2020年09月15日

No 5755   【学ばない人は、走らない風車】

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おいちゃんのお気に入りブログ【人のこころに灯をともす】からの転載です

【学ばない人は、走らない風車】

明治大学教授、齋藤孝氏の心に響く言葉より…


人はなぜ、学ばないといけないのか。
それは端的にいうと一度しか与えられていない人生を豊かに生きるためです。
いろいろなことを学ぶと新しい世界に出会い、歓びを感じることができます。

また、自分が苦難にぶつかったとき、「学び」は役立ちます。
ソクラテス、孔子、ブッダなどを知っていれば、後から、そうした偉人たちの囁(ささや)きが聞こえてくるはずです。
そして、歴史を学ぶと、過去にこんな苦労した人たちがいたということを知るだけでも、自分が生きる糧(かて)になります。

「学び」がないと、無味乾燥な毎日となり、何か空しさを感じてしまいます。
学んでいる姿というのは、言って見れば子供の頃に遊んだ風車(かざぐるま)みたいなものです。
走れば風車は風を受け回りますが、走らないと風車は回りません。
学ばない人は、走らない風車です。
風車が止まっている姿は、本来の輝きを失い、生き生きしません。

人は60歳あるいは65歳で定年を迎え、そして70歳、古希(こき)を迎えます。
子どもたちが大人になり、親の手から離れると、親には静かな時間が「ドン」と訪れます。
そのときに学んでも仕方がない、意味がないと思う人もいるかもしれません。
とすると、風車は回らない状態となります。
生きている実感がないままに、最後の10年、20年を過ごしてしまう、ということになりますと、ふと空しさを感じるのです。

その空しさを感じるというのは、人生にとって私はかなり危険なことだと思います。
若いときと、老齢になってから「空しい」と感じる場合とでは、違うからです。
成年期のとき、自分はこれからどうなっていくのだろうという不安があります。
そう考えたときに今の自分でいいのだろうか、苛立ちとともに虚無感が頭をもたげてきます。

しかし、中高年を過ぎて、老年期になってからの空しさは、まるで自分の人生のすべてが無意味なような錯覚に捉われて、鬱々たる寂しさを伴うわけです。
青年期の生命力溢れるゆえの空しさと、生命力が衰えてくる段階での空しさは質が違います。
「死」の不安も老年期には襲ってきます。
だから、こうした不安や空しさから抜け出し、自分が生きてきたプロセスを、ちゃんと肯定できるためにはも、老年期に入っても学んでほしいと思います。
そうすることで、自分の人生に対して、いつまでも前向きになれます。
70歳、80歳になっても自分は学ぶ、勉強することに積極的になることです。
すると、それまでの自分の人生は良かったときっと思えるはずです。


『齋藤孝式"学ぶ"ための教科書 ~必要な「思考力」「判断力」「表現力」が身につく!』辰巳出版

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本書に、吉本隆明氏のこんな言葉が書いてあった。
『吉本隆明さんは「ひきこもれ/だいわ文庫)」で、技術や知識を身につけるためには何でも、10年やるのが大事だといっています。
10年やると、何でも物になるというのです。
熟練した職業人になるには、少しゆるんでいても、持続力があればいいというのです。
「のんびりやろうが、普通にやろうが、急いでやろうが、とにかく10年という持続性があれば、かならず職業として成立します。
面白くても面白くなくても、コツコツやる。
必死でがんばらなくったっていのです。
ひきこもってもいいし、アルバイトをやりながらでも何でもいいから、気がついた時から、興味のあることに関して「手を抜かず」ということをやっておく。
何はともあれ、熟練に向けて何かを始めるところにこぎつければこっちのものです」と吉本さんは主張しています。
そして、一人でまとまった時間を過ごすのがとても大事で、「一人で過ごす時間が“価値”を生み出す」と指摘しています。』

「10年、偉大なり。20年、恐るべし。30年、歴史なる。50年、神の如し。」という言葉がある。
鍵山秀三郎氏は、それを、「凡事徹底」、「凡を極めて非凡に至る」という言葉で表現している。
平凡なことでも、それを長くコツコツと継続すれば、やがて非凡の域に到達するということだ。

天才ならいざ知らず、多くの凡人たちにとって、継続は強力な武器となる。
まずは、10年続ける。
そして、20年、30年と継続することで、その才能も非凡に至る。

いくつになっても学び続ける人には、豊かな人生が待っている
posted by Dr.モーリィー at 06:00| ライフワーク | 更新情報をチェックする

2020年09月14日

No 5754   【考えすぎないほうが、行動力や幸福感が高まる】

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おいちゃんのお気に入りブログ【人のこころに灯をともす】からの転載です

【考えすぎないほうが、行動力や幸福感が高まる】

明治大学教授、堀田秀吾(しゅうご)氏の心に響く言葉より…



私たち人間が他の生物と比べて特に優れている能力といえばなんでしょうか?
それは、「考える力」です。
人類は、本能を超えて「考える」という力を手に入れたおかげで、言葉や文字、そしてモノや技術を生み出すことができるようになりました。
高度な文明を築き上げ、生物界のピラミッドの頂点に立つようになったわけです。
「人間は考える葦(あし)である」という言葉のとおり、ちゃんと考えるからこそ人間なのです。
しかし、考えることには弱点もあります。

それは、考え過ぎてしまうことです。

考えることはいいことなのですが、これがいきすぎると迷って決断ができない、一歩を踏み出せない、思い悩んでしまう、といった弊害を生み出す原因にもなります。
考えすぎることで行動がしにくくなり、場合によっては心身の病気にもつながってきてしまうのです。
つまり、考えることは諸刃(もろは)の剣(つるぎ)でもあります。

合理的な判断をし、選択を間違えないためには、考えないわけにはいかない。
しかし、考えすぎては行動が遅くなり、思考もネガティブになってしまう…。

そもそも世の中には、「考えすぎて動けない人」がいる一方、「考えすぎずに最適な行動を素早くとれる人」もいます。
たとえば、「いつも行動が早い!」「判断が的確!」「いいアイデアもすぐに出す!」そんな人が身近にいた経験がないでしょうか。
大きな会社の経営者などをイメージしてもらうとわかりやすいと思いますが、日々分単位のスケジュールで時間に追われながら、その中でも最適な道を選ぶことができる人たちもいますよね。
彼らは、いったいどのようにして考えているのでしょうか?

たとえば、こんな研究結果があります。
◆不安やネガティブな感情は、考えごとをするほど強くなる(ミシガン州立大学モーザー)
◆情報が多いほど、時間をかけるほど、人は合理的に判断できなくなる(ラドバウド大学ダイクスターハウス)
◆忘れっぽい人、ものごとをざっくり記憶する人のほうが思考力は高い(トロント大学リチャーズ)
◆考えないようにしようとするよりも、行動で打ち消したほうがいい(カンザス大学クラフト)
◆「やる」か「やらないか」の決断は、コインで決めても幸福度は変わらない(シカゴ大学レヴィット)
◆考えているときよりもぼーっとしているときのほうが脳は効率よく働く(ワシントン大学レイクル)
◆過去のことを思い出すほど脳は老化していく(理化学研究所木村)
◆優秀な人ほど、優秀な人のマネをして行動や思考を効率化している(南デンマーク大学アナリティス)
◆「フェイスブックをやめる」など入ってくる情報を減らしたほうが幸福感も増す(コペンハーゲン大学トロムホルト)

これらに総じて言えるのは、
「考えすぎないほうが、行動力や幸福感が高まり、仕事や人生にいい影響がある」
ということです。
実に多くの研究で、同じような結論が導きだされているのです。

『最先端研究で導きだされた「考えすぎない」人の考え方』サンクチュアリ出版

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本書にある「忘れっぽい人、ものごとをざっくり記憶する人のほうが思考力は高い」については、こんな解説があった。

『今、ついとらわれてしまう気持ちや悩みがあったとしても、時間の経過でほとんどのことは忘れてしまいます。
言い換えると、ちょっとした悩みに費やしている時間は、将来的にまったくのムダになる可能性が非常に高いのです。
大事なことは記録をつけるなどわかりやすく残しておく必要がありますが、そうでもないものにはあえて目を向けないことも大切なことです。
忘れるとは、過去のいらない情報をさっさと処理し、「現在の新しい情報」に対応していくための能力でもあります。
そもそも記憶というのはこと細かに覚えておくよりも「ざっくり」と、なんとなく覚えておくくらいのほうが思考力や判断力が高くなることがわかっています。
判断が早い、情報処理が早い人ほど忘れっぽいということですね。
忘れる能力を身につけていくこともまた、考えないためには重要なのです。』

パソコンで、新しい情報を上書き保存すると、前のデータは消える。
つまり人間でいえば、古いデータが消える(忘れる)から、新しいデータが入るということだ。
記録しておく必要のあるデータは、現在では、パソコンやスマホに置くのではなく、クラウド上に保存するのが普通だ。
人も同じで、外部に記憶装置(クラウド)を持つからこそ、余分な情報を捨てることができる。

日々大量の情報が入り、それが毎日更新されるような「情報爆発」の時代は、古い情報を捨てなければ情報過多で容量がいっぱいとなってしまい、新しい情報が入らなくなる。
これはアウトプットとインプットの関係と同じで、アウトプットを先にするからこそインプットがスムーズにできる。

ものごとは「ざっくり」と、なんとなく覚えておく。
常に新しい情報をインプットし、行動力を高めるには、「忘れる力」も必要となる
posted by Dr.モーリィー at 05:33| ちょっと気になる善い言葉 | 更新情報をチェックする

2020年09月12日

No 5753   【魂の成長】

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【魂の成長】

斎藤一人さんの心に響く言葉より…


自分が「楽しい」と思うことが正しいけれど、ただ、注意が必要なことがあります。
例えば、人に親切にすることが「楽しい」と思う人もいれば、人の悪口を言って「楽しい」と感じる人もいるんです。
これって“魂の段階”なんだよ。

普通は「人の悪口を言って楽しい」なんてないけど、その人はその段階なの。
それで、言って言われて傷ついているうちに学んで、だんだんやめるようになっているんです。

昔は下町とかで、人の悪口言うのが“憂さ晴らし”だったの。
それも小さな村とか限られた人たちの中で言うことだから、それほど問題になることはなかったんです。
それが今は、ブログとかSNSなんかであっという間に広まるから「悪口を言われるのは、これくらい嫌なことなんだ」ってすぐにわかるので、学びが早いんだよね。
他人の足を踏んでいる時はわからなくても、踏まれて初めて、その痛みがわかる。
そんなものなんです。

この話でもなんでもそうなんだけれど、世の中っていうのは神の摂理で、どんどん良くなっているの。
それが「魂の成長論」なんです。
だから今、人の悪口を言っているような人も、これからもっと良くなろうとしている“過程”なんだよ。
すべてが良くなっていくの。

昔はお金に困った人の中には、出刃包丁とかを持って押し込み強盗とかしていたんです。
オレオレ詐欺みたいに、電話だったら切ることができるけれど、包丁持って入ってこられたら大変だよね。
実際、昔と比べたら押し込み強盗ってかなり減っているんだよ。
必ず、少しずつ良くなっているの。

それと「良くなっている」と思っている人には、良くなっていることが起きて、「困った」と思っている人には、困ったことが起こるんだよ。
それで、困ったことが起こる中で成長して、良くなっていくんだよね。

結局、その人の魂がどれくらい成長しているかによって、何を楽しいと感じるかも違ってくるの。
魂の成長の段階によって、起こる出来事も違ってくるよってことなんです。
「このことで、自分の魂が成長する」と信じている人は、起きることがすべて楽しいんだよ。

『斎藤一人 人生がすべてうまくいく“魂”の成長――「運」がどんどん良くなる!』プレジデント社

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たとえば、国や政治の悪口や文句や批判ばかりをSNSで発信している人は、ついうっかり、言ってはいけない他の悪口や文句や批判も言ってしまうことがある。
悪口や批判が、すっかりクセになっているからだ。
すると、それが時として大きく炎上する。
いつか、自分に返ってくるということだ。

また、「未来は暗い」、と思っている人は「暗い未来」がくる。
このコロナ禍で、「先行きは暗澹(あんたん)たるものになる」と思っている人は、「暗澹たる未来」がくる。

反対に、「未来は明るい。今より必ず良くなる」と思っている人は、「明るくて、今より良き未来」がくる。
このコロナがあったから、「自分も成長できる」「魂も成長する」と思う人は、勉強もするし、新しいことにもチャレンジする。

リンカーネーション(輪廻)を信じている人は、自分の魂としての人生は、生まれ変わりが何千年にわたって続くと思っているから、死ぬ間際まで、魂を磨き続ける。
しかし、リンカーネーション(輪廻)を信じない人は、魂としての何代にもわたる人生など考えないから、生き方が刹那的(せつなてき)になる。

どこに焦点を当てるかによって、その人の生き方や未来がわかる。
魂の成長のため、明るい未来を信じる人でありたい
posted by Dr.モーリィー at 07:18| ちょっと気になる善い言葉 | 更新情報をチェックする

2020年09月11日

No 5752   【説得に必要なことは何か】

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【説得に必要なことは何か】

高橋健太郎氏の心に響く言葉より…


この本は、古代ローマ最強の弁論家キケロ―が、その著書『弁論家について』の中で説いた「説得の技術」、ローマ式弁論術を紹介するものです。
ローマ式弁論術は、人に話をし、自分の考えを理解してもらい、納得してもらうための技術です。
それも、相手が誰であろうが、場所がどこであろうが当てはまる普遍的な技術。

日常生活でのちょっとした話し合いや説得、仕事上の議論、プレゼン、書類の文面の作り方など、およそ「説得」にかかわるものは、すべて彼の弁論術が扱う分野です。
ちなみに弁論術は、欧米ではきわめてスタンダードな教養です。
キケロ―は、日本でこそあまり知られていませんが、ローマ最大の哲学者である、同時に一流の政治家でもあった人物です。

説得についてのありがちな勘違いが、「こちらの話している内容が真実であれば、相手はわかってくれる」というもの。
端的に言って、この考え方は間違っています。
まず、現実のものごとについて、「真実」、つまり「誰から見ても正しいこと」を想定するのは、完全にアウトです。
そんなものが成り立つのは、数学や論理学、あるいは宗教の世界の話。
現実の場面にそんなものはありません。

では、現実にある「正しさ」とはどんなものか。
それは「誰かにとって正しいこと」です。
現実のものごとは、それを見る角度、見る立場、見る人の気分で姿が変わります。
ある人にとって正しいことも、ある人から見れば間違っていたりします。
そして、説得するうえでもっとも大切なのは自分にとっての正しさではなく、相手にとっての正しさなのです。

説得とは、言葉を伝えることで他人の認識を改めさせたり、何らかの行動に駆り立てたりする行為のこと。
そこには相手の納得がなければいけません。
では、どうすれば相手は納得するか。
相手が正しいと認めるデータやものごとを根拠にして、相手が正しいと思える論理でこちらの結論まで導く。
これしかありません。

これは専門家が素人を説得しようとする場合でとくに起こりがちなのですが、いくら学問的に正しい根拠を引き合いに出しても、相手がそれを知らなければ意味がありません。
また、どんなに緻密(ちみつ)な論理で説得しても、相手がそれを理解できなければ、説得が成功することはありません。
「難しいことを言えば、相手も黙るだろう」と考えている人もいますが、それは認識が甘すぎます。
かりに相手が黙ったとしても、それはその場だけのこと。
相手の認識も行動も変わることはないでしょう。
説得したわけではないからです。

説得の場面では、絶対に相手に置いてけぼりを食わせてはいけません。
大切なのは、自分の説得が「相手に正しく聞こえること」であり、「自分が正しいこと」ではないのです。


『言葉を「武器」にする技術 ローマの賢者キケローが教える説得術』文響社

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キケロの説くローマ式弁論術では、聞き手に「正しい」と思わせるための説得の要素として、次の三つのものをあげています。
これらを兼ね備えた説得こそが、相手が思わずうなずく最高の説得なのです。
1.論理的な説得力
2.話し手自身の与える好印象
3.相手の感情への訴えかけ

◆『論理的な説得力』とは、「この企画は革新的で、かつ、わが社に大きな利益をもたらした。したがって優れた企画だったと評価できる」というように、「〇〇だから✕✕」「〇〇。しがたって✕✕」といったかたちでしっかりとした根拠を示し、かつ、それがムリのない論理で結論につながっている。そんな話し方です。
◆『話し手の自身の与える好印象』とは、説得するためには、相手に好かれなくてはいけません。同じことを話をしても、好かれている人間と嫌われている人間では、聞き手に真逆の反応を引き起こします。キーワードは、品格、功績、評判、そして穏やかな語り口。
◆『相手の感情への訴えかけ』感情のもつ力は強烈です。とくに最近では、ネットの炎上などを通じて、ますます感情のもつ力は可視化されてきていると言えるでしょう。

どんなに論理的に正しくても、相手がその人を嫌っていたら、説得はできない。
陽明学を樹立した王陽明〈中国明代の思想家)は、それをこう説明する。
「天下のこと万変といえども、吾がこれに応ずるゆえんは、喜怒哀楽の四者を出でず」
人生は千変万化、いろいろさまざまであるが、自分がこれらの問題をテキパキと処理できる理由は「人生のいかなる変化も、つきつめれば、喜怒哀楽の四つを出ないこと」を知っているからだ。
よく考えてみれば、いかに喜び、いかに怒り、いかに哀しみ、いかに楽しむか、ということが人生のすべてである、と。
世の中には、道徳というと「一切、喜怒哀楽を表面に出さない、感情などには動かされないことだ」などと頑(かたく)なに信じ込んでいる向きがあるが、これはとんでもない誤解である。
人生とは、いかに喜び、いかに怒り、いかに哀しみ、いかに楽しむかということ…
つまり「いかに生きるか」ということに「正しい自律」をたてること、「原理原則」をもつことである。
そして、この「正しい自律」や「原理原則」これが「心性の学」であり「人間学」である。(人間学/PHP)より

説得には、論理の前に…
相手に好かれ、感情に訴えかけることがとても大事
posted by Dr.モーリィー at 07:16| ちょっと気になる善い言葉 | 更新情報をチェックする

2020年09月10日

No 5751   【人生100年の習慣】

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【人生100年の習慣】

NHKスペシャル取材班、松本卓臣(たくおみ)氏の心に響く言葉より…



かつては「100まで生きる」ということは、多くの人にとって非常に価値あることだったと思いますが、今は少し違う気がします。
「100まで“健康”で生きる」ことが重要。
最新の人口推計では、日本で90歳以上の人が史上初めて200万人を突破し、100歳以上の高齢者は6万7000人あまりと過去最多、今後も増え続けていく見込みです。
医療技術の進歩や豊かな食生活によって「100まで生きる」は当たり前の時代になりつつある。
生きる長さだけではなく、質を重視する時代が到来しているのです。

実際に世界では今、心身ともに健康で現役バリバリの驚くべき100歳以上の高齢者が増えています。
「それって遺伝でしょう?」とか「そういう家系なのでは」と思いがちですが、そうとは限らないことがわかってきました。
条件次第で誰でも“健康長寿”を実現できる可能性があることが最新の科学で明らかになりつつあるのです。

私がこのテーマに関心を持ったのは、2013年10月に放送した、NHKの「クローズアップ現代」がきっかけです。
驚異の身体能力を持つ世界中のスーパー高齢者が集う競技大会・ゴールドマスターズが日本で開催されるのを機に、日本人で陸上100メートルの世界記録を持つ103歳のおじいさんや、“八代(やつしろ・熊本)のウサイン・ボルト”の異名をとる90歳の俊足おばあさんなど、シニア界の強者たちがしのぎを削る姿を記録し、そのパワーと健康の秘密に迫ろうという企画でした。
昨今、陸上競技での日本人アスリートの活躍もめざましくなりましたが、まだまだ世界の壁は厚く、メダルをとるのは決して容易でありません。
しかし、このゴールドマスターズ、“高齢者たちの闘い”においては事情がまったく異なります。
日本人選手の中には金メダル候補どころか、世界記録保持者があまるほどいたのです。

なぜ日本の高齢者は、世界を相手に大活躍できるのか?
暮しや食事に世界を圧倒する秘密が隠されているのか?
出場者たちへの取材がスタートしました。

この番組の取材で出会ったのが100歳を超えた人を指す「センテナリアン」という言葉。
1世紀(センチュリー)を生きた人という意味で、110歳を超えるとスーパー・センテナリアンと呼ばれています。
取材の中で、私はある女性の存在に興味を持ちました。
ジャンヌ・カルマンというフランスの女性で、世界で唯一120歳を超えた人物です。
お父さんの画材店で働いていたときに、絵の具を買いにきたゴッホに会ったこともあるという逸話が残っています。

カルマンさんの経歴がすごい。
フェンシングをなんと85歳でスタート。
自転車は100歳まで乗っていたと言います。
その一方で、117歳で禁煙するまで100年近くたばこを吸っていたとのことで、いったい何が彼女の長寿を支えたのか?

体だけでなく、長寿者の精神の秘密を解き明かそうという動きもあります。
病は気からと言いますが、心の持ちようや行動が遺伝子の働きにまで影響を与え、それが「慢性炎症」とも深いかかわりがあるという驚くべき分析結果も示されています。
そして高齢者が、あまり外出できなくなったり、施設での暮らしで寂しそうにみえていたりしても、周囲が考える以上に「豊か」な精神状態ですごしているという研究も。
こうした現象は「老年的超越」と呼ばれ、メカニズムの解明が急がれています。
孤独で不幸そうに見える年老いた人が、実はより豊かな心で人生の終盤を歩んでいるという現実があることを知らされたとき、とても勇気づけらえる気がしました。

2016年、105歳を迎えられた聖路加国際病院の名誉院長、日野原重明先生が番組の趣旨に賛同してくださり、ご出演してくださいました。
番組の最後に語られたのは、
「新しいことを創(はじ)める思いがある限り、人はいつまでも若くいることができる」
という言葉。
宗教哲学者、マルティン・ブーバーが残したこの言葉は、先生が到達した真理なのだと感じました。

『百寿者の健康の秘密がわかった 人生100年の習慣』講談社

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同取材班の小笠原卓哉氏は本書の中でこう語ります。
『「人生の中で大切にしてきた考えや、生きる指針はありますか」
インタビューで必ず尋ねることにしていたこの質問に対して、あるセンテナリアンがこう答えました。
「自分が自分のボスであること」
言い換えれば、自分のことは自分で決める、というごく単純なことなのですが、この言葉が妙に私の心を打ったのです。
思えば、取材したセンテナリアンの多くが、自営業など自分の裁量や判断で仕事をしてきた人たちでした。
また、会社組織の中で働いてきた人であっても、同様の意識で働いていたことに気づきました。
日が暮れたら仕事はしない。
そう決めているサルデーニャ島の羊飼い。
週に一度は徹夜をして執筆作業に没頭していた、医師の日野原重明先生。
休むにせよ、ハードワークするにせよ、健康長寿のセンテナリアンたちは、自らの意思でそれを実践していたのです。

そして、「100歳まで生きる」こと自体を目標にしてきたというセンテナリアンは、今回お会いした中でひとりもいませんでした。
大好きな仕事を続けたい、趣味をもっと極めたい、家族でいつまでも楽しくすごしたい、社会の役に立ち続けたい、世界がどう変わっていくのかこの目で見届けたい…。
「何のために生きるのか」、希望や生きがいを持ちながら日々を重ねてきたその結果として100歳まで到達した、という人たちでした。
経済的に裕福であるかどうか、社会的地位が高いかどうかにかかわらず、です。』

人は、「新しい」ことに興味を失ったとき老いる。
それは「未来」への好奇心を持てなくなったということ。
いくつになっても、何か新しいことを始める。
どんな小さなことでもいい、そのチャレンジする姿勢が若くいる秘訣だ。

そして、大事なことは、年齢を重ねれば重ねるほど、何かをアウトプットしていること。
アウトプットを増やせば、必然的にインプットは増える。

人生100年時代…
つねに、新しいことへの好奇心を忘れない人でありたい
posted by Dr.モーリィー at 07:31| ちょっと気になる善い言葉 | 更新情報をチェックする

2020年09月09日

No 5750   【勇気ある人は失敗を恐れない】

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【勇気ある人は失敗を恐れない】

岩井俊憲(としのり)氏の心に響く言葉より…


月曜の朝、なかなか起きてこない夫に…
《3年前に結婚し、互いに夜遅くまで仕事をしている共働き夫婦。月曜の朝は、朝礼のため早く出社しなければならないのに、夫は体調が悪いだ眠いだ、とベッドでグズグズしている。あなたは…》

◆<勇気をくじいてしまいました…>
いつまでグズグズしているの!
気合入れて、気合!
「病は気から」って
よく言うでしょう。
ほら起きて!

◆<勇気づけてあげられました!>
どうかしたの?
体調悪そうね。
このとろこ少し働きすぎだから、
たまには養生も大事かな。

「勇気をくじく」話し方、「勇気づける」話し方の違いは、いかがでしたか?
後者の話し方は、「勇気づけ」の特徴を実現し、周囲とハッピーな関係を築いていくことができます。

◎勇気づけは、困難を克服する活力を与えること
◎勇気づけの人間関係は、相手のとの対等な関係を築くこと

実は、“相手に”このような「勇気づけ」ができる人には、ある特徴があります。
それは、“自分に”勇気づけできていること。
自分に対してプラスを働きかけられる人なのです。

失敗の経験をしたとき、勇気のない人は、失敗した自分と、失敗に関与した他者を責め、挙句の果てに底なし沼に陥り、恨みの人生を送ることもありえます。
しかし、勇気のある人は、失敗したことで一時的に落ち込みますが、どこかで歯止めがきき、失敗から教訓を引き出し、同じ失敗を繰り返さないよう努力します。

失敗という体験は、肯定的に見るならば、2つの意味があります。
第一は、チャレンジの証です。
チャレンジしたからこそ、結果として失敗になってしまったのです。
時計の振り子が反対側に行っていたら成功だったのです。
失敗の記録は、あなたが大きな目標を持ち、積極的に取り組んだことのドキュメンタリーのようなものです。

第二は、学習のチャンス、それこそレッスンです。
場合によっては、高い授業料を払わざるを得なかったようなことがあったかもしれません。
が、「あの失敗の体験があったからこそ現在の自分がいる」と思えるようなことは、あなたにもいくつかありませんか?

失敗は、たくさんの教訓を残してくれています。
失敗の体験を持っている人は、価値のある品物で満ちた宝庫を持っているようなものなのです。

『アドラー流 人をHappyにする話し方 (王様文庫)』

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「勇気づけ」の他の実例を本書より。
クレーム対応でぐったりしている同僚に…
《大企業のコールセンターで、「お問合せ窓口」担当として1年ちょっと働いている。困った客からのクレーム対応のあとぐったりしている同僚に、あなたは…》

◆<勇気をくじいてしまいました…>
そんなことくらいで、
音(ね)をあげないの!
私なんか、もっとひどい
電話受けてんだから。

◆<勇気づけてあげられました!>
あなたは、いつも丁寧に対応するからね。
さっきの電話は、特に誠意をもって対応していたから、
余計に疲れたのかな。
でも、側にいて感心していたのよ。

「自己肯定感の強い人は、失敗を多くした人」、という話がある。
「ほめて育てる」と言われて育ってきた子どもは、失敗を極端に恐れるからだ。
失敗のリスクが少しでもあったら挑戦しなくなる。

しかしながら、社会に出ると、成功することばかりではない。
すると、失敗するとすぐに落ち込んだり、立ち上がれなくなり、会社を辞めてしまったり、逃げ出したりする、ということは、ままあることだ。
打たれ弱いということだ。

基本的には、「成功体験」が自己肯定感をつくってゆくのだが、それと同じくらい「失敗体験」も必要だ。
なぜなら、失敗体験が多ければ、少々の失敗では落ち込まなくなる。
すると、何度もチャレンジすることが平気になる。
つまり、打たれ強くなる。

成功している人は、失敗を恐れず、回数多くチャレンジをしている人。
つまり、勇気がある人だ。
だから、成功とは、挑戦した回数に比例する。

失敗を恐れず…
勇気を持って、多くチャレンジする人でありたい
posted by Dr.モーリィー at 07:26| ちょっと気になる善い言葉 | 更新情報をチェックする

2020年09月08日

No 5749   【感動できない人間は行動もできない】

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【感動できない人間は行動もできない】

行徳哲男師の心に響く言葉より…


二千年も前に、ローマ帝国は観客が五万人も入るコロシアムを造った。
また、当時、街の中には上下水道が完備していたというんですね。
ということは金属のパイプを造る術も知っていたんですね。
そのローマ帝国さえ滅びていくんです。

それから四千年も前に、スフィンクスやピラミッドを造ったエジプト文明、あるいは、中世になってポルトガル、スペインといった文明国が無残にも衰えていっています。
さらには、イギリスにあらずんばとまでいわしめた大英帝国でさえ、今はロンドンで何十万という人が職にあぶれている。
こういう盛衰がなぜ起こってくるのか。
これは、私が思うに、国が豊かになって恵まれてくると、だんだん、人間は感激というものを失ってパワーがなくなってくるからだと思うんですよ。
だから、「感動なき民族は滅びる」と。

私は十九年間、山にこもって、「頭を使わない」訓練、つまり、人間に感動を呼び起こすことを長くやってきて感ずることは、感動はパワーを生み出すということです。
山の中では一切、頭を使わない。
そうしたら、生き生きしてくる。
だから頭は命ではないんです。
頭は逆に命を鈍らせる。

もう亡くなられましたが、柴田錬三郎という作家がおりましたでしょう。
『眠狂四郎』を書いた、あの柴田先生が、戦争中、台湾とフィリピンの間のバシー海峡を輸送船で渡ろうとしていたとき、アメリカの潜水艦にやられて、仲間は皆死んで柴田先生だけ生き残ったらしいんです。
そこでイラストレーターの横尾忠則さんが、ある時、「あなたは物書きでしょ。第二次大戦中にバシー海峡で船が沈められて、皆、死んでいったのに、あなたは助かった。そんな貴重な体験をしていながら、物書きのくせになぜそのことを書かないんですか」と、柴田先生に聞いた。
そうしたら、柴田先生が言ったそうです。
「わしは漂流した時のことを、よく覚えていないんだ」と。

それで、横尾さんが、「そんなばかなことはないでしょ。漂流した時に『助かりたい』とか、いろいろなことを考えたでしょ」と言い返した。
その時に柴田先生が言った言葉がね、「いや、そうではない。わしはあの時、何も考えなかった」と、「考えたやつは皆死んでいったんだよ」と言った。

つまり、「頭は力ではない」んです。
だから、さっきの偏差値の話ですが、偏差値を磨けば磨くほど、人間の生きる力は弱くなる、それは私たちは十九年間、山にこもって実感したことです。
頭を使わないから元気が出るんです。
だから「下手な考え、休むに似たり」ですよ。
われわれは逆をやっています。
頭を磨き過ぎて生きる力を失ってきた。

理屈っぽくなった時は生きる力がなくなっています。
まず、理屈っぽくなると人間は行動しません。
頭を使う時は行動しない。
もともと頭というのは行動のブレーキの役目をするものなんです。
だから、石を投げるときに「この石はどこに落ちるんだろう」と考えたら、石は投げられませんよ。
「石はどこに落ちるかわからない」と思った瞬間に行動はできる。
つまり、頭は迷いをつくる場なんですよ。

だから、「感動」という字を見るとわかります。
感じさせるから動いているわけです。
考えさせたら動かない。
感じるから動くんです。
だから感動が行動の起爆剤なんですよ。
感動できない人間は行動もできないし、気骨も生まれてこない。

道元は「仏の道とは行動することだ」といっている。
「行」しかないとね。

感動と感性は「エモーション」という英語になるわけです。
ところが、エモーションというのは、もともとエモーチュといラテン語からきているんです。
で、ラテン語で「エ」というのは「外」のことです。
「モーチーオ」は実は「動き出す」ということです。
だから、「外に動き出せるもの」が「感動」なんです。
情が豊かでないと人間は行動しないと、言葉自身が教えてくれているんですよ。

『随処に主となる―自分の人生を自分が主人公として生きる (活学叢書)』致知出版社

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行徳哲男師は「感性」についてこう語る。(感奮語録)より

◆『長生きの人は皆「我がまま」に生きている。自分が自分で生きているから長生きできる。』
◆『理性や知性を磨き過ぎることは命をすり減らすことと等しい。』
◆『人間の衰退は感性の摩耗(まもう)から始まる。』
◆『理性が強すぎると自由を止める。笑いを抑え、自分自身をがんじがらめにしてしまう。理性とは体裁(ていさい)を作り出す。しかし自然を遠のけてしまう。感性は嘘いつわりで固めることができない。』
◆『感性が鈍くなったと思えば行動すればいい。行動によって感性は誘導されてくる。』
◆『感動とは「論語」の教え。「感即動」が語源。感ずることは即ち動くこと。』

頭ばかり磨いている連中は行動ができない。
そして、情や思いやりがない。

このコロナ禍では、多くの人は行動を制限され、行動が鈍くなった。
リアルな仕事や、旅ができなくなり、思いもかけない新たな感動するという、ワクワクする機会が減ってしまったからだ。
つまり、日本中が今、感性が鈍った状態になっているということだ。

たとえば、政治の世界においても、政敵の体のハンディキャップや、難病のことを揶揄(やゆ)するような、敬意や情や思いやり、といった感性のない、とても人間とは思えない発言をしてしまう。
感性が鈍ると、自分の言葉にトゲや毒という、人を傷つける刃物があることにも気づかない。

「感動なき民族は滅びる」
今こそ、行動や実践を活発にし、感動や感性を取り戻したい
posted by Dr.モーリィー at 06:59| ちょっと気になる善い言葉 | 更新情報をチェックする

2020年09月07日

No 5747   【ピンピンヒラリ】

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おいちゃんのお気に入りブログ【人のこころに灯をともす】からの転載です

【ピンピンヒラリ】

医師、鎌田實氏の心に響く言葉より…


ある時、僕の内科外来に85歳の男性が、紹介状を携えて、家族とともにやって来た。
彼は悪性リンパ腫で、主治医から抗がん剤治療を提案されており、セカンドオピニオンを求めて僕のところにやって来たのだ。
診療室には男性と息子さんと僕の3人だけ。
孫をはじめ、その他の家族は外で待機してもらった。

男性は、自分の病気のことをきちんと理解していた。
その上で、はっきりと「痛いことはもう嫌だ」と言う。
僕は、男性に「『死』は怖くないですか?」と尋ねた。
すると男性は「もう十分生きました」と答えた。

いわく、男性はこの診療の前に、家族と一緒に諏訪中央病院近くの温泉旅館に泊まり、おいしい料理とお酒を楽しんだそうだ。
男性は「今回の旅行みたいに、もうしばらく楽しい時間を過ごせれば、それで良いんです」と語る。

息子さんは、父親の思いに半ば納得しつつ、どこか腑に落ちない様子だった。
というのも、息子さんは医師で、父親には積極的な治療を受けてもらって、少しでも良くなってもらいたいと考えていたのだ。
それでも、最終的には父親の強い意志を受け入れ、息子さんも納得してくれた。

父子とのそんなやり取りの後、僕は外で待機していた孫たち家族を診療室に招き入れ、こんなふうに話をした。
「いま、おじいちゃん本人が、手術や抗がん剤治療はしないと決めました。ご本人の気持ちを尊重してあげましょう」
家族のその場で受け入れてくれた。
みんなが「これで良いんだ」という顔をしていた。
その様子を見て、男性は嬉しそうな、安堵の表情を浮かべた。
そして僕の手を握って、「ありがとう」と言ってくれた。

診察から三ヶ月ほどが経ったころ、一通の手紙が届いた。
差出人は息子さん。
どうやら、男性は大往生だったそうだ。

最後の瞬間には、看取る家族に対して「ありがとう。思い残すことはないよ。仲良くね」と語ってくれたという。
男性は家族に感謝し、息子さんは父親だけでなく、僕にも感謝をしてくれた。
そんな手紙だった。

まさにPPH、ピンピンヒラリだ。
彼はぎりぎりまでピンピン生きて、ヒラリと身をかわすようにあの世に逝った。
人間はいつか死がやってくる。
もちろん僕にもだ。

最後までやりたいことをやりきる。
そして「グッバイ、サンキュー」といって、ヒラリとあの世に逝けたら、いいなと思っている。
男性は「死」を遠ざけず、人任せにせず、自ら選択した。
まさにこの男性のような“生き方”こそが「死」に向き合うということなのだ。

『コロナ時代を生きるヒント』潮出版

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鎌田實氏は「コロナ後の新たな世界」についてこう語る。
『新型コロナウイルスの世界的な感染爆発によって、僕たちが暮らす世界は、あらゆる面で大きな転換期を迎えた。
新型コロナは、さまざまな潜在的な課題を顕在化させたのだ。
コロナ後の世界は、新しい価値観や仕組みによって、コロナ以前の世界とは全く別の世界になるはずだ。
その時に、一人ひとりがきちんと「死」に向き合えるようになっているべきだと僕は考えている。
もっと言えば、コロナ後の新たな世界は、もう一度「生」と「死」を捉え直すことから始めるべきなのではないだろうか。
「死」をやみくもに恐れる必要はない。
遠ざける必要もない。
「死」は人生にとって大切な一瞬であり、人生の大事業なのだ。
だからこそ、元気なときに一度、自分流の「死」を考えてみてほしい。
手始めに延命治療をするかどうか。
死ぬ場所はどこがいいか。
一つでも自己決定をしてみると、生き方が人任せじゃなくなる。
自分が人生の主人公になれる。
「死」は「生」を輝かせてくれる。
そう信じている。』

コロナ禍は我々に様々な自己決定を迫った。
それは…
住む場所や働く場所はどうするのか。
友人や仕事の仲間たちとの関係はどうするか。
仕事を存続させるため何をするのか。
自分を高めるためにどうするのか。
人のために何をするのか。

それは、「自分がどう生きるのか」という根源的な問いかけだ。
それは、つまり「どう死ぬのか」という問いかけでもある。

ピンピンヒラリは鎌田實氏の造語。
ピンピンコロリ(PPK)だと、なんだかゴキブリコロリみたいでカッコ悪いからだ。
痛がったり、苦しんだりせずに、家族に手をかけることもなくヒラリと身をかわすように逝く。

「めしを喰って静かに息をついていたら いつの間にか日が暮れて  気がついた時は墓場の中」(相田みつを)
「よく生きることは、よく死ぬことでもある。一生懸命に生きたものは、納得して死を受け容れることが出来る、という意味です」(宇野千代)

ピンピンヒラリと逝く…
よく生き、よく死ぬことができる人生でありたい
posted by Dr.モーリィー at 06:17| ちょっと気になる善い言葉 | 更新情報をチェックする

2020年09月06日

No 5745   【「調子はどう?」と聞かれたら】

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おいちゃんのお気に入りブログ【人のこころに灯をともす】からの転載です

【「調子はどう?」と聞かれたら】

ジェフ・ケラー氏の心に響く言葉より…


ネガティブ、平凡、ポジティブの各カテゴリーの典型的な答え方について調べた。
あなたはこれらのセリフのうち、どれを最も頻繁に使っているだろうか。
あなたの友人や家族はどういう答え方をしているだろうか。

もし自分がネガティブか平凡なグループに入っていることに気づいたなら、答え方をすぐに改めてポジティブなグループに入ることを考えよう。
理由はこうだ。
「調子はどう?」と聞かれて、「ひどいもんだ」とか「あまりいい気分じゃないよ」などと答えれば、生理的に悪影響が出る。
肩が落ち、首がうなだれ、落ち込んでいる姿勢になりやすい。

感情面ではどうだろうか。
「最低の気分だ」と言ったあとで、あなたは気分がよくなるだろうか。
もちろん、そんなことはない。
ネガティブな言葉と思考はネガティブな感情を生み、やがてネガティブな結果を生じる。
だから、あなたはさらに気分が滅入ってくるはずだ。

それを断ち切るかどうかは、あなた次第だ。
前途有望なビジネスの取引が破談になったとか、子どもが学校で悪い成績をもらったなど、「最低の気分だ」と言いたくなる状況が現実に存在しても、ネガティブな心の姿勢では状況を改善できない。
さらに悪いことに、あなたの平凡かネガティブな答え方はまわりの人びとをうんざりさせてしまう。
あなたのまわりにいてあなたの悲劇的な言葉を聞いているだけで、人びとは気分が滅入ってしまうのだ。

ネガティブな結果がすべて自分の言葉から生じるなら、なぜそのような言葉を使い続けるのか。
理由は、言葉とその結果を自分自身が選択できるということを認識していないからだ。
身についた習慣に従っているだけなのだ。
何の役にも立たない習慣なのに…。

あなた自身の言葉が現実になる。
もしあなたが「何もかもひどい」と言えば、あなたの心はその言葉を実現するような人や境遇に引きつけられる。
その反対に「人生は素晴らしい」と何度も繰り返して言えば、あなたの心はポジティブな方向に進み始める。

たとえば、「素晴らしい」とか「最高だ」と答えるとき、何が起こるか考えてみよう。
これらの言葉を口にすると、あなたの生理機能はその楽天的な言葉に合わせる。
体調がよくなり、動作がきびきびする。
表情はいきいきとしてくる。
まわりの人はあなたのエネルギーとバイタリティに引きつけられる。
職場や私生活での人間関係は改善される。

これは、「大きな差を生む小さな違い」のひとつであると断言できる。
15年ほど前、私は元気なさそうに「まあまあだよ」と答えていた。
これが何を意味するかは、もうおわかりだろう。
私は「まあまあ」の人間関係を築き、「まあまあ」の成功を収め、「まあまあ」の心の姿勢で、「まあまあ」の人生を送るように設定していたのだ。
しかし、私は幸運なことに、「まあまあ」の人生で妥協する必要はないことを学んだ。
そこで、数段階レベルアップし、「絶好調だ」と答え始めた。
しかも、元気よく言った。

最初は少しぎこちなかったし、奇異な目で見る人もいた。
しかし、一週間もすると板についてきて、すごく気分がよくなったし、みんなが私と話すことに興味を持ってくれるようになった。
私はこれには驚いた。

これはけっして複雑で高度な技術ではない。
心の姿勢をポジティブにするためには、才能もお金もルックスもいらない。
ポジティブで元気のいい答え方をする習慣を身につけさえすれば、私と同じようにエキサイティングな結果が得られるのだ。

『できる人とできない人の小さな違い』ディスカヴァー

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多くの人は、調子もそんなによくないのに「絶好調!」だとか「最高だよ!」などと言うことはできない、と。
しかしジェフ・ケラー氏は、こう語る。

『ある女性は、一日の激務を終えて、やっと家に帰った。
すっかり疲れ果てている。
座って新聞を開き、宝くじの当選番号を調べる。
なんと、当選している!
賞金は1千ドルだ!
彼女はどうするか。
大歓声をあげて椅子から飛び上がるに違いない。
エネルギーのかたまりのようになって、彼女は家族や友人に電話をかけ、賞金の使い道を考える。
しかし、ちょっと待ってほしい。
10秒ほど前、この女性は疲れ果てていたはずだ。
それが今では、10代のチアリーダーのように元気だ。
この10秒間に何が起こったのだろうか。
栄養注射でもしてもらったのか。
そうではない。
彼女の変身は極めて精神的なものなのだ!
これは彼女が何に焦点を当てたかという問題なのだ。
疲れていることに焦点を当てることも、その反対に人生が恵まれていることに焦点を当てることもできるのだ。
私たちがどう感じるかは、主観的な問題であることが非常に多い。
「疲れている」と自分に言い聞かせれば、疲れを感じるようになる。
「最高の気分だ」と言い聞かせれば、元気が出てくる。
私たちは自分が考えているような人間になるのだ。』

モノの見方は、すべてどこに焦点を当てるかだ。
小林正観さんは、それを「モノやできごとには色が付いていない」という。
たとえば「病気や事故」であっても、それを「この程度ですんで良かった、ありがたい」と思う人と「ツイていない、最悪だ」という人がいる。
できごとは変わらないのに、どこに焦点を当てるかで、見方はまるっきり違ってしまう。

「調子はどう?」と聞かれたら…
「絶好調!」と答えたい
posted by Dr.モーリィー at 05:51| ちょっと気になる善い言葉 | 更新情報をチェックする

2020年09月05日

No 5744   【自分が実践する】

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おいちゃんのお気に入りブログ【人のこころに灯をともす】からの転載です

【自分が実践する】

小林正観さんの心に響く言葉より…


講演会のあとで、このような話をする方がいらっしゃいます。
「今日の話を、〇〇さんに聞かせたかった」
「今度は、××さんを連れてきたい」
このように、「誰かへ」と言った瞬間、今日の話は自分のためになされているものではないと思っています。

このときいちばん痛んでいるのは、話を聞いた本人の胸です。
いままで、五戒(不平不満・愚痴・泣き言・悪口・文句)を言い、怒鳴ったり、怒ったり、不機嫌になっていたので、話を聞いていると、自分がとても辛くなります。
どうしても「自分の胸に痛みが来ているのではない」「この話は自分のためのものではない」「これは〇〇さんに告げるべき話だ」とうっちゃりをして帰りたいのです。
それを、私に確認しておかないと辛いので、「この胸の痛みは〇〇さんのところにいく話ですよ」と確認しに来るわけです。

「多くの人に伝えたい」「世の中を変えよう」という考えを全部やめる。
伝えたいという人は、自分が実践していない可能性があります。
自分でやるべきことを感じたのなら、ただ自分が実践していくだけ。

楽しくて笑顔になることを何十年も続けていき、周りの人に喜ばれるよう、光を発しながら生きていくだけでいい。
それが「実践」。
「自分がどう生きるか」に徹してみてはどうでしょう。

『笑顔で光って輝いて (じっぴコンパクト文庫)』

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小林正観さんに、「引きこもりの子供」の話がある。
ある女性の息子さんが引きこもりになって困っていた。
それで、夫も子どもも暗くなり、家中が暗くなってしまったという。
正観さんは、夫や子どもに関係なく、自分が明るくなればいい、というアドバイスをその女性にした。
アドバイス通り、夫も子どもは不機嫌なままでいい、自分は昔好きだった社交ダンススクールに通う、と決断した。
すると、毎日が楽しくなり、家事も鼻歌交じりにやるようになり、結局息子さんは2年ぶりに自分の部屋から出てきたという。
そして、自分も「社交ダンスをやりたい」と言って、ダンススクールに一緒に通いはじめ、ダンススクールで人気者になったそうだ。
(楽しい子育て孫育て・学研)より抜粋引用

人をどうこうしようとするのではなく、自分が光って輝けばいい、というのが「実践」だ。
天照大神(アマテラスオオミカミ)が、天の岩戸にお隠れになったとき、日本の神々は岩戸の前で、歌ったり、踊ったり、酒を飲んだりして、楽しそうに大騒ぎをした。
なぜ、皆がそんなに楽しそうなのかを知りたくなった天照大神は、外へ出てきたという。

学校の先生なら、自分の担当教科(たとえば数学)を、好きで仕方ない、楽しくて、面白くて仕方ないということを伝えるだけ。
すると生徒は、数学が好きになるかもしれない。
商店主なら、商売が好きで仕方がない、楽しくて、面白くて仕方ないということを子どもに伝えるだけ。
すると、後継者ができるかもしれない。

自らが光って輝くことこそが「実践」
posted by Dr.モーリィー at 06:17| ちょっと気になる善い言葉 | 更新情報をチェックする