2020年01月13日

No 5444   【100万人に1人の存在になる方法】

IMG_4687.jpg

おいちゃんのお気に入りブログ【人のこころに灯をともす】からの転載です

【100万人に1人の存在になる方法】

藤原和博氏の心に響く言葉より…



現在はサラリーマンや公務員であっても、3つのキャリアのかけ算をして「キャリアの大三角形」を形成することで、あなたは100万人に1人の「希少性」ある人材に変態(メタモルフォーズ)することが可能だ。
年間に100回を超える私の講演での反応を見ると、「20代で就く1つ目のキャリアで1万時間(5年から10年)夢中になって仕事をすれば、それが営業であっても経理であっても宣伝であっても、100人に1人の営業マン、経理マン、宣伝マンになれる」という話には説得力があるようだ。
また、「2つめのキャリアは、30代における会社や役所での異動かもしれないが、営業から営業企画でもいいし、経理から財務でも、宣伝から広報でもいいから、左の軸足が1万時間で定まったら、右の軸足を定めるつもりでやっぱり1万時間頑張れば、そこでも100人に1人の企画マン、財務マン、広報マンになれる。そうすれば、結果的にこの2つのキャリアのかけ算で、100分の1×100分の1=1万人に1人の希少性を確保することが可能だ」という話も同様に共感を呼んだ。
ここまでで、ホップ、ステップまで進んだことになる。

ところが難しいのは、この次のジャンプのやり方だ。
「キャリアの大三角形」と名づけているように、底辺が決まったら(左と右の軸足が定まったら)、もしくは2つのキャリアのかけ算が完了したら、次にどこへジャンプするかがあなたの将来の付加価値を決める。
三角形では、頂点が底辺から離れていて、「高さ」が高いほど面積が大きくなることは自明だ。
この三角形の面積こそが、「希少性」の大きさを意味するのである。
だから、面積を大きくして、あなたの「希少性」を高めるためには、できるだけ遠くへ飛ばなければならない。

「オリンピックのメダリスト級」の100万人に1人の存在になるというのは、どの世界で戦うか、オリンピックで言えば、どの競技で戦うのかは、自分の判断に委ねられる。
たとえば、20代、30代は「営業」の世界と「広報」の世界でキャリアを重ね、それぞれ100人に1人の存在になれたら、40代で「旅館経営」の世界にジャンプしてもいい。
「旅館経営」でも1万時間経験を積めば、やはり100人に1人の旅館経営者になれるだろうから、「営業」と「広報」の経験も生かしながら100分の1×100分の1×100分の1=100万分の1の「希少性」が確保できるだろう。

最初のキャリアを旅行会社からスタートして「ツアコン」として腕を磨いてから、30代で子どもの頃から好きだった犬とともに生きる世界に身を転じ、犬の訓練士としてのキャリアを積んでから、介護の世界にジャンプしてもいい。
この場合には、「入所しているお年寄りを旅行に連れ出すこともでき、施設で飼っている犬でドッグセラピーもできる、たいへん希少な介護施設の介護士や施設長」というユニークな立ち位置が保証される。

「オリンピックのメダリスト」のアスリートは、縦に高いピラミッドの頂点。
それに対して「オリンピックのメダリスト級」のビジネスパーソンは、横に開けた世界で、ただ1人、自分だけの「旗」を立てるイメージだ。
だから、金メダルを取るのに99万9999人を倒す必要はない。
1つの世界で100人に1人を達成することを3つかければいいだけだから、最後は、自分自身でビジネス、つまり競技のルールや競技の場所を決めればいいのだ。

『100万人に1人の存在になる方法 不透明な未来を生き延びるための人生戦略』ダイヤモンド社

80809343_2698720616874890_900242763197448192_n.jpg


藤原和博氏は本書の中でこう語る。
『ここは自分の領土だと宣言するということ。
それは、いつまでも会社や組織のブランドにすがって生きていくのとは根本的に違う生き方になる。
独立してプロの自営業者になったり、起業したりする方法もあるが、会社や組織に居場所が残る場合でも、会社人間から会社内「個人」へ、組織人から組織内「個人」へ、「個人」として人生に目覚めることを意味する。
あなたの人生において、「キャリアの大三角形」を描いて100万人に1人の希少性をゲットする際にも、このかけ算のセンスによって希少性の大きさが決まってくる。
大きな三角形が描ければ希少性は高まるから、とりわけ3歩目のジャンプによって、あなた自身の付加価値が決まると言っても過言ではない。
会社で昇進して、営業マンと営業係長と営業所長を経験しただけでは、希少性は高まらないから、付加価値もそれほどつかない。
そのまま部長にまで昇進しても、会社のブランドが剥がされた途端に周囲から見放されるリスクを背負うことになる。
そうならないためには、早く「個人」として目覚め、自分に付加価値がつくように、外でマーケットバリュー(市場価値)を気にしながら真摯にキャリアのかけ算をしていく必要がある。』

個人でも、会社でも、競争で勝ち残るには、レッドオーシャンで戦うより、ブルーオーシャンで戦った方が断然確率が高くなる。
レッドオーシャンとは、競争の激しい既存の市場をいい、血で血を洗う赤い海という意味。
ブルーオーシャンとは、競争のない未開拓の市場であり、競合のない青い海という意味。
まさに、「希少性」が高まれば高まるほど、戦う領域はブルーオーシャンとなる。

自らの希少性を高め、100万人に1人の存在になる方法を身につけたい
posted by Dr.モーリィー at 09:57| ちょっと気になる善い言葉 | 更新情報をチェックする

2020年01月11日

No 5442   【幸せになる技術】

IMG_4686.jpg

おいちゃんのお気に入りブログ【人のこころに灯をともす】からの転載です

【幸せになる技術】

上阪徹氏の心に響く言葉より…



日本は世界第3位の経済大国。
モノも店も溢れている。
極めて豊かな国であることは間違いない。
だが、日本人の幸福度は残念ながら高いとは言えないようである。
国連の関連団体が発表している「世界幸福度ランキング」がある。
2019年は世界156ヵ国を対象に調査が行われたが、日本は58位だった。
過去5年の推移を見ても、46位、53位、51位、54位ときて、今年はさらに順位を落とした。

また、日本は自己肯定感が低いのも大きな特色だ。
特に子どもたちが低い。
こうした幸福度の低さや自己肯定感の低さにはいろいろな理由があるだろう。
だがその背景として、「日本人の価値観がかなり画一的である」ということが思い浮かぶ人も少なくないのではないか。

例えば、明るい未来を手に入れるには、勉強ができないといけない。
いい学校に入らないといけない。
幸せになるには、いい会社に入らないといけない。
お金を持っていないといけない…。

多くの人たちが、漠然とこんなイメージを植え付けられてしまっている。
要するに、「社会的な成功のようなものを手にしなくてはいけない」という呪縛だ。
こうした「答え」のようなものを作っているのは日本人自身である。
私は、社会が漠然とこうした「答え」を持ってしまう理由はとてもシンプルだと思っている。
正解が決められていれば、自分で「答え」を考えなくてもよくなるからである。

「答え」があるとラクチンなのだ。
うまくいっている人たちは多様な価値観を持っていた。
彼らはまさにこういう考えだった。
世間のいう成功なんて、どうでもいい。
そんなものに縛られない。
それより、自分で見つけた「答え」にこだわる。
そんな生き方をしていたのである。

AKBを生んだ著名なプロデューサー、秋元康さんはこんな話をしていた。
「今、ビジネスパーソンに最も必要なのは、人生観を固めることだと思っています。
つまり、自分なりの価値観をはっきりさせること。
出世して社長になったり、創業者利益で莫大な資産が手に入っても、必ずしも幸せになれるとは限りません。
大事なのは、自分にとって何が幸せなのか、どうすればドキドキできるのかを、しっかり理解しておくことです。
本当に何が好きなのかを考えてみる。
誰かの意見に流されたりお金に縛られて判断が間違っていないか自問自答してみる。
そうやって、自分の幸せをしっかり定義しておく。
それができていないと、常に何かを求め、何にでも手を出し、結局何も手に入らないことになりかねません」(プロ論。/徳間書店)

必要なのは、「誰がなんといおうと、おれはオレの幸せ」「私はこれでいい」「周囲がどう思うと関係ない」と言えることだ。
誰かが作った「答え」に縛られる人生は苦しい。
求められているのは、自分の幸せは何かという「問い」なのである。

『幸せになる技術 〜人生で一番大切なのに誰も教えてくれない』きずな出版

80472574_2696588690421416_3512018994439651328_n.jpg


上阪氏は本書の中でこう語る。
自分が与えられた役割に、とにかく懸命に向き合う。
自ら喜びを見つけ、そこに充実感を持って生きていく。
そういう生き方がある。
笑福亭鶴瓶さんが、こんな言葉を残してくれている。

「別にゴールデンタイムみたいな仕事だけが偉いんやないんです。
小さな世界でも、そこで必要とされることに意味がある。
そこから始まっていくんですよ。
神様から「お前もなんかせい」と言われて人は生まれてきてるんやと思う。
だから、自分を信じるべきやと僕は思っています。
焦らんでいいんです。
種をまいて、花が咲くのを待つ。
もちろん、種もまかんのに花は咲かんし、水やりもちゃんと必要になりますよ。
でも、大事なことは上を目指そうと気持ちを常に持ち続けること。
いつも向上しようとしている人は、誰からみても素敵なものなんです」(プロ論。)

自分の夢や、人生の目的や使命が見つけにくかったりする人は多い。
もしかしたら、そういう人が大多数かもしれない。
しかしながら、夢を見つけられなかったとしても、心配することはない。
それが、「与えらえた役割や仕事に全力を尽くす」という生きた方だ。

大きな夢や、生涯をかけた目標も志も必要ない。
ただ、目の前にやってくる仕事や、頼まれた事を淡々と文句を言わずやっていく。
愚痴や泣き言や不平不満を言わず、ニコニコしながら、目の前のことに、楽しみや幸せを見つけるという生き方。

どんな出来事の中にも、自分の幸せを見つけることができる人でありたい
posted by Dr.モーリィー at 07:17| ちょっと気になる善い言葉 | 更新情報をチェックする

2020年01月10日

No 5441   【足の裏的人間になれ】

IMG_4685.jpg

おいちゃんのお気に入りブログ【人のこころに灯をともす】からの転載です

【足の裏的人間になれ】

田中真澄氏の心に響く言葉より…



《貴いのは足の裏である》(坂村真民)
貴いのは頭ではなく手でなく
足の裏である
一生人に知られず
一生きたない処と接し
黙々として その務めを果たしてゆく
足の裏が教えるもの
しんみんよ
足の裏的な仕事をし
足の裏的な人間になれ

これまでに、どれだけ多くの人が、この詩を繰り返し読みながら、自分を励ましてきたことでしょう。
大半の人間は人に知られることもなく、日々の仕事を真面目にこなし、家族を守り、精神的にも、経済的にもゆとりをもって一生を終えていくのです。
そういう足の裏的人たちのおかげで、私たちは毎日安全な暮しを送れるのです。
そのことが理解できれば、私たちも足の裏的人間に徹して、人生を堂々と生きていけるはずです。
「裏」に価値があることを忘れてはなりません。

1996年、米国の2人の大学教授が著した『となりの億万長者』(早川書房)は米国のお金持ちを詳細に分析したものですが、その結果に多くの人は驚かされました。
彼らの生活は意外にも地味で、勤勉で、質素で、倹約家であり、アメリカ映画で見るような派手な生活を送ってはいなかったからです。
この本の中に次のような一節があります。

「テレビや新聞は、億万長者の質素な生活ぶりを報道していたら、テレビの視聴率や新聞の購買率はガタ落ちだ。
質素で地味な生活を送る億万長者は、少しもかっこよくないし、観察してもおもしろくない。
宝くじに当たったり、クイズ番組で優勝して一夜にして金持ちになる人なら記事になる。
だが、そんなことで金持ちになる人はほとんどいない」

この米国の状況は、そのまま日本にもあてはまります。
本当のお金持ちの人たちは総じて、勤勉で、地味で、質素で、倹約家で、しかも泥臭く生きることに懸命です。
つまりは足の裏的人間になることに徹しています。

『田中真澄の88話』ぱるす出版

80758612_2694607247286227_1329106264294162432_n.jpg


新聞やマスコミは、稀(まれ)なこと、ありえないような確率の話や、目立つ話題性のあるニュースやトピックスを流す。
衝撃的だったり、目立たなければニュースにならないからだ。
だから必然的に悪いニュースばかりが多く流れるようになる。

我々は一生涯を通じて、ほとんどの人が、殺人事件などの凶悪事件にもあわず、身内に大スターや有名スポーツ選手などが出現することなく過ごす。
つまり、ニュースとは反対に、大多数は地味で、コツコツと、質素に暮らしている。
新聞やマスコミは、万に一つもないような特殊事例を載せるからこそ、経営がなりたつ。
だが、多くの人はそれが、誰にでも起こりうるような一般的な話だと勘違いしてしまう。

どんなに素敵な善行も、涙がでるような親切も、それを、普通の人が、目立たず、当たり前のようにやっているような行為は、ニュースにはならない。
つまりここで言う、足の裏的人間の行為だ。

それを、安岡正篤師は、「無名有力」であれ、と言った。
限りない魅力ととてつもない影響力があるが、無名であるような人であれ、と。
その反対が、テレビやマスコミに出ていて有名であるが、なんの力もなく、影響力もない、ただ目立つだけの「有名無力」の人。

足の裏的人間には限りない魅力がある
posted by Dr.モーリィー at 07:32| ちょっと気になる善い言葉 | 更新情報をチェックする

2020年01月09日

No 5440   【ほめる門には福来る】

IMG_4684.jpg

おいちゃんのお気に入りブログ【人のこころに灯をともす】からの転載です

【ほめる門には福来る】

明治大学教授、齋藤孝氏の心に響く言葉より…


今、超能力の研究では、人が念じたことはテレパシーのように通じることが証明されつつあります。
だとすると、念じたり、思い込んだりする力が、自分を元気にしたり、反対に具合を悪くする可能性もあります。
自分に何かがとりついて、元気がなくなったと思うのなら、お祓いという行為も無意味とは言えません。
たとえば自分が借りようとする部屋で、前の借り主に不幸な事故など何かあった場合は、何となく嫌な感じがします。
そういう時はとりあえずお祓いだけはちゃんとやっておくと安心できます。

私もかつて中古物件を買った時に、なんとなくスッキリしたくてお祓いをしてもらったことがあります。
家に紙吹雪みたいなものをまいて、とても面白かったのですが、それをしてもらうと、「もうこれで大丈夫になった」と安心した気分になりました。
私はひじょうに合理的な考え方をする人間ですが、それでも、そういうことをやってすっきりするなら、やってしまおうと思ったわけです。

占いなどでどんなに「運」がいいと言われた人でも、不運がないわけではありません。
でも「運」がいいと言われたことを信じて、「いつか自分に運がめぐってくるかもしれない」と思うことで元気が出るのであれば、それでいいと思います。
ですから自分に都合がいい占いやお告げは信じておいて、悪いことを言われたら無視すればいいのです。
適度な距離感を持って接するということで、茶柱が立ったら「今日はいいことがあるな」と思っておき、茶柱がたたなくても「悪いことがあるな」とは思わないことです。

その意味では、「吉となる兆し」、つまり吉兆だけを見つけておいて、不吉な兆しについては考えないのがいいでしょう。
「黒猫が目の前を横切ったから、不吉な兆候だ」とは思わないで、「黒猫を見つけたから今日はいいことがありそうだ」と、あちこちに吉兆を見つけていく生き方をすれば、人生を明るくすごせます。

変なことが起きても、「これは吉兆だ」と思えるようになってくるので、総じて「運」がよくて、いい人生だなと思いながら死んでいけるでしょう。
茶柱や黒猫が幸運の兆しなのか、不吉の兆候なのか、証明することはできないのですから、それならみんな吉兆にしてしまって、自分の周りを吉兆だけで満たしていけば、バカ高い開運グッズなど買わなくてもすみます。
少なくとも、不吉な兆候として受け取る人よりはるかに、楽しく明るい人生が過ごせることは確かです。

大学の私のゼミで力を入れているのが「ほめること」です。
「ほめて、ほめて、ほめまくれば、ひとまず君らの人生は安泰だ」と教えています。
ちょっと弱点のある学生も、私にほめられ、自分でも人をほめるようになり、「ほめ」の継承が好循環を生んで、「運」が回るようになりました。

私は「ほめる門には福来る」という標語をつくっています。
まさに「ほめは人のためならず」。
人をほめれば自分のためにもなるのだよ、という考え方に間違いはなかったと思っています。

「運」が悪い人は、自分が得をしよう、うまい汁を吸おうとさもしく立ち回ります。
ほめるぐらいはやっても損はしないと思いますが、人をほめることさえもしません。
ほめると損をするとでも思っているのかもしれません。

でも、世の中はあまりに自己中心的に求めすぎると嫌われてしまいます。
「損して得を取れ」ではありませんが、時給ゼロでも相手のために一生懸命働いていれば、やがて大きな仕事が入ってきます。
あまり自己中心的にならずに、人のためにも一生懸命やってみる。
そして惜しまず人をほめ、たたえる。
そうすると幸運の風が吹いてきます。

『運の教科書: 「うまくいく人」はこう考える (単行本)』筑摩書房

81022055_2692672777479674_8724241088384073728_n.jpg


手相や占いをみてもらった時に、悪いことや不吉なことを言う占い師がいる。
「あなたのご両親か兄弟に病気が出ますよ」とか「近々、お金で困ったことが起こります」とか。
そういう占い師は、悪魔に魂を売り渡してしまっている、と言ってもいい。
なぜなら、その占い師は自分の占いが間違っていないということを証明するため、その占いが当たることを願うからだ。
つまり、他人の不幸を願う。

人がこの世に生まれてきた大きな目的のひとつは、「まわりの人に喜んでもらうこと」であり、「まわりの人の役に立つこと」。
「ほめる門には福来る」
ほめることを多く…
いつも上機嫌で、運を引き寄せる人生を送りたい
posted by Dr.モーリィー at 22:02| ちょっと気になる善い言葉 | 更新情報をチェックする

No 5439   【AI時代の「超」発想法】

IMG_4683.jpg

おいちゃんのお気に入りブログ【人のこころに灯をともす】からの転載です

【AI時代の「超」発想法】

一橋大学名誉教授、野口悠紀雄氏の心に響く言葉より…



アイディアの価値が高まっています。
優れたアイディアを生み出した企業が事業を発展させ、経済を牽引しています。
その代表が、GAFAと呼ばれるアメリカの企業群です。
これは、グーグル、アップル、フェイスブック、アマゾンのことです。
これらの企業は、いまアメリカ経済を牽引する中心的な存在となっています。

これらは、20年前には、ごく小さな企業でした。
これらの企業が急成長したのは、新しいアイディアを生み出して、新しいビジネスモデルを確立したからです。

グーグルの場合、きわめて優秀な検索エンジンを開発し、利用者が集まりました。
しかし、最初は、これを収益化する手段が見つかりませんでした。
利用料金を課せば、利用者は他の検索エンジンに移ってしまうでしょう。
そこで無料で検索サービスを提供したのですが、それでは収益はあがりません。
グーグルが検索エンジンから収益を得られるようになったのは、「検索連動型広告」という新しいタイプの広告を始め、しかも、それが効率的に機能するようなさまざまな仕掛けを考案したからです。

フェイスブックについても、同じことがいえます。
SNSサービスを通じて利用者の精細な個人データが得られるので、それを広告に結びつけるアイディアがあれば、巨額の広告料収入を得られました。
アイディアさえあれば、工場や販売店などの施設に特別の投資をしなくとも、巨額の収入をあげることが可能になったのです。

アップルは、ファブレス(工場なし)という新しい製造業のビジネスモデルを作りました。
製造過程を中国などの企業に任せ、自らは製品の開発と設計に特化したのです。
これによってきわめて高い利益率を実現しました。

アマゾンは、物流過程の効率化を進めるとともに、「購入者に関するデータを利用してリコメンデーション(お勧め)を行なう」という仕組みを作り、従来の書店では扱うことのできなかった販売点数が少ない書籍を扱うことに成功しました。
こうして、実店舗で販売する従来の流通業とは全く異なるビジネスモデルを確立したのです。

従来の経済活動においても、アイディアや発想は重要でした。
しかし、アイディアだけで巨額の収入をあげることはできませんでした。
アイディアが持つ潜在的な価値を現実のものにするためには、工場を新設したり、販売店を増設したり、大量の人員を雇ったりする必要があったのです。

現代の世界で、そうしたものが全く不要になったわけではありません。
ただし、つぎのような意味で、物理的な施設や人員の重要性が減少し、その半面でアイディアの重要性が増大したのです。

第一は、先進国における製造業の比重の低下です。
製造業では、巨大な生産設備の建設がどうしても必要です。
製造業は長い間先進国の経済の中心的な活動だったのですが、1990年頃以降、中国をはじめとする新興国の工業が進展し、安価な労働力が供給されるようになりました。
このため、従来は先進国で行われていた製造業活動の多くが新興国に移行したのです。

第二に、新しい情報技術の進展に伴い、情報やデータを用いて収益をあげる活動がさらに進展しています。
まず、AI教育・訓練にデータが用いられています。
これによって、従来は不可能と思われていたパターン認識などが可能になってきています。
この技術は、自動車の自動運転などに用いられ、世の中を大きく変えていくことになるでしょう。
もう一つの利用は「プロファイリング」と呼ばれるものです。
これは、ビッグデータによって対象者の性格を推定しようとするものです。
これによって、ターゲティング広告(検索連動型広告のように、対象を絞った広告)の性能の向上、信用度の測定、あるいは、選挙での利用などが進められています。

アイデアを出せる企業や人が、これからの社会を作っていくことになるでしょう。
このような大きな変化の中で、われわれがいかに仕事をし、生活していくべきかを考え、そのために新しいアイディアをつねに生み出していくことが求められています。

『AI時代の「超」発想法 (PHPビジネス新書)』

80121716_2690402607706691_6406624890912243712_n.jpg


野口氏は、本書の中で、「アイディアを殺す組織」についてこう述べている。
『個人がいかに創造的であっても、属する組織が反発想症に冒されていると、能力は発揮されないままに終わります。
その典型は、官僚組織です。
先例主義、新しい試みの拒否、形式主義が蔓延する環境は、発想には最悪の環境です。
かつて役所で仕事をしていたときのこと、決裁を取りに行ったら、「局長の考えをまず聞いて来い」といわれたことがありました。
局長がイエスならイエスだというわけです。
また、日本の大企業の多く(とくに伝統的な産業の企業)は、官庁より官僚的です。
こうした組織が、創造的な日本人の潜在力をなんと無駄にしていることか。
これらのエネルギーが解放されたら、日本は大きく変わるでしょう。
問題は、個人の能力でなく、それを殺してしまう社会制度なのです。
組織の指導者や経営者の最も重要な仕事は、組織をこのような病から守ることです。』

多くの日本の組織において問題なのは、失敗が許されないことだ。
日本の官庁では、失敗や判断ミスはありえないことになっている。
だから、「とりあえず試行して、結果を見る。駄目なら修正する」という行動方式がとれないのだ、と野口氏はいう。
こうした環境では、試行錯誤はできず、絶対確実なことしか行われない。
これは、ジャーナリズムの責任も大きい。
アメリカでは、新しく生まれるベンチャー企業の8割は失敗すると言われている。
そして、日本では認められない敗者復活戦もある。
その結果、日本では、小さな失敗を認めないために、知らないうちに大きな失敗を犯してしまうという、笑えない現実がある。

失敗が許される組織、アイデアを生かす組織に…
AI時代、新たな「超」発想が求められている
posted by Dr.モーリィー at 20:16| ちょっと気になる善い言葉 | 更新情報をチェックする

2020年01月08日

No 5438   高野山  護摩行  




バラエティー番組 千鳥の相席食堂 2020年1月7日【千原せいじ烈火の護摩行で改心】で

高野山真言宗 清浄心院での 護摩行の風景が オンエアされたそうです

知人に 送ってもらった 内容ですが うまくアップされません、、、???



posted by Dr.モーリィー at 22:37| 最福寺・仏教 関連 | 更新情報をチェックする

No 5437   【異質な人と組み、異質な経験をする】

IMG_4682.jpg

おいちゃんのお気に入りブログ【人のこころに灯をともす】からの転載です

【異質な人と組み、異質な経験をする】

筑波大学名誉教授、村上和雄氏の心に響く言葉より…


アメリカの大学では7年に一度、サバティカルという休みを先生にくれますが、この休暇はリフレッシュという点で、とても大きな意味を持っています。
期間は一年間、そのあいだ、大学を離れて、好きなことをやっていいという特典ですから、みんな喜んで利用します。
ほとんどの先生は、この休暇を利用して、外国に行きます。
アメリカ人はたいていヨーロッパに行きますが、そこでまったく違う国のカルチャーにふれ、いろいろな分野の人と出会い、情報を集めて、それで新しい活力を養うわけです。

人間は定期的にこういう機会をもたないと、新しい発想は湧いてこなくなります。
ずっと同じところで、同じ仕事を続けていれば、つきあう人も見聞もみな同じになってしまいます。
そういう環境にあまり違和感を感じないでいると、その枠から出られなくなってしまいます。

日本の大学の先生も終身雇用、年功序列に守られていて、それでもやっていける時代が過ぎ去ろうとしています。
競争社会、契約社会のアメリカでは、ずっと昔から3年ごとくらいに一定の成果をあげなければ、身分は保障されません。
欧米では、そうした努力を怠っていると、たちどころにクビを切られてしまいます。
昨日まで大学の講師だった人が、急に姿が見えなくなったと思ったら、タクシーの運転手をしていたなどということが実際にあるのです。

情報交換を組織的にやっているのが、ユダヤ人でしょう。
彼らはほとんど毎週のように地区の教会(シナゴーグ)に通って、集会のあとでみんなで家族ぐるみのつきあいをします。
ユダヤ人は2000年ものあいだ迫害されてきた苦難の歴史を背負っていますから、この世を生きていくには実力しかないということを骨身にしみて感じています。
だから、つねに仲間で集まって、情報交換につとめるわけです。
彼らにとって、情報は特別な意味をもっています。

ノーベル賞受賞者を人種的に見ると、ユダヤ人が圧倒的に多い。
ノーベル賞がすべてではありませんが、ある程度、頭のよさ、オリジナリティの豊かさをあらわすバロメーターにはなるのではないでしょうか。

裏側の情報の重要性について述べましたが、ナイト・サイエンスを進めるためには、研究室から出て、いろいろな人間と交わることで刺激を受けたり情報を得たりすることが重要になってきます。
デイ・サイエンス、つまり最終的な答えだけを知ってもあまり意味がありません。
研究者にとってより貴重なのは、その答えにたどりつくプロセスに関する情報です。

外に出てコミュニケーションをとることで、自分の思いを相手に伝えます。
自分の思いが先方に伝われば、次には必ず向こうからなにかが返ってきます。
かけがえのない情報やノウハウを得ることができのは、そうした人間味に満ちた交流からです。
ときに、自分をさらけだすことも必要です。

私は根が素直なので(たんなる口が軽いだけという説もありますが)、ものごとを秘密にしておけないタチで、自分のアイデアや計画などをどんどん他人に話してしまいます。
「そんなに開けっぴろげじゃ、人にとられてしまうぞ」
そんなふうにアドバイスをしてくれる人もいますが、自分が話したことで、アイディアを盗まれたという経験は一度もありません。
逆に、それによって助けられたことは何度もあります。

『生命のバカ力 (講談社+α新書)』

80426618_2688147051265580_618200704774832128_n.jpg


村上氏は、「他人と組むこと」の重要性についてこう語っています。
『今の社会では、なんでもかんでも一人でやるということは不可能です。
他人と協力してやっていかなければ成し遂げられないことの範囲がどんどん広がってきています。
そして、他人と組んでいい仕事をしたいと思うなら、なるべく自分にないものをもった人と組むことがかんじんです。
専門分野でも、性格的な面でも。
他人と一緒にやるからには、もちろん仲よくしなければいけませんが、自分にはない能力をもった人と組むことで、総合力を高めることができます。
一足す一が三になったり五になったりします。
ときには、相反する意見から、まったく新しい発見をすることもあります。』

「アイデアとは既存の要素の新しい組み合わせ以外の何ものでもないということである」(ジェームス・W・ヤング)
独創的な料理にしても、今まであった食材と食材の新しい組み合わせにすぎない。
誰も食べたことのないような食材など、この世には存在しないからだ。

人との組み合わせも同じ。
多様性が重要だ。
多様性はダイバーシティという言葉に置き換えられる。
性別、年齢、国籍の違った人材の多様な組み合わせ。

そのためには、オープンマインドであること。
自分の考えに固執せず、他人の考えもよく聞き、心を常に開いていること。
自分の考えたアイデアをケチる人は、他人からもアイデアをケチられる。
投げかけたものが返ってくるという、物理でいう「作用」と「反作用」の法則があるからだ。

異質な人と組み、異質な経験を重ねていく人でありたい
posted by Dr.モーリィー at 06:22| ちょっと気になる善い言葉 | 更新情報をチェックする

2020年01月07日

No 5436   【道を求めてやまない人】

IMG_4681.jpg

おいちゃんのお気に入りブログ【人のこころに灯をともす】からの転載です

【道を求めてやまない人】

藤尾秀昭氏の心に響く言葉より…


「心ここに在(あ)らざれば、視(み)れども見えず、聴けども聞こえず、食(くら)えどもその味を知らず」
心がここになかったら、視ていても見えない、聴いても聞こえない、食べてもその味が分からない、という。
古典の名著『大学』にある言葉である。

次に弘法大師空海の言葉。
「医王の目には途(みち)に触れて皆薬なり。
解宝(げほう)の人は鉱石(こうしゃく)を宝と見る」
名医は道に生えている草の中からも薬を見出し、宝を解(かい)する達人は普通の石の中にも宝を見つける、というのである。

結局、人生はこの二つの言葉が指し示すところに尽きるのではないだろうか。
真理は月の光のように満ちあふれている、と言ったのは誰だったか。
見る目を持った人が見れば、人を幸福に導く真理は至るところにあふれているのに、それに気づき、つかもうとする人がいないことを示唆した言葉である。

では、どうしたら満ちあふれる真理に気づき、医王の目を養い、解宝の人になることができるのか。
古来多くの名人、達人の生き方にそのヒントを探れるように思う。

その第一は「真剣に生きる」ことである。
まったくの徒手空拳(としゅくうけん)から身を起こし成功を勝ち得た人は一様に、真剣に努力した人である。
そういう人のみが天地不書の秘伝、法則をつかむのだ。

第二は「恩を忘れず、恩を返す」。
受けた恩を忘れないで必ず返そうとする姿勢に、宇宙の霊妙(れいみょう)な働きは呼応(こおう)するのである。

第三は「いまここに生きる」こと。
人生は「いまここ」しかない。
その「いまここ」に集中する。
心の焦点が定まっていない人に、真の気づきは得られない。

第四は「学ぶ」ことである。
松原泰道(たいどう)老師がよく口にされる『法句教(ほっくきょう)』の言葉がある。

「頭(こうべ)白しとて 
このことによりてのみ 
彼は長老(おさ)たらず
彼の齢(よわい)
よし熟したりとも
これ空しく
老いたる人とのみ
よばれん」

高齢者になったから尊いのではない。
高齢者になってもなお道を求めてやまないところに年を取る意味はあるのだ、と師は言われる。

『人生の大則』致知出版社

80204235_2685958681484417_1489656002994241536_n.jpg


結局、いくつになっても、どの年代であっても、我々の真価は「学び続けているかどうか」によって決まる。
学ぶ心がなければ、自分の魂を磨くことはできない。

「徳は孤(こ)ならず、必ず隣(となり)有り」
という論語の言葉がある。
徳を積んだ人は、必ずその人に共感し協力する者が現れるので、孤立することはない。

つまり、学び続けて、徳が高まった人の晩年は、たくさんの支持者やファンに囲まれて過ごすということ。
反対に、まったく学ばず、魂も磨かず、ただいたずらに年を取ってしまった者は、空しい老人になるしかない。

真剣に生き、恩を忘れず、恩を返し、今ここに生き、そして、学び続けること…
いくつになっても、道を求めてやまない人でありたい
posted by Dr.モーリィー at 07:07| ちょっと気になる善い言葉 | 更新情報をチェックする

2020年01月06日

No 5435   【進み続けなさい】

IMG_4680.jpg

おいちゃんのお気に入りブログ【人のこころに灯をともす】からの転載です

【進み続けなさい】

本田季伸氏の心に響く言葉より…


《進み続けなさい。
あなたが期待していたことが、偶然に掴めるでしょう。
座ったままで、偶然にチャンスを見つけたという話はこれまで聞いたことがない。》
(チャールズ・ケタリング/科学者・発明家)

偶然に掴めた幸運でも、
必ず何らかの行動や出来事があるものです。

なぜなら、真の成功を手に入れた人の多くは、
ラッキーな出来事や出会いが起きやすいような考え方や価値観を持ち、好奇心のアンテナを絶えず張り、それにふさわしい行動を取っているからです。

「オープン・マインド」で柔軟性を持ち、
しかるべきときにはリスクに挑戦して、
スパッと決断できる力を持った人だけが、
偶然をチャンスに変えることができるのです。

『賢人たちに学ぶ 自分を磨く言葉』かんき出版

80340418_2683922471688038_2341465545276129280_n.jpg


坂村真民さんのこんな詩がある。
『動くのだ
停滞してはならぬ
川や海が生きているのは
いつも動いているからだ
流れてさえおれば
水は必ず海に達する
それと同じように
努力さえしておれば
所思は必ず遂げられる
すべて長く続けることに意義がある
息でもそうだ
長い息が
長生きにつながるのだ
(坂村真民一日一言/到知出版)

冒険的な人間は失敗を恐れない。
常に肯定的であり、上機嫌だ。
反対に、守りに入った人は好奇心をなくし、チャレンジしなくなり、いつも不機嫌だ。

行動こそが生きていることの証(あかし)。
一生休むことなく泳ぎ続けるマグロは、泳ぐのを止めると窒息してしまうという。
まさに、人も同じで、先へ先へと進み続けない者、自分の魂を磨き続けない者は、生の証を得られない。

いくつになっても前へ前へと、進み続ける者でありたい
posted by Dr.モーリィー at 07:33| ちょっと気になる善い言葉 | 更新情報をチェックする