2020年12月01日

No 5840    産休  保育所  大感謝‼

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11月末で 受付・歯科助手スタッフ1名が 産休に入りました

1年以上の産休の後また 復帰予定です  

元気な赤ちゃんが 生まれることを 祈念しております

また現在産休中の 受付・歯科助手スタッフが 12月からパートタイムで

慣れてきたら 来年からはフルタイムで 復帰予定です

その時に活躍するのが 企業主導型保育所「七福保育所」

産休中のスタッフに、保育所のスタッフに、国の制度に 感謝大感謝です


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2020年11月30日

No 5839  【神仏を敬い、陰徳を積む】

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おいちゃんのお気に入りブログ【人のこころに灯をともす】からの転載です

【神仏を敬い、陰徳を積む】

神主、帝塚山(てづかやま)大学客員教授、岡本彰夫(あきお)氏の心に響く言葉より…


《天に無禄の人を生ぜずといえり》(南北相伝極意・相伝修身禄)
江戸時代に、水野南北先生という相学者がいました。
相学者とは、「人相見」です。
先生が一生を費やして、どうすれば人は幸せになれるのか、運を開くことができるのかを追求し、世に遺された本が、五冊からなる『南北相伝極意・相伝修身禄』なのです。

この本の初めに「天に無禄の人を生ぜず」とあるように、先生は「食を大切にせよ」ということを、大きな眼目としていました。
私たちがおぎゃーと生まれてくるときに、天はすべての人が幸せになるための「物」や「事」を用意してくださる。
人は誰でも、それを持ってこの世に生まれてくるのです。

神様は「この人は一生のうちにこれだけのお米を食べ、これだけのお酒を飲み、何着の服を着て、何枚の紙を使える」など、食や物を保証してくださっている。
だからこの世に「食べていけない」人はいない、ということです。

神様は私たち一人ひとりに見合った、幸せの弁当箱を持たせてくださいます。
この弁当箱は、私たちが生きている限り大事にしていかなければならないものです。
食べ物を粗末にしたり、むやみに食べすぎてはいけません。

後や先を考えずに早弁をすると、肝心なときに食べる物がなくなり、お腹をすかせることになります。
これは食べ物だけに限ったことではありません。
苦楽もそうでしょう。

もし一生のうちに、その人が苦労しなければならない分量というものがあるとすれば、若いうちにセッセと苦労すると老いてから幸せになり、逆に若いうちに楽しみを尽くしてしまえば、あとは苦労しか残っていないということになります。
天からいただいた弁当箱は無限ではありません。
人としての努力や精進が必要です。
そして、この弁当箱がある限り、天は必ず私たちをご覧になっているのです。

「私さえ良ければいい」という考えではいけません。
「人様のために」と考えて行動する人には、必ずそのお褒めが天からあります。
しかし、結果を求めて行動してはなりません。
心から「人様がお幸せに」と思ってする純真な行為にこそ、天のお褒めがあるのです。

『神様が持たせてくれた弁当箱』幻冬舎

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本書の中に「人相の達人」の話があった。
『江戸時代に人相の達人といわれた、五嶽道人(ごがくどうじん)の逸話をご紹介しましょう。
あるとき、五嶽道人が多くの弟子を引き連れて街の中を歩いていたところ、向こうから大きな米袋を担いだ人が歩いてきました。
道人はその人の顔を観て、咄嗟(とっさ)に「今に大騒ぎがおこるぞ」といいますが、注意の言葉も与えずに、そのまま通り過ぎて行ったのです。
しばらくして、後方で人々の「ワーッ」という声がまきおこり、一行が後ろをふりかえると、その米袋が裂け、道にお米が散乱して大騒ぎになっていたといいます。
この出来事が、後日悪い評判となりました。
相を究めた五嶽道人ほどの人物なら、危ない相を観た途端、すぐさま注意して、未然に防ぎ止めてやれたはずだというのです。
相を研究して、それで生計を立てているプロならば、その力は人の幸せのために役立てるべきであって、「どうだ、当たったであろう」とほくそえむだけならば、単なる「アテモノ」にしかすぎないだろうと、当時の人々は評価したのです。

ところが、相というものは、心掛けによって刻々と変化する、いわば「活物」とされています。
また昔から、人相見の敵は、「神仏祖先を敬っている者と、陰徳積善をする者」だともいわれています。
つまり、いくら悪い相が出ていても、心から神仏を尊んでいる人と、常に徳を積んでいる人には「冥加」があって、見えない世界の力で未然に助けられるので、鑑定がはずれてしまうというのです。
人相は医学の発達もみない時代に研究された事例の積み重ねです。
いわば、統計学なのです。
しかし、それをさらに超える偉大な力が存在することにも気づかねばなりません。』

昨今は、神仏や祖先を敬うと言ってもなかなかそれがすんなり通じない時代だ。
家に、仏壇や神棚がない家も多く、お墓参りやお朔日(ついたち)参りなどの神社参拝の習慣がないからだ。
親が日頃、神仏を敬っていれば、言わずとも子供も自然にそれに倣(なら)う。

実は、年齢を重ねれば重ねるほど、神仏への崇敬の念が必要となる。
なぜなら、だんだんとあの世に近くなってくるからだ。
そして、同時に陰徳を積む必要がある。
陰徳とは、人に知られることなく、密かにする良い行いのこと。

「陰徳陽報(いんとくようほう)」(淮南子・えなんじ)という言葉がある。
陰徳を積めば、必ずよい報いが現れる、ということ。

良いことをすると、すぐに誰かに言いたくなるのは人情だ。
しかし、そこをグッと我慢する。
しかも、それをSNSなどで発信してしまったら、陰徳にはならない。

神仏を敬い、陰徳を積む人でありたい
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2020年11月29日

No 5838   【偉人もみんな悩んでいた】

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おいちゃんのお気に入りブログ【人のこころに灯をともす】からの転載です

【偉人もみんな悩んでいた】

こざきゆう氏の心に響く言葉より…



江戸川乱歩(えどがわらんぽ)は、大正から昭和にかけて活躍した作家で、日本でミステリー小説を定着させた人。
そんな乱歩が学生時代に、とにかくきらいだったのが、体育。
「地獄だった」と振り返っているほど、チョー大嫌い!

それは、自分のことをこんなふうに、罵倒するほどだった。
「かけ足がゾッとするほど、いや。器械体操の皆目できない弱虫。その上、内気者のにやけ少年。強いヤツにいじめられるために生まれて来たような男」
人と話すのもあまり得意ではなかったので、教室ではいつもひとりぼっち…。
グラウンドをかけ回るクラスメートたちを、遠くからながめていた。

ひたすら、ぼんやりするのが好きだった乱歩。
こんなことまで言っている。
「空想生活が現実の生活より楽しかった」
現実世界は、あまりにも苦痛だったのだ。

乱歩は、小学校、中学校とともにイジメにも悩まされ、半分くらい欠席している。
暗い青春時代を過ごした乱歩だったが、日暮れの街を、妄想をふくらませながら歩くことで、心を休めていた。
さらに、乱歩の想像力を大いにかきたてたのが、小説の世界だった。
乱歩は、早くから新聞に興味を持ち、連載されていた、探偵小説を母に読んでもらっていた。

小学3年生になる頃には、話の筋をすっかり覚えてしまったほど。
父の書斎もお気に入りだった。
天文学の本を読んでは、宇宙に思いをはせて、いまいる自分の居場所とは別の世界を、活字の海に見出した。

「少年時代のぼくを、何が活字へ引きつけていたかと言うと、それは活字のみが持つ非現実性であった。活字が描き出してくれる、日常の世界とはまったく違った、何かしらはるかな、異国的な無限の国への深いあこがれであった」
こうしてきらいな体育や、ゆううつな学校生活の中で、安らぎの時間を見つけ出すことで救われていた乱歩は、学校を卒業後、住み込みで貿易会社で働いた。
しかし、どうにも長続きしない。
どんな仕事をしても、ひとりでぼんやりする時間をつくれないので、嫌になって辞めてしまうのだ。
貿易商社、造船所、古本屋、雑誌の編集長、新聞の広告業務…。
そしてたどりついたのが、作家という仕事である。

現実から逃げるために、妄想していたことが、仕事として役に立つことになった。
本人も、作家の仕事を気に入って、のちにこう、振り返っている。
「毎日きまりきった勤めをしなくてすむことになったので、やっと助かった」
自分らしくいられる場所が、この世界のどこかに必ずある。
そのことを忘れないで。

『偉人もみんな悩んでいた』エイ出版社

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江戸川乱歩のペンネームはアメリカの小説家の「エドガー・アラン・ポー」に由来する。
明智小五郎と少年探偵団が活躍する「怪人二十面相」などを執筆した。
金融恐慌という時代背景もあり、著作は、退廃的で猟奇、残虐といった通俗小説の方がむしろ人気だったという。

人の一生は、本当にわからない。
学業が優秀でスポーツも万能、いい大学へ入り、一流企業に就職したとしても、会社員生活を鬱々(うつうつ)として過ごし、途中で辞めてしまい、ついには落ちぶれてしまう人もいる。
反対に、学校ではいじめられ、スポーツもできず、大学へもいかなかったが、事業を興し、悠々たる人生を送っている人もいる。

どういうことが、吉と出るか凶と出るかは神のみぞ知るだが、不運の中にあってその時期を、投げやりにならず、人や周りのせいにせず、淡々と暮らしている人には、いつか運が向いてくる。
なぜなら、不運の中に、幸運の種が宿っているからだ。

自分の特技や人と違っている特徴を生かし、文句を言わずやらざるを得なくなったことを引き受けていくと、やがてどこかで花が咲く。
落ち込んだときは、偉人伝を読むと元気が出てくる。

そして、流れにまかせ、コツコツ努力を重ねれば…
自分を生かせる場所がきっとやってくる
posted by Dr.モーリィー at 07:37| ちょっと気になる善い言葉 | 更新情報をチェックする

2020年11月28日

No 5837   【デタラメに決める】

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【デタラメに決める】

ひろさちや氏の心に響く言葉より…


私はいつも財布にサイコロを入れて持ち歩いています。
何かに迷ったら、奇数か偶数かで決めます。
天丼かうな丼かどちらにしようか…。
そもそも迷うというのは、どちらでもいいから迷うのです。

うなぎが嫌いなら、迷ったりしません。
そいういうときには、デタラメに決めるにかぎります。
デタラメというと、誤解を招きそうですが、これは「出たら目」。
出た目に従う。
出したのはほとけ様なのだから、ほとけ様に決めてもらう、ということです。 

大学の先生をやっていたとき、ときどき学生が相談に来ました。
「この大学やめようと思っているんです。来年東大を受けようかと…」。
毎年5月くらいになると、相談者は増えます。
「君、大学やめてもいいの?」
「やめてもいいんです」
「この大学にのこってもいいの?」
「はい、のこってもいいんです」
とこんな調子です。
「四分六ぐらい?どちらの分が多いの?」
「いえ、五分五分です」
私はサイコロをとりだして、学生に渡します。
「振ってごらん。奇数が出たらやめる、偶数が出たら残る」
すると学生はあわてます。
「先生、ふざけないでください。僕はまじめに相談に来たんですよ」
「私もまじめに答えているんだよ。あなたの人生にどっちがよかったかなんて、絶対にわからない」
と言い返す。

人間には、未来を決める権利などありません。
よかったという判断もつかない。
大学受験に合格してよかったと言うけれど、同級生と相性が悪くていじめられて自殺する青年もいます。
一年浪人して恋人に出会う可能性もある。
現役で入ったら、実力がなくて、中退するかもしれない。
一年間地力をたくわてから入ったほうがいいこともある。
どちらがいいかなんてわかりません。

私たちには未来はわからないのです。
キリスト教でもイスラム教でも、未来について知っているのは神だけです。
キリスト教ではこう言います。
「明日のことまで思い悩むな。明日のことは明日自らが思い悩む。その日の苦労は、その日だけでじゅうぶんである」

イスラム教ではこう言います。
「もし神がお望みならば…」
これは「イン・シャー・アッラー」という言葉で、自分たちが未来を語るときには必ずこれを付け足すのです。

「私は明日これこれのことをすると言ってはならない、ただしイン・シャー・アッラーとつければよい」
だからイスラム圏の飛行機に乗ると、イン・シャー・アッラー」と言ったあとで「この飛行機はあと十五分で成田空港に到着します」とアナウンスが流れます。
つまり、神様が望むならこの飛行機は到着します。
もしもダメだったら墜落するかもしれません、ということです。

自分の未来を決める権利は、神様にしかありません。
私たちは権利放棄でいいのです。
これが宗教の教えです。

学生にもこの話をして、どちらがいいかなどわからない、ほとけ様、あるいは神様、それとも宇宙意志にお任せして、デタラメに決めたらいいと言うのです。
にもかかわらず、彼らは「先生のアドバイスが欲しい」と言う。
「今はしおらしくそんなことを言っているけども、あとになって何かつまずいたときには、必ず私を恨むようになる。先生にあんなこと言われたから、俺はこうなったんだって」
私はそんな相談には乗りたくありません。
あなたが自分で決めるほかない。

でも、自分で決められないから悩んでしまう。
だから、サイコロで決めなさいと言うのです。
でも、二十人相談に来て、サイコロを振ったのは二人くらいです。

『人生はあきらめるとうまくいく』幻冬舎

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小林正観さんのこんな話がある。(豊かな心で豊かな暮らし)より
『たまたま一ヶ月ほどの間に、何人かの人から同じ質問を受けました。
「私に向いている職業は、どんなものでしょうか。正観さん、教えてください」というものでした。
もちろん、その数人は現在無職であるということでした。
私の答えはすべての人に対して同じでした。
「自分で好きな仕事、嫌いな仕事とより分けているうちは、宇宙さんも神も仏も味方をしないような気がします」と言いました。
自分にまわってきたことをやる、やる羽目になったことをやる、たまたまなにかの縁で声をかけられたり、頼まれたりしたらそれをやる。
そういうふうに考えていったら、職業はなんでもいいのです。
向き不向きというのがあるとは思えません。
向き不向きと言うのは、もしかすると自分の奢り、高ぶりなのかもしれません。
どんな仕事でも、誠実に真面目にやる。
真摯(しんし)に取り組む。
それに尽きるのではないでしょうか。
楽しい仕事というのがあるわけではないのです。
そんな仕事にいきなり恵まれてる人は、世の中にいないと思います。
好きだ、嫌いだと言うのではなくて、やる羽目になったことを、ただ淡々とやること。
それを真面目に誠実にやり続けること。これに尽きると思います』

「デタラメに決める」というのは、「たのまれごと」の人生を生きるのと同じだ。
人から頼まれたことや、たまたまやる羽目になったことを、文句を言わずにただひたすら真摯にやっていく、という人生。
「デタラメに決める」ことは、投げやりになったり、無気力にやることではない。
決まったことに対し、それが運命だと受け止め、誠実に真面目に努力する。

まさに、それが「お任せして生きる」という生き方。
「ここから先は神の領域」と思ったとき、ああだこうだとグダグダ言うことはなくなる。
それがストンと腹落ちしたとき、宇宙も、神も仏も応援してくれる。

未来は神のみぞ知る。
今、この一瞬を一所懸命に生きてゆきたい
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2020年11月27日

No 5836   【歴史のなかに埋もれた人間のなかに、ほんとうの人間がいる】

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【歴史のなかに埋もれた人間のなかに、ほんとうの人間がいる】

岡本太郎氏の心に響く言葉より…


尊敬する人はだれかと訊かれると、多くの人は徳川家康といったように歴史上の人物の名前をあげる。
その時代に権勢(けんせい)を誇ったり、成功した人物ばかりあげたがる。
ぼくはいつも疑問に感じるんだ。

もちろん、なかには源義経のように悲劇的な生涯を送った人物が好きだという人もいる。
たしかに義経の生涯は悲劇的でドラマチックだったけど、義経にしたって権力の側にあったわけだろう。
一時期は大変な成功者だったじゃないか。
だから余計、悲劇的な結末が浮き彫りにされているんだ。

ぼくはそういうふうに、とにかく歴史の記録に残っている権力者や有名な人物だけを尊敬する、そういうことにこだわりたくない。
記録に残っていない、まったくの無名の人物でも、素晴らしい。
己をつらぬいた尊敬に価(あたい)する人物はいっぱい存在したはずだろう?

そういう人間の運命のほうに、ぼくは加担したい。
人間はだれでも成功を願っている。
しかしそれより、成功しないことを前提に命を賭けてスジを通した人間のほうが素晴らしいじゃないか。
でも、成功しなければ歴史のなかに名前は残らない。
名前が残っているのは、ほとんどが成功した連中だ。

むろん成功しなかった者より成功者のほうが数が少ない。
成功者は何百万何千万のなかのわずか数名きりだ。
しかも成功した者を調べてみると、その人間をとりまくいろいろな状況が押し上げた場合が多い。
戦略妥協がうまかったり、成功したりして勝利をつかんだ。
そういう人物は、別段、尊敬できないし感動もないね。

むしろ歴史のなかに埋もれた人間のなかに、ほんとうの人間がいる。
人間は99.99パーセントが成功しないんだ。
つまり成功者でないほうがより人間的な運命なんだ。

そいう無名の運命のなかで、自分のスジをつらぬき通して、歴史にも残らないで死んでいった者の生き方に、ぼくは加担したいんだよ。
だけど、もうひとつ、いままで言ったことと逆のように聞こえるかもしれないが、英雄というものは、じつはひとりの実力だけでそうなったんじゃない。
時代の多くの人々の共感、情熱、願望が協力した、社会がそれに応えた、そういう面があることもたしかだね。

『自分の運命に楯を突け (青春文庫)』

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神渡良平氏は「無名の人」についてこう語っている。
『 安岡正篤先生は勉強会でよく「有名無力、無名有力」と言われた。
有名無力、無名有力とはこういう意味だ。
若いときには誰もがひとかどの人物になりたい、立派な会社を作り上げたいと一所懸命努力をします。
だんだん頭角を現し、人々の評価もいただけるようになって、名が上がって有名になってきます。
会社の規模も大きくなってきます。
そうなるとちょっとした名士になり、講演を頼まれたり、新聞に原稿を書いたり、テレビに出演したりして、だんだん忙しくなってきます。
そしていつのまにか自分を掘り下げる時間すらなくなって、有名ではあるけれども無力な人間になり下がることが多いものです。
しかし、世の中には、新聞、雑誌に名前が載るわけではない、テレビのスポットライトがあたるわけでもないけれども、頭が下がる生き方をしている方がいらっしゃる。
無名だけれども有力な生き方をしていらっしゃる。
私は時間がなくなって自分を失ってしまうよりも、無名のままでいい、自分を高め、磨く時間を持てる者でありたいのです。』 (下坐に生きる /Chichi‐select)

一発芸などで有名になったタレントは人気絶頂になるのも早いが、ダメになるのも早い。
絶頂のときは、あちこちのテレビ局や番組から、寝る暇もないほど出演依頼がある。
しかし、出れば出るほど、自分の中の引き出しは空っぽになり、ついには底をついてしまう。

これは、飲食店などでも同じことが言える。
お店をオープンし評判となり、寝る暇もないほど仕事をする。
しかし、何年かすると潮が引いたようにガランとした店内になる。
店のオーナーの引き出しが底をついてしまったからだ。

店が繁盛しようが、テレビに出まくろうが、あるいは不遇の時を過ごそうが、まわりに左右されずに、どんなときも、自分をコツコツと磨く人は長く生き残る。
すると、実力がたまり、周りの人が引っ張り上げてくれる。
「頼まれごと」の人生の始まりだ。
それが、「無名有力」の生き方。

有名無力ではなく…
無名有力を目指したい
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2020年11月25日

No 5835   【脳のアクセルとブレーキ】

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【脳のアクセルとブレーキ】

脳科学者、中野信子氏の心に響く言葉より…



当たり前のことになりますが、生物の生存に必要な基本原理は摂食と生殖です。
生きるために食べ物を食べますし、種を残していくために生殖行為を行い、子孫を残していきます。
そして、この二つの行動の源になっているのが「欲求」です。
このため生物は、欲求がなければ生きていくことができません。

そして、生物の基本原理の源でもある欲求をコントロールするため、「アクセル」が本能的に備わり、その欲求のままに生きることを止める「ブレーキ」と併せ、二つの仕組みがあることは、非常に自然なことなのです。
自然界では欲求の強い個体ほど、あるいは強欲であるほど、生き残る確率が上がり、逆に欲求の弱い動物では、生存競争を勝ち抜くことが難しくなります。
同様に人間も、欲求のままにアクセルを踏みっぱなしにしている個体が一番成功をつかみそうなものです。
ところが実際は、アクセルを踏みながらも適度にブレーキも踏み、欲求を我慢することのできる個体の所得のほうが高くなります。
こうした結果を見ると動物との違いは明確であり、つくづく人間は面白い存在だなと感じます。

ただ、脳のなかで欲求に対するブレーキが利きすぎた場合は、摂食障害で食事を摂れなくなってしまったり、禁欲的になりすぎるがために子孫を残せなくなったりするなどの弊害が生じます。
このため、ブレーキのほうが必ず弱くなるような仕掛けが、脳には備わっています。
欲求に対するブレーキを利かせないといけないケースでブレーキが利かなかった場合、人間は、ある種の後ろめたさを感じます。
また、ブレーキにはアクセルに対して時間的な遅れがあり、その遅れが次の行動に対しても少なからぬ影響を与えるため、アクセルとブレーキを上手に踏み分けることは、とても複雑な作業になるわけです。
こうした作業によって人間は欲求をコントロールすることができ、社会性が求められる集団のなかでも生きていくことができるわけです。

『脳のブレーキとアクセルの取扱説明書: 脳科学と行動経済学が導く「上品」な成功戦略』白秋社

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行動経済学者、真壁昭夫氏は「アクセルとブレーキ」について本書の中でこう語る。

『人間の欲求というのは非常に本源的なものなのです。
だからこそ、そこにブレーキをかけるということについては、誰もが違和感や不快感を抱きます。
ただ、皆にとって難しいことであるからこそ、欲求に対するブレーキのかけ方のコツをつかんだ人は、成功することができるのだと思います。
それでは、所得の高い人や成功を手にすることができるような人は、どのようにして自分の欲求にブレーキをかけているのでしょうか?
それを行動経済学の視点から考えたいと思います。
まず、ブレーキをかけることに対して違和感を抱かないことが必要です。
そのためにも、ブレーキをかけたあとに得られるメリットを明確にしておく必要があります。
受験勉強を例に取ってみましょう。
受験生は、友達と遊びに行きたい、ネットサーフィンがしたい、などといった様々な欲求や眠気を我慢して、勉強を続けているわけです。
勉強をして学力を上げるという行動は、志望校に入るために行っているわけです。
将来、達成できるかもしれない志望校合格と、遊びたい、あるいは眠りたいという欲求を比べ、前者のメリットのほうが大きく、後者をデメリットと感じた場合は、受験勉強を続けるという意思決定をするわけです。
ただし、メリットとデメリットの度合いというのは、人によって違ってきます。
高校三年生であれば、友達と遊びたいし、彼女とデートもしたいでしょう。
「私の青春を受験勉強だけで終わらせたくない」と思う人がいるかもしれません。
やはり欲求に対するアクセルとブレーキをきちんと踏み分けることは、非常に難しいことなのです。』

自制心のある人は、好感が持てる人であり、人物的に評価できる人だ。
それが、ブレーキを効かせることができる人であり、セルフコントロールができる人だ。

反対に、アクセルを踏みっぱなしの人は、自制心のない人、すなわち、身勝手で、わがままで、利己的な人だ。
要するに、成功するには程遠い人だと言える。

どんなにアクセルを踏んでいたとしても、セルフコントロール力を高め…
ここぞというときには、ブレーキをかけることを恐れない人でありたい
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2020年11月24日

No 5834   【農業新時代】

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【農業新時代】

川内イオ氏の心に響く言葉より…


「僕は農業って最高だとおもってますよ」
2018年5月、「NewsPicks」という経済メディアの取材で、杉山ナッツのオーナー、杉山孝尚(たかひさ)を訪ねた。
その時、彼がなにげなく言ったこの言葉が、日本全国、新時代の農業を担う人々を巡る旅のきっかけとなった。
杉山は、世界4大会計事務所のひとつ、KPMGのニューヨークオフィスで働くエリートだった。
しかし、あることがきっかけで30歳の時、故郷の浜松に戻って落花生の在来種「遠州小落花」の栽培を始めた。

それまで農業に縁がなかった彼が頼ったのは、書籍とグーグルとYouTubeだった。
まったくの独学で、無農薬、無化学肥料で落花生を育て、加工し、それをひと瓶1000円以上するピーナツバター「杉山ナッツ」として売り始めたのが2015年。
それから4年たったいま、2万個を生産し、すべてを売り切るまでに成長させた。

栽培方法から加工、営業、販売まで、杉山の話はアイデアと工夫のオンパレードで、話を聞きながら、何度、驚きの声を上げたかわからない。
杉山の取り組みはビジネスとしても高く評価され、磐田信用金庫が主催したビジネスコンテストで優勝している。
ビジネス全般を対象としたこのコンテストで、農家が優勝したのは初めてだったそうだ。
杉山は優勝賞金を使って、早稲田大学のビジネススクールで経営を学んだ。

従来の「農業」の常識にとらわれない杉山は、農業経験のないスタッフからの提案もどんどん取り入れる。
最高のピーナツバターを作り上げるための試行錯誤、その過程や変化が楽しくて仕方がないという。
だから、「農業は最高」なのだ。

日本の農業の現状について記したい。
農業は日本の食卓を支える重要な役割を担っているのに、現状がどうなっていて、なにが課題で、どんな動きがあるのか、農業関係者以外で詳しい人はそう多くないだろう。
調べてみて、驚いた。
一言でいうと、危機的だ。

農業就業人口は2000年の389万1000人から18年には175万3000人と半減。
このうち65歳以上の高齢者が120万人で、平均年齢も2000年の61.1歳から、18年には66.8歳に上昇している。
企業人なら定年退職して、のんびり暮らしているような世代の人たちが、日本の農業界の主力選手として暑い日も、寒い日も、雨の日も、風の日も、農作業に勤しんでいるのだ。
稼ぎも、少ない。
15年のデータだが、家族経営の農家における1時間当たりの所得、簡単にいうと、時給はたったの722円。

過酷な労働、明らかな低収入のまま働き続けてきた生産者が高齢になり、疲弊。
その姿を見てきた息子、娘はバトンを受け取らない。
どうしようもないから農地を放置する。
当然のように、生産高も落ちる。
その結果、18年度の日本の食料自給率は37%で、過去最低を記録した。
これがいま、日本全国で起きていることだ。

『農業新時代 ネクストファーマーズの挑戦 (文春新書)』

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本書の中では、これまでにない取り組みによって農業界に新風を吹き込んでいる10人が取り上げられている。
●「日本の農業はポテンシャルの宝庫ですよ」とほほ笑むのは、一般企業を経て梨園に就職し、500に及ぶカイゼンの結果、直売率99%を達成した東大卒のマネージャー。
●「日本の農家はまじめで世界で一番ぐらいの技術を持っています」と太鼓判を押したのは、度胸と知識と語学力を武器に、世界中の珍しいハーブを仕入れ、日本の名だたるレストランと契約しているハーブハンター。
●「誰もやらないなら、僕らでやろうと思ったんですよね」と言ったのは、5500人の生産者と7500軒のレストランをつなぐ物流システムを築いた元金融マン。
●「世界の人口が100億を超えても大丈夫な量の作物ができるんよ」と自信を見せるのは、独自に編み出した手法で「日本初の国産バナナ」をつくった男。
ひとりひとりの経営規模や売り上げは、まだ小さいかもしれない。
しかし、彼らの大胆な動きと斬新なアイデア、前代未聞の結果は、暗雲垂れこめている農業界で、ひときわ眩しい。
彼らはみな、日本の農業を悲観していない。
むしろ、これからもっと面白くなる、俺たちがその火種になってみせようと意気込んでいる。
彼らの発想や取り組みは、危機感を抱く農業関係者だけでなく、ビジネスパーソンにとっても刺激とヒントになるはずだ。(以上、本書より抜粋引用)

いつの時代も、どの業界も、そこに革新の風を吹き込むのは、異業種あるいは素人の参入者たちだ。
その業界の、しきたりや常識というものに囚われない。

小林正観さんは、全国で町おこし、村おこしの成功事例には、共通点があるという。
それが下記のパターンだ。
1.その町や村で育った人が一度都会に出て生活し、戻ってきて何かを始めた。
2.都会に住んでいた人が仕事を辞め、その町や村に移り住んで何かを始めた。
3.その町や村の外に多くの友人・知人を持っている人が何かを始めた。

農業にしても、他の業界にしても、新たな視点で旧来の常識を打ち破る改革が必要だ。
業界に新風を吹き込める人でありたい
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2020年11月23日

No 5833   【アートの持つ力】

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おいちゃんのお気に入りブログ【人のこころに灯をともす】からの転載です

【アートの持つ力】

ボストンコンサルティンググループ シニア・アドバイザー、見立尚資(みたち・たかし)氏の心に響く言葉より…


さて、最近あちこちでSTEM教育の重要性が言われる。
STEM、すなわちScience(科学)、Technology(技術)、Engineering(工学)、Mathematics(数学)ということであり、デジタル時代には理数的教育が不可欠なのに、今の教育システムの中では、それが十分に満たされていない。
これは国の競争力を維持する上でも、大きな課題だ。
こういう論調であり、私自身も大いに賛同したい。
ただ、個人的には、これにArt、すなわち(音楽を含む)芸術教育も加えるべきだと思っている。

日本は、米国や中国、あるいはインドと比べて、コンピュータサイエンス専攻の学生数が、異常なくらい少ないので、まず、これを増やせばと思う。
また、文系を選択すると、ごくごく基本的な理数系の知識もなしに大学受験と大学教育を通過していまい、あらゆる分野がデジタル化する中で、きちんとした判断ができないビジネスパーソンになってしまうのもおかしい。
せめて、統計的素養や基本的なコンピュータサイエンスは、全ての大卒者に持たせるようにしたい。
そのためには、高校時代の教育内容についてもSTEM的要素を必修化させようではないか。

どうやって、将来に向けたイノベーションを起こす人材が生まれてくる確率、イノベーションそのものの確率を上げ、他にない価値をつくれる国になっていくのかを考えたい。
ここも合わせ考える必要がある。
このためには、アートの持つ「クリエイティブジャンプを生む直感力を育む力」「頭だけではなく、心と体を揺さぶり、新たな発想につなげる力」「分野の垣根や心理的な壁を越える力」が大変有効だと思う。

以前、日本のアート市場の規模が小さい、という話を書いたことがある。
大雑把に言えば、世界の美術品市場の4割前後が米国、そして中国と英国がそれに続き、これら3ヵ国で8割を超えてしまうというのが昨今の状況だ。

先日、金沢21世紀美術館の成功の立役者である、兵庫県立美術館館長、蓑豊(みのゆたか)さんのお話を聞く機会があった。
蓑さんによると、金沢21世紀美術館の閉館時にまずやったのが、市内全小中学生を美術館に招くというプログラムだったらしい。
実は、私がお手伝いしている倉敷の大原美術館でも市内の子供たちに美術と美術館を楽しむ機会を作るという活動を何年も続けている。
金沢でも倉敷でも、時を経るにつれ、この体験をした中から、面白いビジネスをつくったり、感性と論理を生かしたソーシャルビジネスを立ち上げたりする人たちが出てきているという。

この手のものの常で、完全に因果関係を証明することはできないけれども、関わっておられる方の実感としては、「若いうちに美術や美術館に触れる機会」があった人たちとなかった人たちでは、かなり明確な違いがあるらしい。
私自身も、アート体験と地域のイノベーション力との相関を強く信じている。

中島さんのように、数学と(音楽という)芸術の両方のプロになるのは容易ではなかろうが、きちんとしたSTEM教育を受け、さらにArtの刺激を受け、感性を磨く人が増えることで、将来の日本発イノベーションの数は大きく増えるに違いないはず。
STEMプラスA。
ぜひ、積極的に仕掛けていきたい教育領域だ。

『「ミライの兆し」の見つけ方』日経BP

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本書には、“中島さち子”さんについてこう書いてある。
『人生を変える「数学」そして「音楽」:教科書には載っていない絶妙な関係』というユニークな書籍がある。
高校時代に数学オリンピックで金メダルを獲り、その後、東大理学部の数学科に進学。
卒業後は、ジャズピアニストとして活動しながら、数学の面白さを伝える教育運動にも携わるという著者。
一見、かけ離れた領域である数学と音楽には、実は類似点があり、また両方を股にかけることで、相互に良い影響があるという趣旨の話が出てくる。』

ある老舗の和菓子屋の方に話を聞いたことがあるが、子供の頃から、本物の美味しい和菓子しか食べさせてもらえなかったという。
そのため、大人になって、どれが本物の美味しい和菓子なのかが分かるようになったという。

子供の頃に本物を見ることは大事だ。
本物を見続けることにより、違いが分かるようになるからだ。

ホテルや旅館なら、極上の本物のホテルや旅館に泊まること。
料理なら、本物の料理を知ること。
そうすることで感性が磨かれる。

「アートの持つ力」を身につけたい
posted by Dr.モーリィー at 10:14| ちょっと気になる善い言葉 | 更新情報をチェックする

2020年11月22日

No 5832   【ゴミを拾うのは運を拾うこと】

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おいちゃんのお気に入りブログ【人のこころに灯をともす】からの転載です

【ゴミを拾うのは運を拾うこと】

清水祐尭(ゆたか)氏の心に響く言葉より…



ある裕福なお医者さまと一緒に、神社に参拝に行ったときのことです。
参道を歩いていると、その方がしゃがんで何かを拾いました。
ふと見ると、それは、誰かが落した紙のゴミ。

「近くにあるゴミ箱にでも捨てるのだろう」と思った私の横で、その方は、なんと自分のカバンにすっとゴミをしまったのです。
その様子を見て、私は大きな衝撃を受けました。
まるで自分が落したハンカチを拾うようにさりげなくゴミを拾う姿。
「ゴミを見かけたら拾う」のが当たり前の習慣になっていることが伝わりました。

その姿勢の積み重ねが、この方の運のよさを築いていると、そのとき私は確信したのです。
ゴミをポイ捨てするのは「自分さえよければいい」という身勝手な心の表れです。
つまり、ゴミを捨てる人は自分の運をどんどん落としている。

一方で、ゴミを拾うのは、そうして他の人が落した運を拾うことなのです。
自分の会社のまわりだけでなく、エリア全体を毎朝、掃除する企業の業績が伸びているという話がニュースを騒がせます。
私は、これもゴミを拾うのと同じで、落ちている運を拾うことに関係しているのではないかと思うのです。

メジャーリーグで活躍中の大谷翔平選手は、グラウンドにゴミが落ちていると必ず拾うそうです。
ケガや故障にも負けず、大谷選手が活躍しつづけられるのも、たくさんの運を拾っているからではないでしょうか。

《ゴミを拾って、タダでいい運をもらいましょう》

『人生が変わる! 開運の作法 金運・恋愛運・結婚運・健康運・仕事運』現代書林

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運を捨てているのは、ゴミだけでなく他に、多くある。
たとえば、コンビニの店員さんに向かって、レジで会計のときに、不機嫌そうな顔をしたり、汚い言葉で文句を言ったり、お金を投げたり、というような行為だ。
これらは「運を落とす」こと、すなわち「運を捨てる」行為。

反対に、運を拾うのは、機嫌よくニッコリ笑う、「ありがとう」と言う、お金をていねいに置く、等々の行為だ。
お金を払っているから何をしてもいいのではない。
お金を払っているからこそ、「ありがとう」や「礼儀正しくする」、「温かい愛のある言葉(愛語)を使う」という行為が光るのだ。
そして、それが運を拾う行為になる。

誰も見ていないからと、ゴミをポイっと捨てる人は運を落としている。
運を拾う人でありたい
posted by Dr.モーリィー at 21:14| ちょっと気になる善い言葉 | 更新情報をチェックする

No 5831   銀座の流儀

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倫理法人会主催の特別ナイトセミナーに行ってきました

講師はNHKの「プロフェッショナル:仕事の達人」や各種マスコミでも取り上げられた 銀座の超有名ママ!

やはり超一流の人の考え方は違うなと 感動しました!

早稲田大学女子大生時代にアルバイトから 頑張り女子大生ママに!

20代で銀座に2店開店 仕組みづくりや システム改革を繰り返し

本物の経営者に!  とても勉強になりました!

おいちゃんは鹿児島でもほとんど クラブに飲みに行かないが

知らない仕組みや 銀座の変化や競争社会などなど 参考になりました!

みんなとてつもない努力をしているんだなと!!!

posted by Dr.モーリィー at 20:51| ライフワーク | 更新情報をチェックする