2020年03月31日

No 5531   【風が吹いていないときは、凧は揚がらない】

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おいちゃんのお気に入りブログ【人のこころに灯をともす】からの転載です

【風が吹いていないときは、凧は揚がらない】

立命館アジア太平洋大学学長、出口治明(はるあき)氏の心に響く言葉より…



《すべての真の生とは出会いである》(マルティン・ブーバー)
この世界は偶然の産物です。
そして、私たち1人ひとりの人生も、いろいろな偶然の積み重ねによってつくられているといっていいでしょう。
歴史を知れば知るほど、偶然こそが「この世のリアルだ」と確信します。

私たち人類・ホモサピエンスがこれまで生き残れたのも、偶然だったという説があります。
「そして最後にヒトが残った」(クライブ・フィンレイソン)という本によると、ネアンデルタール人が滅び、ホモサピエンスが生き残った理由は、「適応力」と「運」の違いにあったようです。
筋骨隆々で、森林での大型動物狩猟向きの体型をしていたネアンデルタール人は、当時、地球環境の寒冷乾燥化が進み、森林が縮小し、平原が広がりはじめる中で徐々に生きる場を失っていきます。
一方、しなやかで持久力に富む体を持つホモサピエンスは、平原での狩りにも対応でき、生き残ることができたのだそうです。
つまり、たまたま平原が広がりはじめる時期に、たまたま平原に適応できる体をホモサピエンスは持っていた。
だから生き残れた。
まさにホモサピエンスは運がよかったのです。

逆に、ネアンデルタール人が絶滅してしまったのは、たまたま運が悪かっただけだともいえるのです。
「運がいい」というのは、フィンレイソンが指摘しているように、「適切なときに適切な場所にいる」ことなのです。
この世は偶然の産物だということに、あらためて気づかされます。

ウィーン生まれのユダヤ系の宗教哲学者に、マルティン・ブーバーという人がいます。
ブーバーの思想を一言で述べると、「自分」という存在を、目の前の現実との関係の中から捉えようとすること。
「自分とは何者か?」と問うとき、私たちはひたすら自分の内面だけを見つめがちですが、そうではなく、周りとの関係から自分を探っていくというのがブーバーの考え方です。
いってみれば、「関係性」を重視したのが、ブーバーという哲学者なのです。

そのブーバーが、代表作『我と汝・対話』で書いているのが、「すべての真の生とは出合いである」という言葉です。
つまり、私たちの人生は、つまるところ、すべて出合いである、と。
そして、そうした出合いを通して、人生はどんどん変化していく、と。
関係性を重視したブーバーならではの言葉です。

私たちの人生は、ブーバーのいうように、そのときどきの出合いによって変化し続けていきます。
そうしたいわば川の流れに身を任せる生き方が一番すばらしいと僕は思っています。
変化を受け入れ、川の流れのままに流されて生きていく。
なぜなら、人間の力では、そのときどきの流れを変えることは難しいからです。

そのことを僕は、しばしば凧揚(たこあ)げにたとえています。
「風が吹いていないときは、凧は揚がらない」
凧揚げしようとしても、その場所に風が吹いていなければ、どんなに必死になって走っても、あるいは、ものすごくよくできた高性能の凧であっても、揚がってはくれません。
一方、その場所にいい風が吹いていれば、こちらがそれほどがんばらなくても、凧はスイスイ飛んでくれます。
人生もこれと同じです。

風が吹いていないときは、何をやってもダメだし、逆に、風が吹きはじめたら、何をやってもたいていうまくいく。
だから、今は風が吹いていない時期だと思ったら、ジタバタとムダな抵抗はしないで、淡々と過ごしていく。
ただし、いつ風が吹くかは誰にもわからないので、風がいつ吹いても全力で走れるよう平素から準備をしておくことが大切です。

場合によっては、風がそのままずっと長い間吹かないこともあります。
風が吹いていなくても、その中で人生を楽しめばいいのです。
時間はたっぷりあるので、いろいろなことができます。
逆に風が吹きはじめたら、やることがたくさん出てきてそんな暇もなくなりますから。

古典的な名著の多くは、作者が不遇な時代に書かれています。
そして、そのまま日の目を見ずに一生を終えた人も多いことでしょう。
私たちは、そういう人たちをついつい「不運な人生」と思いがちです。
でも、それはこちらが勝手にそう思っているだけで、本人たちはそれなりに人生を楽しんでいたのではないかと、僕は思うのです。

『人生の教養が身につく名言集 (単行本)』三笠書房

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松原泰道師がこんなエピソードを書いている。
『元外務大臣で戦犯になった広田弘毅(こうき)さんが、外務省の欧米局長のとき、後の首相、幣原(しではら)喜重郎に嫌われて人事異動でオランダ公使に飛ばされるんです。
当時はオランダと日本は通商がなかったので、この移動は左遷でした。
皆はこれを心配しましたが、当の本人は平気のへっちゃら。
そのときの心境を得意の狂句で吟(よ)んでいます。
「風車 風が吹くまで 昼寝かな」
風車はオランダのトレードマーク。
風車はエンジンを持たないから、いかに精巧であっても風が吹かなければ自分では回れないものでしょう。
彼はオランダへ飛ばされる、オランダは風車が有名、風車は風が吹かないとどうにも仕方がない、風が吹くまで昼寝かな、と詠んだわけですね。
彼はのほほんとしていたけれども本当に昼寝をしていたわけではもちろんありません。
その逆境時に、外交的ないろんな情報を集めて勉強するんです。
そして再び中央に戻ってソ連の大使になったときに、その成果を発揮して成功を収めたのです。』(つまずくことが多い人ほど、大きなものを掴んで成功している。 日本人への遺言)より

苦境に陥ったり、困難なことがやってきたとき、我々はどうしても、なんとかしようとジタバタしてしまう。
しかし、風が吹かない限り、風車は回らないし、凧も揚がらない。

風が吹かないときは、内部を充実する絶好のチャンスだ。
自分や会社の実力を高め、少しでも成長できるような行動をとること。

風はいつかは必ず吹く。
風が吹いたとき、いつでもスタートする準備ができている人でありたい
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2020年03月30日

No 5530   【チャンスの女神の前髪を掴むには】

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おいちゃんのお気に入りブログ【人のこころに灯をともす】からの転載です

【チャンスの女神の前髪を掴むには】

ひろゆき(西村博之)氏の心に響く言葉より…


おそらく古い常識は、あなたの柔軟な考えを邪魔してくる。
たとえば、「銀行に就職が決まった」と親に言ったら、「一生安泰だね」と言われるかもしれない。
けれど、金融庁の調べによると、地方銀行の利益の合計額は年々落ち続けていて、5年以上連続で赤字を出している銀行が増えている。
銀行業界は、体力のないところから潰れていくことが決まってしまっているわけだ。
いくら世間体のいい銀行勤めでも、あなたが優秀で努力家だとしても、日本全体の銀行が少なくなっていく波には逆らえない。
それなら、追い風が吹いている業界に移ったほうがいい。

大事なのは、自分の感覚だ。
若い人だとネットバンキングを使うのが当たり前だし、ATMがあればお金が下せるので、銀行の窓口なんて近所になくてもそんなに困らない感覚がある。
その一方で、高齢の人だと、ネットバンキングは使わないし、振り込みは窓口に行ってやるので、近所に窓口があることが必要になる。

10年後、窓口をたくさん作る銀行と、ネットバンキングの充実とコンビニATMを使えるようにした銀行のどちらが経済的にうまくいくか。
こんな答えのわかりきった問題ですら、考え方の古い高齢者は間違えてしまう。
それくらい「考え方のクセ」はなかなか取れない。

若い人にはあと何十年もの人生があるが、いまの時代に必要な知識を持っていない高齢者のせいで損をするのは若い人のほうだ。
年寄りは逃げきってしまうから、どうでもいい。
努力をしないで成果が出せる環境はどこなのか。
それは、現在の情報や知識を仕入れて、賢い判断で選ばなければわからない。

僕は、1976年生まれの「就職氷河期世代」だ。
この世代の特徴は、「自分の頭で考えることができる」ということだと思う。
僕らより上の世代は、バブル世代であり、時代を謳歌してきた。
会社からも守られてきただろう。

彼らの世代が、いま、早期退職でリストラの嵐に巻き込まれている。
僕の世代は時代が悪かったぶん、考えることを余儀なくされ、おかげで能力が身についた。
皮肉だが、悪い環境には人を育てる側面があり、時代が悪いことがチャンスにもなる。
僕より上の世代は、「昔はよかった」と話す人が多い。

しかし、ちゃんとデータを見ることができれば、昭和の時代より平成のほうが、殺人事件や餓死が少なく幸せの総量は多いことがわかる。
人生で選択肢が目の前にあるときに、どういう基準で考えるのかは人それぞれ違う。
そこには、「判断軸」が存在する。
「考え方の考え方」みたいな部分だ。
長期的な目線を持ち、「よりよい選択肢をとる」というクセがつくように、根っこの部分をつくる必要がある。

『1%の努力』ダイヤモンド社

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ひろゆき氏は「1%の努力」についてこう語る。
『アリの巣を観察すると、大きく分けて2つのタイプに分かれるという。
「働きアリ」と「働かないアリ」だ。
「働きアリ」は、任された仕事を一生懸命にこなす。
巣を掃除し、エサを運び、せっせと働く。
「働かないアリ」は、ダラダラと何もせず過ごし、たまにぷらぷらと外を出歩く。
サボっているように見えて、たまに「バカでかいエサ」を見つけて、巣に戻って報告をする。
それを他のアリたちが運んできてくれる。
そんな「働かないアリ」であれ。
「働かないアリ」のように、お金や時間にとらわれない状態になると、チャンスが見えるようになる。
2時間でやるべきことを1時間で終わらせて、1時間を余らせること。
さらに、30分で終わらせることはできないかと考え続けること。
天才は「1%のひらめき」をして、凡人は「99%の努力」をする。』

『「幸運の女神の前髪」という話がある。
幸運の女神には後ろ髪がついていないから通り過ぎたら捕まえることはできない、という例えだ。
あるとき、あなたの元に起業メンバーにならないかという誘いがくるかもしれない。
当日誘われた飲み会に運命の人が来ているかもしれない。
それもこれも、つねに「余裕」を持っていないと掴むことはできない。
また、順風満帆な人生にピンチがやってくるときもある。
そんなときも、スケジュールに余裕がないと頭の中はパンクしてしまい、視野はどんどん狭くなる。
ヒマは全力で作っておいたほうがいい。
時間は余るものじゃない。
作り出すものだ。
世の中には、予定をパンパンに詰め込んで片っ端から対処するタイプの人もいる。
その場合、幸運の女神が現れたら、両手はお手玉をしながら器用に前髪を掴めるのかもしれない。
ただ、凡人には難しい。
少なくとも片手は空けておかないと、チャンスを掴むことはできない。
「努力で解決しよう」「頑張ればなんとかなるかも」と考えている人は、つねに両手が塞がっていてチャンスを取り逃す。』

中国の古典、「大学」の中に次のような言葉がある。
「心不在焉、視而不見、聴而不聞、食而不知其味」
(心、ここにあらざれば、見れども見えず、聞けども聞こえず、食らえどもその味を知らず)
心がここになくて、うわのそらだったら、何を見てもそれが見えないし、何を聞いても聞こえないし、何を食べてもその味がわからない。
意識がそこにいっていないからだ。
多くの人は見たいと欲するものしか見ない。

心がここにないということは、余裕がないということ。
余裕がないと、目の前のことに忙殺されてしまい、ものすごいチャンスが目の前を通り過ぎても見過ごしてしまう。

余裕がある人は、そこにどっぷり浸からず、物事を色々な角度から眺めることができる。
同時に、短期的にではなく長期的にものを見ることもできる。
また、枝葉ではなく、本質でものを見ることもできる。

「チャンスの女神の前髪を掴むには」
常に心に余裕を持ち、色々な角度から物事を見ることができる人でありたい
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2020年03月29日

No 5529   【人に奢られて生きていく】

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おいちゃんのお気に入りブログ【人のこころに灯をともす】からの転載です

【人に奢られて生きていく】

プロ奢(おご)ラレヤー氏の心に響く言葉より…


僕は現在22歳で、19歳のときに某理系大学を半年で中退したのち、ヨーロッパをほぼカネなしで3か月ほど散歩しに行きました。
そこから日本に帰国したあとは「プロ奢ラレヤー」として、ツイッターを介してだいたい月50〜60人ほどからメシを奢られる生活をかれこれ3年ほどやっています。
つまり、「他人のカネで焼肉を食べる」のが僕の今の仕事です。
そうです。
他人の金でメシを食べています。
これで、だいたい僕のことを理解していただけたでしょうか。
「どうしてプロ奢ラレヤーなんて活動を始めたの?」と聞かれることも、もちろん多いです。
が、僕からすると「自然に生活していたらこうなった」というだけで、特別なことだとは思っていませんでした。

ヨーロッパから帰ってきた後は、なぜか僕に興味を持った“友達の友達の友達”みたいな人たちから「メシ奢るから会おうよ」という“奢り依頼”が絶えず、「まあメシ食えるならいっか」という感じで毎日誰かと会って、できた友達の家に泊まるような生活をしていました。
すると少しずつ「あいつにメシ奢れば会えるし、面白いよ」「奢ってでも会う価値あるよ」「お前も連絡してみなよ」なんていう形でクチコミが広がり、いつの日からか「あの人、メシ奢られるだけで生きてるんだって。気になる」「私も奢ってみたいな」「ツイッターでDMしてみようかな」なんてことをぜんぜん知らない人からも言われるようになっていました。
なんのウケも狙わず、いつもどおり自然とともに生活しているだけの民が、先進国の人々から「あいつらライオン狩っててワロタ」と勝手に人気になる現象に似たものを感じます。
確かに、僕もライオンを狩る人は好きです。

そんな経緯で、いつのまにか「プロ奢ラレヤー」になっていた僕なのですが、そんな中「奢りにくる人達が個性的でなかなか面白い」「せっかく面白いのに、ただ忘れてしまうのはなんとなくもったいないな」「なにかサクッとやれることはないか」と考えるようになりました。
そこで奢りにきた人の話をもとに「こないだ心臓で性的に興奮しちゃう心臓フェチが驕りにきたんだけど〜」「これは財産の差し押さえのバイトしてる人から聞いた話なんだけど〜」と面白おかしくツイートをしていたら、ツイッターのフォロワーも増え、いつしか約9万人に。
フォロアーのうち10%が1回ずつ奢りにっくると仮定すると、向こう15年くらいは奢られ続けることができる計算です。
まあ、トンデモ計算だけどね。

そうしてフォロワーが増えるにつれ、奢り依頼の数も増えていきました。
その半面「フォロワーが増えると、書きづらくなることも多いな〜」と思うことも増えました。
自分自身の話はもちろんのこと、奢りにきた人の話も「ちょっと身バレするかもしれないので、ツイートはしてほしくないです…」と言われることも多くなりました。
現在のツイッターは「血に飢えた動物のはびこるサバンナ」なので、よくわからないことですぐに炎上したりします。
多くの人がビビるのも当然っちゃ当然です。
僕も以前、箸を持っている画像を上げたら「お前は箸の持ち方が汚い」「育ちの悪さが窺える」「箸もマトモに持てないなら海外に移住しろ」とお箸界隈の方々に総スカンを食らったことがあります。
ツイッターはとても恐ろしい世界です。

と、ツイッターが危険になってきたこともあり、軽めの内容を継続してツイートしつつも、それと同時に少しリスクのある話などを「note」という文章を売ることができるサイトで月698円の有料メルマガを配信し始めました。
「ツイッターでは言えない話」をそこに書きはじめたわけです。
そんなこんなで、ただ奢られ、それをもとにサクッと簡単な日記を書くだけでnoteから「月3桁万円くらいのお金」も口座に振り込まれるようになり、いよいよ僕もよく分からない人間になってきました。
そんなよく分からない僕の元に「ぜひ!うちで本を出しませんか?!」と出版社の偉い人がやってきて、そこで生まれたのがこの本というわけです。

『嫌なこと、全部やめても生きられる』扶桑社

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キンコンの西野亮廣氏の話の中によく出てくる、小谷真理(まこと)さんというホームレス芸人がいる。
1983年生まれの37歳。
「何でも屋」をうたい、自分の一日を50円で売るという日常をおくっている。
ある時は、一日草むしり、ある時は、引っ越しの手伝いや、飲食店の皿洗い。
現在結婚している奥さんとは、「鬼ごっこ」の依頼を受け、意気投合して一緒になった。
結婚費用もクラウドファンディングであっという間に170万円集まったという。

どうして毎日暮らしていけるのかというと、それは「信用」だという。
一日中草むしりをたったの50円でやってもらったら、依頼人は誰でも、お昼も夕飯も出すし、飲みにも連れて行きたいと思うようになる。
このことによって、小谷氏は誰よりも感謝されるようになった。
そして、まとまったお金がいるとき、クラウドファンディングをやり、ことごとく予定のお金を上回って成功している。
なぜなら、今まで50円で小谷氏を買った人たちが皆応援するという。
つまり、「感謝」は「信用」であり、それはお金とつながっている。

まさにこの「信用」は、人に奢られて生きている、「奢ラレヤー」氏も同じ。
自分の生き方を、人に、ゆだねきり、まかせきったとき、頼まれごとの人生が始まる。
頼まれごとの人生とは、頼まれたことを「不平不満、愚痴、泣き言、悪口、文句、辛い、嫌だ、疲れた」という言葉を使わないでこころよく引き受けること。
いい仕事をしようとか、ほめられようとか、気負わずに「いい加減」でニコニコして淡々とやっていく。
しがらみや執着をなくし、自分が得をしようとかも一切思わない。
すると自分の生き筋や使命が見えてくる。

人には、様々な生き方、暮らし方がある。
人に奢られて生きていく、という人生もまた面白い
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2020年03月28日

No 5528   【営業はいらない】

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【営業はいらない】

三戸政和氏の心に響く言葉より…


私は10年後には営業という概念がなくなっていると確信している。
大量生産、大量消費を煽ってきたビジネスモデルから、「本当に必要なモノやサービス」だけが生き残る時代に移行すると考えているからだ。
「本当に必要なモノやサービス」へのアクセスは、今は非常に容易となった。
Googleの検索窓に文字を打ち込めば、ものの数分で情報にたどり着き、自宅にいながらにしてモノが購入できる。
AI時代に入れば、インターネットに埋もれる膨大なモノや情報の中から「自分に必要であろう」情報が自動的に送られてくるようにもなっている。

先日亡くなった瀧本哲史氏も、2011年の著書『僕は君たちに武器を配りたい』の中で、「(資本主義社会の中で)今後生き残っていくのが難しくなるだろう人種がいる。
それは(略)単にモノを右から左に移動させることで利益を得てきた人(略)会社から与えられた商品を、額に汗をかいて販売している日本の多くの営業マン」だと予見している。
瀧本氏がこの本を書いてから8年が経ったが、事実、営業マンを多く抱えるJTBは「2022年までに従業員数を自然減と採用抑制で2000人程度(現在の総数の7%程度)減らす」という方針を2019年に発表している。
それ以外の変化の兆候について、その項目を列挙してみよう。

1. AmazonによってBtoCにもたらされた大変革は、BtoBの現場でも起きはじめている。
2. 医療業界では、営業の代名詞と言えるMR(医薬情報担当者)を代替するサービスがすでに浸透している。
3. フィンティックが銀行業界を脅かしているように、あらゆる営業の分野で、セールステック(営業支援ツール)の存在感がますます大きくなっている。

これらのことから浮かび上がるのが、もはや「営業はいらない」という現実だ。
10年後にはこの社会から営業という概念がなくなっているという確信がある。
変化はすでに忍び寄っている。
気づいたときには世界はもう変わっていた、ということにならないよう、営業マンたちよ、刮目(かつもく)せよ…、という話なのだが…。

15年にわたってテック業界を見てきたベンチャーキャピタリストの私としては、テクノロジーが人の想像をはるかに超えて進化することを体感している。
私がベンチャーキャピタリストになった15年前は、まだiPhoneの姿形もなく、日本にFacebookも存在しない時代だった。
この時代には、サイズのパターンが多く、試着が必要な「服飾」は、ネットで売れないと言われていた。
しかし実物を手に取らないと売れないとされていた服飾も、その後、アパレルECのzozotownが、テクノロジーを使ってそれが可能であることをあっという間に実証した。

iPhoneが日本に上陸した2008年には、日本経済の水先案内人であった大前研一氏が、「日本でiPhoneは流行らない」と断言していた。
当時はガラパゴス携帯のネット通信やポータブルミュージックなどの機能が充実していたし、ワンセグや着うた・着メロなど日本独特の機能がよく使われていたからだ。
Facebookが上陸したときも、世間では「日本人は実名で何かを発言することは不得手だから、実名制のSNSは使われない」と言われていた。
しかしそんな批評や疑念が、10年経った今、まったく間違っていたことは誰もが知るところだろう。

こうしたテクノロジーの進化を先読みするセンスはすぐに備わるものではない。
私たちベンチャーキャピタリストは、とてつもなく僅少な情報で軌道を想像し、判断できるよう日々訓練している。
今、芽吹こうとしていくつかのテクノロジーから将来を予測するのが、我々ベンチャーキャピタリストの仕事であるが、これまで1000社以上のベンチャー企業を見てきた鍛錬の結果、今、私は「営業はテクノロジーに置き換えらえる」と確信している。
近年、営業という概念を脅かすセールステックのベンチャー企業がさまざまなツールを世に生み出している。
それらの動向を認識し、テクノロジーの進化の先を想像すれば「営業はいらない」ことをきっとあなたも理解できるだろうと思う。

『営業はいらない (SB新書)』

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三戸政和氏は本書の中でこう語っている。
『私は「営業(という行為)がなくなる」と言っているだけで、今、活躍している営業マンのみなさんが、即座に路頭に迷うと言っているわけではない。
だが、近い将来、営業(という行為)がなくなる可能性が高いのであれば、営業マンは次なる道を模索し、準備しておいたほうが得策なのではないかという提案をしたいと思っている。
「営業がなくなる」前提で次のオプションを考えながらビジネスキャリアを歩む人と、「営業はなくならない」と断じて今の立場を維持する人では、どちらが有利なビジネスキャリアを歩むことができるだろうか。
私は何事も選択肢は多いほうが有利だと考えている。』

営業だけでなく、自分の会社は安泰だ、と思っている人はなんのアクションも起こさない。
危機感がないからだ。
もしかしたら倒産するかもしれない、という危機感を持っていれば、必死になって努力をする。
当事者意識があるかどうかでもある。

今という時代は、デジタル革命という大変化のさなかにあり、様々な職種、職業、会社がなくなることが運命づけられている。
何百年に一度の歴史的な転換点なのだ。

「営業はいらない」
営業がなくなるかもしれないという前提で、
新たなチャレンジができる人でありたい
posted by Dr.モーリィー at 07:13| ちょっと気になる善い言葉 | 更新情報をチェックする

2020年03月27日

No 5527   【シェアしたがる心理】

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【シェアしたがる心理】

天野彬(あきら)氏の心に響く言葉より…


SNSは私たちの情報行動、ライフスタイル、そして価値観までも一変させてしまった。
そのSNS上でのコミュニケーションが写真や動画中心になってきている。
本書は、それをビジュアルコミュニケーションの実践と捉えつつ、ユーザーの情報行動がどう変わっているのか、そして「シェア」がいかに重要になっているのかを筆者が携わった調査結果をベースに論じるものだ。

本書はビジュアルコミュニケーションについての書籍だから、この言葉をはじめに定義しておく必要がある。
一般的には文字やサイン、標識のようなものも含む広義の意味にわたるが、本書ではこの言葉を「スマートフォンのアプリケーション」を通じた「写真や動画などによる意思疎通のやりとり」と定義的に捉えている。

ある説によれば、文字に比べ、写真は7倍もの情報を伝えられるという。
視覚中心の情報のやりとりを行う現在のウェブにおいては、通信環境の向上と共にこうした伝達方法(=ビジュアルコミュニケーション)が選択されるのは自然なことだと言えるかもしれない。
さらに、もう一つの視点として、本書が注目するのは「発信する生活者」としてのスマホユーザーの姿だ。
コンテンツとしての写真や動画を見るといったものだけでなく、スマホを片手に自分の写真や動画を撮ってはシェアする…そんなユーザー同士のコミュニケーションをここでは念頭に置いている。

繁華街を歩けば、オシャレなカフェに立ち寄れば、観光地に赴けば、そんな生活者の姿であふれている。
現代では、誰もがシェアするような瞬間を探しながら生きているといっても過言ではないのだ。

コミュニケーションには意思や目的が伴う。
もちろん意図せざる結果を招くこともつきものだが、やはりそこには事前に想定された目的などがある。
「シェアしたがる心理」とは、まさにこの論点を深堀していくために冠されたものである。

そして、そのシェアを促すようなSNS上の情報環境の特性を考察していく。
そのポイントの一つとしても挙げられている「ググるからタグるへ」は特別に大切なキーワードという位置づけだ。
情報行動のかたちがいわゆる検索エンジンで探すことでけでなく、ハッシュタグをユーザー同士でつけてシェアしたコンテンツをSNSの中で探すように変化していることを示している。
ハッシュタグをつけてコンテンツをシェアすること、そして「手繰る」ように情報を集めていくことをいう二つの言葉をかけた造語が「タグる」。
SNSにおけるシェア文化を考えるうえで欠かせない視点となる。

『シェアしたがる心理~SNSの情報環境を読み解く7つの視点~』宣伝会議

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天野氏は本書の中でこう語る。
『スマホの普及は、その世代の多くがカメラと高度なネットワーク接続端末をつねに持ち歩くようになったことを意味している。
SNS上でも、文字中心のコミュニケーションが減少し、ビジュアル中心のコミュニケーションが盛んになっていく、一つの変曲点となった。
いわば、スマホの普及率の上昇という量的な変化が、私たちのコミュニケーションのモードのビジュアル中心へのシフトという質的な変化を生み出したのだ。
特に若年女性についてはフェイスブック、ツイッターなどユーザー数の多い基底的なSNSももちろんアカウントを所持し使っているが、使う時間や熱意を見ると、インスタグラムやスノーなどビジュアルコミュニケーションのためのアプリにどんどんシフトしてきている。
キーボードで文字を打つ代わりに、私たちはカメラを向けて目の前の現象を切り取り、記録し、加工して遊びながら、シェアするようになっている。』

『自慢はそれが承認されることによってこそ中毒的な快感を生む。
その快感は私たち一人ひとりのアイデンティティを刺激するのだ。
私たちのシェアしたがる心理には、SNSでのいいね!やコメントなどインタラクションをたくさん引き起こしてくれる「SNS映え」の要素が深く関係している。』

インタラクションとは、英語の inter(相互に)とaction(作用)を合成したもので、アクションとリアクションが起こることで、一方通行ではない双方向の状態をいう。
今までのテレビやラジオといったメディアは、ほとんどが一方通行だ。
しかし、SNSはインタラクティブで、対話するような感じだ。
だから、最近はビジネスでも、メールではなく、チャットの方が多く使われる。
そしてメールは文章が中心だが、チャットでは映像が多用される。
文章にしたら長くなってしまう説明も、画像を送れば一発で分かる、なんていうことが多い。

現在、SNSには自慢や承認欲求が横行している。
そして、それを見て、嫉妬したり、うらやましがったりする人も多いのも事実だ。

現代の大きな流れ…
シェアしたがる心理を今一度、正しく学びたい
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2020年03月26日

No 5526   【破壊的新時代の独習力】

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【破壊的新時代の独習力】

キャメル・ヤマモト氏の心に響く言葉より…



20年近く前、2年半ほど、私はシリコンバレーで働いていました。
そのとき、ベンチャー企業とその周辺での、組織のつくり方、人々の働き方、キャリア形成、技術のとらえ方、お金の動き方、それらのベースにある考え方や行動のお作法など、ほとんど日本と真逆といっていい情景を、日々目の当たりにして、彼我(ひが)の差異を痛感しました。
彼らのお作法とは、若い人中心で、人間関係や組織がフラットで、スピーディで、個人の才能を大切にしつつ協働を重視するということです。
肩書きがどうだとか、出身地・学校とか、性別やLGBTかどうかなどは気にせず、能力の中身と価値観と目的で判断するということです。
一言でいえばしがらみがないのです。
過去にしばられないで、未来に向けて、若い人たちが動きたいように動くということです。
そこには慎重さのかけらもありません。

そのくせ、お互いに対するリスペクトは極めて高いですし、コラボレーションするのが当たり前で、「みんなで渡ればこわくない」みたいなリスクテイクします。
個性や自律性も高いのですが、一匹狼で、なんでも自分でやる、といことではまったくありません。
個性や自律性が高いくせに、他の人とコラボすることを当然のことと考えています。
日本だと協力的な人はどちらかというと個性が弱く、調整ばかりしている人になりがちです。
個性が強くて、だからこそコラボする、というこの組み合わせが肝です。

20年前のこのようなシリコンバレーの文化は、新時代の先端を走る破壊者たちの像と重なります。
確かにこの20年で、技術は格段に進歩していますが、組織・人材・能力などソフトな面のOSは20年前から続いています。
むしろ、脈々と続くシリコンバレー流の文化こそ、不断に新しい技術や製品やサービスを生み出す遺伝子といってもよいでしょう。

このようなシリコンバレー型の組織・人材・働き方・考え方・動き方・協働などが、これからの時代には適合的です。
シリコンバレー型といってしまいましたが、正確にいうと、「ネットワーク型」の「組織・人材・能力・行動」です。

これに対比されるのは「階層型」の「組織・人材・能力・行動」です。
たとえば日本人企業(日本人が中心になっている企業でグローバル企業も含む)は、依然として階層型組織です。
新卒大量採用に始まり、先輩・後輩という秩序が保持され、能力主義といっても年功的秩序を崩さない範囲内にとどまり、キャリアは社内で形成されるのが相場です。
概して高齢の人たちが権限をもっているせいか、組織も老化し、意思決定や動きのスピードが落ちています。
安定はしているのですが、安定は安全を意味しないのが破壊的時代のおそろしいところです。

ニーアル・ファーガソンというイギリスの歴史学者が書いた「広場とタワー」という本で、シリコンバレー型のフラットなチーム・ネットワーク組織と、従来型の改装組織を対比し、画像的に鮮やかに示しています。
ネットワーク広場で、この間まで、元気に広場を行きかっていた若い人たちが、しばらく前からタワーに入り、修行することになります。
破壊的な新時代の前であれば、タワーでの階層的な秩序やお作法を身につけることが社会人になることでもあり、ビジネスパーソンになることでもあり、一種の通過儀礼として必要なことでした。
ところが新時代は違います。
若い人にとって、階層組織の作法をある程度学ぶことは必要ですが、それに染まったらアウトです。
もともともちかけていたネットワーク的な考え方や感性や動きや人間関係に、さらに磨きをかけるべきなのです。
これまでのネットワークを、もっとグローバル化するとか、異なる世代との間にも広げるとかです。
会社は、そういうネットワーク拡大のためのプラットフォームとして活用すべきなのです。

時代遅れのタワーに住み続ける先輩たちは、自信のあるよい先輩でも、いや、むしろ健全な自信をもった人ほど、「こういう場合はこうやるんだよ、たとえばおれが○○部で、××顧客を相手にしていたときこんなことをやった」という昔話を教えてくれます。
あるいは部長とか役員とか社長とか、そういう人の逸話を話してくれます。
階層社会では、昔、こういうふうにやってうまくいったという知識や経験がパワーの源泉であり価値の源泉です。
ですから彼らがそいう話をするのに悪意はありません。
ところが、残念ながら時代に断層ができて変化している今、「こういう場合」という前提がなくなっています。
昔の状況でやった話はあくまで階層組織の時代の話です。

新時代においては格差がさらに拡大するといわれています。
人材が価値創造者(新時代のスマート蟻)と価値消費者(キリギリス)とに大きく分かれるという見方も出てきてきます。
典型的ないい方をすれば、前者は今までよりもっと仕事をして、仕事を人生の中心的な楽しみをする人であり、後者は消費を中心にして仕事は必要悪の手段としてとらえる人です。
価値創造者は、仕事が遊びになって、働く時間も遊びの時間も境界なく、クリエーションに没頭し自分の物語を生きる人たちです。

『破壊的新時代の独習力』日本経済新聞出版社

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本書の中で「独習」についてこんな話があった。
『独習の具体的方法を、グローバル系コンサルティング企業のデジタル部門を、日本で立ち上げた知人のIさんから聞いた話を紹介します。
そのIさんが文学部出身と聞いたとき、私は少々驚きました。
Iさんの話を要約するとこんな感じです。
●今ほど、新しい専門性を身につけやすい時代はない。
●専門性を新しく身につけるのは3つのことが必要だ。
《大量のインプット》《アウトプット》《できる人相手のスパーリング》

「大量のインプット」とは、いわゆる教科書でなく、YouTube上の動画や検索で出てくる論文を読みまくればよい。
「アウトプット」は、知り合いや同僚の会話に、新しく学んだことを織り込んだり、ブログを書いたりして発信すればよい。
「スパーリング」とは、その分野に強い人に、独習中に浮かぶ自分の仮説をぶつけて、フィードバックを得ればよい。
文学部で外国語を学んだIさんは、プログラミングも、言語習得と本質は同じだといいます。
Iさんの場合には、もともと読書ばかりしているという特徴というか、強みがあります。
Iさんは読書を通じて、いわゆるリベラルアーツの素養(教養)があるわけです。
彼と一緒に仕事ををしていると、テクノロジーの話の中にアートの話や哲学の話がすっと入ってきます。
彼は日ごろ書き溜めているインプットやアウトプットを元に、その場で物語を組み立てる名人なのです。
この教養部分も、ほとんどが読書を通じた独習だそうです。
根底には独習力があるというわけです。
それがテクノロジー面での知識習得に表れたり、教養面での知識習得に表れたりしています。
ちなみに、書かれたものを読み解くと言う意味での読書は、独習の古典的な姿です。』

独習の基本は読書。
そして、読んだ本やSNS上の情報をブログなどでアウトプットして、実践に生かす。
この繰り返しが独習。

古来、読書は最も効率のよい学習法だと言われる。
著者が何日もかかって得た知識や情報が、その本に詰まっているからだ。

まさに、破壊的大変化の時代。
自らの独習力を高めたい
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2020年03月25日

No 5525   【「畳み人」という選択】

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おいちゃんのお気に入りブログ【人のこころに灯をともす】からの転載です

【「畳み人」という選択】

幻冬舎「あたらしい経済」編集長、設楽悠介(したらゆうすけ)氏の心に響く言葉より…



ビジネスにおいて「突飛なアイデア」という大風呂敷を広げる経営者やリーダーを「広げ人」と仮に定義するならば、僕が本書で定義したい「畳(たた)み人」は、仕事のアイデアを形にし、着実に実行に移す仕事人のことです。
リーダーに対する「名参謀」や「右腕」のような存在と言ってもいいでしょう。
広げ人が仕事のアイデアをゼロから生み出す「0→1の人」だとすれば、畳み人はその1を10にも100にもする仕事です。

会社のポジションで言うと、CEOが広げ人でCOO(Chief Operating Officer)が畳み人、また会社内の新規事業であれば、プロジェクトリーダーが広げ人で、それをサポートして現場メンバーとリーダーをつなぐNo.2のポジションが「畳み人」というイメージです。
前日本代表・長谷部誠選手や現日本代表の柴崎岳選手を想像していただけるとわかりやすいかと思います。
具体的には社長やプロジェクトリーダーである広げ人の一番近くで一緒にアイデアを組み立て、実行するためのあらゆる戦略を練り、チームを組成し育て、社内外の根回しもして、その事業全体を牽引し成功に導くのが畳み人の役割です。

世間的には「アイデアを生み出した人がすばらしい」と、広げ人ばかり評価される風潮もありますが、僕はアイデアを生み出した人と同じくらい、いやそれ以上にアイデアをきちんと実行させる畳み人をすばらしいと考えています。
有名なアメリカの経営学者であるピーター・ドラッカーもこう言っています。
“Strategy is a commodity, execution is an art.”
(戦略はコモディティであり、実行こそアートである)

仕事においてアイデアや戦略は消費されるコモディティ(日用品)のようなものですが、それを実行することはアートのように価値があるとドラッカーは言っているのです。
この言葉を借りると、本来の意味で仕事の真価が問われるのは、「アイデアや戦略をいかに実現するか」ということ。
アイデアは実行されてこそ意味を持ち、ビジネスでの大きなポイントになるのです。

そういう意味でもアイデアを実行に移す「畳み人」は、ビジネスにおいて欠かせない存在であると言えます。
また、そのビジネスを「畳む技術」も、多くの現場において欠くことのできない重要なスキルなのです。
畳む技術を身につけることは、バランスのいい仕事の筋力を作ること。
筋力があれば長い人生、仕事を行ううえで、多くのチャンスが舞い込みます。

『「畳み人」という選択 「本当にやりたいこと」ができるようになる働き方の教科書』プレジデント社

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「畳み人」は大風呂敷を広げたようなビジネスアイデアを、きちんとした形に畳める人というたとえを基にした造語だという。
実際、どんなにいいアイデアがあっても、それを実行に移さない限りそれは「絵に描いた餅」になってしまう。
だからこそ、実行力が問われる。

著者の設楽氏は、元々、就職や転職などの人材情報サービス大手のマイナビに在籍していて、個人的にも副業としてウェブデザインなどをやっていたという。
それが、幻冬舎に転職したときに役立った。
当時、すべての業務でデジタル化が遅れていた幻冬舎に入り、その技を生かしたところ、徐々に認められキャリアアップした。

リーダーや社長は時として大風呂敷を広げる。
だが、それを実行する人材がいないところでは、そのアイデアは永久に日の目を見ない。
そのアイデアを実行するときに必要なのが、今の組織にはない技術や、仕組みや、テクニックだ。
外部の会社からしたら当たり前のような、ちょっとした仕組みやテクニックがわかっただけで、プロジェクトが大きく進む、なんてことはざらにある。

自分が今持っていないスキルや知識を、身につけることはとても大事だ。
それは、たとえば人から頼まれてやった新しいことや、無茶振りされた難しい仕事の経験によって得られる。
今の自分の仕事を深めることが大事なことは言うまでもないが、しかしそればかりだと、新たな発想も生まれないし、自らの新しい世界も広がらない。

「戦略はコモディティであり、実行こそアートである」
「畳み人」という技を身につけたい
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2020年03月24日

No  5524   【人間関係の中心は“暖”】

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おいちゃんのお気に入りブログ【人のこころに灯をともす】からの転載です

【人間関係の中心は“暖”】

邑井操(むらいみさお)氏の心に響く言葉より…



人間関係の中心は“暖”だ。
逆に言えば冷たくないことだ。
冷たさは人をひきはなしてしまう。

人を冷評(れいひょう)する、冷嘲(れいちょう)する、無視する、蔑視(べっし)する、無関心さを示す、悪意で見る…等々。
みな人の心の冷たさのなせるわざだ。
それは相手の心を淋しくさせてしまう。
狂わせる。

人を孤独にして淋しがらせ、悲しませるのはこちらが相手を冷視し、冷遇するからだ。
暖か味に欠けているからだ。

人は誰でも孤独には耐えられない。
孤独も長ければ死を思うようにさえなる。
人を孤独にさせてはならない。
人の身辺を賑(にぎ)やかにし、心を華やかにさせる暖かさこそ、人間関係を良好に保つゆえんだ。
なぜ人が動いてくれたか、ああ、あの時暖かく迎えたからだった、と気がつけばいい。

人の不幸を喜ぶ人は、心の冷たい人だ。
人の不幸を悲しみ、同情する人は、心の暖かい人だ。

だが、そんな人でも人の幸福を心から喜ぶかとなると、必ずしもそうでもない人もいる。
それは人が悪いのではない。
ただ嫉妬心が強い人だ。
人の不幸を悲しみ、人の幸せを喜ぶ、そういうことのできる人が、人々から慕われ愛され尊敬され、晩成する大器だ。

『遅咲きの人間学 大器晩成のすすめ』PHP文庫

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斎藤一人さんは、「盛り下げることを言っちゃいけない」という。
盛り下げることを言う人は、「不平不満」、「グチ・泣き言」、「悪口・文句」、「心配ごと」など、相手を冷やすような否定的な言葉を言う人。
そして、人を冷笑したり、けなしたり、不機嫌だったり、バカにしたりする。
盛り下げる言葉を聞くと、場は一瞬にしてシラーとして冷たくなる。

反対に、「盛り上げる言葉」を使うと、まわりは、楽しくて、あたたかで和やかな気持ちになり、場は、明るく華やかになる。
「ついてる」、「うれしい」、「感謝してます」、「しあわせ」、「ありがとう」というような肯定の言葉を多用する。
そして、相手を、ほめたり、認めたり、いつも笑顔だったり、明るくてノリがよかったり、話していると相づちやうなずきが多い、というような人。

「愛語よく回天の力あり」
という道元禅師の言葉がある。
愛語は、困難な状況や難しい局面を、ひっくり返す力を持っている、ということ。

愛語とは、人をやさしく思いやる言葉だ。
それがまさに、「暖」であり、人を盛り上げる言葉。
人の心がポーっと暖かくなり、ほっこりさせる。

「人間関係の中心は“暖” 」
人を盛り上げる「愛語」を多用したい
posted by Dr.モーリィー at 07:07| ちょっと気になる善い言葉 | 更新情報をチェックする

2020年03月23日

No  5522   【わらしべ長者的キャリア】

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おいちゃんのお気に入りブログ【人のこころに灯をともす】からの転載です

【わらしべ長者的キャリア】

伊藤羊一氏の心に響く言葉より…


《いつも目の前の仕事を120%の力でやってきたら、知らないうちにこうなっていた》

今の私が専門としている仕事は、「当時の職場でやらなければならなかったこと」とか、「たまたま頼まれて始めたこと」ばかりです。最初から「やりたい!」なんて気持ちは一切ありませんでした。
自分で「こんなキャリアをつくいっていこう」と思って始めたことではありません。

たとえば、プレゼンテーション。
これは、プラス(文具・オフィス家具製造流通)にいたとき、自社の営業職を相手に、プレゼンの稽古をする必要があって手がけるようになりました。
といっても、自分も最初からプレゼンが得意だったわけではありません。
なんとか営業マンたちの力を底上げしたい、という義務感から、手持ちの知識や経験をフル活動して必死にアドバイスしていた、というのが正直なところです。

その後、縁あってKDDI&Laboというスタートアップ支援プログラムに招かれ、スタートアップの起業家たちにプレゼン指導をする機会がありました。
私は普段通りにプレゼン指導をしたのですが、その稽古を受けた受講生のレベルが急激に上がって、とても驚かれたのです。
このことをきっかけに、さらに他のプログラムにも呼ばれるようになりました。
ほうぼうで稽古をつけているうちに「本を書いてください」というお話をいただきました。
これが2018年に出した『1分で話せ』です。
今ではおかげさまで、35万部のベストセラーとして様々なメディアに取り上げられ、大変多くの方に読んでいただいています。

ここで私は自慢をしたいわけではありません。
申し上げたいのは、必要にせまられて始めたことを突き詰めて、成果をあげていくと、思いもよらない方向にことが進んでいく、ということです。
目の前の仕事や経験に対して、全力投球して成果を出す。
それがきっかけとなり、あちこちへと呼ばれる機会が増えていく。
すると、思いもしなかった自分になっている。

いわば、1本のわらしべを交換していき、気がつくとお金持ちになっていた「わらしべ長者」のような人生です。
これを私は、「わらしべ長者的キャリア」と呼んでいます。

リーダーシップ開発についても、同じことです。
40代になってから学んだグロービス経営大学院で、ご縁をいただき指導を始めたのがきっかけです。
さらに、私がグロービスで教員をやっていることを知ったヤフー前社長の宮坂学氏に声をかけられて、Yahoo!アカデミアに呼ばれました。
それまで事業をやっていたのに、教育をやる。
はたから見れば、「大胆なキャリアチェンジだな」と思われたかもしれません。
でも実際のところは、「呼ばれたから引き受けた」「これまで社内の業務としてやったことを広げた」というだけのことです。
すべては急に降って湧いた話ではなく、必ずそれまでに取り組んできた仕事と、つながっているのです。

世の中には、はじめからやりたいことがあって、明確な目標や志を掲げてキャリアを築き上げてきた、という人がいます。
「目標から逆算すると、今これをやるべき」という未来への道筋がはっきりと見えていて、はじめから信念を持って仕事に取り組んでいる人です。
そういう人はとても素晴らしい。
私は心からリスペクトします。
しかし、私自身はそんな立派なキャリア形成とは無縁でした。
というより、目標に向かっていくキャリアプランは描きたくても描けませんでした。

でも、だからこそ、今やっていることに無我夢中になって取り組むことで、自分の可能性をグンと広げることができた、とも思っています。
ですから、ひっとしたら、「キャリアプラン」なんて必要ないのかな、と思います。
明確な目標や「心からやりたいこと」だって、最初は必ずしも必要ないのかもしれない。

むしろ、目の前の仕事や経験の中にこそ、「将来の武器」が潜んでいると思っています。
そう思うのは、「それでもなんとかなった」という自分の経験があるからです。

『やりたいことなんて、なくていい。 将来の不安と焦りがなくなるキャリア講義』PHP

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小林正観さんは、「頼まれごとがある人生」が一番面白いし、それを積み重ねていくと、自分が考えてもみなかった人生になっていく、という。
人から頼まれたり、やらなければならないことを淡々とやっていくと、それを見ている別の人からまた頼まれる、ということが起こる。
そして、次々と「頼まれること」が連鎖してくと、まさに、伊藤羊一氏のいう「わらしべ長者的キャリア」となる。

また、目の前のことを不平不満や文句をいわず、笑顔で淡々とやっていくことは、伊藤氏のいう「120%の力でやっていく」という言い方に置き換えられる。
そして同時に、そいう人は「頼まれやすい顔」になっている。
頼まれやすい顔とは、いつもニコニコして、グチや不平不満を言わず、機嫌のよい人のこと。
反対に、頼みにくい顔は、いつもぶっきら棒で、グチや不平不満が多く、不機嫌な人。

「やりたいことなんて、なくていい 」
頼まれたことや、やらなくてはならないこと…
目の前のことを、文句をいわず、笑顔で淡々とやっていく人でありたい
posted by Dr.モーリィー at 07:16| ちょっと気になる善い言葉 | 更新情報をチェックする

2020年03月22日

No 5521   【困難が大きいからこそ生きがいがある】

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おいちゃんのお気に入りブログ【人のこころに灯をともす】からの転載です

【困難が大きいからこそ生きがいがある】

松下幸之助氏の心に響く言葉より…


これまでの歴史の中で、困難な時代というのは幾度もあったろう。
しかし、ある意味では今日ほど、むずかしい、たいへんな時代はないのではなかろうか。

大国といわず小国といわず、先進国といわず新興国といわず、ほとんどの国が、いろいろなかたちで政情不安に悩まされている。
しかも、昔であればそういうことも一つの地域、一つの国という狭い範囲にとどまりえたが、現在では、あらゆることが瞬時にして世界のすみずみにまで伝わり、それが影響しあって、お互いの不安を高め、動揺を大きくする。
まことにかつてない非常時であり、動乱期だといってよいであろう。

だから、今日に生きるわれわれは文字どおり一寸先は闇とでもいう状態である。
平穏無事の世の中なら、安心してそれぞれの仕事に専心し、自分の畑だけを耕していればそれでいい。
ところが、社会の姿がこのように流動し、変転きわまりなくては、せっかくの自分の働きなり努力も十分な成果を生みえないかもしれないし、その成果すらも一瞬にして無に帰しかねない。

考えてみれば、実に頼りないというか心もとない気がする。
こういう状況では、だれしも不安を感じ、動揺するのは一面当然すぎるほど当然である。

だが、しかし、ここで考え方を変えてみたい。
“こんな時代に生まれあわせたことはまことに幸せではないか”と。
困難であり、不安定な時代である。
それだけにこれと対決し、事をなしてゆくということは、非常にむずかしいけれども、それはまた実におもしろい、やりがいのあることではないだろうか。

見方によっては、われわれは今、千載一遇(せんざいいちぐう)の好機に恵まれている。
困難が多いからこそまことに生きがいのある時代なのだ。
そういうところに思いを定めて、これに対処してゆくことが大切なのはないだろうか。

『[新装版]思うまま』PHP

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これは昭和46年(1971年)に書かれた本だ。
今から約50年前。
日本経済は戦後最大の波乱にみまわれたという。

まさに、今も、このコロナショックで、このままいくと日本経済は、リーマンショックどころではない戦後最大の未曽有の危機になるかもしれない。
なぜならこれは、日本一国のことではなく、ほぼ例外なく世界中の国々に蔓延し、それが経済に影響を及ぼしているからだ。

これこそ、まさに「国難」と言っていい。
国難とは国家全体が受ける危難のことをいうが、会社経営においても、これほど困難で、厳しい時はない。

しかし、これを困難と捉えるか、好機と捉えるか。
まさに松下翁のいう、「われわれは今、千載一遇の好機に恵まれている」と捉えることができるのか。

我々の先人たちは幾多の大きな困難を乗り越えてきた。
だからこそ、今、我々が乗り越えられないはずがない。

「困難が多いからこそまことに生きがいのある時代」、と思える人でありたい
posted by Dr.モーリィー at 19:11| ちょっと気になる善い言葉 | 更新情報をチェックする