2019年02月17日

No 5007  【キュレーションの力】

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おいちゃんのお気に入りブログ【人のこころに灯をともす】からの転載です

【キュレーションの力】

勝見明氏の心に響く言葉より…



キュレーションは美術館や博物館で企画や展示を担当する専門職のキュレーターに由来します。
例えば美術館のキュレーターは、既存の作品、資料の意味や価値を問い直し、コンテンツを選択して絞り込み、それらを結びつけて新しい意味や価値を生み出す。
そんなキュレーターの仕事と同じ発想が、あらゆるビジネスにおいて求められているのです。
フリーの「無料」、シェアの「共有」にならって、キュレーションをひと言で表現するなら「編集」ないしは「新しい編集」とでもなるでしょう。

例えば、アップルのタブレット・コンピュータ「iPad」は、アメリカでは「キュレーテッド・コンピューティング」と呼ばれます。
多機能化や高機能化を積み重ねてきたパソコンと異なり、つくり手によってコンテンツや機能が選択され絞り込まれ、編集されたことで、逆に使いやすさという新しい体験の価値が提供されるコンピュータといった意味合いです。
ネット上でも氾濫(はんらん)する情報の中から一定のコンセプトにより選択し、編集して新しい価値を持った情報を発信する「情報のキュレーション」が盛んに行われています。

キュレーションの成功例は街の中にもあります。
百貨店は、「百貨」の名の通り、多彩な商品がそろっている業態で、主に高級品を扱います。
その百貨店は業績が低迷し、業界の売り上げは今世紀に入り、この10年で約10兆円から約7兆円(2018年は約6兆円)にまで縮小しました。
一方、替わって人気上昇中なのが、ユナイテッドアローズ、ビームス、シップス、ベイクルーズといった、センスのよい洗練された商品を選び、絞り込んで提供するセレクトショップです。
人気セレクトショップがテナントとして入る駅ビルのルミネは、この10年あまりで売上高が百貨店とは逆に約70パーセントも増えています。

セレクトショップもキュレーションの典型で、欧米ではオーナーやスタッフは、キュレーターに例えられたりもします。
この場合、キュレーションは「目利(めき)き」といった意味にもなるでしょう。

やはりテレビ番組で、テレビ朝日系列の『アメトーク!』というトーク番組があります。
お笑芸人の雨が上がり決死隊がMCを務め、毎回、7〜8人のお笑芸人ゲストが出演します。
短命のお笑番組が多い中で、2003年4月にレギュラー化されてから、午後11時15分〜午前0時15分という深夜枠ながら、平均10パーセント前後の視聴率を保ち、ときには15パーセント前後の高視聴率をたたきだす人気番組です。
漫才ブームが始まり、この10年間の間に覚えきれないほど多くの芸人が登場しました。
それは芸人過剰時代を思わせるほどです。
『アメトーク!』の持ち味は、その中から人気の高さや知名度といった既存の尺度ではなく、有名無名を問わず、毎回、ある共通性を持った芸人たちを集める“くくりトーク”のくくり方にあります。
家電好きの「家電芸人」、住居が近い「五反田芸人」、通う店が同じだった「餃子の王将芸人」など、いわゆる楽屋ネタをテーマに設定することで、芸人の日常の中にお笑の価値を発掘するのです。
これも、一種の芸人のキュレーションです。
中でも特徴的なのは、「滑舌(かつぜつ)悪い芸人」「中学のときイケてないグループに属していた芸人」「人見知り芸人」…等々、“負の笑い”を誘うくくりがしばしば行われ、どちらかというと地味な芸人が集められるのに、逆に新鮮さが生まれ、面白さと親しみを感じてしまうところです。
芸能界においては、その他大勢的な売れていない芸人も、くくりトークでくくられるとにわかに光を放ち、価値を持つ。
いわば“石ころ”も“ダイヤ”に変わる。
それがキュレーションです。
過剰でとらえきれない状態から、選択し絞り込み、結びつけ、編集し、新しい価値を生み出す。
どうやら世の中はその方向に向かっているようです。

過剰な世界から絞り込みの世界へ。
より多くからよりシンプルへ。
多機能高機能から絞り込まれた“腎機能”“好機能”へ。
マルチからスマートへ。

21世紀には大きな流れが生まれようとしています。
受け手の視点で目利きし、再編集して「より善い価値」「より適した価値」を実現していくキュレーションの時代に入ろうとしているのです。
アップルのスティーブ・ジョブズがキーになる機能をキュレートしてiPadをつくり出したように、自分が取り組む仕事やビジネスにおいて何をどうキュレートすればいいかという、キュレーターとしての意識です。

世の中にあらゆる価値があふれ、先が見えにくいときは、受け手の視点で目利きし、「何をどう編集するか」というキュレーションの考え方を取り入れると、仕事の方向性がとてもすっきり整理されます。

『石ころをダイヤに変える「キュレーション」の力』潮出版社

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キュレーター、長谷川祐子氏の「キュレーション 知と感性を揺さぶる力」(集英社新書)より
『「キュレーション」という言葉を用いた書物が、アートの文脈とは無関係に出版されるほど、いまキュレーション、キュレーターという言葉が市民権を得つつある。
選択する、解釈する、構成するという意味ではエディターの仕事に近く、展覧会を企画し、美術館をつくったり、アーティストの新作制作に関わったりする点ではプロデューサーに近いともいえる。
一方で文献、フィールドの双方に関わるリサーチャーであり、ときにアカデミックなテキストから批評テキスト、そして展覧会の広報印刷物のキャッチコピーまで考える書き手でもある。
そして展覧会企画の予算から執行の流れをマネジメントする管理者でもある。
キュレーターの仕事は、視覚芸術を解釈し、これに添って、芸術を再度プレゼンテーションすること、これが基本といえる。
世に知られていない生まれたばかりの作品を展示することは、美術史的に評価の定着した作品を展示することとは、かなり異なっている。
前者は、キュレーターの解釈力や表現力が問われるのだ。
それまでなかった価値観や知覚意識、嗜好(しこう)の生産に関わることは、社会や経済とも関わることになる。
いい作品はどう判断するのかと、よく聞かれることがある。
長いこと記憶に残っている作品と答えることが多いが、では若い作家の作品を最初に見たとき、その場でどう判断するのか。
それは、その作品が視覚の中に「到来する」「侵入してくる」という以外に表現のしようがない。
それは、視覚的インパクトという表現ではすまない何かなのである。
こちらの視覚的記憶の蓄積とそのたびごとに積み重ねてきた解釈や判断の集積により、経験あるキュレーターの眼はたえず既視感にさらされている。
その既視感ブロックを破って侵入してくる作品は、そこだけモノクロから総天然色になったときのような新鮮さがある。
アートのキュレーターとして何が重要かといえば、この視覚的記憶がすぐれていることであり、この視覚要素を他のあらゆる事象やロジックと結びつける力、そして視覚的・感覚的シミュレーション能力だろう。』

キュレーターという仕事は、美術館や博物館の専門家だけでなく、今では多くの職業に存在する。
たとえば、店主がセレクトした厳選した本だけを陳列する本屋さんや、オーナーやカリスマ店員の選んだ洋服や、雑貨などのショップ。
あるいは、本を自らの好みで選びそれをSNS等で紹介するブックキュレーター。

キュレーションはあらゆるところで行われ、エバンジェリスト的なキュレーターがいる。
エバンジェリストとは、伝道師のことだが、IT業界で主に使われ、最新のテクノロジーを一般の人にわかりやすく伝えたり、解説したり、啓蒙したりする役割の人だ。
現代はあふれかえる情報の洪水のまっただ中にあり、その中から自分にとって有益な情報を選び取るのが難しい時代だ。

キュレーションの力は今後ますます必要とされる
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2019年02月16日

No 5006   【目の前にある幸せに感謝する】

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おいちゃんのお気に入りブログ【人のこころに灯をともす】からの転載です

【目の前にある幸せに感謝する】

小林正観さんの心に響く言葉より…



九州でのある講演会で、定刻になっても半分しか人が集まらず、主催者の方が、「どうして九州の人間はこんなに時間にルーズなんでしょうね」と嘆いたことがありました。
それを聞いた私は、笑ってこのように話しました。
「定刻なのに半分も来ない、のではなくて、定刻にもかかわらず半分も来てくださっている。ありがたいですよね」

つまり、来てくれたほうに目を向けたら、「ありがとう」です。
来ていないほうの半分に、「まだ来ないじゃないか」と不平不満を言うよりも、来ている人に感謝するほうがいいということです。
同じ現象でも、感謝ができる人とできない人がいます。

私の話を聞いて、その主催者の方は、「自分は正観さんのお話を何十回も聞いているのに、まだイライラしてしまう人間でした」とおっしゃっいました。
それから、その人はまったくイライラしなくなったということです。
面白いことに、定刻に集まらなくてもイライラしなくなったら、その次の会からは、定刻には三分の二の人が来るようなりました。
イライラしているときにはなかなか集まらなかったのに、イライラしなくなったら、集まりもよくなり、人数も増えているそうです。
地球と宇宙を味方につけるためには、「自分の思いどおりの現象が100点満点になっていないじゃないか」と文句を言うのではなく、80点の現象があるのなら、その80点に、手を合わせて感謝すること。

『神さまに好かれる話: 悩みを解消する法則 (単行本)』三笠書房

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小林正観さんは本書の中でこう語る。
『ある歌手が、コンサートの直前に客席を見て、空席があることに腹を立てて帰ったことがあったそうです。
当然、コンサートは中止。
3000人ほどの規模の会場で2500人ほど入っていたそうですから、充分にお客さんは集まっていたと思います。
ただ、空席があったからそれが気に入らないというので、来てくれた人に対して自分の腹立たしさをぶつけるのは、実は本人が考えている以上に損です。
そういうことをしていると、そのうち誰からも信用されなくなります。
興行主から見ると、もうそんな危険のある人には次から頼まないようにしようと思うに違いありません。
目の前に起きている現象に対して感謝ができ、喜びを見い出すことができ、そこに幸せを感じられるようになると、自分自身がラクで楽しい、ということです。
なおかつ、地球と宇宙が味方になってくれます。』

人は、偉くなったと錯覚したり、その状態に慣れてしまうと、傲慢になる。
はじめは、ほんの数人のお客様が来てくれただけで、嬉しくて涙が出そうになった、という初心の素直な気持ちを忘れてしまう。

不満が爆発したり、不機嫌になる人は、今ある幸せに目を向けられない人。
今、生かされていることの「ありがたさ」を忘れてしまっている。

「ありがとう」の反対は「あたりまえ」だという。
「ありがとう」は漢字で書くと「有難う」。
「有(あ)ること難(かた)し」とは、有ることがまれである、めったにない事にめぐりあうようなこと、つまり「奇跡」のようなこと。
奇跡の反対は、「あたりまえ」。

我々は、毎日起こる出来事を当たり前だと思って過ごしている。
「歩けるのが、あたりまえ」
「目が見え、耳が聞こえるのが、あたりまえ」
「毎朝目覚めるのが、あたりまえ」

しかし、地震にあったら、病気になったら、事故にあったら、そんなあたりまえの毎日はあとかたもなく吹き飛んでしまう。
今、目の前にある幸せに手を合わせて感謝できる人でありたい
posted by Dr.モーリィー at 07:07| ちょっと気になる善い言葉 | 更新情報をチェックする

2019年02月15日

No 5005   【コンピュータになくて人間にあるのは、「モチベーション」】

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おいちゃんのお気に入りブログ【人のこころに灯をともす】からの転載です

【コンピュータになくて人間にあるのは、「モチベーション」】

筑波大助教、落合陽一氏の心に響く言葉より…



いつの時代でも言われることですが、現在の小中学生が社会に出る頃には、現在とはまったく違う世の中が訪れているはずです。
しかしながら、入試制度や選挙制度、雇用の仕組み、我々の死生観や幸福感、結婚の仕組みなど、まだ変わっていないものもあります。
そしてそれらは聖域などではなく、今後最も劇的に代わっていくのではないかと考えられます。

ところが、彼らに将来の指針を与える立場にある親の世代が、いまコンピュータやインターネットのもたらす技術的変化や文化的変化によって具体的に何が起こるのか、それがどういう意味を持つのかを理解していません。
そのため多くの親が、子供に見当違いの教育を与えているような気がします。
たとえば、英語教育に熱心な親は大勢いるでしょう。
「グローバルな社会で生きていくには、英語ぐらいできないと」と考えて、子供が小さいうちからバイリンガルになるための教育を行っています。
それを求めるのは保護者ばかりではありません。
学校での英語教育を求める声は財界などにも多いですし、文部科学省も小学校への英語教育の導入を進めています。
でも、それが本当に将来のキャリアに役立つでしょうか。
たしかにグローバル化によって外国人とコミュニケーションする場合は増えましたが、コンピュータの翻訳技術もどんどん向上しています。
最近は、ちょっとした仕事上のメールのやり取りなら「グーグル翻訳」でこと足りるようになりました。
音声の翻訳も含めて、その精度は短期間のうちに上がるでしょう。

そういう世界で大事なのは英語力ではありません。
たとえばコンピュータが翻訳しやすい論理的な言語能力、考えを明確に伝える能力が高いことのほうが、はるかに重要です。
英語はプログラミング言語の一種だと思って、練習して使いこなせるくらいがちょうどいい距離感のように僕は感じています。

また、子供にコンピュータ・プログラミングを学ばせる親も増えました。
たぶん、「これからはIT業界に入れば成功できる」という前提で考えているのでしょう。
はっきり言って、子供のときから単にプログラミングが書けること自体にはあまり価値はありません。
IT関係の仕事で価値があるのはシステムを作れることです。
プログラミングは、自分が論理的に考えたシステムを表現するための手段にすぎません。
ですから、「プログラミングができる」というのは、いわば「算数ができる」ぐらいの話。

大事なのは、算数を使って何をするかということ。
それよりも重要なのは、やはり自分の考えをロジカルに説明して、ロジカルにシステムを作る能力です。

「次の世界」に向けて、どんなことを学ぶべきかを考えるのは本当に難しいことです。
ただ基本的には、「コンピュータには不得意で人間がやるべきことは何なのか」を模索することが大事だと言えます。
それはおそらく、「新奇性」や「オリジナリティ」を持つ仕事であるに違いありません。
少なくとも、処理能力のスピードや正確さで勝負する分野では「ホワイトカラー」が担っているような仕事は、ほとんどコンピュータに持って行かれるのです。

コンピュータに負けないために持つべきなのは、根性やガッツではありません。
コンピュータになくて人間にあるのは、「モチベーション」です。
コンピュータには「これがやりたい」という動機がありません。
目的を与えれば人間には太刀打ちできないスピードと精度でそれを処理しますが、それは「やりたくてやっている」わけではないでしょう。
いまのところ、人間社会をどうしたいか、何を実現したいかといったようなモチベーションは、常に人間の側にある。
だから、それさえしっかり持ち実装する手法があれば、いまはコンピュータを「使う」側にいられるのです。

逆に言えば、何かに対する強いモチベーションのない人間は、コンピュータに「使われる」側にしか立てません。
スマホという小さな道具の中で、アプリを使いこなして便利に生きているつもりでも、それは誰かが作った「魔法」の世界を見ているにすぎないのです。

『これからの世界をつくる仲間たちへ』小学館


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落合氏は、「ホワイトカラー」や「中間層」が今後なくなっていく現象についてこう語っている。
『米国で2009年に始まった「Uber(ウーバー)』というタクシー配車サービスも、ヒューマン・コンピュテーションであり、ある意味で人間(ドライバー)が人工知能のインターフェイスとして機能していると言えるでしょう。
米国ではタクシー会社に所属していない個人が誰でも簡単な登録をするだけでUberのドライバーになることができます。
料金はアプリで清算できるので、ドライバーが個人でもボッタクリに遭うことはありません。
通常のタクシー会社は、顧客からのリクエスト緒を受けた配車係がオペレーションをします。
しかし、Uberはそれをコンピュータがやるので、人件費がかかりません。
したがって、乗車料金も安くすることができます。
当然、ドライバーの取り分もふつうより多くできるでしょう。
実際、Uberのドライバーの平均時給は日本のタクシー運転手の3倍程度になっています。

これまでブルーカラーの労働者は、その仕事をマネジメントするホワイトカラーの搾取を受けてきたと言うことができます。
実質的な価値を生み出しているのは現場のブルーカラーなのに、どういうわけかマネジメントをしている側のほうが高い価値を持っているように見えていました。
話はちょっと飛びますが、たとえば共産主義が失敗したのは、そのようなコンピュータがなかったからかもしれません。
もし、「維持コストのかからない管理職」がいれば、労働者に富を平等に分配できるはずです。
しかし実際には、マネジメントできるほどのコンピュータが存在せず、「管理職」としての共産党や役人を食べさせなければいけなかった。
そこが富を搾取するから、労働者は豊かになれなかったわけです。
コンピュータの発達によってUberのような方式が広まれば、いままでマネジメントという中間的な位置で食べていた人たちの仕事は必要ありません。』

「おそらく私たちの社会は、中産階級を維持する方法を見つけなければならないという重荷を背負うことをやめてしまったのだ」(スコット・ギャロウェイ・GAFA四騎士が創り変えた世界)
インターネットとデジタル革命の大きな特徴の一つは、「中抜き」だ。
問屋や中間業者がなくなり、消費者が生産者や製造業と限りなく近づく。
会社においても同じで、中間のホワイトカラーがいらなくなる。

《コンピュータになくて人間にあるのは、「モチベーション」》
高いモチベーション力を身につけたい
posted by Dr.モーリィー at 07:45| ちょっと気になる善い言葉 | 更新情報をチェックする

No 5004  夜間当番

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半年に1回くらい廻って来る 夜間当番の日

電話を待ちながら 事務仕事・事務仕事

今回は相談の電話が 1通来ただけの 静かな当番日でした

こんな日もあるものだ

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posted by Dr.モーリィー at 07:37| クリニック情報 | 更新情報をチェックする

2019年02月14日

No 5003   【根拠のない感情論で、テクノロジーの進化をせき止めてはいけない】

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【根拠のない感情論で、テクノロジーの進化をせき止めてはいけない】

堀江貴文氏の心に響く言葉より…



もはやAIがなければ、社会のインフラは成り立たない。
そんな状況になりつつある。
一方で、AIの存在感が高まるのと相反するように、「脅威論」も噴出している。
「AIは、人から仕事を奪ってしまうのではないか?」
「人間を凌駕(りょうが)する知能は、やがて人間を排除してしまうのではないか?」という意見だ。

人の知性や成長力、順応性などを考慮しない、バカらしい意見だ。
人間の可能性も、ずいぶん下に見られたものだ。

これだけは言わせてもらいたい。
AIを人類の敵などとみなし、わけのわからない脅威論で排除しようとするなど、絶対に許されない愚行だ。
根拠のない感情論で、テクノロジーの進化をせき止めるのは、人が知性体であることをやめるのに等しい。

もしAIに脅威を感じるのなら、AIのことを正しく学び、現在の知見から、人間社会に何をもたらそうとしているのかを、自分なりに考えてみるべきだ。
火を怖がったサルみたいに、テクノロジーの前で怯(おび)えているだけでは何も解決しない。
つかみがいいだけの脅威論など、飲み場の笑い話程度に聞き流し、来るべきAI社会と、自分がどのように向き合っていくかを、真剣に考えてみてほしい。
そうしなければ、あっという間に「AIに奪われる側」になってしまうだろう。

AIがロボットのような「身体性」、つまりは「手」や「足」を獲得したとき、まずAI自身がさらに爆発的な進化のジャンプを果たすだろう。
そして、“AIロボット”として、人がやっていた仕事を請け負い、人々の生活を本格的にサポートする役割を果たし始める。

いずれは「人が働かなくていい世界」がやってくる。
AIやロボットに仕事を奪われる…ある意味では、事実だろう。
だが、奪われるという発想を持つ必要はない。
私たちの方から、AIやロボットの側に、面倒な仕事を受け渡すのだ。
そして、私たちはやりたいことだけに没頭できるようになる。
素晴らしいことではないか。

IT革命とグローバリズムにより、経済格差や情報格差、教育格差など、あらゆる分野で格差がどんどん拡大している。
今後はAIやロボットを使いこなす人と、そうでない人との格差の拡大が始まる。
使いこなす側が受けられる恩恵と、使いこなせない側の不利益は、これまでの格差とは比べものにならないほど、大きくなるだろう。
とてつもない「AI格差」の時代が、始まりつつあるのだ。

メールやスマホ、SNSが出現したとき、「そんなものに頼っていたらダメだ!」「インターネットのことは、まるでわからん」などと、旧態依然たる生き方や働き方に固執していた厄介者たちが、いまどうなっているか。
答えは明白だ。

『僕たちはもう働かなくていい (小学館新書)』

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堀江貴文氏は、本書の中でこう述べている。
『テクノロジーの歴史は、“身体拡張”の歴史でもある。
自動車が登場して、人力車や飛脚はいなくなった。
移動の手段を、私たちは自動車に“拡張”することで、1日で数百キロを移動することができるようになった。
人類は身体の“拡張”を繰り返してきた。
そうして過去から想像もつかないような、質の高い生活を過ごしている。
自動運転やドローンも、いわば「目」や「耳」など感覚の技術拡張と言える。
AIやロボットは人間の“身体拡張”の最良のサポーターである。
手を組み続けていこうと、考えるのが正しい。
仮にAIが奪う側だとして、AIに負けじと、自分も進化しようとは思わないのか?
それこそが人間ではないのか?』

『歴史学者ユヴァル・ノア・ハラリは、AIの進化が加速していいく今後、人々がどのように生きていくべきかを、わかりやすく提言している。
21世紀の人間は、「狩猟民族に学ぶべきだ」という。
狩猟民族は自分たちの願望に合うように環境を変えるのではなく、自分自身を環境に適応させてきた。
そして自分の身体や五感に対して、鋭敏であり続けた。
生き延びるために、目で見ること、耳で聞くこと、鼻で嗅ぐこと、すべてについて研ぎ澄ました。
それらは現代人が、いま失いかけているものだ。
30代、40代になろうと、新しい知見を得る好奇心を持ち、狩猟民族のように鋭い感性と柔軟性を使いこなすことが、AI時代を生き抜くには求められるということだ。
だが、好奇心も感性も、柔軟性も、狩猟民族が有していた能力は、実は、AIやロボット、“身体拡張”といった現代のテクノロジーを駆使していけば、ほぼすべてをカバーできるようになるのではないだろうか…』

時代は変わる。
本書の中で、堀江氏は「我々は人間のまま“死”を迎える最後の世代」になるという。
AIやロボットがどんどん進むと、人間の身体の不具合ができたとき、ロボットのパーツとや臓器と取り替えられる時代がくるからだ。
それどころか、アニメの攻殻機動隊のように、直接、脳とネットがつながる電脳の時代もいつか現実の世界になるかもしれない。

「根拠のない感情論で、テクノロジーの進化をせき止めてはいけない」
今一度、狩猟民族に学び、生き延びるため、五感を研ぎ澄ませたい
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No 5002  天使たち

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毛利歯科グループの スタッフや関連企業のための 保育所 「七福保育所」

たまに 寄るのですが 行くたびに 元気をもらえます

子供たちの 成長は 目を見張るものがありますね

たくさんの学びも あります

未来の宝物 天使たちの 瞳は きらきら輝いております

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2019年02月13日

No 5001  【「デザイン」の本来の意味は「設計」】

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おいちゃんのお気に入りブログ【人のこころに灯をともす】からの転載です

【「デザイン」の本来の意味は「設計」】

各務太郎氏の心に響く言葉より…



日本でデザインという言葉を使うと、「絵心」「センス」「クリエイティビティ」という言葉と一緒に使われることがある。
敢えて強調するが、デザインと、センスやクリエイティビティは、全く関係がない。
とにかく新しい視点を提供すること、新しい課題を発見するということ、それこそがデザインなのである。

「デザインは問題解決」ということは、私たちも多くの本や記事で目にしてきた。
しかし、その本意は伝わりきっていないのではないかと思う。
例えば傘について考えてみよう。
傘というプロダクトは、「雨が上空から降ってくる」という問題に対して、「手で持てる軸の先に膜をつけて水滴をさえぎる」という解決の糸口を見いだしたものだ。
ここまでがデザイン。
膜の模様や、柄の形状のことはデザインとは呼ばない。

つまりデザイン力とは問題解決力のこと。
あくまで「問題を発見し、解決の糸口を示す」能力なのである。
私たちが普段「デザイン」と聞いて想像する「オシャレなグラフィック」等は、厳密にはデザインの範疇(はんちゅう)ではない。
絵心、造形力、センス、クリエイティビティは一切関係ないのである。

欧米では「デザイン」とは、課題解決や設計に特化した言葉であって、私たちがイメージするような「物事をきれいに整えること」は、「スタイリング」というまったく別の作業として存在していたのだ。

「問題解決」と「自己表現」。
その意味するところにおいて180度異なるデザインとアートであるが、なぜ日本ではこれほどまでに互いに混同されてしまうようになったのだろうか。
私は図工教育にその原因の一端があるのではないかと考えている。
つまり小学校から高校にかけての図工の授業の中で、絵や粘土が上手だったクラスメイトが、気づけば芸術系の大学や専門学校に進み、その後緒「デザイナー」として働いているから無理もない。
しかし冷静に思い返してみてほしい。
美術が得意というのは「自己表現」が得意ということであり、他人よりも上手に「スタイリング」ができる(オシャレに整えることができる)ということであって、決して「問題解決」に長けているというわけではない。
逆に言えば、本来「デザイナー」は美術系大学を出ている必要はまったくない。
質の高い課題を発見し、解決の糸口を提示することが出来さえすれば、簡単なポンチ絵が描ければ十分なのである。

実際世界のトップのデザイナーの中には絵心が皆無と言えるひとが数え切れないほどいるが、彼らの「デザイン力(問題解決力)」はやはりスバ抜けている。
もし企業の採用担当者が「問題解決力の高いデザイナーを雇うことで社内にイノベーションを起こしたい」という意図で、スタイリングだけが得意な人を採用してしまった場合は悲劇だ。
きっと社内の会報誌の表紙がいたずらにオシャレになるだけで終わってしまうことだろう。

『デザイン思考の先を行くもの』クロスメディア・パブリッシング

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各務太郎氏は「見立てる力」について本書の中でこう語っている。
『それは、ふつうの人から見れば全く関係ないふたつの異なるものも、それぞれをシナリオまで抽象化してとらえることで、同じ土俵で結びつけることができる眼力。
例えば作曲家がジェットコースターに乗ったら、その上下運動やスピードの緩急がメロディに「感じてしまう」かもしれない。
パティシエがドバイの面白い建築物を見たら、新しいケーキのフォルムに「見えてきてしまう」かもしれない。
その人の専門性や得意分野のフィルターを通すことで、他の人には見えないものが見えてくること。
それはもはやロジックやマーケティングでは説明不可能なもの。
そしてハーバードのデザイン教育は今、世界を変えるようなイノベーションを起こす上で、この「個人の見立てる力」こそが、いちばん重要な要素と考えている。』
そして、各務氏は「あの人だったらどんなアイデアを出すだろう」というロールプレイングを脳内で行うという。
たとえば、アンパンのCMをつくることになったとして、それを仮に「もしユニクロがアンパンのCMをつくったらどうだろう」と考える。
たぶん色んな国籍を持った若者が、それぞれ異なる色の鮮やかなカラーパンツをはき、軽快なBGMとともにアンパンを片手に白い階段を降りてくる画が想像できる。
また、料理のレシピ本を手に取り、「この本から絶対に建築を学ぶ」と決めて読み始めるといった具合だ。

「デザイン」の本来の意味は「設計」であり、新しい見立てや視点を通して問題解決をするという行動。
従来言われてきた「デザイン」は、「スタイリング」であり、それが美しくセンスよく整えること。

そして、「むしろ、誰もが手放しに称賛してくれるアイデアは実行しないほうがいい。なぜなら人は、一般的に既視感のあるアイデアは安心して受け入れることができるからだ。そのアイデアはきっともう、誰かがやっている」。
「見立て力」を磨き、新たな視点で様々な問題を解決できる人でありたい
posted by Dr.モーリィー at 07:19| ちょっと気になる善い言葉 | 更新情報をチェックする

2019年02月11日

No 5000  ブログ更新 5000回 達成!

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今回で 通算5000回更新  達成!

おいちゃんのお気に入りブログ 「人のこころに灯をともす」からの転載や
クリニック情報、イベント情報、研修会報告、食レポ?  などなど

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ひとつは ボケ防止のために  ははは

今後も ゆーーっくりとのんびりと
お付き合いくださいませ!

  皆様に 感謝・大感謝です!

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2019年02月10日

No 4999   【親の敷いたレールを逸脱する】

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おいちゃんのお気に入りブログ【人のこころに灯をともす】からの転載です

【親の敷いたレールを逸脱する】

習志野台幼稚園理事長、いぬかい良成氏の心に響く言葉より…



これからの時代は、AI(人工知能)のロボットが、今まで人がしていた仕事を担っていくといわれています。
親の言う通りに勉強して、単に知識をたくさん詰め込んでも、AIにはかないません。
そうした中で生き残っていけるのは、従順なロボットのような「良い子」ではなく、従来の常識を打ち破るような革新的で突き抜けた発想のできる子どもです。
親のイライラにおびえ、親の機嫌を損ねない「良い子」を演じたまま成長すると、「良い子症候群」に陥る危険性があります。

「良い子症候群」は、「良い子」であると他人に認めてもらうことでしか自分に自信を持てません。
そのため、少しでも誰かに注意されたりすると、極端に落ち込んだり、あるいは逆ギレしてしまうことが多いのです。
「うちの子はどうしてこんなに悪い子なんだろう?」
そう思い悩んでいるお父さんお母さんは、我が子が「良い子」でないことをむしろ歓迎してください。

私の持論は「子どもは悪い子に育てましょう!」です。
もちろん、「子どもを乱暴者に育てましょう」とか、「子どもを犯罪者に育てましょう」と言いたいわけではありません。
私のいう「悪い子」とは、簡単にいうと“親の敷いたレールから逸脱する子ども”です。

多くの子どもたちは、「あなたには無理!」とか「これはダメ」「あれもやめなさい」「そうじゃなくて、こうしなさい」と、親の決めたルールにがんじがらめにされています。
そんな親の決めたルールに支配され、親の望むゴールに向かってひょろひょろ伸びているきゅうくつな道…それが親の敷いたレールです。

親が思い描く幸せが、必ずしも子ども自身の幸せとは限らないのです。
「いい学校に行きなさい。そうすれば人生幸せになれるから」と、親の敷いたレールに沿って子どもが一流大学に合格したとします。
しかし、その子が自ら「行きたい」と望んだのではなく、ただ親の進める大学に入った場合、子どもは入学した後の人生を描けなくなってしまいます。
大学に入るという目的が達成されそこで燃え尽きてしまう、いわゆる「燃え尽き症候群」になってしまいます。
しかし人生が始まるのはこれからです。
社会に羽ばたく前の通過点に過ぎない大学入学が、人生の終着駅になってしまっていませんか?

『子どもは「悪い子」に育てなさい 天才児が育つ7つの習慣』楓書店

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いぬかい氏は本書の中でこう語っている。
『「常識とは、18歳までに身につけた偏見のコレクションに過ぎない」
これはアインシュタイン語録のひとつです。
「これが常識!」と信じて親がこどもに押しつけているルールは、実は親の限られた経験と知識による「偏った常識」であることがよくあります。
古今東西、偉業を成し遂げた人物には、子どものころに問題児だったというエピソードが多々あります。
「Think different」…これは、「世界を変えた人たちは、変人だった」というメッセージを伝えるアップル社(スティーブ・ジョブズ)の有名なCMのキャッチコピーです。
このCMに登場するのは、トーマス・エジソン、アルベルト・アインシュタイン、パブロ・ピカソ、ジョン・レノン、アルフレッド・ヒッチコック、モハメド・アリなど、歴史に名を残すイノベーター(改革者)ばかりです。
たとえばノーベル賞を受賞した天才物理学者のアルベルト・アインシュタインは、子どものころから天才だったわけではなく、10歳近くになっても言葉をまともに話せず、クラスメイトにバカにされていたといいます。
トーマス・エジソンは、小学1年の算数の授業で「なぜ1+1は必ず2になるの?2つの粘土を混ぜたら、ひとつの粘土になるじゃないか」と教師にしつこく食い下がり、「この子は頭がおかしいから、もう学校に来なくていいです」と教師に見放されてしまいます。
そのため、エジソンは小学校さえまともに出ていませんが、ご存知の通り、彼は世界屈指の発明王になりました。
けれど、残念ながら「出る杭は打たれる」のが世の常です。
特に日本の社会は周囲との協調性を重んじ、「長いものには巻かれろ」とか「寄らば大樹の陰」といったメンタリティが強いので、空気を読まずに和を乱すような子どもは、まさに「出る杭」として周りから叩かれがちです。
それは、他の子どもと違うユニークな「個性」を持っている証拠です。
たとえ自分の子どもが扱いにくいと感じても、他の子どもと比べてそれを恥じたり、ムリに押さえつけるのはやめましょう。
長いものにイージーに巻かれない子どもには、未来に花開く素晴らしい「ギフト」が宿っている可能性がありますから。』

また、いぬかい氏は、親が決めたルールを押しつけてはいけないとは言っても、すべてを子どもの自主性にまかせ、自由奔放にやらせていいということではないという。
人としての土台となる基礎は身につけないと単なるわがままな子どもになってしまうからだ。
そこで必要となるのが「態度教育(しつけ)」だ。
「あいさつ」「返事」「履物をそろえる」「姿勢を正す(立腰)」「食事のマナーを身につける」という5つの基本要素。

今までは、いい大学に入り、安定した大企業や官公庁に入るといったことが安泰で、人生の幸せにつながった。
しかし、これからは違う。
想像もつかないような大変化がやってくるからだ。
自ら考え、創造性を発揮し、新しいことにチャレンジし、冒険し、行動する人でなければ生き残ってはいけない。
その基本になるのが、教育だ。
何かを覚えてそれを再生するだけの記憶勝負の教育では、AIに一瞬にして負ける。

「親の敷いたレールを逸脱する」
いい大人になっても、親の敷いたレールから外れられない人は多い。

従来の常識を打ち破るような、革新的で突き抜けた発想を大事にする人でありたい。
posted by Dr.モーリィー at 07:39| ちょっと気になる善い言葉 | 更新情報をチェックする

2019年02月09日

No 4998   【エストニアで見つけたつまらなくない未来】

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おいちゃんのお気に入りブログ【人のこころに灯をともす】からの転載です

【エストニアで見つけたつまらなくない未来】

孫泰蔵氏の心に響く言葉より…



僕にとって最も刺激的な国の1つ、エストニアを訪れています。
エストニアは、欧州バルト三国の1つで、人口わずか約130万人の国です。
首都タリンの旧市街地は、世界遺産に登録されており、ロールプレイングゲーム「ドランゴンクエスト」に出てきそうな、中世の趣を残した街並みが広がっています。
そんな小国のエストニアがなぜ刺激的なのかというと、この国から「未来の社会」を感じ取ることができるからです。
エストニアの人々はいま、世界に先駆けて、新しい価値観とライフスタイルを掲げ、そのビジョンを最新技術とデザインによって、社会に「実装」しはじめています。
その社会とはどのようなものか。
一言でいえば、「ヒューマン・オートノミー」という言葉で言い表せるでしょう。

オートノミーには「(行動や意思の)自由」といった広い意味合いがあります。
そのため、この言葉には「人は好きなときに、好きなところで生活し、働き、学び、友に出会い、子を育て、人生を楽しむことができる」という意味が込められています。
エストニアは、人々が自由に生きられるという社会をつくり上げようとしているのです。

一方、日本の社会は縮小し、至るところで「パイの奪い合い」が起きています。
そのためか、最近、同調圧力の強さが増しているように感じます。
会社で何か新しいことをしようとしても、上司から「勝手なことをするな」と押さえつけられてはいませんか。
会社で働く必要はない仕事なのに「ここにいろ」とオフィスのイスに縛り付けられてはいないでしょうか。

日本の社会では、場所の制約に縛られ、組織の制約に縛られ、時間の制約に縛られ、何か新しいことをやろうと思っても身動きが取れない。
そう感じている人が少なくありません。
少子高齢化や低成長の経済、将来への不安…理由はたくさんあるでしょうが、何かに抑圧され、組織も個人もどんどん縮こまっている、そんな感覚があるはずです。

ですが、それは僕たちの思い込みに過ぎません。
「やれないだって?そんなことはないよ。僕たちはもっと自由なはずだ。自らを解放し、やりたいことを軽やかに実現すればいいのだよ」
エストニアは、自らの世界観を掲示することによって、このように問い掛けてくるのです。
実際にエストニア人と交流を重ねれば、気づくことでしょう。
僕らが常識だと思っていたことが、実はそうでないことを。
「何だ縮こまる必要なんてない」、そして、「僕たちはもっと自由になれる」ということを。
何より、「つまらない」と思っていた社会を僕らが変えられるということを…。
エストニアを知ることで、これからの個人と国家の新しい関係について、そして新しい経済の仕組みが見えてきます。
これこそが、「つまらなくない未来」の1つです。

まず、エストニアで有名なのが「イ―エストニア」と呼ばれる、政府の電子化に関する取り組みです。
エストニアは、1991年に旧ソ連から独立した後、行政システムの電子化を掲げました。
その後、国民にデジタルIDカードを配布し、行政サービスをすべてオンラインで受けられるようにしました。

現在、公的サービスの99%が電子化され、24時間年中無休で利用できます。
そのため、行政の窓口で並ぶ必要がありません。
たとえば、住民票の変更は、パソコンやスマートフォンからアクセスして済ませることができます。
面倒な確定申告についても、数分から15分程度で終わってしまいます。
1年間のすべての取引が電子化されて記録として残っており、自ら入力しなくとも確認をしていくだけで済むからです。

選挙の投票についてもオンラインで、世界中のどこからでも簡単に行えます。
交通違反をしても、その場で罰金をスマホで支払うといった具合です。
政府の議事録もすべて公開されていて、紙の書類は使いません。
病院も警察も学校も税金もすべてのサービスが電子化され、それを利用するためのデジタルIDで1つにつながっているのです。

『ブロックチェーン、AIで先を行くエストニアで見つけた つまらなくない未来』ダイヤモンド社

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孫泰蔵氏は本書の中で「未来の組織」や「人の価値」についてこう語る。
『プロジェクトチームを案件ごとに毎回、作っては解消し、作っては解消しというように、機動的で流動性のあるチームが成果を出す時代に入る。
大企業のように大きな組織体である必要性がなくなるでしょう。
経営者の役割も変わり、映画プロデューサーのような役割になると思います。
プロデューサーが好きな企画を立て、脚本や監督、俳優、スポンサーなどを集めて映画制作を行うように、経営者もそのアイデアをチームで実現していくのです。
そこで経営者に求められるのは、人と人との関係性をデザインする力になるでしょう。
また、ブロックチェーン技術により、そのプロジェクト1つ1つが記録されることになれば、個々の信用も自然と築かれるようになります。
すると、「有名大学に入った」や「大企業に入った」というおおざっぱな経歴よりも、「いつ誰と何をどう成し遂げたのか」ということが評価として残る。
つまり、評価の解像度が上がるのです。
大事なのは、自分がどんな価値を提供できるのかということです。
有名企業に入ったところで、何もできないのであれば評価がつきません。
何となくいい大学に入り、何となくいい企業への就職を果たした人では、他人に価値が提供できない。
いわゆる「つぶしがきく」と思って選んだ道ではつぶしがきかない、価値にならない時代に突入するのです。
それよりも、すきなことを突き詰めて、1つ1つのプロジェクトを成し遂げていく方がより大きなレコードになるでしょう』

これからの時代は、単なる学歴や、大企業や一流企業に在籍していたということは価値にはならない時代だ。
レストランのシェフで言えば、海外のレストランに何年いようが、有名店で何年修行しようが、彼(彼女)のつくる料理がおいしくなかったら、そんな経歴は何の意味もない。

未来は大きく変わる。
自分の価値を極限まで高める努力をし続けたい
posted by Dr.モーリィー at 07:33| ちょっと気になる善い言葉 | 更新情報をチェックする