は「瓦を磨いても鏡にならないように、座禅をしても仏にはなれまい」と言ったのです。
驚いた馬祖は「それではいったいどうしたらよいのでしょうか」と問いました。
南嶽の答えは「もし牛馬が動かなくなったら車をたたくか、牛を叩くか」というものでした。
この言葉で目が覚めた馬祖は南嶽の下で本気で修行を積み、法を継いだのです。

南嶽は馬祖の修行がルーティンワークに陥っていると見て、抽象的な悟りを求めてはいけないと、このような奇妙な言動で釘を刺したのでしょう。
このエピソードが示しているのは、座禅をしても仏にはなれないということではありません。
私たちの修行は、瓦を磨いて鏡にしようというような不可能なことをしているのではないということです。
最も大事なことは、本来持っている鏡を磨いて、さらにきれいにし、そのきれいな心で自分の仏心を自覚することなのです。

『心が奮い立つ禅の名言』双葉社

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五百年に一度の名僧と言われた白隠禅師は、「坐禅和讃(ざぜんわさん)」の中でこう言っている。
「衆生(しゅじょう)本来仏なり」
我々はみんな、そのままで仏さま。

だからこそ、自分を磨いて、磨きぬいて本来の仏である自分自身を取り出さなければならない。
それが、ほめることであり、その存在を認めること。
まさに、禅語にある「明珠在掌(めいじゅたなごころにあり)」だ。
宝物は、すでにあなたの手の上にある、あなた自身が持っているということ。

「名選手必ずしも名監督にあらず」
という言葉がある。
自分が実績をあげたからと言って、それと同じやり方を選手に押しつけてもうまくはいかない。
相手のよいところを引き出せる人を、名監督というからだ。

自分の中の鏡を磨き、よいところを伸ばしたい
posted by Dr.モーリィー at 07:08| ちょっと気になる善い言葉 | 更新情報をチェックする

No 4016   【努力しない人がグチを言う】

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おいちゃんの お気に入りブログ 【人のこころに灯をともす】からの転載です

【努力しない人がグチを言う】

クリスティーヌ・ルウィッキー氏の心に響く言葉より…


グチは自分でも気がつかないうちに生じる反射的な行動であり、グチを言っているだけであれば、新しいことをするエネルギーも必要ありませんし、新しいことに注意を向ける必要もありません。
それに対して、グチをやめようとすると、自分の置かれた状況を客観視しないといけないので、頭を使う必要が出てきます。
だからこそ、最初のうちは大変なのです。

「グチを言わない」というのは努力の産物です。
不運は不運として受け入れた後で、あきらめることなく自分に何ができるかを考え、それを実行に移す。
これは単にグチを言うのに比べると、ずっと労力を要求される知的な活動です。
しかも、周囲の人を巻き込むためには、言葉で自分の考えていることをはっきりと表現することが必要となります。

心理学の研究によれば、楽天主義者に比べると、悲観論者はボキャブラリーがずっと貧弱だそうです。
また、これは若者の場合ですが、語彙が貧しければ貧しいほど、暴力を振るう傾向にあるということも証明されています。
つまり、言葉で表現できないからこそ、相手に暴力を振るってしまうのです。

『いつもの「グチ」がなくなる本』グロスメディア・パブリッシング

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《打つ手は無限》( 滝口長太郎)
すばらしい名画よりも
とてもすてきな宝石よりも
もっともっと大切なものを 私は持っている
どんな時でも どんな苦しい場合でも 愚痴は言わない
参ったと泣き言を言わない
何か方法はないだろうか
何か方法はあるはずだ
周囲を見回してみよう
いろんな角度から眺めてみよう
人の知恵も借りてみよう
必ず何とかなるものである
なぜなら打つ手は常に 無限であるからだ
( 滝口長太郎)

グチを言わない人は、それをなんとかしようと、ありとあらゆる努力をする。
何か打開策はないかと打つ手を探す。

「努力しない人がグチを言う」
どんなに苦しくとも、グチを言わない人でありたい
posted by Dr.モーリィー at 00:39| ちょっと気になる善い言葉 | 更新情報をチェックする

2017年03月20日

No 4015   【「好奇心」と「遊び心」】

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おいちゃんの お気に入りブログ 【人のこころに灯をともす】からの転載です

【「好奇心」と「遊び心」】

川北義則氏の心に響く言葉より…


「頑迷(がんめい)」という言葉がある。
「あの人はじつに頑迷な人で、本当に困る」
やや硬い表現ではあるが、かたくなに自分の考えに執着し、他人の意見などを聞かない様子をいうときに使う言葉だ。

中高年になると、誰でもさまざまなシーンでこの頑迷さが顔を出し始める。
中高年には、長い人生の中で培った知識、経験則、信念などがあり、それらはそれらで役に立つことは否定しない。
けれども、それを物事の絶対的な判断基準にしてしまうことは、必ずしもいいことではない。
時に、新しい情報、新しいものの見方を排除することになりかねない。

知らず知らずのうちに、澱(おり)のように溜まっていく頑迷の種。
その種を発芽させないために役立つのが「遊び心」である。
「遊び心」を失わず、育てていくポイントはいくつもあるだろう。
私自身はこんなことを忘れずに生きている。

●「面白そう」でまず動く
●「まさか」を検証してみる
●「軽薄」でいる
●「役立たない」からやってみる
●知らないなら、聞いてみる
●若い世代を肯定的に見る
●天邪鬼になる

これがあるうちは、私は枯れないと確信している。

『「枯れない」男の流儀』フォレスト出版

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「ディズニーの成功を支えている最も重要な要素は、遊び心と好奇心だ。
遊び心とは、笑うことを愛する、というアピールをする気持ち。
好奇心とは、常に人間の心にあって、想像力によって刺激されて生まれたものだ」(ウォルト・ディズニー)

定年をとうに過ぎた年齢なのに若々しい感性を持っている人がいる。
反対に、実年齢は若いのに、すでに老人のような人もいる。
その違いは、「好奇心」と「遊び心」の有無だ。
「好奇心」と「遊び心」をなくしたとき、人は老いる。

いくつになっても、「好奇心」と「遊び心」を失わない人でありたい
posted by Dr.モーリィー at 08:43| ちょっと気になる善い言葉 | 更新情報をチェックする

2017年03月19日

No 4014   【自慢話は、「威張る」の初期症状】

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おいちゃんの お気に入りブログ 【人のこころに灯をともす】からの転載です

【自慢話は、「威張る」の初期症状】

精神科医、西多昌規氏の心に響く言葉より…


世の中、横柄(おうへい)で威張っている人は、どこにでも多かれ少なかれいるものです。
クレームほどではないにせよ、お店で店員さんに居丈高にふるまっている人を目にする機会もたまにあると思います。

医療現場でも同じです。
医者には従順でも、看護婦や事務のスタッフには威張る患者、教授や医院長にはへいこらしていても、部下や研修医には権威的な医者。
自らも絶えず自戒する必要を感じています。

「威張る」は、文字通り「威勢を張る」という意味です。
虚栄心にも通じるところが大いにあるのですが、実際の自分より大きく見せようという心理がはたらきます。
威張る人は、劣等感や不安感を抱えている可能性が大きいように思います。

本当に自信があれば、威張る必要はないでしょう。
自分の力を見せつけたいという、示威行動でもあります。
例としては、交際相手とレストランで食事をするときに、威張った態度で店員に接する、などでしょうか。
サービスを買っている自分が偉いということを、相手に見せたいのです。
逆効果であることがほとんどなのですが。

あるいは自分が傷つく前に優位な立ち位置を築いておく、先制攻撃という意味もあるのかもしれません。
攻撃は最大の防御であるというエッセンスを、無意識に実践していると解釈することもできます。

「自分は威張っているつもりはない」と思っている人もいるかもしれません。
しかし、「尊敬されていない」
「軽く見られているのでは」
という疑念、不安がある人は要注意です。
「マウンティング」の構造と同じように、自分を無意識に高みにおいて相手を見下すことで、自分の不安を解消しようとしているのかもしれないのです。

自分に自信がないことによる不安、疑念、焦り。
威張っても、解決される問題ではありません。
最も悲しいのは、威張っている人が自信欠乏感を持っている自覚に乏しいことです。

あからさまに威張ってはいないと思っている人でも、飲み会などで自分の経験ばかり話したり、さらに程度が進んで自慢話を多くしたりする人は、黄色信号です。
自慢話は、わかりやすい「威張る」の初期症状です。
自分のことばかり話している人の話の内容は、たいていどうでもいいようなことがほとんどです。
自慢することでかえって、評価を落としてしまいます。

威張っている、自慢話が多い、自分の話をしないと機嫌が悪い。
これらは、自分を貶(おとし)めるだけでなく、相手も不愉快にさせます。
「威張る」まで行くと、なかなか他人は注意してくれません。

「自分のことばかりしたい」欲に気がついて、他人の言うことを聞くようになること。
この気づきと心がけが、自信欠乏症を少しずつ軽くしてくれるはずです。
自信を得るまでの段階にはなかなか辿り着けなくても、不安が少しでも軽くなれば、「自慢欲」から離れた考えになるのではないでしょうか。

『「欲」をコントロールする方法』文響社

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西多氏によると、「威張る」には、怒りの感情が隠されているという。
「怒り」の反対は、「喜ぶ」とか「笑う」という感情だが、威張るときに、喜びや(心から)笑う感情を持っている人はいない。
だから、威張るときには上から目線の攻撃的な感じになる。
まさにクレームがそれだ。

威張る行為は、自分より弱い者、下に見ている者に対してだけ行われる。
ある種の弱い者いじめと同じだ。
そして、それは自信がない人がやる行為。
自信がない人は「オレ(私)のことをバカにしているのか」と怒る。

『自慢話は、「威張る」の初期症状』
自分ばかり話したい気持ちを抑え、人の話を聞く側にまわりたい
posted by Dr.モーリィー at 05:34| ちょっと気になる善い言葉 | 更新情報をチェックする

2017年03月18日

No 4013   鹿児島まらそん2017  大宴会

2017年3月5日の 鹿児島マラソン 毛利歯科クリニック ポジティ部

フルマラソン9名 ファンラン4名  カメラマン・応援団3名で大宴会でした 
参加条件は 当日の格好で!

会場は ピンク一色でした  ははは

雰囲気をどうぞ

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そして 個人表彰と今年の感想、来年の抱負
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2017 鹿児島まらそんの 毛利歯科クリニック ポジティ部・MVP表彰も!

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最後は締めの 恒例 一本開き

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全員完走、楽しい宴   最高でした!

来年も 宴会を楽しみに走る人 増えそうです  ははは
posted by Dr.モーリィー at 07:02| ライフワーク | 更新情報をチェックする

No 4012   【落語を識っていると、逆境になった時に救われる】

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おいちゃんの お気に入りブログ 【人のこころに灯をともす】からの転載です

【落語を識っていると、逆境になった時に救われる】

立川談志師の心に響く言葉より…


■修業とは矛盾に耐えることを覚えることといっていい。

■前座という修業期間には徒弟制度という矛盾に耐える稽古を積んできた者の方が、人間的な幅がつく。
ところが下手をすると、この形式に耐えてきたというだけで威張る者も出てくる。

■矛盾というか、いいたいこともいえないし、自分の意見や主張がまるでいえない状態に耐えてきた人の方が、後になって、後輩に対して思いやりがあるようになるもので、ストレートに育ってきた者より、はるかに理解力がある。

■人間は小義にこだわるものである。
落語のなかには、人生のありとあらゆる失敗と恥ずかしさのパターンが入っている。
落語を識(し)っていると、逆境になった時に救われる。
すくなくとも、そのことを思いつめて死を選ぶことにはなるまい、と私は思っている。

■「昔はそうではなかったよ、手紙なんぞは自分で書くものだよ」
「梅干しは自分で漬けたよ」
などという。
これを一般的には、「年寄の愚痴」というのだが、その愚痴はとっても大事なんだ。

■誰やらか、「日本人には宗教は無いのではないか」といい、また多神教であり、その時その時で神様を変えるし、日々頼んで駄目だと、“神も仏もないもんだ”と捨っ鉢になる、といった。
けどネ、日本人の何処かに「今日様(こんにちさま)」というのがあり、「お天道様は見通しだ」であり、桂文楽は何かてえと“天が許しません”といったっけ…。
いい言葉である。

■何が世の中不況だ!
何が失業率だ。
甘ったれるな。
少なくとも、日本の失業者のほうが中国の労働者より数百倍良い暮らしをしているはずだ。
失業、失業ったって、手前(てめえ)の好きな職業に就けないか、あるいは、労働条件が気に入らないだけのことで、仕事の中身について、ぐずぐず言わなきゃこの日本、仕事なんざァいくらでもある。
何処にでもある。

■二世が悪いって?
早い話が嫉妬だろう

■ふざけてでもいなきゃ、この世の中暮らせねえよ。

『談志の遺言』宝島社

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立川談志は1936年に生まれ、16歳で5代目柳家小さんに入門した。
27歳で真打に昇進し、7代目立川談志を襲名する。
1971年参議院議員選挙に出馬し、当選。
83年に真打制度などをめぐって落語協会と対立し、脱会。
落語立川流を創設し、家元となる。
2011年、享年75歳で逝去。

まさに波乱万丈の生涯だった。
辛口でいながらずばりと本質をつくような言葉の数々。
落語家の枠に収まり切れない、一種の狂気のある落語家だった。

「落語を識っていると、逆境になった時に救われる」
たまには落語をしみじみ聞いてみたい
posted by Dr.モーリィー at 06:40| ちょっと気になる善い言葉 | 更新情報をチェックする

2017年03月17日

No 4011   【起こった事象をプラスに変えることができる人】

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おいちゃんの お気に入りブログ 【人のこころに灯をともす】からの転載です

【起こった事象をプラスに変えることができる人】

横山信治氏の心に響く言葉より…


叱られて、「なにくそ!負けるものか!」と頑張る人もいれば、ふてくされて相手を恨む人もいます。
どちらを選択するのも自由です。
でも、どちらを選択するほうが得ですか。
当然、プラス思考をするほうが得に決まっています。

つまらないプライドや意地なんか捨ててしまいましょう。
相手を憎んでも、結局そのつけは自分に返ってきます。

一卵性双生児の兄弟がいました。
遺伝子も育った環境も同じです。
片方は路上生活者になり、もう片方は大金持ちになりました。

路上生活者になぜそのような生活をしているか質問すると、
「親父が大酒飲みだったため、自分もお酒で人生が狂った」と答えました。
もう片方の大金持ちに同じ質問をしました。
「親父が大酒飲みだったため、自分は親父みたいになりたくないと頑張った」と答えました。

運の良い人とは、良い出来事ばかり起こる人ではありません。
起こった事象をプラスに変えることができる人のことを「運が良い人」と言います。

それでは、具体的にプラスに変えるとはどういうことなのか話します。
起こった事象に対し、良いこと、悪いことと判断してはいけません。
自分にふりかかったすべての事象について、自分にとって必要だから起こったと考えるのです。

何が起こっても、「自分の責任」「必要だから起こった」と考える癖をつけると、運気が上昇します。
逆に「誰々さんのせいでこんな目に遭っている」「なんで、何も悪いことをしていないのに、自分にこんなことが起こるのか」と考えると運気は下降します。

長い人生、良いことばかりではありません。
他人や環境を恨んでも、何も解決しません。
何かのせいにすれば一時的には楽かもしれませんが、自分の成長を止めてしまいます。

どんなことが起こっても、「自分にとって必要だから起こった」と受け止める癖をつけましょう。
この癖は将来、必ずあなたに幸せを運んできてくれます。

『「運が良くなる人」と「運が悪くなる人」の習慣 (アスカビジネス)』明日香出版社

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人のせいにする人は、決して運がよくならない。
人のせいにする人は、「他責」。
いい訳をしたり、責任転嫁したり、謝らないで虚勢をはったりして、自分は悪くないと思い込む。

反対に、運がいい人は、人のせいにしない「自責」の人。
すべては自分に必要だから起こったこと、と腹をくくって対処する。

世の中のすべての事象に、良い悪いも、幸も不幸もない。
あるのは、ただ一つ、それをどう受け止めるかという、見方や受け止め方があるだけだ。
起こった事象をプラスに変えることができる人でありたい
posted by Dr.モーリィー at 06:25| ちょっと気になる善い言葉 | 更新情報をチェックする