2018年02月20日

No 4496    【人生、勝負は後半にあり!】

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おいちゃんのお気に入りブログ【人のこころに灯をともす】からの転載です

【人生、勝負は後半にあり!】

田中真澄氏の心に響く言葉より…


《人生、勝負は後半にあり! 能力開発は年齢不問》

潜在能力の開発は年齢不問です。
20世紀までは「人生は60歳までが勝負」の思いできましたが、平均寿命が伸び続ける長寿時代、「人生は65歳からが勝負」との考え方が必要です。
人生の勝負が後半に移って、定年以後の生き方が問われるのです。

65歳以後も活き活き生きるには、100歳まで生きる可能性に賭け、死ぬまで働く終身現役を目指すことです。
少なくとも定年後は、年齢不問の潜在能力の開発にどこまでも挑戦し、得意なことを仕事にしながら、己を高めていく生き方を選ぶべきです。

私たち凡人にとって怖いのは年齢情報です。
例えば還暦を迎えた人は「もう60歳」と受け止めても、「まだ60歳だ」とは思いません。

人間は、前向きに生きることを心掛けていれば、いくつになっても自分の能力は開発していけるのです。
そのことを教えてくれたのは日本の正確な地図を初めて作成した伊能忠敬です。
彼は千葉県佐原の大地主で醸造業を営む伊能家に17歳で婿養子に入り、49歳で家督を息子に譲るまで家業に専念し、伊能家を繁栄に導きました。
しかし彼が本当にやりたかったことは天文学と国土の測量でした。
そこで50歳で息子に家督を譲ると、江戸に出て、19歳も若い幕府天文方・高橋至時に弟子入りし猛勉強。
ついに至時が舌を巻く程の力をつけたのです。

そして55歳から73歳で亡くなるまで日本全国を踏破し、後半の人生を測量に傾けました。
伊能忠敬の後半の人生を知ると、勇気が湧いてきます。
好きなことを本気で続けていけば、年齢を超越して願望を達成できることを実感できるからです。

『田中真澄の88話』ぱるす出版

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「人生、勝負は後半にあり! 」とは、40代でも、50代でも、もちろん60代でも言えること。
少し小金が貯まったとか、家賃収入や年金があるからと、プチリタイアを目指す人は多いが、リタイアという言葉を発した瞬間にその人の成長は止まる。
色々なことに対する興味や好奇心が薄れ、社会との接点もなくなってくる。
つまり、呆(ぼ)ける道をまっしぐら。

若い頃から、人からの頼まれごとを気持ちよくやってこなかった人は、人生後半になっても頼まれごとはやってこない。
頼まれたときに、嫌な顔をしたり、引き受けるにしても何か一言テンションを下げるような嫌みを言う人には、二度と話をもっていこうとは思わないからだ。
「頼まれごと」とは、仕事はもちろんのこと、PTAや町内や、ボランティアや公的な役職などにおいて頼まれたことも同じ。
「頼まれごと」は、たいてい、面倒くさかったり、時間がとられたり、今までやってこなかった初めてのことも多い。

人生の後半に自分のやりたかったことをやる、夢の実現にチャレンジする、という選択ができる人は素晴らしい。
しかしながら、自分の夢がなくとも、人からの頼まれごとをあれこれ、ヘトヘトになりながらやり続けるという人生にも味がある。
人のために生きる「頼まれごと」の人生だ。
どちらの人生を生きるにせよ、「人生、勝負は後半にある」。

生涯現役で、いくつになっても成長し続ける人生を歩みたい
posted by Dr.モーリィー at 06:50| ちょっと気になる善い言葉 | 更新情報をチェックする

2018年02月19日

No 4495    季節の贈り物  旬の味  たんかん!

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毛利歯科クリニックの 冬の風物詩

たんかんの季節がやってまいりました

たんかんの本場、おいちゃんの生まれ故郷:世界遺産の島・屋久島で
名人達に こころを込めて育てられた”たんかん”
今回も贈答用 A級品100キロ、プレゼント用B級品 300キロ 購入しました

日頃お世話になっている方々へ、スタッフへ、患者様へ
少しばかりの お礼の気持ちです

柑橘系の中では世界一の糖度を誇る ”たんかん”
おいちゃんのおすすめの食べ方は
@冷蔵庫で冷やす
A包丁で6分割して食べる

温度で おいしさがかなり違います
とてもジューシーで皮が薄いので 普通のみかんのように
手で剥いて食べると 手がべたべたになりますよ

4分割6分割8分割してみましたが
6分割ぐらいが 美味しく綺麗に食べられるかと思います
ぜひお試しくださいませ

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posted by Dr.モーリィー at 23:36| クリニック情報 | 更新情報をチェックする

No 4494   【努力家で才能のある人が犯す過ち】

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おいちゃんのお気に入りブログ【人のこころに灯をともす】からの転載です

【努力家で才能のある人が犯す過ち】

斎藤一人さんの心に響く言葉より…


努力家で才能のある人は、同じように努力家で才能のある人を好みます。
そして、才能もなくて努力もしない人を見ると腹を立てるんです。
そういう人って、他人も自分と同じだと考える傾向があります。
他人の行動が自分と同じくらいにできないと、特に我慢できなくなる人が多いんだよね。
だから、ついつい「なぜ、言ったことができないの?」とか「なぜ、そんなことができないの?」と言ってしまうんです。
リーダーや上に立つ人には、必ずそれを支える人がいます。
けっして1人だ けでやっているわけではないんだよね。
誰かを支えている人って、例えるなら櫓の土台みたいなものなの。
注目されるのは乗っている人だけど、支える人がいるからこそ、安全が保障されています。
だから、上の人が下の人の悪口を言ったり、欠点ばかりを指摘したりしていると、その人たちが逃げていってしまって土台がなくなり、悪口を言った人は 櫓の高いところから落ちてしまうことになるでしょう。

カリスマ美容師みたいな人も、才能があって、努力もしたんです。
だから、それが当たり前だと思ってしまいます。
すると、それができない人に怒ったり、腹を立てたりしてしまうんです。

でも、そんなことを続けていると、ある日お店に行ったら「誰もいなくなってた」ということになってしまいますよ。
美容室って予約を取ってくれる人がいて、髪の毛を洗ってくれる人がいて、 片づけたりしてくれる人がいるからこそ、いろんなことが仕事として回っていくんだよ。
上ばっかり見ていると、そんな簡単なことがわからなくなるからね。

だから、「給料を払ってるんだから当たり前」とか「こんなことぐらい、言わなくてもやれて当たり前」じゃなくて、「ごくろうさま」とか「ありがとうね」とか「偉いね」って言って感謝をするの。
そうすると働いている人も「あのカリスマ美容師がこんな私にも感謝してくれた」って喜んでくれるんです。

どんな人でも自分のことを尊重されないと腹を立てます。
そして、尊重されると誰だって嬉しいんです。
自分の仕事がどうやって回っているのか。
上に立つ人間であればあるほど、ちゃんと考えなよ。

『大丈夫だよ、すべてはうまくいっているからね。』サンマーク出版

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「箱根山、駕籠(かご)に乗る人、担(かつ)ぐ人、そのまた草鞋(わらじ)を作る人」
という落語に登場する短歌がある。
「駕籠に乗る」という目立つ人がいるが、それを担ぐ人や、その担ぐ人の草鞋を作る人もいて、世の中は成り立っている。

世の中のことは、どんなに才能があろうが、自分一人でまわっているなどということはない。
必ず誰かに支えられている。
だからこそ、謙虚な気持ちで支えてくれている人たちに感謝しなければならない。
だが、それを忘れてしまって増上慢(ぞうじょうまん)になってしまっている人がいかに多いか。

誰に対しても謙虚な気持ちで、感謝を忘れない人でありたい
posted by Dr.モーリィー at 07:18| ちょっと気になる善い言葉 | 更新情報をチェックする

2018年02月18日

No 4493 マラソン日和 気分転換!

切羽詰まって 追い込まれたおいちゃんは
本日の予定に入っていた 福岡セミナーをキャンセルして
鹿児島マラソンのための調整というか
今年初めての 長めのランにチャレンジ

天気は 快晴
絶好のコンディション、目標は20キロでしたが
16キロで ひざ痛と 足に違和感を覚えたため リタイア

うーーん  大丈夫かな???
ま、2週間あるので あと3回は 走れるかな?
完走と5時間30分切りが 今回の目標ですが、、、

疲れ切った 身体を癒すために まずは近くの真砂温泉に
サウナ入って 冷水と 温泉で かなりリフレッシュ

次は 栄養補給のために これまた近くの ざぼんラーメンへ
野菜たっぷりちゃんぽん、餃子、唐揚げ小、半チャーハンで 満腹満腹

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久しぶりに ゆっくりと 昼寝をして 脳と筋肉の超回復を図る
夕方から 月に一度の ゴルフの打ちっぱなし練習へ
筋肉痛のため 1コインで終わる
その後は 読書、事務処理、オリンピックハイライト

いやーー久しぶりに 自分のためにフルに使った善き一日でした
大満足・大満足 充実感120%

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posted by Dr.モーリィー at 20:46| ライフワーク | 更新情報をチェックする

No 4492   【今、目の前にいる人を大事にすること】

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おいちゃんのお気に入りブログ【人のこころに灯をともす】からの転載です

【今、目の前にいる人を大事にすること】

小林正観さんの心に響く言葉より…

《今、目の前にいる人、目の前にあることが重要》

私たちの周りで起きているすべての現象、人生のあらゆる出来事に、〈重要なこと・重要で はないこと〉〈大きいこと・小さなこと)の区別は、実はありません。
というのは「小さいこと」の定義を言ってくださいと言われても、誰も答えられないからです。

何らかの現象について、そのときは、小さいこと、些細なことと思っていても、それがなければ、今の自分はなかった、ということを考えたら、(大きいこと・小さいこと)の区別は、つきません。
このことを、実際にあった状況を取り上げて説明しましょう。

私が出た高校の同級生の一人が、大学にも行かず、就職もしないで、とりあえずアルバイ トとして晴海のイベント会場でコーラの販売をしていました。
そのとき、コーラ売り場の前をアメリカ人の夫婦が通りかかり、70歳ぐらいの歳のご主人が足を滑らせて倒れてしまいました。
彼は自分の売り場の前ですから、走り寄って助け起こし、ケガの手当てをしたりとかいろいろ世話してあげたそうです。
そしたら、「あなたのような親切な人に、初めて会った」と、その夫婦は大変感激し、「実は、私たちは結婚して40年も経ちますが、子どもがいないのです。あなたさえよければ、 私たちの養子になりませんか」と言われました。
彼としては、別にほかにすることもなかったから「わかりました。いいですよ」ということで、アメリカに渡り、その夫婦の養子になりました。
彼はそこで英語を覚え、大学にも行かせてもらい、卒業してからは企業買収の専門家になりました。

今は日本に戻り、その分野で大手の外資系企業の社長をやっています。

コーラの販売をしていた、その前で人が滑った、その人を助けてあげた、これらはすべて小さいことのように見えますが、結果としては小さいことではありません。
因果関係がわかったときには、一つひとつがものすごく重要で大変な出来事だったと、気 がつくでしょう。

優先順位とか、出来事の大きい小さい、とかの区別がないことを、さらにわかりやすく説明します。
人生はドミノ倒しだと思ってください。
ドミノ倒しの如く、人は連続した瞬間を生き、最後の一個がパタッと倒れて、人生を終えます。
これらのドミノは、すべて同じ材質で、同じ厚さで、同じ形状です。
大きい小さいは ありません。
重さも全部一緒。
それが一個ずつ、ただ淡々と倒れていくだけです。

自分の目の前に現れる人が、小学生であろうが、中学生であろうが、大人であろうが、大会社の社長であろうが、出会う人は全部一緒です。
それを一緒だと思えるかどうかに、その人の人間性が表れます。
社会的な地位や権力といったものを背負ってるかいないかで人を見るのは、まだ自分の中で本質的なものが形成されていないからです。
出会うすべての人、どんなに些細に見える行為も、人生を成り立たせるうえでは、どれも 必要不可欠なことであり、ドミノの一個一個が同じ価値だということに気がつくと、何も怖くなくなります。

人生で最も大事なのは、今、目の前にいる人です。
一人ひとりをきちんと受けとめていくことで、その後の人生を組み立てていける、ということです。
この一個一個のドミノ、それ自体が結果であり、次のドミノを倒す原因になっています。
倒れた「私」が、また次のドミノを倒していく。

今、目の前にいる人を大事にすること が、私の未来をつくっていくのです。
人生は、その繰り返しのように思えます。

『神さまに好かれる話: 悩みを解消する法則 (単行本)』三笠書房

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「人間万事塞翁が馬(じんかんばんじさいおうがうま)」という中国の故事がある。
幸福だと思ったことが災(わざわ)いだったり、災いだと思ったことが幸福だったりする。
人生の幸不幸は予測ができない。
だからこそ、様々なできごとに、一喜一憂してはいけないということ。

有名人や成功者に出会ったから運がよくなるわけでもなく、通りすがりの名も知らぬ老人に出会ったことが、あとで考えると幸運の始まりだった、ということもある。
運は人が運んでくる。

実践の哲学者森信三先生の言葉に、
「人は一生のうち逢うべき人には必ず逢える。しかも一瞬早過ぎず一瞬遅すぎない時に」
というものがある。

縁(えん)は絶妙なタイミングで我々にやってくる。
ただし、その縁を大事にするかどうかだ。
有名人だから大事にするとか、無名の人だからないがしろにする、というのでは良縁はやってこない。

今、目の前にいる人を大事にする人でありたい
posted by Dr.モーリィー at 07:27| ちょっと気になる善い言葉 | 更新情報をチェックする

No 4491    京セラ国分工場見学

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鹿児島大学 稲盛経営アカデミーの学外研修プログラムで
おいちゃん 初めて京セラ国分工場を訪問いたしました


京都本社と 国分工場にしかない ファインセラミックス館も見学しました

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稲盛名誉会長の歴史・京セラの歴史 まだまだ知らないことが多かったです
野元浩一郎 京セラ国分工場長の 熱いメッセージに感動いたしました

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京セラ国分工場の皆様、アカデミーの先生方、関係者すべての方々に
感謝・大感謝でした

学んだことを少しでも 当医療法人でも実践できるように
世のため 人のために 精進いたします 頑張ります
posted by Dr.モーリィー at 06:38| ライフワーク | 更新情報をチェックする

2018年02月17日

No 4490   【どんな不幸を吸っても、吐く息は感謝に】

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おいちゃんのお気に入りブログ【人のこころに灯をともす】からの転載です

【どんな不幸を吸っても、吐く息は感謝に】

渡辺和子氏の心に響く言葉より…


私どもの大学の正面玄関に、プロテスタントの牧師、河野進さんが書いてくださった、一つの小さな詩がかけられております。

天の父さま
どんな不幸を吸っても
吐く息は感謝でありますように
すべては恵みの呼吸ですから

学生でいるあいだは不幸の息をあまり吸わせないように、先生たちが配慮をいたします。
しかしながら、卒業をして、その正面玄関を背にして出ていけば、その先にある職場、結婚生活、社会には、往々にして思いもかけないような不幸がたくさん漂っている空気が待ち構えています。
生きていくためには、その空気を吸わなければなりません。
思わぬ不幸を吸い込んでしまったとしても、それをそのままで、吐き出す人になってほしくない。
さらに増幅して、大きな不幸にしてほかの人に吐きかけるような人になってほしくない。
それを感謝に変えて吐き出す人、それがある意味で本当に強い人であり、本当に優しい人だと思います。
ほかの人が吸う空気を汚さない、その強さと、ほかの人を思いやる優しさを学生たちに身につけて欲しいと願っています。

しかしながら、それは決してやさしいことではありません。
私たちが生きていくうえで、この不幸の息をどうしても吸い込んでしまうとしたら、人のせいにしないで、むしろその不幸を自分の中で感謝に変えていく。
そしてそれは、真珠がつくられていくのと同じプロセスだと私は思うのです。

真珠貝というものは、自分にとってあまり望ましくない異物が入ってきたときに、それをいやがって吐き出してしまわないで、その異物の刺激により分泌される液で、異物そのものを軟らかく、そして固く包んでいきます。
それを繰り返し大きくなったものが、真珠になるのです。
同じように、私も自分の生活の中に入り込んでくる異物、不幸を受けとめて、私しかつくれない真珠を自分の一生涯をかけてつくっていきたいと思っています。

苦しいこと、いやなこと、私たちにとってマイナスの価値しか持たないもの、それは必ずしも悪いものではありません。
それがなかったら真珠がつくれないのです。
それがなかったら感謝の息が吐き出せないのです。
そう思うときに、もしかすると、私たちの生活の中にいやなもの、苦しいこと、そういうものがあっても、それを受けとめて自分なりに、自分しかつくれない真珠に変えていける、そのことを、ありがたいと思って生きなければいけないのかもしれないと思います。

毎日の忙しい生活の中で、私たちが木を切る手を休めて斧を見つめるということは、ふだん気づかない、しかしながら身の回りにたくさん転がっているありがたいものをありがたいと気づくゆとりを持つ、ということかもしれないと思います。

『現代の忘れもの (Nature of Nursing)』日本看護協会出版社

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「不幸は感謝のかくし味」
断食をしたあとの、食事のおいしさは格別だ。
それが、なにも味のないただのお粥(かゆ)であったとしても、この世にこんなに美味しいものがあったのかと思うほど。
「空腹は最高の調味料」という言葉があるが、空腹があるからこそ、食事をしたときの喜びを感じることができる。

これは、「病気が治ったとき、しみじみと健康のありがたさを感じる」というのと同じ。
病気や、不幸という(世間一般でいう)負の部分があるからこそ、健康や幸福を感じることができる。

つらいことや困難に出会ったとき、不平不満、愚痴、泣き言、文句を言ってまわりの人のテンションを落とすのか。
逆に、どんなに現在不幸にであっても、まわりに感謝し、周囲を明るくする人であるのか。

「どんな不幸を吸っても、吐く息は感謝」の人でありたい
posted by Dr.モーリィー at 07:06| ちょっと気になる善い言葉 | 更新情報をチェックする

2018年02月16日

No 4489    【超AI時代の生存戦略】

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おいちゃんのお気に入りブログ【人のこころに灯をともす】からの転載です

【超AI時代の生存戦略】

筑波大学助教・メディアアーティスト、落合陽一氏の心に響く言葉より…


iPhoneが発表されて2017年の1月9日で10年になった。
21世紀初頭の10年間で生活をもっとも大きく変えたもの、それはスマートフォンだったと思う。
スマートフォンの普及による結果、人はインターネット上に第二の言論・視聴覚空間を作り、住所を持ち、SNSを生み、社会を形作った。
言うなれば人はデジタル空間にもう一度生まれた。

今、常時回線に接続された人々は、この世界を旅し、この星を覆(おお)い尽くそうとしている。
その結果、ありとあらゆる景色や言論が今インターネットの上に集まりつつある。
そういったIOTによる技術革新は私たちの生活習慣と文化を不可逆なほどに変えてしまった。
誰とでも連絡がつき、待ち合わせの場所と時間を厳格に決めずとも人と会うことができ、道に迷うことがなくなり、どこでも時間を潰(つぶ)すためのコンテンツを入手できるようになった。
日々、消費できないほどのコンテンツがインターネットの向こうに蓄積されている。

見ているもの、聴いているもの、考えたこと、その日の景色から今いる場所、購入した商品に至るまで、人の様子は瞬時に共有できるようになった。
この地上で、誰もが発信者であり表現者となった。
ヒトが次なる目線、デジタルヒューマンとしての視座を手に入れるのに必要だったものは、明らかにインターネットとオーディオビジュアルで接続できる第二の目と耳であった。

映像の世紀は、コンピュータという、コードで記述された魔術的ブラックボックスによって、そして個人の手の中に握ることのできるサイズで拡張された。
そのダイナミックな変化がわずか10年でなされたのだ。
そしてその変化の速度はあまりに速く、その制御機構はあまりに難解なため、そこにある仕組みを理解するには難しく、一部の修練された人間にしか理解できないということ。
日常にもたらされる奇跡とブラックボックス化の断絶が今後ますます、様々な社会変化をもたらすだろう。

『超AI時代の生存戦略 ―― シンギュラリティ<2040年代>に備える34のリスト』大和書房

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落合氏は『超AI時代の生存戦略』としては、《 ブルーオーシャンを探すクセをつける 》ことが大事だと言う(本書より)。

『ブルーオーシャンな考え方というのは、他人と違うことをやっていくということを基本にすることだ。
また、自分しかそれをやっていないけれど、それが正しいと信じることだ。
つまり、ブルーオーシャン的な思考をするのは、競争心とは真逆の考え方である。
競争心を持ち、勝つことをくり返すのがレッドオーシャンだったら、ブルーオーシャンは黙々と、淡々とやることだ。
ここで重要なのは、「競争する」というゲームが決まると、データさえあれば機械のほうが強くなるということだ。
競争をするということは同じ土俵にいる、つまり勝負するための要素が決まるから、要素が決まると機械はデータから計算可能なので機械のほうが強くなる。
それはチェスや将棋の例を見ると明らかだ。
けれど、ブルーオーシャンの考え方で、何をやるかが決まっていない状況では人間は機械に十分勝てるということだ。
この戦い方を身につけるためには、競争心は非常に邪魔になってくる。
だから、これまで言われている競争心、つまりレッドオーシャンな考え方は捨てて、自分で信じた道を淡々とやっていって、その中で自己実現もしくはストレスフリーな環境をいかに実現していくかということが重要になってくる。
なので、サーベイ(調査や測量)は、これから先、ビジョンと同様に大事だ。
たとえば「今、誰が何をやっているか」ということをインターネットで調べれば、だいたいすぐにわかる。
今、この世界で誰が何をやっているのかを調べ続けるという作業が、絶対に必要だ。
自分がやっていることに近しい分野のことは、よく知っておかなくてはいけない。
だから、「先を越されたから」とか、「先を越されそうだ」ということを考えるクセは根本からなくしていこう。
サーベイをして同様の事例があれば、そこから先に自分がどういう価値を足せるのかを考えるというマインドセットでいけばいいだけだ』

洋の東西を問わず、またいつの時代であっても、商売成功のコツは「人のやらないことをやる」ということ。
投資の格言である「人の行く裏に道あり花の山」だ。
他人のやらないこと、反対のことをやることこそが、宝の山を見つける道。

まさに、それが「ブルーオーシャン戦略」。
競争の激しい既存のマーケットは、限りなく価格を安くしたり、次々と新しい機能で競ったりして、血みどろの戦いになるのでレッドオーシャン(赤い海)という。
まだ知られていない、未開拓の競争のない市場をブルーオーシャン(青い海)という。

どんなときも、ブルーオーシャンを探すクセを身につけたい
posted by Dr.モーリィー at 08:47| ちょっと気になる善い言葉 | 更新情報をチェックする

No 4488 焦っております、、、

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3月4日に開催される 第3回鹿児島マラソン2018の案内状が 送付されてきました

今年も 毛利歯科関係者で 鹿児島マラソンには
フルマラソン 10名(初マラソン5名)
ファンラン   3名   参加いたします

しかし、三年連続の スタッフは 練習量が

おいちゃんも 仕事の関係や体力的な問題で 今年の練習量は かなり少ないぞ、、、
目標をかなり下方修正しなければならない状態です、、、情けない

残り2週間 頑張って悪あがきしてみます
あきらめなければ 向上するチャンスはあるはずだ

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posted by Dr.モーリィー at 08:38| ライフワーク | 更新情報をチェックする

2018年02月15日

No 4487    【来た球はとりあえず打つ】

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おいちゃんのお気に入りブログ【人のこころに灯をともす】からの転載です

【来た球はとりあえず打つ】

明治大学教授、齋藤孝氏の心に響く言葉より…


《「来た球はとりあえず打つ」習慣は最強の武器になる》

私は明治大学に勤めているが、学生の就職も心配になるし、社会人としてうまくやっていけるかどうかも気にかかる。
大学は学生に学問的知識を与えればいいというものではなく、全人格的な教育も目標としている。

明治大学は「前へ」というのが校風なので、とりあえず一歩前に出るようにする。
率先力というのは、最初に手を挙げる、迷ったら手を挙げることで養われていく。
他の人が躊躇しているとき、「やってみます」と言えば、周囲は「こいつは見どころがある」と評価する。

企業は、やる気がある人を求めている。
どうせ誰かがやらなければならないとしたら、自分がやってしまう。
いつか順番が回ってくるものなら、率先してやる。
いちばん先にやった結果、自分で予定・日程を好きに選ぶことができた、ということもある。

いまは一歩前に出る人が少ない。
そんな中で絶えず人より一歩前へと心がけると、「彼はやる気があるね」と見られる。
言われてからやるばかりでは「あいつは、こっちが言わなければ動かない奴」と芳しくない評判を立てられてしまう。

私の仕事の基本方針は、忙しいからすべてのものは引き受けられないが、来た球はとりあえず打つという考え方に立っている。
来た球は多少ボール球でも苦手な球でも打つ。
それでうまくなる。

自分ができることしかしないと決めると、仕事の幅が広がらない。
ただし、そんな私でも例外はある。
それはクイズ番組出演のオファーだ。
私にとって、テレビのクイズ番組はオファーもたくさんあるが、出演するかどうか、 正直迷うことが多い。
タレントや芸人には、クイズが得意な人もいる。

クイズ王と呼ばれる一般人もいる。
しかし、私の得意なところはクイズではない。
さらに、たまたま出演したクイズ番組で間違えたりすると、「大学教授がなんで?」 と言われる。
それでも考えること自体が面白いクイズとか、正解不正解をそれほど問題にしない番組なら出演したりする。

ある番組にレギュラー出演しているとき、途中からクイズ番組的な性格に変わっていったことがあった。
だからといって「じゃあ出ません」とは言っていられない。
趣味ではなく仕事だから、そのあたりはうまく折り合いをつけていかなければならない。
簡単に「無理」とか「できない」と言わない。

「これできる?」と上司に訊かれ、「無理」とハッキリ言ってしまう若い人がいる。
「無理」という言葉が流行の一つになっているのだろうか。
とりあえず率先してやるクセをつけると、それは人間的にも大きな武器の一つになることは間違いない。
「来た球を打つ」。
これを基本にしていると、仕事のオファーは増えていく。

『”ちょっと尊敬”される人になる本』三笠書房

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小林正観さんの生き方は「頼まれごとの人生」だという。
自分から望むのではなく、誰かに頼まれたことを淡々とこなしていく。
頼まれたことを文句を言わずにやっていくと、自分の生き筋が見えてくるという。
「ああ、こういう方向で自分は(神さまから)動かされているのだ」と。

「来た球」も同じで、オファーがあったらそれを粛々(しゅくしゅく)とこなしていく。
PTAや町内の役でも、仕事や公的な役職でも、(お金を貸すとかは別にして)なんでも頼まれたら引き受ける。

頼まれるということは、その人にその実力が備わっているということ。
最初はうまくいかなくても、それをやっているうちに必ずなんとかなる。
反対に、好かれない人や、人気のない人には頼まれごとはやってこない。

そして、どうせ引き受けるなら、グズグズ、四の五の言わずにニッコリとして引き受ける。
そうすると、やがて、いつか自分の世界が広がっていることに気づく。

来た球はとりあえず打つ人でありたい
posted by Dr.モーリィー at 07:13| ちょっと気になる善い言葉 | 更新情報をチェックする