2026年02月09日

No 8520   【「賢者の話し方」、「愚者の話し方」】

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おいちゃんのお気に入りブログ【人のこころに灯をともす】からの転載です

【「賢者の話し方」、「愚者の話し方」】

ジェームズ・アレン氏の心に響く言葉より…



不純な心の持ち主は純粋な言葉を発しないし、純粋な心の持ち主は不純な言葉を発しない。
賢者と愚者の違いはそこにある。

両者の違いを列挙しよう。
くだらない話を延々とする人は愚者である。
その場にいない人の悪口を言う人は愚者である。
歯の浮くようなお世辞を言って他人に媚びへつらう人は愚者である。
悪意を持って他人を 貶める発言をする人は愚者である。
自らを偉いと勘違いして傲慢な振る舞いをする人は愚者である。

一方、明確な意図を持って高尚な話をする人は賢者である。
誠意を持って真実を言う人は賢者である。
その場にいない人を擁護する人は賢者である。
慈愛に満ちた言葉を発する人は賢者である。
親愛の情をこめて他人を褒めたたえる人は賢者である。
知恵を磨くためにいつも謙虚な姿勢で精進している人は賢者である。

『人生はあなたの思い通りになる (ディスカヴァー携書)』

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斎藤一人さんは、著書「変な人が書いた成功法則 /講談社+α文庫」の中でこう語っている。

『心にあるものが溢れ出てくるのが言葉です。
だから、つい口から出た言葉も、あなた自身のものなのです。
「あんな意地悪なこと言ったけど、根はいい人なのよ・・・」と、人は言いますが、その言葉は根が意地悪な性格をしているから出たのです。
オレンジを搾れば、オレンジの汁が出ます。
オレンジを搾ったのに、グレープフルーツや梅の汁は出てきません。
意地の悪い人からは意地の悪い言葉が、妬(ねた)んでばかりいる人の口からは妬みの言葉が出てくるのです。
言葉は金太郎飴のようなものです。
肯定的な人は、どこを切っても肯定的、どんなときも肯定的な言葉が出てきます。
逆に否定的な人はどこを切っても否定的です。』

「人物とは言葉である」
「日頃どういう言葉を発しているか」で、人生は決まる
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2026年02月08日

No 8519   【人の値打ちは明るさで決まる】

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おいちゃんのお気に入りブログ【人のこころに灯をともす】からの転載です

【人の値打ちは明るさで決まる】

斎藤一人さんの心に響く言葉より…


●《人の値打ちは明るさで決まるんだよ》

どれだけ資産があるか、どれだけ成功しているか、どれだけの地位や名誉があるのか、どれだけのファンがいるのか、そんなことで人の価値を決めていないかい?
一人さんから見ると人の値打ちはそんなの関係ない。
一人さんのことも、「納税額日本一になったから尊敬している」という人がいるけれど、俺の価値はそこではないの。

俺は、他にはいないだろうってぐらい明るいの。
たとえ暗いことがあったとしても明るいんだよ。
それが俺の魅力だし、値打ちなんだ。
明るい思いが、人の価値を決めていく。
一人さんはそう思っているんだ。

●《目指すは「真面目で軽い」そんな人》

今の時代、真面目なだけじゃ勝つことはできないの。
真面目な中にも明るくて、ちょっと軽いほうが、1つ上に行くことができるんだよ。
明るくて軽い人は、肩に力が入らないから、実力以上の力を出すことができるの。

甲子園だって、坊主にしない学校も優勝できるようになっているだろ?
今は高校球児だってカッコいい、軽いほうがうまくいくんです。
真面目過ぎなくていいんだよ。
結果が出ないなら、少し軽さをプラスしてごらん。

『斎藤一人 超・一日一語 三六六のメッセージ』ぴあ

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●明るい人のまわりには、明るい人が集まる。
いつも機嫌がよくて、明るくて、笑ってばかりいるような人たちだ。

逆に、暗い人のまわりには、暗い人が集まる。
いつも不機嫌で、暗くて、反対したり、文句ばかり言っているような人たちだ。

明るい仲間がいる人は幸せだ。
人生はどんな仲間と一緒にいるかが大事だからだ。
楽しくて、明るくて、いつも機嫌のいい仲間。

だから・・・
《人の値打ちは明るさで決まる》

●明るい波動を出す人は、楽しい波動も一緒に出している。
だから、一緒にいると楽しい。

「あかるい」とは、「あ、軽い」だ。
何でも重く、重く考える人は明るい波動を出すことができない。
重く考えれば考えるほど、気持ちは晴れ晴れとせず、「どんより」してくる。

安岡正篤師は「徳とは無類の明るさのことである」と言われた。
明るく、人好きで、世話好きで、人に尽くすことができる人。
それが徳のある人。

《目指すは「真面目で軽い」》という言葉を胸に刻みたい
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2026年02月07日

No 8518   【若いときから認知症予防を!】

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【若いときから認知症予防を!】

医師、鎌田實氏の心に響く言葉より…


身近な人たちとよい関係を築いたり、いくつに なっても社会とつながりをもち続けることは、認知症予防にとって重要なことです。
英国イースト・アングリア大学の研究チームは、子どもや配偶者との関係がいいと認知症の発症リスクは17%下がり、人間関係が悪いと31%高まると発表しています。
人間関係がよくないと孤立や孤独に陥りやすく、それがストレスとなってリスクを高めているのではないかと推測されています。

また、積極的に社会参加をしている高齢者は、あまり参加していない高齢者に比べて、脳に蓄積しているアミロイドβが少ないといいます。
現在、全国の自治体の多くは、地域のなかに高齢者の居場所をつくり、介護予防のため社会的孤立を防ごうとしています。

元気なうちから、趣味や学び、ボランティア活動など、社会とつながる方法をみつけておくことをオススメします。

『図解 鎌田實医師が実践している 認知症にならない29の習慣』朝日出版社

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「良い人間関係をつくる」にしても、「社会参加や居場所づくり」にしても、高齢者になって急にできるものでもない。
若い頃から心がけ、それが習慣となっていれば、高齢者になっても当たり前のようにそれはできる。

柔らかで温かな人間関係の基本は、「和顔愛語(わげんあいご)」。
和顔とは、優しい顔、笑顔のこと。
愛語とは、優しい言葉、愛情と思いやりにあふれた言葉。

否定語ではなく肯定語を多用すること。
たとえ、親子のような親しい間であっても、丁寧で思いやりあふれた言葉を使うこと。
逆にいうなら、家族の間で丁寧で優しい言葉ができていれば、会社や友人関係において、汚い言葉や上から目線の言葉は出てこない。

そして大事なことは常に、ニコニコして上機嫌なこと。

また、「居場所」とはコミュニティのこと。
いわゆる「サードプレイス」という、ほっとできる第3の場所。
ファーストプレイス(第1の場所)は自宅。
セカンドプレイス(第2の場所)は会社や学校。

このサードプレイスも若いうちから出入りしていないと、年を重ねるごとにハードルは高くなる。
居心地のいいコンフォートゾーンから抜け出し、外へ行くことを「越境学習」というが、若いうちからこれができている人は、年配になっても様々なサードプレイスにすんなり参加できる。

「若いときから認知症予防を!」という言葉を胸に刻みたい
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2026年02月06日

No 8516   【努力は一つの習慣】

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【努力は一つの習慣】

本多静六氏の心に響く言葉より…


さて世にはまた、自分は今不遇の身にあるから努力しないが、風雲一度際会すれば大いに活動するなどという人もあるが、このような人はとうてい成功する見込みのない人である。
もともと努力は一つの習慣である。
慣れてしまえば何の苦しみもないものだが、慣れないうちは苦しいものだから、現在の仕事に怠惰な人はたとえ急に得意の位置に置かれることがあっても、一時は努力するがたちまち苦しくなって努力が鈍り、ついにはその位置を失うに至るであろう。

人は境遇に支配されてはならない。
かえってその境遇を支配していく勇気が必要である。
貧乏だ、病気だ、学校に行けないとか、世間が不景気だ、先輩が不親切だなどと、親や世間を恨んだり、境遇を悲観したりするのは意気地なしの骨頂である。
古来大成功者はいずれも貧苦や病苦を通り抜けた人だけである。

志あるところ、道おのずから生ずで、山の中でも都会でもどこにいても差し支えない。
奉公してよい主人に使われるのもよく、残酷なわからず屋に使われるのもまた可である。
ただ残酷な目に遭った時には天の試練だと思ってこれに堪える修養をするというように、どんな苦痛、どんな境遇にも善処し、これを利用して自分の修養に役立てますます誠実勤勉になれば自分の運命は自然に開拓されるものである。

イギリスのロイド・ジョージも、ラムゼー・マクドナルドも、ごく貧農の子供であり、フランスのアリスチード・ブリアンは貧乏な居酒屋の息子であり、チェコスロバキアの大統領だったマサリック博士は馬蹄工(ばていこう)の息子で、家畜小屋の隅で独学した人である。
このほか古今東西を問わず、大学者、大政治家、大富豪など偉人ないし大成功者の多くは、たいてい貧苦をなめ尽くした人である。 電気で有名なフランクリンは印刷職工あがりで小学校に二年通っただけだ。
トーマス・エジソンは小学校はわずか三月(みつき)で退学させられ、新聞売り子をしながら苦学した。
自動車王フォードは貧乏百姓の体で弁当箱さえ買うことができないで、空缶へ弁当を詰めて通学した人だ。
また巨万の財産をつくってその大部分を社会事業に寄付したカーネギーは、子供の時から流浪して十三歳の時一週一ドル二十セントで木綿工場の小僧になった人である。
また私の直接知っている大成功者をあげてもいずれも貧乏生まれ、または青少年時代に貧苦を体験した人のみである。

時計王・服部金太郎は夜店、古道具屋の子守り小僧をした人、製紙王・大川平三郎は王子製紙工場の職工から出発した人である。
また総理大臣であった斎藤実、後藤新平は水沢藩の給仕であり、高橋是清はアメリカに奴隷に売られ、帰国後も芸者屋の箱屋(三味線を持って芸者のお伴をする下男)までしながら苦学した人である。

『本多静六 成功するために必要なシンプルな話をしよう (知的生きかた文庫)』

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阪急・東宝グループの創業者、小林一三(いちぞう)は、こういう言葉を残した。

「下足番を命じられたら、日本一の下足番になってみろ。 そうしたら、誰も君を下足番にしておかぬ。」

下足番とは、旅館や料亭などで客が脱いだ履物の番をする係だ。
豊臣秀吉も、織田信長の下足番(草履取り)から出世をした。
秀吉の下足番の仕事ぶりをみて、その非凡な才能を織田信長は見抜いたからだ。

また、太閤秀吉のこんな話がある。(愛語/禅文化研究所)より

ある人が、太閤(たいこう)さんに尋ねたそうだ。
「あなたは、大変なご出世をなすって、位人臣(くらいじんしん)を極められたわけですが、さぞかしお若い時から、余人とは異なったお心がけがあったことと思います。
いったいどんなお心がけで、太閤さんにまでもご出世なさったのですか。」と。

すると、太閤さんが、
「わしは、太閤になろうなどと思ったことは一度もない。
ただ足軽の時は、一心に、喜んで足軽のつとめを果たしただけだ。
すると、いつのまにやら士分になった。
士分の時には、また喜んで、一心に士分のつとめを果たしたのだ。
すると、いつのまにやら大名になった。
大名になったからには、ますます励んで大名のつとめをした。
そしたら、いつのまにやら天下を取ることになり、太閤にまでさせられてしまったわけだ。」

与えられたポジションで、愚痴や文句を言わず、その場その場を一所懸命やる。
努力を努力と思わないくらい、コツコツとやり続ける。
それが、「努力を習慣にしてしまう」ということ
posted by Dr.モーリィー at 07:34| ちょっと気になる善い言葉 | 更新情報をチェックする

2026年02月05日

No 8515   【人は誰でもほめられたくて生きている】

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【人は誰でもほめられたくて生きている】

小林正観さんの心に響く言葉より…


ある日突然、幼い子供は何を“生きがい”にして生きているのだろうか、とい う疑問が私の中に湧きました(幼い子とは小学生以下、くらいと考えてください)。
そう考えていたら、私なりの推論が浮かびました。
子供は、もしかしたら「ほめられたくて」生きているのではないかと。
“生きがい”が大げさなら、「何かをするための元気、エネルギー、その源」と言い換えてもよいかもしれません。

幼い子供は「誰かにほめられたくて」生きているのではないでしょうか。
その「誰か」とは、その子によっては親だったり、おじいちゃん・おばあちゃんであったり、学校の先生であったり、あるいは塾の先生であったりするかもしれません。
基本的には、信頼関係にある人です。

そういう人たちから「すごい」「よくやったね」と言われると、子供は本当にうれしそうな顔をします。
そして、さらにやる気になります。
やればやるほど、 すごい才能と集中力を示します。
子供は「ほめられたくて、ほめられたくて」しかたがないみたいです。

さらに考えます。
では中学生や高校生は・・・。
自分自身の興味や方向性が出てはくるものの、陸上競技をやるにしても絵画をやるにしても、誰もほめてくれなければ、たぶん早い段階であきらめてしまうことでしょう。

その道を選んだのは本人でも、それを続けるエネルギーは、まわりの人の反応によるように思います。

青春期には、「ほめられたい人(相手)」が異性になります。
ある人と恋愛をする、ということは、その「特別な人」「特定の人」から「ほめられたい」ということなのかもしれません。
そういう人を確保することが、“恋愛”というものの本質だとしたら・・・。

結婚し、家庭をもっても、妻はいつも夫にほめられたいと思い、夫も妻にほめられたいと思っているはずです。
そういう人を選んで結婚したのですから。
妻は「料理がおいしい」と言われれば、結婚して何年たっていてもうれしいし、 夫も「日曜大工がこんなに上手だとは思わなかった」と言われれば、どんどん作ってしまおうと思うでしょう。

「恋愛」や「結婚」の本質が、「好き」という概念よりも「この人からほめられたい」という概念に近いものであることに気づけば、結婚生活の中で何を続けていくべきかがわかります。
「好き」「愛してる」と言いつづけることも素敵ですが、 それが言いにくい日本の夫婦の場合は、「ほめる」ということで、互いを選んだことの本質をずっと確認しつづけ、維持できるような気がします。

『「き・く・あ」の実践』サンマーク文庫

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『人は賞賛を渇望する動物である』(田中真澄)
という言葉がある。
人は、誰かにほめられたくて仕方のない生き物なのだ。

それは、別の言葉でいうと、「認めてもらいたい」「評価してもらいたい」「共感して欲しい」「肯定して欲しい」ということでもある。
人は、何歳になっても、どんな立場でも、誰かにほめられたくてウズウズして生きている。

「賞賛する」の反対は、「けなす」「非難する」「あざける」だ。
ネット上では、この「けなす」「非難する」「あざける」が横行している。
自分と意見が違う人を、強い口調で口汚く否定するのだ。

子どもも大人も、男性も女性も、本当は、ほめられたくて仕方がない。
「きれいだね」「素敵だね」「かっこいいね」「かわいいね」「明るいね」「元気だね」・・・。
すべて、「肯定」「認める」「共感」「好評価」だ。
そして究極の、肯定は「ありがとう」という感謝の言葉。

「人は誰でもほめられたくて生きている」という言葉を胸に刻みたい
posted by Dr.モーリィー at 06:35| ちょっと気になる善い言葉 | 更新情報をチェックする

2026年02月04日

No 8514   【運を分かち合う】

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【運を分かち合う】

松永修岳(しゅうがく)氏の心に響く言葉より…


脳科学の第一人者である茂木健一郎氏は、訳書『「脳にいいこと」だけをやりなさい!』 (三笠書房刊)の中でこのように書いています。

「誰かのために何かをすることを『利他的な行動』といいますが、この『利他的な行動』 が実は自分の喜びにつながる、という事実が脳の活動をみるとわかります。
(中略) 他人と分かち合うと喜びはより大きくなるし、喜びを感じたときは、人と一緒に喜びた くなるからです」

つまり、運を分かち合うことで、自分と他人を幸福にできる脳へと変えていくのです。
そしてこれが、「幸運」を持続させることにつながります。

仕事でもプライベートでも、いい運に巡り合えたときには、その「幸運」を周りの人と分かち合うようにしてください。
仕事で大成功して儲かったなら、儲けの中から一部を寄付する。
会社で功績が認められて昇給したら、その分を使って友人にご馳走する。
書を読んで運が次々に舞い込んでくるのを実感したら、その本をもう一冊買って、大切な人にプレゼントする。

こうして運を分かち合うことで、自分以外の人にもいい運をお裾分けすることができます。
これが「幸運」となるのです。

「開運」して運に勢いが出てくると、それほど“仕込み段階”を意識しなくても、周りにいる運のいい人たちとお互いに影響しあって、運が持続するようになっていきます。
「招運」「育運」「開運」は一人でできることですが、「幸運」だけは一人で努力しても手に入れられません。
幸せを共に分かち合う友人や同僚、仲間がいることが、あなたを“幸運体質”に変える絶対条件です。

《幸せを独り占めする人は、いずれ幸せでなくなってしまいます》

『運に好かれる人、見放される人』ダイヤモンド社

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幸田露伴は、「幸福三説(こうふくさんせつ)」を唱えた。

1.《惜福(せきふく)》とは、福を全部使ってしまわずに惜しむこと。人気絶頂の俳優が、まだあと何十年と活躍できるにもかかわらず、惜しまれながら引退する、というようなこと。

2.《分福(ぶんぷく)》とは、人に福を分けること。

3.《植福(しょくふく)》とは、子孫や未来の子供たちのために、福を植えておくこと。


自分の幸運を分けるとは、まさに「分福」のこと。
多くの人は、他人の幸せを心から共に喜ぶことが苦手だ。
つい嫉妬してしまったり、うらやましさが先に立ってしまったりする。

だからこそ、「分福」は尊い。
自分の福を分けることは、簡単なようでいて、難易度が高いからだ。

人の成功を自分のことのように喜ぶ。
自分が恵まれているときほど、周りのことを気遣う。
運が上向いているときこそ、独り占めしない。

これらはすべて、意識しなければできないことで、自分の魂を磨く修行だ。
磨けば磨くほど、自分の徳がたまっていく。
だから、結果として「分福」の人のまわりには人が集まってくる。

「運を分かち合う」という言葉を胸に刻みたい
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2026年02月03日

No 8513   【陽転思考とは】

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【陽転思考とは】

無能唱元氏の心に響く言葉より…


結局、法といい、術というも、そのつづまるところは「己に打ち克(か)つ」ということになりましょう。
自分に相対するものに勝つための技として、その法術は磨かるべきですが、そのためにはまず、自分の中にある自分を支配せねばならないのです。

中国古典に説かれた幾多の帝王学も、究極的には、この一点「克己」にこそ集約されるものと思えるのです。
本書で述べられた人蕩術も正にこれらとその真義を等しくするものです。
すなわち、「他を支配せんとすれば、まず己れ自身を支配すべし」の原理に基づいております。

しかし、ここで考え違いしてほしくないのは、私の説く「克己」には、忍耐とか我慢のような、いわば緊張感をもって行なわれるべきものではない、という一点であります。
それはまた、生命エネルギーを全開にした、歯をくいしばっての大努力というものでもありません。
つまり、そこには悲壮感などという雰囲気は微塵もないのです。

これらの克己を「秋霜烈日(しゅうそうれつじつ)」に例えるならば、私のいうそれは「春風駘蕩(しゅんぷうたいとう)」の内に行なわれるものです。
それは一切を「遊戯三昧(ゆげざんまい」にしてしまう、楽しい遊び心の現われであります。
人生を、自分の人生をおもしろいものにしてしまう、これをもって「陽転思考」と申します。

前記の忍耐を伴う克己には、陰気の影があります。
それは太陽光の恵みをさえ切る暗い雲です。
この黒雲をからりと払って、一切を楽しく明るく見ることが「陽転思考」であります。

ともすれば、人間という生物は、自動的に暗く悲観的になるものです。
しかし、また、人間は常に無意識の内に「陽の当たる場所」を求め続けている向光性の生物でもあるのです。

だから、人々は、人蕩術をよく使うあなたに魅きつけられるのです。
なぜならば、人蕩術とは、まず、己れ自身を明るく暖かにする術をもって始まるからであります。

『人蕩術奥儀: 人蕩術とは人たらしの術である』致知出版

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「克己」を「遊戯三昧(ゆげざんまい」にしてしまう、つまりゲームのように楽しむことだ。
そのことを「陽転思考」という。

ゲームの本質は、「困難があるから面白い」「思い通りにいかないから夢中になる」「うまくいかないから、またもう一度やりたくなる」。

だから、簡単なゲームはすぐに飽きられてしまう。
そして、次々と難易度の高いゲームを求めるようになる。

大事なことは、ゲームだから失敗しても何回も挑戦できるということ。
つまり、うまくいかないからこそ「楽しい」と、考えを「陽」に転じること。

禅では、「人生は遊戯三昧(ゆげざんまい)をもって生きよ」と説く。
これは、「人生そのものを、ゲームとして、それを楽しめ」と言うこと。

克己も、面倒なことも、嫌なことも、遊戯三昧として遊び心で楽しんでしまう。
「陽転思考」とは、一切を楽しく明るく見ること
posted by Dr.モーリィー at 06:52| ちょっと気になる善い言葉 | 更新情報をチェックする

2026年02月02日

No 8512   【「ときめき」は免疫力や自然治癒力を高める】

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【「ときめき」は免疫力や自然治癒力を高める】

医師、帯津良一氏の心に響く言葉より…


免疫力や自然治癒力を高めるために心のときめきほど大事にするものはないということは、随処に述べてきた通りである。
認知症とがんの予防法がよく似ているのには、初めは驚いたが、ともに人間まるごとの病であることを思えば当たり前のことなのだ。

どちらもその予防法の最右翼は心のときめき。
そこに人との関わりが加わると、その効果が倍加するようだ。
そして、ときめきと交わりを結びつける最高の演出家は、なんといっても酒である。

60代になって、功成り名を遂げて、定年退職をした高校時代、あるいは大学教養学部の友人がぽつりぽつりと訪ねてくるようになった。
私のような開業医には定年はない。
きっと死ぬまで働き続けるのだろう。

もともと仕事好きだから、定年を迎えた友人を羨ましいとは思わないが、功成り名を遂げて、人生に句読点を打ったという気持ちの高ぶりが、一陣の清風(せいふう)をもたらすのだろう。
まあ、久しぶりだからと酒を酌み交わすときの楽しさったらなかった。
ただ、句読点が少しずつ遠ざかり、気持ちの高ぶりも沈静化すると、清風故人来たるというわけにはいかなくなるものだ。

ところがよくしたもので、その分、女性と呑む機会が増えてきたのである。
60代に入って、60代こそ人生の華だと思うようになった。
知力、体力は衰えず、酒量も一向に落ちない。
それでいて人生の味わいというものがわかってきて、一日一日が充実してきたのだ。

女性と杯を酌み交わしながら、とりとめのない話。
セロトニンの分泌が高まるのがわかるというものだ。
そのためには、まずは常に身辺を清潔に保ち、折に触れて、生命の躍動によって生命エネルギーを体外にあふれ出させることだ。
生命エネルギーあふれ出させることが、男でも女でも色気を醸し出す第一歩だからである。

『不養生訓 帯津良一ときめきのススメ』山と渓谷社

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年配者のときめきを増やすのは何も女性ばかりではない。
若者との交流もときめきを増やす。

忘年会という言葉があるが、「忘年」について、安岡正篤師の著書「照心語録」にこんな文章がある。

『「忘年」とは本来一年の苦労を忘れるという意味ではない。
年齢を忘れるの意で、漢代の大学者孔融(こうゆう/当時50歳)と禰衡(でいこう)(20歳未満)との交わりを、世人が「忘年の交」とよんだ故事による。
だから、忘年会とは老若席を同じくし年齢を忘れて楽しむのが本当だ。
忘年の交に対し、地位身分を離れて交わる「忘形の交」やまた、「忘言の交」がある。
忘言とは、言葉など忘れた交わりのことで、荘子の「相視て笑ひ、心に逆ふことなし」という境地である。
真実の夫婦・親友にとって議論などは不要のものだ。
忘言の交をまた「忘己の交」ともいう「己を忘るるの人は即ち天に入る」(荘子)だ。
人間は世俗的な自分というものを時に忘れることが必要だ』

身分や地位や肩書にとらわれている人との付き合いは、息苦しくて、堅苦しい。
だからこそときに、「忘年」「忘形」「忘言」の交わりが必要となる。
そこには、老いも若きもない。

『「ときめき」は免疫力や自然治癒力を高める』という言葉を胸に刻みたい
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2026年02月01日

No 8511   【脳は百歳を超えても成長し続ける】

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【脳は百歳を超えても成長し続ける】

脳内科医、加藤俊徳(としのり)氏の心に響く言葉より…


脳という器官は不思議なもので、体中の臓器のなかで唯一、年を重ねるほどに成長する構造なのです。
他の臓器は、長年の使いかたにより年を経るほどに弱ったり、衰えたりすることを避けられませんが、高齢者のMRI画像を見ていても、脳だけはいくつになっても枝葉を伸ばし、立派に成長し続けるのです。

そして、その脳の成長度合いがより顕著に見られるのが、他でもない「機嫌のいい人」です。
私のクリニックを訪れるご高齢者には、学者をはじめ、作家や音楽家、画家など、著名な方も多くおられますが、80代、90代と年を重ねて、なおすくすくと立派な枝葉を伸ばし、成長し続ける脳画像を見せてくださるのは、総じて「機嫌のよい」方ばかりでした。
それが百歳を超えてさらにお元気な「センテナリアン」ともなれば、その見事な枝ぶりには感動を覚えるほどです。

私が、この本で特にお伝えしたいのは、「機嫌とはコントロール可能なものであり、それによって脳のパフォーマンスはぐんぐんよくなる」ということ。
そして、もう一つ「脳は年を重ねるほどに成長し、機嫌も年を重ねれば重ねるほどよくなる」ということ。

脳の成長も機嫌の強化も、天井知らず。
人は幸せに生きることをプログラムされた生き物であることを、年を重ねるほどに上機嫌で、脳が成長し続けるスーパ ーセンテナリアンが証明しています。

《「機嫌脳」は百歳を超えても成長し続ける》

『1万人の脳を見た名医がつきとめた 機嫌の強化書』SB Creative

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「YES, but」という手法はよく知られている。
しかし逆に、「YES, and」という話法もある。

「イエス」と受けて、「しかし、〇〇で違いますよね」という否定語で返すのが、「YES, but」。
しかし、逆に、「イエス」と受けたあと、「実は〇〇なんで、すごくいいと思います」「だからこそ、〇〇なんです」、という感じに肯定語で返すやりかたが、「YES, and」。

肯定的な人は笑いが多い人。
だから、明るくて、機嫌がいいし、行動的だ。

しかし、否定的な人は笑わない。
だから、暗っぽくて、不機嫌で、行動しない。

また、誰かが突拍子もない意見を言ったとき、それを笑って受け止める人は、肯定的な人だ。
笑いは、すべてを「受け入れている」ということだからだ。

だから、「YES, and」という肯定的な人と会うと、人は元気になり、機嫌もよくなる。

どんなことも、まずは肯定的に受け止めること・・・
「機嫌のいい人の脳は百歳を超えても成長し続ける」という言葉を胸に刻みたい
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2026年01月31日

No 8510   【いくつになっても、打席に立とう】

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おいちゃんのお気に入りブログ【人のこころに灯をともす】からの転載です

【いくつになっても、打席に立とう】

若宮正子氏の心に響く言葉より…


今の世の中、不確定要素に満ち満ちています。
雨が降れば土砂降り、ヨーロッパは熱波で干上がるなどの異常気象、とにかく地球上でみんな振り回されていますよね。
そしてウクライナ侵攻はまだ続いています。

明日何が起こるかわからないというのが本音です。
これからは毎日がどうなるかということを日々更新していかなければならないんです。

日本人は臆病な人が多いですね。
特に若い人や女性がそうみたいで。
昔は兄弟姉妹がたくさんいて、うちなんか5人きょうだいで3人が生き残った。
昔は幼児死亡率が高かったから、それでもまだいいほうで、死んじゃう子供もたくさんいました。

でも、今はたいてい一人っ子で、大事に慎重に育てていますよね。
そんなふうに育てられているからみんな臆病に生きておられるようですね。

私も「81歳にもなってよくプログラミングをやろうと思いましたね」とか言われますけど、プログラミングはパソコン一台あればできますし、無料のソフトだってあるんです。
くさやの干物を焼いているわけではないので隣近所にも迷惑になりません。
なのに、なんで「勇気と決断」が必要なの?

うまくいかなかったらいつでもやめられるのに、やる前からどうしてそんなに臆病になるのかな。
野球だってせいぜい2割5分打てば上々でしょう。
とにかく打席に立てばいいのではと思うのです。
打席に立たなきゃ、どんな球だって当たらないんですからね。

『昨日までと違う自分になる』KADOKAWA

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若宮正子氏は1935年生まれで、現在91歳。
高校卒業後、三菱銀行に就職後、定年まで勤務し、60歳ころからパソコンの面白さに目覚め、独学でコンピュータスキルを習得。
81歳のときに、iPhone向けのゲームアプリを開発し、当時のCEOティム・クック氏から世界最高齢のアプリ開発者として紹介され、大きな話題となった。

国内外で講演や執筆、政府の有識者会議への参加など、生涯現役を貫くシニアITエヴァンジェリスト(デジタルクリエーター)として活躍中。
現在は、高齢者のデジタル機器活用を広める講演などの活動に尽力している。

若宮正子氏は「年寄りだからこそ、かっこつけずにバットを振ろう」という。

『やっぱり打席に立たなければ、ヒットは永遠に生まれないんです。
「ちゃんと打てなかったらかっこ悪いよな」なんて思ってバッターボックスに入らなかったら、こんなことにはならなかった。
よたよたしながらも打席に立ったことが、自分の運命を決めたのだと思います。』(独学のススメ-頑張らない! 「定年後」の学び方10か条 /若宮正子・中公新書ラクレ)より

いくつになっても、好奇心いっぱいに、「冒険すること」「(新しいことに)挑戦すること」「遊び心を持つこと」「ワクワクすること」はできる。
人は、好奇心がなくなったとき老人となる。
冒険も、挑戦も、遊びもしなくなるからだ。

「いくつになっても、打席に立とう」という言葉を胸に刻みたい
posted by Dr.モーリィー at 07:15| ちょっと気になる善い言葉 | 更新情報をチェックする