2009年07月04日
2009年07月02日
No 634 祝71000アクセス突破
昨日、毛利歯科クリニック ホームページが
http://www.mouri-dc.com/
71000アクセスを 突破いたしました
ありがとうございます、感謝いたします
今後も 微力ながら 皆様の役に立つ情報を
発信できる HP作りに 励みたいと思います
今後とも よろしくお願いいたします
毛利歯科クリニック スタッフ一同


http://www.mouri-dc.com/
71000アクセスを 突破いたしました
ありがとうございます、感謝いたします
今後も 微力ながら 皆様の役に立つ情報を
発信できる HP作りに 励みたいと思います
今後とも よろしくお願いいたします
毛利歯科クリニック スタッフ一同
No 633 ご縁塾 情報
ご縁塾の 仕掛け人 心友コーエンからの情報です
Mixi日記から)
突然ですが、私は「中村文昭」が大好きです
別に恋をしているわけじゃないですよ
(男の子よりも女の子のほうが好きですし……)
人間として好きなんやね。
あのテキトウさも、あの熱さも、あの単純さも、あの男気も
憎めないところも、ヤツのポイントでしょう
「仕事を辞めようかな…」
ある日のこと。東京から仙台の講演会場へと向かう道すがら、
そんなことばかりを考えていた自分がいました。
ところが、
金魚すくいのおっちゃんみたいな格好をした中村文昭は、
舞台のうえで、こんな話をしてくれたんですね。
「仕事」と「作業」の違いとは?
知っている人も多いと思います
美容師さんを例えた話。
美容師さんは、カットする技術をもっているわけですから、
お客様の髪を切るまでは「仕事」とは言いません。
切れて当たり前。それは「作業」の範ちゅうである、と。
お客様がカット後の自分を鏡で見ながら、
「いや〜。これが私? 見違えるみたい
ありがとうございます! 気分が変わるわぁ〜」
予測を上回って感動が生じたとき、
初めて「作業」が「仕事」になる――。そんな話。
帰路に着いた東北新幹線の車中、
なぜだか悔しいけれど、泣けて泣けて仕方なかったわけ
「オレは、“仕事”をしていただろうか?
“作業”で満足していなかったか?」
中村文昭の2代目担当編集者を決意した瞬間でした
『人生の「師匠」をつくれ!』という本を皮切りに、
『DVD人生の「師匠」をつくれ!』
『CD中村文昭のみるみる元気がわいてくる!』シリーズ、
極めつけは、このような伝説の連続私塾まで企画……
『中村文昭と学ぶ「人のご縁」塾』
http://www.sunmark.co.jp/seminar/20080920/index.html
「ご縁塾」を卒業した塾生たちとはいまだにつながり、
というか「一生のお付き合い」を約束しあい、
それぞれが活躍する現場を超え、
支え合い、励まし合い、心の交流が続いています。
中村文昭は現代の「語り部」の1人だと、
私は確信しています。
「語り部」とは、大切なことを口承で広げていく人です。
そんな文昭さんと始めた、
「ポッドキャストでみるみる元気がわいてくる!」
http://www.sunmark.co.jp/podcast/fumiaki/
あっという間に、
リスナーは2万人を超えました
そしてそして、さらにリスナーを増やすべく、
写真のような名刺大の「PRカード」をつくりました。
(写真をクリックしてください。拡大で見られます)
これを機に「みる元ファミリー」を発足します
「PRカード」を配布してくださる人が、
そのまま会員資格となります
「みる元ファミリーに入ります」
というタイトルで以下までメールをください!
必要事項はお忘れなく
seminar@sunmark.co.jp
●氏名
●ご住所
●連絡先
●メールアドレス
●「PRカード」の必要枚数
※お1人100枚以上300枚未満まで対応します
おってサンマーク出版より、
「PRカード」とファミリーの会員証を送ります
入会金? そんなものいただきません
「心意気」だけ、しっかりご用意ください
※お問い合せは、サンマーク出版まで。
(クロフネカンパニーではありません)
注)おいちゃんは 早速申し込みました

Mixi日記から)
突然ですが、私は「中村文昭」が大好きです
別に恋をしているわけじゃないですよ
(男の子よりも女の子のほうが好きですし……)
人間として好きなんやね。
あのテキトウさも、あの熱さも、あの単純さも、あの男気も
憎めないところも、ヤツのポイントでしょう
「仕事を辞めようかな…」
ある日のこと。東京から仙台の講演会場へと向かう道すがら、
そんなことばかりを考えていた自分がいました。
ところが、
金魚すくいのおっちゃんみたいな格好をした中村文昭は、
舞台のうえで、こんな話をしてくれたんですね。
「仕事」と「作業」の違いとは?
知っている人も多いと思います
美容師さんを例えた話。
美容師さんは、カットする技術をもっているわけですから、
お客様の髪を切るまでは「仕事」とは言いません。
切れて当たり前。それは「作業」の範ちゅうである、と。
お客様がカット後の自分を鏡で見ながら、
「いや〜。これが私? 見違えるみたい
ありがとうございます! 気分が変わるわぁ〜」
予測を上回って感動が生じたとき、
初めて「作業」が「仕事」になる――。そんな話。
帰路に着いた東北新幹線の車中、
なぜだか悔しいけれど、泣けて泣けて仕方なかったわけ
「オレは、“仕事”をしていただろうか?
“作業”で満足していなかったか?」
中村文昭の2代目担当編集者を決意した瞬間でした
『人生の「師匠」をつくれ!』という本を皮切りに、
『DVD人生の「師匠」をつくれ!』
『CD中村文昭のみるみる元気がわいてくる!』シリーズ、
極めつけは、このような伝説の連続私塾まで企画……
『中村文昭と学ぶ「人のご縁」塾』
http://www.sunmark.co.jp/seminar/20080920/index.html
「ご縁塾」を卒業した塾生たちとはいまだにつながり、
というか「一生のお付き合い」を約束しあい、
それぞれが活躍する現場を超え、
支え合い、励まし合い、心の交流が続いています。
中村文昭は現代の「語り部」の1人だと、
私は確信しています。
「語り部」とは、大切なことを口承で広げていく人です。
そんな文昭さんと始めた、
「ポッドキャストでみるみる元気がわいてくる!」
http://www.sunmark.co.jp/podcast/fumiaki/
あっという間に、
リスナーは2万人を超えました
そしてそして、さらにリスナーを増やすべく、
写真のような名刺大の「PRカード」をつくりました。
(写真をクリックしてください。拡大で見られます)
これを機に「みる元ファミリー」を発足します
「PRカード」を配布してくださる人が、
そのまま会員資格となります
「みる元ファミリーに入ります」
というタイトルで以下までメールをください!
必要事項はお忘れなく
seminar@sunmark.co.jp
●氏名
●ご住所
●連絡先
●メールアドレス
●「PRカード」の必要枚数
※お1人100枚以上300枚未満まで対応します
おってサンマーク出版より、
「PRカード」とファミリーの会員証を送ります
入会金? そんなものいただきません
「心意気」だけ、しっかりご用意ください
※お問い合せは、サンマーク出版まで。
(クロフネカンパニーではありません)
注)おいちゃんは 早速申し込みました
No 632 シンクロニシティ
先日 昼休みを利用して 最福寺に 所用で出かけたとき
少林寺拳法の 兄弟子で 事業家でもあり超多才な大将
堂グループの 社長・大将の 中堂園先輩夫妻と 最福寺の境内でばったり
相変わらず ダンディでした
そこで 本日 昼休みに 中央駅 近くにある
堂グループ 3番目の お店
幕末酒場 薩摩食堂 南洲庵 http://misoyadou.com/nansyuan.aspx に
行ってきました
名物店長もいらっしゃって いろんな話ができて
充実した時間が 楽しめました わくわく
またまた ご縁の拡がりを感じています

店内には 店長の こだわりの品々が
おいちゃんに びんびん 訴えてくる品ばかり

今日は 極みミソラーメンと 塩ラーメンを 堪能しました

本当に いつ食べても おいしい お薦めです

名物店長の ブログ
侍日記 (ブログ) http://nansyuan.blog.drecom.jp/
堂グループの 騎射場本店
先日 火曜日 スタッフ4人が 仕事帰りに 寄ったと話していた

http://misoyadou.com/default.aspx
大将の ブログ
大将日記 http://misoyadou.blog.drecom.jp/
みそや・堂のブログです。
お店の話題だけでなく、全国物産展等への出店状況も掲載中!
大将は 薩州麺業連絡協議会の理事長も兼務されている
どこまでも でっかい 人間力のひとだ
ご縁に感謝・大感謝

追伸)
店を出て ぶらっと歩いていると
あれっ 少林寺拳法の 四元道院長

部下と一緒に お仕事中でした
挨拶・挨拶 合掌礼
帰りに 久しぶりに 西駅一番外を歩いていると
興味をそそるお店が多い
ついつい 衝動買い たまには いいじゃないですか
気に入った お店の1つ
男のきもの 「富洋」

少林寺拳法の 兄弟子で 事業家でもあり超多才な大将
堂グループの 社長・大将の 中堂園先輩夫妻と 最福寺の境内でばったり
相変わらず ダンディでした
そこで 本日 昼休みに 中央駅 近くにある
堂グループ 3番目の お店
幕末酒場 薩摩食堂 南洲庵 http://misoyadou.com/nansyuan.aspx に
行ってきました
名物店長もいらっしゃって いろんな話ができて
充実した時間が 楽しめました わくわく
またまた ご縁の拡がりを感じています
店内には 店長の こだわりの品々が
おいちゃんに びんびん 訴えてくる品ばかり
今日は 極みミソラーメンと 塩ラーメンを 堪能しました
本当に いつ食べても おいしい お薦めです
名物店長の ブログ
侍日記 (ブログ) http://nansyuan.blog.drecom.jp/
堂グループの 騎射場本店
先日 火曜日 スタッフ4人が 仕事帰りに 寄ったと話していた
http://misoyadou.com/default.aspx
大将の ブログ
大将日記 http://misoyadou.blog.drecom.jp/
みそや・堂のブログです。
お店の話題だけでなく、全国物産展等への出店状況も掲載中!
大将は 薩州麺業連絡協議会の理事長も兼務されている
どこまでも でっかい 人間力のひとだ
ご縁に感謝・大感謝
追伸)
店を出て ぶらっと歩いていると
あれっ 少林寺拳法の 四元道院長
部下と一緒に お仕事中でした
挨拶・挨拶 合掌礼
帰りに 久しぶりに 西駅一番外を歩いていると
興味をそそるお店が多い
ついつい 衝動買い たまには いいじゃないですか
気に入った お店の1つ
男のきもの 「富洋」
2009年07月01日
No.631 中村文昭さん講演会
祈りの旅日記を 少しだけ中断して 中休み、中休み
祈りの旅は まだまだ続きますよ
昨日 我らご縁塾の塾長 中村文昭さんが 鹿児島で講演されるとの事で
ご縁塾の仲間・心友 3人と また 毛利歯科関係者20名弱で 講演会に行ってきました

毎週1回開催するミーティングを 急遽変更して 院外研修へ
2時間ほど 休診にして みんなで お勉強
やはり 文昭塾長の パワーはスゴイ
2時間超の 講演会の間中 笑いっぱなし、感動の渦
すごい・スゴイ みんなが 元気になる
やはり 多くの人に 聞いてもらいたい講演会ですね
Team 395○ でも 講演会を企画いたします
予定の関係で 来年になるとは思いますが・・・
規模は 小さくするかもしれませんが・・・
くびを長ーーくして お楽しみに

おいちゃんも 塾長と いろんな話がしたかったのですが
開演前に 少しだけ 挨拶し 終了後は 診療に向けて
帰ったため 時間がなく 次のお楽しみにと・・・
中村文昭 HP http://www.kurofunet.com/fn/
耕せにっぽん HP http://tagayase.com/
「やればできる、動けば変わる」
肝に銘じます


祈りの旅は まだまだ続きますよ
昨日 我らご縁塾の塾長 中村文昭さんが 鹿児島で講演されるとの事で
ご縁塾の仲間・心友 3人と また 毛利歯科関係者20名弱で 講演会に行ってきました
毎週1回開催するミーティングを 急遽変更して 院外研修へ
2時間ほど 休診にして みんなで お勉強
やはり 文昭塾長の パワーはスゴイ
2時間超の 講演会の間中 笑いっぱなし、感動の渦
すごい・スゴイ みんなが 元気になる
やはり 多くの人に 聞いてもらいたい講演会ですね
Team 395○ でも 講演会を企画いたします
予定の関係で 来年になるとは思いますが・・・
規模は 小さくするかもしれませんが・・・
くびを長ーーくして お楽しみに
おいちゃんも 塾長と いろんな話がしたかったのですが
開演前に 少しだけ 挨拶し 終了後は 診療に向けて
帰ったため 時間がなく 次のお楽しみにと・・・
中村文昭 HP http://www.kurofunet.com/fn/
耕せにっぽん HP http://tagayase.com/
「やればできる、動けば変わる」
肝に銘じます
2009年06月29日
No 630 祈りの旅 E 慈尊院編
おいちゃん 高野山の旅の 目的のひとつに
慈尊院に 参拝するというのがありました
というのも おいちゃんの 毛利歯科クリニック
平成6年に開業して 平成14年10月に 医療法人化しましたが
医療法人名 「慈尊幸徳会」の 名前の由来が 慈尊院からきているからです
よく宗教法人みたいな名前ですね 聞かれますが 半分当たっています ははは
後ろの 幸徳は 親父の名前から 幸、御袋の名前から 徳です



慈尊院 (ガイドブックによると)
弘仁7年(816年)、空海(弘法大師)が嵯峨天皇から高野山の地を賜った際に、高野山参詣の要所に当たるこの九度山の雨引山麓に、高野山への表玄関として伽藍を創建し、高野山一山の庶務を司る政所(寺務所)を置き、高野山への宿所ならびに冬期避寒修行の場とした。
高齢となった玉依御前(空海の母)は、讃岐国多度郡(現:香川県善通寺市)から息子の空海が開いた高野山を一目見ようとやって来たが、当時高野山内は7里四方が女人禁制となっていたため、麓にあるこの政所に滞在し、本尊の弥勒菩薩を篤く信仰していた。
空海はひと月に9度(正確に9度というわけではなく、それだけ頻繁にということの例えだと言われている)は必ず20数kmに及ぶ山道(高野山町石道)を下って政所の母を訪ねてきたので、この辺りに「九度山」という地名が付けられた。
空海の母は承和2年(835年)2月5日に死去したが、そのとき空海は弥勒菩薩の霊夢を見たので、廟堂を建立し自作の弥勒菩薩像と母公の霊を祀ったという。
弥勒菩薩の別名を「慈尊」と呼ぶことから、この政所が慈尊院と呼ばれるようになった。
空海の母がこの弥勒菩薩を熱心に信仰していたため、入滅(死去)して本尊に化身したという信仰が盛んになり、慈尊院は女人結縁の寺として知られるようになり、女人の高野山参りはここということで「女人高野」とも呼ばれている。
以上 ガイドブックから


また この慈尊院から金剛峰寺大門への 19キロの道歩き(約6時間)が 正式な 参拝道らしい
次は 必ずここを登ろうと 決意するおいちゃんです
この町石道(ちょういしみち)、一町(約109M)ごとに建つ 石造五輪塔形の町石は、空海が木造の卒塔婆を建て道標としたことに始まるとも伝える。
山内の壇上伽藍にある一町石を起点に山麓側の慈尊院へ180町石、奥の院側へ36町石が置かれ、真言密教の 胎蔵界180尊、金剛界37尊の仏を表しているそうです
つまり梵字が刻まれた町石そのものが既に信仰の対象となっているらしい、悟りと癒しを求め高野山を目指して各地から参拝に訪れた人々は空海が開いたこの道に辿り着き、梵字が刻まれた町石の一つ一つに祈りを捧げて、自分の足で一歩ずつ踏みしめながら歩くことはまさに浄土世界に向かう祈りの道であり、信仰の道であったらしい
高野山の案内犬ゴン
弘法大師像と案内犬ゴンの碑
昭和60年代(1985年 - 1988年)に、九度山駅と慈尊院を結ぶ途中にある丹生橋の近くに住みついていた紀州犬と柴犬の雑種である白い雄の野良犬が、やがて慈尊院や高野山の参詣者・ハイキング客を案内するようになった。
慈尊院から聞こえる鐘の音を好んでいたため、いつしかこの野良犬は「ゴン」と呼ばれるようになった。
最初の頃は九度山駅と慈尊院の間を案内するだけだったが、平成元年(1989年)頃から慈尊院をネグラとして、高野山町石道の20km強の道のりを朝、慈尊院を発って、夕方に高野山上の大門まで道案内し、夜には慈尊院に戻る毎日を送っていた。
しかし長く険しい山道を連日のように歩き続けたため、体力的・年齢的にも相当の負担がかかったようで、平成4年(1992年)をもってガイド犬を引退し、その後老衰のため、平成14年(2002年)6月5日午後3時50分に息を引き取った。
約1200年前の弘法大師の時代にも高野山の案内犬がいたという伝説があり(金剛峯寺#開創伝承も参照)、このゴンは「弘法大師の案内犬の再来・生まれ変わり」などと呼ばれ親しまれていたこともあって、同年7月23日に慈尊院住職の計らいで境内の弘法大師像の横に、ゴンの石像が載せられた「高野山案内犬ゴンの碑」が建てられた。
追伸)
@ 慈尊院のご本尊、弥勒仏は
「子授け・安産・子育て・縁結び」など、女性の信仰を集めているらしい
最近 毛利歯科も 妊娠・出産・結婚の おめでたいことが続いているが これも 仏縁なのか
慈尊院の絵馬は 乳房型の 絵馬でした

Aおいちゃんのクリニック・自宅・事務所には
榎木孝明さんの 絵・版画が たくさんありますが
その中のお気に入りのひとつに
慈尊院の絵があります
「旅たちの朝」

B 高野山の散策が一段落して 午後3時、
6時の夕食には間に合うだろうと ケーブルカーにて
九度山を目指す
九度山から 歩くこと25分弱 憧れの 慈尊院
急いで参拝したのに 夕食に 一時間遅れました
懺悔、懺悔 申し訳ありませんでした
慈尊院に 参拝するというのがありました
というのも おいちゃんの 毛利歯科クリニック
平成6年に開業して 平成14年10月に 医療法人化しましたが
医療法人名 「慈尊幸徳会」の 名前の由来が 慈尊院からきているからです
よく宗教法人みたいな名前ですね 聞かれますが 半分当たっています ははは
後ろの 幸徳は 親父の名前から 幸、御袋の名前から 徳です
慈尊院 (ガイドブックによると)
弘仁7年(816年)、空海(弘法大師)が嵯峨天皇から高野山の地を賜った際に、高野山参詣の要所に当たるこの九度山の雨引山麓に、高野山への表玄関として伽藍を創建し、高野山一山の庶務を司る政所(寺務所)を置き、高野山への宿所ならびに冬期避寒修行の場とした。
高齢となった玉依御前(空海の母)は、讃岐国多度郡(現:香川県善通寺市)から息子の空海が開いた高野山を一目見ようとやって来たが、当時高野山内は7里四方が女人禁制となっていたため、麓にあるこの政所に滞在し、本尊の弥勒菩薩を篤く信仰していた。
空海はひと月に9度(正確に9度というわけではなく、それだけ頻繁にということの例えだと言われている)は必ず20数kmに及ぶ山道(高野山町石道)を下って政所の母を訪ねてきたので、この辺りに「九度山」という地名が付けられた。
空海の母は承和2年(835年)2月5日に死去したが、そのとき空海は弥勒菩薩の霊夢を見たので、廟堂を建立し自作の弥勒菩薩像と母公の霊を祀ったという。
弥勒菩薩の別名を「慈尊」と呼ぶことから、この政所が慈尊院と呼ばれるようになった。
空海の母がこの弥勒菩薩を熱心に信仰していたため、入滅(死去)して本尊に化身したという信仰が盛んになり、慈尊院は女人結縁の寺として知られるようになり、女人の高野山参りはここということで「女人高野」とも呼ばれている。
以上 ガイドブックから
また この慈尊院から金剛峰寺大門への 19キロの道歩き(約6時間)が 正式な 参拝道らしい
次は 必ずここを登ろうと 決意するおいちゃんです
この町石道(ちょういしみち)、一町(約109M)ごとに建つ 石造五輪塔形の町石は、空海が木造の卒塔婆を建て道標としたことに始まるとも伝える。
山内の壇上伽藍にある一町石を起点に山麓側の慈尊院へ180町石、奥の院側へ36町石が置かれ、真言密教の 胎蔵界180尊、金剛界37尊の仏を表しているそうです
つまり梵字が刻まれた町石そのものが既に信仰の対象となっているらしい、悟りと癒しを求め高野山を目指して各地から参拝に訪れた人々は空海が開いたこの道に辿り着き、梵字が刻まれた町石の一つ一つに祈りを捧げて、自分の足で一歩ずつ踏みしめながら歩くことはまさに浄土世界に向かう祈りの道であり、信仰の道であったらしい
高野山の案内犬ゴン
弘法大師像と案内犬ゴンの碑
昭和60年代(1985年 - 1988年)に、九度山駅と慈尊院を結ぶ途中にある丹生橋の近くに住みついていた紀州犬と柴犬の雑種である白い雄の野良犬が、やがて慈尊院や高野山の参詣者・ハイキング客を案内するようになった。
慈尊院から聞こえる鐘の音を好んでいたため、いつしかこの野良犬は「ゴン」と呼ばれるようになった。
最初の頃は九度山駅と慈尊院の間を案内するだけだったが、平成元年(1989年)頃から慈尊院をネグラとして、高野山町石道の20km強の道のりを朝、慈尊院を発って、夕方に高野山上の大門まで道案内し、夜には慈尊院に戻る毎日を送っていた。
しかし長く険しい山道を連日のように歩き続けたため、体力的・年齢的にも相当の負担がかかったようで、平成4年(1992年)をもってガイド犬を引退し、その後老衰のため、平成14年(2002年)6月5日午後3時50分に息を引き取った。
約1200年前の弘法大師の時代にも高野山の案内犬がいたという伝説があり(金剛峯寺#開創伝承も参照)、このゴンは「弘法大師の案内犬の再来・生まれ変わり」などと呼ばれ親しまれていたこともあって、同年7月23日に慈尊院住職の計らいで境内の弘法大師像の横に、ゴンの石像が載せられた「高野山案内犬ゴンの碑」が建てられた。
追伸)
@ 慈尊院のご本尊、弥勒仏は
「子授け・安産・子育て・縁結び」など、女性の信仰を集めているらしい
最近 毛利歯科も 妊娠・出産・結婚の おめでたいことが続いているが これも 仏縁なのか
慈尊院の絵馬は 乳房型の 絵馬でした
Aおいちゃんのクリニック・自宅・事務所には
榎木孝明さんの 絵・版画が たくさんありますが
その中のお気に入りのひとつに
慈尊院の絵があります
「旅たちの朝」
B 高野山の散策が一段落して 午後3時、
6時の夕食には間に合うだろうと ケーブルカーにて
九度山を目指す
九度山から 歩くこと25分弱 憧れの 慈尊院
急いで参拝したのに 夕食に 一時間遅れました
懺悔、懺悔 申し訳ありませんでした
2009年06月28日
No 629 祈りの旅D 高野山観光
大門 (お薦め度 ☆☆☆☆)
高野山の総門であり、ここから聖域に入るという結界のシンボル
法橋運長作の金剛力士を左右に配した、重層建築の山門。
現在の建物は宝永2年(1705)に再建されたもの。
晴れた日には淡路島や紀淡海峡が遠望できます。
(重要文化財)
壇上伽藍・根本大塔 (お薦め度 ☆☆☆☆☆)
真言密教の根本道場として創建された高野山の中心となるのが壇上伽藍であり、その中心に真言密教のシンボルとして威容を誇るのが、高さ48.5mの根本大塔です。
高野山を開いた弘法大師が最初に着手された建物です。
三鈷の松(さんこのまつ)
伽藍、御影堂の前にある松の木で、「三鈷の松」と呼ばれています。
弘法大師が唐(中国)の国へ渡って、明州の港からの帰国の際、師の恵果和尚から贈られた密教法具の一種である「三鈷杵」を東の空に向けて投げました。
時に、大同元年(806)であったといいます。投げたわけは、「わたしが漏らすことなく受け継いだ密教を広めるのにふさわしい地へ行くように・・」という願いが込められていました。
帰国後、その三鈷杵を探し求めていると、弘仁7年(816)頃、高野山の松の木にかかっているということが分かったというのです。
そうしたことによって、高野山の地が真言密教の道場として開かれるようになり、この松を「三鈷の松」と言うようになりました。
また、通常、松の葉は2本なのですが、この松は3本あります。
三鈷杵の先(鈷部)が中鈷・脇鈷と三つに分かれていることから、その形とあわせて 「三鈷の松」とも呼ばれているようです
霊宝館 (お薦め度 ☆☆☆☆)
1200年の歴史を持つ高野山に残る国宝、重文、県文化財や貴重な資料を保管し公開する、いわば博物館の役割を果たしています
現在は 7月12日まで
「ほとけの持ち物と密教法具」を開催していました
必見です
大師教会
高野山真言宗の布教、御詠歌、宗教舞踊等の総本部で、各種研修会や講習会が開催されています。
大講堂は大正14年(1925年)、高野山開創1100年記念として建立され、本尊には弘法大師、脇仏に愛染明王と不動明王が奉安されています。
おいちゃんたちは 金剛峰寺、霊宝館、大師教会、徳川家霊台、金堂、大塔の 共通内拝券を購入しましたので 700円お得でした
また高野山大師教会では 「菩薩十善戒」の儀式も受けました
大講堂の奥には授戒堂があり、菩薩十善戒(日常の生活の中で実践する仏教的規範)を阿闍梨さまよりお授けいただきました
ただ 暗い中でしたので おいちゃん 階段の段差がわからず 危うく転びそうになりました
ここでも 最福寺の信者さんと 不思議な再会をしました
30名ほどの団体さん 2組と一緒に受けたのですが
おいちゃんもその団体の代表と同列に 授戒 ありがたや ありがたや
金剛峯寺
昔、金剛峯寺とは高野山の総称でしたが、豊臣秀吉が亡母追善の為に建立した、青巌寺の寺号を明治元年に金剛峯寺と改めました。
高野山真言宗の総本山で全国3600に及ぶ末寺の宗務を執っています
歴史に名を残す絵師の筆による豪華な襖絵で飾られた部屋や、豪壮な台所の他、秀次切腹の間など拝観できます
奥の院 (お薦め度 ☆☆☆☆☆)
撮影禁止の為 写真はありません あしからず
是非一度 ゆっくり お参りしてください
御 廟(ごびょう)
弘法大師入定の地であり今も大師がおられる大師信仰の中心となる真言宗最高の聖地です。
ここでは、毎日大師の食事が運ばれ、年に一度、御衣替えが行われます。
参道
一の橋から御廟まで 約2キロの参道には何百年も経た老杉がそびえます
木々の間には武将から庶民まで20万基を越す墓碑が並び、高野信仰の厚さをうかがわせます
苅萱堂
苅萱道心と石童丸が父子を名乗らないまま仏道修行に明け暮れたという伝説ゆかりのお堂です。
「石童丸物語」は高野聖によって全国津々浦々で語られ、堂内にはこの物語を絵にした額がいくつも掛けられています。
はじめは 高野山内1日フリー乗車券で バスを利用しようと考えていたのですが
運動不足の解消も兼ねて 歩こうと 高野山は 十分歩きでいけますね
2日目は 歩きすぎて 足がパンパンになりましたが・・・
なんせ 作務衣に雪駄の 格好ですから・・・
高野山らしい風景もどうぞ
No 628 祈りの旅 C 高野山 番外編
番外編)
ながーーい旅だったので 高野山についてすぐ目指したのは コインランドリーー
ははは
そこでも 地元の方と知り合いになり 高野山のことなどを いろいろ教えていただいた 感謝・大感謝
高野山大学でも 生涯学習講座や 夏季特別講座・公開講座などがあると



おいちゃん興味は とてもあるのですが・・・行きたいなあ
またおいちゃん 高野山では 作務衣、雪駄という いでたちだったので 周りの方は 修行僧と思っていたようです
普段は びっくりした目で見つめられたり 興味を示されたりするのですが 高野山では 皆さん見慣れた格好なのでしょう おいちゃんすこぶる過ごしやすい 高野山で 歯医者しようかな ははは
また高野山は お坊さんに優しい街です
おいちゃん いろんな買い物をしたのですが なんか安いなと思っていました ははは 割引されていました
お坊さん特別割引制度みたいなのがあるみたいです???
ま いいじゃないですか ははは
半分は お坊さんみたいなものだから
おいちゃん確かに 高野山は はじめてなのですが
バス専用道路の景色だったり 上池院の部屋の中、 中庭の景色、 更には 慈尊院の近くの 橋近くの風景
夢の中で見た風景なのか デジャブーか 鳥肌ものの 体験が続きました



摩訶不思議
ながーーい旅だったので 高野山についてすぐ目指したのは コインランドリーー
そこでも 地元の方と知り合いになり 高野山のことなどを いろいろ教えていただいた 感謝・大感謝
高野山大学でも 生涯学習講座や 夏季特別講座・公開講座などがあると
おいちゃん興味は とてもあるのですが・・・行きたいなあ
またおいちゃん 高野山では 作務衣、雪駄という いでたちだったので 周りの方は 修行僧と思っていたようです
普段は びっくりした目で見つめられたり 興味を示されたりするのですが 高野山では 皆さん見慣れた格好なのでしょう おいちゃんすこぶる過ごしやすい 高野山で 歯医者しようかな ははは
また高野山は お坊さんに優しい街です
おいちゃん いろんな買い物をしたのですが なんか安いなと思っていました ははは 割引されていました
お坊さん特別割引制度みたいなのがあるみたいです???
ま いいじゃないですか ははは
半分は お坊さんみたいなものだから
おいちゃん確かに 高野山は はじめてなのですが
バス専用道路の景色だったり 上池院の部屋の中、 中庭の景色、 更には 慈尊院の近くの 橋近くの風景
夢の中で見た風景なのか デジャブーか 鳥肌ものの 体験が続きました
摩訶不思議
2009年06月27日
No 627 祈りの旅 B 高野山編
次なる目的地 聖地 高野山に向けて 出発です
伊勢と高野山 地図で見ると近いのですが交通手段が なかなか難しい
レンタカー、バス、電車、ヒッチハイクなど
シミュレーションをしてみると なかなか 大変だぞ
今回は 電車の旅を選択

伊勢からは 近鉄で大和高田まで特急、
徒歩でJR高田駅まで歩き、橋本までJR
車窓からの景色が のんびりして 気持ちが良い
橋本から極楽橋までは南海高野線、
極楽橋から高野山までは 高野山ケーブル
いやーー楽しかった



紀伊山地の霊場と参詣道(きいさんちのれいじょうとさんけいみち)は、和歌山県・奈良県・三重県にまたがる3つの霊場と参詣道(熊野参詣道、大峯奥駈道、高野山町石道)を登録対象とする世界遺産(文化遺産)として2004年7月7日に登録されました
熊野古道や 吉野 天河神社など おいちゃんに びんびん 迫ってくる 地名ばかり
今回は時間の都合で割愛したが いつかはぜひとも訪れたい場所である
おいちゃんは 世界自然遺産の島 屋久島で 生まれ育ったからかもなのか
ははは
高野山とは、(ガイドブックより)
今より1,150余年前の弘仁七年、弘法大師・空海は時の帝、
嵯峨天皇に高野山を賜り、
同八年諸弟子を伴い登嶺されて七里四方を結界しました。
その後、丹生、高野の両明神を勧請し、
荒野を拓き、金堂をはじめ諸堂を建立されました。
大師御入定後、大師の意志を継ぎ、
高弟の真然大徳が二代山主となられます。
伽藍堂塔の建造も進み、これら一切を称して金剛峯寺と号しました。
現在は伽藍と奥の院の両壇を中核に総本山の他、
117もの寺院があり神秘な霊場を形成しています。
また、高野山は国指定文化財200件、県指定39件、計239件、
点数にして四万点を数える文化財を持つ密教文化の宝庫でもあります。
高野山真言宗のご紹介
http://www.koyasan.or.jp/index.html

高野山駅からは 苅萱堂(かるかやどう)前まで バスを選択
今日の宿泊地 宿坊 上池院へ
http://www.koyasan-jyochiin.jp/index.html

高野山 宿坊 萱堂上池院
〒648−0211 和歌山県伊都郡高野町高野山476
電話(0736)56−2318
ファクス(0736)56−4545
ここには 心友・師でもある 池口豪泉師の紹介で 宿泊
豪泉氏のお母上の ご実家 なのです
池口恵観先生の 奥様のご実家なのです
後深草天皇勅願寺でもあり、弘法大師空海が
初めて高野の山へ登られた時 上池院境内にて三十三ヶ月仮住され翌弘仁七年根本大塔建築に着手せられたそうです
なんとまあ 由緒正しい お寺さんなのでしょう ありがたや ありがたや
更にありがたいことに 上池院のご住職は来年3月からの法印さんにご内定だそうです
先代も 法印職を 務められたとか 素晴らしいですね
法印とは 正式名称を
高野山真言宗 寺務検校執行法印(じむけんぎょうしぎょうほういん)といい
法印は、任期中の一年間、山内から出ず、弘法大師(こうぼうだいし)の名代として、高野山で執り行われるすべての法会や儀式などの導師を務めます。
皆さん親しみをこめて法印さんとお呼びするらしい
法印さんだけが 鮮やかな緋色(ひいろ)の装束を身に着けられているとのことです
宿坊とは ひと言で言うと 泊まることのできるお寺のことです
現在高野山には、117の寺院があるそうですが その中の 53ヶ寺が 宿坊寺院だそうです
おいちゃん 宿坊 初体験でしたが 清潔感もあり食事もおいしく 希望すれば お酒も飲めるとのこと
旅館に泊まるのと 変わらない
特にびっくりしたのが 精進料理のおいしさ 想像以上でした なんとお刺身も ありました
一の膳、二の膳、三の膳と 必ず本膳形式で出されるのだそうです
味付け・盛り付けも繊細で 様々な工夫がされており 満足満足
4食とも お米ひと粒も残さず きれいに 完食でした
日中 歩き回り 汗をかき 精進料理を食べ 体内の血液が 浄化されている感じがしました ははは
お酒は 少しだけ頂きました



宿坊の醍醐味は なんといっても 朝の勤行
6時起床 6時15分から 朝の勤行です
すがすがしい気持ち
おいちゃん 二日とも 朝の勤行に参加いたしましたが なんともいえない 至福の時間・空間を 体験いたしました
おいちゃんの連れは 涙を流して喜んでいました
ありがたや ありがたや 感謝・大感謝
伊勢と高野山 地図で見ると近いのですが交通手段が なかなか難しい
レンタカー、バス、電車、ヒッチハイクなど
シミュレーションをしてみると なかなか 大変だぞ
今回は 電車の旅を選択
伊勢からは 近鉄で大和高田まで特急、
徒歩でJR高田駅まで歩き、橋本までJR
車窓からの景色が のんびりして 気持ちが良い
橋本から極楽橋までは南海高野線、
極楽橋から高野山までは 高野山ケーブル
いやーー楽しかった
紀伊山地の霊場と参詣道(きいさんちのれいじょうとさんけいみち)は、和歌山県・奈良県・三重県にまたがる3つの霊場と参詣道(熊野参詣道、大峯奥駈道、高野山町石道)を登録対象とする世界遺産(文化遺産)として2004年7月7日に登録されました
熊野古道や 吉野 天河神社など おいちゃんに びんびん 迫ってくる 地名ばかり
今回は時間の都合で割愛したが いつかはぜひとも訪れたい場所である
おいちゃんは 世界自然遺産の島 屋久島で 生まれ育ったからかもなのか
高野山とは、(ガイドブックより)
今より1,150余年前の弘仁七年、弘法大師・空海は時の帝、
嵯峨天皇に高野山を賜り、
同八年諸弟子を伴い登嶺されて七里四方を結界しました。
その後、丹生、高野の両明神を勧請し、
荒野を拓き、金堂をはじめ諸堂を建立されました。
大師御入定後、大師の意志を継ぎ、
高弟の真然大徳が二代山主となられます。
伽藍堂塔の建造も進み、これら一切を称して金剛峯寺と号しました。
現在は伽藍と奥の院の両壇を中核に総本山の他、
117もの寺院があり神秘な霊場を形成しています。
また、高野山は国指定文化財200件、県指定39件、計239件、
点数にして四万点を数える文化財を持つ密教文化の宝庫でもあります。
高野山真言宗のご紹介
http://www.koyasan.or.jp/index.html
高野山駅からは 苅萱堂(かるかやどう)前まで バスを選択
今日の宿泊地 宿坊 上池院へ
http://www.koyasan-jyochiin.jp/index.html
高野山 宿坊 萱堂上池院
〒648−0211 和歌山県伊都郡高野町高野山476
電話(0736)56−2318
ファクス(0736)56−4545
ここには 心友・師でもある 池口豪泉師の紹介で 宿泊
豪泉氏のお母上の ご実家 なのです
池口恵観先生の 奥様のご実家なのです
後深草天皇勅願寺でもあり、弘法大師空海が
初めて高野の山へ登られた時 上池院境内にて三十三ヶ月仮住され翌弘仁七年根本大塔建築に着手せられたそうです
なんとまあ 由緒正しい お寺さんなのでしょう ありがたや ありがたや
更にありがたいことに 上池院のご住職は来年3月からの法印さんにご内定だそうです
先代も 法印職を 務められたとか 素晴らしいですね
法印とは 正式名称を
高野山真言宗 寺務検校執行法印(じむけんぎょうしぎょうほういん)といい
法印は、任期中の一年間、山内から出ず、弘法大師(こうぼうだいし)の名代として、高野山で執り行われるすべての法会や儀式などの導師を務めます。
皆さん親しみをこめて法印さんとお呼びするらしい
法印さんだけが 鮮やかな緋色(ひいろ)の装束を身に着けられているとのことです
宿坊とは ひと言で言うと 泊まることのできるお寺のことです
現在高野山には、117の寺院があるそうですが その中の 53ヶ寺が 宿坊寺院だそうです
おいちゃん 宿坊 初体験でしたが 清潔感もあり食事もおいしく 希望すれば お酒も飲めるとのこと
特にびっくりしたのが 精進料理のおいしさ 想像以上でした なんとお刺身も ありました
一の膳、二の膳、三の膳と 必ず本膳形式で出されるのだそうです
味付け・盛り付けも繊細で 様々な工夫がされており 満足満足
4食とも お米ひと粒も残さず きれいに 完食でした
日中 歩き回り 汗をかき 精進料理を食べ 体内の血液が 浄化されている感じがしました ははは
お酒は 少しだけ頂きました
宿坊の醍醐味は なんといっても 朝の勤行
6時起床 6時15分から 朝の勤行です
すがすがしい気持ち
おいちゃん 二日とも 朝の勤行に参加いたしましたが なんともいえない 至福の時間・空間を 体験いたしました
おいちゃんの連れは 涙を流して喜んでいました
ありがたや ありがたや 感謝・大感謝
2009年06月26日
No 626 祈りの旅A 伊勢の旅
伊勢での 素晴らしい経験と感動の余韻に浸りつつ 次なる目的地 聖地 高野山に 向かう前に 小休止 一休み 一休み
伊勢神宮の近く おかげ横丁を 散策


夜は ご縁塾の塾長 中村文昭氏の 経営するレストラン 「クロフネ」へ

ご縁塾の仲間・心友 「コバちゃん」とも合流し 素敵な時間を過ごしました
噂どおりの 雰囲気・料理の質に 感激いたしました


次の写真は クロフネの 名物・代名詞?
オルゴールと 一枚板のテーブル

マネージャーの 案ちゃん 店長の 橋爪さん スタッフの方々
本当にお世話になりました
ありがとうございました 感謝・大感謝です

追伸)
どこから この話になったか 不思議ですが 途中で
先日 TVの 「エチカの鏡」?で放映された 幼児教育の話で 盛り上がりました
今話題の 久保田のうけんの 久保田カヨコさんと
http://ackix.net/2009/06/_7.html
鹿児島県志布志市の あの 横峰さくらの叔父が経営する
幼稚園の話
http://ackix.net/2009/06/post_561.html
おいちゃんも見ましたが 本当に 目からうろこの話ばかり
凄かったです
おいちゃんもこんな 幼稚園に入りたかった ははは
園児が みんな楽しそうに 生き生きして そして 運動・音楽・勉強と スーパー園児ばかり 凄すぎです


伊勢神宮の近く おかげ横丁を 散策
夜は ご縁塾の塾長 中村文昭氏の 経営するレストラン 「クロフネ」へ
ご縁塾の仲間・心友 「コバちゃん」とも合流し 素敵な時間を過ごしました
噂どおりの 雰囲気・料理の質に 感激いたしました
次の写真は クロフネの 名物・代名詞?
オルゴールと 一枚板のテーブル
マネージャーの 案ちゃん 店長の 橋爪さん スタッフの方々
本当にお世話になりました
ありがとうございました 感謝・大感謝です
追伸)
どこから この話になったか 不思議ですが 途中で
先日 TVの 「エチカの鏡」?で放映された 幼児教育の話で 盛り上がりました
今話題の 久保田のうけんの 久保田カヨコさんと
http://ackix.net/2009/06/_7.html
鹿児島県志布志市の あの 横峰さくらの叔父が経営する
幼稚園の話
http://ackix.net/2009/06/post_561.html
おいちゃんも見ましたが 本当に 目からうろこの話ばかり
凄かったです
おいちゃんもこんな 幼稚園に入りたかった ははは
園児が みんな楽しそうに 生き生きして そして 運動・音楽・勉強と スーパー園児ばかり 凄すぎです



