2019年04月17日

No 5094   【劣化するオッサン社会の処方箋】

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おいちゃんのお気に入りブログ【人のこころに灯をともす】からの転載です

【劣化するオッサン社会の処方箋】

山口周氏の心に響く言葉より…



「オッサン」の定義を明確にしておきたいと思います。
「オッサン」という用語は、単に年代と性別という人口動態的な要素で規定される人々の一群ではなく、ある種の行動様式・思考様式を持った「特定の人物像」として定義される、ということです。
その「特定の人物像」とは次のようなものです。

1. 古い価値観に凝り固まり、新しい価値観を拒否する
2. 過去の成功体験に執着し、既得権益を手放さない
3. 階層序列の意識が強く、目上の者に媚び、目下の者を軽く見る
4. よそ者や異質なものに不寛容で、排他的

お読みいただければすぐにわかるとおり、中高年の男性として分類される人であっても、この「人物像」に該当しない人は数多く存在します。
これを逆にいえば、いわゆる「オジサン」に該当しない年代の人であっても「オッサン化」している人がいくらでもみつけられるということでもあります。

皆さんもよくご存知のとおり、昨今の日本では、50歳を超えるような、いわゆる「いい年をしたオッサン」による不祥事が後を絶ちません。
例えば…
●日大アメフト部監督による暴行事件発覚後の雲隠れ
●大手メーカーによる度重なる偽装・粉飾・改竄・隠蔽
●日本ボクシング連盟会長による助成金の不正流用や暴力団との交際

これらの社会的事件のほかにも、「オッサンの劣化」を示す小事件は枚挙にいとまがありません。
例えば、駅や空港、病院などの公共の場で、ささいなことに激昂して暴れたり騒いだりするオッサンが後を絶たない。
民営鉄道協会が発表している平成27年度に発生した駅係員・乗務員への暴力行為に関する調査集計結果によると、加害者の年齢構成は、60代以上が188件(23.8%)と最多で、これに50代による153件(19.3%)が続いている一方、一般に感情のコントロールが上手にできないと考えられがちな「若いもん」、つまり20代以下の数値は127件(16.0%)となっていて全年代でもっとも少ない。
本来、社会常識やマナーの模範となるべき中高年が、些細なことで激昂して暴れているわけで、まったくこの世代の人たち人間的成熟はどうなっているのだろうかと考えさせられます。

なぜオッサンは劣化したのか…
現代の50代・60代の「オッサン」たちは、「大きなモノガタリ」の喪失以前に社会適応してしまった「最後の世代」だという点です。
「大きなモノガタリ」つまり「いい学校を卒業して大企業に就職すれば、一生豊かで幸福に暮らせる」という昭和後期の幻想の形式とともにキャリアの階段を上り、「大きなモノガタリ」の終焉とともに、社会の表舞台から退いていった、ということです。
つまり「会社や社会が示すシステムに乗っかってさえいれば、豊かで幸福な人生が送れる」という幻想のなかで過ごしてきたのです。
これは人格形成に決定的な影響を与えたと思います。
貴重な20代を、バブル景気に浮かれる世の中で「会社の言うとおりにやっていれば金持ちになって別荘くらいは持てるさ」という気分のなかで過ごしてしまったことは不幸だったとしか言いようがありません。
「大きなモノガタリ」の喪失前に20代という「社会や人生に向き合う基本態度=人格のOSを確立する重要な時期」を過ごしたのちに、社会からそれを反故(ほご)にされた世代なのだということを考えれば、彼らが社会や会社に対して「約束が違う」という恨みを抱えたとしてもおかしくはありません。

加えて指摘しておきたいのが、2018年時点で50代・60代となっているオッサンたちは、70年代に絶滅した「教養世代」と、90年以降に勃興した「実学世代」のはざまに発生した「知的真空の時代」に若手時代を過ごしてしまった、という点です。
教養世代というのも奇体な言葉ですが、平たくいえば「教養の習得に価値を置く世代」ということになるでしょうか。

70年代の半ばから80年代にかけ、学生はどんどんバカになっていきます。
その現象を象徴的に示す言葉として、当時マスコミで盛んに揶揄されたのが「大学のレジャーランド化」という表現でした。
ここにきて「教養世代」は絶滅し、90年代以降の「実学世代」の黎明までの10年間を「知的真空」の状況が継続することになります。

「教養世代」に対置される「実学世代」というのは、「実学の習得に価値を置く世代」ということになります。
平たくいえば経営学や会計などの「手っ取り早く年収を上げるための学問」を重視する世代ということです。
このような価値観が学生のあいだで支配的になった理由は容易に想像できます。
ソコソコの大学を出てソコソコの会社に入ってソコソコに頑張っていればお金持ちになって幸せになる、という昭和の「大きなモノガタリ」の喪失されたあと、社会で支配的になった「新しいモノガタリ」が「グローバル資本主義」でした。
あらゆる国のあらゆる産業が世界中の競争相手と戦い、ごく一部の強者だけが勝ち残り、残りすべては敗者となって社会の底辺に沈んでいく、という過酷な「モノガタリ」です。

バブル景気の崩壊と今日まで連綿と続く日本企業の経営の迷走状態が始まり、「大きなモノガタリ」は唐突に終幕となり、「グローバル資本主義下における弱肉強食の世界」という「新しいモノガタリ」が始まります。
この「新しいモノガタリ」が提示する新しいシステムに適応しようとした人々が、「実学世代」ということになります。
実学世代では、経営学の知識と英語とプレゼンテーションスキルがもっとも重要なリテラシーとなり、人生をいかにショートカットして効率的に年収を上げるかというゲームに、いわゆる「カツマー」(勝間和代にあこがれる人のこと・年収をあげる人)などと揶揄(やゆ)される類のナイーブな人々が大挙して参加し、そしてカモにされました。

60年代に学生生活を送った「教養世代」はすでにほとんどが引退し、社会システムの上層部では「知的真空世代」が重職を独占し、その下を「実学世代」がかためるという構造になっています。
これはつまり「古いモノガタリに適応した人」が、「新しいモノガタリ」を前提にした社会の上層部に居座って指示命令しながら、「新しいモノガタリに適応した人」が、中層から下層でその指示命令を実行部隊としてこなしているという歪んだ構造になっている、ということです。

この状況を別の角度から照射すると、「アートにもサイエンスにも弱いオッサンたち」という問題が浮かび上がってきます。
「教養世代→知的真空世代→実学世代」という推移を考察してみれば、「教養」が「アート」に、「実学」が「サイエンス」に対応する関係がすぐに読み取れます。
「教養」はそのまま英語に訳せば「リベラルアート」となります。
ここでいう「アート」には、いわゆる「美術」以上のもの、つまり、リベラルアート=人をして自由に思考させる学問、が含まれているわけです。

『劣化するオッサン社会の処方箋 なぜ一流は三流に牛耳られるのか (光文社新書)』

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山口周氏は、現代は、劣化したオッサンたちがリーダーになっている時代だという。
組織のトップに一度でも三流(劣化したオッサン)を据えてしまうと、自浄作用は期待できない。
なぜなら、それは、日大アメフト部やや日本ボクシング連盟などを見ればよくわかる。
劣化したオッサンのまわりには、それを忖度(そんたく)するさらに劣化したオッサンが集まるからだ。

そのような状況に若者が対抗するには、「エグジット」という考え方が必要だという。
エグジットとは「出口」のことだが、権力者の影響下から脱出するということ。
昨今、「転職」や「副業」ということが盛んに言われるが、このエグジットの一環だと考えればよく分かる。
旧態依然とした変化できない「劣化したオッサン」の組織から決別し、若くて斬新な組織に移れば、今まで悩んできたことは何だったのかと思うほど、新しいことに挑戦できることは多い。

もう一つの対抗手段は「オピニオン」。
オピニオンとは、おかしいと思うことについてはおかしいと意見をすること。
一連の不祥事を起こした企業に身を置きながら、オピニオンもエグジットもしないということは、これらの不祥事に自分も加担したと同じことになるからだ。

そして、この「オピニオン」も「エグジット」も自分のキャリアが危険にさらされるからやりたくない、と思っている人は多い。
山口氏は、そのためには、今の組織だけでなく外の世界に出ても通用する汎用性の高いスキルや知識という「人的資本」を身につけ、信用や評判といった「社会資本」を厚くすることで、自分の「モビリティ」を高めることが必要だという。
「モビリティ」とは、仮に現在属している組織を抜けたとしても、今と同様の生活水準を維持できる能力のこと。
どんな場所に移っても、自分の正味現在価値が変わらないということ。

「劣化するオッサン社会の処方箋」
「オピニオン」や「エグジット」を使えるよう、自分の「モビリティ」の能力を高められる人でありたい
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2019年04月16日

No 5093   【ポジティブな人とつきあえば、よい影響を受ける】

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【ポジティブな人とつきあえば、よい影響を受ける】

ジェームズ・スベンソン氏の心に響く言葉より…



ポジティブな人とつきあえば、よい影響を受け、ネガティブな人とつきあえば悪い影響を受ける。
仕事と人生の充実をはかるためには、自分の人間関係を整理する必要がある。
では、どんなタイプの人を避けるべきだろうか?

1. うそをついたり約束を破ったりする不誠実な人
2. 他人のあら探しをして悪口を言う邪悪な人
3. 口が軽くて他人の秘密を漏らす軽薄な人
4. 自分は何もせずに要求ばかりする利己的な人
5. とかく悲観的な見方をする暗い人
6. 傲慢で相手の気持ちを無視する独善的な人
7. 性格や態度に裏表がある卑劣な人
8. 嫉妬深くて意地の悪い陰険な人
9. 怒りっぽくて復讐心に燃えている執念深い人
10. 自分が間違っていても意見を変えない頑固な人

以上の項目のどれかに該当する人とは距離を置くか、できることならつきあいをやめたほうがいい。
そういう人とつきあっていると、今は仲がよくても、将来、あなたになんらかの形で被害がおよぶ可能性がきわめて高い。
また、あなた自身も以上の項目のどれかに該当していないかどうかを自問しよう。
少しでも心当たりがあるなら謙虚に反省しなければならない。

『希望と幸福に満ちた人生の扉をひらく50の法則』ディスカヴァー

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ジェームズ・スベンソン氏は、つきあった方がいいポジティブな人については本書の中でこう語る。

1. 約束を守る誠実な人
2. 他人をほめる温かい人
3. 他人の秘密を守る慎重な人
4. もらうことより与えることを優先する利他的な人
5. いつも楽観的な見方をする明るい人
6. 相手の気持ちを大切にする優しい人
7. 性格や態度に裏表のない正直な人
8. 他人の幸せを喜ぶ寛大な人
9. 自分の感情をコントロールできる冷静な人
10. 自分が間違っていれば素直に反省する謙虚な人

誰だって、こんなポジティブな人は好きになるに決まっている。
そして、逆にネガティブな人とはつき合いたくないとほとんどの人は思う。
しかしながら今、断り切れずにネガティブな人とダラダラとつきあってしまっている人がいたとするなら、もし、その縁を断ち切ることができたとき、新たな運が必ず舞い込んでくる。
ポジティブと幸運はセットだが、ネガティブとセットなのは不運だから。

ポジティブな人と多くつき合いたい
posted by Dr.モーリィー at 07:25| ちょっと気になる善い言葉 | 更新情報をチェックする

2019年04月15日

No 5092   【いくつになっても無邪気な童心をもち続ける】

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【いくつになっても無邪気な童心をもち続ける】

人生相談家、喜楽氏の心に響く言葉より…


童心とは邪気のない子どもの心です。
トトロや座敷童子が見える、素直な心です。
私たちはみな、この無邪気な心をもっていました。
しかし、大人になるにしたがって、ずるさや駆け引きなどを覚えます。
それがいつしか我欲となり、心に邪気が入り、心の目を曇らせているのではないでしょうか。

私は、今までに多くの成功者に会ってきました。
その中でも特に「この人は本物だ」と思える人には、ある共通点があります。
それは、“邪気がない”ということです。

邪気があっても成功している人は、私のまわりにもたくさんいます。
ある意味、その邪気をパワーの源にしているフシさえ感じます。
ただこういう人は、その邪気に自分もやられてしまうため、つねになにがしかの問題や悩みを抱えています。

逆に、私が「この人は本物だ」と思う成功者に会うと、いつも楽しそうです。
まわりの人に分け隔てがなく、だれに会っても態度を変えることがありません。
だれに対しても、そして、なにをするときでも無邪気なのです。

ときに童心に返り、無邪気さを取り戻すのは必要なことです。
そこで私がお勧めしているのは、田舎がある人は、そこでお墓参りをしたり、祖父母や親に会って自分の子どものころの話を聞き、無邪気なころの自分を思い出し、その心と向き合ってみることです。
そのころの楽しい思い出を思い返しながら、そころの自分からメッセージを受けとったり、インスピレーションを感じ取るのです。

もし、あなたが都会育ちで田舎もないのだとしたら、自分が生まれ育った地元の産土(うぶすな)神社に行って、これまで生かされてきたことに感謝を述べてください。
さらに境内で落ち着ける場所があるなら、そこで自分の子どものころを思い返してみましょう。
きっと同じようなインスピレーションが得られるはずです。

神社のお祭りに参加するのもオススメです。
お祭りは神様に感謝するための行事であり、お祭りに参加することは邪気を祓(はら)い、楽しい気持ちになって童心に返る効果もあります。
いくつになっても無邪気な童心をもち続けることは大切なことです。
心のゆとりにもつながりますから、ぜひ、ためしてみてください。

『全感謝する練習』サンマーク出版

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行徳哲男氏の「おさなごころ」についての一文がある。(感奮語録)より
『四国・宇和島に蓮華寺という寺がある。その山門には「人間にとって最も大切なもの、それは童心を忘れないこと、童心とは神に最も近く接する姿である」と書いてあった。子ども心に近づくほど神様と一緒になれるというのである。なんと素敵なことだろうか。』

『明治天皇の御製の中に「すなほなる をさな心を いつとなく 忘れはつるが惜しくもあるかな」とある。何が惜しいと言って、子どもっぽさを失うことほど惜しいことはない。』

『アメリカの詩人ワーズワースは「大人になっても虹を見て心が躍る自分が一番うれしい」と。』

『人間的に魅力があると思われる人はどこか子どもっぽさ、あどけなさをもっている。また、それは長寿の秘訣でもある。』

大人になっても、子どもっぽさを忘れない魅力ある人の顔には険(けん)がない。
反対に、素直さのない人すなわち、斜に構えたり、偏屈だったり、ひねくれた人の顔には、険がある。
険のある人は、トゲトゲしかったり、なんとなく攻撃的だったり、愛嬌のない人でもある。

いくつになっても無邪気な童心をもち続ける人でありたい
posted by Dr.モーリィー at 07:16| ちょっと気になる善い言葉 | 更新情報をチェックする

No 5091 【情報だけ武器にしろ】

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【情報だけ武器にしろ】

堀江貴文氏の心に響く言葉より…


インターネットやスマホなどが社会の仕組みを大きく変えた。
知らないうちに、世界中のすごい人たちや頭のいい人たちが(しかし、皆、最初は何者でもない無名な人だ)、新しい技術を開発し、世の中を変えている。
あなたはまず、そんな現実に気づくべきだ。

時代に取り残されないためには、どうすればよいのだろうか。
また、自分のお金や時間などのリソース(資源)を他者に奪われないためには、どうすればよいのだろうか。
僕は、「情報を高速で取捨選択する力」が、今後ますますカギになると考えている。

有益な情報を効率よく大量にインプットして、自分が望むときに、ベストな形でアウトプットする。
そんな姿勢が身についていれば、誰かに騙されたり、いいように使われたり、操られたりせず、どんな未来でも生き抜けるだろう。

まず伝えたいのは「情報とは、自分から積極的に取りにいくもの」という点だ。
向こうから舞い込んでくるような情報には、むしろ警戒したほうがよい。
幸運にも、現代では、「情報を手に入れる」ためのツールは揃っている。
スマホのニュースアプリを使ってもいい。
SNSを駆使して、「興味のある人」「先を行く人」の発信をフォローし続けてもいい。
そして、情報をハントする「狩り」が終わったら、次は自分の頭で考え、自分なりの言葉で世界中に発信し、頭の中を整理するクセをつけるのだ。

ネット上のブログや、SNSで、毎日発信を続けよう。
それは習慣にしてしまえば、さして難しいことではない。
インプット(情報収集)とアウトプット(情報発信)は、常にセットと捉えておくべきだ。

いったいなぜ、そんなことをする必要があるのか。
その理由は、ネットがつくりだした「グローバル化」を考えてみれば、よくわかる。
「豊かな日本」が当たり前だった時代は、とうの昔に終わっている。

時代はすでに激変している。
グローバル化とは、そういうことだ。
噛み砕いていうと、個人が「世界レベルで闘う時代」になったということ。
そして、それの武器となってくれるのが、「情報」なのだ。
うかうかしている暇はない。

これから世界中の多くの国に、スマホはくまなく普及するだろう。
たとえば、アフリカの山奥の国に、携帯電話の基地局が突然できて、中国の会社がつくったスマホが100ドル以下でばら撒かれるはずだ。
当然、現地の優秀な人たちは、スマホ経由でネットにアクセスし、世界最高峰の知を英語ベースで手に入れることになる。
僕たちは、彼らと同じ土俵で、生きていくことになる。

当たり前の話だが、「努力しない人たち=自分で情報を取りにいかない人たち」は取り残されていく。
「有名企業に就職しただけの人」「社内での出世競争に勝ち抜いてきただけのスキルゼロの人」は、路頭に迷う可能性が高くなる。
大企業ですら倒産や吸収合併の波に呑まれるリスクがあるからだ。

だからこそ、早い段階からグローバル化に気づき、情報を効率よくインプット&アウトプットするクセがついている人は、強い。
見方を変えると、現代では「権威」や「権力」におもねらずとも、先人の素晴らしい知恵や技術にネット経由で触れられるようになった。
自分で「狩猟」できるようになった。
それほど素晴らしいことはない。

『(169)情報だけ武器にしろ。: お金や人脈、学歴はいらない! (ポプラ新書)』ポプラ新書

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堀江氏は本書の中で、現代版の「教養」とは、新たなビジネスモデルやコンピューター関連の「新しい情報」のことだという。
大きなプロジェクトを動かすときとか、誰かとチームを組んで仕事をするときは、現代版の「教養」を身につけていなければ、話にならないからだ。
シェアできる教養のレベルが低いレベルであれば、アウトプットのレベルは当然低くなってしまう。
また、共通の言語で話ができない。

そして、大事なことは、「今の自分の『教養』のレベルと同等の情報しか手に入らない」こと。
だからこそ、普段から教養のレベルを磨く必要があるのだ。

「情報だけ武器にしろ」
情報のインプットとアウトプットを繰り返し…
シャワーのように情報を浴び続けたい
posted by Dr.モーリィー at 04:21| ちょっと気になる善い言葉 | 更新情報をチェックする

2019年04月14日

No 5089   【かけがいのない存在】

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【かけがいのない存在】

角田陽一郎氏の心に響く言葉より…



あなたが「好きなこと」をやって評価を積み上げ、会社の中で「かけがいのない存在」、つまりナンバーワンの存在もしくはオンリーワンの存在であると周りから思われるようになったとしても、その地位が一瞬にして崩れ去ることがあります。
それは、ときにはあなたの能力や資質に関係なく起こります。
あなた自身に落ち度はなくても、たとえば部下が失敗したり、取引先が倒産したりして大きな損失が発生し、責任を取らされることもあるでしょう。
そうした不測の事態に対し、どのような心構えをしておくべきなのでしょうか?

その答えを明かす前に、まず「かけがいのない存在」とはどういう存在なのかについて、お話ししておきたいと思います。
「自分が担当していた職務が、組織替えなどの理由で突然変わったり、なくなったりしてしまう」というのは、どの企業でもよくあることです。
組織運営にとって、そうした新陳代謝はもちろん必要ですが、その職務に力を注いでいた個人としては、たまったものではありません。
多くの人は、自分が仕事に全身全霊を捧げ、手に入れたポジションは、自分だけのものであり、誰も代わりになれない「かけがいのない存在」だと思っているからです。
しかし実際には、組織はさらっと個人からそのポジションを奪い、ほかの誰かに与えることがあります。

組織の中では、個人は決して「かけがえのない存在」にはなれません。
なぜなら、ある人間が病気で欠勤したとしても、違う人が代わりに入り、その部署が正常に機能するようにしておかなければ、活動が止まってしまうからです。
どんな立場の人間でも同様です。
「今の社長がいなくなったら、会社はもう終わりだ」といった状況に陥るのを避けるため、たとえ今の社長に何かあっても、すぐに代わりを立て、会社が維持できるようにしておく。
それが、組織の正しいあり方です。

僕は、会社を2016年に辞めました。
そこにはおそらく、「かけがいのない存在」になりたい、という気持ちもあったのだと思います。
「かけがいのない存在」になれば、その分、リスクや責任も背負うことになりますが、それを受け入れる覚悟で外に出たのです。
しかし、退職した後、あるきっかけにより、そんな考えが大きく変わりました。

翻訳について語られている、村上春樹さんと柴田元幸さんの共著『翻訳夜話』を読んだところ、村上さんの発言の中に、まさに、この「かけがえ」に関する部分があったのです。
「僕が言いたいのは、非常に不思議なことで、僕もまだ自分の中でよく説明できないんですけど、『自分がかけがえのある人間かどうか』という命題があるわけです。
会社はかけがえのない人に来られちゃうと困っちゃうわけです。
誰かが急にいなくなって、それで(会社)が潰れちゃうと大変だから。
その対極にあるのが小説家なわけです」

この部分を読んで、先ず思ったのは、「だから村上さんは小説家をやっているんだ」ということでした。
ところが、話はまったく違いました。
村上さんは、小説家としての自分も「かけがえのない存在ではない」と言うのです。
自分は、たしかに取り替え可能な存在ではないかもしれないが、自分が死んでも、日本の文学界が混乱を来すわけではない、と。

「心が崩れる音がした」という表現がありますが、この部分を読み、理解した瞬間、本当に音が聞こえたような気がしました。
「かけがえのない存在」になりたくて会社を出た自分って、一体…。

組織を出て、自分の名前で勝負することは、実は組織の中にいたとき以上に、取り替え可能な、「かけがえのある存在」になることだったのです。
村上春樹さんは偉大な作家ですが、ご本人が言うように、彼がいなくなったとしても、おそらくほかの作家の小説が読まれるだけでしょう。
芸能人にしても、ミュージシャンにしても、同様です。
その人がいなくなれば、別の誰かがテレビに登場し、別の誰かの音楽が聴かれるようになるだけなのです。

では、「かけがえのない存在」とは何でしょうか?
この問いに対して、村上さんは、きちんと答えを用意してくれていました。

「でもね、僕が翻訳をやっているときは、自分がかけがえがないと感じるのね、不思議に。
だって翻訳者こそ、いくらでもかけがえがあるみたいな気がしますよね。
でも、そのときはそうじゃないんだよね。
結局、厳然たるテキストがあって、読者がいて、間に仲介者である僕がいるという、その三位一体みたいな世界があるんですよ。
僕以外にカーヴァーを訳せる人がいっぱいいるし、或いは僕以外にフィッツジェラルドを訳せる人もいる。
しかし僕が訳すようには訳せないはずだと、そう確信する瞬間があるんです。
かけがえがないというふうに、自分では感じちゃうんですよね。
一瞬の幻想なんだけど」

この文章を読んだとき、「組織の中か外か」にこだわっていた自分の考えの無意味さに気づかされました。
結局、自分がやっている行いが、自分のためであっても、周りのためであっても、自分自身がそれを「かけがえのないもの」だと感じなければ、それは「かけがえのあるもの」にすぎません。
人は「自分にとってかけがえのないものは何か?」を自分で考えて決めなければ、「かけがえのない存在」になれません。

会社勤めをしていても、会社を辞めても「これは自分の強みだ」と思えるものができたとき、あなたは本当の意味で「かけがえのない存在」になれるのです。

『「好きなことだけやって生きていく」という提案』アスコム

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会社に限らず、様々な組織において、一所懸命やっている(と思っている)人ほど、「自分がいなくなったら(まわりは)困るだろう」と思う。
すると、勢い、長くその職にとどまったりすることになる。
出処進退が問われる瞬間だ。

処世訓が書かれた中国の明末の書、「菜根譚(さいこんたん)」によれば、出処進退が難しいのは、二つの作業をしなければいけないからだという。

一つ目は、「よき後継者を選ぶ」作業。
自分がいなくてもまわっていけるような人材を選ぶ作業であり、己を無にしなければできない。

二つ目は、「仕事に対する執着を断ち切る」作業。
自分が連綿として作り上げた仕事や、職場への愛着を断ち切る作業だ。

人に相談すれば、「今がちょうどいい時期だから辞めなさい」という人はいない。
たいてい、「まだまだ、早すぎる」と言われ、引き止められるに決まっている。
だからこそ、辞める時期は、あくまでも自分で決断しなければならない。

そもそも、自分は会社や組織に「いなければ困るだろう」と思うことは、勘違いによるものだ。
いなくなった当初は困るだろうが、その人がいなければ、会社はつぶれてしまう、などということはほとんどない。
人はだれでも、自分のことは過大評価したがるものだ。

「自分にとってかけがえのない大事なものは何か?」と、自らに問いかけること。
本当に好きなものは何か?
何の苦もなく、長く続けてきたものは何か?

それがわかれば、組織に属そうがフリーランスになろうが、びくともしない自分ができる。
それが、自分のうりであり、強み。
すると、本当の意味での「かけがえのない存在」になれる
posted by Dr.モーリィー at 07:42| ちょっと気になる善い言葉 | 更新情報をチェックする

2019年04月13日

No 5088   【阿修羅の正義】

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【阿修羅の正義】

ひろさちや氏の心に響く言葉より…



仏教では阿修羅(あしゅら)といった存在を考えている。
この阿修羅は、ほんらいは正義の神であった。
だが、彼はみずからの正義にこだわったがゆえに、ついに神々の世界から追放され、魔類とされてしまった。
正義の神を魔類にするところに、仏教のものの考え方の特色がある。

つまり仏教は、
「正義にこだわってはならない!」
と、われわれに教えているのである。

わたしたちは、ときに他人と対立し、争うことがある。
どう考えても相手に非があり、相手が悪い。
そういうときがある。
でも、だからといって、独り寝床の中で相手をなじり、相手をあげつらってみても、自分のこころは落ち着かない。

自分の正義を主張すればするほど、ますますイライラし、眠れなくなる。
じつは、それが「阿修羅の正義」である。
阿修羅は正義の神であるから、その主張は正しい。
けれども、仏教においては、阿修羅は魔類である。
したがって、あなたが「阿修羅の正義」を主張し、怒りを燃やしつづけるとき、あなたは魔類になっているのだ。
魔類にこころの平安がないのは当然である。

あなたは一刻も早く阿修羅であることをやめ、人間に戻らねばならない。
それにはどうすればよいか…。
あなたは正義にこだわることをやめて、相手にほんの少しだけいたわりの気持ちを持つことだ。
怒りそのものはそのままにしておいて(怒りを消し去ることは、所詮不可能である)、相手をかわいそうに…と思って、なにか一言、相手にやさしいことばをかけてあげる。
そのやさしさが人間であり、そのやさしいことばがあなたを阿修羅から人間に戻してくれるのだ。
仏教はそのように教えている。

『がんばらない、がんばらない (PHP文庫)』

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小林正観さんの「正義感」の話がある。
『「自分はちゃんとしているのに、ほかの人はちゃんとしていないじゃないか」と、ほかの人を糾弾(きゅうだん)しはじめたとたん、後ちょっとで「人格者」になったのにもかかわらず、「怒り」「憎しみ」の感情が沸き起こり、ストーンと落ちてしまう。
ある段階までこなければよかったのに、レベルが高くなったがゆえに、「正義感」というものが頭をもたげ、結果として、ちゃんとしていない人に「怒り」「憎しみ」の感情を抱くようになってしまうのです。
「怒り」「憎しみ」という感情を振り回せば、当然、自分にも返ってきます。
ですから、「宇宙の法則」で見るととても損。
したがって、あまり「正しい人」にならないほうがいいようです。
「正義」や「使命」を自分の中に感じ、自分に課して生きていくのはいいのですが、周囲の人に振り回すととても迷惑だし、自分にとっても損なのです。
「正しい」ではなく、それをやることが「楽しい」のかどうかという価値基準でいると、今までにはない、楽しく、幸せで心穏やかな時間が待っているかもしれません』 (努力ゼロの幸福論)より

正義感を振りかざした途端、まわりから人は離れていく。
それがどんなに正しかろうと、一方的に言い立てられたら嫌になる。
また、お互いに自分の正しさを主張し合ったら、最後はケンカになって終わる。
正義感を振りかざす人は、人を許すことができないからだ。

正しいか正しくないかではなく、楽しいか楽しくないか。
正しく生きるより、楽しく生きるほうがいい。

「阿修羅の正義」
正義感を振りかざさない人でありたい
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2019年04月12日

No 5087   【訓練中、修行中】

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【訓練中、修行中】

小林正観さんの心に響く言葉より…



人間関係の問題を解決する方法は2つあります。
ひとつは、自分の周りの500人をすべて人格者に変えてしまうことです。
ただ、この方法だと1人を変えるのに、説得に次ぐ説得を重ねて2年くらいはかかるでしょう。
500人を変えるためには1000年かかる勘定になり、事実上これは不可能といえます。

もうひとつの方法は、自分自身が人格者になってしまうことです。
どちらの方法も、結果的には穏やかで、にこやかな温かい日々を得られるとは思いますが、人を変えるということは大変なことです。
なかなか人は変わってくれません。
しかも自分の思いどおりになるとなると、なおさら難しいでしょう。
それをまず理解する必要があります。
周りの人を変えるよりも、「私」が変わるほうがずっと簡単なのです。
なぜなら、変えるべき相手が自分1人だけだからです。
さらに、変えるべき相手が自分ですから、自分が変わりたいように変わればいいからです。

イライラしたくない、腹を立てたくない、人と争いごとをしたくない、何かを言われてもいちいち気にするような自分ではありたくない、と思うのであれば、自分が希望するように、自分をつくり上げればいいわけです。
「私」が人格者になるということは、誰に何を言われても、目の前にどんな現象や出来事が起きても、それについて怒らない、怒鳴らない、イライラしない、声を荒げない、ということにほかなりません。
その結果、周りの人も穏やかな日々を過ごすことができて、得をするでしょう。
でもそれはあくまでも二次的な効果です。
自分が人格者になることによっていちばん得をするのは、ほかならぬ自分なのです。

ある方から2つの解決法について質問がありました。
「小林さんのお話は97%は理解ができました。しかし、あと3%だけ、どうしても理解ができません」
その3%とは、こういうものでした。

「たしかに、自分が人格者になることで、問題は解決するということはわかりました。
でも、小林さんの周りには、穏やかで温かく、素敵な人がたくさんいるのに対し、私は行く先々で、性格も言葉も荒い人たちばかりに会います。
これは明らかに神によって差別をされているとしか思えません。
自分を取り巻いている人間と、正観さんを取り巻いている人間関係が明らかに違うことに納得ができません。
それが3%の納得できないことです」

私はそれに対してこう答えました。
私の場合は、もう「訓練終わり、修行終わり」とシナリオに書いたのです。
あなたの場合は、「訓練中、修行中」とまだシナリオで書き続けているので、訓練や修行をさせてくださる先生が、あなたの周りを取り囲んでいるのでしょう。
周りにいる人は、あなたの先生をやってくださっているのです。

ですから、自分で人間関係が大変だと思うのなら、「訓練終わり、修行終わり」と看板に書いてしまえばいいのです。
先生は「訓練終わり、修行終わり」と書いてしまった人を教える必要がないので、もうあなたのところへは集まってこないでしょう。

『ただしい人から、たのしい人へ――そして「ありがとうの人」になる』廣済堂出版


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苦難や困難は人を魂を磨く「磨き砂」だといわれる。
輪廻の考えでいうなら、生まれてくるときに、自分の魂を磨き人格を高めるため、様々なハードルを自分で設定する。
そのハードルが苦難や困難という「磨き砂」だ。

自分のまわりに、嫌な人ばかり集まってきたり、嫌なことばかり起こるなら、それは魂を磨くための修行がまだ足りないということ。
設定したハードルを全部乗り越えることができたら、修行は終わる。
病気も、倒産も、人間関係も、すべては自分で設定したハードルだと思えば、文句を言ったり、人のせいにすることはできない。

人格者になれば、「訓練終わり、修行終わり」にできる。
そんな人格者を目指したいが、せめて…
「訓練や修行」をしてくれる先生に感謝し、文句を言わない人でありたい
posted by Dr.モーリィー at 06:23| ちょっと気になる善い言葉 | 更新情報をチェックする

2019年04月11日

No 5086   【2020年人工知能時代の僕たちの幸せな働き方】

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おいちゃんのお気に入りブログ【人のこころに灯をともす】からの転載です

【2020年人工知能時代の僕たちの幸せな働き方】

藤野貴教氏の心に響く言葉より…



「20年後、あなたが望もうが、望むまいが、現在の仕事のほとんどが機械によって代行される」
GoogleのCEOラリー・ペイジが2014年に語った言葉です。
AIが人間をコントロールしてしまうような世界を私は望みませんが、世の中の大きな潮流として、「人の仕事が少しずつ置き換えられていく」ことは間違いな流れだといえます。
事実、AIは日進月歩です。

人工知能時代の働き方の3ステップである「知る」「使う」「創る」の段階を上り続けるために、まずはAIの最新情報について「知る」という場をたくさん持つことが重要です。
例えば…
《スキマ時間はニュースを見よう》
「人工知能 ニュースサイト」で検索すると、たくさんのメディアが出てきます。
お気に入りのサイトを見つけて、スキマ時間にちょこちょこっと読んでみましょう。

《アンテナの高いオピニオンリーダーのSNSをフォローしよう》
孫泰三さん、国光宏尚さん、田端信太郎さんなど、IT業界のオピニオンリーダーのFacebookをフォローするのも私がやっていることです。
彼らのシェアする情報から、「こんな変化が起きているんだ!」というトレンドを感じ取ることができます。
「公開」形式で投稿してくれていますので、友達リクエストを送る必要はありません。

あえて挙げませんでしたが、日経新聞を読むことはやはりおすすめです。
テクノロジーのことがわかり始めてくると、新聞に書かれている記事の「背景」を想像することができるようになります。

AIをはじめとするテクノロジーが進化していく2030年までの間に、それぞれの職種がどのような変化をしていくか、経済産業省が詳しくまとめたレポートがあります。
「新産業構造ビジョン〜第4次産業革命をリードする日本の戦略〜」という資料です。
政府の見解においても、AIの進化は私たちの仕事に大きな影響を与えることが予測されています。
「人手不足の解消」につながるが、「雇用のボリュームゾーンである従来型のミドルスキルのホワイトカラーの仕事は、大きく減少していく可能性が高い」とはっきり述べられています。

一方で、ビジネスのカタチも大きく変わっていくため、「新たな雇用ニーズを生み出していく」といわれています。
AIによってビジネスがどう変化していくかを考えながら、1人1人が自分の仕事を進化させることを政府も求めています。
このレポートでは、仕事を9つに分類して、「その仕事に就く人が増えるか減るか」という数字の変化を具体的に予測しています。
予測シナリオは2つあります。

1つは、国、産業、個人が今回起きているテクノロジーの進化に対応せずに、これまで通りの産業・雇用体系を続けた場合。
これを「現状放置シナリオ」と呼んでいます。
もう1つは、テクノロジー進化が与える影響を深く考え、産業・雇用を転換・流動化させた場合の「変革シナリオ」です。

「痛みを伴う転換をするか、安定したジリ貧を取るか」という厳しい言葉を用い、「転換するならスピード勝負」であると名言しています。
現状放置シナリオならば、735万人分の雇用が減ると述べています。
2015年の従業者数を3334万人と捉えていますので、このままいけば10人に1人が職を失うリスクがあると述べています。
変革シナリオにおいてもマイナス161万人。
つまり、いずれにしろ「従業員数」は減少するという予測がなされています。

これは働き手からしたら悲観的になりたくなる数字予測です。
しかし国全体で考えると、そもそも人口減少・高齢化により全体従業員数は減少していきます。
テクノロジーが進化しようがしまいが、「働き手の数」自体はもともと減少することが予測されていたわけです。
ですから、テクノロジーが人の仕事を奪うと考えるのではなく、「どうやってテクノロジーを活用して仕事を効率化させていくか」を考えることが、この数字から見える本質です。
そして、「テクノロジーには代替できない、人にしかできない仕事に、どうやって私たち1人1人の仕事を進化させていくか」を考えていくことが必要なのです。

それはつまり、「創造的に考えることが必要な領域」「身体性や感情が求められる領域」においては、まだまだ人間のほうがAIより優位だと考えることができそうです。
実は20世紀とは、「人間をロボット的にする時代」であったともいえます。
1900年代前半に自動車の元祖であるT型フォードが誕生し、「大量生産」の仕組みが生まれました。
たくさんの人間を同じ場所(工場や会社)に押し込め、同じような仕事をさせていくことが、大量生産の時代においては最も効率がよかったからです。

21世紀に入り、人間は気づき始めました。
「効率」だけではどうにもならない時代になってきたことに。
効率だけ追い求めても、幸せになれないんじゃないかという「感情」「疑問」が生まれると同時に、人間の「身体」や「心」が悲鳴を上げるケースも出てきました。
そういった人間の「気づき」とともに登場したのが、AIなのではないかと感じています。

AIが人の仕事を奪うといわれています。
しかし本質的には、「ロボット的な働き方」をAIが代替えしていく、という表現が正しいのではないでしょうか?
同じことをただただ繰り返す仕事や、効率だけが求められる仕事をロボットに任せたとき、人間の仕事が「楽に」なります。
創意工夫をしながら感情豊かに働くほうが、より仕事は「楽しく」なっていくはずです。
20世紀のとらわれから自由になり、「人間は人間らしい仕事をする」ことが人工知能時代の幸せな働き方です。

『2020年人工知能時代 僕たちの幸せな働き方』かんき出版

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孫正義氏は、新時代にどう生きるかについて述べている。(「平成から令和へ」インタビュー・Yahoo!)より

『これからも続く長いインターネットの歴史からすれば、平成の30年間というのは、まだインターネットが生まれただけ。そういうところだと思いますね。これからさらに広がりますから。』

『平成は失われた30年間。
日本は、まるごと下っていってしまった。
昭和末期の1980年代、日本が「電子立国」と言って、家電を中心にすごく自信満々な時期がありました。
そのときに、いわゆるソフトウエアのことをバカにしている人たちがいました。
僕らがいくら、「これからはソフトの方が大事ですよ。ソフトこそが頭脳で、ハードは言ってみればただの箱、道具にすぎません。ソフトが主役になる時代が絶対に来ます」ということを言っても、「ハードウエアこそが主役である」と。
いかがわしい若い小僧たちがソフトウエアだとはしゃいでいるけれども、わけがわからないし、アルバイトで雇って書かせておけばいいと。
そういう“大人”が多かった。
当時の日本の主流のビジネスマンたちは、モノをつくってなんぼ、モノづくりにこそ魂があるみたいなね。
結局、それが日本の決定的な遅れにつながったんですね。』

『インターネット自体は、植え込みの時代が終わり、昔でいう“読み書きそろばん”のような当たり前の存在となった。
これからは、収穫、ハーベストの時代です。
その収穫期において、収穫を大きく左右するカギとなるのは、やはりAI(人工知能)でしょう。
すなわち、AIが時代を明るくするカギにもなる。
もうAI以外の案件は持ってくるな、というくらい、今、僕自身もAI一筋です。
僕は今、もう99%、AIに集中している。
そのくらい振り切っても、世界ではなかなか難しい勝負になっています。』

『コンピューティングの世界には、性能を決める“3大要素”がある。
プロセッサーの演算能力、メモリー容量、それから通信するスピード。
それ以外の要素は全部誤差です。
その三つがそれぞれこの30年間で約100万倍になったわけです。
そして、ここから先、もう一度、約100万倍になるわけです。
中途半端に知っている人に限って「AIにも限界がある」「ムーアの法則はもう限界だ」とか、言いたがる人が多いんだけれども、僕は「バカか」と言っておく。
それはあなたの頭が限界にきているだけだと。』

『どんな時代でも、常に人に生きがいはあるわけですよ。
昔、機械がないときに人々は手で田植えをして、手で魚を釣って、手で土を運んでいたけれど、機械が登場しても職は奪われるどころか、むしろ新しい職が次々に生まれていった。
同じように、AIがどんどん人間の仕事をこなすようになっても、AIを道具として使って、AIとともに提案をしていくコミュニケーションの仕事が次々と誕生するはずです。
あるいは、AIによる代替で可処分時間が増えることによって、人はもっとアートやスポーツやエンターテインメントや料理といった、より人間らしいことに時間を費やし、生きがいを見いだしていくことができる。
逆に言うと、機械とAIができるような単純労働やルーティンワークは、そんなものをなんでわざわざ人間がするの?という時代が訪れる。
人間はもっと人間らしく会話をしようよ、触れ合おうよと。
人の温かみを感じるサービスや商品をリスペクトしようよと。
そういうことによって生まれる、新しい価値や新しい仕事、これはもう山ほど生まれてくるはずです。』

『日本の悪い癖は、自分たちがわかる過去の世界のことを本業と呼ぶ。
本業からはみ出すやつは危険なやつだと、邪道だと、すぐに言いたがって、いかがわしい目で見るわけです。最近で言うと、「月に行く」と言いだすと、メディアもよってたかって厳しい目を向けたりね。
いや、確かに彼らはいかがわしいですよ。
でも、そのいかがわしさが必要なんですよ、堰を越えて波に乗るためにはね。
新しい文化というのは常にいかがわしいところから生まれる。
ビートルズだって、当時、僕らが子どもだったころは、いかがわしいと。
あんなのを聴いたら不良になると言われたわけですよ。
でも今では音楽の教科書にも出てくるでしょう。』

『だから、今の大人たちも、全員とは言わず一部でもいいから、いかがわしい若者のエネルギーに対して、「もしかしたら、これが日本の未来にとって必要なことかもしれない」というふうに、理屈で理解できなくても直感で感じ取って、励ましたり応援したりする許容力をぜひ持ってほしいなと思いますね。
励ますというのは、なにか政府予算をつけるだとか、そういうことではなくて、たとえば「いいじゃないか」と言うだけで、それだけで空気は変わっていくんです。』

時代はすさまじい勢いで変わっていく。
そんなとき大人たちに必要なのが「いかがわしい」と思える若者たちの新しいチャレンジに対し、好奇心を持ち、それを応援すること。
「2020年人工知能時代の僕たちの幸せな働き方」
新たな時代に限りない好奇心を持ち、未来にとって必要なチャレンジを応援できる人でありたい
posted by Dr.モーリィー at 07:57| ちょっと気になる善い言葉 | 更新情報をチェックする

No 5085  ブログ更新 最新情報!

準備中
posted by Dr.モーリィー at 07:36| ライフワーク | 更新情報をチェックする

2019年04月10日

No 5084   【心を鍛え、人間性を高める】

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おいちゃんのお気に入りブログ【人のこころに灯をともす】からの転載です

【心を鍛え、人間性を高める】

稲盛和夫氏の心に響く言葉より…


この国は今、「道しるべのない時代」を迎えています。
確かな指針を見出せない中にあって、少子高齢化や人口減少、地球環境問題など、過去に経験したことがない問題に直面し、人々の価値観そのものが、大きく揺らいでいるように見受けられるので。
人生の中でもっとも多くの時間を費やす、「働く」ということに関する考え方、仕事に対する心構えも、その一つなのかもしれません。

「なぜ働くのか」「何のために働くのか」…多くの人が今、働くことの意義やその目的を見失っているようです。
日々の仕事を進めるための技術やマニュアルは、あふれるほど用意されているのに、働くということに込められた、根本的な価値を明らかにすることは、ないがしろにされてきました。
そのため、今、若い人たちの間で、労働を嫌い、厭(いと)い、できるだけ回避しようとする傾向が顕著になっています。

たとえば、「一生懸命働く」「必死に仕事をする」といったことを意味がないとか、格好悪いと冷笑する人さえ少なくありません。
そのため、株の取引きなどで「楽して儲ける」スタイルに憧れを抱く人や、ベンチャーを起業するにしても、上場で一攫千金(いっかくせんきん)を果たし、若くしてリタイアすることがゴールだという人も増えているようです。
働くことを「必要悪」ととらえる考え方も、さも常識であるかのようにささやかれるようになってしまいました。
本当は働きたくない、しかし食べていくには、やむを得ないから働く。
だから、できるだけ楽に稼げればいい。

私は、働くことは「万病に効く薬」…あらゆる試練を克服し、人生を好転させていくことができる、妙薬(素晴らしい薬)だと思っています。
自分が望んだり、招いたリしたわけでもないのに、思いもかけない不幸が次々に襲ってきます。
そのような苦難や不幸に翻弄されるとき、私たちは自らの運命を恨(うら)み、つい打ちひしがれそうになってしまうものです。
しかし、「働く」こと自体に、そのような過酷な運命を克服し、人生を明るく希望あふれるものにしていく、素晴らしい力が秘められているのです。

人間は、自らの心を高めるために働く…私はそう考えています。
「心を高める」ということは、お坊さんが厳しい修行に長年努めてもできないほど、たいへん難しいことなのですが、働くことには、それを成し遂げるだけの大きな力があるのです。
働くことの意義が、ここにあります。
日々、一生懸命に働くことには、私たちの心を鍛え、人間性を高めてくれる、素晴らしい作用があるのです。

「よく生きる」ためには、「よく働くこと」がもっとも大切なことです。
それは、心を高め、人格を磨いてくれる「修行」であると言っても過言ではありません。

『働き方―「なぜ働くのか」「いかに働くのか」』三笠書房

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中国の古典、菜根譚(さいこんたん)には「不快なことこそ自分を磨く砥石(といし)」という言葉がある。

小林正観さんは、自らの心を磨き、高めるには三つの砥石が必要だという。
一つは、家庭や家族
二つめは、仕事
三つめは、その他の人間関係

夫婦は赤の他人が一緒になるがゆえに、様々な葛藤(かっとう)や問題がおきる。
同時に血のつながった親子関係も思うようになることは少ない。
三つ目の友人や、ご近所、趣味や様々な集まりにおける人間関係においても、うまくいかないことは多い。

そして、この三つの中で、一番多くの時間を使っているのが仕事だ。
仕事における人間関係、うまくいったことや失敗したこと、すべてが自分を磨く砥石となる。
自分を高めることを、お金をもらいながらできるのだ。

働くことで、自らの心を鍛え、人間性を高めたい
posted by Dr.モーリィー at 07:03| ちょっと気になる善い言葉 | 更新情報をチェックする