2019年08月11日

No 5265   【変えてゆく主人公は私】

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おいちゃんのお気に入りブログ【人のこころに灯をともす】からの転載です

【変えてゆく主人公は私】

正法寺住職、愛知専門尼僧堂堂長、青山俊董氏の心に響く言葉より…



京都駅で拾ったタクシーの運転手が語りかけてきました。
「ご出家さんですね。お話をさせていただいてもよろしゅうございますか」と。
「どうぞ」と私は答えました。

「私は高校三年生の三学期に両親を亡くしました。
町会で河豚(ふぐ)を食べに行き、その毒にあたって一晩で亡くなりました。
いつもなら母親が早く起きてお弁当を作ってくださるはずなのに、いつまで経っても音一つしないので、“おかしいなあ?”と思って、両親の部屋の戸を開けてみました。
二人ともさんざん苦しんだあとを止めて息が絶えておりました。
驚いて電話に走り、親戚の者が駆けつけて葬式は出してくれました。
借金はありませんでしたが、一銭の貯えもありませんでした。
私の下に五歳の妹がおりました。
父が出征しておりましたから、年はなれて妹ができた訳です。
高校三年の私と五歳の妹では家賃がとりたてられないであろうというので、家主が追い出した。
私は五歳の妹を連れ、最小限度の荷物を持ち、安い六畳一部屋を借りて出ました。

両親に代わって妹を育てなきゃならないと思って、私は夢中になって働きました。
朝は新聞配達、昼は勤め、夜はアルバイトとメチャクチャ働いて、二十二、三歳のときには、安いアパートを買うほどの金は作りました。
その間、私は働くことしか考えていませんでしたから、洗濯も炊事も掃除も何もしませんでした。
五歳の妹がしたことになります。

妹に勉強机の一つも買ってやりたかったのですが、六畳一部屋に食卓と勉強机と二つおくと寝るところがなくなるから、妹はかわいそうだけれど食卓を勉強机に兼ねてもらいました。
狭い家で育ったから妹は整理の名人になり、今大きな家にご縁をいただいておりますが、きれいに整頓されております。
考えてみましたら私なんか、もし両親が元気でいてくれたら、今ごろ暴走族か突っ張り族か、ろくな人間にしかなっていなかったと思います。
もし両親が死んでくれても、金を残してくれたら今の私はなく、また妹がいなかったら淋しくでぐれていたでしょう。

両親はいない、金はない、幼い妹がいる。
私は本気にならざるを得ませんでした。
私を本気にしてくれ、一人前の大人にしてくれ、男にしてくれたのは、両親が死んでくれたお陰、金を残してくれなかったお陰、家主が追い出してくれたお陰、幼い妹をつけてくれたお陰と思い、毎日両親の位牌(いはい)に感謝の線香をあげております。
何もかも私を一人前の大人にするためのおはからいと感謝しております。

ただ一つ、妹がよいご縁をいただいて花嫁衣裳を着たときは泣けました。
両親に見せたかった。
それで私は一つだけ頼んでいることがあるのです。
“自分の子供が一人前になるまでは命をください”と」

わずか三十分ほどの間の話でしたが、どんな立派な方の話よりもすばらしい話を聞くことができ、心から「ありがとう」といって車を降りました。

お釈迦さまは、この世の中には四種類の人がある、と説かれました。
「闇から闇へゆく人、闇から光へゆく人、光から闇へゆく人、光から光へゆく人」と。
人生の幸、不幸を、光とか闇という言葉で表現することができるでしょう。
一般的にいって闇としか思えないことを、両親が死んでくれたお陰、金を残してくれなかったお陰、家主が追い出してくれたお陰、幼い妹をつけてくれたお陰で、本気になれた、一人前の大人になれた、と全部「幸い」と受けとめ、光へと転じているよい例といえましょう。

この四種類の人の話から二つの教えを学ぶことができる、と、唯識学の泰斗の太田久紀先生は語ります。
一つは「人生、変えてゆくことができる」ということ。
ただし闇から光へと変えるのはよいが、光から闇へは変えたくありません。

二つめは「変えてゆく主人公は私であり、その私の今日只今をどう生きるかにかかる」ということです。
親子、兄弟、夫婦、どこかに代わってもらえるような甘えがありますが、人生は絶対に代わってもらうことも助けてもらうこともできません。
私の人生をどう築きあげてゆくか、どう変えてゆくかの主人公は私でしかないのです。
心して自分自分の人生を光あるものへと転じてゆきたいと思います。

『泥があるから、花は咲く』幻冬舎

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松下幸之助氏の有名な話がある。
『家が貧しかったために、丁稚(でっち)奉公に出されたけれど、そのおかげで幼いうちから商人としてのしつけを受け、世の辛酸を多少なりとも味わうことができた。
生来体が弱かったがために、人に頼んで仕事をしてもらうことを覚えた。
学歴がなかったので、常に人に教えを請うことができた。
あるいは何度かの九死に一生を得た経験を通じて、自分の強運を信じることができた。』(人生心得帖)より

貧しかったから、身体が弱かったから、学歴がなかったから、九死に一生を得た経験があるから、自分は運がよかった、と。
100人いれば100人ともが、悲惨だ、不運だと思えるようなことに対しても、「そのお陰で今の自分がある、ありがたい」とお陰さまと感謝の気持ちで生きている人は、とてつもなく徳を積んでいる。

生まれながらにして豊かな人は、その幸せに気づかない人が多い。
だから、少しでもそれが不足すると、不平不満や愚痴、泣き言が出てしまう。

今ある幸せに感謝できるのか、不足しているものをあげつらい文句を言うのか。
「変えてゆく主人公は私」と思い定め、人生を、お陰さまと感謝の気持ちで生きてゆきたい
posted by Dr.モーリィー at 08:21| ちょっと気になる善い言葉 | 更新情報をチェックする

2019年08月10日

No 5264   【誰しも人生のステージは変わっていく】

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おいちゃんのお気に入りブログ【人のこころに灯をともす】からの転載です

【誰しも人生のステージは変わっていく】

堀江貴文氏の心に響く言葉より…



仕事や人間関係、触れる情報によって、誰しも人生のステージは変わっていく。
その間に友人や趣味仲間の、刺激の賞味期限はすり減って、話が合わなくなっていくのは、ごく普通の現象だ。
時間が経てば、遊ぶ場所が変わり、食事をする場所も変わり、価値観も大きく変わっていくものだ。
そんなとき、いつまでも変わらない話をして、「あの頃はこうだったな〜」と昔話をしてくる友だちは、どんな存在だろう。
心が休まる?
なるほど、懐古心を温めるという意味では、いいところもあるかもしれない。

でも本当は、疎ましいのではないか?
過去の関係にしがみついて、前へ行こうとするのを邪魔する…とまでは言わないけど、「昔から変わらない同じ話」を繰り返す相手が、いまとこれからを前進していこうとするする人生に、絶対必要だとは、どうしても思えないのだ。

子どもの頃から、ずっと仲良しの友人がいて、絶対に「捨てない」、一生大切にするんです、と言う人も多いだろう。
それはそれで結構。
好きにしたらいい。
ただ僕は、価値観の変わらない、昔話をする友だちは、持ちたくない。

同窓会とかで昔話が楽しい、という感覚は、まあわかる。
僕はほとんど同窓会の類いは行かないけど、「思い出す」ことに一種の快感があるのは、たしかだと思う。
でも、そんなもの何年かに1回でいいのでは?
毎年恒例とか、定期的にやる必要はないだろう。

僕はビジネスを始めて、見える世界のステージが、ハイスピードで変わっていった。
変わるごとに、出会った友だちや仕事仲間とは話が合わなくなり、「捨てて」きた。
思い切りがいいのではない。
どこか自分に課していた部分もあっただろう。

「次のステージでうまくいかなくなったときに、以前のような交友関係に戻れる」という保険を、かけたくなかった。
仕事で成功していくにつれて、人間関係のリセットを繰り返し、新しい刺激的な友だちをつくっていく。
それが僕のスタイルだ。

人間関係をリセットすることは、痛みをともなうこともある。
「捨てる」痛みは、ゼロにはできない。
しかし、痛みを感じないくらい忙しく、やりたいことに熱中していればいい。
痛みがあるというのは、ヒマな証拠なのだ。

友だちをリセット…。
私にはできないという人もいるかもしれないが、そんなことはない。
むしろ、いま大事にしている友だちや仕事仲間に、何かが縛られていないか?
見つめなおしてみるといいと思う。

もしくは「捨てられない」と、必死にしがみついているのは、あなたの方なのかもしれない。

『捨て本』徳間書店

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「男子三日会わざれば刮目(かつもく)して見よ」 という『三国志演義』の中の言葉がある。
真の男子たるもの(男でも女でも)、死に物狂いで勉学や修練すれば、 三日も会わなければ、 見違えるように成長しているものだ。
さあ、目をこらしてよく見るがよい、と。

我々がこの世に生を受けた目的は、生まれてから死ぬまでに、「どれだけ自分を高めることができたか」、「少しでもましな人間になったか」、ということを問われている。
世の中がこれほどまでに激変しているのに、開き直って(あるいは、あきらめて)、全く変わらないことを良しとしている人がいる。
そんな人は、世の中から、置いていかれてしまうとともに、真の友も離れていく。
片方の価値が高まっているのに、もう片方が何も進歩がないとしたら、話が合うはずがない。

アップグレードすれば、「誰しも人生のステージは変わっていく」。
「男子三日会わざれば刮目して見よ」の気持ちで日々燃焼したい
posted by Dr.モーリィー at 06:58| ちょっと気になる善い言葉 | 更新情報をチェックする

2019年08月09日

No 5263  健康診断!!

先日 歯科医師会主催の健康診断を受けてきました

おいちゃん どっちかというと 健康オタク??なので

一日2食を 数年続けております

暴飲暴食もしないし 多分健康的だろうと 

最近老眼が進んできたので 視力関連が心配でしたが

視力は 左1.0 右1.5 満足

骨密度も 実年齢と比較しても 優良

血管年齢も44歳くらいと  満足満足!

おいちゃん 最近また 献血ブームが再来して

前回で67回目でした!

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IMG_4030 - コピー.jpgつか 100回を 達成したいものです!
posted by Dr.モーリィー at 06:17| ライフワーク | 更新情報をチェックする

No 5262   【真の友とは】

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【真の友とは】

小林正観さんの心に響く言葉より…



お釈迦さまが最後の旅に出たとき、同行していたのはアーナンダという古い弟子でした。
アーナンダは「お釈迦さまの十大弟子」の一人ですが、十大弟子の中では最も遅く悟った人とされ、「多門(たもん)第一」尊者(そんじゃ)と呼ばれました。
「多門」というのは、「お釈迦さまの教えを最も多く聞いた」という意味。
ほかの9人がそれぞれの「悟り」の結果としてたたえられているのに対して、アーナンダは「多門」というかたちでしか評価されませんでした。

アーナンダはお釈迦さまの従兄弟(いとこ)にあたり、お釈迦さまとは30歳ほどの年齢差(お釈迦さまの方が年上)があったようです。
アーナンダは普通のお釈迦さまの弟子に比べて優しすぎる人だったのだそうです。
そのため他人の悩みに入り込んでしまい、自分も一緒になって悩んでしまうため、悟るのが大変遅くなってしまいました。
お釈迦さまが涅槃(ねはん)に入る直前まで、アーナンダは悩み、煩悩から離れることができず、悟ることができなったと言います。

そんなアーナンダでしたが、お釈迦さまはアーナンダをかわいがり、よく旅(説法の旅)に連れていきました。
そんな旅の途中、アーナンダはこんな質問をするのです。

「お釈迦さま、よき友を得ることは聖なる道の半ばだと思えるのですが、どうなのでしょうか」
私の考えですが、「聖なる道」というのは「正しい生き方」というような意味ではなかったかと思います。
そのとき、お釈迦さまはこう答えました。
「アーナンダよ、よき友を得ることは聖なる道の半ばではない」
アーナンダは「やはり自分は未熟で何もわかっていない」と、がっかりしたかもしれません。

が、お釈迦さまの口から続いて出てきた言葉は、アーナンダの予想を超えるものでした。
「アーナンダよ、よき友を得ることは聖なる道の半ばではなく、聖なる道の全てである」
お釈迦さまはこう説明しました。

「私(お釈迦さま)を友とすることによって、人は老いる身でありながら老いを恐れずにすみ、病むこともある身でありながら病むことを恐れずにすむ。
必ず死すべき身でありながら、死の恐れから逃れることができる。
よき友を持つことは、幸せに生きることの絶対条件なのだ」と。

それでは「よき友」というより「師匠になってしまう」との異論が出そうですが、それは本来の「友」という意味が正しく伝わっていないせいでしょう。
本来の「友」とは、遊び相手とか遊び仲間というようなものではなくて、人生上の悩み・苦しみ・苦悩・煩悩を少しでも軽減してくれるような“気づき”を教えてくれる人、のようです。
それは同時に、自分もそういう存在になることが「よき友」と言われる条件ということでもあります。

そのように教え合うこと、学びや気づきを知らせ合うこと、交歓し合うことが「友」というものなのかもしれません。
私たちは「友」という概念を非常に狭い意味でとらえてきました。
「友」というものは、近い年代で、同じような趣味を持ち、同じような音楽を聴き、同じような遊びに関心がある人、と考えてきたように思います。

本質的な「友」という存在を認識するにためには、「幸せ」というものも正しく認識する必要があるかもしれません。
というのは、「幸せ」とは「何かを得る」とか「欲しいと思っていたものを手に入れる」ことではなく、「今の自分が『幸せ』の中にいること、『幸せ』の中に存在していること」を知ることだからです。

欲しいものを得たいとか、今以上の何かを得たいなど、自分の外に求めるものがあり、それが求められた、得られた、ということで「幸せ」を感じるならば、人生は実に苦悩に満ちたものでしかないでしょう。
思いどおりに得られるものなど、ほとんどないからです。
「得る」ことや、「手に入れること」を考えている間は、本当の「幸せ」は手に入ることはないように思います。

「得る」ための「友」ではなく、「認識する」ための「友」が真の友、というのがお釈迦さまの言う「友」であるようです。
「こんなことを感じた」「こんなふうに思った」ということを語り合うことで、重荷を下ろし、楽になり、生きることが楽になる、そういう仲間こそが、お釈迦さまが言う本当の「友」ということになるのでしょう。

そう考えれば、「何かを教えてくれる人」「その人の一言、その人の気づきによって自分が楽になり、幸せになれる人」が、本質的な「友」であることがわかります。
年齢が離れていようが、男女であろうが、関係ありません。

では、「友」と「師匠」はどう違うのかという疑問が生じます。
「教えてくれる」のが「友」であるなら、「師匠」とはどう違うのか。

私が思うに、「友」と「師匠」の根源的な違いは、「一方通行」と「相互通行」の差ではないかと思うのです。
互いに、「こんなことがわかった」「こんなことを知った」と教え合い、語り合うのが、多分「友」なのです。

お釈迦さまは、アーナンダからすれば確かに“師匠”でした。
が、お釈迦さまからは、アーナンダの何気ない一言で多くのことを知り、あるいは気づき、悟りに至っていたのかもしれません。
その意味で、アーナンダは、お釈迦さまにとっての“友”だったかもしれないのです。

『生きる大事・死ぬ大事 死を通して見えてくる幸せな生き方』イースト・プレス

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安岡正篤師の「照心語録」の中にこんな一節がある。
『歳暮になると忘年会がはやるがこの「忘年」とは本来一年の苦労を忘れるという意味ではない。
年齢を忘れるの意で、漢代の大学者孔融(当時50歳)と禰衡(でいこう)(20歳未満)との交わりを、世人が「忘年の交」とよんだ故事による。
だから、忘年会とは老若席を同じくし年齢を忘れて楽しむのが本当だ。』

当時、禰衡は20歳にもならなかったが、並外れて才能があったという。
年は若いが尊敬するに値する人間だからこそ、この交わりがある。

幸せは得るものではなく、気づくものだ。
幸せはどこか遠くにあるものではない。
今ある日常の中に、幸せがあることに気づくこと。
そして、それを気づかせてくれるのが「真の友」。

明末の幻の名著「酔古堂剣掃(すいこどうけんすい)」の中にこんな言葉がある。
「君と一夕話(いっせきわ)、読むに勝(まさ)る十年の書」

一夕話とは、ある晩(ばん)語られた話のこと。
『十年かけて勉強したり、読んだ書より、君と一晩語りつくしたほうがずっといい』。
この人とまた逢いたい、そして一晩語りつくしたい、そう思わせる友や先輩、師が近くにいる人は幸せだ。
その一夕が、珠玉の時間となる。

真の友と一晩語りつくしたい
posted by Dr.モーリィー at 06:13| ちょっと気になる善い言葉 | 更新情報をチェックする

2019年08月08日

No 5261 百人会 恒例の真夏のイベント  名曲の夕べ 2019

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真夏のイベント おいちゃんも所属する 百人会主催

名曲の夕べ 2019

今回で なんと30回目です

今年は 東京芸大 学長の 澤 和樹教授と 
同じく 東京芸大の 多 美智子教授の 共演です

お楽しみに

招待券ご希望の方は 毛利歯科クリニックにも
準備しておりますので ご一報ください
posted by Dr.モーリィー at 23:19| 講演会・イベント情報 | 更新情報をチェックする

No 5260   【自己肯定感と自立】

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おいちゃんのお気に入りブログ【人のこころに灯をともす】からの転載です

【自己肯定感と自立】

平岩国泰氏の心に響く言葉より…



以前、全国の小学生約1000人に「放課後や夏休みにやってみたいことはなんですか?」というアンケート調査をしたところ、上位5位は、次のようなランキングとなりました。
1.サッカー  2.ドッジボール  3.鬼ごっこ  4.なわとび  5.なし
いかがでしょうか?

どこかに違和感を覚えませんか?
そうなんです。
「なし」という答えが5位に入っていたのです。
その回答欄には「やりたいことがない」「わからない」「どうでもいい」などと書いてありました。

親や大人は「子どもだからこそ、新しいことにチャレンジしてほしい」と願っている。
しかし、当の子どもは、チャレンジしようとしない。
そもそも、自分のやりたいことがわからない、考えたことがない。
今の子どもたちにそうした傾向があるとすると、それはなぜなのか?

私は、多くの子どもと保護者たちを見てきた経験から、こうした傾向の根っこには子どもたちの「自己肯定感の低さ」がある、という仮説にたどり着きました。
自己肯定感とはわかりやすく言えば、「自分はここにいていい」という感覚です。
「自分はここにいていい」という感覚を持っている子は、ほうっておいても新しいことに取り組もうとします。
また、失敗してもくじけずに、繰り返しチャレンジしようとします。

一方、「自分はここにいていい」という感覚を十分に持てない子は、新しいことにチャレンジしようとしません。
やる前から「失敗するのではないか」という不安が先立って、やろうとしないのです。

ここで「20年後」に目を向けてみましょう。
子育てや教育の目標とは何かというと、つきつめれば「自律」です。
どんな親や教師も、目の前の子どもが20年後、自分で考え、行動できるようになることを願っているはずです。
それは、20年後その子がビジネスマンになるとしても、スポーツ選手になるとしても、同じです。

やったことのない仕事にチャレンジする。
失敗してもくじけずに、何度でも立ち上がる。
人が自立し、そんなふうに成長し続けるためには、高い自己肯定感が欠かせません。
それは、親元を離れた後の長い長い人生を支える、大きな力となってくれるものだと思います。

過去の国際的な調査によると、日本の子どもの「自己肯定感」は世界の中でも極めて低い、という残念な結果が出ています。
この「自己肯定感の低さ」が、日本人がチャレンジしなくなり、国際社会の中で成長への大きな「壁」になっていると私は考えています。

『子どもの「やってみたい」をぐいぐい引き出す! 「自己肯定感」育成入門』夜間飛行

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自立は、子どもだけでなく、現代の大人にも必要なゴールだ。
たとえば、大人になっても自立できていない人には、「人のせいにする」「被害者意識が強い」「人に依存する」「親離れできない」「自分の意見がない」「責任転嫁する」「自分で決定できない」「自己中心的」等々の性向がある。

また、自己肯定感が低い人は、「自分に自信がなく卑下する」、「他人の評価を気にする」、「物事を素直に受け取れない」、「他人に寛容ではない」、「何事も否定的に捉えやすい」、「失敗を恐れ消極的でチャレンジしない」、「精神的に不安定」、「過去にとらわれやすい」等々だ。
つまり、自分を認め、自分は価値のある人間である、と思えるかどうか。
すると、気持ちに余裕ができ、人にも思いやりの心で接することができ、寛容になれる。
そういう人の周りには人が集まり、人に好かれる。

自立するには、自己肯定感があることが必須だ。
逆に言うなら、自己肯定感が低い人に、自立した人はいない。

自己肯定感を高め、自立した人になりたい
posted by Dr.モーリィー at 07:52| ちょっと気になる善い言葉 | 更新情報をチェックする

2019年08月07日

No 5259   【この世にあるものすべてがコンテンツ】

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【この世にあるものすべてがコンテンツ】

高瀬敦也氏の心に響く言葉より…


私は「この世にあるものすべてがコンテンツである」と考えています。
厳密には「誰かがコンテンツだと思えばコンテンツ」であると思っています。
なぜなら、人からコンテンツだと認識されるかどうかが、コンテンツであるかそうでないかの境界線だと考えているからです。
「それ、コンテンツだよね」と思われた瞬間に、その商品やサービスはコンテンツになります。

世の中に存在するものは、すべて誰かの発明であったり、誰かの想いが詰まっていたりします。
それを生活者に分かりやすい形で伝えたり、感情に訴えかけることで「コンテンツ化」できると考えています。

コンテンツ化をするときのポイントは「どこから見るか、誰から見るか」です。
コンテンツ化の第一歩はここにありますし、ここさえ押さえておけば基本的にすべてのモノをコンテンツにしていくことができます。

以前、『工場萌え』(東京書籍)というフォトブックが話題になりました。
工場好きの方はご覧になったことがあるかもしれません。
この本は工場のダイナミックさと繊細さを紹介し、その魅力を画的な美しさで表現した書籍です。
この本がきっかけとなり、工場群の夜景が多くのメディアで取り上げられていきます。
そして、工場を船で見てまわるクルーズツアーができるなど、工場群がコンテンツとして認識されていきました。

工場で働いている人からしたら、毎日の職場ですから「写真集にしよう」という発想は出てきにくいでしょうし、ましてやコンテンツとしてツアーの対象になっていくとは想像できなかったでしょう。
しかし、工場で働いたことのないその他大勢の人からすると、それは非日常的で、とてもクールに見える可能性があったということです。

個人に置き換えても、同じです。
自分の良いところも悪いところも自分自身では中々分かりません。
でもたまにいますよね。
自分を冷静に見たり、分析することが出来て、その価値も弱点も正しく理解出来る人。
こういう人はどの分野でも活躍されています。

これと同じで、自分たちの住んでいる地域や属性が、外から見たときにどう見えるのか理解できれば、身の回りの物をコンテンツ化していくことができます。
商品になるポイントが分かれば、それを発信するだけでマネタイズにも繋がっていくのです。

『人がうごく コンテンツのつくり方』クロスメディア・パブリッシング

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高瀬氏は「狭める」ことでもコンテンツ化ができるという。(以下本書より)

『例えば、人間には性別がありますね。
そして年齢があります。
赤ちゃんなのか、子供なのか、大人なのか、お年寄りなのだ。
こうやってどんどん細分化していくと、徐々にコンテンツに近づいていきます。
分かりやすいところでは女子高生。
女子高生は年の離れた人からはコンテンツとして認識されています。
また、「JK」と呼称されていたりもします。
こうなると俄然コンテンツのように見えてきます。
この理論を活用して、私自身の属性でもある「おじさん」をコンテンツ化してみましょう。
まず、狭めてみます。
例えば42歳のおとめ座のA型。
横浜市に住んでいる。
独身で背が低くて小太り。
これだけでも随分イメージが沸きます。
ではここにちょっと手を加えてみましょう。
いつもベージュのよれよれのシャツを着ている。
あだ名はシューマイ。
遠くからみるとシューマイみたいに見えるから。
でも、好きな食べ物は海鮮丼。
最近お気に入りの海鮮丼屋をみつけたので通っています。
なんだか愛すべきキャラクターコンテンツに見えてきませんか。
四コマ漫画やフラッシュアニメで存在しそうです。
この世にあるものはすべてコンテンツになる可能性があると言いましたが、どこにでもいるおじさんでも、この本を読んでいるあなた自身もコンテンツ化は可能なのです。
しかし、「シュウマイおじさん」も「JK」も、当事者である自分が、コンテンツであると認識することは難しいのです。』

自分の魅力や特徴を自ら打ち出すことは、どこか気恥ずかしい。
しかし、他の人がそれを「コンテンツ」としてその人の特徴や面白さを引き出すことはできる。
いわゆるプロデューサーの仕事だ。

コンテンツ化をするときのポイントは「どこから見るか、誰から見るか」。
いつも見ているモノを、違った切り口や角度で見ること。

独自な視点で、人がうごく「コンテンツ」を作れる人でありたい
posted by Dr.モーリィー at 21:53| ちょっと気になる善い言葉 | 更新情報をチェックする

No 5258   【コンフォートゾーンから抜け出す】

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【コンフォートゾーンから抜け出す】

リクルート次世代教育研究院院長、東京学芸大学客員准教授、小宮山利恵子氏の心に響く言葉より…



人と同じことをしてマジョリティ(多数派)にいる限り、どうしても勝ち負けはついて回ります。
けれども、人と違う自分の強みを発揮すると、ライバルは圧倒的に少なくなり、競争社会から抜け出せるのです。
「人と違う強み」は「レア力」と言い換えることができます。

ビジネス業界では、マジョリティの世界をレッドオーシャン(競争の激しい領域)、少数派のレア力の高い人が切り拓く世界をブルーオーシャン(競争相手のいない広い海のような領域)と言い表すことがあるので、この言葉を見聞きしたことがある人もいるかもしれません。
レア力とは、文字通り、「rare(きわめて稀なこと、希少なこと)」な能力を意味します。
それは、他の誰の真似でもない自分だけの「好き」を追求しながら、競争のない領域で生きていく力です。
そして今、そのレア力こそが求められている時代になっているのです。

終身雇用制度が崩壊し、インターネットで人と人がつながり、多様性が重視される時代は、「個」で生きていける世界になります。
自分の「好き」を磨き、人の役に立つ情報を発ししている人が注目され、世の中に受け入れられる時代になったのです。
その一方で、従来の会社組織に慣れきってしまい、自分の「好き」を見失ってしまった人も多いのではないでしょうか。
目の前にある仕事をこなすのに精一杯で、自分がやりたいことがわからなくなっている人もいるでしょう。
そういう人は、一度立ち止まって、「今の自分は、自らが望む姿なのだろうか?」と自問してほしいのです。

誰もが子どもの頃に好きだったことや、学生時代に夢中になったことがあるはずです。
そこでまず、自分の「好き」を知るために、興味・関心があることを手あたり次第やってみてください。
その際、心掛けてほしいのは、モノでなく、体験に投資することです。
自分の五感を使い、実際に現場に足を運んで体験して、情報を発信してみるのです。
コミュニティに所属して、人と協同するのもいいでしょう。

体験への投資は、時間がかかりますが無駄にはなりません。
「好き」の種を植える活動を続けていると、どこかでつながってくるものです。
その種の中から、1つでも多くの芽を出すように、学びによって水を与えるのです。
深く掘り下げて学び続けることで、いつか大きな花を咲かせるものが出てくるでしょう。

新しいことを始める場合、「失敗するのではないか」と不安を抱く人もいます。
しかし、たとえ想定外のことが起こっても、それもすべて学びとなるのです。

『レア力で生きる 「競争のない世界」を楽しむための学びの習慣』KADOKAWA

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小宮山氏は、レア力を高めるよい方法は、コンフォートゾーン(居心地のいい楽な場所)から抜け出すことだという。
そうすることで、世の中の「常識」や「普通」のバイアス(偏見)を外すことができ、自分を高めることができるから。
その手っ取り早い方法が、「旅をすること」。
まだ見たことのない世界を旅することであり、日本とはまったく文化の異なる国を体験したほうが学びは多いからだという。
他には、「留学する」、「転職する」、「新たな活動をする」、「副業する」、「外国人と話す」、「人前で話す」、「学ぶ」、「本を読む」、「モノより体験」、「発信する」、「コミュニティに参加する」、「弱いつながりを大事にする」等々だそうだ。

つまり、新たなことをすることであり、初めてのことを楽しむことだ。
冬の炬燵(こたつ)、夏のエアコンのように、居心地のいいところから抜け出すにはちょっとした勇気が要る。
しかし、コンフォートゾーンに留まる限り、「新しいこと」や「初めてのこと」を体験することはできない。

コンフォートゾーンから抜け出し、自らのレア力を高めたい
posted by Dr.モーリィー at 07:22| ちょっと気になる善い言葉 | 更新情報をチェックする

2019年08月05日

No 5257   【レジリエンスの高い人】

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【レジリエンスの高い人】

久世浩司氏の心に響く言葉より…



レジリエンスとは、「逆境や困難、強いストレスに直面したときに、適応する精神力と心理的プロセス」(全米心理学会)と定義づけられる、最近注目を浴びている考えです。
NHKの人気番組である「クローズアップ現代」で、「折れない心の育て方〜『レジリエンス』を知っていますか?」という特集が組まれたことが、幅広い層にレジリエンスが知られるきっかけとなりました。

「世界経済フォーラム」(ダボス会議)では、2013年のテーマとしてレジリエンスが議論されました。
世界的な異常気象と地震・津波などの災害、そしてリーマンショックにより明らかになった金融システムの脆弱さに耐えうる強靭な国家が必要とされたのです。
「変化や危機は避けられないもの」と捉え、「変化に適応できるように自分たちが変わらなくてはいけない」という積極的な姿勢がグルーバルの政界・経済界のトップの主流になりつつあります。
この変化と危機への対応力は、起業でも必要となっています。
とくにリーダーの要件としてレジリエンスが加えられる会社がグローバル企業で増えています。

リーダーにとっては、レジリエンスの重要性は増すばかりです。
ストレスが多く、多忙さも増すばかり。
業界の変化も早くなり、組織改革やコンプライアンス関連の社内ルールの変更など内部での変化も頻繁です。
さらに職場の異動や海外の現地法人への転勤、国内の子会社への出向やスタッフ業務からライン業務への変更など、リーダーは数々の変化にさらされています。
それらの変化に適応していかなくてはいけません。

どのような状況でも仕事の能力を発揮できるレジリエンスの高い人の特徴としては、次の3つが挙げられます。
1つ目が「回復力」です。
逆境や困難に直面しても、すぐに元の状態に戻ることができる、しなやかさを持った心の状態です。
メンタルの強さとも言えるでしょう。

2つ目が「緩衝(かんしょう)力」です。
ストレスや予想外のショックなどの外的な圧力に対しても耐性がある弾力性のある精神です。
打たれ強さということもできます。

3つ目が「適応力」で、予期せぬ変化に抵抗するのではなく、それを受け入れて合理的に対応する力です。
これこそが、変化が頻繁に起きるリーダーにとっては必要不可欠な能力です。

『リーダーのための「レジリエンス」入門 (PHPビジネス新書)』PHPビジネス新書

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西郷隆盛は江戸無血開城の立役者、幕臣の山岡鉄舟を評してこう言ったという。
「徳川公は偉い宝をお持ちだ。
山岡さんという人は、どうのこうのと言葉では言い尽くせぬが、なに分にも腑(ふ)の抜けた人でござる。
金もいらぬ名誉もいらぬ。
命もいらぬといった始末に困る人ですが、あんなに始末に困る人ならでは、お互いに腹を開けて、共に日本の大事を誓い合うわけにはまいりません。
本当に無我無私、大我大欲の人物とは、山岡さんのごとき人でしょう」(感奮語録より)

腑が抜けた人とは、肝(はら)の据わった人と同義だ。
何かことが起こっても、決して慌てることなく、どっしりと構えて行動できる、覚悟を決めることができるということ。
まさにレジリエンス力のある人のこと。

それは、失敗耐性を持っているということでもある。
何度失敗しても、立ち上がる力を持ち、めげないで明るく立ち向かう。

レジリエンスを高めたい
posted by Dr.モーリィー at 05:53| ちょっと気になる善い言葉 | 更新情報をチェックする

2019年08月04日

No 5256   【好きだからやってるだけよ】

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おいちゃんのお気に入りブログ【人のこころに灯をともす】からの転載です

【好きだからやってるだけよ】

脳科学者・中野信子氏の心に響く言葉より…


私は、脳のことをすこしばかり研究したり勉強したりしてくる中で、努力と言うものの本質が持つ、心理的な罠(わな)について気づくことができました。
また、人が持っている能力は、生まれつき持っている才能でどれくらい決まるのか、努力でどれほど変えることができるのかについて、一定の知識を得てきました。
こうした知識を持って、世の中を見てみると、じつに無意味な努力を重ねさせられ、そのうえに搾取されてしまっている人が多いことがわかるのです。
本当は、声を上げるべきなのに、すべて自分のせいにしてしまう。

それを美しいという人もいるでしょう。
声を上げないのは日本人の美徳だという人もいます。
でも、本人は苦しい。

見栄を張るためとか、周りの人に自分の存在意義を認めてもらうだとか、自分で自分に言い訳するための努力はもうやめにしませんか。
こんなことを続けていれば、いつまで経ってもあなたの人生は、あなたから搾取したい誰か他人の思惑に左右されてしまいます。

先日、「ホンマでっか!?TV」でお世話になっている明石家さんまさんが、「努力は報われると思う人はダメですね」とおっしゃったということが話題になりました。
私は、さんまさんの意見に全面的に賛成です。
もちろん、さんまさんが努力されていない、ということではありません。
収録のときにはいつも感じるのですが、さんまさんは本当にプロ意識の高い方なのです。

たとえば、専門家たちがこれまでにコメントした学術的な内容はほとんど記憶されていますし、他局の番組での内容を、「ホンマでっか!?TV」の内容と混同されることも一切ありません。
そして、さんまさんが次々と繰り出す言葉が笑いの渦を起こすときは、まるでレベルの高いサッカー選手が、小気味よくシュートを決める瞬間を見るかのようです。
さんまさんが持っているこうした力を、努力の賜物と呼ぶか、才能と呼ぶべきなのか?

少なくとも、さんまさんご自身はこのお仕事をとても楽しんでいらして、そのための努力を苦痛とは感じないのでしょう。
見返りを期待して、楽しくもないのに苦痛を伴う努力を重ね、恨みをため込むくらいなら、やめたほうがいい…。
そんなさんまさんのアドバイスは、努力というものの本質をついています。
話題となった、努力についての記事を、一部引用してみましょう。

さんまさんの発言があったのは、2014年6月7日放送の「MBSヤングタウン土曜日」(MBSラジオ)でのことだ。
有名人の「名言」や「珍言」をリスナーがメールで紹介する「名言珍言ゆとっtter」というコーナーで、この日ゲストだったアイドルグループ「アップアップガールズ」の佐藤綾乃さんがインタビューで言っていたという、こんな話が紹介された。
「努力は必ず報われる。その言葉、最初は信じなかったんですよ。そんなこと言っても、本当に努力を見てくれてるのかよって。でも、自分の経験上、努力をしていれば必ず誰かが見てくれていて、報われることがわかりました」

これに対しさんまさんは、「それは早くやめた方がぇぇね、この考え方は」とバッサリ。
佐藤さんやレギュラーメンバーのモーニング娘。
道重さゆみさんが驚いていると、「努力は報われると思う人はダメですね。努力を努力だと思っている人は大体間違い」と持論を展開した。

「好きだからやってるだけよ、で終わっといたほうがぇぇね。
これが報われるんだと思うと良くない。
こんだけ努力しているんい何でってなると腹が立つやろ。
人は見返り求めるとろくなことないからね。
見返りなしでできる人が一番素敵な人やね」

『努力不要論――脳科学が解く! 「がんばってるのに報われない」と思ったら読む本』フォレスト出版

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本田静六氏は「成功するために必要なシンプルな話をしよう(知的生き方文庫)」の中で、こんなことを語っている。
『人生の最大幸福はその職業の道楽化にある。
富も名誉も美衣美食も、職業道楽の愉快さには遠く及ばない。
職業の道楽化とは、学者のいう職業の芸術化、趣味化、遊戯化、スポーツ化もしくは享楽(きょうらく)化、であって、私はこれを手っ取り早く道楽化と称する。
名人と仰がれる画家、彫刻家、音楽家、作家などが、その職業を苦労としないで、楽しみに道楽としてやっているのと同様に、すべての人がおのおのその職業を、その仕事を道楽にするということである。』

本田静六氏(1952年没)は、日本のバフェットとも呼ばれる投資家でありながら、東大の教授であり、日本最初の林学博士であった。
貧しい家の出身であったが、苦学して資産を築き、60歳で退官するときに、匿名で当時の金で100億円以上を寄付したと言われる。

職業を道楽化している人は、自分が努力をしているとは思わない。
苦労も、努力もしないで、楽しみや道楽として仕事をする。
そういう境地になった人は、ますます成功する。

反対に、「努力しなければならない」という「ねばならぬ」状態で仕事をしている人は、苦しくなる。
どんな仕事に対しても…
「好きだからやってるだけよ」と淡々という人には限りない魅力がある
posted by Dr.モーリィー at 19:25| ちょっと気になる善い言葉 | 更新情報をチェックする